Scarlet Busters!   作:Sepia

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Mission111 家族の年月

 

 来ヶ谷唯湖。

 二木佳奈多。

 牧瀬紅葉。

 三人ひとまとめにして『魔の正三角形(トライアングル)』。

 

 教務科(マスターズ)からは第二学年の筆頭問題児たちという認識を受けているものの、理樹やキンジといった一般の生徒たちからしたら実のところ問題児だという認識はあまりない連中である。なにしろ彼らは学校の授業など気にもせずに委員会の仕事など自分のための時間にすべて費やしているため、そもそも面識を持つことがない。そのうえ実力があっても何かいちいち口出しをするといった直接的な害なんてなにもないため、教務科(マスターズ)から問題児として扱われているのが逆に理解できない連中だって多い。教務科(マスターズ)の言うことなんてきいたふりをしているだけの輩だって武偵高校には大勢いるのだ。現に二年Aクラスの人気者である理子でさえ、教務科(マスターズ)からは問題ばかり起こす生徒として目をつけられている。意にそわないということは彼らに限った話ではないのだ。生徒会長の星伽白雪のように、教務科に従順な姿勢を見せているような模範的な優等生なんてそうそういないのだ。

 

 だが、そんな感想を抱くのは直接的な面識を持たない奴が思うことだ。

 

 来ヶ谷唯湖の事実上の副官みたいなことを東京武偵高校でやっていて、なおかつ二木佳奈多の実の妹である三枝葉留佳にとっては、教務科(マスターズ)が彼女たちを問題児だと認識するものも何となくだが分かる気がした。おそらく彼女たちと最も深くかかわった人間は葉留佳だろう。葉留佳としては、別に二人に嫌な気持ちはない。二人が自分のことをどう思っているかは別として、葉留佳は佳奈多も姉御も大好きだ。だが、それはあくまで身内としての視点。情報科(インフォルマ)の主席だとか諜報科(レザド)の主席だとか、そんな武偵としての実力なんて関係なくこの二人は絶対に敵にしたくないとも心から思うのだ。味方ならとてつもなく頼もしいけど、敵にしたら勝てる気がしないというのが率直な感想である。二人とも大好きだから戦いたくないということもあるが、別に自分じゃなくてもこいつらに勝てる奴がいるのかとか疑問に思っていた。

 

 ゆえに姉御と佳奈多と同列に扱われている人間も、きっとすごいけれどどこかおかしい人なのだろうと勝手な想像を抱いていた。

 

 葉留佳が覚えている限りで牧瀬紅葉と初めて会ったのは、アドシアードの後に姉御と一緒にアメリカへと行ったとき。ボストンの街に一人で散歩がてら出歩いてみて、迷子になった時に会ったあの時が初めてのはずだ。牧瀬くんに案内される形で宿泊しているホテルまで戻ってきたときに姉御に牧瀬くんが『魔の正三角形(トライアングル)』の一人だと教えてもらったとき、実は相当驚いたことを覚えている。なんというか、そんな問題児だとか言われるような人間には見えなかったのだ。いたって普通の人間に見えたのだ。

 

 普通というのは平凡、という意味ではない。

 

 もちろん能力的には装備科(アムド)のトップとして君臨しているが、話しかければ普通に分かるように答えてくれるし、相談をしたら親身になって親切に応答してくれる。才能にかまけて他人を見下すような自分本位の人間ではなく、相手の気持ちを考えることのできる人。嫉妬があればその感情を隠しもせずに堂々と口にするような、裏表のない素直な人間。

 

 そんな風にすら勝手なイメージとして思っていたから、葉留佳にはどうして牧瀬紅葉が教務科(マスターズ)から姉御や佳奈多と同レベルの問題児扱いされるような人なのか全く分からなかったのだ。

 

 けれど、牧瀬くんがツカサくんの相棒で。

 自分が追い求めていた真実をすべて最初から知っていた人間だと知ればまた話は別だ。 

 今もまだ牧瀬くんがどうして問題児の一人なのかはよく分からないけど、自分はまだ牧瀬くんのことを評価できるほどよく知っていたわけではないんだな、と思った。

 

 当然だ。

 たった一人の家族だと思っていた、私にとって一番の人の本心すら察してやることができなかったのに、他の人間のことなんてどうして分かるというのだろう。それに、昔の自分は佳奈多以外の人間のことなんて気にかけようともしていなかったと思う。

 

「ねぇ牧瀬くん」

「なんだ」

 

 私と牧瀬くんとは一体どんな関係なんだろうか。

 友達――――――――いうのは違う気もする。

ついこの間までは姉御を通して知り合った仕事仲間、みたいなものだったはずだ。

 それも、自分の仕事仲間ではなくて、姉御の仕事仲間。

 せいぜい面識があるけど、詳しくは知らないという程度の関係だったはず。

 

「牧瀬くんはツカサ君の相棒だったんだよね。だったら、私のことも最初から知っていたの?」

 

 けど、牧瀬くんはきっとそうは思ってはいなかったのだろう。

 葉留佳は牧瀬のことを知らなくても、牧瀬は葉留佳のことをずっと前から知っていた。そして、葉留佳に対していろいろと何か思うところがあったはずだ。

 

「ぶっちゃけ俺はお前についてはほとんど知らない。お前と直接話をしてみたのはアメリカで会ったあの時が初めてだ。その時まで人となりは聞いていても、実際どんな奴なのかは知らなかった。俺が知っていたのは、お前はあいつらにものすごく愛されていたということだけだ。……まぁ、ツカサの場合はお前たち姉妹が好きだったというよりは姉妹の愛情そのものを愛していたって言った方がいいような気もするが」

「…………」

「だから事実だけを簡潔に言うと俺はお前が一番知りたかったことを最初から知っていて、知りながら黙っていた」

「それってつまり……」

「二木がどうしてあんな事件を起こしてイ・ウーに入ったのか。その理由も、あいつがどういうことを思っていたのかも全部わかっている」

 

 私が一番知りたかったことは、佳奈多が私のことを一体どう思っているのかということ。

 昔は愛されているんだという自信があった。

 一族の中での立場などなかった私には、佳奈多の重荷でしかなくいない方がよかったのではないかと不安によく思い、ツカサくんがよくどれだけ佳奈多が私のことが好きなのかを教えてくれたりもしたのだ。

 

「正直ブチ切れられても何も不思議じゃないと思ってる。それだけのことはしたしな。一応聞いておくけど、俺のことを恨んでいるか?」

「そりゃ驚いたけど……なんというか、正直よく分からないや」

 

 佳奈多から牧瀬くんがツカサくんの相棒だったと聞かされたとき、あの野郎と思ったことは事実。文句の一つでも言ってやろうと思っていたはずなのに、実際こうして直接話をしてみたら前に理子がイ・ウーだと知った時や、親族の人間を前にした時のような怒りは全くわいてこないのだ。心の底から湧き上がってくるのは怒りというよりは純粋な疑問ばかりである。

 

「牧瀬くんがアメリカで理子りんに協力しようとしたのは、パトラが私を前にどんな反応を示すのかを確認することと、いざとなったわ私をイ・ウーから守るためだってお姉ちゃんが言ってたけど、本当?」

「あいつそんなこと言っていたのか。別に嘘じゃないがそれだけがすべてじゃない。パトラは俺にとっては、相棒の敵であることは変わらないんだ。実際にこの目で直接見て見たいと思ったことも確かだし、お前があの時いなくても知っていたら何かしらしたとは思う」

「親族の男が、私の超能力に仕掛けをした奴がいるみたいなことを言っていたけどさ、牧瀬くん私に何かした?」

「前に一緒にバイクに乗って狼を追いかけたときがあったろ?あの時に俺はあの工事現場で三枝一族の男と遭遇しているんだよ。あの時に俺があいつを倒せれば何も問題なかったんだが、どうにも勝算が皆無だったからハッタリで逃げ切ったけど、狙いがお前であることを警戒して一応の保険として俺が超能力に細工した。帰りにぐったりとして公園で寝込んでしまったのはそれが原因だ」

「お姉ちゃんが、もともと私は牧瀬くんの委員会に入る予定だったって言ってたけど、それは一体どういうこと?」

「それはそのままの意味だ。俺の相棒が残しておいた置手紙の内容は、委員会というものに関わらせて組織というものを実感としての理解を得ることを目的としていたものだ。二木が公安0という組織の中で、責任という言葉のもとに、どれだけの実力があっても好き勝手にできるような立場じゃなかったことを分からせたかったんだろうな。そして、東京武偵高校という環境の中でそれだけの影響力があるのは俺しかいない……はずだった。そういう意味では来ヶ谷はいろんな意味で俺たちの思惑をズラしてくれた」

「姉御?」

「俺がツカサの相棒だったことから推測ができていると思うが、俺は中学時代にインターンとして東京武偵高校にやってきている」

「そういえばお姉ちゃんとツカサ君って中二の時点で武偵高校の方に行っていたっけ」

「あぁ、俺も実はそうだ。俺の主な接点はその時からだ。同じく中学生のインターンということで会う機会も多かったし、何かといろいろ一緒に行動することが多くなっていた。だから前からどういう人間が先輩として東京武偵高校にいるか把握できていた。けど自分の委員会を持つような奴がやってくるなんてことを想定してなかったんだ。だが、それは俺たちにとってよりよい結果を生んだ」

 

 葉留佳自身、佳奈多の手がかりは四葉ツカサの残したメッセージしかなかった。

 それに縋るような形で東京武偵高校にやってきた。

 メッセージに書かれていた、自分のやるべきことは二つ。

 一つは自分がこの超能力テレポートを使いこなせるようになること。

 もう一つはどこかの委員会というものに関わること。

 

「なによりもお前との間にある接点を隠し通すことができる隠れ蓑となってくれたことはとてもありがたかった。ツカサが俺に対して求めていたことは、来ヶ谷がすべてできることでもあったために俺は目立たずにすんだんだ。三枝一族の生き残り。その言葉の意味はお前がどうとらえているかは分からないが、動向を気にしている奴が結構いたはずなんだ。パトラだって、お前とは関わりたくなかったようだろ?」

 

 自分の動向が気にかけられていたことに対してそんなはずはない、とは言い切れなかった。今となって思えば、イ・ウーは私と関わりたくないと思っていたのではないだろうか。過大評価かもしれないけど、私はおそらくイ・ウーにとっては天敵となる存在だ。

 

 理由として上がるのは双子の超能力者(ステルス)の超能力共有現象。

 つまり私が死ぬと佳奈多は一人の完全な超能力者(ステルス)として覚醒する。

 それは佳奈多の敵である人間こそ、私には死んでもらっては困る立場にあると言える。

 

 分かりやすいのがパトラだ。パトラでさえもアメリカで遭遇した時はすぐに撤収を決めたのだ。

 空間転移(テレポート)という超能力が暗殺に適した能力である以上、手加減などしようものなら深手を負わされる可能性もあったはず。

 

(私の『空間転移(テレポート)』は、刃物で刺されれば死ぬような相手ならばどんな奴相手でも決して勝算が消えることのない能力だ。そんなやつが、自分の敵になる可能性があった時に一切動向を気にしないなんてことはあるはずないか)

 

 そんな中、自分が牧瀬くんと接点をいきなり持ったら周囲からはどのように思われるだろうか。

 幼馴染の友達だった、といかいう適当な理由でクラスメイトを納得させることはできたとしても、牧瀬くんとツカサくんの接点がバレてしまう。

 

 いや違うか。牧瀬くんとツカサくんの接点なんて、中学時代を知る者ならば知っていることだ。

 

 ここで明るみになりたくないのは、牧瀬くんがツカサくんとの関係が深かったことだろう。なにせ、あの事件の真相を最初から知らされていたような人だ。思わぬところで隠しておきたい秘密が公になってもおかしくない。それでも必要なこととして私と接触するつもりだったのだろうが、最初から別の人間がやってくれるというのならリスクをおかさずにすむ。牧瀬くんと私の直接の接点を調べても出てこない以上、牧瀬君は影で何かしようとしてもそうそう疑われにくい立場にあるのだ。

 

(そういえば、姉御は前に誰かに見られているような気がするって言っていたっけ)

 

 まだ姉御と出会ったばかりのころだ。

 いろいろと話をするようになって一緒に行動することが日に日に多くなっていた中で、姉御はある日視線を感じるということを口にしていた。当時の葉留佳はその監視対象が姉御だと思って疑わなかった。なにせイギリス清教の人間とつい最近まで一般中学に通っていた人間とでは重要度がまるで違うだろうというような認識だったのだ。姉御の発案ですぐに東京武偵高校を離れ、『ハートランド』という場所に連れて行かれた。もしかしたら、姉御は私が超能力を自分の意思で使えるようになるまでは誰にも邪魔はさせたくないと考えたのかもしれない。東京武偵高校に戻ってこれたのは半年近くたってからだったけど、その時にはもう私は自分で超能力(テレポート)を自在に使えるレベルまでにはなっていた。

 

「正直に言うと、お前がイギリス清教の人間と接点持ったのは奇跡に近かったんだ。おかげでお前に関する思惑は、来ヶ谷が暗躍しているだなんて認識ができた。たぶんイ・ウーは、お前と関わるときに来ヶ谷の動向を気にしたはずだ」

「確かに理子りんがアメリカでのことを最初に話として持って行ったのは姉御だったね。でも姉御はそんなことは」

「思ってない。分かってるさ。来ヶ谷にはお前を利用して何かやってやろうだなんて思惑がないんだろう。知り合った友達のことを助けてやりたいと思っただけなのか、それともホントはなにか企んでいたのかもしれないけど、周囲の人間からしたらお前と来ヶ谷の見えざるラインが怖くて仕方がないのさ。今さら俺がどうこうするようなことは意味がなかった。それならそうと俺がお前と関わらないことで、俺と相棒とのラインを切れているように見せかけたかった。現に、東京武偵高校にいる公安0の関係者が俺から相棒の居場所を探ろうと何かと探りを入れていた」

「公安0の関係者?そんな人がいたの?」

「別に今は知らなくてもいい。むしろ、知っていて変に態度に出たら嫌だから今は教えない。なに、二木の風紀委員会の内部にいる奴じゃないから安心しとけ。必要となったらこっちから教える。ツカサが失踪しているのはイ・ウーは実質無関係で、公安0が二木を標的としないための一つの方法なんだよ。もし、二木を公安0の裏切り者として始末しようとするなら、その後で公安0の機密を知っている限りバラして嫌がらせするつもりなんだ。あの事件のことを二木が罪に問われていないのはそれが公安0から与えられた任務でもあったからなんだが、信用できなかったから保険を打っといたんだ。だから俺とツカサが障害として想定していたのはイ・ウーというよりは公安0の方だったんだ」

 

 もし今も牧瀬紅葉が四葉ツカサの相棒であり続けていて何か隠していることがあるのなら、葉留佳と関わり合いを持つはずだ。第三者がそう思うのは当然だし、最初はそれも仕方のないことだとして割り切っていた。牧瀬紅葉自身の計画としては、相棒が突如失踪してしまったら行方の手がかりを求めてその関係者である葉留佳と面識を持った。そんなシナリオで行こうかと考えていたのだ。

 

 だが実際来ヶ谷唯湖という存在が牧瀬紅葉のやるべきことを代わりに行うことができる状態になった以上、中途半端に情報だけを出すラインをつなぐぐらいならいっそ断ち切っていた方が有意義だと判断したのだ。実際葉留佳自身も、間接的とはいえ牧瀬紅葉が味方となってくれるだけのつながりがあったことを今まで気づかなかった。

 

(ツカサ君が失踪した理由も、お姉ちゃんがイ・ウーに入った理由も今となったらすべて説明がつく。むしろ他には考えられないような理由だ。それに牧瀬くんの立場からだと、それが最善手のような気もする)

 

 理屈はなんとなくだが理解できる。理解できるのだが、

 

(それでも、それならそうとやっぱり私は教えてほしかったよ牧瀬くん)

 

 葉留佳の心のどこかで、どうして黙っていたんだと思う気持ちがあった。

 きっと理屈で反論はできない。科学者である牧瀬紅葉は、葉留佳のどんな反論も現実的な状況に照らし合わせたリスクを提示して否定してくるだろう。それが分かるから言葉に出して反論をしていこうとは思わなかった。反論していく場合、きっと感情論により牧瀬くんを責めていくのだろう。

 

 そして、牧瀬くんは何一つとして反論せずに、受け入れてしまうのだろう。

 ここまでで分かった確かなことが、私は大事にされていたのだということだ。

 お姉ちゃんも、ツカサ君も、牧瀬くんも、姉御だって私のことを想い、守ろうとしてくれていたのだ。

 そのことに気づけなかったのは、誰でもない私自身。

 

「……どうした?」

「なんか、私はいろんなことが見えていなかったんだなって」

「それは仕方がない。一番大切なものがかかっているなら他のことなんて頭になくて当然だ」

「それでもさ、今となったら見えてくるものも結構あるんだよ。ねぇ牧瀬くん」

「なんだ?」

「私は、どうするべきだったんだろうね」

「何か後悔してることでもあるのか?お前には悪いけど、俺はこれでよかったと思っているんだ。こんなこと言うと二木は怒るだろうしお前だって気に食わないだろうけどさ、前までの状態よりはずっといいと思ってる」

 

 葉留佳はずっと、佳奈多さえいてくれたらいいとばかり思っていて、これまでずっと佳奈多を取り戻すことだけを考えていた。武偵となって行動していく過程で姉御のような大切に想える人と巡り合えたけれど、最終的には葉留佳の指針はぶれなかっただろう。だが今は違う。一番は佳奈多で、他は切り捨ててもいいと考えていたけれど、私は佳奈多以外にも家族を大切に想うべきだったのかもしれないと思い始めていた。

 

『愛そうとさえしなくて、ごめんなさい』

 

 佳奈多が叔父にかけたこの言葉が、今も葉留佳の頭にちらつくのだ。

 お姉ちゃんは、親族たちのことを手にかけたことだけではなく、そもそも愛そうとさえしなかったことに謝罪する気持ちを持っていた。

 

 はっきり言って、過去の自分があの連中を愛せたとは思えない。

 もう一度過去に記憶を持ったままさかのぼっても、あいつらには無性の愛情なんて捧げられない。

 でも、今からでも愛そうと思える人間は残っている。父と母がまだ残っている。

 困った時はいつでも帰ってきておいで、といってくれている生みの親。

 

「かなたはね、愛そうとしなくてごめんなさいって叔父に向かって言ったんだよ。あんな奴ら、どうなったっていいはずなのに……かなたがそんなこと言うことはないのに」

「………そうか」

「かなたがそう思っていても、わたしはあいつらを愛せない。愛したくない。でもね、私は愛そう思ったとしてもそれができる気がしないんだ」

「どういう意味だ?」

「私には両親がいる。いつでも帰ってきていいんだって言ってくれているけれど、あの人たちとの食事がおいしいと思ったことはないんだよ。いつ食べても味のよくわからない空虚なディナーになってしまうんだ。それはきっと、わたしに問題があるからだと思う」

 

 母と父、そして私。

 かつてお姉ちゃんとの描いた夢は、こんな一族とは縁を切って家族を想える人間と仲良く暮らしていくこと。

 一人欠けているけど、その夢は殆どかなっている。

 もはや一族からの束縛なんてものはないし、両親は私のことを嫌ってはいないことは確かだ。

 なのに、温かなものをならないのはどうしてだろう。

 問題があるとしたら、私しかないはずだ。

 

「ねぇ牧瀬くん。私は心のどこかで、生みの親すら愛していないのかもしれない。いや、心のどこかでは憎んでいる。どうして私たちを捨てたんだ。最初から私たちをあの家から連れて逃げてくれればよかったんだと思っている心がある。あの人たちがお姉ちゃんと同じような存在になれるとはどうしても思えない。そんななのに、私も両親を愛するべきなのかなぁ。無理にでも好きだよって言うべきなのかなぁ」

「それは俺に聞くことじゃないよ。どうしたいのかなんて、とっくに結論が出ているんだろう?」

「…………」

 

 牧瀬くんの意見に対し、私は何も言い返せないでいた。

 分かっている。分かっているんだ。相手がどんな人間であれ嫌わせれて平気な人なんていない。

 嫌われるよりは好かれる方がずっといい。家族との穏やかな食事の時間を取りたい。

 そう思っているのに、どうしても反発してしまうのだ。

 

 ――――――――そんな取り繕ったような言い方をしないでッ!!

 ――――――――そんな、私の気分をいちいち気にかけるようなことをしないでよッ!!

 

 とてもじゃないが、穏やかに過ごすことなんてできない。

 一分一秒でもいいから早くこの家から出ていきたいと思い、飛び出して家を出てはもうちょっといるべきだったなんてことを思って後悔する。そんな矛盾に満ちた気持ちを抱えることになる。何ともいえずにいた葉留佳に対して、牧瀬くんが言うのはある一つの事実であった。

 

「実を言うと、俺は母さんのことを疎ましいと思っていた時期がある」

「……え?」

「一人前の科学者を堂々と名乗れるくらいになってしばらくしてからさ、何をやっても母さんの名前が出てくるんだよ。いくら天才科学者として認識されようとも、それ以前の認識としてさすが牧瀬教授の息子さんですねって言ってさ。何をしても世紀末の天才科学者の母さんの息子だからって色眼鏡で見られてしまった。俺は一時期それが嫌で嫌でたまらなくて、母さんにしばらくそっけない態度を取ってしまったんだ。きっと俺がどんなことを思っていたのか、母さんには想像がついていたんだろうな。夜中にふと目覚めたある日、俺に心から嫌われてしまったと思ったのか母さんが夜中にこっそりと一人で俺の名前を呼びながら泣いていたことを覚えている」

「…………」

「昔から父さんとはほとんど会うことはできなかったけどさ、幼い俺の周りには優しい人はいっぱいいた。似た境遇の姉さんは俺を連れていろんなところに連れて行ってくれた。神社に言ったらいい運命の占いを示してくれたお兄さんもいたし、新聞記者をやっていくうちに知ったというおもしろエピソードを聞かせてくれた不器用なお姉さんもいた。人懐っこい笑顔を浮かべて接してくれた人もいたし、聖母のように包み込んで泣かせてくれた人もいた。だけどさ、たくさん家族だと思えるような人が俺にはいてくれたけどさ、やっぱり俺にとっての母さんは一人だけだった。どんな理屈を並べてもやっぱり家族として過ごしてきた時間は嘘は言えないんだよ。たとえ愛憎が入り混じっているとしても、やっぱり俺は自分の母さんのことが大好きなんだ」

「でも……私にはその時間がないんだ。私には……」

「時間が、思い出がないなら今から作ればいいさ。二木のことが大好きなんだろう?そう思える関係を16年かけて気づいてきたなら、今からまた16年かそれ以上の時間をかけてでも家族の時間を築いていけばいい。いきなりはそりゃ、本当の家族にはなれないさ。家族というのは血のつながりだけじゃない。血がつながっていなくても家族と思える人間だって俺にはいるんだ。だったら、血のつながった親子ならそう不可能なことじゃないさ。いきなり結果を求めるのは酷なことだろうよ」

「でも、いくら時間を重ねても、今の状態が改善できるとは……」

「家族というのは、いてくれるだけでもうれしいもんだ。特に会話なんてしなくてもいい。傍にいてくれるだけでいい。二木がお前の家族だっていうのなら、そうじゃなかったか?あいつ、中学時代は家で妹が待ってるから早く帰りたいとか何かあるごとに言い出してたんだぞ」

「……うん」

 

 お姉ちゃんと家族としての時間を過ごせたのは、四葉の屋敷での半年くらいの時間しかない。

 それまではお姉ちゃんとは住む家も違っていて、顔を合わせることだって一か月に一回あればいい方だった。一緒に暮らし始めたとしても、公安0であったお姉ちゃんは仕事が忙しくて家にいられないときも多かったし、私も学校に行き始めていたから二人の時間がたいして取れなかった。

 

 ――――――――はるか、おはよう。

 ――――――――おはよう、お姉ちゃん。

 ――――――――髪が寝癖で変なことになっているわよ。今からなおしてあげるから早く座りなさい。

 

 それでも。

 

 ――――――――それじゃ、学校に行ってきます。

 ――――――――行ってらっしゃい。忘れもののないようにしなさいね。

 ――――――――大丈夫だよ、ちゃんと昨日のうちに確認したから。

 

 わたしは、

 

 ――――――――おやすみなさい、はるか。明日もまた学校なんだから、早く寝なさい。

 ――――――――うん、お休み。お姉ちゃんもまたお仕事頑張ってね。

 

 ちょっとしたやりとりだけでも、十分すぎるほど幸せだったんだ。

 この生活は、最初からできたことじゃない。

 お姉ちゃんが努力して努力してようやく作り出した生活だ。 

 それをいきなり家族の時間を過ごしたことのない人たちと再現しようなんて無理に決まっているのだ。

 

「そりゃ、今までの積み重ねのない人間がいきなり家族としての時間なんては望めないだろうよ」

「うん」

「最初はただその場にいるだけでいいんだ。何も話さなくてもいい。近くにいる。いてくれる。それだけでうれしいもんだし、事実俺はうれしかった」

「……うん」

「最初は友達を連れて遊びに行って自分の部屋にでもこもっていればいいさ。そうしたら向こうも気を使って変なことはしないだろう」

「…………うん」

「友達と料理の練習だってことでキッチンを借りたいとかいう口実で家に行ってみたりしてさ、いつかは家族に自分の手料理の一つでも食べてもらう。そんな未来があってもいいんじゃないか」

「………………うん。いい、すごくいいよ」

 

 今はまだ、会話一つするだけですごく気を使う。でも、家族ってそういうものではないだろう。

 敵と交渉しているわけでもないんだし、気軽な気持ちでいられるのが一番のはずだ。

 だから牧瀬紅葉の語ったある種の未来が、葉留佳には理想的な光景に見えた。

 どうせ何をやってもダメなんじゃないか、なんてネガティブなことを思う葉留佳であったもやってみたいなと思える程度には素敵な一つの未来の形であった。

 

 だから、葉留佳は言う。

 

「じゃあさ、牧瀬くん」

「ん」

 

 少なくとも葉留佳にとって牧瀬紅葉は私の味方だと思える人間になっていたのだ。今まで牧瀬くんが知っていて黙っていたことに対する罪悪感につけこむわけではないけれど、これくらいのわがままはいいだろう。今の牧瀬くんはあくまでもツカサ君の相棒だから私のことを気にかけてくれているのだろうけど、私の友達だから心配してくれるような人になってほしい。友達の友達のような、第三者を挟んだ関係ではなく直接的な関係がいい。だから言う。

 

「牧瀬くんが、私に料理を教えてよ」

「――――――――――――ファッ!!??」

 

 

 

 

 

 




冷え切った家族の食卓へとご招待。

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