夜の校舎にて謎の襲撃者と遭遇した翌日のことだ。学校の授業が始まる前に、直枝理樹は自身の所属する二年Fクラスの教室ではなく別の教室に訪れていた。
この教室に知り合いと呼べるだけ親しい人はいない。
それでもわざわざ訪ねていったのは『朱鷲戸沙耶』という名前が書かれている武偵手帳を届けるためである。名前からして間違いなく女の子だろう。彼女の武偵手帳が落ちていた経移はよくわからないけど落し物なら届けるべきだという判断のもとに彼女を訪ねてみることにした。けど、届けに行くといっても元々面識があるわけではない。
「あ、ああああの!ちょっといいですか?」
なので理樹は彼女と同じクラスの人間に聞いてみることにする。入口の一番近くにいたのは女生徒だったけど、なんとか勇気を出してに聞いてみた。緊張のせいなのか若干噛んでしまったけれど、うわあぁ……というドン引きの表情が帰ってこなかったことに安堵しておこう。
「は、はい」
「朱鷲戸さんて……どの人ですか?」
「朱鷺戸さん?朱鷺戸さんならあの中心の子よ」
……中心。指さされた方向にはいたのは談笑している女の子の集団。そして、その中に一人、人に囲まれる女の子がいた。その集団の中で誰が中心人物であるかということが見ただけでわかる。彼女には一種のカリスマ性というものがあるのかもしれない。けれど、彼女は雰囲気からして大人びているというわけでかった。むしろ顔立ちは幼い方に見える。それが柔和に微笑んでいた。それは本当に美しく、誰も心をも奪ってしまうようなものだった。
その光景を見て、理樹は恭介のことを思い出す。恭介は自身の教室でマンガを読みふけっているときがあるが、その姿は他のクラスの女子が見物に訪れるほど、なんというか神聖なものであるのだ。笑い、怒り、時に泣く。昔と全く変わらない少年のような表情が人を無自覚にも惹きつけている。朱鷺戸沙耶という人物のこと絵尾実のところは何も知らないのだけれども、恭介と似ているところがあるのかもしれないとか、そんなことを理樹は思ってしまった。とりあえず武偵手帳を渡すという当初も目的を思う出した理樹ではあったが、あいにく彼にはあの女子集団の中に割って入っていくだけの度胸はない。朱鷺戸さんと名前を呼んでみるのは注目を浴びそうで嫌だ。
「朱鷺戸さんに何か用?」
「これ……朱鷲戸さんの生徒手帳なんだけどさ、拾ったから渡してあげてくれない?」
「ねえ、朱鷲戸さーん」
渡してもらおうと思った矢先、朱鷺戸さんのクラスメイトの少女は朱鷺戸さんのことを呼んだ。どうやら朱鷺戸沙耶という人物は、そう気兼ねなく話ができる人物のようだ。
「はーい、なに?」
呼びかけに応じ、朱鷲戸さんが振り返りこちらに向く。
そのきれいな顔が理樹と女生徒を交互に見た。
「これ、あなたが落とした生徒手帳だって」
「エッ!?」
いままでにこやかに話していた彼女であったが、慌てて上着のポケットを手で押し、他のポケットすべてを高速で確認する。どうやらその時点でようやく手帳を落としていたことに気付いたようだ。。
「…………」
その後、彼女は驚きの表情を素早く消し、まっすぐに理樹をを見つめる。彼女の視線の中に、何かを探るような冷血な視線が混じる。それは一瞬のことだったのに、理樹は彼女の視線の冷たさに硬直してしまう。でもすぐに朱鷺戸さんは先ほどまでと何一つとして変わらない微笑みを浮かべていたため、気のせいだったのか今一つ判別ができない。ボケっとする理樹に対し、彼女は一歩距離を詰めて名前を名乗った。
「初めまして、朱鷲戸です」
「な、直枝です。え、えっと、あのそのこの……こ、これ! 落ちてましタッ!」
渡す際に、声がうわずる。
なんだか自分が悲しかった。
「直枝君ね、ありがとう」
お代を払いたくなるような笑顔で彼女は受け取ってくれた。真人のいいがかりもお代を払っても見たくなるものだがこれもまたいい。わざわざ別の教室まで足を運んだかいがあったというものである。用件も済んだことだし、朝のホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴ったため、理樹はこれにておさらばすることにした。二年Fクラスの教室に戻ってからは何事もなく時間が過ぎていく。結局昨日夜の校舎にいた人間は何者だったんだろうとか考えながら三時間目の古典の授業のを軽く流して聞いていた理樹であったが、メールが届いたことに気づいた。今は依頼は受けていないし、授業時間帯に送ってくるあたりアメリカにいる来ヶ谷さんあたりからかなと確認してみると、送信者は不明だった。
『先程はありがとうございました。次の休み時間探偵科教義錬の屋上でまっています。 T 』
けれど、内容から判断して、すぐに朱鷲戸さんからのメールだと気づいた。先ほどが初対面のはずなのに、どうして自分のメールアドレスを知っているのかとかも思ったけど、アドレスくらいなら寮会のメーリングリストでも見ればわかることだ。けど、わざわざ手間のかかることをして何の用なのかなと疑問に思った。お礼なら朝に見せてくれたかわいらしい笑顔だけで十分だというのに。おっと、勘違いはしないでほしい。同じクラスの村上君達なんて、レキさんが教室にいてくれるだけで幸せで頬が緩んでいるのだから、決して僕がHENTAIというわけではないはずだ。
考えても仕方がないので、古典の授業が終わってから探偵科教義錬の屋上へと向かった。屋上へと続く階段には立ち入り禁止の文字が書かれている。ということは、朱鷺戸さんは誰もいないところで話がしたいということだろうか? 屋上にたどり着いた理樹であったが、まだ朱鷺戸さんは来ていないようだ。誰もいないのですることもなく、ヒマつぶしがてらに屋上から見える景色を眺めてみることにした。今はまだ昼前の時間帯ゆえに、グラウンドで身体を動かす生徒たちの喧騒も聞こえてこず、静かなそよ風が心地よい。そういえば、昨日小毬さんがぐっすりと眠っていた場所もここではないにしろ屋上だったか。無防備な姿で眠りに落ちてしまうのは気持ちいいだろうなとか考えていたら、背後からの気配に気が付いた。背後に振り替えると。朱鷺戸さんが立っていた。
「さっきは、どうも」
とりあえず無難な話題でのあいさつをするが、理樹はすぐに違和感を覚えた。いまの朱鷲戸沙耶はさっき教室で見た彼女ではなく似ているだけの別人のように思えたのだ。今の彼女には教室で浮かべていた穏やかな微笑みなど見る影もない。あの可愛らしい表情はどこへ行ってしまったのだろう?
「あなたは死ぬのよ」
「あの……今、なんて?」
「あなたは死ぬの、これから。かわいそうに」
意味がわからなかった。そんなことを言われなければならない経移が全く理解できない。
どうしてこんなことを言われなければならないんだろう。
「僕が死ぬ?どうして?」
「そうね、夜中に校舎をうろついていたからでしょうね」
朱鷺戸沙耶は理樹に向かって一歩、また一歩と近づいていく。彼女は書類を読み上げるような無表情ではなく、理樹に対して憐れみの表情を浮かべていた。身体が触れてしまうような距離まで来ても、彼女は歩みをとめない。そして、朱鷺戸沙耶は話についていけていない理樹の顔を覗き込んだ。
「あなたは今夜にでも拉致されるでしょう。そして尋問を受ける。夜の校舎でだれと会ったかを」
「あ、そうか。あそこにいたの君だったんだ」
「……エ!?」
一瞬にして朱鷲戸さんが固まった。もしもーしと腕を朱鷺戸さんの顔面の近くで振って反応をうかがってみるが、あっけにとられているせいか彼女は何の反応も示さない。
「まさか……気づいてなかった!?」
「え、ま……うん。なんかゴメン」
「墓穴掘った……」
朱鷺戸沙耶は理樹から顔どころか身体からして背け、地面を向いてブツブツと何らかの言葉を紡ぎだす。よくよく見てみると、朱鷺戸さんの身体は細かくではあるもののわなわなと震えていた。もうとっくに二人の間に死ぬだとか拉致されるだとかいう緊張感は消え失せていた。
「あの、朱鷲戸さん?」
「なによ……そうよ、勘違いして墓穴掘ったのよ、滑稽でしょ、笑えるでしょ、笑えばいいじゃない!」
「あはははははははーーーーーーーー」
「笑うなーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
笑い飛ばしてネタにしてあげようという心遣いをすると顔面パンチというお礼が返ってきた。朱鷺戸さんの顔は真っ赤になっているものの、廃人状態からは復帰したようである。彼女はビシッ!!と理樹を指さして宣言する。
「たとえ知らなかったにせよ、尋問で結果的に、そこにいたのがあたしだということを探り当てるわ。鼻の聞いた猟犬のように!そして購買部に新商品が出ることを知った生徒たちのように!!」
たとえが一気に身近になった。
けれど、彼女がその後の行動は意外なもので、
「だから、あなたはここで死ぬの」
理樹に抱きつきような姿勢でに沙耶は一気に距離を詰める。
理樹はおもわず後ずさったが、背後にはそんなスペースはなくフェンスが背中に当たる感覚がする。
屋上に来た時には暖かく感じられた風は、今となっては冷たいものにしか感じられない。
「ゲーム……スタート」
囁くような甘い声。心の芯まで響き渡るような声に、理樹の反応は一瞬であるが遅れてしまう。そして、その一瞬が命取りだった。朱鷺戸沙耶にポンッと正面から押し出された理樹は背後のフェンスにぶつかってしまい、フェンスはギリッという嫌な音がして外れてしまう。
「な!?」
当然、安全確保の目的で作られたフェンスが人間一人分の体重くらいで外れるようなやわなものではない。けど、今の理樹にそんなことを考えていられるだけの余裕なんてあるはずがない。何の心の準備もなく落ちていかされた中、反射的に手を伸ばせたのは経験の賜物だろう。落ちないようにと屋上の塀の部分をつかむが、かと言って理樹の安全が保障されたわけではない。今の理樹の命をつなぎとめているのは自分の握力のみ。しかも右手だけだ。
(死ぬ!!死ぬ死ぬ死ぬ!!僕はまだ死にたくないんだ!!)
頭上には朱鷲戸沙耶の姿が見える。助けてもらえるとは思えないので自力で登るしかない。
仮にも理樹は男子であり、いくら非力の部類に入るとはいえ女子に比べえたらマシなはずだ。
「ふっーーーーーーー筋肉!!!」
理樹は筋肉の力により一気に力を込める。上ろうとした。いっぽうで彼女は鼻でふっと笑う。
上がろうとする理樹の顔に上履きの裏を突きつける。さっさと落ちろ、と無言の圧力により脅しをかけてきていた。
「足をどけてよ!!」
「……」
応えはなく、そこあるのは完璧な殺意のみ。
「朱鷲戸さん……君はなにか勘違いしてるよっ!」
「あたしの行動は一生徒としてしかるべきなの。あなたに構っている時間なんてとっとと終わらせて、友達の輪の中に戻って楽しい楽しい麗しの友情ごっこを続行しなければいけないの」
「僕を殺して?」
「そう」
「僕は君の敵じゃないし、何もしゃべらないよ!」
「薬には抵抗できない」
「誰がそんなもの使うんだよっ!」
「そうね。イ・ウーなんてどう?」
「……へ?」
イ・ウー。
直枝理樹とって全く聞きおぼえのない組織の名前ではない。
ハイジャックの時に峰理子が、アドシアードの時に現れたジャンヌ・ダルクが口にしていた名前。
生憎だが理樹は名前こそ知っていてもその詳細を詳しくは知らない。理子曰く天国とのことがだが抽象的すぎて実感が沸いてこない。
「だからあなたは黙ってここで死ぬの」
「冗談でしょ?」
「じゃ、これは?」
落ちまいと必死に屋上の塀にしがみついている理樹に突きつけられたのは銃口だった。引き金を引くだけで理樹の命を奪える状況ではあるが、沙耶は発砲なんかしない。する必要がない。今発砲して理樹を殺した場合、死体には風穴という証拠ができる。何もしなければ勝手に落ちての事故死だといいはることもできるだろう。沙耶としてはこちらの方が望ましい。今は時間さえ稼げれば理樹が自信を支える力は限界にきてしまうだろう。
(……うっ、これ以上は……筋肉が……)
理樹はもう持ち堪えられないことを悟る。その時だった。ずっと昔から聞きなれた声が聞こえてくる。
「理樹ーーーーーー!!」
振り向かずともわかる。真人が自分を呼んでいる。
「校舎の壁をロッククライミングか。すげえじゃねいか!よし、すぐに追いついてやるぜ!」
「ごめん真人、受け止めてッ!!」
真人が自分のいる場所がどこか分かっていることが確認できた以上、理樹はあっさりと手を離した。もう限界だったということもあるけれど、真人が来てくれたという安心感も大きいのだろう。重力という名の物理法則に従って落ちていく中、直枝理樹が最後に見えたのは半眼で無表情に見下ろす朱鷲戸沙耶の姿だった。
「……」
落下した理樹の姿を見ると、彼女は運のいいやつだと理樹のことを思う。
運がいい人間は現実に実在する。
人のよい人に訪れた悲劇はより印象に残る、などといった感情的な個人の印象ではく、本当に実在するのだ。
けれど、あくまで一回。
サイコロを振れば、一定の確率において自分が望んでいた数値は出てくる。
何回も、何回も幸運など続きはしない。
「今回は助かったみたいだけど。一体次はどうなるかしいら」
『幸運』を持つ超能力者が実在したとは聞いているが、沙耶は理樹のことであるとは思っていない。だだ、次の手を撃っていこう。そう心に決めて、標的を定めることとした
。
沙耶を見て恭介を連想するあたり、こいつ何やってんだろうと思います。
実は理樹は主人公力よりもヒロイン力の方が高かったりして?
沙耶が主人公で理樹がヒロインとか、ありえそうですな。