なんで無傷なの?
遠山キンジ。神崎・H・アリア。そしてメイドの
この三人が紅鳴館で働く最終日こそ、理子の母親の形の十字架を取り戻す作戦の決行日であった。
なぜこの日なのかというと、なんてことはない。根っからの研究者であった小夜鳴と会話で研究所から遠ざけようとしたときに、話題にするなら最後の記念にいう口実が一番もっともらしいからであった。作戦決行は三人が館を去る一時間前、すなわち午後五時を予定している。
「では、遠山さんは帰りの荷物の準備をしていてくださいね。私は責任者として、小夜鳴先生と最後の挨拶をしておきますので」
「はい、わかりました」
奥菜恵梨さんは来ヶ谷の委員会の人間だ。詳しい事情を知っているのかは分からないが、少なくとも時間稼ぎには協力してくれることになっている。アリアは今、庭で改良種のバラ『アリア』の話を記念に聞きたいとおびき出していて、奥菜恵梨はアリアの話が打ち切られても何とか時間を稼ぐために隠れてアリアの様子をうかがっている。もともとキンジら三人が来なければ小夜鳴以外誰もいなかった屋敷だ。今屋敷の中にいるのはキンジだけのはずだが、キンジは作戦開始の場所となっている遊戯室の扉を開けると同時にもう一人の人影を確認した。
「ヤッホー」
「……便利なもんだな、お前の超能力」
三枝葉留佳。『
「それじゃ、さっさと行こうか」
「ああ」
葉留佳は紅鳴館の見取り図を図面上では見てはいるものの、実際の様子などは全く見ていない。図面を頼りに外からいきなり集合地点となっているこの部屋へと転移してきたのだ。したがって、道案内は当然キンジが務めることとなる。
「ここだ」
潜入期間中に、キンジがコツコツと掘っておいたトンネルをもとに、二人は地下金庫へと忍び込む。この作戦において大前提となっているのは、とにかく目的のもとを入手するために時間はかけてはいられないということである。葉留佳の空間転移の超能力ならば、扉にどれだけ強固な鍵がかかっていたとしても地下金庫の中に入ることはできるだろう。でも彼女がそのまま地下金庫へと転移するわけにはいかない。そんなことをしたら、すぐに探知の罠に引っかかってしまって作戦が台無しだ。ゆえに、理子が考えた作戦は『
(……さすが、リュパンの曾孫ってところだよな)
キンジにはこの作戦が合理性を追求した結果のようにも思える。現在の地下金庫の状況、そして自分やアリア、そして葉留佳の超能力といった持てる手札をすべて有効に切っているとキンジは感心してしまった。
でも、問題はここからだ。
薄暗い金庫の中では目的の十字架は陳列棚の上に無防備に置かれているように見える。だが赤外線ゴーグルを使ってみれば、十字架の周囲には縦、横、斜めに複雑に入り組んだ警戒網が張られているのだ。この光の網が一瞬でも途切れようものなら、アラームが鳴り響いて一巻の終わりだ。釣り糸を引っ張り上げてようとしても赤外線の網に引っ掛かる。作戦ではこれを担当するのは葉留佳ということになっているが、キンジがどうするのかと聞く前にキンジと葉留佳の二人がつけているインカムから声が届いた。
『葉留佳君、いけるな?』
状況の質問というよりは、確認の内容であった。来ヶ谷唯湖はリアルタイムの情報を扱う放送委員会を自前で持っている。彼女の立場上、作戦全体を見渡して場合によっては計画を変更することも考慮に入れなければならないのだが、口調から判断して彼女には葉留佳が無理という返事をするとは全く思っていないように思える。事実、葉留佳は当然だとすぐ返した。
「私が今から言う針金をどんどん私に渡して」
「ああ、分かった」
「B15を二つ連続、c19、c5」
キンジが取り出すよりも先に、葉留佳は自分のベストのポーチから形の異なる針金を二三個取り出してつなげていた。それからはキンジに次の針金の準備をさせて、それを受け取って作業を進めていく。
「E12、C7、A16、D6」
葉留佳が手にしている針金は数センチずつではあるが確実に近づいて行く。
(……す、すげえ。こいつ、こんな特技があったのか)
葉留佳はノータイムで複雑な三次元の赤外線をどう通り抜けるかを立体的に把握し、それに合う針金を選択しているのだ。それには全体の完成形の把握と、それに至るまでの空間把握が必要になってくる。ヒステリアモードの状態ならまだしも、今のキンジにそんなことはできない。葉留佳の意外な特技にキンジは驚いていたが、よくよく考えてみたらこれはそんなに不思議なことではなかったりする。
魔術師と違い、身体が体質からして魔術を使うのに馴染んでいるタイプの
(第一、この手のことを姉御に散々やらされたんだ!今更失敗なんかするもんかっ!)
実を言うと、一年前はそんなに空間把握能力が優れていたわけではない。超能力を手にしたばかりのころ、すなわちまだ超能力をとてもじゃないが実戦でなんか使えるようなものではなかった頃、来ヶ谷が葉留佳の超能力の特訓場所として選んだ遊園地『ハートランド』でひたすら特訓した。最初はUFOキャッチャーからスタートして、いつの間にか暴力団のアジトに忍び込むことにまでなっていたりした。
「C7、A16、A13、D5」
葉留佳が作り出す、複雑に曲がりくねりながら伸びた針金の先端がもうちょっとで理子の青い十字架に届く。キンジのインカムに着けられた小型のデジタルカメラから送られてくる映像を来ヶ谷唯湖の個室たる第三放送室のモニターで見ていた理子は、葉留佳とキンジの方は何も問題がないことを確信していた。だが、問題はもう一方の方。アリアから緊急の暗号が来たのだ。小夜鳴がもうじき研究室に戻ろうとしている。これはアリアがしくじったのではなく、雨が降ってきてしまったのだ。
(……運がないわね)
こればっかりは仕方がない。アリアは自分たちの運のなさに内心舌打ちにながら何とか時間を稼ごうとして入るものの、
『さ、小夜鳴先生』
『なんです?』
『あ、いえ、なんでもないですけど。えっと』
『……はい?』
『いい天気ですね!』
『え?雨が降ってきましたけど……。でも、こうしてはいられませんね。いくら武偵と言っても、女性が雨に長時間あたっているわけにはいきません。ほら、残念ですが今回はこれで戻りましょう』
『え、あ、ちょ、ちょっとまってくだ』
どうやら全くあてにはなりそうにない。かと言って、どうしたものかと理子が慌てふためくこともなかった。アリアの時間稼ぎが限界が来ても、次には恵梨が控えている。アリアが時間稼ぎの最終防衛ラインというわけではないのだ。恵梨は立場的には来ヶ谷唯湖の仲間であり、すなわちキンジたちの協力者である。だが、あくまで小夜鳴にとってはメイドと執事の研究に来たキンジとアリアを監督する派遣会社の女性という認識なのだ。潜入期間も、恵梨は仲間であるアリアとキンジを前に態度を一切崩さなかった。ゆえに、小夜鳴も武偵高校の生徒ではない恵梨を相手にはそう馴れ馴れしくはできないだろうし、アリアとは別視点の話から時間を稼げるだろう。また学校で、などという一言で会話が終わることもないのだ。
「おいエリザベス」
「ん?」
「お前、何もしないのか」
今回の作戦に置いて、キンジと葉留佳の侵入組、アリアと恵梨の足止め組のどちらにも属さない理子と来ヶ谷の二人は現場にいる必要がない。どんな状況になろうがどっしりと不動の構えをしていればいいのだが、来ヶ谷は何もする気がないようであった。予定が変わってきているから葉留佳に急がせることも、状況を伝えることもない。
「だって葉留佳君は慌てると失敗しやすい人だからな。このまま黙っている方が成功率が高い」
もとより、本当に限界がきて空間転移による強制離脱を指示する場合を除いて、これ以上はこちらから連絡を入れるつもりは彼女にはなかった。先ほどは確認こそ取ったものの、こうしろなどと指示は出さなかった。それは来ヶ谷が葉留佳ならできると信じているということでもあり、たった一年間とはいえずっと一緒にいた二人の信頼の証でもあった。
「そもそも、もしも謝ることがこちらにあるとしたら、君の十字架を取り戻せないことじゃない。この段階となると、泥棒としての君の実力を発揮できる機会が全くないことだ」
「それは別にどうでもいい。私が手を下さなくても、勝手にあたしの大切な宝物を持ってきてくれるというのならそれはそれで本望だ」
実際、理子の泥棒としての能力は高い。理子自身が単身忍び込むことも考えたときは、厳重だったこともありそれだと失敗しそうだとは思ったものの、絶対無理だとは思わなかった。より確実な手段に出るためには、葉留佳の超能力テレポートが魅力的すぎたのだ。最初は理子がワイヤーを潜り抜けるための指示を出す予定だったのだが、そんなことをするまでもなく葉留佳一人で何とかなった。
「それより
葉留佳の超能力について一番詳しいのは現状では来ヶ谷だ。今回の作戦においても、葉留佳と来ヶ谷は割と好き勝手にやらせてもらっている。ちゃんとした事前調査と案内さえあれば何の問題もないとまで最初に言い切っていたぐらいだ。何を根拠にそんなことを言うのだとか子供じみたことを言うつもりは理子にはない。二人の実力ならアメリカでの一件のこともあり信頼できる。それに、葉留佳もインカムの向こうの相手が理子よりも来ヶ谷の方が安心するだろう。ただ、成果と引き換えに好き勝手やらせてやる代わりと言っては何だが理子が来ヶ谷と葉留佳の二人に出していた条件がある。……まあ、二人にとって、取引とかいうほどのものではないのだが。
「そのことについては私ははっきり言って無関係だし、当事者である葉留佳君なら了承したぞ。だから私たちは君の言う通りにはするが……ホントにそれ、うまくいくのか」
「どういう意味だ?まさかあたしが負けるとでも?」
「いやそういうことじゃない。君のいう計画の大前提となっているのは遠山少年がアリア君のことを異性として意識していることなんだが……そうなのか?」
「それこそ何の心配もない」
「そうだったのか。……お、そろそろ恵梨君が小夜鳴教諭と接触する頃だな。頼んだぞ恵梨君」
●
(……ホント、ついてないわねッ!)
アリアは正直焦っていた。急に雨が降ってきたことによる運のなさはこの際あきらめるとしよう。
雨の中立ち止まらせるような口実なんて思いつかない。
ここは素直に仲間であるメイドの恵梨さんにすべてを託し、彼女と何気ない会話を挟むことで小夜鳴先生が研究室へと戻るための時間稼ぎに徹しようと思っていたのだが、
(ちょっと。恵梨さんどこにいったのよーッ!!)
非常にまずいことに、アリアは恵梨と合流できないでいたのだ。
「神崎さん」
「あ、はいッ!なんでしょうか先生!」
「雨にそこまで濡れませんでしたか」
「だ、大丈夫です!」
「そうですか。ならよかった。僕みたいな非常勤の講師ならともかく、神崎さんのような現場で働く武偵にとってはちょっとの風邪でも影響が大きいでしょうからね。なんなら仕事が終わったら、お風呂に入ってから帰られますか?まだメイド服のままのようですし、着替えついでに入って行ってもいいですよ」
「そ、それこそ遠慮しておきます。雨にあたったのはあたしだけですし、それじゃキンジや恵梨さんを待たせてしまって申し訳ないです。先生こそ大丈夫でしたか?なんならあたしが今からお風呂の用意をさせますが」
「こちらこそ大丈夫です。それじゃ、戻りましょうか」
玄関に入ると、幸いにも先生の方から心配そうに体の様子を聞いてくれたけど、その会話も終わってしまった。 そんな時、ガタガタという何かが転げ落ちてくるような音と、ギャーという悲鳴が聞こえた。その悲鳴を聞いて真っ先に顔色が変わったのはアリアだ。
(まさか。まさか恵梨さんの身に何かあったの?あたしたちが気づかなかっただけど、先生のほかに誰かいる?まさか、ブラドってやつが戻ってきたんじゃ……)
ブラドがどういう存在か、今一つ分かっていないところが多い。この紅鳴館の主である小夜鳴先生と面識があるのだから少なくとも表向きは友好的な人間を装っていたりするのだろうが、最初に小夜鳴先生に仕事の説明を受けたとき、実のところあまり知らないのだという返答が返ってきていた。
「何かあったのかもしれません。見に行きましょう」
「はい!」
泥棒が侵入してきて鉢合わせになった可能性がある、と小夜鳴先生に避難を促す必要があったのかもしれないが、深く考えるよりは行動に移すタイプであるアリアは、小夜鳴を連れて悲鳴の場所まで行くことにした。
「え、恵梨さんッ!」
二階へと続く階段のそばで、地面に倒れている奥菜恵梨の姿があったのだ。手に持っていたであろう、バスタオルも彼女のすぐそばに散らかっている。アリアはすぐに彼女へと駆け寄り、様子を確かめた。
「いったい何があったの!?誰にやられたの!?」
「雨が……雨が降ってきたから、アリア様と小夜鳴様にバスタオルを持って行ってあげようを思っていたのですよ。そしたら……」
「そしたら!?」
「階段から転げ落ちました」
「…………」
「やはり、急いでいたからといって三段飛ばしなんかに挑戦したのが間違いだったのですよ。クッ」
「クッ!じゃないわよ!!」
「グエッ!?」
あまりにも情けない負傷理由に、拍子抜けしてし合ったアリアは感情の赴くままに恵梨の頭部にチョップを叩きこんだ。グシャ!という嫌な音が響いた気がしてやりすぎたかと思ったものの、目を回して倒れたままの恵梨の大きなオパーイを見ているとなんだか苛立ってきて別にいいかと思い始めた。
「さ、小夜鳴様。このような失態を見せてしまって、申し訳ありません。とりあえずこのバスタオルは死守しましたので、どうぞお使いください」
「お、奥菜さん。あなたこそ大丈夫なのですか。どこか身体を打ってしまったのではないですか。見たところ捻挫とかはしてはいなさそうですけど……。なんだったら、ちょっと休んでいきますか?」
「大丈夫です、と言いたいところなのですが……たった今、頭を強打してしまいまして、ちょっとくらくらします……うう」
弱弱しい口調でそうつぶやいたかと思えば、恵梨はそのままメイドにあってはならないような白目をむき、意識が飛んだ。小夜鳴が何度か呼び止めるも、恵梨は白目のまま一向に返事をしない。うう、とうめくような反応ぐらいである。どうみても、恵梨にとどめを刺したのはアリアのチョップである。
「神崎さん。いきなり人の頭を叩くのはどうかと思いますよ。武偵なんですから、どんな時でも心を落ち着かせましょう。それに奥菜さんは神崎さんの教育のためにいらした方なんですから、そんなことをするべきではないですよ」
「はい、すいません先生」
「このままでも仕方ないので、まずは恵梨さんを運びましょうか。正直僕は非力でして、神崎さんにお願いしてもいいでしょうか」
「分かりました」
アリアは自分の一回りほどは大きな体格を持つ恵梨を抱えると、そのままゆったりと彼女を運び込んでいく。
「ほら、しっかりしなさい」
「ひー、ふー、みー?」
「ダメそうねこりゃ」
使えるべき主の手を煩わせてしまうというメイドとしてあるまじき醜態をさらしてしまった恵梨であった。だが彼女の救護をするために時間をくってしまったため、小夜鳴が研究室に戻ることにはもう葉留佳もキンジも自分の仕事を終えて足跡一つ残さず撤収していた。葉留佳に至っては、超能力を使ってこの紅鳴館からすでに完全に離れたようである。はたして恵梨は、役に立ったと言えるのだろうか。
「ほえー?」
主人の役に立つ。それがメイドの本質だというのなら、このメイドは一体誰にとってのメイドと言えるのだろうか。
本編の外伝である「ScarletBusters!~Refrain~」の連載を始めました。
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