Scarlet Busters!   作:Sepia

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Mission110 空色の化け物

 そもそも病院とは本来どうあるべき場所なのだろうかなんてことを『機関』のエージェントである朱鷺戸沙耶はとある老人ホームのベッドに腰かけながらぼんやりと考えていた。朱鷺戸沙耶自身の個人的な意見を言わせてもらうとすると、病院とは心安らかに過ごせる場所であるべきだと思っている。どんなに重い病気を患っていても、何も心まで病気にかかる必要もない。だから、重い空気は病院には本体あるべき姿ものではないはずだ。親族を病気や寿命で亡くして悲しみに暮れているわけでもないのなら、笑って明るく過ごすべきであろう。だから、

 

「……あやちゃん。わたし、心配したんだからね」

 

 とりあえず、ふくれっ面で怒っている小毬ちゃんのことを何とかしなければならないと思った。

 

「あ、あのね小毬ちゃん。勝手に病院抜け出したのは悪かったとは思っているけどね。これにはあたしにも事情が……」

 

 もちろん沙耶にだって言い分はある。沙耶は地下迷宮への殴り込みに行き、結果としては重体になって戻ってきた。『機関』が運営しているこの老人ホームへと運びこまれて、意識が戻ったと同時に病室から抜け出した。それは必要なことであったと今だって思っているし、抜け出したこと自体にはこれっぽっちも後悔はない。沙耶としては早急に確認しておかなければならない案件だったのだ。沙耶の意識を地下迷宮で刈り取ったのは仇敵たる錬金術師ヘルメスではなく仲間としてついてきた佳奈多である。しかもその時佳奈多がイ・ウーのメンバーであったことも判明した。佳奈多が自分たちの脅威となりうるか確認しなければおちおち眠ることもできなかっただろう。

 

「……心配、したんだからね」

「うぅ」

 

 でも、心配したんだよという小毬の素直な感情をぶつけられては、エージェントたる沙耶としてもごたごたと理屈を並べて小毬を論破してやろうという気にはなれなかった。

 

「戻ってきてくれてよかったよ。お兄ちゃんのようにいなくなっちゃうのかと思ったんだもん」

「……もう、すべて思い出しているのね」

「うん。もう思い出しているよ。あやちゃんがすべて忘れさせてくれてたんだね。そして、そのあともずっと私のことを守ってくれていたんだね。この老人ホームを仕事場として紹介してくれたり、いろいろと相談に乗ってくれたり。私がすべて忘れてしまったいたのに、あやちゃんは何一つとして忘れずにいたんだね」

「じゃあ、今更とぼけても仕方ないか。それじゃ最初からきちんと言っておきましょうか」

 

 朱鷺戸沙耶がまだ麻倉(あさくら)(あや)という名前を名乗っていたころ、沙耶は小毬と出会っている。いわば昔馴染みの友達だった。小毬が昔の記憶をすべてなくしてあとだって、沙耶は小毬のことを忘れたわけではない。昔のことをきれいさっぱりと忘れ去って生きているというのなら、『ときどさや』などという名前を今名乗っているはずがない。『ときどさや』というのは、小毬の兄神北拓也が描いた絵本、『流星の魔法使い』に出てくる優しい魔法使いの名前。

 

「久しぶりね、小毬ちゃん」

「うん、久しぶりだね、あやちゃん」

 

 それでいて、今まで沙耶は小毬に昔のことを一度も言ったりはしなかった。彼女自身、麻倉彩として生きることなどもうなく、これからは朱鷺戸沙耶という人間として生きるいくだろうと考えていたこともあったのだろうが、忘れているならそれでもいいと思っていたこともまた事実なのだ。あんなことは覚えていなくてもいい。忘れているのならずっと忘れたままでいてほしいと願っていたはずなのに、思い出したというのな、沙耶はどうしても聞かずにいはいられないことがあった。

 

「ねぇ小毬ちゃん。いきなりで気分悪くするようなことをいうようで悪いんだけどさ、あの日何があったの聞かせてくれない?」

 

 ヘルメスが実験と称して何かを始めたあの日。

 あやという少女は消え、小毬は兄を失うことになった。

 そんな結果だけは知っていても、沙耶はあの日に何があったのかというものを知らないのだ。

 『機関』の仲間からは『原罪(メシア)』という組織の仕業だと聞いても、当事者たちがどうなったのかを沙耶は知らない。目覚めたときにはすでに一緒に直前まで遊んでいた子供たちの墓が作られていたりもした。

 

「あやちゃんは、何があったかどこまで知っているの?」

「実はほとんど知らないの。あたしが知っているのはすべて終わってからの単純な事実だけしか知らないのよ。きっとこうだったんだろうっていう推測こそたてられても、どうしてもわからないことがいくつもある」

 

 あの日、沙耶は『機関』のメンバーによって助けられた。沙耶の意識が戻った時にはもう周囲には誰もいなかったのだ。ヘルメスも、パトラさんも、カナさんも。そして大好きだった拓也さんでさえ、自分の周りからはいなくなっていた。ただ一人世界に取り残されたように、自分は一人だけだった。どうしようもない孤独感を味わった。

 

 だからこそ、助けに来てくれた大人の女性に抱きしめられた時のぬくもりを、沙耶はまだ覚えている。

 

「あたしはあの日、ヘルメスが実験と称して何かを始めようとしたときに、陰陽術師は生きていてもらっては困るとナイフで腹を刺された。その時一緒にいたパトラさんによって、きっとあたしは生きながらえることができたんだと思う。ここまでは推測できた。でも、おかしな点だってあるの。これを見てくれる?」

 

 沙耶は老人ホームで支給されている緑色のパジャマをめくり、自分の腹部を小毬に見せた。

 そこには傷などひとつとして存在しない、きれいな女性の肌があった。

 

「あれ?あやちゃん、傷なんて全然残ってないよ」

「そう、そんなもの残ってない。これがおかしな点なのよ」

「え?」

 

 いくら先行学科が衛生科だとはいえ本職を薬剤師としている小毬には沙耶が言っていることがわからなかったものの、医療関係者であることには変わらないのだ。小毬はすぐに沙耶が指摘する矛盾点に気付く。

 

 傷跡が全く残っていない?ナイフで刺されたのに?

 

 武偵はその職業柄、体中に傷があることだってそう珍しくない。戦闘を生業としてい強襲科(アサルト)武偵ならなおさら目立つ。大きな傷は後遺症としてどうしても残ってしまうものなのだ。なのに、今の沙耶には怪我なんて初めからしていなかったかのように、傷一つとして入ってはいない。もちろん、ちょっとした怪我程度は見える。『機関』のエージェントとして生きていた沙耶だって、任務中に怪我を負うことぐらいはあったのだろう。それでもせいぜいかすり傷程度のものぐらいであり、そんなナイフで刺された時の傷なんて全く見受けられない。

 

「お兄ちゃん達の陰陽術かな?」

 

 となると、考えられるもっとも高い可能性は、沙耶の魔術の師匠であった小毬の兄、神北拓也の仕業によるものだ。小毬の薬剤師としての技術は兄拓也の手助けをしたいと思った幼き日の小毬の決意によるもの。小毬はエジプトで一般には知られていないような民間の秘薬なども教わりはしたが、彼女の知る技術でそんなことができるものの心当たりはない。

 

「あたしをあの時助けてくれたのはパトラさん。何があったのかわからないけど、それはきっと確かなものだと思う。パトラさんがいなければきっと、あたしは今ここにいない」

 

 パトラさんがあの後どうなったのか、沙耶は知らない。

 沙耶がわかっていることといえば、命の恩人は生きているということ。

 そして、イ・ウーという荒くれ者たちの中心人物として戦争を起こそうとした魔女であるということ。

 

 沙耶が『機関』の諜報員(スパイ)としての仕事をしているのも、あの日何があったかを知る人間を探すためでもある。超能力者(チューナー)なんて呼ばれる能力者になったことで、『機関』に所属することになったが、別に彼らは沙耶に戦いを強要してはこなかった。『機関』の仲間たちにとって、超能力者(チューナー)はあくまでも保護すべき対象であるという認識だ。別に身体を薬物で弄繰り回されたりしたわけでもない。沙耶が戦う道を選んだとき、『観測の魔女』は最後まで反対していた。

 

「拓也さんがカナさんと何か秘密にやっている間、あたしはパトラさんに魔力の扱い方を教えてもらっていたし、あたし自身パトラさんに陰陽術の回復魔術を教えたりもした。だから、パトラさんの医療技術であたしが知らないものはないはずなの。だからきっと、この傷がきれいに跡形もなくなるようなことが、あたしが倒れてからあったんだはずなのよ。小毬ちゃん、何でもいいの。小毬ちゃんがあの日見たものを教えてくれない?」

 

 沙耶は知らないことが多すぎる。

 カナさんはパトラさんを放置してまで一体拓也さんに何を相談していたのだろう。

 パトラさんはどうしてイ・ウーの魔女なんかになってしまったのだろう。

 錬金術師ヘルメスは一体何を始めるつもりだったのだろう。

 そもそもエジプトの博物館で起きたテロ事件からして今思えば不可解だ。

 空色の輝石とかいうものになんの価値があったんだ。どういう使い道をするものなんだ。

 

 それに、そもそも超能力者(チューナー)っていったい何なんだ?

 

 自分自身が該当していることなのに、今一つ実感がわいてこない。

 そして、理解できないものは不気味なものとして感じてしまう。

 

 少しでもいい。ちょっとしたことでもいいから知りたい。沙耶は小毬の顔を黙ったまま見つめた。

 やがて小毬は話し出す。

 

「実のところ、私だって知らないことばかりだよ。でも覚えていることもある。断片的なことだけど言うよ」

「……ありがとう小毬ちゃん」

「私はカナさんに助けられたの。ちょうど近くにカナさんがいてね、私たちの小さな病院は爆破されちゃったけどなんとか瓦礫から守ってくれた。びっくりして気絶しちゃったけど、目覚めたときにはお兄ちゃんが抱きしめてくれていた」

 

 ドクンッ!と沙耶の心臓が跳ねる。ドクドクと鼓動が自分の耳に聞こえるくらい緊張しているのが沙耶には分かった。ずっと知りたかったことが一片とはいえわかるかもしれないのだ。

 

「お兄ちゃんね、あやちゃんを助けに行くって言ってた」

「……」

「あやちゃんを元に戻すために行かなくちゃって言って、いつもみたいにやさしく微笑んでくれた。カナさんやパトラさんと一緒にあやちゃんを取り戻してくるって言って抱きしめてくれた」

「……あたしを、取り戻す?」

 

 小毬からの話はあくまで当時の彼らの視点から見た物語であり、沙耶から見た場面ではいまいち状況が理解できなかった。

 あの後あたしはヘルメスに拉致されたとでもいうのだろうか。

 あの場にはパトラさんだって一緒にいた。ヘルメスがあのパトラさんの目の前でこれ以上好き勝手できたとは到底考えられない。話を聞けば聞くほど困惑する沙耶は、小毬が困った顔をしていることに気付く。心配しているというよりは、言いにくそうにしているといった感じを受けた。結局小毬は、沙耶にどうしたのかと聞かれるまで口を開くことはなかった。

 

「あ、あのねあやちゃん。聞きたいことがあるんだけど」

「何かしら」

「あの空色の化け物は、一体なんだったの?」

「空色の化け物?」

 

 沙耶は思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまう。

 沙耶には小毬の言っていることへの心当たりなどまるでない。

 いったい小毬は何を言い出したのかと、小毬の言いたいことがまるで理解できなかったのだ。

 いったい何の話をしているのだろうかと、全くぴんと来ないでいた。

 

「その話詳しく聞かせてもらえないかしら」

「私が見たのは、なんか水のような流動的に空中を漂う透き通るような青い塊だった。でも、人の形をしていたの」

「―――――――人の形を持った空色の人型の物体ってこと?ほかに何か特徴はなかった?」

「えっとね、私もよく見たわけじゃないから何とも言えないんだけど、そうだね……あ、目の部分が光ってたよ。正確には目のい部分みたいな感じで光っている二つ球みたいなものがあった」

「……何色か覚えてる?」

「赤色、朱色――――――一番近いのは緋色だったかな?ごめんね。そこまではよく覚えてないや」

「……」

 

 沙耶は何も答えなかった。彼女の中に、ある一つの仮説ができていたのだ。小毬の言う空色の物体というものがいったい何なのかはわからないが、緋色の目を持つ存在についての心当たりならあるのだ。

 

 超能力者(チューナー)

 

 生まれつき超能力を宿している超能力者ステルスとは違い、いまからちょうど五年前に一斉に覚醒した超能力者たち。そして、そのほとんどが『機関』によって保護された特異なる存在の者たちだ。

沙耶自身超能力者(チューナー)であるものの、この能力について知っていることは実のところ少ない。『機関』のリーダーのパートナーであり、あらゆる魔術に精通した『観測の魔女』でさえ意味が分からないとして匙を投げざるを得なかった能力者たちだ。それでも『観測の魔女』は能力の共通点についてのある程度の考察だけは出している。

 

 曰く、世界の法則自体に干渉する能力。

 曰く、神様の力の一部分。

 曰く、変革を食い止めるための抑止力。

 

 具体的に沙耶が理解していることといえば、超能力者(チューナー)には三つの能力があるということぐらいだ。

 三つのうちの二つは超能力者(チューナー)ならだれでも使える共通の能力。

 そのうちの一つは仲間の牧瀬紅葉が言うには、双子の超能力者(ステルス)なら似たようなことができるらしい。沙耶自身、二つの共通能力のうちの一つしか内容を把握していないし、そもそもそのどちらも使ったことがないから実感が持てない。正直沙耶にとってあってないようなものでしかない。

 

 そして最後の一つは各々で有する固有の超能力。沙耶の場合エクスタシーモードがこれにあたる。

 

(この世に生まれ落ちてからまだ五年程度しか立っていないんだから、まだまだ未知数なことが多い超能力者(チューナー)にはあたしが知らないことがあってもおかしくはないか)

 

 あの場にいた超能力者(チューナー)となると、それは自分一人しかいない。

 沙耶の推測が正しいのなら、あの日はまだまだ沙耶や小毬の知らないことがあるのだ。

 

(こうなったら、あの日何があったのかを知っている人間に聞くしかない)

 

 すべてを知る人間。あいにくとヘルメスはどこに行ったのかわからない。

 佳奈多によって殺されたのなら、もうヘルメスを問い詰めることはできなくなった。

 そうなると、残りは二人。

 

(パトラさんか、カナさんを探し出すしかないか)

 

 ほかにもいろいろ聞きたいことがある。

 何よりも一番知りたいことをパトラさんなら知っているかもしれない。

 

 ――――――あたしたちが大好きだった人は、拓也さんは、いったいどうなったの?

 

 神北拓也の詳細は全くわからない。

 あの診療所付近で死体として出てきたわけでもなく、こつ然と姿を消した。

 生きているとも思えないが、それならそうで納得できるだけの手がかりが欲しいのだ。

 

「ありがとう小毬ちゃん。今後の方針が立てられたわ」

 

 沙耶が礼を言うと、小毬は沙耶の腕をガシッ!と掴んだ。

 逃がすものかと言わんばかりに、小毬は強く握りしめている。

 

「どうしたの?」

「もう、どこにもいかないよね?またすぐどこか行っちゃうなんて、私はヤダよ」

「大丈夫よ。しばらくはこの東京武偵高校にいることは間違いないから」

「ホント?」

「ええ、時に小毬ちゃん。あなた、棗先輩から仲間になってくれないかって誘われているんだってね」

「うん。まだちょっと迷ってるけど」

「彼らの仲間として行動しなさい。あたしはその方がやりやすいわ」

「どういうこと?」

「詳しい話は言えないけど、あたしとしては小毬ちゃんが理樹君たちの仲間になってくれるとありがたいのよ」

「……わかった。よくわかんないけど、あやちゃんが言うならそうするよ。あ、そうだ!いっそのことあやちゃんも一緒に」

「あたしはいいわ。理樹君だってあたしのことを歓迎してくれるでしょうけど、今あたしがするべきことはそれではないからね」

「えー。鈴ちゃんやゆいちゃんを紹介したのに」

 

 ふくれっ面になる小毬を何とかなだめながらも、沙耶は自分の使命について考えていた。

 東京武偵高校での諜報任務と、潜伏している魔術師ヘルメスの排除。

 それに伴い、『原罪(メシア)』と名乗った連中についての手がかりを得ること。

 どちらも『機関』からの指令であるが、たとえ命令なんて何もなくとも自分自身で探っていたことだ。

 

 それに今、もう一つ追加された。

 

 自分は真実を追い求めてきっと無茶をするだろう。

 いざとなったら、反動で死ぬかもしれなくても死なない可能性にかけて魔術を使い、結果瀕死の重体で病院に運び込まれることになるだろう。

 

 そうなったら、小毬ちゃんは間違いなく悲しむだろう。

 

 小毬ちゃんを悲しませたくないなら、沙耶は何もしなければいいのだ。

 別に『機関』からは仕事を強制されているわけではないのだから、医師である沙耶はこの老人ホームで診察とかをしていればいい。

 

 頭では分っている。自分の言っていることは矛盾しているのだろう。

 それでも、沙耶は心に決めたことのだ。

 

(小毬ちゃんを、あたしが悲しませるようなマネはするもんですか)

 

           

 

           ●

 

 

 三枝葉留佳にとって、イ・ウーは敵だった。

 イ・ウーこそがたった一人の家族を自分から奪った元凶であり、イ・ウーを潰すことこそが家族を取り戻すために一番の近道であるとばかり思っていた。

 

 だが、真相は違った。

 

 もちろんイ・ウーは無関係ではないのだろうが、葉留佳が一番問題としていたことはイ・ウーが絡むことではなかったのだ。

 

(私は、私は確かに愛されていた。私がいたからこそ、佳奈多はイ・ウーになんてかかわることになってしまったんだ)

 

 予想とは違う形だとはいえ、一番知りたかった事実を確認できた。

 佳奈多は別に、私のことを嫌いになったわけではなかった。

 今も昔と何も変わっていない。佳奈多にとっての一番は私のままだ。

 そして、そのことに気づけずに佳奈多を苦しめていただけだったのは私のせいだ。

 

 すべての真実を知った今、佳奈多のことを想えば想うほど葉留佳の心は苦しくなる。

 

 佳奈多は一体、どんな気持ちでイ・ウーにいたのだろう。

 佳奈多は一体、どんな気持ちで親族たちを殺したのだろう。

 佳奈多は一体、私を見てどんなことを思っていたのだろう。

 

 佳奈多は否定こそしたが、自分なんて生まれてくるべきじゃなかったのかという自己嫌悪にも似た感情がわいてくる。

 

 それでも自分は知らないといけないのだ。

 佳奈多のことを忘れて一人生きていくことができない以上、佳奈多の想いを感じてどれだけの痛みを味わったとしても、自分がすべて受け止めなければならない。そうしないと、今後胸を張って佳奈多と二人で暮らす未来なんてやってこない。そのためには葉留佳には会いに行かなければならない人間がいた。

 

 葉留佳の知らない、すべての真実を知っていた人間。

 そして、いざとなったら間違いなく味方になってくれる人間がいたのだ。

 

 予め連絡しておいた時間となり、深呼吸をして()が普段使用している第四理科室の扉を開けようとしたが、鍵がかかっているのかガチャリという金属音がたてられた。

 

「……周囲には誰もいないな?ならそのまま跳んで入ってこい。三メートル先の空間には何も置いてないさ」

 

 声がドアの向こうからかけられて、葉留佳は周囲を見渡して誰一人いないことを確認して『空間転移(テレポート)』を実行した。ドアを空間から飛び越えて入った理科室の中はカーテンも閉め切られていただけにしては暗く、ほどんと何も見えないような状態であったが、暗闇の中から目的の人物は現れた。

 

「そういえば、お前にはちゃんとした自己紹介をしてはいなかったな。なら、改めて名乗るとしよう」

 

 話を聞きに行ったとして、ちゃんと話してくれるのか不安な葉留佳であった。無理やりすべてを聞き出すようなことを目の前の相手にはしたくなかったため、どこか顔色を窺うような形になってしまった。

 

「牧瀬君……」

「牧瀬?ふん、そんなものはこの世を忍ぶための仮初の名前にすぎん。いいかよく聞け。我が名は喪魅路(モミジ)ッ!世界で最も偉大な科学者の名前を受け継ぎしものであり、四葉(よつのは)ツカサを相棒に持つ者ッ!」

 

 けれど、葉留佳の不安を吹き飛ばすように、牧瀬紅葉は宣言する。

 

「お前がここまでたどり着くこの時をずっと待っていた。さぁ、お前がかつて欲した現実を与えてやる」

 


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