上
夕日が街を赤く染めている。日が完全に落ちる前に狩りを終え、宿屋や食べ物屋を目指す人々の喧騒から逃れようと、俺は石段を登り転移門へと進む。特に行く当ては無かったのだが、ふと和風出汁の風味が恋しくなり第十層の城下町へと向かう。
今攻略中の最前線は第十二層で、そこから二つ下のフロアとなったこの千蛇城下町は徐々に
「確かに、十層で安定して戦える戦力があるならもっと上の層で狩りした方が良いもんなぁ…」
誰にともなく呟く。しかしもう俺には関係の無いことだ。転移門を出てすぐの階段を降りると右手に定食屋が見えた。店主兼クエストNPCの青年が店の前で出迎えてくれたので軽く会釈して店内へ入る。店の中は町並みの時代に則した大衆食堂といった雰囲気で壁一面に品書きが貼られ、奥にあるカウンターっぽい調理場からは湯気と共に美味しそうな匂いが立ち込めている。品書きを眺めながら適当に一番奥の席へと座る。
「うーん………ん!?…え。千蛇唐揚げって何だ…百足丸揚げは分かる。どっちも食べたく無いけど…けどさ………十手揚げだぁ…?」
十手揚げって何だよ…武器じゃん…ゲテモノの枠通り越したよついに…千の蛇、百の足、十の手………?いや考えるのやめよう。これこそ蛇足だ。
どんな料理かを想像しようすると恐くなるメニューは避け、無難に味噌カツ定食を注文する。自動で代金が支払われ、調理場が少々騒がしくなった。俺の他には誰も客がいないので十中八九味噌カツ定食を用意してくれているのだろう。
ふと店の外に目を移すと、夕日はもう僅かしか見えていなかった。それとなくそのまま視線を上へと移す。
「…………。全部で、百層か…」
さっき俺は “今攻略中の最前線は第十二層” と言ったが、第十一層が突破されたのはつい数時間前のことだ。その知らせはもう全プレイヤーに周知されているはずなので俺が知っていてもなんら不思議なことは無いのだが
「俺は弓だったからまだ良かったけど、やっぱり近接武器の人たちは回避ミスに気を付けないと大変そうだったな…特に、回避タイミングを間違えると必中な上に確率で麻痺くらうやつとか…」
第十一層が突破されたことだけでなく、フロアボス《ザ・ストームグリフィン》の攻撃パターンを知っているのは、俺がそのフロアボス討伐レイドに参加したからだ。レイドを構成した《攻略組》と呼ばれる奴らの中にはキリトやアスナ達、キバオウをはじめ顔見知りが何人かいるし、仲間とはじまりの街を出たときから一緒に強くなってきたコハルもいる。他にも、色々なギルドを転々としていた頃に見た顔もチラホラ…。その人たちは今も第十一層なり、十二層なりで奮闘しているはずなのだが、俺は今ここでボーッと味噌カツ定食を待っている。端的に言うと逃げてきたのだ、命が消える瞬間を恐れて。無論、自分の命もそうだがそれよりも恐ろしいのは“誰かの命が自分の目の前で消えること”だ。元々一人でフラフラするのが好きな性格も相まって《攻略組》や《ギルド》などの、危険性が高いチャレンジを強いられる環境や集団・仲間という関係から離れたくなったのだと思う。何かの漫画に出てきそうなキザな言い方をすれば“自分から全て手放してしまえば失うものも無くなる”とかそんなところではないかと思う。なんとなくこれじゃいけない気がしなくもないのだが、今は存分に逃げることにする。もう決めた。
「ほい、味噌カツ定食お待ち」
いつの間にか、いかにも料理人っぽいおっさんが料理を運んで来てくれていた。
「どうも。いただきます」
味は悪くなかった。アインクラッドの食べ物はどれもどこか現実にあるような無いような不思議な味が多いのだが…今になって思う。あの味噌の原料って何だろう、アインクラッドに大豆あるのか…?それと、あれは何の肉のカツだったのだろう。
食事を終えると外はすっかり暗くなっていたのでこのまま城下町の宿屋で休むことにした。確か町の西端に一軒、南に一軒あったはずだが、南の方の宿屋は門もついていて西よりは豪華そうだったのを思い出して南の宿屋を目指す。程無くして見えてきた門をくぐろうとしたときだった。
「待てぇ!!
咄嗟に弓に矢をつがえながら声のした方を見る。右前方に見える大きな木、その向こうにいる黄色い着物の町娘が叫んだようだった。そこからこちらへ物凄いスピードで走ってくる男と目が合った。
「邪魔だどけぇっ!!」
男が叫びながら右手に握った短刀を振りかぶる。
「……っ!!」
くそっ…間に合わない!!弓の特性上、近付かれたら何も出来なくなってしまう。俺は男の斬撃を避けるために右へ飛び込み回避しながら男の足元に自分の左足を目一杯のばす。それに気付いた盗人は少しバランスを崩しながらも踏み留まり逃走を再開した。
「チッ…」
せめて転べよっ!!と心の中で毒づきながら追いかけようと即体勢を戻す。すると目の前に屋根までのびる梯子があった。それを見てハッとした。追いかけてどうする?今しがた接近されて何も出来なかっただろう。弓の特性は…?
「そうだ、この
俺は即座に梯子を駆け登った。屋根の上に立つと、逃げた男は通りすがりであろう何人かの町人たちに追いかけられながらフィールド《夜藤の河原》へと続く街道を走っているようだった。
「ここから……25mくらいか」
溜めスキルでもソードスキルの最大射程は30m程なので、溜める時間を考えるともうあの男に命中させるには通常攻撃しかない。しかし通常攻撃はシステムアシストが得られない為命中するかどうかは完全にプレイヤーの腕次第ということになる。
「………っ!!」
無音の気合いと共に矢を放つ。もしこの城下町がまだプレイヤーで賑わっていたならこんなことは出来なかった。圏内だからHPは減らないとはいえ万が一他のプレイヤーに当たればトラブルは免れない。次の矢をつがえながら最初の矢の行く末を見守る。
「…外したか」
予想より男が速く、どうも俺の放った矢は空を切りそうだ。と思った瞬間、外れたと思った矢は男の
「うっわぁ…足が速くて踵で止め、アキレウスかっての」
俺は自分が何の躊躇も無く男の頭か上半身を狙っていたことに気付き複雑な気持ちになりながらも男を取り押さえようと屋根から跳び降りた。それより先に、追いかけて来ていた町人たちが盗人の男を羽交い締めにしている。その中の一人が俺に気付いて振り向くと、俺が手に握ったままだった弓を見て言った。
「盗人の足を射ったのはおめぇか!急所を避けて足の腱を狙うとぁ大したもんだ!俺たちぁコイツを奉行へ突き出して来るからこの巾着を宿屋の娘さんに返して来てくれねぇか?」
い、いやいや…そんなこと毛頭考えてなかったよ…というかバリバリ頭とか狙ってましたよ…と、心の中で呟くが、町人の頭上に
「…え。……わかりました」
一瞬このクエストを受けようか迷ったが今後の予定がある訳でもなく、強いて言えばあの宿屋に用があったので、その側にいるあの町娘が目的地なら一石二鳥だと思い受注する。
宿屋の前まで戻り、大きな木の裏にいる黄色い着物の町娘に巾着を届ける。隣の青い着物の町娘とは親友のようだった。
「ありがとうございます!!この巾着はここにいる友人のハツと同じものを揃えた宝物だったのです!!…」
あれ…ハツ…?おハツさん…?確かコハルやクラインたちと第十層攻略のときにやったクエストにもそんな名前の人がいたような。
「…もう夜も更けてきました、お礼も兼ねて是非うちの宿屋に泊まって行ってください!」
! この展開は願ったり叶ったりだ。ただのおつかいクエストだと思っていたが宿泊料金の割引とかしてもらえるかもしれない。
「お言葉に甘えて」
宿泊料金の割引どころの話ではなかった。一番奥の最上の部屋…かと思ったがそうではなくどうやらインスタンスマップになっているようで、文字通り“貸し切り”状態の部屋へと案内された。しかも広い。語彙力が乏しくて上手く説明出来ないがとにかく広い!!景色も良い!!
「すげー…
予想外の待遇にテンションが上がって色々見て回っていたが気付くともう夜中の1時を過ぎていたので大人しく布団で休むことにした。
翌朝、クエストログが進む呼び鈴で目を覚ます。
「んぅ……はぁ?……クエストぉ…?」
進行中のクエストなんてあっただろうか。眠い目を擦りながら考える。
「あ、考えてないでログ見れば良いか」
するとそこには、《訪ねて来た客人に挨拶をしよう》と記されていた。
「……………。小学生かよ」
何故朝からクエストログにツッコまねばならないのか。少々不服に思いながら身仕度を整える。今まで気にしていなかったが、ガッツリ和風で落ち着いた雰囲気の部屋でモロ洋風の真っ青なフォーマルチックな服装の組み合わせというのも中々見られるものではないのではないかと思う。そんな下らないことを考えていると襖の外から声を掛けられた。
「おはようございます、起きて居られますかな。先日は娘がお世話になったようで私からもお礼を申し上げます。それと、貴方様に御用向きのある方がいらしていますがいかがいたしましょう」
声の主は宿屋の主人なのだろう。
「おはようございます。はい、今行きますねー」
適当に返事はしたが、わざわざ訪ねて来られるようなことをしたは覚えはない。まさか昨日の一件について話を聞きたいとかで奉行所へ来いとかいう話だったらどうしよう、めんどくさそうだ…と少々憂鬱な気分になる。
最後に装備した弓のチェックをしてから襖を明け宿屋の中心付近にある、宿泊客共用の休憩所のような部屋へと向かう。いつもの晴れの日と変わらない朝の日差しのはずだが、宿屋の雰囲気のせいか今日は一段と気持ちが良い。休憩所の部屋へ入るとすぐに宿屋の主と若い男が何やら親しげに話しているのが目に入った。
「お待たせしました、遅くなってすみません」
主に話しかける。
「あぁいえいえ、お気になさらず。それよりもこちら、小次郎さんが貴方にお話があるとのことで」
小次郎…?誰だよ。小次郎と呼ばれた男は紺色の短髪に鼠色の和服の青年だった。どこかで見たことあるような気はするのだが、誰だったか…全く分からない。
「よぉー、朝っぱらから悪イなァ!昨晩は手柄だったな!その腕を見込んでお前さんに頼みたいことがあるんだがここで話すのはなんだから俺の店まで来てくれねぇか」
段々目が覚めてきて気付いたが、これは昨晩単発のおつかいクエストだと思って受注した巾着を届けるという内容のクエストの続きらしい。単発のおつかいで済むのなら町娘や宿屋の主にお礼を言われた時点でクエスト報酬が受け取れているはずなのだが、それは無かった。更に新たな課題が続々と追加されて話が展開しそうになっている時点でこれは単発のクエストではなく長編のクエストになのかもしれないということが分かる。まさか第三層から第九層にかけて展開されたエルフのクエストほどのボリュームでは無いだろうが。あまり長くなるならクエストを破棄しようかとも考えたが、ここで辞めたらただ豪華な部屋で数時間寝る為に宿屋の娘の巾着を取り返したような、恩の押し売りをしたような気分になって後味が悪そうなのでとりあえず続行しようと思う。
「わかりました、俺に出来ることならだけど」
それを聞いた小次郎はニッと笑い宿屋の入り口まで歩いて行った。すると宿屋の主が言った。
「おやおや、もう行かれるのですか。昨晩は本当にありがとうございました、お代は結構ですのでお気をつけていってらっしゃいませ」
思わずギョッとしてしまう。………は?なん……だと……?タダ?あんな凄そうな部屋を貸し切り状態で使えたのに?本当にクエスト続行させてよかった…。そう心の中で呟きながら宿屋の主と娘さんに挨拶をして小次郎の元へ向かう。
和風なカッコ良い名前って何がある?w