理由は……ある一言が言いたかっただけです。
「さて。こっちはこっちでさっさと終わらせるとしようか」
来ヶ谷唯湖と三枝葉留佳。
この二人の役割はパトラの宿泊している部屋へと侵入して証拠品を探ること。
彼女たちは割とすんなりとパトラが宿泊しているスウィートルームへの侵入を果たしていた。もちろん許可など取ってない。
パトラが国際犯罪者である以上はホテル側に協力を依頼することだってできただろう。
しかし、とても面倒な手順を踏まなければならない。
ここがイギリス国内だというのならまた話は楽だったのだが、ここはアメリカ。
基本的に治外法権の地。
いくらコッド岬がイギリス清教ゆかりの地だとはいえ、ホテルを運営しているのはアメリカの企業だ。
最近は武偵なりすまし詐欺とか流行っているため、正式な協力要請のためにはアメリカ政府に承認をもらう必要がある。そんなことをやっている時間はないし、何より承認が下りるとは来ヶ谷は全く思わなかった。
武偵の基本を構築した人物はイギリス出身の名探偵シャーロックホームズ卿ではあるが、武偵社会というものを現代に作り上げたのは世界のアメリカさんである。
しかし、そんな世界のアメリカさんは魔術業界においての発言力はほぼ皆無。
イギリス清教だとかローマ正教だとか星伽神社とかいう連中にすべて持っていかれている現状を気に食わないとしているだろう。
昔、王室勤務の両親から聞いた話だったか。
アメリカはそんな現状を打破するためにあるプロジェクトを実行しているらしい。
なんでも、今から魔術方面で成長させていくのではなく科学の力を発達させて魔術よりも科学の方が優れていることを証明するとかいう内容だった。
最終的な目標は生まれついての体質は神様と似ているために、魔術を扱う生まれついての天才である『聖人』を科学で武装して倒すことだそうだ。
ありえそうな話だな、と聞いた当時は素直にそう思ったものだ。
実際のところはどうだかわからないものの、辺に迷うくらいならイギリス清教の持つ魔女狩りの特許をつかってゴリ押ししたほうがいいと判断した。
そうして解決した例もいくつも存在する。
特に有名なのは、ヨーロッパのとある国で偽札が発行されていたという事件だった。
国の名はカリオストロ公国。
当時、明白な証拠が明らかになり、国際連合での秘密理に会談まで開かれるという異常事態にまで発展したものの、世界に与える影響力を考慮して出撃命令を出せなかったそうだ。
それどころか委員会連合に対して何もするなという牽制までしたらしい。
インターポールの銭形という男は当時カリオストロ公国で予定させていたカリオストロ侯爵と姫クラリスの結婚式をルパン三世が襲撃するという話を聞きつけ、『ルパンが絡めば天下御免で出動できる』という特許を使って埼玉県警の部下たちとともに強硬突撃した。
同様に。
イギリス清教の来ヶ谷は『魔女』が絡むので天下御免ということで、葉留佳の超能力によりロックという物理的セキュリティをあっさりとスルーして合法侵入させてもらっている。
来ヶ谷としては理子の求めるデリンジャーはパトラ自身が持っているような気がしていたので部屋に何もなくても失うものなど何もないと気楽な感じで突撃したのだが、
「……まさか、こんなところにあったとはな」
来ヶ谷は一本の宝剣を見つけてからあからさまに機嫌がよくなった。
葉留佳は原因となっているのであろう宝剣を見て、きれいな剣だという印象を受けた。
西洋の剣らしく鍔は日本刀のようにシンプルなものではなく、サファイアのように輝く宝石による装飾が施されている。
長さは三十センチメートルくらいだから刀というよりナイフと表現するほうがしっくりくる。刃はフランベルジェのようにジグザグであり、刃は三回曲がっていた。
「それがエクスカリバーってやつですカ?」
「半分は正解だ。こいつはエクスカリバーを作る前の過程で生まれた試作品。言ってしまえば準神格霊装ってところか。こいつは確か、イギリス王室博物館に展示させていたはずがいつの間にか無くなっていたなんて言う意味不明な説明を受けていたんだが……うん、これはうれしい誤算だ。正直EXカリバーンの話は期待しなかったからな」
元々来ヶ谷がアメリカに来たのはイギリス清教からの密命からではなく、一数学者としての実力を買われて学術都市であるボストンから是非にというお呼びがかかったからだ。
休暇中まで仕事したくはない彼女にとって、自分がパトラと戦うという選択肢は最初からない。パトラの滞在が確認できる証拠品でも見つけたら、手柄欲しさに瞑想するローマ正教あたりの神職貴族どもにでも情報売って稼ごうかなとかくらいの成果しか期待していなかった彼女にとって、まさしく予想外の幸運だった。
「え? でも姉御。それって準神格霊装だなんていう貴重なものですよネ?」
「そうだが?」
「ここにおいといていいものですカ? そういう便利なものは携帯しません?」
葉留佳に疑問は最もだろう。
霊装と言ってもピンキリである。
簡単なものはセロハンテープとコップ一つずつでも作れるが、高級なものとなると国家予算すべてを投資しても足りないものまである。
準神格霊装だなんて、この世にいくつあるのだろうか?
そんなものを気軽に部屋に置きっぱなしにしておく神経が葉留佳には理解できなかった。
ナイフとして使用過ぎるには大きすぎるとはいえ、見たところ携帯性が不憫だというわけでもなさそうだ。
「ああ、こいつの場合はちょっと特殊でな。並の霊装みたいに魔力を込めれば発動するなんていうようなわかりやすい霊装じゃないんだ。パトラにとってはきっと、持ち運ぶには不便な金属の刃程度の価値しかなかったんだろう。使えないものを持っていたところで意味はないからな」
神格霊装EXカリバーンはある別名はついている。その名は騎士王の剣。
その名の通り、イギリスの騎士が使うことを前提にして設計されている。
忠義に生きる人間たる騎士のための剣は、自分の欲望のままに魔術をふるう魔女風情に使えていいものではないのだ。
「こいつには特別な使用条件がある。パトラに無理でも私なら問題ないはずだ。……うん、案外手に馴染む。持ち運びをしやすいように後で牧瀬の奴にでも専用の鞘とベルトでも作ってもらおう」
「自分で使う気満々じゃないですカ……。そういえば、向こうの方は大丈夫ですかネ?」
海岸線の方であえて魔術を使うことにより、自分はここにいるとパトラを挑発しておびき寄せるという手はずになっていた。
魔術を使った痕跡は一般の観光客は気づかないだろうがパトラはきっと気づく。
超能力と比較したときのデメリットをうまく活用した方法だ。
「牧瀬君は『伊達に超能力者どもを本気で怒らせて殺させかけてなどいなし、会話で時間を稼げると思う』とか言ってましたケド、牧瀬君って強いんですカ?」
「あいつ呪い解除系統のお札を白衣の内ポケットに大量につっこんでいたから、パトラに呪われてもちょっとくらいなら生きていられると思うぞ。まぁ、本来は外交とか政治系の交渉を本職としている人間として言わせてもらうとすると、知識職の人間に戦闘を期待されても正直困る。そもそもあの厨二病に会話なんてできるのか疑問だな。科学者なんてのは典型的研究職だし……ん?」
言っている最中で実況通信の方に連絡が入っているのを確認した。
・姉 御『トラブったか?』
・大泥棒『モミジの奴がいきなり通信切りやがったんだけど!?』
・姉 御『そんなことはどうでもいい。それよりも目的のデリンジャーはパトラがやっぱ持っていたか?』
・大泥棒『ああ。今どういう状況下今一つ不明だけど』
・姉 御『じゃ、これからはこっちはこっちで好きにやらせてもらうからな。牧瀬の奴は回収しとくし、このまま帰るなり君も来るなり好きにしたらいい。じゃあな』
・大泥棒『あ、おい!?』
言いたいことを言うだけ言って今度は理子の同時期に入っていたもう一方の実況通信を開く。こちらは個人間の秘匿回線だ。
・喪魅路『バレだ。時間稼ぎはもう終わりだ。デリンジャーは回収したし、これからは実験を開始する』
任務了解、と来ヶ谷唯湖は返事を打ち、すぐに葉留佳に告げる。
「海岸線まで飛ぶぞ。行けるな?」
「ラジャッ!」
葉留佳は来ヶ谷の手を握る。
次の瞬間、パトラの部屋にいたはずの二人の姿はどこにも確認できなくなった。
まさに一瞬の出来事であった。
●
コッド岬の海岸線では魔女と科学者が対峙していた。
科学者はあくまでも研究者。
戦闘職の人間ではないので普通に考えたら魔女の方が圧倒的有利だろう。
それにもかかわらず、白衣の少年は何一つとして恥じることなどないとばかりに名を名乗った。
俺は狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院喪魅路、と。
科学者の堂々たる名乗りを聞いて、パトラは楽しげで、それでいて残虐な笑みを浮かべる。
元々科学と魔術は相いれないもの。
この世界の誕生に仕方だって、科学者はビックバンによって生まれたと言い切るだろうし、魔女は神に手で創造されたという意見を覆すことはないだろう。
だから、魔女を前にして科学者を名乗るモミジは度胸があるといえるだろう。
「ほほう、おもしろいものぢゃな。科学者風情が、魔女であるこの妾に歯向かおうとするなんて、今まではいなかったものぢゃしな」
「違う、間違っているぞ魔女。俺は科学者ではない! 俺は正確には混沌を這い寄る狂気のマッドサイエンティストだ!」
「……何が違うのか分からんが、結局のところどちらにしても変わりはない。魔女を倒せるのは魔女だけぢゃ」
パトラの言葉と共に砂嵐が舞い上がった。
竜巻のように何もかもを風で吹き飛ばしてしまうような威力を持ったものではなかったが、少なくとも視界が悪くなる。
でも、科学者の視界を悪くすることが魔女の目的ではなかったようだ。
なぜなら砂嵐は十秒と立たずして収まってしまったからだ。切り傷のような派手な外傷はない。
ただ、砂嵐発生前と違うのは、
「うぅ……う……うがあぁぁあああああああああああああああああああああああ」
科学者が悲鳴を挙げ始めたことだった。
彼の身体から白い煙が発生している。
「な、なんだ!? の、のどが……、のどが急に乾いて……」
「真理というものを教えてやろ、科学者よ。科学では魔術に勝てないことは自明の理。何も知らぬ好奇心ばかりの無礼者の科学者が魔術のテリトリーへと足を踏み入れ死体となって発見された例はいくつもある。そういえば、科学者というものは標本とか好きなのぢゃろう? 妾にはブラドのようなコレクター趣味はないが、せっかくぢゃしミイラにして博物館にでも飾らせてやろうぞ。光栄に思うがよい」
「う……う、し、視界が……何も見えなくなってくる!? なんだ……目から煙が……目が……目があぁああああああああああああああああああああああ」
ミイラ取りがミイラになるという諺がある。
パトラはことわざなんかではなく、文字通りの意味でミイラにするといった。
その言葉が言葉通りの意味だとしたら、牧瀬紅葉の体の表面から湧き出ている煙はおそらく水蒸気。
人間の身体の大半は水分でできているのだ。
のどが渇く程度では済まされない。
身体の水分すべてを抜かれたら、内臓だって腐り果てガイコツトなってしまう。
「ほほほ、滑稽ぢゃのう。人が死にたくないと絶望に浸りながら死んでいく姿はいつ見ても心がそそる。特に、お前のように理屈に生きる科学者が自身に起きている現象すら観測できずに無念に死んでいく姿は心がそそられる」
科学者の悲鳴を耳にして、パトラは愉快げな感情を隠しもしなかった。
パトラは自分の憎らしい人間がこの科学者のような現実を迎える未来を投影し、愉快な気持ちになる。
でも、それもほんの一時のことでしかなかった。
(……なんぢゃ?)
パトラの表情には困惑が浮かび始めたのだ。
今だって牧瀬紅葉は悲鳴を挙げ続けている。
苦しい。死にたくない。助けてくれ。
そんな悲鳴は今もなお聞こえてくるのに――――――彼から水蒸気はもう出ていなかった。
「……何をした?」
「目がああああああああああ!!! こ、これがかの『
「何をした!?」
「がぁあああああああああああ……あ、あ……あううう……う、フ。フフ、ファーハッハッハ!!」
苦しんでいる様子から一転。
牧瀬紅葉は突然高笑いを始めた。
つい先ほどまでもがき苦しんでいたはずなのに、今は苦痛など一切感じていないように見える。
「ふん。あいにくだが、俺はすでに呪われている身なんでね。半分『堕天』しているこの俺は本来ならば貴様の砂の呪いなどはわざわざ気に掛けるまでもないんだ」
「堕天……?」
「今まで俺が苦しんでいたのはお前ごときの呪いがわが身を蝕んでいたからではない。お前の砂の呪いに反応して、わが身に宿る『
「エクゾディウス……?それは確か、かつて偉大なる黒魔術師が封印したとされるもののはずぢゃ。おぬし、まさか黒魔術を使えるのか!?」
「俺は来るべき『
科学者は今度は右手を左手で押さえてうずくまる。
表情を苦痛でいっぱいにし、片膝までついていた。
その様子を見たパトラは自分の中での結論を出す。
「お前、さては超能力者ぢゃろ。おそらくはその右手に魔力操作系統の能力を宿しているとみた。しかも、お前はまだ自分の力を制御すらできていない」
「……なん、だと!?」
牧瀬紅葉はパトラの解答を受け、顔面いっぱいを驚愕で埋め尽くしてしまう。
白衣の内側に大量のお札を隠し持っているだけの厨二病の、とても演技には見えない驚愕の表情をみて、パトラは自分の推測が正しいと確信した。
「しかし、とんだ恥知らずもいたものぢゃな。お前、選ばれた超能力者のくせしてこともあろうか科学者を自称しているとはな」
「……恥? お前今恥っていったか?」
恥知らず。
その言葉を聞いて牧瀬紅葉の様子が変わる。
パトラを見る瞳は氷と表現するのさえ生ぬるいほどの冷たいものへとなっていく。
「妾が何かおかしなことを言ったか?」
先ほどまでだって科学者であることをパトラに馬鹿にされ続けていた。
天才科学者を母に持ち、比較されなくないと思いながらも誇りにも思っている彼にとって、本来それは自分の家族のことを馬鹿にされることと同意義のはす。
それでも牧瀬紅葉はパトラの侮蔑の視線をさらりと受け流してきたのだ。
なのにだ。
パトラという魔女を否定するのではなく、俺は狂気のマッドサイエンティストだと誇り気に自称し続けた彼が、初めてパトラに対する嫌悪感というものを明らかにした。
本来であればさらりと受け流すことだってできる言葉のはずだったのに。
彼は片膝をつくのをやめ、正面から魔女を見据えた。
「おい魔女。お前、自分が超能力者だからって特別優れた人間だとでも思っているのか?」
「誤解?違うな、真実ぢゃよ科学者。妾は生まれながらの覇王。いずれが世界を征服し、この世界を総べる王になる存在ぢゃ。本来ならばお前のような恥知らずが口を聞いていい存在ではないのぢゃぞ」
「ふふ。フフフ。アッハハハッハハ」
牧瀬紅葉は笑う。
先ほどの高笑いとはまるで違うものだった。
聞いただけでわかる。
牧瀬の今の笑い方は、決して自己主張なんかではない。
さっきまで、魔女が科学者を嘲笑していたものと同じものだ。
魔女が科学者を存在から否定したように、今度は科学者が魔女を否定する。
牧瀬紅葉という人間がパトラという人間を否定する。
「何がおかしい?」
「何が?わかりきっていることだろう。お前、二年前のことを経てまだそんなこと言っているのか。これは傑作だ」
二年前の一件。
何のことを言われているかなんて、わざわざ考えるまでもない。
イ・ウーを退学にさせられた時のことを言われているのだ。
「ハハッ!! なあ、笑えるだろぅ? 事実、あの一件でお前はイ・ウーから追い出され晴れて表舞台から追放。イギリス清教のような魔女狩りの特許を持っていることころだけでなく、アメリカのような魔術に関連のほとんどないところからも命を狙われる身となった。いつ『機関』の妨害工作が入ってくるかを気にしなければならない毎日はどうだった? お前の予定では本当ならば今頃は世界の覇王になっているはずだったのな」
「……貴様」
「その一方であいつは今では文句なしに極東エリア最強の魔女。ちょっと前まではお前の方が魔女としてのランクが高かったのに、今ではもう随分と差がついたものだ。悔しいでしょうねえ」
「……お前、妾とどこかで会ったか?」
パトラは目の前の科学者に対して、どうしようもない殺意と同時に疑問が出てきた。
目的は理子のデリンジャー。
これは間違いない。
でも、理子から聞いたとは思えない。
理子がイ・ウーから追放された後の自分がどうなったかなんて知らないはずなのだ。
「最初に聞いただろうが、お前がパトラか?ってな。もしお前がパトラとは顔も形の違う別人だったとしても俺は気が付かないだろう。第一、そんなことはどうでもいい。お前が学んでおくべきことは、お前が世界の覇王になることなど不可能だということだ」
「なせぢゃ!?」
「決まっている。世界の支配構造に混沌と変革をもたらし、新世界の神になるのはお前ではない。この、狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院喪魅路だからだッ!!!!」
「……もういい。お前は潰す」
パトラが立っている付近の砂は空中に持ち上がった。
約5平方メートルくらいの大きさの砂が、一つの大きな塊と化す。
そして、砂の塊は金の塊へと変わった。
物理的な質量に任せて科学者を押しつぶそうとしたパトラだったが、彼女の動きが止まる。
いや、止めさせられてしまった。
「………あれ、オマエラ案外早かったな」
パトラと牧瀬の間を割って入るようにして一瞬で現れた二人組に注目せざるをえなかったのだ。
「姉御。牧瀬君の前で超能力見せてよかったんですカ?」
「こいつには前もってバラすと説明しただろ」
「でもそれって理子りんを仲間はずれにしてません?」
「別にそれくらい問題にならないだろ」
来ヶ谷唯湖と三枝葉留佳。
この二人は一瞬にして現れた。
海岸線の砂浜に、彼女たち二人は立っている周辺に足跡は残っていない。
真っ当な物理現象に従うのなら、こんな状況は発生しない。
正真正銘、その場に一瞬で現れたというほかに説明はできないだろう。
牧瀬は乱入者に驚くことなく声をかける。
「……峰は?」
「さあ? どこに陣取っているのかも聞いてない。それより今どんな状況だ?」
「今あることないこと吹き込んでひたすら煽っている最中だ。精神攻撃は基本だからな」
「調子はどんなもんだ?」
「こちとら厨二病としてのキャリアが違うんだよ」
三枝葉留佳はこの二人相性絶対いいよねと心の中で思っていると、パトラがこちら側を凝視していることに気づく。いきなり敵の戦力が増えたら驚くだろうし、何よりも来ヶ谷唯湖という人物の知名度を考えたら当然かとも思ってしまった。
だから葉留佳は気が付かない。
パトラが全神経を研ぎ澄ませてまで見ているのは自分だということに。
イギリス清教のエリザベスでもなく。
散々コケにしてくれた自称マッドサイエンティストでもなく。
(……
パトラの視線は葉留佳一人に向いていた。
でも、葉留佳はそのことに気が付いていない。
彼女が気づく前に、牧瀬が一歩前に出たからだ。
「パトラ。ありがとう。お前はいい
「……ようやく思い出した。お前は確かあ……」
葉留佳がパトラの様子をうかがうと、砂礫の魔女はあからさまにイラッとしていて完全に視線が牧瀬にシフトした。散々科学者に煽られたパトラであったが、彼女が行ったことは厨二科学者を攻撃することではなく砂嵐を起こすことだった。牧瀬紅葉と来ヶ谷唯湖はパトラがどう動くか、いざというときの準備もしながら観察する状態に入っていたが、葉留佳だけは経験値不足かちょっとかわいい情けない悲鳴を挙げてしまう。
「ひゃあああ、す、す砂が、砂が!」
「じっとしてろ葉留佳君」
「あ、あい!」
またもや砂嵐はすぐに消え去った。
でも今度は身体から水蒸気があがっている人物は誰もいない。
「あれ? パトラってやつは?」
代わりにパトラの姿が消えていた。
葉留佳は周囲を見渡すが、どこにもそれらしい影は見つからない。
(……逃げたの? まさか、世界でも屈指の魔女が?)
パトラは少なくても攻撃態勢は整っていた。金属の塊を投げつけてくるだけでも、十分な脅威となる。計画では空間転移という超能力を使って無理やりにでも姉御と牧瀬君を回収して離脱する予定だった。そのための隙をどうやって作ろうか考えていただけに、相手の方が逃げたという状況には違和感を感じずにはいられない。
(そりゃ、姉御は強いし準神格霊装なんていう武器もかっさらってるけどさ。それでも『砂礫の魔女』と砂浜で真っ向から戦うには分が悪いはず)
「どうして?」
葉留佳の心の内には疑問が残った。
でも、いくら考えても納得のいく答えを見つけることができなかった。
「フハハハハハ!! さてはこの俺の邪悪なるオーラに恐れをなして逃げ出したのだな!!フーハハッハハハハハハハ!!」
「じゃあ、パトラが戻ってきたら牧瀬ひとりで戦うといい。私たちは君を置いてさっさと撤収するから」
「ごめんなさいマジでやめてくださいどうかこの通り!!てか、俺が殴る蹴るの原始的直接戦闘力皆無であることを考えたら、会話だけで時間を稼いだことは称賛に値すると思うんだが、どうだ?」
「私としてはどうして会話が成立していたのかが不思議でならないのだがなぁ」
「……実は俺もびっくりだ」
牧瀬と来ヶ谷の愉快げな会話が聞こえてくるのとは裏腹に、葉留佳には意識しなければ気づけないくらいの小さなトゲが刺さったように感じた。
どうして。
どうして急に、パトラは撤退を選んだのだろう?