G.E.alternative   作:時計屋

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12. 竜

「活性化が強制解除されました」

 神機に棲まう何かの声を、俺は確かに聞いていた。

 この手にある神機の、その異形の捕食形態。それは装甲の内部から這い出た質量のある影のような生体兵器だ。アラガミを捕食することに特化した形状は、躯を切り捨てた黒狼の歪な頭部に似ている。黒い顎は神機の刀身、銃身、装甲を制御する中枢部であり、また本当の意味での神機そのものでもあった。

 神機の顎とは、アラガミという絶対の捕食者をも喰らう貪欲の化身。無限の再生力を誇るオラクル細胞を裂き、その中に隠された神の心臓を盗み取る悪魔の鉤爪。荒ぶる神に滅ぼされんとしている人類に残された最後の牙。

 その黒い顎が今、俺の前で崩壊しようとしていた。

 俺の神機はネブカドネザルの放った氷剣の嵐を喰らい尽くした。通常であればそれがオラクル細胞であるか否かに係わらず、顎が喰らったものは全て自らの力に変換される。それはアラガミの生態と全く同じだ。

 その摂理を覆すように、氷を喰った黒い顎の力が確実に弱まっていた。顎を構成する黒い生体組織が痙攣している。オラクル細胞の結合力が弱まったため表層部分から剥がれた黒い繊維が、空中に溶けるように消えていった。

 そうして空いた表皮の隙間から、黒い血液のような液体が零れた。顎の中のオラクル細胞が傷口から漏れ出しているのだ。同じように、顎の喉奥からは未消化だったアラガミの腐肉が吐き出された。体液や肉片を垂れ流すたびに顎を構成するオラクル細胞が弱く、そしてか細くなっていく。

 失われつつある黒い顎の力を引き止めるように、俺は無意識の内に神機を強く握り締めた。しかしその手の中にある神機からはオラクルの赤い光が消ていた。それだけではない。俺の体内のオラクル細胞までも、足りない力を補おうとする神機に吸い取られていた。既に俺と神機の力は霧散し、残ったのは言いようのない虚無感だけだった。

 

「活性化が強制解除されました」

 俺は声の主を見た。アラガミとしての死に向いつつある俺たちを、マリアの亡霊が見下ろしていた。その表情には何の感情も映っていない。

「活性化が強制解除されました」

 ただ、機械的に同じ言葉を繰り返すだけだ。

「活性化が強制解除されました」

 その銀に輝く姿が少しずつ霞んでいく。

「活性化ガ、強制解除、サレマシタ」

 マリアのままの声が、歪む。

「活・・ガ強制・・サレ・・タ」

 言の葉が解けていく。

「カカカセイィィィィカァ、ガァァァ・・・」

 いつの間にか、マリアの声は醜い何かに変容していた。

「カィィィィイジジョサレマァシタァァアッ」

 涼やかな表情のままで、亡霊の顔が朧に擦れていく。

 幽玄の姿も崩れていく。

 マリアの面影が壊れていく。

 そして「俺」の中の何かも壊れていく。

 

 

 消えゆく亡霊の輪郭が、一瞬だけ鮮明な影を造った。

「オラクル細胞の枯渇が危険水準に到達。自己保全機能が作動」

 先ほどの不確かな声色とは対照的に、はっきりとした口調で言葉が紡がれる。だが、その言葉が意味するものは俺が求めるものとは正反対だ。

「ゴッドイーターに対する強化及び操作を解除」

 止めてくれ。マリアの面影を残す亡霊を見た。

 その瞳には何の感情も映っていない。

 俺が見つけたマリアなのに。

 マリアの硝子細工の瞳。

 俺のマリアなのに。

 俺がマリアを。

 

 俺は何を。

 

 俺は。

 

 俺が。

 

 

 俺。

 

 

 

「俺」

 

 

 

「 」

 

 

 

「自分」

 

 

 

 自分。

 

 

 自分が。

 

 自分は。

 

 自分は何を。

 

 マリアと自分は。

 マリアは死んだはずだ。

 自分の目の前にマリアがいる。

 自分の目の前に在るマリアが言った。

「ゴッドイーターとの接続を解除します」

 何も語らない瞳を残して、マリアの姿が消えた。自分の手がマリアの面影が消えた空間に伸びた。

 しかし、その手が何かを掴むことは永久になかった。

 

 

 「自分」は、マリアとよく似た半透明の存在が消えていくのをただ見ていた。

 残ったのは記憶。

 自分のものでない記憶。

 自分とは別個の人格が自分の身体を動かしていたという不確かな感覚があった。断片的な記憶が頭に浮かんだが、それらは自分の記憶ではないように感じられる。自分でない別の人格が有していた記憶が、少しずつ脳内に染み込んでいく。自分自身の記憶と混ざり合っていく。この朧な記憶が本当に自分のものなのか、それとも別の自分のものなのかも分からなくなっていた。

 もう一人の自分。それは遠い昔に失われたはずの自分ではなかったか。この混濁した記憶は、蘇ったあの人格のものなのではないか。自分は、捨てたはずの人格がこの身体を動かすのをただ見ていただけではないか。それでは自分の人格を置き換えたのは誰なのか。そして自分がマリアの亡霊と感じていた存在は何だったのか。

 問いに答えるものはいなかった。確かなのはこの眼が視た記録だけだった。

 自分が視ていたもの。

 ネブカドネザルの存在。

 この神機の真の姿。

 自分の変貌も。

 眼が記録したものを受け入れる。そして自分の記憶と擦り合わせる。両者を均一化させる。

 それから、今この瞬間の現実に目を向けた。今は過去の記憶に捕われるべきではない。自分の前にある存在を視るしかない。

 自分の視線の先に在る白い獣を視るしかないのだ。

 

 

 目の前にあるのは強力なアラガミ。ネブカドネザルだ。ネブカドネザルは奇襲とはいえ第1部隊を一瞬で壊滅させた。自分一人では対処できるはずもない規格外の個体といえる。

 しかも自分は狙撃手だ。アラガミに身を晒した状態から戦闘を開始することは想定していない。自分たち狙撃手には先制攻撃が全てだった。標的に認識される前に狙い撃つ。遠距離精密射撃に特化した兵種が自分たち狙撃手だった。

 もちろん近接戦闘の訓練も欠かさず行っている。しかし自分の技量は、未だに実戦水準には到達していなかった。偏食因子の定着率が低いため、自分の身体能力は平均的なゴッドイーターの7割程度でしかない。こんな身体では、神機の性能を満足に引き出すこもできなかった。それに因子を調整した影響で神機との適合率自体も低かった。自分の適合率は神機使いに認定されるギリギリの数値だ。実験的に投与された変異型偏食因子が、この身体を未完成の神機使いにしていた。

 失敗作。マリアとは違って。

 頭に浮かんだ「マリア」の名前が記憶を刺激した。そうだ。あれはマリアの声で話す幻だった。マリアの面影を残す存在だった。もう一度、あのマリアの亡霊に会う。今度こそマリアを見つけ出す。そのために、自分は生き残らなければならない。

 夢の中と同じ鈍い銀色の神機を、自分の手が強く握り締めていた。

 

 そして記録に、ネブカドネザルとの戦いの記録に触れた。

 夢の中で自分はあの白いアラガミと戦った。その時の自分は、強力な神機使いに変貌していた。ほとんどアラガミに飲まれながらも、神機から異常な力を引き出していた。そして確実にネブカドネザルを圧倒していた。

 しかし、ネブカドネザルの放った氷剣を捕食した途端、神機の内部にあるオラクル細胞の活動が著しく低下した。神機が纏っていた赤いオラクルの光も消えた。全ての神機は捕食したものを自らの活力に変える能力を持っているはずだが、ネブカドネザルの氷にはそれが適応されなかった。

 自分の体内に蓄えてあったオラクル細胞も失った。多重に強化された身体能力は消え去っている。神機と右手を繋ぐ導管から送られた大量のオラクル細胞によりアラガミを越える以上の力を得ていたが、今はもう見る影もない。衰えた力を総動員してやっと立っていられるような状況だった。

 右手にある赤い腕輪型の神機制御装置で自分の生体情報を確認したところ、血液中にある余剰オラクル細胞が活動可能水準を下回っている。やはりオラクル細胞が枯渇したこの神機に力が吸い取られていたようだ。オラクル細胞の活性化を促す薬剤等も全て消費され尽くしていた。

 現状は最悪といってよかった。

 

 ネブカドネザルが無情に吠えた。

 白いアラガミの背中にある三日月形の硬質な部位が視界を歪める程の振動を生んでいる。三日月の周りに氷剣が浮かび上がった。そしてその氷剣が群れとなってこちらに殺到する。神機のオラクル細胞を凍結させたのは、この流星群に間違いなかった。氷剣は触れた対象の力を奪う能力を有していると推測される。捕食はもちろん、接触するのも危険だ。

 アラガミの如き身体能力は完全に凍結されてる。後の先を取ることができる瞬発力を失った今は、この眼を駆使して対処するしかない。自分の眼が注意深く氷剣の一群を視た。その数は数十。攻撃面が広いため全弾を回避することは困難。最善手は。

 回避を諦め、神機から対物ライフルのように長大な銃身を抜いた。氷剣の軌道は視える。だから氷剣が着弾する前に迎撃する。同時に半身に構えて被弾面も最小にし、可能な限り撃墜対象を少なくした。全ての氷剣を撃ち落とす。次々と飛来してくる氷剣の軌道を読み、狙撃していく。1、2、3、4。しかし、流れ来る氷剣の数は膨大だ。動き自体は見切っていても身体がそれに追いつかない。逸らしきれなかった氷剣が身体の端々を掠めていった。

 氷剣に切られた断面に出血はなかった。傷口が氷の欠片に凍らされている。手や足に刺さった氷の欠片は、他の氷片と連結して少しずつ凍結面を広げていく。特に前面に置いた左手足には幾つもの氷片が刺さり、かなりの面積を凍らされていた。

 身体に突き刺さった氷の破片が体内に残ったオラクル細胞に干渉する。氷に触れた部分が鉛のように重い。凍った部分のオラクル細胞が活動を停止しているようだ。そして凍結面が広がる程にオラクル細胞の活動域も狭まっていく。脱力感で重力が数倍になったように感じられる、神機の重みがずっしりと両手にのしかかってきた。

 神機も凍らされていた。銃身の一部に氷の破片が突き刺さり、対アラガミ装甲の内部を浸食していた。喰いたい。そう捕食を要求する神機の声も弱々しい。オラクル細胞を補充する必要性は認識しているが、その隙はなかった。

 ネブカドネザルの三日月がより大量の氷晶を産み出した。その氷の結晶が縦に連なる氷剣の列に姿を変えていく。

 連結した氷剣が帚星となって放たれた。軌道は単純だ。一直線にこちらに向ってくる。しかし著しく身体能力の低下した自分に、追尾性のある連撃を避けきる足はない。だから半分凍った装甲を展開し、右の手と肩でがっちりと抑えた。そして身体に密着した銀の盾を、凍てつく帚星の進行方向からちょうど斜めに構える。

 帚星が凄まじい勢いで銀の盾を襲った。その力の半分を後ろに流し、残った半分の力を身体に受けた。そして、宙に浮かせた身体を揺らす衝突の力で横手に移動する。帚星はその進行方向にあった建造物に直撃した。連続で建物に衝突する音が聞こえる。視界の端に、運動エネルギーによって砕けたビルの外壁に何本もの氷剣が突き立てられているのが映った。

 帚星が破壊したのは建物だけではなかった。回避に利用した帚星の衝撃は、この身体に過度な打撃を与えた。装甲を支えていた右上半身の筋肉が断裂して力が入らない。凍りつつある左足はまだ動いていたが、辛うじて立っているだけでまともに動くことはできないだろう。

 

 足捌きが殺された。

 それに追い打ちをかけるように、足下が激しく揺れた。地中から隙間のない槍襖が生えた。ネブカドネザルを守り、自分を攻撃するオラクル細胞で作られた蔦の束。それが躱す隙がない程に密集した槍の群れを成していた。

 いや、それは夢の中で見た蔦とは少し違った。硬質化した樹木のような表面部分が、より弾力性の強い肉質に変わっていた。ネブカドネザルのオラクル細胞干渉により強化されたのだろうか。それは強靭な触手に成長していた。

 太さも力強さもました触手の先端が、高速に回転する。旋回する槍が回避しようと足掻く足先を無慈悲に襲った。触手の槍は易々と左太腿を貫通した。槍が回転を止め、そのまま足を地面に縫い付ける。槍は太腿に食い込んでいるため、引き抜くこともできない。

 そして強い光が。

 それが致命的な何かだと自分の眼が叫んでいる。視神経が焼き付くような緊張が走った。反射的に、縫い止められた左足に刀身を突き立てる。そして突き刺さった触手と水平に足の肉を切り、触手を取り外す裂け目を作る。そのまま横倒しになり、体重を使って触手の戒めから足を引き抜く。左足から鮮血が迸ったが、致命的な何かを避けるため迷わず身体を地面に投げ出した。

 その直後、視界が閃光に包まれた。強烈な光の束だった。圧倒的な熱量が先ほどまで立っていた場所を真横に薙ぎ払った。熱線が空中に泳いだ左足を掠め、外側を裂傷ごと炭化させた。

 この閃光は知っている。あの触手も間違いなく知っている。光を生み出した方向に目を向けた。一瞬の列光はネブカドネザルの足下にある瓦礫の奥底から放たれていた。強烈な熱で溶かされた地面の穴の底には、巨大な複眼が見えた。

 ウロヴォロスの頭部だった。触手も熱線もウロヴォロス固有の能力だ。混沌の王は地面に潜らせた触手をドリルのように回転させて全てを串刺しにする。そして複眼から照射する熱線で標的を焼き尽くす。

 ウロヴォロスの巨体が動いた。下半身は地中に埋まったままだが、頭部と触手が地上に這い出てくる。触手だけでなく頭部も完全に機能しているようだ。

 ネブカドネザルはウロヴォロスの頭部に乗っている。ウロヴォロスの触手は白いアラガミの従者のようにその周りを蠢いていた。

 

 蹂躙が始まった。

 触手が縦横無尽に踊り狂う。

 閃光が周囲を焼き尽くすように薙ぎ払われる。

 狙撃し、また装甲を掲げて攻撃の嵐を凌ぐが、こちらを嘲笑うかのように鋭い攻撃が肉を削り取る。ウロヴォロスの容赦のない攻撃が徐々に身体を蝕んでいく。自分は今、死の淵に追い込まれていた。

 死の担い手である白いアラガミは氷の攻撃を止め、複眼の上から悠々とこちらを見下ろしていた。

 死ぬ一歩手前に居ながらも、自分の頭には現状に対する疑問が渦巻いていた。ネブカドネザルは、ウロヴォロスを蘇らせた。しかし、どうやってウロヴォロスを復活させたのか。出血で朦朧とする頭で必死に思考する。

 通常、アラガミのコアとなる中枢組織群を破壊すれば、いかに不死と謳われる八百万の神であっても復活することはないはずだった。何故なら、コアの破壊こそが唯一絶対のアラガミの死だからだ。だからウロヴォロスのコアは破壊されていなかったということになる。普通ならそう考えるしかなかった。

 しかし一方で、自分たちは連携してウロヴォロスの全身を破壊した。そう確信している。偏食因子を練り込んだ金属片で混沌の王を切り刻んだのだ。体中を引き裂く衝撃に、如何に厳重に守られたコアでも無事なはずはない。それは常識を積み重ねた推論だった。

 しかし現実は違った。例え受け入れがたい事実だったとしても、事実は事実として受け止めるしかない。

 つまり真の答えはこういうことだ。

 ネブカドネザルがオラクル細胞を制御してウロヴォロスのコアを修復した。言い換えるならば、ネブカドネザルは真に死んだアラガミを蘇らせることができるということだ。オラクル細胞の塊であるアラガミが、周囲のオラクル細胞に干渉する。他のアラガミをその中枢であるコアを操る。それすら超越した能力を有しているということ。

 それは悪夢だ。オラクル反応を消し、レーダーを欺瞞する能力。ウロヴォロスを餌に神機使いの大部隊を一網打尽にする狡猾さ。アラガミを操るだけでなく、オラクル細胞を操作して損傷を修復してしまう。それに加えて壊れたコアを修復することすら出来る。オラクル細胞を操作する能力の応用で、神機や神機使いのオラクル細胞の活動を停止させる。ネブカドネザルという名の悪夢。

 自分の眼は静かに座するネブカドネザルを視ていた。白い体毛に覆われた身体から全ての傷が消えていることに気付く。自らのオラクル細胞を活性化させ、損傷を修復したのだろう。もしかすると大気中の微細なオラクル細胞を取り込んだのかも知れなかった。普通のアラガミが自己修復のために何かを捕食する必要があるのに対し、捕食なしに損傷を消し去ることができるのもまた、脅威の一つだろう。

 圧倒的な巨体を誇るのでもない。強力な攻撃能力を有するわけでもない。見境のない暴力性があるわけでもない。しかし異質な存在。それは確実にアラガミの範疇を越えた存在だった。

 オラクル細胞を操るアラガミ。

 亡者を率いる死神。

 神の死を弄ぶ王。

 

 瞬く間に、幾つもの深い傷を負った。左上腕部は鋭利な刃物で切られたように肉が削がれ骨が露出している。それでも出血がないのは切断面の血管が氷結しているからだ。熱線で太腿の一部が炭化した左足は、もうほとんど動かない。胴体には触手によって大きな風穴が空いていて、そこからどす黒い血液が流れている。内蔵も損傷しているに違いなかった。頭部は鮮血に染まり、左目には氷片が刺さっている。

 それは致命傷だった。

 身を切り裂くような激痛があった。肉体が発する痛み。それはアラガミ化による異常な食欲によって鈍化させられていた感覚の一つだ。オラクル細胞の支配力が低下しつつある中で、痛みが強まっていく。オラクル細胞が抑え付けていた生物的な感情も目覚めていく。

 死ぬ直前の痛みが生への渇望を呼び起こしていた。激しい痛みはより強く生を意識させる。生きるということは痛みを、肉体を、在るがままに受け入れるということだ。自分は激痛を受け入れた。負傷した肉体を痛みごと受け入れた。

 内成るアラガミの影響力が徐々に低下していく。自分の精神を包んでいた薄いアラガミの膜を、今度は内側から喰い破る。それは自分の意思であり、選択だ。自分を喰らったアラガミの腹を、今度は喰い返す。内面世界を埋め尽くしていた食欲を自分の意思に塗り替える。

 自分は生きる事を手放さない。それは同時にマリアの影を手放さないという決意でもあった。神機が作り出したマリアの亡霊の姿が脳裏に浮かんだ。マリアは本当に死んだのか。それを確かめたい。亡霊を生み出した神機の秘密を探りたい。真実を知りたい。

 右手の神機を杖代わりにして立ち上がろうとするが、両足が全く動かない。腕にも身体を支える力はほとんど残されていなかった。身体はもう限界を越えて酷使されていた。ほんの少し身体を動かそうとするだけで更なる激痛が走る。傷口から血が流れ出す。しかし生きるということは、痛みを受け入れることでもある。

 崩れ落ちたままの身体と朦朧とする意識の間で、自分の眼だけが生きていた。

 

 

 目の前に座すネブカドネザルの姿が見える。白いアラガミの方は自分を見てすらいなかった。その視線は自らの足下にだけ向けられていた。そこには下半身を瓦礫の山に埋もれさせたままのウロヴォロスの頭部があった。

 ネブカドネザルが高い金属音を立てて周囲のオラクル細胞に干渉した。広範囲に響かせるのではなく、指向性の高い音の圧力がウロヴォロスの複眼を射抜く。ウロヴォロスが呻いた。何かに怯えるように。抗うように。眼球が点滅を繰り返し、巨体をぐらぐらと揺れさせる。

 しかし抵抗は直ぐに止んだ。静まったウロヴォロスの複眼には、さっきまで存在していた戸惑いが一切なくなっている。複眼にあった圧倒的に力強い光はほとんど消えそうな程に弱まっていた。

 頭部がぐったりと弛緩した反面、触手が狂ったように暴れ出した。地面を揺らしながら何本もの触手が地表に出てくる。ウロヴォロスが持つ全ての触手が這いずり出たかのような圧巻の数だった。

 ウロヴォロスの複眼が酩酊するようにぐるぐるを色を変える。それに合わせて太く力強さを増した触手たちが踊り始める。意思を持ったよう群れる触手が数本ずつ寄り集まって太い束になる。束が捩じれて融合し、柱のような質感をもった触手と姿を変えた。通常の何倍にも太く、力強くなった触手の群れが供宴を始めた。太い鞭になったように、固い槍になったように、周辺にある全てのものを粉砕していく。

 大量にあるアラガミの死骸。

 砕けた神機。

 かつて神機使いだった肉体の欠片。

 目に付くものを端から粉々に砕いていくようだった。

 そして、その砕けた肉片を触手が喰らった。

 触手が、喰らう。

 自分の眼が太い触手だと思っていた物体を見た。身体を蠢かしながら全てを貪り喰っているそれは、もう触手ではなかった。別の何かに形を変えていた。

 それは喰らうもの。太い触手の先端が、顎のように大きく開かれていた。神機の捕食形態とよく似た獰猛な顎だ。顎の部分には眼こそないものの牙が何重にも生え、見る者に生物の頭部を思わせる形をしている。太い触手の1本1本が大蛇のような姿をしていた。大蛇は粉塵に塗れながら全てを平らげた。

 それでも大蛇は止まらない。触手で出来た大蛇が、同じ大蛇に喰いかかった。大蛇同士がぶつかり合い、千切れと飛び、肉の塊となる。それを大蛇が上手そうに頬張る。大蛇たちが先を争うようにお互いの肉に食い合う。踊るように全てを喰い尽くす大蛇の食卓は貪欲さを極めていた。

 大蛇同士の同族食いが止んだ。残った大蛇の辺りには、もう喰えそうなものは何もない。しかし、大蛇の食欲は満たされていなかった。

 まだ残るものがある。

 大蛇の頭部が、高く鎌首を上げた。

 そしてウロヴォロスの、自らの複眼に殺到した。

 血迷ったような獰猛さで自分自身の頭部に噛み付く大蛇の群れ。大蛇は複眼を守る大角を噛み砕く。角を咀嚼しながら複眼を襲う。喰い千切られた頭部から眼球がこぼれ落ちと、それも貪欲に喰らった。大蛇はどんどんと血肉を嚥下し、返り血に真っ赤に染まっていった。生き残った大蛇は明らかに太く、力強い姿に変わっていた。

 連なる赤い顎の姿は極東に出現した多頭の大蛇を連想させた。

 

 

 ウロヴォロスが何故。

 ネブカドネザルは何故。

 その問いに対する答えを自分は知っていた。

 ネブカドネザルの本質は「死」ではない。

 死の先にあるもの。

 それは破壊が再生を産むこと。

 死が生を産むこと。

 化け物の中から化け物が産まれるということ。

 

 

 古い伝承がある。

 それは今では読む事すら禁じられている、古い書物の一節だった。

 黙示録と名付けられたその書には、「獣」の存在が記されている。

 それは多頭の赤竜だった。

 

 

 目の前にいる存在は、大蛇の群れではない。

 それは鮮血に赤く染まった赤竜だ。ネブカドネザルはこれを産むためにウロヴォロスを生んだ。そしてアラガミの肉を、神機使いを、アラガミを強化した神機を捕食させ、体内に大量のオラクル細胞を凝縮した。

 その結果がこの13の頭を有する赤い竜だ。

 

 多頭の赤竜が狂ったように蠢いている。

 そこに見えるのは何かの感情。ウロヴォロスから生まれ、ウロヴォロスを貪り喰った赤竜。その獰猛な姿からは想定できない感情。

 赤竜は、しかし何かに怯えていた。

 全てを喰らうはずの「獣」がなぜ。

 

 その答えも、自分は知っていた。赤竜の内部に何かが視える。何かが赤い竜の中で暴れ回っている。赤い竜がウロヴォロスの血肉を喰らったように、内側にいる何かが赤竜の臓腑を喰らっている。

 そして赤い竜の内蔵を喰い尽くした何かが、外殻を喰い破って顎を突き出した。獰猛な顎が赤竜の首を一本ずつ、蹂躙するように喰らっていく。赤い竜の頭部は恐れと共に抵抗したが、瞬きの間に全て喰らい尽くされていった。

 古き神の残骸を喰らい、新たな神が産まれようとしていた。

 

 

 自分は知っていた。

 この伝承には続きがあることを。

 黙示録には「第二の獣」の存在も記されていた。

 第二の獣は、第一の獣である赤竜の力の全てを受け継いだ存在とされている。

 その姿は獣共の印を有する、竜獣だった。

 

 

 赤竜の死骸を喰い破って産まれたその巨大な何かは、歪な獣の姿をしていた。

 

 

 獣が頂く天空から、御使いの羽ばたきが聞こえた。

 羽音が天から舞い降りてくる。

 響き渡る天使の囀りを全身に浴びる。

 しかしもう、天使の姿を見る事は叶わない。

 

 

 自分の眼は静かに閉じられていた。


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