遠山キンジはアリアを抱え、走っていた。
彼はアリアをお姫様抱っこで抱えている。時と状況次第ではロマンチックなのだろうが、
「・・アリア!しっかりしろ!」
現実は最悪だ。
アリアは軽い。でもそれは、彼女が脱力しきっているから。
(はやく手当てしないと・・・)
あの武偵殺しは直枝が引き止めてくれている。だが、彼一人でなんとかなる相手とも思えない。イギリスが予約したアリアのスィートルームに逃げ込んだキンジは彼女をベッドに横たわらせる。血まみれの顔面をタオルで拭き、
「う・・・っ・・」
キンジは見てしまった。
アリアのこめかみの上の、髪の中には深い傷がついている。
(まずい。側頭動脈がやられてる)
頸動脈ほどの急所ではないにしろ、命に関わることに違いはない。
「しっかりしろ!傷は浅い」
嘘をついた。
本当は傷は深く、キンジは本音を言うとどうしたら分からず、逃げ出したかった。直枝から渡された医療セットに入っていた止血テープでアリアの傷を塞ごうとしても、その場しのぎにしかならない。
アリアは力無く笑った。おそらく彼女にはキンジがついた優しい嘘がバレているのだろう。
「アリア!」
キンジはキレ気味に、武偵手帳のペンホルダーから『Razzo』とかかれた小さな注射器を取り出す。
「ラッツォいくぞ!アレルギーは無いな!?」
「・・・・・な・・ぃ」
ラッツォとは、アドレナリンとモルヒネを組み合わせて凝縮したかのような一品。
つまり、気づけ薬と鎮痛剤を兼ねた復活薬。
「ラッツォを心臓に直接打つ薬だ。いいか、これは必要悪だぞ!」
彼は、アリアの小さな身体にまたがるようにベッドに上がる。
瀕死のブラウスのジッパーを乱暴に下ろし、打とうとする。
「アリア、聞こえてるか、打つぞ!」
けど、彼女は答えない。
ピクリとも動かない。
なんでかって?
アリアの心臓の鼓動が――――止まっているからだ。
「――――戻って来いっ!」
迷いは失敗を生む。だからキンジは殴るように注射器を突き付け――――――
「――――!」
びくん、とアリアが反応した。
「う・・・・!」
薬の激しい威力に、可愛い顔が歪む。
キンジはアリアが苦しむ姿を見て、
(――――よかった)
一安心した。
アリアが薬で苦しんでいるということは、アリアが紛れも無く生きていることを表しているから。
生きている。
生き返った。
だが、まだ安心はしてはいけない。まだどうなるかなんて分からない。
(さて、どうなる?)
「・・・・って、え!? ななな何これ!む、胸!?」
アリアは上半身を起こすくらいまでには回復したけれど、
「キキンジ!またアンタの仕業ね! こ、こ・・・こんな胸、なんで見たがるのよ!イヤミのつもり!小さいからか!どうせ身長だって万年142センチよ!」
薬のせいか、記憶が混乱していた。
「お前は理子にやられて、俺がラッツォで―――」
「りこ・・・・理子――――ッ!!」
錯乱者は自分の胸に突き刺さった注射器を見て悲鳴をあげ、強引に引っこ抜き、服を整え、フラフラした様子で部屋を出ていこうとする。
(まずいな)
ラッツォは復活薬。しかし同時に興奮剤。
目の前の千鳥足は正気を失い、戦略把握が出来ていなかった。
「待てアリア! 理子は今直枝がなんとかしてくれている! あいつが稼いだ時間を無駄にするんじゃない!」
「そんなの関係ないわ! 理子を倒せるやつなんて、この飛行機には私しかいないわ!」
「静かにするんだアリア!チームワークが働いていないとバレる!」
一人であの凶戦士に勝てるとは思わない。だからこそのチームワークなのに、
「構わないわ! あたしはどうせ
キンジを睨むその瞳は激しい興奮を潤ませている。到底落ち着かせることもできそうにはない。早く直枝のところに行かないと行けないのに。
「あんた、あたしのこと嫌いなんでしょ!? あたしは覚えるんだから!」
なぁアリア。
どうしたらお前のことを黙らせることができるんだい?
両手はアリアの銃を押さえるのに使ってる。
仮に手を離したらアリアは邪魔者を撃ち、すぐに部屋を出ていくだろう。
この状況をなんとかする方法は――――
(・・・無くはない)
遠山キンジには最後の手段がある。でもそれは、
(・・・ヒステリアモード、か)
嫌な思い出がある、最愛の兄を破滅させたあのモード。
自分からは絶体になりたくなくあの状態。
だけど、
(―――背に腹は変えられない!)
このままだと、どうなるのだろう?
直枝が理子を、なんとかしてくれるのを信じるか?
いや、それは信じるということではない。
単なる押し付けだ。
少なくともこのままだと、アリアは殺されてしまう。それだけは、
(絶対にいやだ!)
アリア、許してくれ。
「あたしは覚える!アンタはあたしのこと嫌いって言った!あたしがパートナー候補だと思ったやつは皆そう! リズも、きっと本心ではあたしのことなんて――」
喚く独唱曲の口を、キンジは。
口で塞いだ。
「――――――!!!」
(・・・これは諸刃の剣なんだよな)
桜の花びらみたいなアリアの唇は、柔らかくて。
キンジの全身へと火炎を広げた、
(――――ドクン)
体の中心がむくむくと強張り、ズキズキと疼く感覚。
(―――こんな猛烈なヒステリアモードは、生まれて初めてだ)
彼らは口を離し、同時に息を継いだ。
(アリア。許してくれ)
「・・・か・・かざあ・・にゃ・・」
ふら、ふららと恋愛苦手独唱曲はその場にへたり込んでしまう。
「・・・ファーストキス、だったのに」
「安心しろ。俺もだよ」
ヒステリアモードの彼は、屈み、彼女に視線を合わせていた。
「どんな責任でもとってやる。でも、仕事が先だ」
いつもより低く、落ち着いた声。アリアの表情が変わる。彼女は何かを、おそらくはチャリジャックにて初めて会った時のことを、思い出しているのだろう。
「武偵憲章一条。仲間を信じ、仲間を助けよ。俺は、アリアを信じる」
二人で協力して、武偵殺しを倒そう。そう思う一方、ヒステリアキンジには気掛かりがあった。
理樹だ。
(直枝はどうなった?)
●
直枝理樹では武偵殺しには勝てないだろう。キンジも、理樹本人でさえ、そう思っていた。けど、そんな前評判を覆し、理樹はリュパンの襲名者の前に立っていた。策略を立て、襲名者に全力の一撃をお見舞いした。だが、それだけだった。彼はそれ以上のことをしようとはしなかった。
「・・・」
「・・・ねぇ、理樹くん」
当然、武偵殺しである襲名者は顔面に一撃拳をくらった程度では倒れはしない。そんなことは分かりきったことなのに、
「・・・何?」
理樹は追い撃ちをかけず、チェックメイトだとマグナムを突き付けることもしなかった。
理子は大の字でひっくり返ったまま、
「・・・どうして?」
理由を尋ねる。
理子にとって、不可解なことが多すぎた。
だが、
「どうしてって・・・何が?」
馬鹿は首を傾げていた。
「私が起き上がってもう一度戦えば―――理樹くんは負けるよ? 殺されるよ?」
「だろうね」
意に介した様子も無く、馬鹿は返答した。だって、
(・・・紛れも無い事実だしなぁ)
事実を否定するつもりはない。恭介に言われて自分に宿る超能力のことは先生方にも隠してきた。
知っているのはリトルバスターズの皆だけで、たくさん協力してくれた来ヶ谷さんにすら言ってない。今理子に一撃を与えられたのは単純に、理子が彼の能力を知らなかったからにすぎない。理樹が何かしらの超能力者だとバレた以上、今からもう一度戦えば警戒されて理樹の敗北は揺らがないだろう。
でも、
「仮に僕に君を倒せたとしても意味がないからね」
理樹は理子がキンジたち二人と戦っている姿を見て、こう思っていたのだ。
あぁ、理子さんを倒すなり逮捕するなりしても、意味がなさそうだなぁ。
「僕は昔に恭介に救われたことがあってね。僕は恭介みたいに誰か救いたいと思って武偵になったんだ」
あの1番つらかった日々。両親をなくしてすぐの日々。
だけど、恭介に出会って一変した日々。
僕はいつしか、心の痛みを忘れていた。
こんなこというとアリアさんたちに殺されそうだけど、と彼は前置きして、
「……僕が救うべきと思ったのは君なんだ。リトルバスターズに救われた僕が今度は同じように誰かを救っていいたいんだ」
今の理子を逮捕しても、彼女は世界を呪ったまま生きていくだけだろう。そんなのは嫌だ。
「………ねぇ、理樹くん。今から私が君を殺そうとしたらどうする?」
「君はそんなことしないでしょう?」
経験がある。だからわかる。
誰かに認めてほしいのなら、僕が認めてあげればいい。
誰かの助けが必要なら、僕が助けてやればいい。
「僕の言うことが単なる綺麗事に聞こえるかもしれない。この場を説得すらための言葉に聞こえるかもしれない。だけどさ、」
だけど、
「今の君には、バカみたいな綺麗事すら眩しく聞こえるはずだ」
僕を救ってくれた人達はバカだった。
でも、覚える。
彼の姿は、今の僕を形成するほど眩しかった。
●
理子はバカがバカなことを言うのを聞いた。
(……眩しく映る、ね)
確かにバカがいってることは事実だった。
できることならハイジャックなんてしたいとは思わない。
でも、
(……私には私の理由がある)
リュパンの名を越えないといけない。さもないと……自分がどこにもいなくなる。
(でも……)
助けてもらえるたら、救ってもらえたら、どんなにうれしいだろう。
(だったらさ………)
「私が今から助けてと叫んだら、助けてくれる?」
「もちろん」
バカは言った。
「私はイ・ウーを天国のように思ってるんだよ?」
「僕もリトルバスターズを天国のように思ってるから同レベじゃない?」
そして、バカは言った。
「僕がリトルバスターズを大切に思ってるように君がイ・ウーが大切なら……別にイ・ウーをやめろとは言わないさ」
バカは問題発言をする。
僕はバカだからそもそもイ・ウーってなんなのか知らないけど、という問題発言と共に、
「理子さんは理子さんで本当にしたいことを、やればいいんじゃない?」
自分のやりたいように行動し、私を捕まえる気があるのか分からないバカはそう言った。
(……私が、理子が、本当にしたいこと?)
それは。
もし、許されるのならば。応えてくれるというのなら、
「私を助けてよ」
助けてと叫びたい。
そして彼女は、分かったよというバカの返事を聞いた。そして、
「ほら」
この手を掴め、と言わんばかりに手を差し延べてきた。
私はこの手を掴むべきなのだろうか?
(……理子は……)
「ありがとう、理樹くん。……でも」
理子は、差し延べられた手を掴む、だが、
「……え…」
起き上がった瞬間。理樹の腹に強烈な一撃を与えた。
「……り…こ……さん?」
バカは油断しきったからか、その場で倒れ込む。どうして、と彼は呟いた。
(……ゴメンね。うれしかったよ)
でも、理子は一度掴んだ手を離した。
(……君の言うことは正しいよ。だけど、君は弱すぎる)
理樹みたいなことをいうバカがいることに、理子は安心する。しかし同時にこう思う。
君みたいな馬鹿を、死なせるわけにはいかない。
「――――――君みたいなバカには死んで欲しくない。だから」
だから、ごめんね。
下手にイ・ウーを相手すると消されてしまう。
私の抱えているものはそんな危険をともうのだ。
でも、それでも。
「――――君の手を掴めなかったこんな私だけど……、今度助けてくれっていったら、もう一度手を差しのべてくれる?」
私は何を言っているのだろう。なんて未練がましいのだろう。
だけど、
「……それが僕の戦う理由だから、いくらでも」
倒れて未だ起き上がれていないバカは、こんな私にそう言ってくれた。
だからこそ安心して、気を楽にして、
「ありがとう」
そう言える。そして、
「じゃあね」
バカに対して別れを告げた。
伸ばされた手をつかむことはしなかった。