あたしは流星の魔法使い、朱鷺戸沙耶。
そう名乗った彼女に対しての錬金術師の反応は、ただきょとんとするだけである。
名前から思い当たるものがヘルメスにはないのだ。
『砂礫の魔女』パトラや、『
「流星の魔法使い?聞いたことがない名前ですね」
「それはそうでしょうね。アンタは『ときどさや』という名前にどんな願いが込められているかも知らないのだから。じゃあこういえば分かる?あたしはアンタとエジプトで出会った神北拓也の弟子でもある最後の陰陽術師よ」
陰陽術。
平安時代に活躍していたという資料は残っているものの、のちの世の歴史に出てくることはなかったという。
理由はまだ解明されていないが、星伽神社の文献によれば陰陽術に関してはこのように書かれている。
陰陽術は、その身を滅ぼす。
強力すぎる力は恐れられ、周囲に迫害されたのか。
それとも自分の力を制御できずに破滅の道を歩むことになったのか。
ともあれ陰陽術師なんて存在自体がレア中のレア。そうそう目にかかれるものではない。
それはヘルメスにとっても変わらない。
彼の過去においても、陰陽術師の心当たりなんて一つしかなかった。
「そうか。あなたは、あの時の幼い陰陽術師か。まさか生きていたとは驚きですね。あのパトラですら死んだと思っているはずの少女が生きているのですからね」
「アンタはもっとあたしの気持ちを、どれだけの怒りを有しているのかを考えた方がいい。そもそもアンタさえ何もしなければ、誰も人生を狂わされずにすんだんだ」
「朱鷺戸……さん?」
沙耶の口調と対応から分かる。この二人、何か過去にあったのだろう。
それは理樹に知る由はないが、思い出すことがある。
そういえば。
アドシアードに姿を現したバルダとかいう黒白魔術師が一体何と言っていたっけ?
姿を消したイ・ウーの魔術師を探している。理樹本人が聞いたわけではないが、そう言っていたとは聞いていた。その言葉に嘘はないのだと理樹は思う。事実、パトラとかいうイ・ウーの関係者との接点があるのは確定的らしい。
でも、その正体は?
バルダにしろジュノンにしろ、魔術師の正体を口にはしなかった。
なのに、理樹が沙耶と出会った当初、彼女自身の目的の説明を求めた時、彼女はこう言った。
『現時点でのあたしの任務は、この東京武偵高校に潜伏している「敵」の排除』
『敵って?』
『理樹君もさっき見た砂の顔面像を操っている奴よ。正体はイ・ウーから追放された「砂礫の魔女」パトラと接点を持つ錬金術師ヘルメス』
そもそもバルダは何のために花火大会で来ヶ谷さんを襲い、
『私の組織のことを裏でコソコソと探っているスパイのような奴がいます。私達は目障りな犬を消したいのです』
あの白黒魔術師が口にした魔術師というのは、間違いなく目の前にいる錬金術師ヘルメスのことだ。
だったらあの時白黒魔術師が言っていた自身を探っているスパイというのは誰だったのか。
錬金術師の存在を前提として、地下迷宮のことを探っていた人物として理樹が知っている人物は二名。
一人はイ・ウー
こいつについてもジャンヌとバルダが
『……私の計画を詳しく知っているのは峰・理子・リュパン四世と夾竹桃、そして
『えぇ。でも、何が原因で心変わりするかわからないものですよ。私は彼女が多重スパイかと疑ったのですが、違ったみたいです。スパイは内部の人間でないことが分かりました』
理樹はバルダとかいう奴とは一瞬だけ顔を合わせただけ、ジュノンとかいう魔女連隊の少女に至っては恭介の要請によって応援に来てくれた岩沢さんしか鉢合わせしていない。だからどれもこれも人づてで聞いた話でしかなかったが、今となって分かる。もともとバルダのことを探っていたスパイとは朱鷺戸沙耶のことだったのだ。バルダは怪しい人物として来ヶ谷さんと多重スパイの可能性も捨てきれないとして狐の仮面の人物を疑っていが、二人とも違った。イギリス清教だとか委員会連合に潜伏しているイ・ウー研磨派所属のスパイとかいう肩書きに意識が向いてしまっただけのことだった。実際狐の仮面の人物は魔術師の存在こそ知っていても、地下迷宮の存在は知らなかった。対し沙耶は、ヘルメスという名前まで知っていた。
「朱鷺戸さん……これからどうするつもり?」
朱鷺戸さんとヘルメスの間に一体何があったのかは知らないけど、朱鷺戸さんがヘルメスに対していい印象を持っているようにはとてもじゃないが思えない。あんな得体のしれない奴が所属している組織を危険を冒してまで探っていたのだ。理樹にだって武偵として犯罪者と正面から向き合うことは今迄にだってあった。犯罪者に対してどう向き合うのかなんて人それぞれだけど、時には相手を殺そうとまでする人だっている。殺人は武偵法で禁じられているが、法律で心までは縛ることはできない。沙耶の出方次第によっては、理樹は彼女を止めなければならなくなる。イ・ウー
「錬金術師ヘルメス。こいつはあたしが大好きだった人を奪った元凶となった一人。殺してやりたいのは山々なんだけど、それ以上にあたしはこいつには聞かなけれなならないことがある。だからまずは―――――――数発は顔面をぶん殴ってやる」
言うが早く、沙耶はヘルメスとの間にある十メートルあまりの距離を三歩で詰めた。走るというよりは跳ぶような動きであった。理樹とあっさりと置き去りにし、ヘルメスの正面へと立った沙耶は言葉通りにヘルメスの顔面を殴り飛ばそうする。錬金術師というのは魔術師といっても科学者のような研究者だ。ほぼ一瞬の動きに武偵である理樹ですら沙耶の動きに反応できていないのだから、本質が研究者であるヘルメスが反応できるわけがない。身体を鍛えているわけでもない人間相手なら、沙耶の手刀でも一発で意識を刈り取れるはずだ。なのに、
「―――――――」
沙耶は、すんでの所で握りしめた拳をヘルメスの顔面にて止めた。このまま拳を振りぬいてやりたい。そう思っているのに、沙耶は自分の意志で拳を止めた。頭には冷や汗すら出ているほどに、嫌な予感が沙耶の身体全身に回ったのだ。すんでの所で後ろに飛び退く最中、沙耶は愛銃たるコンバット・コマンダーを抜き、攻撃手段を銃撃へと切り替えた。武偵にとって銃は常に着用することを義務づけられているほどの必需品であるが、現場においても発砲する機会よりは脅しの道具として使うことの方が多い武器でもある。銃を使わなければ手が付けられないほどの人物と遭遇したというのならまだしも、研究職の人間相手にするには殺傷能力が高すぎる武器だ。素手で制圧できるのならそれに越したことはなく、沙耶のはそれだけの力量があるはずだ。なのに沙耶は己の直観に従い、わざわざ手刀を中断してまで銃撃を選択したが、それは今回の場合正しかったということになった。
カンッ!カカンッ!!
ヘルメスの身体に当たった沙耶のコンバット・コマンダーによる銃弾は、そんな
「……よく気が付きましたね。怒りで正気を保っているのもやっとの人間に感づけるものではないと思っていましたが。どこで気が付いたのか、今度のために聞かせてもらえませんか?」
「あたしだって『機関』に所属する
結局のところ、ヘルメスの皮膚が硬質化していることに沙耶が気が付いたのは感覚という他ない。沙耶の頭に血が上ったまま感情まかせに行動しているというのなら、多少の嫌な予感も無視して行動していただろう。でも朱鷺戸沙耶という人間は知っているのだ。失敗が許させない場面でこそ、感情的に行動してはならない。冷静に物事を見つめなおさなければならないのだ。これは医師として多く一秒一秒の判断が平気で命取りになる応急処置を多く行ってきたことによる経験則か。あのままヘルメスを殴っていれば、沙耶は逆に腕をつぶされていたことになっただろう。
「じゃあ、これはどうだ!」
今後は理樹が自身の愛銃であるコンバット・マグナムを発砲しながらヘルメスへと突撃した。
当然のように理樹の銃弾だってヘルメスの身体に直撃してもビクともしないが、彼にとってそれくらいは想定の範囲内のこと。マグナムによる銃弾の目的はヘルメスの足止めにある。どういう原理を使っているのかは分からないが、身体を金属並の強度にしているとのこと。人間が柔軟な動きができるのは身体が柔らかいからに他ならない以上、今はろくに身動きできないということだ。
「うおおおォォォーーーーーー!!」
ヘルメスとの距離を詰めきるまで等間隔で銃撃を行った理樹はとうとう自身の拳を射程圏内に入れる。
相手の身体が硬質化している?
銃弾すら通じないほどのものとなっている?
そんなことは彼にとって知ったことではないのだ。
ことオカルト相手に限り、彼の右腕はどんな盾をも貫き通す矛と化す。
事実、ヘルメスの右肩に渾身の一撃を叩き込んだ理樹の右腕はヘスメスの硬質化のガードをあっさりと食い破り、そのまま錬金術師の右腕を吹き飛ばした。錬金術師の右腕は、理樹の拳が当たった瞬間に砂と化して地面に落ちたのだ。
(……は?)
予想だにしていなかったことに理樹は反射的に後ろへ一歩飛び退いた。いつでも追撃できるようにとコンバット・コマンダーを構えていた沙耶も、これには驚きを隠せていないようである。
「こいつ、あの砂の化身たちと同じような偽物だったの!?」
状況から考えたら理樹が出した結論に行きつくのは自然のこと。でも、沙耶は直観としてそれは違うと感じていた。沙耶自身が言うには、
「違うわ理樹君。アンタの右腕、砂で魔術的に作られた義手だったのね」
「ええ、あなたが意識を失った後、逆上した『砂礫の魔女』につぶされましてね」
砂になって地面に落ちたはずの錬金術師の右腕はサラサラと砂の状態のまま地面からもとあった場所へと戻るように浮き上がり、腕を形作って固まってもとのようにヘルメスの右腕と化した。
「バケモノめ」
「驚くのはまだ早いですよ。せっかくのデモンストレーションです。しかとその目に焼き付けていくがいい」
「チィ!!」
ヘルメスが両手が地面につくようにしゃがみこんだ。錬金術というのはいうなれば工作だ。今のだって砂を材料にして自分の腕を作り上げた。そして今。地面に手を付けたということは、地面を材料にして何かしようとしていると判断した沙耶はやらせるまいと銃を連射した。ヘルメスが地面を使って何かするより先に沙耶の銃弾の方が速く、コンバット・コマンダーの銃弾は錬金術師にすべて当たるが、沙耶の銃弾は今度はヘルメスの身体を突き抜けていった。ヘルメスの身体を貫通して銃弾が突き抜けていった後の風穴から出てきたものは人間が本来流すべき血ではなく、砂。
「何……アンタそれ、その身体は何!? アンタの身体はもう人間のそれなんかじゃない!」
「これが心理を探究したもののみがたどり着ける極地。人類の永遠の夢だって叶えることだってもはやお伽話なんかではありません」
「人類の夢、だって?それは一体何だというんだ!」
錬金術師が科学者のような人間だということは理樹も前から知っている。身体を砂にかえ、砂から身体を作り上げて。そんな人間は離れしたことすら、こいつにとってはその人類の夢のための副産物でしかなかったのか。そう聞き返した理樹に、錬金術師はそんなことも分からないのかというような落胆した声で返答する。
「人類の究極の夢、それは永遠の命。すなわち不老不死」
「正気?」
「科学者だってだれもが一度夢見ることです。かつて君島コウという名の同胞は自身の人格や記憶をデータとしてインターネット上に存在させ、本来の身体を失ってもなお生き続けることに成功していた。これも擬似的な不老不死だと言えるでしょう。彼のアプローチも科学者としての一つの答え。では、これより錬金術師がその夢へとたどり着く過程で手にした技術の結晶というものを御覧に入れてみましょう」
理樹と沙耶の二人と錬金術師の間を遮るように地面から柱が浮かび上がってくる。長方形の柱であるが、二人はすぐにその柱にドアのような蓋が付いていることに気が付いた。三メートルはあるであろうドアを開けて柱から出てきたのは、黒山羊の頭部とカラスの翼を持つ怪物。全身の黒い毛が、さらに不気味さをことさら示していた。この怪物の名は、
「さあ、暴れろ。『バフォメット』」