センチメンタル・ネイビー   作:夏色バレッタ

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プルーストの墓守

「さて、どこから話そうか」

 

そう言って、司令官は咥えた煙草に火を灯した。

かちゃり、とライターの金属音が響く。

たちまち、ハイライトの独特なにおいが執務室を満たした。

 

 

この人は、新しくここに配置された司令官だ。

ラバウル基地からこの呉鎮守府の司令に任命されたということだから、きっと前線で大戦果を挙げての栄転だろう。

実際、艦隊運用について、この人は歴代の呉鎮司令に勝るとも劣らない手腕をみせた。

あの加賀さんが素直に称賛したくらいである。

 

しかし、なぜだろうか。

輝かしい経歴を持ちながら、この人にはどことなく影がある。

雰囲気が暗いわけではない。

むしろ、人格的にも優れ、常に前向きに艦娘を鼓舞する。完璧という言葉がこれ以上ないほどに似合う人物だ。

だが、秘書艦を務めた艦娘は皆口を揃えて言うのだ。

司令官がサイドボードを見つめながら煙草を吸うとき、この上ないほど悲しい目をしている、と。

 

呉鎮の艦娘たちの間では、もっぱらこの話で持ちきりだ。

今回はその理由を知るため、私、重巡青葉が艦娘たちの代表として司令官のもとに派遣されたのである。

 

 

「青葉。サイドボードの……上から二段目。あそこに並べてあるものがなにかわかるかい?」

 

そんなこと、わざわざ見るまでもない。

司令官がサイドボードを見つめるときは、決まってその上から二段目なのだから。

 

「香水……ですよね?ミニボトルがずらり。なぜ女物ばかりなのか気になっていましたが……」

 

「そう、香水だ。だがね、僕にとって、これは墓標なのさ」

 

「墓標?」

 

「……あの瓶にはね、かつて僕がラバウルで指揮し、散っていった艦娘たちが纏っていた香りが詰まっているんだ」

 

そう言って、司令官は煙を吐き出す。煙草の先端から、今にも灰がこぼれ落ちそうだ。

 

「青葉はラバウルの海の色を知っているかい?」

 

「まるで天国のように透き通った青……そう聞いていますが」

 

「天国、か。それは半分正しくて、半分間違いだ。赤だよ、青葉。信じがたいことにね、赤く染まっているんだ。ラバウルの海は。深海棲艦と……それと同じくらいの数の、艦娘の血でね」

 

私は絶句した。ラバウルは激戦なれど、その戦果は上々。この呉にはいつもそんな電報が届けられていたからだ。

いや、戦果が上がっていたことに間違いはないだろう。

しかし、この呉とは違い、ラバウルは最前線。

大戦果は積み上がった屍の上にあった、ということだ。

司令官の言葉が続く。

 

「そんなラバウルだ。皆、明日があるかわからない。だからかな。ラバウルでは皆、写真を撮ることを嫌がった。散った自分が額縁の中で生き続ければ、それは仲間にとって重荷となる。その重荷が、仲間の命を危うくする。皆、痛いほどそれをよくわかっていたんだ」

 

「でも、自分が、仲間が、短い間であったとしても、同じ時間を共にし、同じ飯を食らい、同じ戦場を駆けた。その証明が残らないのも、良しとはしなかった」

 

「そうしていつのまにか、皆香水を纏うようになった。香りを嗅いだ時に、香りを嗅いだ時だけ、お互いのことを思い出せるようにね」

 

からん、とロック・グラスが音を立てた。

司令官が落とした灰で、灰皿はいっぱいになってしまっている。

 

「人が一番に忘れるのは声だといわれている。そして、一番最後まで覚えているのは香りだそうだ。僕はいま、彼女たちの犠牲の上に戦果をあげて、こうして呉鎮守府司令の椅子におさまっている。人は僕を有能な指揮官と言い、呉への栄転も当然だと言う。だが、僕はそう思えなかった。僕は、拙い指揮によって多くの艦娘を沈めてしまった無能だ。いくらラバウルが激戦といっても、彼女たちに明日を教えてやれなかった。それだけは確かな事実なんだ」

 

今にも尽きそうな煙草を、司令官は灰皿に押し付ける。強く、強く。

 

「だから僕は、いまでもこうして彼女たちの香りが詰まった瓶を墓標としてるんだ。海に墓標はないからね……」

 

「もっとも、僕がもっとも愛した艦娘は、香りすら残してくれなかった。『残すまでもない。だって私は死なないから』なんて言って。呆気なかった。基地が空襲を受けた日、焼け跡に残っていたのは、彼女がいつもハイライトに火を灯していた、この小さなライターだけだったんだ」

 

氷がすっかり溶けてしまったロック・グラスに、司令官が手を伸ばす。

薄い縁に指が触れ、グラスはぴしりと音を立てた。

 

 

私は、このひとがなぜこの呉鎮守府に送られたのか。

そして、こんなにも優れた艦隊指揮ができるのか。

その本当の理由を知ってしまった気がする。

 

彼のラバウルから呉への転属は一種の栄転であり、一種の左遷だったのだろうと私は思う。

彼はもう、戦場に立つべきでないのかもしれない。

それほどに、彼の一番柔らかい部分は、もう壊れてしまった。

彼はもはや、戦場の墓守として、死に場所を探しているだけなのだ。

 

くすんだ水色のパッケージから、一本。

慣れない手つきで私は火を灯す。

咳き込みそうになりながら、肺いっぱいに煙を吸い込む。

吐き出した煙の向こうの、司令官の顔を見る勇気は、まだない。

 

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