高層階から見下ろす景色の中に動くものは何もない。
かつては森であり川であり都市であったこの場所は、生態系にとっても文明にとっても既に空白の地帯となっていた。生物が喰われ、植物が喰われ、大地が喰われた。もちろん人もだ。
アラガミは全てを喰らう。生物でも無生物でも。見境なく。
たった数年で世界中の地形を変えてしまったその力は、人々に旧約聖書の有名な逸話を思い出させた。違いがあるとすれば、今回は箱船が作られなかったという事くらいだろう。
いや、正確には箱船を作ろうとしたが完成しなかった、とするべきか。フェンリルが建設中だった人類最後の楽園エイジス島は、未完のまま今もアラガミの海に沈んでいる。
技術の粋を集めた無敵の盾すら浸食するくらいなのだから、今、自分が居るこの建物などひとたまりもなかっただろう。水分が失せたミイラを連想させるビルの床を、特に意味もなく撫でる。死んだ石の感触がした。
ゆうに100階層を越えるだろうこの建物は、中央部分に大きな風穴が空いていた。アラガミに喰われたのか、それともアラガミと戦う人間に破壊されたのか。
いつ崩れ落ちてもおかしくない状態で立ち続ける建造物に、淡い賞賛が浮かんだ。同時に虚無感も。かつてこの場所にあった同じようなビルたちの群れ。その内のどれだけが残り、どれだけが消え去ったのか。
目線を少し下に移すと、そこには石の森が広がっていた。広い広い灰色の森だ。崩壊した建築群が尖塔となって乱立しているこの光景は、いつかアーカイブで見たことのある「森林」というものに近いような気がしていた。この場所に、一度も見たことのない森の面影を感じた。
無機物の木々の合間を縫うように、影が動いた。
目を凝らす。
アラガミだ。
一対の翼状の腕を持つ影からシユウ種と分かった。飛行型アラガミの一柱だ。それが3体、森の中を悠々と泳いでいた。
「オルタ5よりブレイブ各員。シユウ種3体、2時方向から接近」
話すというより口の中だけで呟くような小さい音で言った。しかし、耳の下、顎の付け根辺りに貼付けた電子装置がこの声を確かに拾っている。極薄く伸縮性の高い素材で作られたこのインカムは、ほとんど口を動かさない状態で発した声を集音・増幅・調整してくれる。その電子の声は司令部の管理する電波に乗って同系機に届けられ、指向性の高い振動となって声を耳元で再現する。
送受信機から会議室で発言する時のような、はっきりとした声が返ってきた。
「ブレイブ1、了解。迎撃行動に入る」
第1部隊B小隊のコードは「ブレイブ」。ベテランのブレイブ1に率いられたヒマラヤ支部の精鋭だ。
機械が再現したブレイブ1の声からは、戦闘直前にあっても余裕と冷静さが感じられた。ほんの少しの緊張と高揚も。
熟練兵の精神統一は、戦闘に特化した感情制御を可能にするという。教導データに乗るような、見事な感情のカクテルだった。
自分はどうだろうか。少しだけ心拍数が高まっていることを自覚した。
落ち着け。いつもどおりに。
高ぶれ、そして恐れろ。いつもどおりに。
固いコンクリートに長時間座ったままの身体は、しかし十分に暖まっている。針のような極小の瞬間に身体の状態を合わせる技術は、未熟な狙撃手ならではの周到な準備だった。
自分の肩に寄り添うように固定された神機を見た。
神機はこの定位置に付いてからずっと、ごく浅い眠りについている状態にあった。長距離射撃に適した銃形態の神機の銃口は、高所から狙撃するため斜め下に向けられたままだ。
模擬戦の時の癖で、神機の表面を軽く撫でた。
フェンリル制式の狙撃型銃身は、反射を抑える鈍い鉄色をしている。身長を越えるその長さは弾速と射程の強化に特化した形状だ。
正直、取り回しが難しいのだが、自分を選んだ神機に文句は付けられない。逆によく無事に帰ってきてくれたと喜ばなければならないくらいだ。
中心をシユウの群れに合わせた望遠鏡の視界の端に、目標までの距離が表示されている。先ほど確認したブレイブ隊の位置と合わせ、狙撃のタイミングを逆算した。
悪くない。
自分自身と神機を覆い隠すように掛けてあった布を内側から捲った。光学迷彩を低速移動状態で起動してあるこの布を外すと、外部から無防備になった気がする。
しかし、この位置に注意を向ける者は皆無だろう。地表から150メートルの高所を移動するアラガミはほとんどいない。空に彼らの食い物は落ちていないからだ。
神機とどこか生物的な帯で繋がった腕輪型の制御装置を通じて、アイドリング状態の神機にアクセルを踏み込むイメージを発した。
神機使いと一体になった神機は、技術でなく感情で動かすものだと座学で学んでいる。教わったやり方どおりに実践した。まだ手に馴染んでいない神機の反応は鈍かった。しかし、微かだが返事が返ってくる。
いつでも撃てる、と。
「ブレイブ隊の上空で最後尾のシユウを狙撃する。後ろから順番に撃ってから、そのまま群れの頭を押さえる。落とした後の処理は任せる」
「その距離から?射程ギリギリだぞ」
ブレイブ1から意外だという声。感情のカクテルに異物が交じったのを感じて、笑みが浮かんだ。
こちらは新米隊長だ。古参から実力を疑われるのは当然のこと。それに正直、はじめての実戦で訓練どおりの動きが出来るか自信はなかった。
9マイルは遠すぎる。神を射るならなおさらだ。
そんなことは十分、承知している。しかしここは戦場だ。やるしかない。信頼は後に付いてくる。それに期待しながら答えた。
「多段式長距離バレットを用意した。極東製の誘導弾だから少なくとも当たりはするだろう。だが、落とせなかった場合はブレイブ4、貴官に尻拭いをお願いする」
「ブレイブ4、狙撃位置に着きました。撃ち漏らしは任せて下さい」
少し高めの女性の声が返ってきた。丁寧な印象のあるファングド・イングリッシュが特徴的なブレイブ4は、自分と同じスナイパーだ。
回避行動を取りながらの狙撃には定評があると聞いている。実戦で鍛えたその技術に、自分が学ぶべきところは多いだろう。
そう言えば。狙撃手には女性が多い気がする。極東でも有名なスナイパーは皆、女性だった。
戦闘とは無関係なことを考えていた。
悪くない。リラックスしている証拠だ。
「助かる。カウント5で狙撃を開始する」
神機が完全に覚醒した。
先ほどまではこちらから呼びかけていたのだが、今は強い感情が逆流してくるのを感じる。神機の中にあるアラガミが捕食本能に目覚めたのだ。
大丈夫、後でたくさん喰わせてやるから。
そう神機に言ってから両目を閉じ、神機の「視覚」と自分の視覚を同調させる。そして強化させた。狙撃型の神機にはアラガミ本来の感覚器が残されており、使い手と同調させることができる。この能力によって移動しながらの精密射撃が可能であった。
他より少し目が良いことくらいしか取り柄のない自分が神機使いに選ばれた理由の一つに、狙撃型銃身との相乗効果が上げられていたことは間違いないと思っている。
肉眼では遠い点だったシユウの羽ばたきが見えた。
頭部に照準を合わせ更に視界を引き絞る。
視界はシユウの右目を上から見下ろしている。無感情なアラガミらしい眼球が見えた。
「5、4、3」
静かに。
「狙い撃つ」
そっと引き金を絞りながら、自分の悪意を解き放った。
銃身の溝が少しだけ光る。遅れて根元から銃口に向かい強い光が走った。強い光を放つバレットが神機の内から吐き出されていく。
軽い反動が銃身を揺らした。しかし外付けの反動軽減装置が神機の揺れを最小限に留めた。
光弾はほとんど音を発しない。物理弾ではないからだ。オラクル細胞をエネルギー化させたこの弾丸はオラクルバレットと呼ばれていた。
一筋の光が鳥神の右目を撃ち抜いた。同時に着弾点から幾つかの短い光が交差し、シユウの頭部を赤く染めた。
シユウの頭部のオラクル細胞が結合崩壊を起こした。
バラバラに砕かれた兜状の頭部装甲が空中に散った。頭部が半壊したアラガミの身体は一瞬だけ痙攣し、追いかけるように地面に向かって落ちていった。
少しだけ開いた自分自身の視界でそれを確認すると、また、神機の視界に戻った。神機の視線は既に次の個体に注がれていた。
喰わせろ。
「次」
狙い、撃つ。
空中でもう一段、加速して標的を追うオラクルバレットが獲物に当たった。
しかし今度は狙いが甘い。光は後ろを振り返った鳥神の頭を逸れ、首元に着弾した。その損傷は軽い。体勢を崩しただけだった。
直ぐに二の矢を放つ。三の矢も。
今度は両方の翼をそれぞれ撃ち抜いた。硬質な刃状の羽が結合崩壊し、揚力を生んでいたオラクル細胞の制御に狂いが生じた。身体が大きく揺れた。2体目のシユウはそのまま身体を回転させて落下していった。
神機から低い唸り声が上がった。超長距離からの高圧縮バレットによる連射だ。弾丸となって消費されたオラクル細胞の分、腹が減ったのだろう。
しかし直ぐに大人しくなる。神機と有線接続された一抱えもある大きさの金属の箱から、大量のオラクル細胞が注がれたからだ。ランチボックスと呼ばれるこの箱も、長距離狙撃戦の為の追加装備の一つだった。
「最後だ」
充填されたオラクル細胞が神機の中で咀嚼され、エネルギー体となる。光弾となって残る1体に向かった。
2体が落ちた地点に身体を向けていた最後のシユウは、頭部を撃ち抜かれて崩れ落ちていった。今度は頭部を全壊させた。コアを破壊できてはいないだろうが、戦闘力はほとんど残っていまい。
目の端に落ちるシユウを捉えつつ、一帯の空を見渡した。そして地表も。他にアラガミがいる様子はない。
最後にレーダーも確認する。特に反応はない。戦域に異常なしだ。
「オルタ5よりブレイブ各員。最後の1体に着弾を確認。獲物は届けたので存分に喰ってくれ」
「有り難くごちそうになる。その代わり帰ったら何か奢らせてくれ。ブレイブ1より以上だ」
通信を終え、一息ついた。戦果は上々だ。
第1部隊の目的は群れから離れた大中型アラガミの各個撃破だ。
ヒマラヤ支部に向かう群れの大半はオウガテイル種やザイゴード種、そしてその亜種で構成されている。
実は大中型より、これら小型アラガミの群れの方が脅威度が高い。神機使いの絶対数が限られる中、支部を多方向から数で押されると対処のしようがないからだ。
だから支部周辺に群れを近づけさせないよう工夫する。今回の支部防衛作戦でもそこに主眼が置かれていた。
群れを叩く算段をつけたゴドーが第1部隊に下した命令は、はぐれ者を狩るというものだった。
群れと行動をともにしない飛行型や大型のアラガミを防衛ライン到達前に叩く。そうすることで群れの掃討戦を有利にするのだ。
第1部隊の隊長代理となった自分には、3つの小隊の指揮が任された。第一部隊は各自の戦闘力は高いものの、常に優秀な指揮官であるゴドーの直下にあったため、複数の隊を統括できるような前線指揮官はいなかった。
優秀な副官の不在。
マリアの不在。
ゴドーはその事にほとんど触れないまま、無造作に部隊の指揮権を新任少尉に委ねた。
何故だ。
石の森が崩れる轟音で、思索から現実に引き戻された。
まだ遠い。
神機の視界で音源を辿った。粉塵が舞っていて、音の主は分からない。
だが、あの巨体は。
落ち着かせるためひと呼吸。極東のアーカイブで何度か見たはずだが、現実に向き合うことになるとは思ってもいなかった。
インカムから女性の声。確かカリーナと呼ばれていた年長の上席戦域管制官だ。
「司令部より各隊。11時方向、地下より巨大アラガミが出現」
カリーナの平坦で無色な声が逆に不安を誘った。
「データと照合。ウロヴォロス種と推定。各隊、連携して迎撃願う」
カリーナは最後、祈るようにこう付け加えた。
「...どうかご無事で」
(参考)フェンリル・ヒマラヤ支部の組織図など
ヒマラヤ支部は統治・作戦行動の最小単位として、連隊に相当する規模・構成となっている。
最終的な意思決定権はフェンリル本部が握っているものの、支部を統轄する支部長はそれ相応の決定権を有している。
実際の支部運営は、大隊規模の行政・軍事の各部門がそれぞれの分野を直接、担当する。
アラガミから支部を守ることが最重要課題であるため、軍事部門にはより強い権限と潤沢な物資が与えられている。
※ 支部長=意思決定権者(連隊長・大佐)
支部運営の全組織に命令権を有する
行政・軍事部門に補佐官(連隊副官)
行政担当補佐官の直下に秘書室を置く
1. 行政部
☆ 行政官=行政部門の長(大隊長・大尉相当)
指揮迅速化のため支部長が兼務
◎ 副行政官=行政担当補佐官が兼任
① 管理室=管理室長(中隊長・中尉相当)
⑴ 内政班=内政班長(先任曹長相当)
⑵ 情報班=情報班長(上席戦域管制官)
② 技術開発室
③ 生産室
その他、教育室、警備室などがある。
警備室は司法全般を担当する
(三権分立制度は取られていない)
警備室と第4部隊憲兵小隊が相互に監視
2. 司令部
★ 司令=軍事部門の長(大隊長・少佐)
指揮迅速化のため、支部長が兼務
◉副司令を野戦任官し司令代理に
支部長の不在時、支部長代理に
◉ 副司令=軍事担当補佐官が兼任
第1部隊隊長を兼任する
① 第1部隊=中隊規模。隊長は筆頭小隊長
第1部隊は討伐任務を行う
⑴ A小隊(オルタ隊)=指揮担当
⑵ B小隊(ブレイブ隊)=強襲担当
⑶ C小隊(クリード隊)=強襲担当
② 第2部隊=防衛班
⑷ D小隊(ドロップ隊)=機動防御担当
この他、E、F、Gの4小隊で構成
③ 第3部隊=偵察班。H~K小隊で構成
④ 第4部隊=教導班。神機使いは正副隊長
正隊長直下に訓練小隊
副隊長直下に憲兵小隊
⑤ 司令部後方支援室(大隊本部中隊)
⑴ 情報班=班長は先任上級戦域管制官
上席戦域管制官=情報分隊長(曹長)
レーダー解析、アラガミ分析を担当
正隊長は管理室情報班長を兼任する
直下に戦域管制官5名(上等兵)
⑵ 整備班=班長は技術少尉
その他、物資調達班、研究開発班など
・その他
支部住民代表による支部評議会も存在する。
(フェンリル被雇用者の労組程度の役割のみ)
以 上