「ネブカドネザルが活性化します」
マリアのような声が言った。
白いアラガミが吠えた。正確には音に成らない咆哮とでも言うべきか。
ネブカドネザルの背にある三日月形の刃が陽炎のように揺らいでいた。水面に浮かぶさざ波のように、ネブカドネザルから波紋が広がっていくのが見えた。それは可視化した音の波のようだった。
さざ波に触れた瞬間、身体が反応した。自分の中の何かが震えた。そして耳鳴りのような奇妙な違和感を覚えた。
「ネブカドネザル、大気中の微細なオラクル細胞に干渉しています」
また声が聞こえた。白いアラガミの放つ波動の影響を受けない明瞭な声だった。雑音が少ないのではなく、全く混じっていない。いつの間にか途切れたインカムの音声とは質の異なる明瞭さだった。
微かな疑問を感じつつも、だからといって興味を引かれるようなことはなかった。今の自分には無関係なことだ。全てがどうでもよかった。
片膝をついた右足から大量の血液が流れ出ていた。下半身にあった熱を伴う痛みも、もうほとんど感じられなかった。神機使いの強靭な肉体が自分の意識を保たせているだけで、普通の人間ならとうに気を失っているはずだ。
致命傷といえる深い傷も、今は別の世界のことであるかのように遠く感じられた。ここから先のことに関心はない。自分の全ては過去にある。
あの時の記憶が自分の中に戻っていた。曖昧だった過去の出来事を、今では完全に思い出せた。
自分のせいでマリアが死んだこと。この神機がマリアの身体を捕食したこと。そして頭に響く声がマリアのものではないことも、十分に理解していた。
白いアラガミがまた大きく吠えた。先ほどより波の濃淡が激しくなっている。
背中から大きく上に突き出た金属質の部位が霞んで見えた。自らが発する振動で輪郭が不鮮明になっているのだ。この三日月が波動の発信源のようだ。
波動に合わせるように、右手の神機が脈打った。そして一定の間隔で脈動する。神機から弱いさざ波が生まれる。それは白いアラガミの放つ波動とよく似ていた。
神機とアラガミとが共鳴しているように思えた。
「広域のオラクル細胞が、ネブカドネザルの波動によって強制的に活性化しています」
この共鳴反応にも覚えがあった。
あれは白いアラガミと初めて遭遇した時のことだ。
アーカイブでは見たことのない個体だった。
さほど大きいアラガミではない。中型アラガミに分類されるその身体は、白い体毛を持った四足獣のそれであった。普通の獣と大きく異なるのは、身体と同じくらいの大きさの三日月を背中に担いでいることくらいだろうか。特異な形状をもつアラガミの中にあって、その程度の異形は全く目立たないものだった。
ネブカドネザルを特徴付けているのはその形状ではなかった。
それは、レーダーに映らない新種のアラガミであるということ。
それから、この波動の存在だった。
ほとんど明かりのない廃墟の中で白いアラガミと遭遇した。
レーダーに映らないアラガミだった。さざ波と共に深い闇から溶け出すように表れ、気が付いた時にはもう目の前に立っていた。
自分より一瞬、早く異常を察したマリアがアラガミの攻撃を受け止めた。しかしその力に、構えた神機ごと吹き飛ばされた。彼女は激しい衝撃に意識を失った。
遅れて自分も応戦した。慣れない近接戦闘で、数合とはいえネブカドネザルの攻撃を凌げたことは奇跡といっていい。もちろんその奇跡は長く続かなかった。
白いアラガミが自分の神機を噛み砕いた。そして、ゆっくりと捕食した。
自分はその隙に、マリアを担いで逃げた。
アラガミは波動を発しながら追ってきた。獲物を弄ぶ狩人のようなゆったりとした足取りだった。さざ波に身体を振るわせながら、自分は研究所の奥へとただ走った。
研究所の片隅が淡く光ったのを見た。
瓦礫に混じって古い密閉式の神機固定具があった。廃材に埋もれる鋼鉄製の箱から薄紅色の光が漏れていた。光源に近付いた。そして緊急用の開閉装置を殴り付けて開けた。
古い型式の神機があった。そのコアは何故か赤く、波動に共鳴するよう点灯していた。
白いアラガミはすぐそこまで来ていた。マリアは気を失ったままだ。自分が彼女を守るしかない。
だから、その古い神機に手を掛け、闇の中から一気に引き抜いた。そして背後に迫っていた白いアラガミに斬りつけた。
不意をついた一撃で傷を負ったネブカドネザルは、また闇の中に消えていった。長いお別れをするような、静かな去り際だった。
しかし、危機は去っていなかった。
古い神機が適合者ではない自分を拒絶した。そして、全てを喰らうアラガミの本性で自分を捕食しようとした。自分のものでない神機に触れるということは、そういう事だ。神機使いなら誰でも知っていることだった。
後悔はなかった。マリアを助けられたのだから、それで良かった。目の前で黒い顎が大きく開かれた時、自分は神機に喰われる瞬間を、安らかな気持ちで待っていた。
だからマリアが自分を突き飛ばした時、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
マリアは自分の身代わりになるかのように、顎の前に立っていた。
そして神機の闇に飲まれていった。
自分は生き残って、マリアは死んだ。
手元にはマリアを喰った神機だけが残った。
それがあの時に起こった出来事の全てだった。
そして、その元凶となったアラガミが今、自分の前に立っていた。
白い獣はアラガミの群れが埋まる墓地の上に、どこか幻惑的な姿で佇んでいた。ネブカドネザルが放つ波動は、かつてとは比べ物にならないほど強まっていた。
それと共鳴するように神機の脈動が高まるのを感じた。
いや神機だけではない。地面も共鳴していた。足下が確かに揺れていた。どこか胎動を思わせるゆっくりと規則的な振動だった。
「活動を停止していたアラガミの損傷が修復されます」
この声は神機が発しているものだと分かっていた。
マリアを捕食した神機に目を落とした。自分を拒絶したはずの古い神機が、どうして姿を変えてここにあるのか。なぜ自分に適合したかのように振る舞っているか。どうやって自分の神機と同じ形状になったのか。
いくつかの疑問は、しかし浮かんだのと同じ唐突さで消えていった。そうした事柄はほとんど気にならなくなっていた。
「周辺のアラガミが活動を再開します」
地中から何かが顔を出した。それは半分崩れたオウガテイルの頭部だった。修復不可能な程に破壊したはずのアラガミが、目の前に蘇った。
1体だけでなかった。アラガミ達は次々と墓標の中から這い出てきた。
千切れた足。
砕かれた尾。
ひしゃげた胴体。
動いているのが不思議なくらい激しく損傷したアラガミの身体は、まるで動く死者のようだった。ネブカドネザルの周りに死者の群れが生まれていた。
白いアラガミの姿が、亡者の列を先導する死神のように見えた。赤く揺らめく銀の三日月は命を刈り取る大鎌だった。
自分の視線はこの白い死神に向けられたままだった。こちらを見返すネブカドネザルの視線に何かを感じた。昆虫のように感情のないはずのアラガミの目に、淡い色の感情が浮かんだように見えた。
死神の目にあった深みのあるその色は、憐れみか。
「アラガミが接近します」
神機の声が聞こえた。
偏食因子によって強化された杭に片目を貫かれたままのオウガテイルが、自分に近付いてきた。小型の肉食恐竜のような太い脚部に風穴があいているため、その移動速度は遅い。片足を引きずっている。
負傷したオウガテイルの群れがそれに続いた。遠くには浮遊する袋のようなザイゴードの群れもあった。コンゴウやヴァジュラなど中大型種も見えた。どれも一様に深い傷を負っていた。
先頭にいたオウガテイルが、自分とネブカドネザルの間に立った。そしてネブカドネザルの視界を遮った。憐れみの呪縛から解かれるのを感じつつ、焦点を目の前に合わせた。
鬼の面の下にある大きな顎が牙を剥いていた。
自分のところまで、あと3歩というところか。
軽く目を閉じた。見るべきものは何もない。それと同じように、もう生きる意味もない。強くなければ生きていけない時代だからこそ、理由のない生に価値はないのだ。
あと2歩。
神に祈るように両膝を着いた。神機が乾いた音を立て、跪いた自分の足下に転がった。
歓迎するように両手を広げた。
あと1歩。
瞼を開き、自分に死を運ぶ神の姿を見上げた。
「オルタ5。上です」
砕けるオウガテイルの頭部が見えた。頭部を失ったアラガミの身体が自分のすぐ横に倒れた。
声は左手から聞こえてきた。どこか無感動に声の主を探した。ブレイブ4が神機を構えていた。右手と左足だけで長い銃身を支えている。彼女の左手は肘から先が失われていた。黒い手袋が中身の入ったまま足下に落ちているのが見えた。
「まだ、終わりではありません」
ブレイブ4が静かな声で言った。動じず、高ぶらず、ただ狙い撃つのみ。生粋の狙撃手らしい淡々とした物いいだった。その声色はいつもと同じく金属質に澄んでいた。
自分の前を影が横切った。アラガミの影だ。自分に近付きつつあったアラガミの群れが、目の前を素通りしていった。より新鮮な獲物に興味を引かれたのだろうか。旺盛な食欲だ。いや、無限の貪欲か。
ブレイブ4が銃形態の神機を次の標的に向けた。左手を欠いた定まらない照準で撃つ。続けて撃つ。アラガミの頭や足が弾けていく。
しかし弾が切れた。
別のオウガテイルが倒れた同胞の屍を乗り越え、彼女の目の前に迫っていた。神機を形状変化させる時間はない。
大きく開かれたオウガテイルの口に向って、ブレイブ4が銃身をそのまま突き入れた。神機がアラガミの喉に突き刺さる。赤い体液が流れた。
傷を負ったそのオウガテイルは、しかし喉に刺さった神機ごと彼女の右腕に齧りついた。鋭い牙が彼女の利き腕を切り裂く。引き千切る。
左手に続き右手も失ったブレイブ4の腹部に、オウガテイルの棘の付いた尻尾の一撃が振るわれた。その衝撃で彼女の身体が横に吹き飛ばされ、腹這いの体勢で止まった。身体の下に赤い水たまりができた。
彼女の視線が、何かを探すように左右に流れた。
切断された右手が、何かを掴もうとするかのように前に伸ばされた。
瞳は真っ直ぐに自分を見ていた。
この光景は。
アラガミの顎が、彼女の身体に喰らいついた。肉が潰れる音が聞こえた。自分に向けられた視線と右手だけを残して、彼女の胸部がアラガミの顎の中に消えていた。オウガテイルは身体と比較して不釣り合いなほど大きい口を開き、今度は下腹部に達するまで深く齧りついた。近くにいたもう一体のオウガテイルがそこに近寄り、投げ出された彼女の足を齧った。そして上半身を齧るもう一体から引きはがすように力任せに顎を振った。拮抗する2体の力がブレイブ4の身体を腰の辺りで両断した。割れた胴体から血液とともに何かが溢れ出た。
少しずつ肉片になっていくブレイブ4の身体に何頭ものオウガテイルが群がってきた。ぐちゃぐちゃと音を立てて肉片に喰らいつくアラガミの顎が見えた。
食事を続ける群れの足下に、球体のような何かが落ちた。ころころを地面を転がって自分の方に近付いてくる。自分の目の前で止まる。それを見る。
人間の頭だった。
頭部だけになったブレイブ4の視線は、先ほどと変わらず自分に向いていた。長く明るい髪。白さが目立つ素肌。傷一つないその涼やかな顔には微かな笑みが浮かんでいた。
奇麗だ。微笑み返しながら思った。そう言えば彼女の名前を聞いていなかった。後で聞かないと。違う。彼女は何も話さない。もう話せない。
一方でアラガミ達は、唯一の天敵であるゴッドイーターの血肉を喰らって活力をみなぎらせていた。その挙動が力強く、鋭くなっていくのが分かった。全身のオラクル細胞が活性化しているのだ。
鬼神の食卓には、かつて人間だった肉塊を咀嚼する音だけが響いていた。そしてその音も今、止まった。
アラガミが次の獲物に顔を向けた。
自分だ。
何体かのオウガテイルが、素早い足取りで自分に向ってきた。もう亡者の行進ではなかった。
しかし、自分の目はアラガミを見ていなかった。誰かの声が自分に話しかけているような気がした。聞いた事のある声だ。
誰だろう?
斜めに傾いだ彼女の顔を見た。どこかで見たことのある瞳だった。
貴女なのか?
その目を見つめた。
前へと駆けるオウガテイルのかぎ爪が、微笑むブレイブ4の頭部を踏み潰した。飛び散る肉片。後に続くアラガミがそれを貪欲に喰らった。先頭の1体は真っ直ぐ自分に向い、血に染まった足を走らせた。
微笑みはもうどこにもなくなっていた。
だが失われた瞳が、自分に何かを語っていた。
あの時の記憶に、目の前の現実が重なった。
あの時、黒い顎の中で彼女が言った。
見つけて。
目の前で首を傾げた彼女が言った。
見つけて。
アラガミの顎が目の前に迫っていた。大きく開かれたその口元には人間の体液が付着していた。オウガテイルは自分に向って跳躍し、更に大きく牙を剥き出しにした。
見つけて。
迫る牙を阻むように、目の前に亡霊が浮かんだ。
「神機の自己保全機能が作動、擬態を解除します」
それは白いローブを纏った女性だった。黒く長い髪は、月を思わせる銀色に変わっていた。生命に満ち溢れた姿は、儚い幽玄の美に変わっていた。
亡霊に形を変えたマリアがそこにいた。
そして、そこだけは生者と変わらない声で言った。
「同期中のゴッドイーターのオラクル細胞を強制活性化します。追加のオラクル細胞を投与します。損傷を修復します」
身体に熱が点るのを感じた。血液が沸騰する。身体がバラバラに砕かれる。しかしその苦しみも一瞬で消えた。分解された身体が再び組み立てられたような感覚があった。
後に残ったのは、灼熱を放つ身体だった。全身のオラクル細胞が限界を越えて活性化していた。
「同期中のゴッドイーターの表層人格に干渉します」
マリアの過去と現在は失われた。
しかし未来は。
目の前に立つ亡霊のマリアの、その瞳が語っているではないか。
見つけて。
私を見つけて、と。
「神機の稼働率及び同期中のゴッドイーターの活性率、戦闘水準に到達しました」
いくつにも折り重なるマリアの影を見上げながら、思った。
まだ、間に合う。
だから自分は。
自分が。
俺が。
俺が。
俺が。
俺が見つけ出す。
「戦闘を開始します」
マリアの亡霊がそう言うと、神機のコアが赤く光った。
俺は神機を握った。
そして膝立に白刃を振るった。亡霊の横顔を霞めた切っ先がオウガテイルの咥内を穿つ。銀の刀身がアラガミの頭部を貫いて後ろに飛び出た。
刃を引き抜く。吹き出したアラガミの鮮血を頭から浴びた。視界が真っ赤に染まった。
前に立つ亡霊には赤の飛沫一つ付いていなかった。幽玄の姿のままで宙に浮かんでいた。
そんな亡霊を眺めながら、俺は血を滴らせた髪を左手でかき上げた。立ち上がって神機を両手に持ち直し、誓いを捧げる騎士のように前に掲げた。よく光を反射する刀身に赤く燃えた俺の髪が映った。
いつの間にか神機の形状が変わっていた。
廃墟で見つけた時の古い神機に戻っている。亡霊の髪と同じ銀の刃を持つ神機だった。神機の振動も止んでいた。
神機に命じる。いや、背後に立つ銀の亡霊に命じる。神機の刀身が崩れる。黒い牙が迫り出す。
喰らえ。
アラガミよりもアラガミらしい顎が、足下にあるオウガテイルの胴体に喰らいついた。牙が腹を喰い破り、肉を齧り取った。
まずは1体。
「オラクル細胞の補充を確認しました」
亡霊が言った。
赤く光る神機の制御細胞群が、深い紅色に変わった。
「神機の機能を解放します。ゴッドイーターの身体能力を多重強化します」
体内のオラクル細胞が湧き踊る。全身にオラクルの衣を纏ったような感覚があった。アラガミを捕食した際のオラクル活性化とは似て非なる、言うなれば安定したオラクルの暴走だった。
「力が溢れる」
俺は静かにそう言って、神機を捕食形態から銃形態へ変形させた。
視界に入ったのは、近付いてくるオウガテイルの群れだ。俺は近い個体から順番に胴の中央を撃ち抜いていった。2体。3体。4体。
足りない。
素早かったはずのアラガミの動きが亡者よりも遅く感じられた。のろのろと這うように動くアラガミが見えた。
次はあれにしよう。
俺は新たな獲物に向って走り出した。走りながら神機の刃を抜いた。右に構えた刀身が鈍く光った。
中空から鳥神が滑空してくるのが見えた。刃を連ねた翼状の両腕が俺を狙っていた。
俺はシユウの右羽を正面から受け止め、そのまま刀身を振り抜いた。シユウの羽が奇麗に両断された。
神機を捕食形態に変えた。地に落ちた鳥神のもう一方の翼を踏みつけ固定すると、神機を頭に振るった。黒い牙が兜のように固い頭部を易々と噛み砕く。5体目。
物足りない。
6体目と7体目がシユウを追うように空から襲ってきた。銃形態へ。
風船のようなザイゴードの正中線にある天使像を狙う。天使の眼球を正確に射抜く。残ったもう一体も同様に処理した。
墜落する天使達の向こうに、身の丈の何倍もの巨体が見えた。獅子の形をしたあのアラガミはヴァジュラだ。球体に収束した雷撃を身体の前に形成させ、攻撃態勢に入っていた。
ヴァジュラに向って走りながら、ちょうど地面に転がっていた手のひら大の円筒を蹴りつけた。それは一直線にヴァジュラの顔面めがけて飛んでいった。
空中で円筒を撃ち抜いた。閃光と轟音。神機使いの標準装備である閃光弾がヴァジュラの目の前で炸裂した。
ヴァジュラはそれに怯んで頭を振った。雷球が周囲に放電しながら消えた。
そこを狙撃する。連なる光針が顔の装甲を貫いた。
顔を傷つけられた獣神が大きく吠えた。首を覆うマントのようなたてがみが逆立つのが見えた。ヴァジュラは広がるたてがみの収束する空間に雷を生み出し、それを連続で放った。雷の弾丸が俺に向って飛来する。
俺は速度を上げて地面を這うように走った。稲妻が頭の上を通り抜けた。
目の前に詰め寄った俺の顔に向け、ヴァジュラの前足の鋭い爪が閃いた。
それも遅い。爪を飛び越え、牙を剥いた頭部を踏みつける。それを足場に更に高く跳ぶ。視界から消えた俺を追うようにヴァジュラの視線が泳いだ。アラガミの視認範囲より遥か高い位置に跳躍した俺は、神機を捕食形態に変形させた。そして言った。
「上だ」
全体重を乗せた黒い牙をヴァジュラの頭に叩き込んだ。牙が顔にめり込む。面覆いが砕ける。獅子が吠える。
地面に立った俺は、両手で神機を捻ってから引き抜いた。ヴァジュラの顔の半分が千切れた。獅子は弱々しく2、3歩進むと、大きな音を立てて横に倒れた。これで8体目だ。
もう終わりか。
背後にいたオウガテイルの群れが、俺に向けて尻尾の棘を飛ばした。短剣のような鋭い針が無数に飛来してくる。
刀身の後ろに収納された神機の装甲を身体の前に広げた。神を喰らう狼が描かれた大盾が針の大半を受け止めた。1本がこめかみを掠め、残りが右足と肩に突き刺さった。
俺は左手で無造作に針を引き抜いた。抉られた肉の穴から血が流れた。遅れて痛みがやってきた。
口元が歪んでいた。どうやら笑っているようだ。
俺は声に出して笑った。
もっと。
神機から異形の銃身が表れた。
獣のように醜く歪んだ銃からアラガミバレットを解き放った。獣神の雷撃が群れを襲う。オウガテイルが地面ごと吹き飛ぶ。9、10、11、12体目。
哄笑は止まらない。
息を合わせるようにしてコンゴウが4体、別々の方向から迫っていた。
それを見ながら、俺は神機をだらりと下げたまま動けない。動かない。
前から突進してきた大猿の身体を上半身の捻りだけで回避した。
背中越しに大きく転倒するコンゴウの姿が見えた。他の3体が倒れたコンゴウに衝突した。自らの運動エネルギーで頭部や腕の装甲を破壊している。
俺は倒れたコンゴウに向って走った。神機を近接形態に変える。刀身が地面を削る。刀身を下手に構えたまま、コンゴウの身体の上を駆け上がった。刃が尻尾から背中までを一気に切り裂く。
後頭部を足で踏みつけ刀身を突き刺した。猿の顎の下から刃が生えた。13体目。
そこに別のコンゴウの豪腕が迫った。神機はまだ1体目のコンゴウに突き刺さったままだ。
俺は左腕で頭を庇った。腕の骨が音を立てて砕かれる。衝撃に俺の身体が右に吹き飛ばされる。
2回転がってからその勢いを利用して立ち上がった。神機は強く握った右手に収まったままだった。
左手の方は、だらりとぶら下がったまま動かない。邪魔だ。左袖を噛んで口で固定する。閉じた歯の隙間から笑い声が漏れ出した。
もっとだ。
3体のコンゴウが同時に吠えた。そして肩にあるラッパのような器官から見えない衝撃波を放った。
装甲を展開する。続けて押し寄せる突風に、装甲ごと後ろに飛ばされた。俺の身体がコンゴウから遠ざかっていく。
尚も突風を放とうとするコンゴウに、刀身の下に収納された銃口を向けた。
「爆ぜろ」
銃口から吐き出されたオラクルの塊が1体の背中に炸裂した。風を操る背中の器官が粉々に砕けた。
続けて頭に向けてもう1発。今度は頭が粉々に砕けた。14体目。
見せろ。
俺は刀身を片手に下げたまま、無造作な足取りでコンゴウに近付いた。風の攻撃はもう止んでいた。
掴み掛かろうと広げた大猿の腕の下にある柔らかな腹を切りつけた。真横に線が走った。返す刀で切り上げる。15体目は、十字の傷から鮮血を吹き出し、仰向けに倒れた。
残る1体のコンゴウが後ろに向って走った。不足したオラクル細胞を補給するためだろう。それとも怯えを感じてくれているのか。
口元が大きく歪む。笑う。
もっとよく見せろ。
俺は走りながらその辺に転がるアラガミを捕食し、神機にオラクル細胞を補充した。神機を銃形態へ。そして光沢のある長い銃身から細く絞った光を放つ。
「跪け」
逃げるコンゴウの片膝が砕けた。反対の膝も撃ち抜く。コンゴウが前倒しに倒れた。
「祈れ」
俺はゆっくりと歩きながらコンゴウを撃った。左手、右手と順番に撃ち抜いていく。
壊れた両腕を前に投げ出すようにして腹這いになったコンゴウの側に立った。
こいつも喰らっていい。
神機から黒い顎が生まれた。
好きなだけ喰っていい。
顎は頭部と右手を残して胴体を噛み千切った。そのまま腹部へ。腰を足で踏みつけ、今度は下半身を齧らせる。そのまま横に引き、身体を上下に断つ。
袖口から漏れる笑い声は止まらない。
俺は転がったコンゴウの頭部を踏みつけ、その額に静かに銃口を置いた。
「終わりだ」
俺はアラガミの頭部を見下ろしながら、絞った弾丸を解き放った。神の頭が原型を留めないほどに粉々に砕けた。
16体目が終わった。
アラガミの残骸を喰い散らかしながら、噛み締めていた左袖を口から外した。
再びだらりと垂れ下がる左腕に、違和感を感じる。痛みが僅かに弱まっていた。
「ゴッドイーターの自己修復能力を強化します」
二の腕が熱くなった。折れた骨が発する痛みが収まっていく。砕けた関節が大きな音を立てて繋がる。もう痛みは感じていなかった。手足に空いた穴からの出血も止まっていた。
楽しい気分が台無しになった気がした。口元の笑みも消えた。
でもまだ、終わらない。
俺は新しい獲物を探して、静かになった周囲を見回した。
動くものはなかった。人もアラガミも。
この場に立っているのは俺と、目の前の白いアラガミだけだった。
死神はさざ波の中心に悠然と立っていた。
「ネブカドネザル」
俺は静かにその名前を呟いた。
死神はずっと俺を見ていた。
俺が足掻くのを見ていた。
俺が失うのを見ていた。
だが、今度は。
「神機の稼働率が臨界点を越えました」
マリアの亡霊が言った。どこか官能的な響きだ。
神機のコアが深紅に輝いた。
銀の刀身が赤い波動を纏った。
「神機の制御機構を限定解除します」
俺は赤い神機を死神に向けた。
今度は俺の番だ。
「アビスファクター、レディ」
耳元で亡霊が囁いた。