明日の0時から
「怖かった……怖かったよう」
今の彼は前向きとはとても呼べないものになっている。
膝を抱えて体育座りでうつむいている。声も震えていて鬱モード全開だ。
聞けば星伽さんを対象にカードの指令である『冗談を言って驚かせる』ことを行ってみたところ、彼女に笑顔のまま切りかかられたらしい。なんとか自力で星伽さんから逃げ切ることに成功したものの、命綱など一切なしにして三階の窓から飛び降りる羽目になってしまったときはここで死ぬのかなと正直に覚悟したとか言っていた。どうやら今の理樹はその時の星伽白雪の恐怖が現在進行形でよみがえっているみたいだ。おそらくよほど怖い目にあったのだろう。ちょっとだけ申し訳ないことをしてしまったのかもかもしれない。それにしてもこの男、今日一日だけでも魔術師のアジトに突入して罠にかかり落とし穴に落ちて夜の冷たい海へと叩き落されたりイ・ウー
(……さて、どうしたものかしらね。
自身の相棒が現在使い物にならないので沙耶は一人で作戦のことを考えることにした。今から約三十分後に殴り込むということであるが、そもそもこの作戦を考えたのは沙耶ではないのだ。この作戦のことは沙耶と同じく東京武偵高校に通っている『機関』の仲間から聞かされた。あいにく
「アンタも今回の仲間?」
沙耶に話しかけてきたのは長いピンクのツインテールの髪型をしている
その隣にはちょっとだけ暗そうな雰囲気を持つものの、堂々と彼女の隣に立っている少年がいる。
沙耶はアリアと直接会話をしたことなどないがアリアは有名人だ。彼女にパートナーができたなんてことになったらすぐに噂として広まるのは仕方のないことである。従って、アリアの隣に立つ少年が誰かもわかる。
「神崎さんと遠山君ね。間違いないかしら?」
「ええ、アンタは?」
「あたしは
もちろん沙耶が作戦に参加することになった経緯にそんな事実なはい。が、『機関』の仲間からの連絡により、そういうことにしておくことになった。キンジとアリアにとって初対面である沙耶を信頼させるためにはそれに値するだけの立場をはっきりさせておく必要がある。でも、沙耶としてもこの作戦のためだけに自身が『機関』のエージェントであると打ち明けたくはない。それに『機関』などという具体性のない名前とどこぞの厨二病科学者の普段の言動のせいで打ち明けたところで『厨二病、乙!』とか言われそうだ。あの野郎くたばればいいと思う。
ともあれ、実際のところイギリス清教からの依頼を受けてということならば信憑性的にも合理的だ。
今回沙耶のパートナーである直枝理樹の所属するチームにはイギリス清教の人間がいる。
口裏を合わせることもたやすく、何より自然な形を装える。
「そう、あんた今回の作戦のことどれだけ知ってる?あたしはリズ―――――――――ある人からの連絡を受けてきたんだけど、集合時間と場所と人数くらいしか聞けなかったものだからね。ミッションの内容を確認しておきたいんだけど」
(……リズ?エリザベスのことかしら?となると、この二人は正真正銘のイギリス清教からの推薦ということになるわね。理由は教えて貰えなかったけど、
仲間だと思っていた人物が実は敵だったとかなったら正直シャレにならない。
けれどアリアとキンジの場合はその心配はなさそうだと沙耶は判断した。
となると、問題はあと二人。一体誰が来る?
「生憎だけど、この作戦の立案者はあたしじゃない。むしろあたしが聞きたいくらいよ。そもそも
「そういえば、アンタのパートナーは誰?」
「あれ」
アリアに聞かれたので沙耶は自分のパートナーである体育座りを指さしてた。一応隣にいたはずなのだか理樹のあふれる
「な、直枝」
「……ッ!!」
キンジに名前を呼ばれた理樹は体をビクンッ!!と小動物のように震えさせる。
理樹のすがりつくような瞳を見たキンジは柄にもなく可愛いと思ってしまった。
いったいこいつに何があったんだ?キンジはそう思わずにはいられなかった。
「誰が来ると思う?」
「相手は魔術師なんでしょ?だったら強力な
アリアが強力な
そして今にも泣きだしそうな顔を沙耶に向けた。
「きょ、強力な
謙吾は
それに白雪ならばキンジとアリアとの連携も取りやすい。
自分の中でほぼ確定的だという結論を出した理樹の顔は暗い中でも分かるくらいに蒼白になっていた。
けど、キンジが否定する。
「いや、白雪は来ないと思おうぞ」
「……え?」
「さっき会ったときにはそんあそぶりは見せなかった。むしろ、『あの女誰!?』とかいうわけが分からないことを言われたな。あまりにもしつこかったから置いてきたけど」
「……ふうん。キンジ、その話詳しく聞かせてもらおうかしら。アンタまた女の子誑かしたのね」
「だから心当たりがないんだって。俺はお前から呼び出されるまでは俺と武藤と不知火に平賀さんの四人でトランプしてたんだからな」
「ホント?」
「あいつらに確かめてもらってもいいぞ。実際本当のことだし」
アリアの機嫌が徐々に悪くなっていく一方で、理樹はパァーッとひまわりのような明るい笑顔を見せるようになった。もとの前向きな明るさを取り戻した理樹は体育座りから
「もう、なにも、怖くなんてない!! 魔術師だろうがなんだろうが何でもかかってこいッ!」
「こいつ何があったのよ」
「聞かないであげて」
不思議がるアリアとキンジとは違い、沙耶はあきれたような視線を理樹へと向ける。
今の理樹にはそんな視線など怖くもなんともないようだ。
まあ、沙耶としては今回の作戦のパートナーが無事(?)に復活してくれて何よりである。
「じゃあ一体誰が来るんだろうね?」
「一人は二木さんでしょうね。おそらく彼女が今回の作戦の立案者。後は誰を連れてくるのかということだけど……」
ひょっとしたらイ・ウー
あのバケモノじみた戦闘力を誇る奴が来てくれたら厄介ではあるが百人力だ。
そんなことを考えていた沙耶であったが、すぐに思考を中断しなければならないはめになった。
近くからハーモニカの音が響いてきたのだ。このメロディーはどこかで聞いたことがある。
それは一体どこで聞いたものだったか。
(……あ、思い出した。アルテュール・オネゲルが作曲して舞踏家のイダ・ルビンシュタインに捧げられたものだったわね)
近代フランスの作曲家の一人、アルテュール・オネゲル作曲の
確かそのタイトルは―――――――『火刑台上のジャンヌダルク』。
ハーモニカによるセルフBGMとともに姿を現したのは、
「ジャ、ジャンヌ!?」
先月のアドシアード期間中に星伽の巫女である白雪を誘拐し、
「どうしてアンタがここにいるのよッ!」
アリアはすぐに二丁拳銃のガバメントを抜いてジャンヌに向けるが、東京武偵高校の女子制服を着ているジャンヌは応戦の構えを取らなかった。細長い二本の銀髪おさげを頭の上でまとめたジャンヌは切れ長の碧眼をアリアではなく、アリアの背後にいる人物へと向けた。
「私が持ちかけた司法取引よ」
「ッ!」
後ろを振り向くと、発言者がすぐ後ろにいた。いつの間にか人の気配に敏感なアリアの背後をとっていたようであるが、今の今まで気が付かなかったことにアリアは驚愕せざるを得ない。
「いつ近づいてきたの?」
「そこのジャンヌ・ダルクがセルフBGMを吹いている最中よ。普段デスクワークばかりやっていたから心配だってけど、ジャンヌが気を引いていてくれたことを差し引いても
片手を腰に当て、澄ました顔でそう言う少女の名は二木佳奈多。
委員会連合に所属できるだけの委員会を持っている若き風紀委員長。
(……ふうん、こいつがあの
佳奈多は今でこそ
「そこのジャンヌが受けた司法取引の条件の一つを大雑把に言うなれば東京武偵高校の生徒となり、生徒たちに危害を加えようとする輩から守ること。だから、
「それで、そんな似合わないセーラー服を着ているわけか」
キンジはそう言うが実際のところジャンヌの制服姿はかなり様になっていた。
もともとが美人ということもあって何を着ても似合うのかもしれない。
似合わないといったのはせめてもの腹立ち紛れであったのだろう。
「私としても恥ずかしいのだぞ。なんだこの服は。いくら女性が拳銃を
「ならあなたは一生ジャージでも穿いてなさい」
「一生!?おい待て佳奈多。それは私が一生結婚できないとでも言いたいのか!?」
「そんなことは言っていないわ。被害妄想が過ぎるんじゃない?それとも何、あなたはリサのように『仕えるべき勇者様が見つからない』とか言ってベッドの中で袖を濡らしているような人間だったの?魔女が聞いて呆れるわね」
「ほほう。諸葛の奴に口説かれた実績がある女は言うことが余裕に満ちているなぁ」
「あなたそれ、こないだの意趣返しのつもりかしら。仲間になれってしつこくて私だっていい加減迷惑してるのよ。ジャンヌの方でなんとかしといてくれない?あ、それも司法取引の内容にねじ込んでけばよかったか。失敗したわね」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
佳奈多とジャンヌの間で繰り広げられる会話はとても昨日今日会った人間のものではなかった。互いの共通の知人と思われる人物の名前まで出して皮肉を言い合っている以上、この二人は以前からの面識があるということになる。
「アンタ、ジャンヌと知り合いだったの?」
「私は以前とある公安委員会で仕事していたことがあって、その時に不本意ながらアウトローとの面識ができてしまったの。イギリス公安局に所属していたことがある神崎さんならなんとなく理解できるのではないかしら」
「その一つがイ・ウーってわけね」
アリアを遮り、沙耶は佳奈多に言葉を紡ぐ。
突如出されたイ・ウーの名前にアリアもキンジも、そしてその言葉を口にするとは思っていなかった理樹でさえも沙耶の方に向く。
「さっきあなた、そこの
もう一人の方はどうなの?」
「もう一人?」
「東京武偵イ・ウー
アリアはジャンヌに視線を向けた。イ・ウー
「あれは無視しても構わないわ」
「なぜ?」
「そこのジャンヌは勿論のこと、私もそいつの正体を知っているからよ。あえて言うなれば、あいつに魔術師の情報をなんでもなんでもいいから集めてくれとお願いしたのはこの私でもある」
「「……は?」」
実際に対面した理樹と沙耶にはその心当たりがないわけではない。狐の仮面の人物は、理樹を誘拐こそしたものの取り立てて拷問などはしてこなかった。沙耶との戦闘になった時でさえ防御に徹してさっさと退散を決め込もうとしていた。あれからまた監視しているのではないかと疑い、スパイ排除大作戦を物は試しで行ってみた沙耶が出した結論は理樹は誰にも監視などされてはいないというものだ。
「なら今は味方……ということにして一応納得はしておきましょう。けど、それなら今この場にいない理由は何?」
認めたくはないが、あの狐の仮面のスパイの戦闘能力は非常に高い。
いくら沙耶の体調が本調子ではなかったことを差し引いても軽くあしらわれたのもまた事実。
味方だというのなら一緒に戦ってくれたら相当な戦力になることは間違いないのだ。
「必要ないからよ」
そのことは佳奈多も重々承知しているはずなのに、彼女はいらないとバッサリきった。
「探索範囲が広くて私とジャンヌの二人だけだと苦労しそうだから今回手伝ってもろうってだけであって、戦力的には私とジャンヌの二人だけで充分よ」
「これはまた大きく出たわね。じゃあもう一つだけ聞いてもいい?」
「何かしら?」
「あなた、昔は公安委員として働いていたことがあるっていったわね?なら、最年少公安0の人間の噂を聞いたことがある?」
「あ、それあたしもイギリス公安局で仕事してた時に聞いたことがある。なんでも、日本の公安0にあたしと同い年の凄腕公安委員がいるって」
狐の仮面の人物の正体を沙耶が考察した時、一つの仮説が生まれた。
ジャンヌ・ダルクがアドシアードで捕えられたにも関わらず、同じくイ・ウーのメンバーであるあのスパイが捕まらずに未だ東京武偵高校に在籍していられ理由を思いついた。
――――――あいつ、多重スパイなんじゃないか?
立場上は味方ということになっているから捕まらなかったのではないか。
そういう予測が立てられた。
実際に対面して沙耶の攻撃を軽く流したあの戦闘力を目の当たりにし、それができる人間が思いついた。
公安0。
そして、ある噂があったのを思い出す。
最年少公安0の話。なんでも中学三年生の時点で公安0の一員になったという鬼才がいるらしい。
これは『機関』が集めた情報の中にあった眉唾物の話の一つだ。
そいつがこの東京武偵高校に生徒として紛れ込んでいるのではないか。
あくまでも憶測の息を出ないもののごく僅かな可能性の一つとしては考えられると沙耶は踏んだ。
「公安0はそもそも警察とも命令系統自体が違うわ。だから、公安委員をやっていたといってもそう会うことなんてないわ。第一、奴らは自分が公安0の一員だと主張してこないし。どうして?」
「……いや、なんでもないわ」
「そう。なら行きましょうか」
話すことは終わったと佳奈多とジャンヌは歩き出し、アリアとキンジもそのあとに続く。
沙耶もついていこうとしたが、不安そうにしている理樹に気が付いた。
「どうしたの?」
「いや……大丈夫かなって」
この六名の中では、おそらく理樹が敵のアジトに突入するといった経験が少ないはずだ。
キンジだって昔は
「空を見なさい。今日は星がきれいね」
そういわれた理樹は夜空を見上げた。雲一つかかっておらず、一番星がひときわ輝いている。
「……きれいだね」
「そうね。夜空は心を落ち着かせてくれる。それに今日は星が輝いている。だから、不安だったら星空へと願いなさい。雲一つかかっていないのだから、きっとその願いは届くわ」
「朱鷺戸さんって……割とロマンティストなんだね」
「ほっときなさい。ほら、私たちも行くわよ」
理樹と沙耶もこれから敵のアジトへと向かうことになる。
星空を見上げたからだろか、どういうわけか二人の心は落ち着いていた。
●
同時刻。
『機関』が経営しているとある老人ホームにて一人の少女が目を覚ます。
神北小毬。
先日流れ星を見に行ってから寝込んでしまい、それから一向に起きてこなかった少女。
彼女は二日ぶりに目を覚ましたことになるが、今の彼女の瞳は以前の太陽のような輝きはない。
右手で自身の頭を抱え、上半身だけベッドから起き上がった状態で小さくつぶやいた。
「思い出した。思い出したよお兄ちゃん」
佳奈多が仲間に加わった!
ジャンヌが仲間に加わった!