Scarlet Busters!   作:Sepia

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Mission101 あたしの名前は

「三枝一族の……超能力者(ステルス)?」

 

 アリアたちが理子と再開した夜。佳奈多は自分には殺しそびれた超能力者(ステルス)がいて、その中には三枝一族の者もいると言った。当時のアリアには信じられなかった話だが、葉留佳の様子を見るに目の前に立つ男が三枝一族の者であることは事実なのだろう。

 

「一体、なにがどうなっているの?」

 

 葉留佳にとっては死んだと思っていた人間が生きていた。

 それから急に自分の『空間転移(テレポート)』が勝手に起動して、直後左目が痛み出した。

 佳奈多には三枝一族の人間に殺しそびれた人間が言うるとは聞いていたため、親族の一人が生きていたことに対しての衝撃は大してなかったものの、それでも分からないことが多すぎる。

 

「そんなに気になるなら、今の自分の眼を見てみるといいですよ。ほら」

 

 そう言って小夜鳴は自分のポケットから取り出した折り畳み式の手鏡を葉留佳に対して投げつけてきた。その段階になってようやく、葉留佳自身が自分の左の眼が緋色に染まっていることを認識した。

 

「なに……これ」

 

 鏡を見て分かったことがもう一つある。変化があったのは葉留佳の左目だけではなかったのだ。

 葉留佳がかつて、佳奈多から誕生日プレゼントとしてもらい、それ以来ずっとつけているビー玉のような形をしたピンク色の髪留めまでがうっすらと光を放ち始めていたのだ。葉留佳の持つ髪留めは暗闇でもわかるほど、綺麗な空色の輝きをしめしているのだ。

 

(もしかしてこれ、霊装だったの?いや、まさか。そんなはずはない)

 

 今までこの髪留めに魔術的な効力が秘められているなんて聞かされたことはなかった。でも、ふとあることを思い出す。佳奈多がいなくなって両親と暮らし始めてすぐのころ、ツカサ君の置手紙にはこう書かれていた。

 

『葉留佳。佳奈多を取り戻したいのなら、キミはその超能力を使いこなせるようになれ。そして委員会連合に所属するどこかの委員会に入れ。そうしたら、そのうち佳奈多と会える。あと髪留めはそのまま持ってて。将来役に立つから』

 

 将来役に立つ、とは今のこの現象のことを見越していたのだろうか。なら、ツカサ君は今起きている現象について二年前の時点で気づいていたことになる。私の知らないところで、何か細工をしたのだ。

 

「小夜鳴。お前はこの現象をどう見る?」

「少なくとも、三枝葉留佳の左目が緋色に変化しているのは、先ほど葉平さんがおっしゃったように『機関』のところの超能力者(チューナー)の技術だとみていいでしょうね。あのヘルメスでさえモルモットが集められずに研究をやめた超能力者(チューナー)にはまだまだ未知数なことが多い。どんな術式を組んだのかはわかりませんが、おそらくはあなたの瞬間移動(テレポート)に呼応して起動するようにしていたのでしょうね」

 

 小夜鳴がそう自分の意見を述べた瞬間、葉平と呼ばれた男の姿が消えた。

 うっすらと姿が透明化したのではなく、全員が彼が動いたことを認識できなかったのだ。

 それが高速戦闘能力者集団として恐れられた三枝一族の持つ超能力。瞬間移動(テレポート)

 予備動作もなにもなく、音速の高速移動を可能にする人間だ。

 そして、身体がそれについていくことができる化け物。

 

「!!」

 

 葉平は一秒にも満たない間に葉留佳の顔面を側面から殴り飛ばそうと迫っていた。

 彼のテレポートは葉留佳のように空間を点で結ぶタイプではなったため、葉留佳のように物理的な壁を無視することはできない。だが、音速の速度のまま攻撃を続行することができる。いくら葉留佳が反応したとして、そこから回避することはできないのだ。認識してから準備していたのでは遅すぎるのだ。

 

(――――――――――!?)

 

 今から準備しても間に合わない。だが、葉平の拳は葉留佳の頭をそのまま殴り飛ばすはずだったがそうはならなかった。葉留佳は自分の意志とは関係なく、また超能力が勝手に起動した。飛ばされた場所はほんの三メートル背後あたり。ただ、急なことだったせいもあり、葉留佳は着地に失敗して両手を地面につけるようにして倒れてしまう。

 

「なるほど。確かにお前の言う通りだな。こちらのテレポートに反応するようになっているみたいだ」

「そもそもの疑問として、二木佳奈多がどうして『双子の超能力者(ステルス)』特有の現象について知っていたのかということもあります。あの『観測の魔女』が所属すると噂されている『機関』と繋がっていたならば、そのことにも説明がつきますからね」

「ヘルメス?アンタ今ヘルメスって言った!?」

 

 今小夜鳴は、当然のようにヘルメスの名前を口にした。

 あの地下迷宮への入り口は教務科(マスターズ)であったことから、来ヶ谷唯湖や牧瀬紅葉は敵は教務科に敵がいると判断していたが、彼らがそんなことを考えていたことを知らないアリアにとっては突然のことだった。

 

(……ヘルメス?確か牧瀬君の話にあった東京武偵高校に潜伏していた魔術師だったか。どちらにしろ、小夜鳴先生は敵。じゃあこいつら全員、私にとって明白な敵)

 

 葉留佳にはどうして小夜鳴先生と一族の親族の一人がつながっていたのかは分からない。

 けれど葉留佳にとって分かりきっている事実がある。

 佳奈多はかつて、自分には殺しそびれた三枝一族の超能力者(ステルス)がいると言った。

 そして、姉御や牧瀬君にとっての敵は、たった今小夜鳴だと判明した。

 ならば葉留佳にとってこいつらは敵。

 葉留佳が大切だと思った人間全員にとって、排除すべき明確な敵。

 

「アンタたちがどういう関係かなんて私は知らない。別にそんなことはどうでもいい。アンタら二人とも、地獄に堕ちろ」

 

 未だに痛む左の瞳を押えながらも葉留佳が二人に宣告したと同時、葉平と呼ばれた男が銃弾に迫る速さではあるものの、普通に反応できるくらいには速度を落として葉留佳に接近し、彼女の首をつかんでつるし上げた。

 

「――――――地獄に堕ちろ、か。佳奈多の後ろに隠れて怯えているだけの小娘が言うようになったな。あぁ?」

 

 そして、葉平は葉留佳をそのまま頭から地面に叩きつけた。

 衝撃で意識が飛びかける葉留佳に一切の容赦も遠慮もなく、彼はそのまま葉留佳を踏み砕く勢いで蹴り続ける。

 

「調子に乗るなよ、この一族の疫病神が。お前さえいなければ、佳奈多が俺たちを裏切ることもなく、今頃俺はこんなみじめな生活を送る羽目にはならなかったんだ」

「……なん、だって?」

「すべてお前のせいで、俺たちはすべてを失う羽目になったんだッ!この疫病神がッ!!」

 

 葉留佳をいたぶる葉平の姿には、彼女に対する明白な怒りが見て取れた。

 お前さえいなければ。その言葉の通り、怒りのまま葉留佳を踏みつけ続けた。

 いたぶられる葉留佳を助けようと、同じく倒れたままの理子が必死に言葉を紡いだ。

 

「……よ、よせッ。知らないのか……。はるかを殺せば……はるかが死んだら……かなたの超能力は……」

「ああ、知ってるさ。知らないわけがないだろう。おかげで俺は、佳奈多が生きている限りこいつを殺すことはできない。精々双子に生まれた幸運に感謝するんだな」

「―――――――かはッ!?」

「はるかッ!くそ……」

 

 スタンガンで痺れてしまって全く自由に動かせない身体に鞭を打って、理子は立ち上がろうとする。

 そこには思いやりが見て取れた。葉留佳を死なせるわけにはいかない。死んで欲しくない。

 状況から仕方なくというものではなく、理子は葉留佳を庇おうとした。けど、

 

「あなたは人のことを気にしている暇はないでしょう。ねぇ、失敗作の『4世』さん?」

 

 倒れている理子を、まるでゴミ虫でも扱うかのように背後から小夜鳴は彼女の顔面を踏み抜いた。

 そして、動けないでいる理子の胸元から青い十字架を奪い取った。その代わりに偽物として紅鳴館ですり替えた偽物の十字架を理子の口に押し込んだ。

 

「あなたにはそのガラクタがお似合いでしょう。あなた自身がガラクタなんですから。ほら、しっかりと口に含んでいなさい。昔そうしていたんでしょう?」

 

 理子の口か、う、う、という哀れな嗚咽だけが途切れ途切れに聞こえてくるだけだった。

 もう見てはいられないと、叫んだのは奥菜恵梨である。

 奥菜は周囲にいる狼のことなんか一切無視して叫びあげた。

 

「いい加減にしろッ!!そんな風に人を痛めつけて一体何になるッ!!そんなことして何の意味があるッ!」

「奥菜……さん?」

 

 キンジの知る奥菜恵梨はいつもニコニコ笑顔を浮かべている人間だ。

 だから、激情して人につかみかかる姿が別人のように思えてきた。それと同時にこう思った。

 

 ――――――やっぱりこいつ、どこかで会ったことないか?

 

 この声色、聞き覚えがあるのだ。というか、いつも聞いていた気がする。

 ヒステリアモードの思考力で思い出し、キンジは誰の声と似ているのかを判別した結果、一つの結論にたどり着いた。

 

(……奥菜さん。あなたは―――――いや、オマエの正体はッ!!)

 

 キンジが奥菜恵梨の正体についてある結論を出したと同時、小夜鳴は恵梨に対しての質問に答えた。

 

「――――――――絶望が必要なんですよ。彼を呼ぶにはね。彼は絶望の詩を聴いてやってくる。この十字架だって、わざわざ本物を盗ませたのはこうやってこの小娘を一度喜ばせてから、より深い絶望にたたき落とすためでしてね。そちらの三枝さんにしてもそう。昔のトラウマなんてそうそう払拭できるもんじゃありません。彼女たち二人のおかげで……いいカンジになりましたよ。さて、奥菜さん。よく見ておいてくださいよ?私は人に見られている方が掛かりがいいものでしてね」

「さっきから何を言っているの?」

 

 アリアは何を言っているのかまるで理解できないようであるが、キンジには何が起きているのかが分かった。分かってしまったのだ。 

 

「ウソ……だろ……?」

 

 そして、遠山の人間であるキンジは絶句することになる。

 

「そうです、遠山くん。これはヒステリア・サヴァン・シンドローム」

「ヒステリア……サヴァン?」

 

 ただただ茫然とするキンジに対して小夜鳴は笑いかけてきた。

 

「奥菜さん。遠山くん。そして神崎さん。しばし、お別れの時間です。これで彼を呼べる。ですがその前にイ・ウーについて講義してあげましょう。この4世かジャンヌに聞いているでしょう。イ・ウーは能力を教え合う場所だと。しかしながらそれは彼女たちのように低い階梯の者達による、おままごとです。現代のイ・ウーにはブラドと私が革命を起こした。このヒステリア・サヴァン・シンドロームのように能力を写す業をもたらしたのです」

「聞いたことがあるわ。イ・ウーのやつらは何か新しい方法で人の能力をコピーしてるってね」

 

 アリアの指摘に小夜鳴は首を小さく振った。

 

 「方法自体は新しいものではありません。ブラドは600年も前から交配ではない方法で他者の遺伝子を写し取って進化させてきたのです……つまり、『吸血』で。その能力を人工化し、誰からも写し取れるようにしたのが私です。君たち高校生には難しいかもしれないので省略しますが、優れた遺伝子を集めることも私の仕事になりました。先日も武偵高で優秀な遺伝子を集める予定でしたがそこの三枝さんたちが邪魔してくれたおかけで失敗してしまいました。狼に不審な監視者がいれば襲うように教えたのがあだになりましね。特にレキさんの遺伝子は惜しかった」

 

 これまでの話を聞いて、アリアはぎり、ぎりと歯切りをした。

 

「ブラド。ルーマニア。吸血……そう、そういうことだったのね。どうして気づかなかったのかしら。キンジ。ナンバー2の正体が読めたわ。ドラキュラ伯爵よ」

「ドラキュラ?それは架空のモンスターの名前じゃなかったのか?」

「違うわ。ドラキュラ・ブラドは、ワラキア今で言うルーマニアに実在した人物の名前よ。ブカレスト武偵高で聞いたことあるの。そいつは今も生きてる、って怪談話つきでね」

「なるほど。ドラキュラは吸血鬼だったということか」

「正解です。よくご存じでしたね、三人とも。まもなくそのブラド公に拝謁できるんですよ。楽しみでしょう?」

「でたらめだ!そもそも兄さんの力をコピーしたのならどうして理子を苦しめられ続けるんだ!」

 

 ヒステリアモードは女性を守るもの。

 その原理から言わせてもらえば、今小夜鳴がやっていることは理屈に合わないのだ。

 勿論例外だってあることもキンジは知っている。そうでなければ、女性を相手に戦うことができない。

ヒステリアモードで女性を戦う場合、自分がそれが女性にとって最善であると自分に言い聞かせる必要がある。 まして、痛めつけるなんて論外なのだ。

 

「いい質問ですね。講師は生徒の質問に答えるのが仕事です。順を追って説明しましょう……むかーしむかし……」

 

 小夜鳴は余裕があった。

 ちょっとした昔話を聞かせてやろう。そんなふざけた調子で語り始める。

 

「この世には吸血で自分の遺伝子を上書きして進化する生物吸血鬼がいました。無計画だったらほとんどの吸血鬼は滅びましたが、人間の血を偏食していた一体ブラドは人間の知性を得て、計画的に多様な生物の吸血を行い強固な個体となって存在しました。しかし、ブラドは知性を保つために人間の吸血を継続する必要学生ありました。結果、ブラドには人間の遺伝子が上書きしてされ続けブラドはとうとう私と言う人間の殻に隠されることになりました」

「……」

「隠されたブラドは私が激しく興奮したとき、つまり私の脳に神経伝達物質が大量分泌された時に出現するようになっていきました。しかし永い時が流れるうち私はあらゆる刺激になれ激しくは興奮できなくなってしまったのです」

「そのまま一生閉じこもっていればいいものを」

「辛口ですね、奥菜さん。でもそこに転機が訪れました。遠山金一武偵のDNAです。ヒステリア・サヴァン・シンドロームによる神経伝達物質の大量媒介は……ブラドを呼ぶのに十分なものでした。そして、その発動条件は加虐。幸いにも、私にとって女生徒は人間にとってのチンパンジーのように、全く別の生き物でしてね」

 

 にい、と笑った小夜鳴は踏みつけていた理子の頭をもう一蹴りした。

 理子の口からニセモノの十字架が地面に落ちる。

 まるで、なんにも役にも立たないものの象徴のように地面に転がっていた。

 

 

 

「さあ かれ が きたぞ」

 

 

 

 神様が降臨する。

 そんな恍惚とした小夜鳴の声が響いた。

 

「へ……変、身……!?」

 

 アリアが絶句した声をあげる。

 今や小夜鳴は恵梨たちの前で洒落たスーツが紙みたいに破け、その下から出てきた肌は赤褐色に変色し熊のように筋肉が盛り上がっていく。露出した肌は獣のように毛むくじゃらだ。まさに化け物。そうとしかいいようのない怪物が、そこには現れた。

 

「な、なんて筋肉なんだッ!」

 

 奥菜恵梨が小夜鳴の姿の変化に呆然としていると、ブラドという名の怪物は語り掛けてくる。

 

「初めましてだな」

 

 すでに声帯までの変わっていた。

 

「俺たちゃ、頭ん中でやり取りするんでよ……話は小夜鳴から聞いてる。分かるか?ブラドだよ、今の俺は」

 

 凶暴な目は黄金の輝きを放っていた。

 この変化について、キンジはおおよその予測をたてる。

 

「擬態、みたいなもんだったんだろ?」

「ぎたい?」

「アリアの好きな動物番組でもたまに出てくるだろう。例えばトラカミキリはハチを装って自然界で有利に生きようとするが、その際は単に姿を真似るだけじゃなく動作までハチそっくりにせわしなく動く」

「う、うん。それは見たことある」

「ブラド・小夜鳴の変身はそれの吸血鬼・人間バージョンなんだ。あいつは元々、あの姿をした生き物だったんだよ。それが進化の家庭で人間に擬態して生きるようになった。その擬態は高度で、姿だけじゃなく……小夜鳴という人格まで作り出した。厳密には違うようだが二重人格みたいな状態で吸血鬼の姿と人格を内側に隠してたんだ」

 

 普段とは違う頭の回転速度に、今のキンジがヒステリアモードになってるとアリアは気づいたようだ。

 けど、驚いているわけにはいかない。アリアはちょっと慌てたようにブラドに向き直る。

 

「人間という役になりきってたのね。まるで人間社会への潜入捜査だわ」

「まあ、そんなとことだ」

 

 口調から大雑把な性格が読み取れる。

 説明大好き人間小夜鳴とは大違いであった。

 

「おぅ4世久しぶりだな。イ・ウー以来か?」

「……ブ、ブラ」

 

 震えていた。あの理子が、強襲科アサルトのSランク武偵すら笑いながら戦おうとする理子が心の底から怯えていたのだ。

 

「4世。そういえば、俺が人間の姿になれることをお前は知らなかったんだよな」

「――――――――――だ、だましたな……、オルメスの末裔を倒せば…………あ……あたしを解放するって……約束を」

「ああ、あれはお前に対するちょっとしたサービスのつもりだったんだ」

「……サー、ビス?」

 

 ブラドは理子に対し、ニタァと意地の悪そうな笑みを見せる。ブラドの口元が笑いをこらえているようにも見えた。

 

「希望を与えられ、それを奪われる。その瞬間こそ人間という下等種は一番いい顔をする。それを与えてやるのが、俺からの特大のサービスだッ!!」

 

 ゲゥゥウアババババババハハハ!

 ブラドは牙をむいて笑った。

 それ自体が人類のものではない。

 

「檻に戻れ繁殖用牝犬(ブルード・ビッチ)。少しは放し飼いにしてみるのも面白ぇかと思ったんだがな。結局お前は自分の無能を証明しただけだった。ホームズには負ける。盗みの手際も悪い。弱ぇ上で馬鹿で救いようがねぇ。パリで闘ったアルセーヌの曾孫とは思えねえほどだ。だが、お前が優良種であることは違いはない。交配しだいでは品種改良されたいい5世が作れてそいつからいい血がとれるだろうよ!」

「なにを……えらそうに……。かな、たにイ・ウーで……その紋章がついてる心臓を……全部つぶされかけた奴が……」

「負け惜しみはよせ。お前がかつて縋りついたあの魔女だってもうじき死ぬ。俺たちで殺す。極東エリア最強の魔女とか呼ばれていたとしても、佳奈多は所詮はただの人間だ。いいか4世。お前は一生俺から逃れられねぇんだ。イ・ウーだろうがどこだろうと関係ねぇ。世界のどこに逃げても、お前の居場所は檻の中だけなんだよ」

 

 振り回される理子はもう、すでに強がることすらできていない。

 泣き顔を見せたくないのか、きつく目を閉じる。しかし頬には大粒の涙が零れ落ちていた。

 理子は。自信家だった理子は、小さな声を絞り出す。

 それはきっと誰かに向かって言った言葉ではないのだろう。

 だが、今の彼女の心から零れ落ちた言葉だったはずだ。

 

「…………た……す……けて……」

「「「言うのが遅い!」」」

 

 真っ先にブラドに向かって突撃したのはなんと奥菜恵梨であった。

 彼女の手には何一つとして武器は握られていない。丸腰のままブラドに向かってかけていく。

 理子を一刻も早く助けてやりたいのは分かる。

 だが、それは誰の目から見ても無謀な愚行にしか見えなかった。

 

「そんな小さな拳、効くわけがねえだろうが!」

 

 ブラドの腕と奥菜の腕の大きさの差は一回りや二回りというレベルではない。

 このままぶつかれば、粉々に粉砕されるのは奥菜の方だ。

 

「待ちなさい奥菜さんッ!!一人で行こうなんて無謀よッ!!」

「面白い。てめえら二人はそこで見てろ。この小娘が無残に殴り殺されるところをな。勇敢とは時に無謀なだけの愚行だと教えてやる」

 

 奥菜恵梨への加勢はさせまいと、狼たちがいつでもキンジとアリアに跳びかかれるように足元に力を加えはじめた。

 

「奥菜さんッ!!」

「ハ―ハハハハハ―――ッ!!」

 

 恵梨の身を案じて、アリアが悲鳴を挙げる。

 だが、訪れたのはアリアが予測した未来ではなかった。

 ブラドが拳を握りしめ、どんな金属であっても粉砕しそうな一撃が彼女に当たろうとした瞬間、玉砕覚悟の気迫で走っていた奥菜恵梨は握っていた拳を軽く握り替え、ブラドの一撃を横に回避した。そして、触れるような仕草でブラドの腕についていた紋章に触れた。

 

 ――――――――その時、何かが砕け散る音が響き渡った。

 

「お前ッ!!一体何をした!?」

「心臓が複数あるんだって?あいにくと、()は地下迷宮で似たような奴と戦ったことがあるんだ。あの時は僕の油断で朱鷺戸さんに余計な手傷を負わせてしまったけど、僕の右手(・・・・)で一個一個つぶしていけることはすでに実証されているんだ!」

 

 もう奥菜恵梨はブラドなんか見ていない。メイド服の人間が見ているのはたったひとりだけだった。ブラドの右腕から零れ落ちた理子の青い本物の十字架を左手で拾い上げると、理子を抱きかかえたて離脱する。

 

「野郎どもッ!!さっさとこいつを片付けろッ!!目の前のガキなんか放置してこいつをさっさと片付けろッ!!4世もろともで構わんッ!!」

 

 魔臓を一つ、修復不能なレベルにまで粉砕された。主の危機に、狼たちはキンジたちから狙いを恵梨と理子の二人に変える。そうはさせるかとキンジたちは銃をオオカミに向けるが、二人は恵梨からのマバタキ信号に気づく。

 

―――――――眼を、閉じろ。急げ。

 

「アリアッ!!」

「分かってるわ!!」

 

 この状況で秘密に目を閉じろという指示を出すということは、考えられることは一つだけ。

 奥菜はメイド服の上着を脱ごうとする動きで肌を露出させる。その段階でボロンッ!と地面に落ちるものがあった。

 

「くらえ――――――ダミーオパイ閃光弾(フラッシュッ)!!」

 

 ダミーオパイとして胸に入れていたのは閃光弾。

 ブラドも、そして二人に向かっていた狼たちも閃光を受けて視界が霞んでしまう。

 その隙にキンジは狼たちに発砲する。

 レキが以前見せてくれたように、銃弾をかすめて圧迫し、麻酔をかけた。

 その間に恵梨は、いや、直枝理樹は理子を抱えて離脱した。

 

「ナイスだ、直枝ッ!!そのまま理子を隠してくれッ!俺たちは四つ目の心臓を探しておく!」

「分かったッ!!」

 

 今のやり取りで判明したことがある。

 キンジはジャンヌからブラドを倒すには四つの心臓をつぶす必要があると聞かされていた。

 かつて佳奈多は手当り次第に剣を刺しまくり、青髭危機一髪のように当たりが出るまで試そうとしたという。それはある意味では正攻法のやり方であるが、四つ同時に破壊しなくてもいい方法があると分かった。直枝理樹の超能力は、ブラドの魔臓に有効なのだったのだ。

 

 だが、このまま直枝一人に任せるのはリスクが大きい。理樹自身の、ブラドの攻撃を一度でも食らったらおしまいなのだ。いわば直枝理樹の超能力は奥の手だ。魔臓探しはこちらでやっておいた方がいい。 

 

 あとの問題は、

 

「おいおい。リンクしている魔臓を一撃で切りはなして粉砕しただと?そんな理屈を無視したばかげた能力者だと?そんなことができるということは、あいつはまさか『機関』のところの超能力者(チューナー)か?」

「何のんびりしたことを言っているッ!!早くあいつを殺してこいッ!!」

「ブラド。アンタがそんなに慌てるなんてな。焦らなくてもいいさ。三枝一族の超能力者(ステルス)から逃げ切れるものはいない。あんな女装趣味の奴なんてすぐに殺してきてやるさ」

 

 この三枝一族の人間をどうにかしなければならない。

 悔しいが、瞬間移動という超能力の前には距離なんてあってないようなものだ。

 こいつをどうにかしない限り理樹と理子は逃げきれないのだが、打てる手はキンジにはなかった。

 けど、こいつに対して打つ手のある人間がこの場には一人だけいる。

 

「―――――――待てよ」

 

 葉平と呼ばれていた親族の男の足元を、倒れてうつむいたままの葉留佳はつかんでいた。

 

「私のかなたを殺すだって?」

 

 葉留佳の目が、見ている者誰もを怖気づかせてしまうほどの殺意が込められていた。

 さすがの葉平も、葉留佳に意識が向いてしまう。そして、その一瞬が彼にとっての命取りとなる。

 

「戯言は止めろ。それにオマエにはまだまだ聞きたいことが山ほどある。私に付き合ってもらうぞ。同じ一族のもの同士、二人っきりで楽しい時間を過ごそうじゃないか」

「この―――――――ッ!!」

 

 葉留佳は空間転移(テレポート)を実行した。葉留佳の超能力には姿勢なんて関係ない。葉留佳を振りほどこうと蹴りつけるが、葉留佳は決して放そうとはしなかった。三枝一族の超能力者(ステルス)二人は、一瞬にしてこの場から姿を消すことになった。

 

「よくも……俺の魔臓を。あれを一個作るのにどれだけの時間と年月がかかっていると思っている!?」

「ふん、いい気味よ。行くわよキンジ!」

 

 アリアとキンジがブラドと、そして葉留佳は同じ一族の人間と共に超能力で消えたころにはすでに、理樹は完全に戦線から離脱して、必死に理子に呼びかけていた。

 

「―――――――――――理子さん!」

 

 何度呼びかけても、理子の意識はまだ朦朧としているままだった。

 理樹によって離脱させられたといっても根本的な解決にはなってはいない。

 理子の持つトラウマが、彼女を蝕み続けていた。

 そもそも人間と吸血鬼では一方的な狩りになってしまう。

 ここにいても、勝ち目はない。だから逃げよう、と。

 

 

 最後の最後で希望を見つけた気がしたのに。

 アリアに勝って自由を手にすることをずっと夢見てきたのに。

 結局はブラドに踊らされていて、遊ばれているだけだった。

 

 でも―――――――――。

 

「はい、理子さん。これは君のなんだから、もう離さないようにね」

 

 助けを求めた、どうしてかわからないが助けを求めてしまった、ある一人の少年の左手にあるものが握られていた。母親の形見の青い十字架。それを見るだけで、理子には希望が見えてくる。どうしてもあきらめることなんてできないでいた。

 

「…………どうして」

「これを置いて逃げるわけにはいかないでしょ?」

 

 理子が訊きたいことはそんなことではない。

 でも、いまはそれどころではない。

 なにせ、ブラドの怖さは誰よりも分かっているのだ。

 身体に染みついた恐怖が、理子に戦うことを否定させる。怯えさせる。

 

「これからどうするの?」

「戦うよ。僕の右手はブラドにとっては天敵みたいなんだ。だから戦うよ」

「無理……無理だよ。理樹君死んじゃうよ。あんなバケモノが相手なら、いくら相性がよくても勝てっこないよ!!今すぐここから逃げ出すしか方法はないッ!!葉留佳だって、空間を一瞬で移動できる超能力者(ステルス)なんだから逃げようと思えばいつでも逃げ出せるんだッ!だから、みんなで一緒に逃げようよッ!!」

 

 理子は本当は分かっていた。今自分はきっと、めちゃくちゃなことを言っている。

 きっと葉留佳は自分が殺されることになろうとも、最後まで逃げ出すことなんてないのだろう。

 最初に葉留佳と話をしたとき、臆病な人間だという印象を持った。

 葉留佳はあくまで一般中学の出身の人間だ。

 いくら超能力者(ステルス)だと言っても、彼女はまだ武偵としては未熟者もいいところ。

 銃はおろか、武器なんて自分がもつのも怖くて仕方がないと思う節が見られる人間だ。

 本当なら武器を持って戦うことを選ぶような人間じゃないのだ。

 それでも、佳奈多のことがあきらめられなかったから、武偵となった。

 彼女はどれだけ怖くても、逃げ出したくとも、それでも佳奈多のためならばとなけなしの勇気を振り絞ってでも逃げ出すことはないのだろう。

 

―――――ああ、わたし、なにやってるんだろう。

 

 自分は怖いからってこんなこと言っているって本当は分かっている。

 そして、怖い思いをしているのは自分だけじゃないってことは分かっているはずなのに。

 

「さっきはあいつも油断していたから不意打ちで魔臓一個潰せたかもしれないけど、あんなのは警戒されたらお終いなんだよッ!!これ以上理樹君に一体何ができるっていうの!?」

 

 こんな、八つ当たりみたいなことを言っている。

 手厳しいことを言われても、それでも理樹は笑っているだけだった。

 

「僕に何ができるかって?僕のことだから、きっと何もできないかもしれないね」

「―――――え?」

「そもそも僕の超能力捜査研究科(SSR)でのあだ名を知っている?」

 

 理樹君のあだ名。

 ペーパー試験はある程度できる癖に、全く魔術を使えなかったことからつけられたあだ名。

 才能ないものが最後に縋りつくべきものであるはずの魔術は、本来無限の可能性を持っている。

 その可能性を真っ向から不可能にしていく存在。

 ゆえにその名は確か、不哿(インポッシブル)

 

「こんな不哿(インポッシブル)にできることなんてきっと、他の誰かにだってできることだと思う」

 

 お前に何ができる。そう言われてもなお、少年が微笑んでいた。

 

「僕にできないのなら、その時は素直にヒーローに任せるとするさ。実はもう呼んであるんだ。僕が敵わなかったとしても、本物のヒーローならあいつをきっと倒してくれる。その時は、ヒーローが駆け付けるまでの時間稼ぎでいい。でも、僕らの手で倒したいと思わない?僕一人ならたぶん、いや絶対無理だけど、一緒ならなんとかなるんじゃないかな?」

 

 理子は思い出す。

 この少年、直枝理樹にとってもヒーローとはだれか?

 ――――――――棗恭介。

 理子は恭介のことをよくは知らない。

 どれだけ棗恭介が優秀な存在だとしても、理子にはどうしようもないと思ってしまう。

 

 それでも理樹の表情には、恭介が来たら誰にも負けるはずがないという絶対的な信頼があった。

 でも、理子には、他の何よりも。

 理樹の笑顔こそがブラドと倒すことができるという気にさせた。

 

「こんな不哿(インポッシブル)ができることなんて、僕より強い理子さんにできないはずがない。だから理子さんがあいつと戦えないはずがないんだ。君の言う通り、僕一人じゃきっと負ける。けど、僕より強い理子さんが一緒なら、きっと勝てる」

 

 そして、

 

「強敵が現れたんだ!君の力が必要なんだ!」

 

 直枝理樹はそう言って、峰理子へと手を差し伸べた。

 その言葉は。

 かつて一人の少年が、生きる希望を失った一人の少年を救った言葉でもあった。

 

「君の名前は?」

 

 あたしの名前は。

 それは決して四世なんかじゃない、あたしだけの名前は。

 

(――――――――――あたしの、あたしの名前は……)

 

 以前は振り払った差し伸べられた手が、今一度この場にあった。

 それを理子は、今度は。

 

「―――――――――あたしの名前は……」

 

 

 




理樹「ずっとスタンばってました」

なおえりき→おきなえり。
ただ名前の順番をいじっただけですから、恵梨の正体にとっくに気づいていたと思います。もちろんメイドの恵梨さんはキュートなほっちゃんボイスです。

まさか、このまま理樹の出番がないと思っていた方はいませんよね?
うん、いてもおかしくないと思います。ごめんなさい。

さて、よろしかったらこの作品の外伝の、「ScarletBusters!~Refrain~」の「Refrain1 僕の名前は」と合わせて読んでみてください。

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