軍隊というものは、いつの時代も秘密が付き纏うものだ。
秘密の技術、秘密の部隊、秘密の作戦。
この帝国海軍にあっても、それは例外ではなかった。
もちろん、その秘密の中には、公になったものや、都市伝説に過ぎなかったもの、あるいはその罪を裁かれたもの、免れたもの、様々あるだろう。
今夜、ここに話す…というより、打ち明けるのは、いまだ公にならず、都市伝説ではなく、その罪を裁かれない秘密。
そういった類のものだ。
この物語が始まるのは、今から7年ほど前のこと。
人類と艦娘が邂逅し、瞬く間に海軍が組織され、人類が深海棲艦に対抗する手段をようやく得たという時期だ。
今でこそ艦娘を運用する海戦戦術は洗練され、定石をたどりさえすれば、妖精さんの加護を裏切ることさえしなければ、深海棲艦を撃破できるかはさておき、艦娘が撃沈されることはなくなったといっても良いだろう。
しかし、あの頃はまだまだ艦娘や妖精さんに対しての理解は浅かったし、戦術は稚拙なものだった。
こうした事情から、海軍内は大いに荒れた。
その中心にあったのは、「撃沈の恐怖から艦娘が逃亡し、戦力が失われ」「戦況がより有利な深海側に艦娘が寝返る」といった恐怖だった。
恐怖というものは、さらに大きな恐怖を呼ぶ。
自ら纏い、身を守るための恐怖だ。
そうして、諜報・督戦を主任務とする極秘部隊が設立された。
敵味方を問わず諜報活動を行い、逃亡や寝返りを企てる者を容赦無く抹殺するその名は「墨染部隊」。
墨染色の特別な制服を身に纏う彼女たちは、戦災孤児の中から選抜され、船霊を受け継いで艦娘となった存在。
彼女たちを突き動かすのは、自らを孤児にした深海棲艦への苛烈な憎悪と、自らを育てた「墨染提督」への病的なほどの忠誠心だけだった。
こうしてうまれた墨染部隊は、精強無比な存在だった。
それこそ、それを生み出した海軍自身が手を焼くほどに。
とはいっても、彼女たちの「墨染提督」が手綱を握る限り、墨染部隊の運用には何も問題はなかった。
墨染部隊の戦いぶりは凄まじいものだった。
泣いて許しを請う駆逐艦を撃ち抜き、脳漿が波間に溶けるのを無表情で眺められるのは、おそらく彼女たちだけだっただろう。
墨染部隊を知る者のほとんどは、彼女たちを感情のないキリングマシーンと思っているが、それは違う。
彼女たちは墨染提督を愛する以外の欲求を持たず、墨染提督の期待に応えようとしているだけ。
故に、彼女たちに不可能はなかったのだ。墨染提督が望む限り。
彼女らは、墨染提督の前では年頃の少女だった。
血生臭い戦場の話なんかよりも、春の香りがするオーデ・コロンの話をしたがった。
冷徹なスパイが活躍する映画なんかよりも、きらきらと踊り跳ねる女優の恋愛映画を観たがった。
墨染色の軍服なんかよりも、淡い桜色のワンピースを欲しがった。
彼女たちは本物の諜報技術を身に付けていた。
相手が望む姿を演じるのではなく、相手が望む姿そのものになった。
黒い銃の引き金ではなく、プレゼントの箱の赤いリボンを引く喜びを知る、「砂糖とスパイスと、素敵ななにか」でできた、そんな少女に。
墨染部隊が生まれてから、数年の時が過ぎた。
艦娘による海戦の戦術は洗練され、人類は深海棲艦との戦いについて優位に立つようになった。
海軍内の士気は上がり、提督たちは英雄と扱われ、艦娘の志願倍率は千を数えるようになった。
戦況が好ましいものになると、督戦部隊などという存在は軍にとって不都合な存在になる。
墨染部隊もまた、例外ではなかった。
英雄の歩む絨毯の色は、敵の血で染め上げられる赤であり、決して味方のそれであってはならない。
そうして、墨染部隊の解隊は決定された。
墨染部隊の解隊にあたり、墨染提督と艦娘の今後についての問題が浮上した。
墨染の真実を知る当事者は海軍にとって大変不都合なものであるが、同時に戦力としてはこのうえないほど優れたものだったからだ。
気が遠くなるほどの議論を重ねた結果、海軍上層部はある残酷な結論に達する。
それは、「墨染提督の暗殺」および「洗脳による艦娘の再利用」といったものだった。
結果から述べると、墨染提督は暗殺された。
しかしながら、これは海軍上層部が予定していた展開とは幾分か異なるものだった。
なぜならば、海軍はその当時まだ墨染部隊の洗脳に着手していなかったからだ。
元々の予定では、墨染部隊のさらなる強化として艦娘を召集し、洗脳。
その後に墨染提督の暗殺を命じることによって、その洗脳の成否を確認しつつ、厄介者を抹消する手筈だった。
だが、そうする前に墨染提督は何者かによって暗殺され、部隊の艦娘は姿を消していた。
これについて海軍は、墨染部隊の艦娘という優れた戦力を失ったことを嘆いたが、最優先の目標は達成されたことを喜び、行方不明の艦娘は墨染提督の後を追ったのだろうと結論づけて、あとは忘れることにした。
時は遡り、墨染提督が暗殺された夜。
墨染提督は近頃海軍内に漂う不穏な空気を感じていた。
なにか、海軍内で除け者にされているような空気である。
墨染提督は一応「提督」であったが、海軍から渡される作戦指令書を艦娘に渡し、それを実行するよう命じるのみの立場だった。
墨染提督はもともと正規の海軍の人間ではなく、墨染部隊の艦娘を管理するために雇われた孤児院の管理者であったから、そういった出自が明るみになり、正規の軍人から疎まれているのだろうと墨染提督は結論付けた。
提督がそう思うのも無理はない。
なにせ墨染提督には作戦に口を出す権利はおろか、作戦指令書の封を切ることすら許されていなかったのだから。
そうであったからこそ、墨染提督は、墨染部隊の艦娘に戦場の話を聞こうとはしなかった。
墨染提督は、彼女たちの居場所であろうとした。
その身の全てをかけて彼女らを愛し、一人の少女として扱った。
ゆえに、艦娘たちもまた、墨染提督を愛した。
それは諜報技術を存分に駆使した「提督の望む姿」であったが、それが彼女らにできる最大限の愛であったし、墨染提督もまた、それを理解していた。
さて、話を戻して暗殺の夜。
墨染提督はちょっとした好奇心から、過去の作戦指令書の封を切ってしまった。
疎まれるのなら、海軍なんて辞めて孤児院に戻ればいい。
墨染部隊のみんなが退役したら、自分の孤児院で一緒に過ごせるようにしよう。
でもその前に、少しくらい部隊のことを知っておいてもバチは当たらないだろう、と。
はたして、そこに綴られていたのは、海軍省や鎮守府内の裏切り者を炙り出すための諜報作戦や、督戦命令の数々だった。
墨染提督は深い絶望に陥った。
自らが討てと命じていたのは、敵ではなく味方だったのかと。
軍に言われるがままに、内容も知らずに命令を下し、愛する艦娘に味方殺しという罪を重ねさせたことを悔いた。
そして、墨染提督は自ら命を絶った。一つの命令を残して。
その命令とは、「『作戦指令書の内容の漏洩を試み、結果何者かによって暗殺された』風を装うよう工作すること」であった。
墨染提督は、その罪をたった一人で引き受けたのだ。
翌朝、艦娘たちは真実を知った。
自らの行ってきた作戦は墨染提督の意思によるものではなく、彼女と提督はただ海軍に踊らされた駒に過ぎなかったのだと。
海軍さえなければ、その手を血に染めることはなく、提督と穏やかに生きられたかもしれなかったと。
艦娘たちは命令通りに工作を完了させ、姿を消した。
その後の墨染部隊の行方は誰も知らない…
……
………
…………数年後
「……続いてのニュースです。海軍が孤児院に対し、少年兵にするための子供を要求していたことが明らかになりました。これについて、海軍は『現在調査中である』とのみコメントしており、詳細の究明が求められています。孤児院の子供たちは無事保護され、検査の後、最近設立された戦災孤児向けの孤児院に移ることが決まっています。その孤児院は戦災孤児の元艦娘たちが運営しており……」