魔法使いになる。
そう決めたのはいいもののあたしは具体的な手段として何をしたらいいのかはよく分からなかった。
父の知る陰陽術の魔術をただ学べばいいのか?それは何かが違うと心が告げている。
魔術の一つすら扱えない人間が魔法使いだなんて呼べるはずがないのもまた事実だけど、魔法を使えることはあたしの憧れた優しい魔法使いになることとイコールであるとは到底思えなかった。
あたしが今まで読んできた本の中において魔法使いという存在は主人公となることはたいしてなかったように思う。むしろ敵として出てくることが多かった。魔法を自分の願望を叶えるためだけに使う存在として登場していたような気がする。大体の物語において、魔女だなんて呼ばれていた。
ある日悪い魔女がお姫様に呪いをかけて、勇者がお姫様を助けるための魔女と戦ったりする。
そんなお話をたくさん読んできた。
魔法使いと魔女。
魔術を使うという点は同じはずなのに、どうして違いが生まれてきたのだろうか。
(結局のところ、物事の善悪なんて一概に決められるものじゃないしなぁ)
よかれと思ってやったことが、必ずしもいい結果に結びつくことがないことをあたしは知っている。
誰かのためにと魔法を使ったとしても、その結果として惨劇をもたらしてしまったら残虐な魔女になってしまう。父のもとで陰陽術の魔術を使い、ケガや病気で苦しんでいる人たちを助けて回っている現状にもう文句は出てこない。どうしてこんな場所にいるのだろうか、どうしてあの平和な国で暮らすことが許されなかったのかと思うこともなくなった。それどころかあたしはよく自分が学んだ魔術について考えるようになっていたのだ。
(お父さんや拓也さんはこの力、怖くはないのかな)
小毬ちゃんの影響か、考え事をするときは夜の星空を見上げることが多くなっていた。
父が受け継いだ風水を専門とした陰陽術は便利であると同時に危険な魔術でもある。
なにせ風水系の陰陽術は自分自身の魔力ではなく周囲の魔力を利用するタイプの魔術なのだ。
下手を打てば周囲から入ってくる魔力量に身体が耐え切れずに身を滅ぼすだってある。
現代に生き残っている陰陽術師がいるのかどうか分からないとされているのはこのためだ。
何もかも願いを叶えまくった代償として命を削ることは真っ平ゴメン。
どんなことに魔術を使うべきなのかと考えていたところ、一筋の流れ星が流れていくのが見えた。
(あ、流れ星。そういえば今日は七夕だったわね)
この間拓也さんは日本における七夕について教えてくれた。
なんでも織姫様と彦星様が年に一度だけ会うことを許された日らしい。
ここエジプトにも似たようなことをする神様がいるからなんとなくは分かった。
けど、面白いのは日本では短冊に願い事を書いて笹につるしているらしい。
誰かにお願いしているのか、それとも自分自身への願掛けなのかは知らないけど、こう思う。
――――流れ星へと願う、ひそやかな幸せくらいは守ってあげたいな。
外も冷えてきたのでもう診療所の方に戻ろうかと思ったとき、あたしは急に目が痛くなってきた。
思わず目を押さえるが、しばらくしても一向に目を開けることができないでいた。
(……砂が飛んできて目に入ったのかな)
どれくらい目を開けることができなかったのかはよく分からない。それでも、きっと五分以上はロクに目を開けることができなっかたはずだ。身だしなみを整えるための手鏡がポケットにあったことを思い出し、自身の瞳を覗き込んでみる。もしかしたら目が充血してるかもしれないなとか思いながら見たのだが、
「……え?」
手鏡に映ったあたしの瞳は充血なんていうレベルではなく、瞳の色そのものが緋色へと変わっていた。
●
「うーん。レントゲン見ても異常は見当たらないな」
「そうですか」
「あやの言うことだから単なる見間違いだなんてことはないとは思んだがなぁ。マリー・アントワネットは心労のあまり一夜にしてきれいな金髪が白髪へと変わってしまっただななんて話が伝承として残っている以上、瞳の色が変わったとしてもありえないことだと切り捨てることできないけど、いつもの瞳の色に戻ってるようだしね」
診療所に戻り、あたしはすぐさま拓也さんに自分の緋色に染まった瞳のことを相談した。ただ、瞳の色はすでに緋色ではなくいつもの透き通るような空色の瞳に戻っていた。レントゲンと言った機材一式で身体の異常がないか調べてみても、なにも見つけられない。
もちろん、科学的な視点のもとでは一夜にして髪の色が自然に変化することなどない。
髪の色を表現しているのは、皮膚にもあるメラニン色素である。毛髪のメラニン色素は毛髪と一緒に毛根で作られ、毛根で色を帯びた髪はやがて頭皮まで押し上げられた結果、ブロンドや黒髪として生えてきます。メラニン色素は非常に壊れにくいので、いったん生えた髪の色はその後もほとんど変化がないものだ。つ。白髪というものは何らかの原因によって毛根でメラニン色素が作られなくなり、色素を持たないまま伸びてきた髪。つまり、白髪は頭皮の中にある時点ですでに白く、ブロンドや黒髪として生えてきた髪が後から白髪になることはないのだ。
と、ここまでが科学の話。
「そうなると考えられるのは魔術的なアプローチになるね」
「でもあたし、さっき星を眺めていただけで魔術の練習なんてしてませんよ」
「陰陽術が原因だとは俺は思っていない。第一、あやが使う陰陽術はすべて俺が教え込んだものだ。陰陽術の影響で瞳の色が変わってしまうのなら、とっく俺やあやのお父さんだって変っているはずなんだ。いくら鏡がないと自分自身の顔を見ることができないからと言って、流石に見過ごすとの思えないしね」
「だったらやっぱりあたしの見間違いだったのですかね?夜で辺りも暗かったですし」
「真相がどうあれ今出来そうなことは何もないからしばらくは様子見だね。ちょっとでもまた何かが異変を感じたらまた俺にすぐ言うといい」
はい、と返事をするあたしはきっと暗い顔をしていたのだろう。
勘違いならそれでいい。間抜けなことをしたもんだと笑い飛ばしてやる。
でもただの勘違いだとはどうしても思えない。
砂が目に入ったのだとしては回復に時間がかかりすぎていた。
「あや、今度気分転換にでも行ってきたらどうだ?」
考え込んでいるあたしを心配してか、拓也さんは一冊のパンフレットを渡してくれた。
エジプトの遺跡で発見された一つの石が、エジプトのとある博物館での一般展示が始まるらしい。
展示は来週の週末からと書いてある。
「うん。考えてばかりいても仕方ないし行ってくる」
古代の遺産とかが割と好きだったあたしは一人で件の博物館へと赴いた。観光案内も込めて小毬ちゃん
を連れていこうかと思ったがやっぱりやめた。こういった古代遺産への熱の入れようがあたしと小毬ちゃんではまるで違うのだ。誰だって興味のない話を淡々と聞かされたくはないだろう。この間、熱を入れた話しすぎてちょっぴり引かれたのは関係ない。関係ないったら関係ない。
ともあれ博物館は都会にあるため治安の心配もない。郊外のスラム街とは違うのだ。
きっと今日は楽しい楽しい休日になる。―――――――――そう思っていた時期もあたしにはありました。
拓也さんからもらったパンフレット片手に気楽な散歩気分でやってきたのだが、どうやら周囲の様子がおかしいことにすぐに気が付いた。博物館の入り口から人が慌てて出てきているのだ。出口付近では人を押しのけてまで博物館から出ようとしているその表情にはみんな一切の余裕がない。一刻も早くこの場所から、命からがら逃げているようにも見えた。何があったのか、その答えは一瞬で理解することとなる。
――――――――――――パアンッ!!
あたしにとって聞きなれた音で、音の正体は考えるより前に気づくことになった。
銃声だ。銃を持った人間が博物館内部にいるのだろう。
銃声により混乱状態になってしまった博物館周辺であるがあたしはパニックになることはなかった。
(……ホント、嫌な慣れね。こんなこと慣れたくはなかった)
銃声を聞いてパニックに陥らなかったのは一重に経験によるものだろう。小毬ちゃんをここに連れてこなくてよかった、なんてことを考えることができる程度には落ち着くことができていた。もっと幼いころ、それこそ四歳とかその辺の頃からの習慣だった。銃声が聞こえたら落ち着いて非難しなければ戦争に巻き込まれる恐れがあったことによる耐性か。慣れによる恩恵ではあるがあんまりうれしくはなかった。
(さっさと避難しよう)
あたしは銃声こそ聞きなれているものの銃を持って戦う傭兵でもなんでもない。銃声こそ聞きなれたものになってしまったが、面と向かって銃を向けられた経験はないのだ。それは危機管理能力を磨き上げ、そのような状況に立たされないようにした結果でもある。
博物館のことは残念だけど落ち着いてさっさと避難しようとしたら、博物館の玄関近くで泣いている幼い女の子を見かけた。このパニックで迷子にでもなってしまったのだろうか。話しかけることは、技術的にはできる。エジプトは英語圏の国だから、父のいる診療所で待っているあたしより幼い子供と話すことはできたから言語が分からないなんてことにはならないはずだ。それでもあたしだって命の危険が少しでもあるのなら無視してでも自分の命を最優先すべきである。そのことは重々承知しているはずなのに、話しかけてしまった。どうして話しかけたのかは、考えても分からない。
「何をしているの? ここは危ないわ。早く逃げましょう」
「……ダメ。私はここにいる」
「どうして?」
「おにいちゃんが……ここで待ってろって。ジュース買ってきてあげるからここで待ってろって言って博物館の中に入っていったっきりまだでてきてないの」
「でも、ここにいたら危険だよ?」
「でも待ってる!おにいちゃんが戻ってくるまでここにいるもん!」
涙目ですがりつく女の子を見て、どうしたものかと思った。
この子の言い分は分かる。こういうものは理屈じゃない。
でも、じゃあどうしたらいいのかあたしにはわからなかった。
こういう時、拓也さんはなんていうだろう?
あの絵本に出てきた優しい魔法使いなら、どういうことを言うのだろう?
――――――実はね、あたしは魔法使いなの。だからあたしが何とかしてあげる。
言うだけならば簡単だ。
騙すような形になったとしても、それでこの子が危険なこの場所から離れられるのならばいいとしたい。
なのに、あたしはその言葉を口にすることができなかった。
あたしに実際にそれだけの力はないのだ。口にしたら最後、この子を裏切って見捨ててさっさと立ち去ることような無責任なことは到底できないと思ってしまったのだ。どういえばいいのか分からずに何も言えないでいると、その答えのような言葉をあたしは聞くことになる。
「じゃあ、私があなたのお兄さんを連れてきてあげるわ」
後ろを振り向く。周囲の時が止まってしまったのかとも思うほどの美人がそこにはいた。柔和そうな長いまつげの目は視線そのものに引力を持っているかのようである。肌の色は完全に褐色のアジア系であり、もう少し肌の色が濃ければ世界三大美人であるクレオパトラが生まれ変わって現れたのだと勘違いしてもおかしくはなっただろう。周囲がパニック状態になっているにも関わらず、女のあたしであっても思わず見とれていた。年齢はいくつぐらいなのだろう。あたしよりも年上だと思うけど、そんなに離れてもいない気がする。
「ほ、本当に?」
「だから心配しないで、待っててね」
「で、でも!わたし……あだしお礼にできるようなものは何も持ってない!そんなこと頼めないよ」
「じゃあオニギリ一個でももらおうかしら。私はそれで満足よ。それに、子供がそんなこと気にしなくれもいいのよ。こっちにはあなたのためじゃなくて自分のために戦うような人間も一緒なんだから、ね」
その女の人が視線を向けた先には、コブラを象った黄金の冠をかぶったおかっぱの美人がそこにはいた。
歳はあたしとそうは変わらないようにも思えるが、幼さを残してる顔立ちの中にも落ち着きを感じさせている。
「あらパトラ。ずいぶんと不機嫌ね」
「当然ぢゃ。このエジプトで、
「ダメよ。この子のお兄さんのことだってあるでしょ?」
「知ったことか。エジプトの国民ならばその命は妾のものぢゃろ。どうしようと勝手ぢゃ」
「……パートラ?」
「まあ、でも、なんだ? 我が国民の命を守ってやるのも
「そう、なら行きましょうか。あなたたちも一緒に来てくれる?お兄さんがどの人か私たちには分からないから」
急に美人二人に話しかけられたことを怖がったのか、あたしの背中に張り付いていた女の子は首を縦に振った。
おそらくは拓也さんよりはあたしと年齢が近いであろう二人組に、あたしは恐る恐ると尋ねる。
「何をするつもりなの?」
「黙ってみてろ」
なんと驚くことに、パトラと呼ばれたおかっぱの美人は何を考えたのかテロリストが立てこもっているであろう博物館に正面入り口から堂々と乗り込もうとしていたのだ。
「『砂礫の魔女』の力を見せつけてやる」
さて、カナさん初登場&パトラさん再登場です。
それでは皆様、よいお年を。