センチメンタル・ネイビー   作:しゃりくら

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ブリーズ・イズ・ナイス

何もかもが退屈な島だった。

本土に向かう船は月にたった三便。

島唯一といってもいい娯楽のテレビだって、チャンネルは二つしかなかった。

島の外から来る人たちは、手付かずの自然がどうだとか、珍しい鳥がどうだとか、空と海の美しさがどうだとか、いつもそんなことばかりを口にしていた。

でも、僕たち子供にとってはそんなものより、光化学スモッグが彩るコンクリートジャングルの方がよっぽど魅力的だった。

ブラウン管の小さな窓を通して見る都会の風景は、いつも島で見たことのないような光と音に満たされていて、それらは僕たちの網膜や鼓膜を焼き切らんばかりに刺激的だった。

だから、島の子供たちはこぞって本土を目指した。

そのなかでも一番人気だったのは軍人だ。

国の中央とつながる手段を持たない僕たちにとって、本土に渡るには軍人が一番手っ取り早く、あの頃は戦時だったから、結果さえ残せばいくらでも上を目指すことができた。

その中でも一際人気があったのが、艦娘を率いて戦う提督だろう。

海軍士官の中でも、初めから少佐相当の待遇が約束される提督は、島中の子供が憧れる進路だったし、僕も例に漏れず、その中の一人だった。

 

 

僕が生まれ育った島は、それこそ島流しにでも使われそうなほど退屈なところだったけれど、それでも好きな場所のひとつくらいあった。

いや、まあ、一つくらいというか、一つしかなかったのだけれど。

波止場のテトラポッド。

僕たちが出会い、夢を見た場所。

僕と、天津風の物語。

15年前のテトラポッドから、この物語は始まる。

 

 

15年前の夏休み。

僕がまだ、短パンとランニングで自転車を漕ぎ散らかし、頭の中は虫取りアミと漫画雑誌でいっぱいだった頃。

僕は噂の転校生とやらを探して島中を駆け回っていた。

転校生が来るなんて、漫画の中でしか聞いたことない話だったから、島の子供達は全員総出で島中を大捜索していたのだ。

そうして、すこし休憩しようとおもって立ち寄った波止場で、僕は出会ってしまった。

 

 

噂の転校生の艶やかな黒髪は、穏やかな潮風に揺れていた。

テトラポッドに砕ける波を眺めるその瞳は、彼女がこの海の向こうで拾い上げてきた静けさに満ちていた。

テレビの中の、人々が忙しなく行き交うスクランブル交差点でしか存在できなさそうな綺麗なワンピース。

それを纏って、地図からも忘れ去られてそうなこんな島で海を眺める彼女の横顔は、小学生の僕が知ってはいけないような美しさを秘めていた。

 

 

ーーーいわゆる、一目惚れというやつだった。

 

 

何秒、いや何分見つめていたのだろう。

僕の視線に気がついたのか、彼女は僕の方を見て、ねぇ、と口を開いた。

 

 

「あなた、この島の子?ひょっとしてここって、入っちゃいけない場所だった?」

 

「そんなことはないよ……僕もよくここには来るし。もしかして君が噂の転校生?」

 

「噂?そう、もう噂になってたの。そうよ。私がその噂の転校生。遠いところから来たの。ずっと遠いところから」

 

「なんで君みたいな……あー、都会っぽい子がこんな島に来たの?」

 

「ちょっと、いろいろあってね。あなた、今何年生?」

 

「五年生だよ」

 

「そう。それじゃ、私と同級生ってことになるのね。よかったら、この島のこと色々教えてくれない?」

 

「いいよ。何もない島だけど、海だけは自慢なんだ。えっとね……」

 

 

そうして、僕らは夕陽が水平線の向こうに沈むまで、この島のことや、学校のことについて話していた。

僕はできれば彼女のことも知りたいと思ったけれど、彼女はうまくはぐらかして教えてくれなかった。

僕は噂の転校生を見つけたら仲間たちに自慢するつもりだったけど、そうしなかった。

彼女の静けさがなんとなくそうさせなかったというのもあるけれど、なんとなく、僕の中だけに秘めておきたい気がしたんだ。

 

 

夏休みの間中、僕は毎日のようにあの波止場にいた。

そこにいけば、いつも彼女がいたからだ。

そこで僕らは、いつも日が暮れるまで話していた。

時々、彼女は都会の親類から送ってもらった菓子なんかを振る舞ってくれた。

魔法瓶の冷たい紅茶や、彼女のお気に入りの店のマカロンは、僕の知らない街の味がした。

僕が知っているものといえば、パックの水出し麦茶とか、島のなんでも屋で買う駄菓子くらいなものだったから、それらを口に含むたびに、絶対海軍の提督になって島を出るんだと決意したものである。

 

 

夏休みが終わり、新学期が始まった。

彼女はたちまちクラスの人気者になった。

彼女はクラスで口数が多い方じゃなかったけれど、それがかえって彼女を都会的なお嬢様として引き立てた。

男子は彼女の前ではなんとなく話題を選んだし、女子は彼女といつも洋服だとか、おしゃれの話ばかりしていた。

彼女がクラスで見せる表情は、あの波止場で僕と話していたときのそれとは違って、しずしずとしたものだったから、なんとなく僕はクラスでは彼女に話しかけなかった。

もし波止場の彼女の姿が本当の彼女だったなら、それをみんなに広めれば、きっとみんな今以上に彼女と仲良くなれる気がしたけれど、僕はそうしなかった。

彼女がそうしたくてそう振る舞っているのならそれを尊重すべきと思っていたのもあるけれど、なにより、僕だけが知っている彼女を僕だけのものにしておきたかったからだ。

 

 

あの日の一目惚れは、紛れもない恋という確信に変わっていた。

僕は、彼女に初めての感情を抱いていた。

いわゆる初恋というやつだ。

 

 

それが恋心だと気付いてからも、僕と彼女の関係は変わらなかった。

小学五年生なんて、恋と友情の区別がつかないことも多い年頃だし、彼女を自分のものにしたいとか、そういう感情はまだなかった。

僕は彼女とあの波止場で話せるだけで満足していたし、僕だけが知っている彼女の表情 ー彼女はよく笑う子だったし、冗談好きでもあったー が見られるだけで、僕は十分幸せだった。

 

 

それから時が過ぎ、僕らは中学三年生になっていた。

その頃には僕も現実ってものがよくわかっていたから、海軍提督ってものがプロ野球選手になるより数段難しく、今の僕では到底手の届かないものであることを知っていた。

というか、とにかく島から出られるのならなんでもよかったし、提督になるという夢なんて、いつのまにか忘れてしまっていた。

だから、とりあえず僕はみんなと同じように島から一番近い本土の小さい町の高校に進学するつもりだったし、彼女もまたそうなんだろうと思っていた。

島の子供はみんな同じ高校に進学していたから、島を出てからも三年間はまた彼女と同じように過ごせると、僕は勝手に思い込んでいた。

 

 

しかし、僕と彼女の関係は、あの夏の夜、突然終わりを告げる。

 

 

あの日、8月31日の夜。

夏休み最後の日。

僕は彼女から誘われて、あの波止場で花火をしていた。

僕と彼女の関係は変わらず、というか、かなり親密なものになっていたけれど、それはあくまで仲の良い異性の友達といったもので、淡く抱いていた恋心はあいかわらず秘められたものだった。

 

 

僕たちはロケット花火の音や光に興奮し、手持ち花火から吹き出す色の鮮やかさに、子供のようにはしゃぎ回った。

それは僕らが出会った頃から変わらない関係性によってつながっていることを象徴しているようで、嬉しい反面、あくまでも僕らが友達だということを強く僕に印象付けた。

 

 

持ってきた花火が残り少なくなって、最後に残ったのは線香花火だった。

穏やかな波の音にかき消されるほどか細い音を立てながら、線香花火は淡く彼女の顔を照らしていた。

彼女は美しかった。

およそ十五歳という存在が秘めうるあらゆる美しさや悩ましさ、切なさといったもののすべてを彼女は内包していた。

この線香花火が終わったら、彼女に告白しよう。

その美しさは、僕の決意を固めるに十分すぎるものだった。

 

 

はたして、線香花火の火がぽとりと落ち、波止場に静寂が訪れた。

僕はなかなか言い出すことができなかった。

花火の光に眩んだ目が波止場の夜闇に慣れ、テトラポッドに砕ける波の白さがなんとなくわかるようになった頃。

静寂を破ったのは彼女の方だった。

「あのね」と、彼女は口を開いた。

 

 

「実は私、今夜が島で過ごす最後の夜なの」

 

 

あまりにも唐突な話で、僕は陸にあげられた金魚みたいに口をぱくぱくさせることしかできなかった。

震える声で僕は尋ねた。

 

 

「どうして?明日から新学期だよ。もしかして転校しちゃうの?」

 

「ううん……転校じゃないわ。私ね……艦娘になるの。……言い出せなくてごめんね。ずっと前から決まっていたことなの。この島に来たあの日、あなたはなんでこの島に来たのか私に尋ねたことがあったわよね」

 

「うん……。だけど君は、教えてくれなかった」

 

「実はね、私のお父さんは提督だったの。でも、深海棲艦に鎮守府が攻撃を受けたときに死んじゃった。そのとき、私は艦娘の適性に目覚めたの。お父さんを奪った深海棲艦に復讐したいという気持ちが、そうしたのかしらね。そうして私は艦娘になることが決まったのだけれど、私の適性に呼応した艦の記憶を受け入れるには私は少し幼かったから、私を知る人がいない場所でその時が来るまで生活することになったの。そうして選んだのが、お父さんが少年時代を過ごしたこの島。お父さんの育った場所を、私はこの目で見てみたかったの」

 

僕はこんな時、どんな言葉をかければいいのか、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

そんな僕の気持ちを汲み取ってくれたのだろう。

彼女は言葉を続けた。

 

 

「艦娘として戦うためには、守りたい人と、守りたい場所を見つける必要があったの。それがないと、艦の記憶はうまく魂に馴染んでくれない。でも、それを見つけられてよかった。この島にはこの波止場と潮風があって、そこにあなたがいるんだもの。ありがとう、あなた。あなたに出会えてよかった。この場所とあなたは、絶対に私が守るから」

 

 

そうして彼女は美しく微笑んだ。

雲の切れ間からそそぐ月の光が照らした彼女の瞳は、その表情に似つかわしくないしずくに満ちていた。

僕らを照らす満月が、彼女の瞳の中で朧月に映る。

彼女のぼやけた月光が僕の網膜に焼き付くのと、僕が口を開いた瞬間の、はたしてどちらが早かったのだろう。

 

 

「君が好きだ」

 

 

短く、しかしこれ以外にない言葉だった。

沈黙。

そして彼女は言った。

 

 

「どうして……どうして……もっと早く言ってくれなかったの。今になってこんな感情を知ってしまうなんて。私はどうしたらいいの。あなたの言葉はとても嬉しい。でも、今それを聞いてしまったら……私……私……」

 

 

僕は彼女が涙を流すのを初めて見た。

それをなんとかしたくて、僕はこの五秒間で確信に変わった決意を音に変える。

 

 

「だから僕、提督になる。君とずっと……

 

 

言いかけた言葉は、すべて音にならなかった。口元に熱を感じたその瞬間、僕の声は、彼女の唇に吸い込まれてしまった。

 

 

唇が離れていく。

互いを結ぶ透明な糸は、残酷なほどたやすく切れてしまう。

 

 

「それ以上は……だめよ。それを全部聞いてしまったら私、もう艦娘になれない。お願い、あなた。私のことは全部忘れて。夢。そう、今夜限りの夢だったのよ。さようなら、あなた。元気でね……」

 

 

そう言って彼女は歩き出した。

思わず彼女の手を僕は掴もうとして……掴もうとして……結局掴むことができなかった……

 

 

それから、猛勉強の日々が始まった。

気が狂ったかのように僕は勉強に励み、僕は県で一番の進学校に合格した。

そこでも僕は学年トップを走り、海軍兵学校に合格。

兵学校でもトップのハンモックナンバーを確保し、僕は無事提督になる資格を獲得した。

もう一度彼女に会いたい。

その一心だった。

 

 

海軍兵学校を卒業した僕は、提督を養成する海軍特別術科学校に入学した。

そこで僕は、あの日の彼女の涙のわけを知った。

艦娘になった者は、艦娘になる以前の記憶が失われてしまう。

現実はあまりにも非情だった。

だけれど、それでも僕はもう一度彼女に会いたかった。

彼女が僕のことをもう忘れていたって、彼女に会えるのならば、それでもかまわなかった。

 

 

海軍特別術科学校を卒業した僕は、提督として着任した。

よくよく考えてみれば、彼女がどの艦の記憶を受け継いだのか僕は知らないし、そもそもこの鎮守府にいるのかも知らなかった。

しかし、僕にとってそんなことはどうだってよかった。

何年かかっても、彼女を見つけ出す。

その一心で僕は提督になったのだから。

 

 

無意識に、足が波止場に向かっていた。

鎮守府の港は僕のいた島のそれなんかとは比べ物にならないほど立派なものだったけれど、波止場とそこにあるテトラポッドを見たときは、懐かしさと切なさが胸にこみ上げた。

そしてそこに、僕はひとりの少女を見た。

 

 

その少女の艶やかな白髪は、穏やかな潮風に揺れていた。

テトラポッドに砕ける波を眺めるその瞳は、彼女が戦場で拾い上げてきた静けさに満ちていた。

テレビに映らない、砲弾が忙しなく行き交う海の上でしか存在できなさそうなセーラー型のワンピース。

それを纏って、国防の最先端で海を眺める彼女の横顔は、提督になっても忘れなかった美しさを秘めていた。

 

 

何秒、いや何分経ったのだろう。

ただ涙を流す僕に気がついたのか、彼女は僕の方を見て、ねぇ、と口を開いた。

 

 

「あなた……なんで泣いてるのよ。新しく着任した提督よね?変な人。私は陽炎型駆逐艦九番艦、天津風。とりあえず、紅茶とマカロンがあるから、これでも食べて落ち着きなさい。話くらい聞いてあげるから。って……あれ?やだ、私まで……こんな……なんで……」

 

 

僕は思わず天津風を抱きしめてしまっていた。

瞬間、混乱した彼女の表情が驚愕に変わる。

すこし遅れて天津風の華奢な両腕が僕の背中を強く掴み、こう言った。

 

 

「……やっと会えた。おかえりなさい、あなた」

 

 


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