隣のワンダーアリス   作:押花

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令和でもよろしくお願いします。


第7話「雨」

「ええと……」

 

 俺は食堂で一人、昼食のパンを食べながらスマホの画面で次の授業の教室を確認する。

 

 大学選抜チームと社会人チームの試合から一週間が経つ。あの時俺は一緒に試合を観戦していた鈴木を置いて一人で逃げるように試合会場を去った。

 帰宅してから具合が悪かったから帰ったという嘘と謝罪の言葉を連ねたメールを鈴木と島田さんに送ったが、次の日は罪悪感や情け無さで一日中家に引きこもっていた。

 

 しかしそうやってずっと家に籠っているわけにもいかない。俺が勝手に絵本で失敗して、戦車道に成功している島田さんにコンプレックスを感じているだけだ。鈴木にも心配かけるだろうし、これ以上何かから逃げるのは嫌だったので学校だけはちゃんと行く事にした。

 

「よう暮井、ここいいか?」

 

 突然声を掛けられて顔を上げると鈴木が居た。俺が返事をする前にラーメンが乗ったトレイを机に置いて俺の正面に座る鈴木。

 島田さんの試合以降正直少し気まずかったが、断るほどでもないのでそのまま食事を続けた。

 

「なあ、暮井」

 

 それから数分互いに無言で食事をしていたのだが、ふと話しかけられた。

 

「お前、体調はもう良くなったんだよな?」

「………ああ」

 

 鈴木の問いかけに目線を下げたまま答える。

 

「……でも元気はねえよな」

「…………」

 

 今度は答えられなかった。

 元気がない。

 そうかもしれないな。絵本を捨て、島田さんの試合からは逃げ、とりあえず何かにしがみついていたくて学校にだけは行っている。そんな状態だ。遊びに行ったり友達と話したり、とかそんな事は試合後の一週間していなかった。

 

「何か悩んでるんだよな、きっと。俺でよかったら相談に乗るぜ?」

 

 その言葉に顔を上げて鈴木を見ると、俺を真っ直ぐ見て優しく微笑んでいた。相変わらず鈴木はイケメンだな、なんて思った。そしていい奴で、真っ直ぐだ。

 鈴木も何か向いている事があって、成功している側の人間なのかもしれない。そう考えると鈴木の真っ直ぐな視線が辛くなって思わず目を逸らしてしまった。

 

「………心配かけてごめん。でもすぐ元気になるからさ」

 

 俺は鈴木に視線を戻し、愛想笑いを浮かべながらそう言った。

 

「………そうか。まあ、それならいいけどな」

 

 言いたくなければ言わなくてもいい。鈴木はそんな様子だった。ああ、こいつやっぱりいい奴だ。でもだからこそ優しさが辛かった。

 

「でもよ、暮井。あれから島田さんとちゃんと話したか?」

 

 島田さん。

 その言葉が鈴木から出るだけでズキリと胸が痛んだ。

 

「あ、ああ。何回かは話したよ」

 

 咄嗟に嘘をついた。

 試合後に挨拶もせずに逃げ帰ってしまったから気まずいというのもあって、あれから俺は島田さんと話していない。

 別に島田さんの事が嫌いになったわけじゃない。ただ俺なんかが彼女の隣にいて良いのか、才能のある彼女と俺じゃあ友達として釣り合わない。そんな気がして島田さんを避けてしまっていたのだ。

 

「………まあいいか」

 

 俺が嘘を付いたのを察したのかそれともただ返す言葉に詰まったのか、鈴木は一呼吸置くとそう言った。

 

「とにかく島田さんも心配してたからよ。早く元気になれよ!」

 

 言いながら鈴木はトレーを持って席を立った。

「じゃ、俺次小テストだからさ!」とこの場を去る鈴木をなんとなく目で追っていると、ふと立ち止まるのが見えた。彼の目の前に居たのは島田さんだった。片手を上げて挨拶をする鈴木と軽く会釈をする島田さん。

 ここからだと何を話しているかは聞こえなかったが鈴木が俺の方を指差して居るのが見えた。

 島田さんがそれにつられて俺の方を見る。

 

「っ!」

 

 目が合ってしまった。

 彼女もそれに気づいたのかほとんど無表情だった顔が少し緩んだように見えた。

 だが、俺はすぐに島田さんから目を逸らす。

 俺は島田さんに気付いていないようなそぶりで食べかけのパンを袋に戻し急いで席を立つ。そして島田さんが居る方とは反対側に歩き出した。少し申し訳ないと思いつつも、距離が離れてホッとして居る自分に嫌気がさした。

 

 でも仕方ないんだ。俺と彼女は釣り合わない。今一緒にいても、自分の無能さを突きつけられて居るようで正直辛いだけだ。

 これはどうしようもない。仕方ないことなんだ。

 そう自分に言い聞かせて俺はまた逃げた。

 

 

 

 ◇

 

 

「あっ……」

 

 思わず愛里寿は声を漏らした。

 

「ん、どうした?」

 

 彼女の目の前に立つ鈴木が心配そうに愛里寿を見る。

 

「その………暮井さんが………」

 

 悲しそうな目をする愛里寿。その視線の先を見ると背中を向けて歩き出した暮井亮の姿があった。

 

「あっちゃ〜。タイミングが悪かったな〜。まあそんな悲しい顔すんなよ。暮井とはお隣さん同士なんだろ?またいつでも話せるさ」

 

 そう言って励ます鈴木の言葉も、愛里寿の頭には入ってこなかった。

 目があった気がしたのに、亮は愛里寿に背を向けてどこかへ行ってしまった。いや、“目があったから”かもしれない。

 

 …………やっぱり私、避けられてるのかな。

 

 そんな考えが頭をよぎり、「はぁ……」と愛里寿はため息を漏らした。

 

 

 

 

『………はぁ』

 

 ───そんなため息を聞いたのは何度目だろう。

 戦車道の大学選抜チームで副官を務めるアズミ、メグミ、ルミは同時にそう思った。

 練習後のロッカールーム。そこでため息の主、島田愛里寿は落ち込んだ表情を浮かべていた。

 本来なら練習後は賑やかな雰囲気のロッカールーム。今日は社会人チームに勝ってからまだ一週間しか経っていない。むしろいつもより賑やかでもいいはずの場所は、暗い雰囲気に満ちていた。

 原因は隊長である島田愛里寿だ。

 練習中は落ち込んでいる様子を外に出さないものの、戦車から少し離れるとすぐにため息をついて暗い表情をするのが最近の愛里寿の常となっていた。

 そんな彼女を心配してか、他の隊員も引きずられてチーム全体が暗い雰囲気を纏ってしまったのだ。

 

 そんな隊員達の事も気づかず愛里寿は黙々と着替えると一人、愛里寿はロッカールームを後にした。

 ……ふぅ。と誰かの気が抜けたような声が部屋に響き、少しだけ暗い雰囲気が明るくなる。

 

「やっぱり隊長、元気ないわね」

 

 とアズミ。

 

「一週間前の試合からよね」

「あれよ、隊長の友達が途中で帰っちゃったから」

 

 続けてメグミとルミ。

 

「全く、途中で帰るなんてあり得ないでしょ!!もう一人の鈴木くんって子はいい子だったしイケメンだったけど」

「あ、ルミもしかして狙ってる?」

「アズミ、今はそんな話をしてる場合じゃないでしょ。確かに鈴木くんはイケメンだったけど………今は隊長をなんとかしなきゃ」

「でもなんとかするって言ったってなぁ………私達も隊長の事をすごく知ってるわけじゃ無いし………」

 

 ルミのその言葉を境に三人はう〜んと唸りながら会話が止まる。

 少し間を空けて、メグミがポツリと呟いた。

 

「隊長の好きなものって言ってもボコくらいしか知らないし………」

 

 さらに沈黙が流れる。……が、アズミとルミは何かに気付いたように同時に「あっ!!」と口を開いた。

 

「そうよそれよ!ボコのなにかをプレゼントしてあげればいいんじゃない!?」

「好きなものを貰えば嬉しくなるもんでしょ!!」

 

 そんな二人の主張にメグミも「確かに……」も頷く。

 

「あ、でもグッズとかだと被っちゃったりするかも………。ほら、隊長だいぶ前からボコ好きだったじゃない?きっとグッズもたくさん持ってるハズよ」

「あ、それはあるかも…………」

「じゃあ被っても困らないものにするとか?キャラクターものの図書カードとかよくあるしそういうチケット系ならいいんじゃない?」

「おっメグミ頭いい〜!」

 

 パチンと指を鳴らしながらルミが言った。

 

「でも、ボコって結構マニアックなキャラだしそんなのあるのかしら……」

 

 しかし、そのアズミの言葉で議論は止まってしまう。

「う〜む」と唸りながらスマホでボコのグッズを調べ出すメグミ。何回か画面をスワイプし、“それ”は見つかった。

 

「あったわ……これ………」

 

 メグミはスマホの画面を二人に見せる。

 

「「ボコミュージアム………入場チケット……?」」

 

 画面を見たアズミとルミは同時そう言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 戦車道の訓練を終え、電車に乗って一人暮らしをしているアパートへと帰る愛里寿。

 ガラガラの電車の隅っこの席に座って、「はぁ……」と今日何度目かわからないため息をついた。

 彼女の手にはスマートフォン。画面には亮に送ったメッセージが写っていた。

 送った内容はたった一文。

『暮井さん、もう体調は平気ですか?』

 ただそれだけだった。

 送った日時は四日前の朝十時。

 しかしそのメッセージに返事はない。どころか既読すら付いていなかった。

 

「……やっぱり避けられてる」

 

 そう呟くとさらに愛里寿の表情は沈んだ。

 気分が落ち込んでいるからか、頭も痛いしぼーっとする感じもした。

 一週間前の試合から彼女と亮は一度も話せていない。以前はお隣さんなこともあって一緒に学校へ行ったりもしていたが、亮が早めに家を出ているらしく一緒に歩く事は無かった。

 一緒に受けている授業ではいつも近い席に座っていて授業が終われば二人でご飯を食べていたのだが、最近は離れた席に座り授業が終わると亮はすぐに居なくなってしまう。

 さらに送ったメッセージの無視。

 そして今日。食堂で目があったはずなのに気付かないふりをされてしまった。もしかしたら本当に気付かなかっただけかもしれない、とも思ったがそれ以前に明らかに避けられているような行動を取られている。

 それを考えるとやっぱり今日も“避けられた”のだろう。

 

「………っ!」

 

 改めて認識すると胸が痛んだ。

 愛里寿は気を紛らわせるために開いていたメッセージを閉じ、画像フォルダのボコを見る。

 画面をスワイプし、たくさんのボコの画像を見る。しかし愛里寿の気持ちは晴れることはなかった。いろんな画像を表示していると、ふとボコ以外の写真が目に留まった。

 

「あっ……」

 

 その写真には、テレビに映るボコをバックに笑っている愛里寿と亮の姿があった。ボコの映画を亮の部屋で見たときに記念にと撮ったものだ。どちらが言い出して撮ったものだったか……。それは思い出せなかったが、あの時間が楽しかったものだったのは覚えていたし、写真の愛里寿と亮は楽しそうに笑っていた。

 今ではこんな写真。きっと撮ることはできない。

 

「暮井さん……」

 

 思わず愛里寿は名前をつぶやいた。

 それと共に胸が痛み、喉が閉まって息が苦しくなる。次に溢れてきたのは涙だった。

 

「暮井さん……暮井さん……!」

 

 今まで当たり前のように仲良くしてくれていた亮。

 飛び級したせいで同世代の友人がおらず、寂しい思いをしていた愛里寿を救ってくれたのは亮だった。亮のおかげで鈴木と知り合い、苦手だった人との会話が少し出来るようになった。おかげで戦車道のチームのみんなと少し距離を縮めることが出来た。

 わがままを言って二人で参加した映画研究会の新歓。怖い先輩に絡まれた時も亮が助けてくれた。そして一緒にボコの映画を見てくれて、ボコの絵もくれて、一緒にご飯を食べて………。

 

「私、何か悪いことしたのかな……」

 

 やっぱり頼りすぎたのだろうか。迷惑をかけすぎたのだろうか。

 

 ───もう仲良くはなれないのかな。

 

 愛里寿は一人嗚咽を漏らす。

 電車の音はそれを掻き消してはくれなかった。

 

 

 

 愛里寿も少し落ち着いた頃。電車は彼女のアパートの最寄駅へ着いていた。改札を抜けて駅の外へ出る。しかし外は弱めの雨が降っていた。

 予報では雨じゃなかったのに……。と愛里寿は内心腹が立った。いつもはこんな事では何とも思わない彼女だったが、亮のこともあって精神がすり減っていたのだ。

 イライラしたからか何となく感じていた頭痛がひどくなり頭を抑える。

 

「とりあえず帰らなきゃ……」

 

 これくらいの雨なら傘がなくても平気だろうとぼーっとした頭で考えて愛里寿は歩き出した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

「うわ、雨か……」

 

 四限の授業が終わり、外に出ると雨が降っていた。予報では晴れだったから傘なんて持ってきていないぞ。まだ雨弱いみたいだから今のうちに走って帰るか?

 

「暮井!今から帰りか?」

 

 そんな事を考えていると突然声をかけられた。振り向くと人懐っこい笑みを浮かべた鈴木が立っていた。

 鈴木は腕にバレーボールを抱えている

 よく見ると昼間の格好とは違い運動しやすい半袖短パンに着替えていた。

 

「これからサークル?」

「そっ!暮井は帰りか?」

「ああ、もう授業も終わったしね」

 

 そう答えると鈴木はうむ、と頷き「じゃ、サークルがあるから!」と背を向けて去っていった。

 サークルか……。

 そう言えば映研の新歓に島田さんと一緒に行ったな。あの頃は島田さんの凄さをいまいち気付いてなくて俺がフォローしなきゃなんて恥ずかしい事を考えていた。

 きっと俺なんかが居なくても島田さんならなんとか出来ていたに違いない。

 

「……っ!」

 

 俺は恥ずかしくなって左手で顔を抑えた。

 ああもう、何考えてるんだ。

 そんな思考を振り切るように俺は雨の中を走った。家までは徒歩十五分。走れば十分以内に着く。

 しかし、いくら弱めの雨とはいえ家に着く頃には上半身はびしょ濡れになっていた。

 走ってきたため水が跳ねて靴の中もぐしゃぐしゃだった。

 

「早くシャワー浴びないと……」

 

 アパートに着き、二階の自室に向かうために階段を登る。そこでにゃあ、という鳴き声が聞こえた。

 ちょうど俺の部屋の前に太った黒猫、ボスが居た。いつも飯をたかりに来る黒猫だ。最近は来てなかったから何かあったのかと思ったが、どうやら無事みたいだ。

 

「雨で体冷えただろ。待ってろ今お湯とご飯を………」

 

 そう言いかけて気づいた。

 ボスが何かを持っていることに。屈んで見てみると、それは何かの缶詰だった。

 缶詰は半分開かれており、ボスはその隙間に舌を入れて中身のものを食べていた。

 

「何だよ……それ……」

 

 初めて出会った時は他の野良猫に喧嘩で負けて食料を手に入れられなかったボス。それを餌をあげて助けた時からの付き合いだったが、とうとうボスは自分の力だけで餌を手にすることが出来るようになったみたいだ。

 

 ──俺だけだ。

 島田さんは戦車の天才で、ボスまで自分の力で生きていけるようになって、俺だけ何も成長していない。

 

 そんな事を考えた時だった。

 カツン。と階段の方から音がする。

 音のした方を見ると、そこには全身を濡らした島田さんが立っていた。

 

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