私の友人は四冊買うとか言ってました。
牧瀬紅葉。
彼にとって武偵とは、別に目指している者でもなんでもない。
東京武偵高校という、れっきとした『武偵』を育成する学校に通ってはいるが、彼には武偵として生きていくつもりは微塵もないのだ。彼のような人間は
人間、一度でいいから特別な乗り物を乗りこなしてみたい。
そんな欲望を抱えた人間だって、武偵になれば夢がかなうことがある。
武偵になるのはあくまで手段であって、最終的な目的でもなんでもないだけだ。
天才と称された科学者を親に持ち、自分も科学者になるのだと信じていた彼が武偵を始めた理由はといえば……なんてことのない。単なるちょっとした家出である。
『姉さんは武偵になるの?』
彼が姉と慕う人間が、自身の夢のために武偵を目指すと聞いたとき、彼は素直にその夢を応援した。このときの彼としては、自分自身も武偵を目指そうなんて思ってもいなかった。
『うん。あたしは父さんの手伝いをする。そのためには、武偵となるのが一番だ。そして、いつか私は、父さんの
『おじさんは、鈴羽姉さんが遠くに行ってしまうのは嫌だってダダこねてたみたいだけど、よく説得できたね』
『すべては父さんを愛しているからだって言ったら、引き下がってくれた』
『あぁ……ダルおじさんは姉さんに甘いからね。』
『紅葉はどうするの?このままアメリカで過ごすの?』
『……俺は』
『まだ喧嘩したままだったよね。全く、あの人は実の息子に何をしているんだか……』
『姉さんは、母さんたちが今何をやっているのか知っているの?父さんが多忙で会えないのは昔からでもう気にならないけど、母さんだってもう三ヶ月以上も顔すら見てない。何をしているのか聞いても、全く答えてくれない。生きているのかすら、ダルおじさん経由で姉さんから聞いたんだ』
『あまりくわしくは知らないよ。あたし自身父さんがかまってくれないから、私は自力で強くなると決めた。だから武偵になることにした。父さんの側にいたら、あたしは甘えてしまう。家族は人を強くしてくれるけど、同時に弱くもする』
『強いね、姉さん。俺はそんな姉さんが大好きだよ』
『なんなら紅葉も一緒に来る?』
『……へ?』
『紅葉だったら、工学系の部門なら飛び級だってできるんじゃない?それであたしを手伝ってよ』
『一緒に行ってもいいの?』
『あたしとお前の関係は?』
『仲良し姉弟』
『じゃ、何の問題もない』
実際、日本に行って試験を受けてみたら、あっさりと合格通知が届いた。
武偵中学の正規受験ものではなく、武偵高校のインターンの合格通知ではあったが。
武偵にとっては実力が重視とされる。
それは、命にかかわる仕事をすることがあるからだ。
自分の失敗で誰かの人生を台無しにしてしまうだけではなく、そのまま自分の命すら死に直結することだってあるから当然だ。
『やっぱり俺は浮くなぁ……』
武偵中学を素っ飛ばして、インターンとして東京武偵高校にやってきた彼が最初に出会うのは、同じくインターンとしてやってきていた少年となった。そして、そいつはのちに牧瀬の相棒として行動することになる少年であった。
『やぁ。キミもインターン生なの?この時期にやってきたインターン生はボクら含めて三人みたい。同期としてよろしくね』
『あぁ、よろしく頼む。俺は牧瀬。牧瀬紅葉だ。お前の名前は?』
『ボクの名前はね、
●
「お前まさか……三枝一族か!?」
牧瀬への返答は言葉ではなく行動にて行われた。
襲撃者は牧瀬の頭をつかむとそのまま地面に叩きつけたのだ。
ガツンッ!!脳天を揺さぶる音が響きわたり、牧瀬紅葉の視界はぼやけかけた。痛みで反応が遅くなりつつあったが、彼はなんとか状況を把握しようとする。彼自身周囲への警戒を怠っていたわけではないのだ。たとえ葉留佳が見たというオオカミが彼の前に不意打ちで突撃してきたとしても、どうにか対処できるだけの用意はしていたつもりだったのだ。それなのに、紅葉はまるで反応できなかった。
「ガハッ!?」
「質問するのはこちらの方だ。牧瀬紅葉」
牧瀬には考える暇など与えないと、襲撃者は牧瀬紅葉の思考がはっきりとする前に質問してきた。
視界がぼんやりとかすみがかるものの、彼はある事実を確認する。というより、思い出した。
――――――俺はこいつの顔を一度見たことがある。
確か去年の頃だったはず。聞きたいことがあるからと言って訪ねてきた男だ。
『牧瀬君ですね。ちょっといいでしょうか?そう時間は取らせませんから』
『はぁ……どちら様でしょうか』
当時の牧瀬紅葉は、委員会を始めてちょうど実績を信用を積み上げてきて委員会連合への加入を推薦でもらえたことであったから、割と多忙で忙しかったころでもあった。インターンで中学の時点から武偵高校に入っていたため単位を揃えていたため、授業を休んでまで仕事を受け持っていた。普通にサボってネトゲやったりしている今とは違うのだ。
『あなたのお友達の
今でもよく覚えている。言葉だけ聞けば、いなくなってしまった身近な人と想って心を痛めながら探している人に聞こえる。けれど紅葉にはとても、そうは思えなかったのだ。どこか探るような視線で射抜いてきたし、何よりニコニコしていることが何よりも胡散臭く感じた。何より、親族のたちの中に人のことを想うことができるような心優しい大人がいるなんてことなど、一度たりとも聞いてはいなかった。
物事の偽装なんて騙される方が悪いとまで言いきるような人間である彼が出した結論は、こいつは嘘をついているということである。ニコニコ微笑えむやさしいはずの笑みは張りぼてのように薄っぺらく感じる笑顔に見え、人を騙す化け狐のようにも思えてきた。どこかの新聞記者だかなんだか知らないが、その時の牧瀬はこう言ってやったものだ。
『―――――ハッ!?さてはお前、「組織」が送り込んできたエージェントだな!この俺が混沌を総べる狂気のマッドサイエンティストだとしって刺客を送り込んできたか!!残念だが、オレはあいつのようにはいかんぞ。俺はそう簡単に消されたりはしない!』
こちらのことを向こうはどう思ったのかはわからない。道端でのことだったから周囲の人たちからのひそひそとささやく声が集まってきていたし、不審者がいるということで通報までされた。なにやらあっけにとられていて様子だったし、探るだけ無駄だと判断されたのか通報されたとわかった瞬間にこいつは姿をけした。その後はなぜか牧瀬紅葉がパトカーで連行されるということになったものの、その後こいつは一向に現れる気配もなかった。でも、二年余りの時を経て、今こうして再び牧瀬紅葉の前にこいつは姿を現した。
(……待て。待て待て待てよ、待ってくれッ!!どうしてここで三枝一族なんかが出てくるんだッ!?)
牧瀬紅葉は科学者として、感情のままに行動するよりは物事を理屈で考えるほうが得意な人間である。
だからこそヘルメスとグルであった
だが、そこから先の結末に関しては彼はすぐに結論を出すことなどできなかった。
急な不意打ちで焦ってしまったということもあるだろう。彼は今、必死に心を落ち着かせようとしていた。もっとも、慌てて落ち着かせようとしている時点で全く落ち着いては居ないのだか。
襲撃者に顔面を床にたたきつけられ、クラクラとする頭で考えられる可能性を考える。
いまいち頭が回っていない牧瀬紅葉が結論を出すより先に、襲撃者は話しかけてきた。
「お前は確か、三枝一族の……ッ!!」
「久しいな、牧瀬紅葉。やっぱりお前は三枝一族のことを知っていたか。あの時はコケにしてくれたもんだ。バカなふりをして誤魔化すとはな」
「おまえがなぜこんなところで出てく――――」
ガツンッ!!ともう一度牧瀬は頭を床に叩き付けられた。
もともと身体なんて全く鍛えていない科学者の彼には受け身をとることなんてできるはずもなく、痛みを軽減することも到底できはしない。
「もう一度言う。お前に聞きたいことがある」
「きき、たいこと?」
ともあれ、現時点では情報が少なすぎる。質問の内容から情報をかき集めていくしかない。
何を聞かれるのか、と緊張しながら耳にする。
「簡単なことだ。ある人物の居場所だよ。どうしてお前がこの場にいるのかは知らんが、のこのことやってきたなら確認するまでのことだ」
「居場所?」
「ああ、お前の相棒は今、どこにいる」
「……知らんなあ。むしろ俺が聞きたいくらいだね。あ、そうだ。二木の奴なら知っているかもしれないぞ。聞いてみたらどうだ」
今の質問で紅葉は確証が持つ。目の前のこの男は間違いなく、三枝一族の者だろう。
二木という名前を出したとたん、こいつは露骨に嫌そうな表状を浮かべたのを見逃しはしなかった。
そして、ダメ押しのために牧瀬は一言口にする。
「なぁ、三枝
それは、ある人物の名前であった。牧瀬は襲撃者の顔が一瞬とはいえ動揺したのをはっきりと見て取った。牧瀬にとってこの名前は特別なものではなく、何個かある心当たりの中から順番に名前をあげていくつもりであったのだが、反応を見るにいきなりあたりを引いたようである。
(こいつが三枝一族の者であることは確定したな。そうなると考えられる可能性は……)
こいつがこのタイミングで出てきたことは偶然ではないはずだ。
この人払いの結界を張ったのがこいつなら、あの狼の主とこいつは間違いなくつながっている。
じゃあ、こいつの目的は一体なんだ?
牧瀬の中では小夜鳴は完全なる黒。小夜鳴とヘルメスはつながっていると思っている。
だが、こいつがどういうつながりでここにいるのかははっきりしない。
「……まあ、細かいことなんていいか」
「何がだ」
「お前が二木が殺しそびれた三枝一族の
言うと同時、牧瀬の左目の周辺部分に紫色の紋章が浮かび上がり、彼の左目が緋色へと変わった。
それを見て襲撃者は、押さえつけていた手を放して反射的に牧瀬紅葉から距離をとった。
「おまえ、
「距離をとったな?
「怖い?バカ言うな。そんなことなどたいした問題ではない。俺にとって距離なんてものは関係ない」
「知ってるよ。お前ら三枝一族の者は、戦闘ができることを鼻にかけるような連中ばかりであったことぐらいしっているさ。そんなだったから周りから嫌われる!亡くなっていい気味だなんて陰口を叩かれる!同じ一族の奴からだって、どうでもいいとまで言われるんだッ!!」
牧瀬紅葉は強気でこうは言っているものの頭では理解していた。どうやったところで自分ではこいつを倒すことができないだろう。三枝一族には個人的な恨みがある。本心を言うと、ここでこいつを潰せるものならつぶしておきたい。けれど悔しいが、本当に悔しいが何をどうしたところで勝算はない。三枝一族を相手にして、根性論でどうこうできるような実力差ではないのだ。根性論でどうこうできる相手だというのなら、アリアは佳奈多を倒せているだろう。
そもそも牧瀬がどうこうできるような相手なら二年前の時点で手を打っていた。
それができるのならば相棒が失踪という形で姿を消すことにはならなかったかもしれない。
ずっと勉強ばかりしてきて、すっかり理屈っぽくなってしまった自分にようやくできた相棒が守ろうとした人を魔女だと後ろ指をさされるようなまねをにはさせずに済んだのかもしれない。そして、家族からの愛情を失った人の悲しい笑顔を見ずにはすんだのかもしれないのだ。
(三枝一族の超能力者は最年少公安0の記録を更新した根っからの戦闘特化の
あと可能性があるとしたら、対オカルト特化の超能力を有する
少なくとも相性がいい超能力でもなければ、
(奴はまだ俺のことを
牧瀬の左の眼の周辺に紫色の紋章が浮かび、彼の左目が緋色に代わっていることから三枝一族の男は牧瀬のことを
三枝一族を相手にするときは一瞬のスキが命取りとなる。だが、こんなものは少しでも身体が反応できるようにとやっているだけで根本的な解決には至っていない。そもそもの問題として、あくまでも科学者である牧瀬紅葉では
(俺にこいつを倒すのは無理だ。三つある俺の奥の手はどれもこれも展開速度で負ける。そして逃げきることも無理だ。アメリカで海に潜れて隠れていたときのように『
勝てないとわかっているが、援軍は一切期待していない。
三枝一族相手に下手に頭数だけ揃えても何の意味もないのだ。
せいぜい人質を取られるのが関の山だろう。そうなると、道は一つ。
(こいつから引いてもらうようにしむけるしかないッ!!俺たちとの交戦を、避けるように仕向けるしかないッ!!)
幸いにも牧瀬は三枝
まともにやったら勝機はないため、はったりでなんとか乗り切るしかない。
相棒のこともあり三枝一族に存在していた恨みつらみもあって覚悟を早々に決めた牧瀬紅葉は、怖気づいてなるものかと自分を奮い立たせるために言い切った。
「いいか覚悟しろッ!!わが名は牧瀬紅葉にあらず!それは世を忍ぶ仮の名にすぎんッ!!我が真名は鳳凰院喪魅路ッ!!世界で最も偉大な科学者の、鳳凰院の名前を受け継ぐ者ッ!!時代遅れのおまえら
牧瀬がぶら下げていたキーホルダーのようなものに手を触れた瞬間、彼の目の前が突如光に包まれる。もっともこの光は閃光弾のように目くらましにつかえるほどのものではなかった。そのまま直したところで全く支障などきたさないものだ。だが、光という本来物体を持たないものが集まり馬の形を形作り、光が消えたと同時に機械仕掛けの馬が現れた。でも、こいつを馬と言っていいのかもまた微妙なところである。『
「式神か。こんな機械仕掛けの式神なんて初めて見たな」
本来式神とは、魔術師の指示で動く人形である。その材料となるのは砂であったり紙であったりと割と単純なものである。そのほうが作りやすいし、なにより一体にかかる費用がうく。複雑な材料で作ったとしても、元を取れるだけの性能がなければ意味がないのだ。砂や紙ならその辺にあるものを使えばいいだけである。こんな全身機械仕掛けで、コストの面を考量すればどうしたところで割に合わない式神を見て三枝葉平は興味深そうに見つめていた。
「科学者が使う魔術人形か。これまた滑稽なものだな。科学者としての道を外しながら、それで科学者を名乗るから魔術師としても異端のものになる」
「さあ、狂気のマッドサイエンティストが作り出した人類の叡智というものを見るがいい。お前ら
突如出てきた機械仕掛けの馬が突撃してくるのを見ても、三枝葉平は何も慌てることもなかった。
もともと三枝一族は高速戦闘能力を有している。銃弾でさえ平気で見てから躱すことができるような人間には、ローラーで突っ込んでくるものなんてたいした脅威にはなりえない。こいつが突撃してきたとしても平然と無視して、葉平ならば平気で牧瀬紅葉本人との距離を詰められる。
「こんなガラクタで――――――っておい。どこに行く?」
あきれたような溜息を葉平はついていると、なんと牧瀬は三枝葉平を相手に背を向けて全力ダッシュを行っていた。ペースもなにも考えていない文字通り全力疾走。
「逃がすと思うか?」
葉平が足に力を踏み入れたと同時に彼の姿が消える。超能力による高速移動だ。
そこらの中学生にすら負けるのではないかというスピードの牧瀬では当然逃げ切れるわけもない。
死の木馬の横を平然と通り過ぎ、牧瀬に迫ろうとした葉平であったが、牧瀬に触れるか触れないかというところまで迫った時に葉平の足はふと止まった。
「――――――小賢しいことを」
牧瀬は自分と三枝葉平の一面にワイヤートラップを逃げる途中にセットしていたのだ。
『死の木馬』を出て意識がそちらに向いた瞬間を見計らって、魔術を使ってワイヤーの罠を張っていた。
葉平の
(……命を刈り取れ、『ナイトジョーカー』ッ!!)
あいにくと、全力疾走中の牧瀬には葉平に話しかけているだけの余裕はない。もちろん今の罠でくたばってくれたら楽だったのにと心の中では悪態をついているが、そんなことを口に出せるほどの余裕は彼にはないのだ。葉平がワイヤーの見えざる壁をぶち壊す前に、牧瀬は次の手段に出た。
『死の木馬』の背の部分にあるマンポールのような中がパカって開き、もういったい式神が出てきたのだ。等身大の鎌を持つ、トランプのジョーカーの絵に描かれているピエロみたいな人形である。ナイトジョーカーと呼ばれた人形は鎌を振り回しながら葉平を切り刻もうと刃をふるっていた。
「遅い。こんなもので三枝一族を相手に通用すると思うな」
そんなことなど百も承知。
葉平が牧瀬紅葉の機械仕掛けの式神に追われている間も牧瀬は目もくれずに目的の場所へ、Dホイールのある場所へとたどり着りつく。
「逃がすと思うのか」
「逃げる?逃げているのはお前のほうだろッ!三枝一族の
あのバイクで逃げるつもりかと葉平は思ったが、牧瀬がやったのはそんなことではない。彼はDホイールに取り付けられたキーボードをカタカタと必死にたたき、Dホイールに魔力を循環させる。
葉平は知らないのだ。あのバイクが本来移動用として作られたものではなく、一種の霊装としての機能を備えていることなんて知るわけがない。牧瀬紅葉は逃亡のためにバイクに縋り付いたのではなく、勝ち目のない相手に一矢報いるためにバイクを操作しているのだ。そして、牧瀬はホケットからフロッピーディスクのようなものをDホイールに差し込んだ。
「
すると周囲にパリンッ!!という何かが砕け散る音が鳴り響いた。
人払いの結界が粉々に砕け散ったのだ。
「フハーッハハハ!!人払いの結界を破壊してやったぞ。これで俺の
「ほう。どんなものか知らんが、お前みたいなガキがテレポーターをとらえられるとでも?」
「俺じゃない」
「……?」
「お前を倒すのは俺じゃない。それにはうってつけの奴がいるだろ?お前たちを殺したいほど憎んでいる三枝一族の超能力者がな。俺の
「……佳奈多が来るというのか」
「いや、そっちじゃない。来るのはもう一人のほうだ。あいつはそもそもこの場に一緒に来ている。今頃狼の方だって今頃片付いているだろうよ」
一瞬の沈黙が場を支配する。
佳奈多と葉留佳は同じ超能力を扱える人間であるが、単純な戦闘となると二人の差は大きすぎる。
来るのは佳奈多ではなく葉留佳だという情報は葉平にとってはありがたいことであるはずなのに、葉平の表情はどうにも優れない。
「アメリカでは面白いことを確認させてもらった。双子の
実際のところ、牧瀬紅葉は
あくまで体質を近づけているだけで、
「……そうか。佳奈多に余計なことを吹き込んだのはやっぱりお前ら二人か……ッ!!」
苛立だしいと腹を立てながらも、葉平は牧瀬に背を向ける。
このまま立ち去ってくれと心の底から祈りながらも、牧瀬紅葉は見た人が世界一むかつくような忌々しい顔芸を披露しながら言ってやった。
「ざまあみやがれ」
露骨に舌打ちした葉平がこの場から消えたと同時、牧瀬はぐったりと座り込んでしまう。
生きた心地がしなかったがなんとか生き延びた。
気が完全に抜けてしまったということもあるのだろう。
(怖かった。本当に怖かったよう……)
基本的にビビりなところがある牧瀬紅葉は安心してしまって結果として泣きそうになりながらも自分は今生きているという事実をかみしめていたとほぼ同時、ちょっと前まで聞いていた声を聞いた。
「牧瀬君、大丈夫!?何があったの!?」
「……ああ、お前か。なんとか生きてるよ。そっちはどうだった?」
「なんかネ、レキュがオオカミをペットにしてた!!」
「なんだそりゃ」
葉留佳がやってきたことで、慌てて牧瀬は左目に浮かぶ紋章を消した。
三枝一族の男と遭遇したなんてことは一言も口に漏らさずに、彼は葉留佳からの報告を聞いていた。
そして、いつしか牧瀬が葉留佳に向ける表情は微笑ましいものを眺めるようなやさしいものへとなっていた。
―――――ホントコイツ、普通の人間だよな。
普通の人間のように笑い、怒り、人に気を使う。
実際三枝一族の大人と対峙してみて心からそう思った。
当たり前のことの思えても、その実葉留佳がこのように育ったことは奇跡だと思う。
『砂礫の魔女』のパトラしかり、『焔の魔女』の星伽白雪しかり。方向性こそ異なれど、超能力というもの受け継ぐ一族に生まれ落ちた人間は極端な人間が多い。三枝一族という暗部を代表する一族に生まれてこうも普通に成長できるとは彼には思えなかったのだ。
「それで、これからどうするの?結局小夜鳴先生のことは何も調べられなかったけど、また調査する?」
「いや、悪いけど個人的にやることができた。小夜鳴教諭のことは当面放置しておこう。そろそろ俺の仲間が目を覚ましてもいいころだし、お前はお前でやることあるならそっちを優先してくれていいぞ」
「そうは言っても姉御からの連絡待ちだからなぁ」
「あいつならもうじき手が空くと思うぞ。お前をサポートとして派遣できるのはこのテスト期間だけだと言ってたしな」
「本当!?」
「ああ、もうじき連絡が来るんじゃないか」
牧瀬紅葉が言ったことが本当なら、葉留佳はいよいよ自分の目的へと一歩近づいたことになる。
やることは泥棒の手助けだとはいえ、葉留佳にとっては家族を取り戻す手掛かりをつかむことになる大きな一歩だ。家族と取り戻すんだと意気込む葉留佳を見て、すぐに牧瀬紅葉は何とも言えない悲しそうな表情を浮かべることになる。
(……ごめんな)
心の中で謝りながらも、牧瀬は口には出さなかったが葉留佳を心配していた。
どうか、この子には、幸せを与えてやってください。