深海。
限られた生命体のみが存在を許されるその空間を、私たちはビーコンの反応を頼りに深く、深く潜っていく。
ビーコンの緑色のランプが素早く点滅を始めた。
そろそろ目的地は近い。
よくよく目を凝らすと、この先の空間が不自然に歪み、滲んでいる。
「見えてきたでち」
先立って潜航するゴーヤの呟きに、私、伊168は小さく頷きを返していた。
ゴーヤと合図をし、私たちはその空間に飛び込んだ。
その先には、青白く光る巨大なドームがあった。
ドームの大きさは、およそ半径20km。
ドームの内部は、半分が灰色の建築群に埋め尽くされている。
もう半分には、広告の看板がでかでかと掲げられたショッピングモールほどの大きさの建物や、ネオン管でけばけばしく彩られたビルが立ち並んでいる。
はっちゃんから借りたSF小説にこんな描写があったな、なんて場違いに緊張感のないことを私は考えていた。
ゴーヤは厳しい目でそのドームを見つめている。
そう、ここは深海棲艦の中枢拠点。
私たちは敵の中枢で情報収集を行うという任務を帯びていた。
事の始まりは深海棲艦からの和平交渉の申し入れだった。
曰く、
度重なる敗北によって深海側も大きく疲弊、厭戦ムードが高まっており、これ以降の戦局の打開には、開発済みの新兵器の投入によって陸地をすべて海に沈めるほかなくなっている。
それはお互いに望むことではないため、和平を結び、共存の道を模索したい。
そこで艦娘を深海の中枢拠点に招待し、件の新兵器の廃棄を見届けてもらうことで、和平への第一歩としたい……
とのこと。
思わぬ和平の申し入れ、おまけに実質的な「勝利」を引き出したことに軍令部は大いに沸いた。
そこで、深海という立地の特殊さから、私とゴーヤが派遣されることとなったのである。
新兵器の廃棄は滞りなく進み、設計図もすべて適切に処理された。
深海側の技術者の記憶修正も無事に終わり、陸地が海底から吹き飛ばされ、全世界がアトランティスになる未来は回避された。
ここからは自由に観光していって結構という深海側の好意に私たちは甘え、ショッピングモールに足を運んだ。
「しかし、想像以上の技術力でち」
任務中はかなり気を張っていたゴーヤも、今はしげしげとショッピングモールの天井を眺めている。
ショッピングモールの天井からは天然の陽光が再現された光が差し込んでおり、ここが深海ではなく地上なのではないかと錯覚させられる。
「深海棲艦も本当は、ただ光の当たる場所で暮らしたかっただけかもしれないわね」
「……そう思いたいような、そうは思いたくないような、そんな話でちね」
「でも、これできっとこの戦争は終わるわ。そうなれば、艦娘も深海棲艦も、手を取り合って生きていけるはずよ」
「そう……そうでちね。やっと終わるんでち。やっと……」
「そうとなったら楽しんでいきましょうよ。きっとそのうち潜水艦隊みんなで遊びに来れるようになるんだし、いっぱい今のうちにリサーチしとかなきゃ!」
「ありがとイムヤ。ゴーヤも元気出てきたでち!みんなにいっぱいお土産買っていかなきゃ!」
そこから私たちはショッピングを楽しんだ。
はっちゃんには深海の人気作家の本、イヨには深海でつくられた青く光る不思議なお酒。
ほかにも、潜水艦のみんなに両手いっぱいのお土産を買った。
ここにきて私たちは、深海棲艦にも私たちと何ら変わらない日常があるんだと知った。
艦娘も深海棲艦も本当はコインの表と裏なのかもしれないと、司令官は言っていたけれど、たぶんその通りなんだと私は思った。
「いっぱい買ったでちねえ……イムヤのショッピング狂いも考え物でち……」
「仕方ないじゃない!深海の水着もスマホケースも、とってもかわいかったんだもの!」
「そうはいってもイムヤ、水着を着る体は一つだし、スマホを持つ手も二本しかないのでちよ……」
「うっ……アイスおごってあげるから、それで許してよ。ほら、そこのアイスクリームスタンドで休憩しましょ」
「いいでちね!人のおごりで食べるアイスは格別でち!間宮さんのアイスくらいおいしかったらいいなあ」
アイスクリームスタンドで私とゴーヤはアイスを買って、近くのベンチに腰を下ろした。
私がオレンジで、ゴーヤがクランベリーだ。
お互い、相方の髪の色と同じ色のアイスクリームを選んでしまって、私たちは顔を見合わせて笑った。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
少なくとも海の中でこんな風に笑うことは今までなかった。
それもあってか、深海のアイスクリームは間宮さんのアイスよりもおいしかった。
アイスを食べて、ゴーヤが席を外したので待っていると、一人の女の子がアイスクリームスタンドを見つめているのが目に留まった。
長い黒髪に華奢な身体。肌は若干青みがかった白で、目は青く輝いていた。
歳は話に聞く「北方棲姫」くらいだろうか。
じっとアイスクリームスタンドを見つめるその女の子が気になって、私は声をかけた。
「あなた、どうしたの?」
女の子は声をかけられたことに驚きながらこちらを振り向く。
「えっとね……アイスが食べたいの。でも、お金を持ってなくって……」
「そうなの。お母さんは?」
「ここでアイス食べて待ってなさいって。でもね、お母さんどじだから、お金渡すの忘れちゃったみたいなの」
「そうなのね。それなら……ここはお姉ちゃんがおごっちゃうわ!好きなの食べなさい」
女の子は申し訳なさそうな顔でふるふると小さく首を振る。
「えっ……でも、お姉ちゃんのお金が……」
「いいのよ、子供がそんなこと気にしなくて。それにお姉ちゃんの住んでるところじゃここのお金使えないしね。ほら、どれがいいの?」
「えっとね……うーんとね……ストロベリー……」
「ストロベリーね……はい、どうぞ。落とさないようにね」
「あ、ありがとう、お姉ちゃん」
「いいのよ。それじゃ、連れが来たから行くわ。またね」
「うん、さようなら」
女の子にひらひらと手を振って、ゴーヤと合流する。
「お待たせ。何してたんでち?」
「うーん、ちょっとした慈善事業よ」
「変なこと言うイムヤでち」
そんな会話をしながら、私たちはショッピングモールを後にした。
私たちは新兵器の廃棄が無事完了したことを軍令部に報告した。
それを受けて、軍令部は再び私たちを深海拠点に派遣することを決定した。
和平交渉の使者として、顔が知られている私たちが都合がいいだろうということからだった。
私は気づいておくべきだった。
軍令部の長官室から出てくるときの、ゴーヤのすこし硬く、それでいてどこかやるせない表情に。
深海に向かうときにゴーヤが持っていたあの鈍色の箱の中身を問い詰めなかった自分を、中身は贈り物か書類程度に思って気にしなかった自分を、きっと私は、何年たっても赦さない。
前回と同じように、ビーコンの反応を頼りに、深海拠点を目指す。
空間の歪みを通り抜けると、そこにはあの日と変わらない深海拠点があった。
そこでゴーヤは持っていた箱を開いた。
ゴーヤはなにか筒のようなものを組み上げている。
なんだろうとゴーヤに問おうとすると、ゴーヤが先に口を開いた。
「イムヤ、これから話すことを聞いて、ゴーヤを殴っても構わないでち」
ゴーヤはなにを言っているのだろう。
急に物騒なことを言い出したゴーヤに、私は少なからず動揺した。
「どうしたのよ急に……殴っていいだなんて。怖いこと言わないでよ」
「イムヤ、軍令部は初めから和平なんて考えていなかったのでち。新兵器の脅威が去った今を狙って、軍令部は深海棲艦の拠点を吹き飛ばし、この戦争を完全勝利で終わらせる魂胆だったのでちよ」
「そんな……じゃあそれはひょっとして……」
「そうでち。戦争初期に開発が中止されていたはずの対深海棲艦仕様デイビー・クロケットでち。地上の核兵器と同じだけの破壊力を海中で深海棲艦に対してのみ発揮することのできる大量破壊兵器でちよ」
私は絶句した。
私たちは艦娘。
人でありながら兵器でもある存在。
しかし、兵士としての心と、かつて核攻撃を受けた国の艦の魂を持つ存在として、超えてはいけない一線は知っている。
軍令部は、これ以上の戦果を求めるというのか。
行き場のない怒りと悲しみに震える私に背を向けたまま、ゴーヤは静かに続ける。
「軍令部は深海棲艦の完全排除という結果を求めているでち。それが人類の平和と安寧に繋がる、と。どれだけゴーヤが深海棲艦の実情を語っても決定は覆らなかったでち。ここにきてこのデイビー・クロケットが完成したあたり、おそらく少なくない金と権力が裏で動いているのは間違いないでち」
「……ゴーヤはいいの?こんな命令無視しましょうよ。こんなこと……許されるわけないわ。きっと軍令部の暴走よ」
「……許す、許さないを決めるのはいつだって勝者の特権でちよ。それに、ゴーヤたちは軍人。命令に背くことはできないでち。……督戦隊も控えているでち。撃たなきゃ、撃たれるのはゴーヤたちでちよ」
ゴーヤはどうしてこう冷静でいられるのだろうか。
艦隊で一番の親友がこんなに冷たく思えたことはなかった。
こんなにも情けなく思えたことはなかった。
これが軍人としての素質なんだろうか。
もしそうならば、私は落第点の軍人でいい。
「督戦隊がなによ!戦意のない敵を撃つくらいなら、私が撃たれるほうがいい!たしかに私たちはたくさんの敵を葬ってきた。でもいつだって、私はそこに軍人としての一線を引いてきたつもりよ。虐殺者として生きるくらいなら、私は軍人として死ぬわ!」
「……軍人として死んだ後に、潜水艦隊の皆が殺されてもでちか?」
「えっ……」
「ゴーヤたちが撃たなかった場合、潜水艦寮とゴーヤたちの実家は跡形もなく吹き飛ばされることになっているそうでち。今日はゴーヤたち以外の潜水艦は寮にて待機。……腹を括るしかないのでちよ」
「そんな……そんな……」
もう私は何も考えることができなかった。
世界のすべてが私を裏切った気がした。
絶望という言葉は、きっと私たちのためにある言葉だ。
「……そろそろ気の短い督戦隊の連中が痺れを切らす頃でち。幸い、発射は一人でできるから、撃つのはゴーヤに任せるでち。イムヤは付属の双眼鏡で戦果確認を頼むでち」
「ゴーヤだけにやらせるわけにはいかないわ!私も……」
そう言ったところで、ゴーヤが不意につぶやく。
「……ストロベリーも、おいしそうだったでちね」
「……見てたのね」
「あれを見たときに、ゴーヤもこの和平の成功を確信していたでち。なのに、こんな結果になるなんて……自分を殺してやりたいでちよ」
それを聞いて、私はもうゴーヤの顔を見ることができなかった。
一人で今日まで痛みを抱えてきたゴーヤを冷たいだとか、情けないと思った自分が許せなかった。
双眼鏡を手に取り、静かに覗き込む。
もう私たちの間に言葉はない。
デイビー・クロケットから撃ちだされる弾頭の軌跡が、昔テレビで見た、遠い国の内乱のミサイルのそれみたいだと思った。
私たちは今、同じことをしているのだ。
ひどく現実感がない。
弾頭はスローモーション。
あの子だけでも助かってほしいと頭を動かす。
そして、街角のアイスクリームスタンドで。
一人の女性に連れられて。
黒髪を揺らす少女の手にはピンク色のアイスクリーム。
あの子の笑顔が目に焼き付いた。
瞬間、双眼鏡の視界は真っ白に溶けた。
私は軍を辞めた。
あれから20年が経った。
私は今、遠く離れた内陸の国で、一人の男性と結ばれ、子供を授かり、幸せな家庭を築いている。
戦争はなおも続く。
和平の裏切りはこれまで以上の戦火を呼ぶことになった。
20年経っても、人類と深海棲艦の戦争は終わっていない。
ゴーヤはまだ戦っているのだろうか。
あの日、引き金を引かなかった私を、どうか赦さないでほしい。
冷たい海の中から離れ、温かい家庭から離れられない私をどうか赦さないでほしい。
娘がストロベリーのアイスクリームをねだる。
私は買い与える。
こんなささやかな幸せを、私はあの親子から奪ってしまった。
誰一人救えなかったこの手で、私は娘にアイスクリームを買い与える。
どうか、海の底から、私を恨んでほしい。憎んでほしい。赦さないでほしい。
アイスクリーム・ストロベリー。
溶けたしずくが、土に落ちてじわりと染みた。