『葉留佳。今から私と一緒に外に御飯を食べに行きましょう』
今でもよく思い出すことがある。あれは中学一年生の年齢のときだったか。お山の家にやってきたお姉ちゃんが、私にそう言った。
『お外?』
『ええ、ファミレスにでも行きましょう』
外にご飯を食べに行ったことなんて私にはなかった。それどころか、学校にもいかせてもらえなかった私には、そもそも家の外に出ることなんて皆無だった。だから、ファミレスという場所がどんなところであるのかなんてこと分かるはずもなく、ただ首をかしげていた。この日は寮生活をしているツカサくんもいて、呆れたような顔をしていたっけ。
『初給与は何か特別なことするものだなんてことは聞くが、妹とファミレスって……』
『黙りなさいツカサ。あなたは連れていかないわよ。私は葉留佳と一緒にいきたいの。あなたはいらないわ』
『そんな心配しなくても、頼まれたところで行かないよ。ボクが行っても空気悪くするだけだし、なによりせっかくの家族の時間を邪魔したくはないしね。そんなことよりもボクを超能力を使ってまで半分無理来たくもないこの家に連れてきた理由を教えてくれないかな』
『実はまだ私の仕事は終わってないのよね』
『帰る。帰って相棒と研究の続きをすることにする』
『待ちなさい。残っているのは書類仕事だけなの。これをやってくれたら、私は葉留佳と一緒の晩御飯を食べることができるのよ』
『……つまり?』
『代わりにやっといてちょうだい。あと私の不在をごまかしといてちょうだい』
『待って。ちょっとってどれくらい?キミはそんなこと言って徹夜したことあっただろ!おいコラ目をそらすな。お前まさかッ!』
『さ、行きましょ葉留佳。何食べたい?ハンバーグ?お好み焼き?何でも好きなものを言ってちょうだいね』
『ボクを売りやがったね!?この裏切り者おオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
お姉ちゃんの超能力を使ってこの場から移動する前に聞いたツカサ君の声には、渾身の恨みつらみが込められていた。お姉ちゃんに背中を押されてファミレスへと入った後、私は目の前にメニューを広げられてもどうしたらいいのか分からなかった。
『何にするか決めた?』
『……頼んでいいの?』
『もちろん。何を遠慮しているの』
『だって、お姉ちゃんのお金だし』
『私のお金だというのなら、私がどう使おうが私の勝手ということになるじゃない。ほら、早く決めなさい。まずはドリンクバーでも頼みましょ。葉留佳が好きなオレンジジュースだって飲み放題よ』
『飲み放題?どれだけ飲んでもいいの?』
『ええ。身体壊さない程度に好きなだけ飲みなさい』
『うん。じゃあそれお願い』
結局何がいいのか私にはよくわからなくて、私はメニューに載っている人気ナンバーワンのミッスクグリルを注文した。お姉ちゃんは私と同じものを注文して、お揃いだねと微笑んでくれた。違うものと言えばジュースの中身くらいのものだった。
『ねえお姉ちゃん』
『なに?』
『迷惑、じゃない?』
このときの私は顔色をうかがうようだったことも覚えている。わたしはずっと不安だったのだ。私のことがお姉ちゃんの負担になって、無理をさせているのではないか。私のことを嫌いにはならないか。お前がいるからこんなに苦労するのだと、憎んだりするようなことにならないかと。
『どうして?またあいつらに何か言われたの?』
『だって私、超能力使えないし。お姉ちゃんのためにできることなんて何もないし』
『超能力が何?確かに便利な能力であることは確かだけど、言ってしまえなこんなものは葉留佳の悲しそうな顔を元気づけることすらできない程度の能力でしかないのよ。だからそんな顔しないで。笑って』
『……うん』
『私達はまだ社会で生きていくだけの力がない子供にすぎない。一緒にくらすことだって許してもらえない。けど、いずれ一緒に暮らしましょう』
『……うん』
ウェイトレスさんが持ってきてくれたミックスグリルはとても熱かった。今から思い返せばあんなものは冷凍食品を温めなおしたものに過ぎないのだと思ってしまうけど、家族と一緒のご飯はとてもおいしかった。
(……なんで今更あの時のことなんて思い出すんだろう)
三枝葉留佳は飛行機の中で目を覚ましたとき、そんな感想を抱いてしまった。
アメリカで理子に協力して理子の母親の形見の品であるデリンジャーを取り戻してからというものの、葉留佳はどうしてか昔の夢を見ることが多くなっていた。とても微笑ましく、幸せな夢だ。だからこそ現実と間で揺れ動き、気分が滅入る。
『皆様、まもなく着陸いたします。座席のリクライニング、フットレスト、前のテーブルを元の位置にお戻しください。ただ今を持ちまして、機内のオーディオサービスを終了させていただきます。お手元のヘッドフォンを客室乗務員にお渡しくださいますようお願い申し上げます』
英語を理解できない、話せない、聞き取れないの三拍子そろった葉留佳にとって日本への帰国が地獄から解放されたようなものであるはずなのだが、生憎と彼女の帰宅は幸福感にあふれたものにはならなかったようだった。
●
成田空港。
国際空港の名に恥じぬだけの人混みの中、安堵するかのような声が聞こえてくる。
「ああ、日本語が聞こえてくる」
「ここは日本なのだから当然だろう。一体どうしたというんだ?」
「そうは言いますけど姉御!! 英語が話せない分からない聞き取れないの三拍子そろったこのはるちんににとって唯一の言語たる日本語が聞こえてくるという状況がどれだけ安心すると思っているのですカ!!」
「葉留佳君の日本語も割かしおかしい気もするが……まあいいか」
来ヶ谷唯湖と三枝葉留佳。
二人はアメリカから帰ってきたのだ。
アメリカにおいて、砂礫の魔女と遭遇することになったりもした彼女たちであるが、無事に日本に戻ってくることができたようだ。
「そういえば理子りんや牧瀬君はいつ戻るか聞いてます?」
「牧瀬の奴は学会が終わった時点で帰ってくるんじゃないか?あいつは厨二病を煩わせているものの世界でもトップレベルの科学者の一人だ。峰君はアメリカで別れた時に調べたいものがあるとか言ってたからもう帰ってきていると思うぞ」
今この場に峰理子や牧瀬紅葉はいない。元々足並みを揃えて行動するような連中ではないのだ。そもそも牧瀬紅葉はアメリカには里帰りの最中だとか言っていたし、学会とやらが終わったとしてもそれから一週間ぐらいはアメリカに滞在しているかもしれない。元々『
「姉御はこれからどうします?」
「理樹君がぶっ倒れて病院に運ばれたって聞いたから地下でフルーツでも買って見舞いに行くとするよ。アメリカにいる時も私の委員会からの定時連絡は受けていたし、特にこれと言って今すぐの緊急の用事としてやらなければならないこともないしな」
「それじゃあ私はここで失礼してもいいですかネ」
「ん、どこか行きたいところでもあるのか?」
「……まあ、ちょっと」
「どこに行くのか知らないが、ゆっくりとして来るといいさ」
それじゃあ、と来ヶ谷に伝えて葉留佳はアメリカ帰りの荷物のトランクを引きずったまま離れていく。
寮生活をしている葉留佳にとって帰る場所と言えば東京武偵高校にある寮の自室である。
けど、葉留佳が目指したのは自室ではあるがもう一つの方だった。
駅から歩いて40分。自転車ならきっと20分くらいの距離だろうか。
バス路線から外れた住宅街の一角に目的の家はあった。表札に『三枝』と書かれている家だった。
ここは葉留佳の両親が住んでいる家。もう一つの家となっている場所だ。
葉留佳は家のチャイムを押そうとして、ふと動きを止めた。
(なんで私、家に帰ってくるのに自然にチャイムを押そうとしてるんだろ)
ここは葉留佳にとって実家となるべき場所のはず。
両親からは、いつ帰ってきてもいいようにと合鍵だって持たされている。
わざわざチャイムを押してまで入るような家ではない。
帰ってくるべき場所として気軽に玄関の扉を開けるべきなのであろうが、葉留佳は玄関の扉に触れる自分自身の手が震えていることに気が付いた。
(……私、なんでこんなとこに来たんだろ。普段来ようともいたいとも思わないのに)
息を整え、緊張を無理やり押さえつけて扉を開けようとしたが、ガッ!!という音が響いただけだった。なんてことはない。玄関には鍵ががかかっていただけのことである。
「……戻ろうか」
誰もいないことを確信した葉留佳は、自分自身がどこか安堵していることに気づいてしまう。
これではいけないのだとも思いつつも、これから合鍵で扉を開けて家に入ろうとは全く考えもしまいことであった。東京武偵高校にある自身の寮へと戻ろうと、アメリカ帰りのトランクを引きずったまま後ろへと振り返ったところで、
「……葉留佳?」
葉留佳はある人を見てしまう。ニッコリと微笑んでいるものの、疲れているかのようなしわを隠しきれていない女性がそこにはいた。顔立ちがどこか自分と似ているのだと思えてくる大人の女性。葉留佳の実の母親が、そこにはいた。
●
モノトーンで統一された壁、薄いクリームホワイトのカーペット。
本棚や机もあるものの、どこかがらんとしている。
年頃の女の子らしく、机の上にぬいぐるみの一つでもおかれているわけでもない。
ただ古ぼけたノートや筆記用具が転がっているだけの、生活環などまるでない部屋。
ここに来たからと言ってやることもなく、ただぼんやりとしていたらいつの間にか夕食時となっていたようでる。呼ばれたから部屋から出て、綺麗なダイニングルームについた。そこではセントラルキッチンに揃えられたピカピカに磨かれたステンレスの鍋やフライパンが光っていた。そして明るい赤と青の真新しいテーブルクロスには花瓶が置かれている。醤油やソースと言ったもののみならず、塩や胡椒、七味のトレイがちょこんと揃えられている。所狭しと並べられたおいしそうな料理がそこにはあった。でも、葉留佳はこれがら揃えられてから何年もたっていないことはもう知っている。
「水臭いぞ葉留佳。お前が今日帰ってくることを知っていたら、準備して待っていたのに」
「あなた、そんなことは言わないの。葉留佳も忙しいんだから。ねえ、葉留佳。今晩は付き合ってきれてありがとう」
「……別に。仕事帰りに近くを通りかかったからちょっと寄ってみただけ」
葉留佳が帰ってきているという連絡を受けたのか、葉留佳の父も急いで帰ってきていた。
父と母、そして娘。親子が揃って食卓についていることになる。
家族そろっての食事をするためにわざわざ急いで戻ってきた親を見ても、葉留佳には特に思うことはなかった。
父さんたちの仕事は大丈夫なのか、と心配する言葉を口に出すことも、久しぶりにあえてうれしいよと微笑みかけることも葉留佳はない。
(……やっぱりいつもと同じだ。ここでのご飯は、何度食べてもよく味が分からないや)
いつもと同じように、ただ無言で食事を口に含むだけである。
昔家族と食べたような、温かさなんて葉留佳は感じられなかった。
「そういえば葉留佳、最近学校の方がどうなの?」
「テストが終わっても気を抜くんじゃないぞ」
「そうそう、お父さんの言う通りよ。頑張ってね葉留佳」
「予習復習もしっかりとやるんだぞ」
「……」
冷え切った食卓がそこにはあった。
適当な相槌を打つことさえもない。いや、葉留佳にはその気すらない。そんな気なんて沸いてこない。
会話は表層を流れていくだけで、誰も互いの言葉など聞いてなんていないのだ。
「お友達とはうまくやってる?」
「チームメイトには迷惑をかけるんじゃないぞ」
「大丈夫よ、葉留佳ならきっと。ねえ葉留佳?」
「……」
「そ、そうか。ならいいんだが」
ふと思う。家族との食事ってこんなものなのだろうか?
こんな、一言一言に気を使わなければならないようなものなのだろうか?
これでは前、姉御について行った時、交渉という名の緊迫した食事会と何ら変わらない。
何を考えているのかを探りあって、表面上の笑っているだけの冷え切ったものでしかない。
こういうものは敵とするべきものであり、身内でやるようなものでじゃないはずだ。
(……ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは私と一緒にファミレスに行ったあの日、どんな気持ちだったの?)
両親たちは私からどんな言葉が出てくるものかと怖気づいているようにも思える。機嫌を損ねないように、最大限の配慮がはされているようにも思う。けど、そんなのはいらない。こんなものはむなしいだけだ。だから一言言ってやった。
「あのね、同じ会話して楽しい?」
聞くと目の前に座っている大人二人は、箸をおいて黙った。
「楽しい?楽しいの?ねえ、こんなことして満足なの?」
「楽しいわよ、葉留佳」
「ああ、楽しんでいる。私たちは楽しんでいる」
葉留佳は茶碗をいきなり壁に投げつけた。がしゃん、というガラスが割れる音が響き渡るが気にすることじゃない。そんなこと気にしてもいられない。葉留佳は椅子から立ち上がり、テーブルクロスを力任せに引っ張った。食器も、グラスも、調味料も。そしてきれいな花が飾られている花瓶でさえも散乱した。
「楽しい!?楽しいの!?」
これが。こんなのものが。これのどこが。
こんなもののどこに楽しいさを見い出せるのだろう。
「こんなの私、楽しくない!!」
「…………」
「帰る。私、こんなとこいたくない!!」
「……どこに帰るの、葉留佳?」
この家はどうしてもいたい場所だとは思えない。
血のつながった家族という本当なら好きな人たちがいるはずの場所なのに、嫌いな人たちがいる家だ。
自分の居場所と思ってもいいはずなのに、葉留佳にはどうしてもそのようには思えない。
最初に連れてこられた時のことを思い出す。
食事の時間すら苦痛しか存在しない毎日。
名前入りのフォークを見た時は、嫌味かと思ったものだ。
誰かに思い切り当たり散らす。
そんなわがままが許されていること自体が、本当ならすごくうれしいことであるはずなのに。
ただ虚しさしか存在しない。
(でも、好きだって言いたくない。嫌いじゃないけど、好きじゃない)
そして、
(あそこにいたいけど、いたくない)
矛盾していることは分かっている。でも、どうしても両親のことを家族だと思いたくない。
大好なたった一人の家族を差し置いて、こんなやつらを家族だと思いたくはない。
「――――――葉留佳ッ!?」
悲痛なまでの声が聞こえてきたが、葉留佳は振り返ることもなかった。自分の部屋へと戻り、荷物をつかむと超能力を使って外に出る。行ってきますと声をかけるつもりも起きなかった。
(―――――こうなるって分かってたはずなのに、どうして私はあんな家なんかに行ったんだ)
向こうは私に気を使ってきて、私はそんな両親たちにイライラして。
一緒にいたくはないからわざわざ寮生活まで始めたのに、どうして会いに行くだなんてことをしてしまったのだろう。本当は分かっている。私はきっとさみしいのだ。確かに武偵高校では友達もできた。姉御みたいな頼りになる人にだって巡り合えた。けど、家族ではないのだ。仲間と家族では、葉留佳にとって同じ大事なものだとしても大きな隔たりがあった。
葉留佳が東京武偵高校の前までたどり着いたときにはすでにお日様も沈み切って暗くなっていた。
ただでさえ一般入学を受け付けていないため定員の少ない
「―――――葉留佳」
理子だった。
なんのようだか知らないが、理子は葉留佳を待つために、彼女の住む寮の前で待っていたようである。
「なんだ理子りんか。なんか用?」
「なんか、機嫌が悪そうだね」
「そうだね。だから用事があるならまた今度にしてくれる?八つ当たりなんてしたくはないからさ」
「そうか。そんな葉留佳には悪いけど、あたしは今からお前にバッドニュースを聞かせなきゃならない。先に言っておく、ゴメンな、そして楽しかったよ」
「……一体何のこと言ってるの?」
理子が突然言い出したことの意味がまるで理解できずに困惑していた。
ここでやめておけばいいものを、理子は葉留佳との仲が絶望的となる一言を口にした。
「―――――あたしは、イ・ウーのメンバーだ」
突然の理子からのカミングアウトに、葉留佳がすぐには反応を示さなかった。
目立った変化といえば手にしていたカバンを葉留佳が落としてしまったことぐらいか。
それを合図にして、葉留佳はハハ、と笑い出す。
ハハ、ハハハ。アッハハハハぁぁぁアアア―――
「そっかそっかあ。理子りんはイ・ウーのメンバーだったのか。いやはや、このはるちんは全く気付きませんでしたヨ。そっかぁ、オマエがわたしの家族を奪った奴の一味だったなんてなぁ―――」
葉留佳は笑い続ける。
けど、ムードメーカー兼トラブルメーカーであった彼女が普段出しているような明るい笑顔とは大違い。
何かがなくなり、何かが壊れてしまったような廃人の笑い方であった。
「理子りん。君がどうしてイ・ウーにいるのかは知らない。知りたくもない。どうせわたしには関係ない」
だけど、
「オマエはここで、地獄二、堕チロ」
???『楽しかったぜェwwwお前との友情ごっこォ~~!!』
次回、葉留佳VS理子