イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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 この作品はFateと東方の設定が(作者に都合よく)混ざってます。
 日本には冬木市もあれば幻想郷もあります。魔境かな?


第一部 冬木インフレイム
PROLOGUE


 

 

 

 銀髪の少女は、朱い眼をしていた。

 冷たい空気の中に毅然と立ち、白色の少女を見下ろしている。

 

 白髪(はくはつ)の少女は、紅い眼をしていた。

 暗闇のような色をした木の根本に座り込み、銀色の少女を見上げている。

 

 深く、暗く、寒い寒い森の中。

 曇天の空の下で二人の少女は出遭った。

 この世に運命(Fate)というものがあるのなら、これは紛れもなくただの偶然であり、悪く言えばただの事故で、必然性の類は特に無い。

 銀髪の少女の眼差しが鋭くなると同時に、空気が張り詰めていく。張り詰めさせている。

 やわらかな声色でありながら、心臓さえ凍てつくような冷たさを孕んで言葉を紡ぐ。

 

 

 

「問うわ――貴女は敵のマスターかしら?」

 

 

 

 返答を誤れば死。

 返答を誤らなくとも死。

 そんな確信を与える冷淡な声に対し、白髪(はくはつ)は小首を傾げて脳天気に訊ね返す。

 

「お嬢ちゃん、お名前は?」

「――イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。そう言えば分かるでしょう?」

 

 分かるはずだ。まったく無関係な部外者が、この森にいるはずがないのだから。

 だから、分からないとばかりの態度を取られては癪に障る。

 白髪(はくはつ)は眉根を寄せつつ、無防備に視線をそらす。

 名乗りを上げた少女――その後ろに屹立する巨大な人影を指さした。

 

「そちらさんは保護者さん?」

 

 彼は最初からイリヤの後ろに立って成り行きを見守っていた。

 少女達が言葉を交わしている間、物言わぬ巨岩のように。

 133cmのイリヤの倍はあろうかという巨躯は巌のような肌と筋肉に包まれており、生物の本能を鷲掴みにするプレッシャーを与えてくる。

 肌は鉛色に変色し、服装は腰巻き一枚という益荒男の出で立ち。

 理性なき双眸が獣のように光り、漆黒の髪はまるで雷雲のよう。

 その右手には、岩を切り出したような巨大な斧剣が握られている。

 一言で表すなら怪物だ。

 そんなものを当たり前に従えている少女は、みずからの優位を信じて疑わない。

 

「フンッ。御三家じゃなさそうね、外来の魔術師かしら――そんな下手な偽装で誤魔化せられると思ってるの?」

「偽装? なんの?」

「魔術回路をオフにするだけで気づかれなくなるのに……なんなのよ、それ」

 

 主導権を握っている、いや、握ろうとしている銀髪の少女イリヤは露骨に眉をひそめた。

 魔術師である事を隠すなんて、魔術師として当然の事であり、簡単な事である。

 しかし白髪紅眼の女は陽炎のような魔力を漂わせていた。

 陽炎のよう――つまり、魔力の質も量もぼやけてよく分からない。

 恐らく能力を隠すための偽装。

 だがそれは、戦闘中に魔術を行使する段になって行使すべき偽装。

 

 迷子のやる事ではない。

 

 冬木の街から車で一時間はかかる郊外の森、しかも結界の張られたアインツベルンの領域へ侵入しているのだ。

 陽炎のような魔力をまとい、能力を隠していたのだ。

 聖杯戦争はおおよそ一週間後には始まる予定なのだ。

 

 敵以外のなんだというのか。

 

「うーん……魔術と言われても専門外だ」

 

 白髪(はくはつ)女はなんとも煮え切らない態度で、木の根の合間に尻を収めたままだ。

 白髪(はくはつ)の上着は白いブラウス一枚で、とても冬に着るような装いには見えない。

 下は紅いズボンをはいており、サスペンダーが肩まで伸びている。

 デザインがどうにも和風っぽい。ハカマの一種だろうか? 日本文化について教えてくれる身内がいたおかげで、イリヤにもその程度の判別は可能だ。しかし、ズボンのあちこちに貼りついている長方形の札はなんなのだろうか。継ぎ当て? なんて貧乏くさい。

 そして頭の後ろには、継ぎ当てと同じデザインの紅白リボンを結んでいる。

 

 イリヤは、自分と正反対の服装だなと思った。

 今は外気の寒さをしのぐため紫紺のコートを羽織っているが、その下には紫色のベストに白いスカートを着用している。

 ふわふわでポカポカの冬らしい装いで、どれも着心地抜群の高級品。目の前の貧乏くさいのとは違う。

 そして自慢の銀髪を守るのは紫色のロシア帽だ。

 

 服装には心が表れる。

 髪も目も似たような色をしており、上が紫で下が白のイリヤと、上が白で下が紅のコイツ。

 心の在り方も、あるいは服装センスも、正反対なのだろう。

 まあ、最初の獲物としては打ってつけなのかもしれない。

 

 コイツの上半分も紅く染めてやれば、イリヤ好みの格好になってくれる。

 

「あんた異人だよな。ここは日本じゃないのか? いやでも日本語……んんー?」

「いつまでとぼけているのかしら。人の領地に忍び込んだ挙げ句、名乗り返しもしないなんて。日本人は礼儀を守らないと首を斬られるんじゃなかったの?」

 

 とは言ったものの、目の前のこの女が名乗り返す事はないだろうとイリヤは察していた。

 これは"聖杯戦争"なのだ。

 己の素性や能力を隠すのは基本戦略であり、わざわざ名乗るのは騎士道精神やブシドーに則って正々堂々と戦おうとする酔狂な者か、絶対に負けないという確固たる自信の持ち主くらいのもの。

 この女は魔術師として異質で歪な奴ではあるが、わざわざアインツベルンの森に忍び込み、しかも小さな坂ひとつ越えるだけで城が見える位置まで監視網を潜り抜ける腕前を持っている。

 

 名前を明かす愚を犯す可能性など1%にも満たない。

 

 

 

「ああすまん――藤原妹紅(ふじわら の もこう)だ」

 

 

 

 1%にも満たない事態に陥った。

 

 イリヤはパチクリとまばたきをし、侵入者の瞳を凝視する。

 なにかおかしな事を言っただろうか? なんて思いが伝わってくる、間の抜けた表情がそこにあった。演技のはずだが演技に見えない。素面にしか見えない。

 そんなだからイリヤの気も抜けてしまう。

 

「フジワラ……ノモコ」

 

 侵入者の名前を復唱する。

 日本人はファミリーネームが先だ。

 

 フジワラ、は、日本人としてポピュラーな苗字だったはずだ。

 空港の受付がFujiwaraだったのをぼんやり思い出す。

 

 ノモコ、は、珍妙な響きに思える。

 しかしそもそも日本人自体が珍妙な存在だし、文化も生態も珍妙だし、日本の女性名は「こ」で締めるものが多いと聞く。

 その場合「子供」の「子」を使ったはずだ。イリヤは賢いので分かる。

 

「そう。もういいわ。名前も分かった事だし、フジワラ・ノモ子――殺すから」

「は?」

 

 イリヤの無邪気な殺意に呼応して、暴風のような殺意が空気を重く圧し潰す。

 背後でずっと成り行きを見守っていた巨漢が、圧倒的質量を誇る斧剣を安々と振りかざした。

 

「待て、何でそうなる」

 

 妹紅この期に及んでとぼけるつもりらしい。

 だがその表情は強張り、唇は引きつっている。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 言葉にならない雄叫びを轟かせるそれは、バーサーカー。

 アインツベルンが呼び出した、イリヤスフィールが呼び出した、最大最強のサーヴァント。

 それに敵と認められ、生き残れる道理がこの世のどこにあろうものか。

 

 無慈悲に、作業的に、右手の斧剣が振り下ろされる。

 かすっただけで人体など血煙となって消え去るであろう暴虐の一撃が来ると理解してすぐ、藤原妹紅は真面目な表情になって跳ね起きた。

 速い。

 バーサーカーの理性なき力任せの一撃も、妹紅の回避行動も。

 一瞬前まで座っていたとは思えぬ速度で横に飛び、直後さっきまで背にしていた木が爆散した。舞い散る木片にデコレーションされながら妹紅は声を上ずらせる。

 

「なっ――その怪力、鬼か!?」

「アハッ。日本のゴブリンはとっても力持ちなんだっけ? お団子で退治できるって聞いたわ。でも残念、わたしのバーサーカーはお団子なんて怖くないの」

「団子て」

 

 逃げた獲物を狙って、第二撃を放つバーサーカー。横振りの猛撃はまさしくあらゆるものを薙ぎ払う烈風と言えよう。

 妹紅は完全に斧剣の射程に入ってしまっており、避ける手段は飛ぶか伏せるかしかなかった。

 飛べば地面に着地するより先に第三撃が大惨劇を引き起こすだろう。

 伏せればすぐにでも踏み潰されるだろう。

 一秒後の血祭りを確信し、銀色の少女は笑みを鋭くする。

 妹紅が選択したのは、飛ぶ事だった。

 大地を蹴り、バーサーカーすら飛び越えんばかりの勢いで、垂直に宙へと飛び上がったのだ。

 その足元を烈風が駆け抜け、余波が妹紅の白髪(はくはつ)を巻き上げる。

 

(――髪、長いな)

 

 フッとイリヤは笑った。自分の銀髪は腰までしかないが、妹紅の髪は足首近くまである。

 あれでは邪魔ではないだろうか。歩いていて、地面を擦ってしまわないだろうか。

 その長髪をなびかせて、ニッと藤原妹紅は笑った。

 

 バーサーカーの、空の左手が繰り出される。獲物を捕まえ、引きちぎるために。跳躍の勢いが衰えるタイミングを獣じみた嗅覚で狙いすましている。

 バーサーカーの手が伸びる。もうすぐ獲物を鷲掴みにする。もうすぐ獲物を握り潰す。

 だが、訪れるはずの時は訪れなかった。

 グンと加速するように、妹紅は空高く昇っていく。

 高く、バーサーカーよりも高く、森の木々よりも高く、妹紅は比喩表現ではなく物理の現象として飛んでいた。

 イリヤは当惑し、呆然と見上げる。

 

「えっ……なに?」

 

 手のひらに収まるほど小さく見える高さで静止した妹紅は、キョロキョロとに首と視線を巡らせる。広い広い、寒々とした森を見回して何かを探しているようだ。

 そしてすぐ一点に視点を定める。――イリヤの暮らすアインツベルン城の方向。

 こんな女を招いた覚えはないし、招く予定もない。

 

「――バーサーカー!!」

 

 忠実なサーヴァントには、その一声だけで十分だった。

 手近に落ちていた拳ほどの石、バーサーカーにとっては指で摘める程度のそれを拾うと、空の敵へと投げつける。飛ぶ鳥も落とす勢いのそれが、果たして妹紅に当たったのかイリヤには分からなかった。しかし当たったにせよかすったにせよ、妹紅はバランスを崩して頭から落下を始める。

 

「まさか礼装も無しに飛行魔術を使えるなんて思いもしなかったわ。少しだけ見直して上げる、聖杯戦争のマスターに選ばれるだけの――」

 

 いや違う、そうじゃない。

 イリヤはまったく状況を理解していなかった自分に気づく。

 アレがマスターであるならば。

 アレにはサーヴァントがいるはずなのだ。

 あの馬鹿げた態度に気を取られて、なんて迂闊な。

 慌てて周囲を見渡すも、あるのは暗い色の木々ばかり。何の変哲もないアインツベルンの森だ。

 

「バーサーカー! 貴方もサーヴァントなら、同じサーヴァントの気配は感じるはずよ!」

 

 探せ。

 守れ。

 それらの思惟は確かにバーサーカーに届いたはずだ。

 だがバーサーカーの双眸は妹紅に向けられたまま。

 それも仕方ない。サーヴァントの気配など、どこにもないのだから。

 それよりもまずは眼前の攻撃から主を守らねばならないのだから。

 

「火の鳥――」

 

 バーサーカーは理解していた、石は当たってなどいない。

 敵はちょっと首を傾けただけで安々と回避し、そのまま反撃に転じただけだ。

 

鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)ーッ!!」

 

 妹紅が落下しながら掌を振るう。

 強力な魔力が爆発し、炎となって冬の空気を焼き焦がした。

 放たれた炎は力強く羽ばたく。羽ばたくためには翼がいる。翼があるのは鳥だ。

 炎が、鳥の形をしていた。

 猛禽類が獲物を狩るかのように、バーサーカー目掛けて急降下をしてきたのだ。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 斧剣が斬り上げられる。竜巻の如き力の奔流は、迫り来る火の鳥をただの一撃にて爆発四散させる。だがその火力は散り散りとなりながらも豪雨のように降り注ぎ、あまりの熱気の息苦しさにイリヤは肝を冷やした。

 魔術師が、あんな一瞬で生み出せる火力ではない。

 何か仕掛けがある。宝石魔術のように魔力を溜め込んだ礼装を使ったのかもしれない。

 この期に及んでサーヴァントに戦わせようとしないのは不可解だが、ともかくあいつを殺せばすべて解決する。

 バーサーカーならあんな奴、あっという間に殺してくれる!

 そんな信頼をあざ笑うかのように妹紅は火の鳥の軌跡をなぞって肉薄し、振り上げられた斧剣の横をすり抜けてくる。

 攻撃的な笑みを浮かべて身体を縦回転させ、振り上げた右足に紅蓮の炎を宿らせた。

 

「鬼退治なら、キビダンゴのひとつも欲しいもんだが――なっ!」

 

 バーサーカーの顔面にかかとが叩き込まれる。

 女の細い足で蹴られたところで鋼の肉体に与える影響など皆無。しかしイリヤですら戦慄した炎がバーサーカーの頭部を包み込んだ。

 

「■■■■!?」

 

 肌を焼かれ、酸素を奪われ、バーサーカーは当惑の声を上げる。

 そこへさらに追撃が走る。未だ炎上するバーサーカーの頭部に足で組みついた妹紅は()()()ように手を振るった。そのたびに炎が三本の線となって空中を走り、火爪となって大気を切り刻む。鋭く強力な連撃は周囲の木々すら焼き切り、切断面の黒く染まった倒木が何本も転がった。だが肝心の肉が裂ける音も手応えも無く、妹紅は戦慄する。

 

「チッ――なんて硬さだ!」

 

 自慢の火爪がまったく通らない。

 それはそうだ。バーサーカーの剛体は岩よりも硬い。生半可な攻撃はもちろん、強力な攻撃だって通らない。

 バーサーカーが暴れる。己にまとわりつく羽虫を払うように、頭に組みついている小さな敵へとがむしゃらに手を伸ばす。

 妹紅は素早く飛び退くと、数メートル離れた空中にピタリと静止する。

 ついさっきまで脳天気な表情で苛立たせていたが、今は覇気に満ちた双眸でバーサーカーを睨みつけている。

 

「なんなのこいつ! 式神だか使い魔だか知らんが、これだから鬼って連中は」

「……? …………予想外にやるようだけど、その程度の力じゃわたしのバーサーカーの敵じゃないわ。さあ、貴女もサーヴァントを出しなさい。フジワラ・ノモ子」

「あー?」

 

 ノモ子と呼ばれた妹紅が眉根を寄せて睨んでくる。

 だがそんな事はどうでもよかった。

 これだけ戦って、未だサーヴァントの気配が感じられない。

 舐めているのか。

 それとも気配遮断スキルを持つアサシンを潜ませているのか。

 それとも――。

 

「それとも、貴女自身がサーヴァントなのかしら?」

 

 正体の掴めない陽炎のような魔力も、スキルや宝具によって隠蔽しているのだとしたら。

 キャスターかと見紛うほどの飛行魔術の精度も、強力な魔術を息をするように連発できるのも、それが理由だとしたら。

 未だ確証は無い。しかし揺さぶりをかけてやれば、ボロを出すかもしれない。

 イリヤのドヤ顔による指摘に対し、妹紅は。

 

 

 

「いやだから何の話だ」

 

 

 

 真顔で眉をひそめられた。

 バーサーカーがブンブンと頭を振って炎を払うその隣で、ドヤ顔のイリヤは頬を引くつかせる。

 ここまで色々推理したんだから、もうちょっとリアクションってものがあるのに。

 でも妹紅はお構いなしに問い返してくる。

 

「サーヴァントって……召使いだっけ? それなら()()()()()()()()()()がそんなようなもんやってたな」

「肝……試し……? 貴女こそ何を言ってるの。聖杯戦争に決まってるでしょ」

「なんだかよく分からんが、戦争ごっこならこの鬼を退治すれば私の勝ちだな。燃えてきた」

「バーサーカーを退治する? 貴女が? 面白くない冗談ね」

 

 苛立ちが加速し、嫌悪が深まり、殺意は鋭く。

 胸がムカムカするのを抑えもせず、情動のままにイリヤは叫ぶ。

 

「何をモタモタしてるのよ、このノロマ!! 今すぐ殺してッ、バーサーカー!!」 

「■■■■――ッ!!」

 

 主の罵声を受け止めて、巌の如き巨人は一直線に突進する。

 圧倒的プレッシャーを前に、白髪紅眼の女は笑った。

 

「ハッ――怪物なら殺しても問題ないな!」

 

 笑って、あろう事か、笑いながら。

 藤原妹紅もバーサーカーに向かって突進した。全身に紅蓮をまとい、火の鳥となって鈍色の巌へ一直線に。

 正面からぶつかり合って、バーサーカーが負ける道理はどこにも無い。

 ならば勝利は必定。

 理性なき巨獣は磨き抜いた本能によって、完璧なタイミングで斧剣を振り抜いた。

 かするだけで肉も骨も弾け飛ぶ一撃が直撃し、火の鳥は無数の火の粉となって消し飛んだ。

 

 一片の肉も無く。

 一本の骨も無く。

 一滴の血も無く。

 

 バーサーカーの筋力と斧剣がいかに強力といえど、こうまでなるものなのか。

 イリヤの抱いた一瞬の戸惑いは、バーサーカーの背後に生まれた光で遮られる。

 光は人型に燃え上がったかと思うや、殺したはずの藤原妹紅へと変貌した。してやったりとばかりに笑いながら。

 

「転移――!?」

 

 炎で目くらましをし、転移魔術で後ろに回り込んだ?

 だとしたらなんという早業なのか。異なる魔術を同時に、高レベルで使いこなすとは。

 イリヤは驚愕に固まり、バーサーカーはそもそも何が起こったのかを理解しておらず、妹紅は全身を回転させつつ脚を炎上させて鞭のような蹴りを放った。

 

 それは意識外からの奇襲であり、無防備で延髄という急所へと叩き込まれてしまう。

 しかし巌の剛体はびくともしない。

 むしろ蹴った側の足が異音を立て、奇襲したはずの妹紅はバランスを崩して落下する。

 さらに蹴りのちっぽけな衝撃のおかげで、見失った敵の居場所を突き止めたバーサーカーは振り向きざまに剛腕を振るう。

 

「しまっ――!」

 

 言い切れないうちに、バーサーカーの裏拳が台風のような遠心力と共に衝突音を響かせる。

 イリヤは見た。藤原妹紅の身体がひしゃげ、ほぼ水平にふっ飛ばされていく。

 不意を突けたくせにあの醜態、その滑稽さにイリヤは残酷な笑みを作る。

 炎の目くらましもなく、転移魔術もなく、今度こそ確実に仕留めたのだと確信した。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「お城の方に殴り飛ばすなんて……リズに片づけてもらわないと」

 

 なんて言いながら、馬鹿で無礼な侵入者が期待通り全身を紅く染めたのを観賞すべく、少女は歩き出す。十数メートルも向こうに紅いボロ雑巾が転がっている。背後から聞こえる重たい足音は、バーサーカーが忠実に追従している証だ。最強で忠実。このサーヴァントを従えている自分が聖杯戦争で敗北する余地など無いと断言できる。

 アレがマスターなら、まだサーヴァントが潜んでいるかもしれない。

 アレがサーヴァントなら、まだマスターが機をうかがっているかもしれない。

 最強のサーヴァントの実力を目の当たりにして、ガタガタと震えながら。

 そう思うとイリヤの気持ちは弾み、本命を相手取った時はどうなってしまうのかと期待が湧き上がってきた。

 

 だが、そんな昂ぶりに水を差すようにボロ雑巾が燃え上がる。

 天高くほとばしる火柱の内側へとその身を隠してしまった。

 

「……生きてる、の?」

 

 遠目ではあったが、あのボロ雑巾は紅の割合が増えていたはずだ。髪かブラウスか、あるいは両方を血に染めたはずだ。

 なのになぜだ。なぜ炎の紅をまとっているのだ。アレではまるで生きているようではないか。まだ戦えるようではないか。

 火柱から、無数の羽根が散弾のように射出される。そのすべてが赤々と眩いほどに燃えている。

 イリヤが防御を命令するよりも早く、バーサーカーは前に出て羽根を薙ぎ払った。

 アインツベルンの森の闇を無粋に暴く火柱が消失し、宙には無傷の藤原妹紅が浮いている。

 

「こんな怪物を調伏してるなんて――そっちのお嬢ちゃん、見かけに寄らず凄腕の()()使()()だったりするのかな」

 

 魔法――その言葉に、イリヤは眼差しを鋭くする。

 アインツベルンはそのために、お爺様はそのために、お母様はそのために、自分はそのために、すべてを捧げてきたというのに。そんな安っぽく口にされるのは侮辱にも等しい。

 

「お楽しみはこれからだ。今度はそっちの化物が死ねぇ!!」

 

 妹紅の背中が燃え上がる。炎は大きな翼と、孔雀の尾羽根を形作っていた。

 フェニックス――もはや()()となった存在の名がイリヤの脳裏に浮かぶ。

 その間、妹紅は胸元に何かを抱えるような姿勢を取ると、魔力を内側に凝縮させていく。

 空間が白熱し、白く揺らめき、白く、白く燃え上がる。

 

「お嬢ちゃん! 巻き添えになりたくなかったら離れてな。黒鬼はさっさとかかってこい、私に負けるのが怖いんでなければな!!」

「■■■■――!」

 

 妹紅の挑発を聞き終えると同時にバーサーカーは駆け出した。

 それはマスターを見捨てる行為ではない。マスターの側でアレを受ける訳にはいかないと本能が理解していた。

 

「バーサーカー!」

 

 遠のいていく大きな背中を呼びかける。彼は振り返らない。一直線に敵へ向かう。

 敵は人間を呑み込むほど巨大な白炎の球を生み出しており、その熱量によって冬の冷気がチリチリと焦げついていく。

 それでもバーサーカーはひるまない。守るべき者が背中にいるのだから、ひるむはずがない。

 ――妹紅が叫ぶ。

 

 

凱風快晴(フジヤマヴォルケイノ)!!」

 

 

 火山の噴火を思わせる爆音と共に、白炎の砲弾が放たれる。

 バーサーカーが吼え、斧剣が唸り、暴力の洪水が迎撃する。

 だが斧剣が火球に触れた瞬間、それは手榴弾のように弾け飛んだ。

 

「■■■■――ッ!?」

 

 白い巨大火球より一回り小さい、数十の紅い火球となってサークル状に広がりバーサーカーの全身を蹂躙する。

 今まで敵の攻撃で傷一つつかなかった鈍色の肌がただれ、激しい熱さが巨人の喉を震わせた。

 

 もっとも信頼するサーヴァントが傷ついている。

 イリヤの心に激怒が渦巻く。

 

 赤々と燃える火球がサークル状に広がる様は、まさしく昔――あの男に――聞かされた打ち上げ花火そのものだった。

 イリヤの心に何かが湧き上がる。

 

 アレは、敵の攻撃だ。バーサーカーを傷つけるものだ。

 なのにどうして、美しいと思ってしまったのか。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 炎に巻かれながらバーサーカーは跳躍し、瞳に紅いカーテンをかけられたまま斧剣を振るった。

 だが相手は鳥のように空を舞い、バーサーカーの横に回り込んでさらに火炎球を連射する。

 

「そらそら! ご主人様は狙わないでやるから、遠慮せずかかってこい!」

 

 踊る、踊る、炎が踊る。舞い踊る。

 白い大玉花火が弾けて、紅い小玉花火が鮮やかに舞い踊る。

 美しく残酷に攻め立てて、少女の守護者を傷つけていく。

 

 だがそれでもバーサーカーは止まらない。地面を響かせて着地するや、踵を返して再び妹紅に飛びかかる。

 状況判断は素早かったが、その動きは炎の妨害によっていささか鈍くなっている。そんな攻撃ならば避けられてしまうのも道理で、バーサーカーの反撃はことごとく空を切るばかりだ。

 一方的にバーサーカーが削られている、はずなのに。

 

「おい……おいおい、どんだけ頑丈なんだ」

 

 優勢に立ったはずの妹紅が苦笑する。

 劣勢に陥ったはずのイリヤが嘲笑する。

 

「バーサーカーは強いんだから」

 

 バーサーカーが負けるなんてありえない。

 色々と驚かされたが、その確信は未だ揺らいでいない。

 

「■■■■――!!」

 

 地獄のような鬼ごっこによって妹紅は後退を余儀なくされ、二人はアインツベルンの門を潜り抜けてしまう。

 そこにあるのは中庭だ。

 

 凹の形に建てられたアインツベルン城のくぼみに位置する、もっとも寒い場所。

 十年間ほったらかしにされた庭園を、メイドが毎日手入れしてくれている。

 イリヤも追うが、その足取りは遅い。

 全力で走ってもせいぜい駆け足程度だし、すぐに疲れて動けなくなってしまう。それが少女に与えられた()()だった。

 それでも、バーサーカーの勝利を確かめるため――あの女の敗北を確かめるため――イリヤはのんびりしていられない。

 爆音が響く。地響きが響く。耳に響く。腹に響く。

 

 世界そのものが揺れているような錯覚に陥りながら門にたどり着くと、色とりどりの花が咲き誇るアインツベルンの庭園で、紅蓮の炎が咲き乱れていた。

 ハッと目が覚めるような美しさに心臓が跳ねる。

 絵画のような光景の中、ついに斧剣が妹紅の胴体を真っ二つに切り裂く。

 今度こそ、絶対に仕留めた。炎ではない紅が飛び散るのをイリヤ自身が目撃した。

 続いて、それらが爆散するように弾けて消えるのを。

 

「えっ……」

 

 サーヴァントが霊体化するかのように、光の粒子となって妹紅の死体は消えた。

 まさかやはりサーヴァントだったというのか。

 困惑の抜け切らないうちに、またもや、そう、またもや妹紅はバーサーカーの背後に()()して現れた。

 さらに混乱を深めるイリヤと違い、バーサーカーは二度も同じ手を食らってやるほど気配り上手ではなく、すぐさま振り向きながら左手を伸ばし、その身体を鷲掴みにした。

 

「ぐあっ――!? がっ、ああ!!」

 

 躊躇なく握り潰し、指の隙間から真っ赤なジュースを撒き散らさせたのは、斧剣越しではない生の手応えを確かめるためだった。

 百戦錬磨の大英雄が、致命傷を与えられたかどうかを見誤るなどありえない。

 ――()()()()()()()でもなければ。

 だから、確実に死に追いやったのを確認した。

 だからこの例外は、例外中の例外なのだろう。

 またもや妹紅の肉体は爆発炎上して消滅し、バーサーカーの頭上に集まった光が人の形となって具現化する。いきり立った眼差しでまたもや白熱した火球を放ってくる。

 いったい何が起こっているというのか。

 

「幻術で、やられた振りをして――転移、してる。そうしてるはず」

 

 イリヤの声が、震える。

 常識的に考えて、それ以外ありえないという答えを口にする。

 でも、きっと違う。

 ずっと、それを追い求めてきたから。

 それが何なのか、気づきつつある。

 

「違う、違う……そんなの、そんな事、あるはずない」

 

 東洋の、名も知れぬ外来の魔術師が。

 聖杯戦争を運営する御三家の、アインツベルンが求め続ける、聖杯に願わねば実現できないものを、こんなあっさり、当たり前の事であるかのように――――なんて、あるはずがない。

 

「殺して、殺してよ」

 

 殺せる。

 人間は殺せる。

 生きているのだから殺せる。

 死んでいないのだから殺せる。

 

 バーサーカーは殺し続けている。火炎球を放ってくる妹紅を突風のような斧剣で串刺す。

 バーサーカーは殺し続けている。地を這うように肉薄し、火爪を振るってきた妹紅を踏み潰す。

 バーサーカーは殺し続けている。ちっぽけな人間を殺し続けている。

 

 殺しても殺しても藤原妹紅はその身を炎と共に消失させ、炎と共に五体満足で現れた。

 

「なんで、なんでよ! バーサーカーが殺しているのよ!? だからあの女は、死んでなきゃダメじゃない!! 死になさいよ!!」

 

 それはまさに悲鳴だった。

 認められない現実への憤りがイリヤの感情を爆発させていた。

 

 

 

「お嬢様――!?」

 

 と、そこに真っ白なメイド服を着た二人の従者が駆け寄ってくる。

 イリヤと共にこの城にやって来た、イリヤと同じ銀の髪と朱い瞳を持つ女達。

 

「――セラ、リズ」

 

 中庭に乗り込んでの戦いに気づいてやって来たのだろう。

 そして、主の悲鳴を聞いて飛び出してきたのだ。戦闘担当のリズに至っては長大なハルバードで武装している。

 イリヤを守るよう、その眼前に並んで立った二人は、中庭で繰り広げられる猛攻に戦慄する。

 

「お嬢様、ご無事ですか!? アレは――アレはいったい、なんなのです」

「……バーサーカーが、手間取ってる?」

 

 イリヤのサーヴァントこそ最強と信じるメイド二人。

 なればこそ、あんな輩に苦戦している光景が信じられない。

 そしてアインツベルンのメイドだからこそ、バーサーカーの斧剣によって頭部も心臓も弾け飛んだ敵が、あっさりと五体満足で現れる光景が信じられない。

 

「あの賊……今、確かに……どうして生きているのですか? あれでは、まるで」

「――生き返ってるみたい」

 

 イリヤ同様、認められないとばかりに困惑するセラ。

 一方、自我の薄い人格であるリズは、端的に指摘してしまった。

 

 そう、あの敵は生き返っている。

 死んでから、生き返っている。

 あれは、アインツベルンが目指した――。

 

「――援軍か? 参ったな、さすがに鬼退治だけで手一杯だぞ」

 

 横目でこちらを見、二人のメイドが戦闘態勢で立っているのに気づいた妹紅は、困ったように眉根を寄せて――笑う。

 参ったな、なんて言ってはいるが焦りはなく、危機感も抱いていない。

 バーサーカーに幾度も五体を引き裂かれているのに、未だ余裕たっぷりなのだ。

 その余裕の正体を、確かめねばならない。

 

「仕方ない。無敵の鬼に対抗するため、こっちも無敵モードと洒落込ませてもらうぜ。お前が挑むのは無限の弾幕。耐久スペル。恐れて死ねい」

 

 妹紅は地面に降り立つと、迫り来るバーサーカーをキッと睨みつけ、平坦な口調で告げる。

 

 

 

「――――パゼストバイフェニックス」

 

 

 

 構わず、バーサーカーは斧剣を振るう。庭園の花を傷つけないよう鮮やかに、妹紅の首だけを刎ね飛ばした。

 鮮血の花が咲き、宙を舞う生首は、置き去りにされた骸と同時に炎に包まれて消失する。

 激しい戦場と化していた中庭に静寂が戻ってくる。

 バーサーカーは油断なく周囲をうかがっているが、妹紅が復活する気配は無い。

 だが、アレで倒せた訳がない。

 イリヤは息を呑み、リズは後ずさって主に寄り添い、セラは恐る恐る訊ねてきた。

 

 

「……お嬢様、アレが……森への侵入者、だったのですよね?」

「ええ。炎を使うマホ……魔術師。バーサーカーに何度殺されても……肉体を失っても……あいつは、何事もなかったかのように蘇ってくる」

「肉体を失っても生きていられるなんて、それは……」

「肉体に依存しない生命。もしかしたらあいつは、魂を――」

 

 推論を口にしようとした瞬間、結論がバーサーカーの周りに顕現した。 

 紅い紅い不死鳥のオーラがバーサーカーを包み込む。

 

 

 

 それはまさに()()()()()したものだった。

 

 

 

「第三魔法……」

 

 認めたくなかったものの正体を、ついに口にする。

 セラとリズも身をすくませ、まじまじとそれを見つめる。

 アインツベルンが1000年かけて臨む悲願が――そこにあった。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 バーサーカーが吼える。同時に、その巨体を包むような不死鳥の翼の先端から無数の光弾が放射状に飛来した。

 炎ではない純粋な魔力弾の嵐。バーサーカーはなりふり構わず斧剣を振り回し、数十もの光弾を撃墜する。

 そしてその何倍もの光弾を全身に浴びる。

 

 ――フジヤマヴォルケイノと言う大玉ほどの火力があるようには見えない。いや、明らかに火力は劣っている。

 

 なのにバーサーカーは確実にダメージを蓄積させていた。

 純粋な魔力と生命力の塊が、宝具の障壁を削っていく。

 神代の大英雄は反撃しようと斧剣と剛腕を振り回し、不死鳥のオーラを振り払おうとする。

 だが何をどうやっても触る事すらできない。魂には触れない。

 

「そんなはずありません! お嬢様、あれはサーヴァントが霊体化しているだけです! 物理的干渉は不可能ですが、霊体への攻撃には逆に無防備。魔術で援護すれば簡単に――」

「セラ。あれはそんなんじゃない。サーヴァントの霊体化じゃあんな風に攻撃できない」

 

 第三魔法を求め続けたアインツベルン、その叡智の最高傑作であるイリヤが、ここまでされて見間違えるはずがない。

 誰よりも何よりもイリヤを信奉するセラだからこそ、それを疑うなんてできない。

 

「イリヤ……」

 

 リズはただ、イリヤの心に寄り添うしかできなかった。

 イリヤの心に渦巻く、名前も分からない感情をわずかでも受け止めるために。

 

 三者の視線を感じて、いや、その中のただ一人の視線を感じて、バーサーカーは歯噛みする。

 理性なき心が、不甲斐なさに苛まれていく。

 守ると誓った――もっとも大切な小さきモノが嘆いている。

 自分が役目を果たせないからだ。

 

「■■■■■■■■――――ッッ!!」

 

 一際大きくバーサーカーは吼える。

 魔力弾の乱舞によって体力と魔力を削られているというのに、力の限り吼えてしまう。

 だが丁度、たまたま、無数の光弾がバーサーカーの左足の急所へと同時に命中した。指先に、膝裏に、アキレス腱に、高度な神秘を宿した光弾が炸裂する。

 敬愛する主の前でついに膝を地につけてしまう。

 最強の大英霊にあるまじき無様を晒してしまう。

 

 瞬間、バーサーカーを覆っていた不死鳥のオーラが四散し、光の粒子となって天に昇った。

 数メートルほどの高さにそれは集まり、人の形を作る。

 無傷で、五体満足で、子供のように無邪気で楽しげに笑う人間の姿を。

 

「勝機ッ! こいつでくたばれ!!」

 

 一点、藤原妹紅の右足に膨大な魔力が集まり荒々しく燃え上がる。

 まさしく全身全霊と言っていい大火力を帯びて、獲物を狙う猛禽類のように急降下。

 傷つき動きを止めてしまったバーサーカーは回避も防御もできず、直撃を受けてしまう。

 

 

 

「凱風快晴飛翔脚ーッ!!」

 

 

 

 バーサーカーの巨体が石畳へと叩きつけられ、膨大な火力が背中から腹へと突き抜けていく。

 それだけに留まらず、圧倒的熱量は大地を焦がして膨張し、石畳を突き破って噴出――まさしく噴火という災害の域にすら到達した。

 

「■■■■――!?」

 

 絶叫が火柱に呑み込まれる。

 火山の噴火としか表現しようのない業火の奔流が天高く昇っていき、その威力は余すところなくバーサーカーに伝わっている。今までの攻撃はこのためにあったのだ。鋼の肌を削り、ヒビを入れ、致命傷に至らぬと承知の上で繰り返し――致命傷に足りえる猛撃を叩き込むための。

 

「くっ、くううっ――――なんて硬さだ」

 

 しかし耐えていた。

 ジェット噴射のような蹴りに押し潰され、火山の噴火に押し上げられながらもなお、イリヤを守るための肉体は砕けはしない。砕かせはしない。それでももし砕けてしまったのだとしても、敗北は許されない。バーサーカーの命はその為に在る。

 

「■■ッ……■■■■――!!」

「やられっぱなしのままやられてたまるか! 燃え尽きてしまえぇぇぇッ!!」

 

 火柱の内側で、藤原妹紅が発光する。

 体内で膨大な魔力を膨張させ、臨海を迎える事による最大火力が放たれようとしていた。

 ――自爆。

 端的に言ってしまえば、それだけの事。

 しかしあれだけの強さを持った人間が生命を振り絞ったのなら。

 本来、生涯一度切りの手段である自爆を超至近距離で行ったのなら。

 最強を誇るバーサーカーとてただではすまない。 

 イリヤは、セラは、リズは刮目した。

 

 

 

 ――不死身の捨て身が爆発する――

 

 

 

 超高熱の白炎が数メートル規模の球形まで広がり、バーサーカーの巨体を丸ごと呑み込んだ。

 熱風が荒れ狂い、大量の火の粉が縦横無尽に庭園を陵辱する。

 メイドのセラが丁寧に手入れした花壇が焼け焦げる中、セラとリズはイリヤの前面に立って肉の防壁となった。

 幸いと言うべきか、あの小型太陽の火力は内側に集中しているらしく、メイド達はたいした火傷も負わず白地の服に黒点を刻むのみですんだ。

 不幸と言うべきか、あの小型太陽の火力は内側に集中しているため、バーサーカーの絶叫すら焼け落ちて消失していく。

 メイド達の合間から不死身の捨て身を盗み見ていたイリヤは、美しく残酷な光景に目まぐるしい感情を抱きながら虚脱した。

 

 炎は次第に収まっていき、焼け焦げたり薙ぎ倒されたりした花々に囲まれた庭園の中央、真っ黒焦げの物言わぬ骸が転がっているのをイリヤは発見した。

 呆然と、呆然と、その光景を目に焼きつける。

 その光景の中に光の粒子が集まり、ああやはり、五体を木っ端微塵にしたばかりの藤原妹紅が、五体満足で復活する。

 

「しまった、やりすぎた……久々の殺し合いだったせいでつい……"弾幕ごっこ"ならここまでやらなかったんだが」

 

 バーサーカーを討ち取ったにも関わらず、困ったような態度で前髪をかき上げる。

 歓喜に値しないというのか。バーサーカーの命を()()()奪う快挙は、誇るほどの事ではないというのか。

 

 バーサーカーの"宝具"を突破して殺害するには、宝具にしろ魔術にしろ、Aランク以上の格と力が必要だ。それさえ満たせば"人間"の身であろうとバーサーカーの殺害は不可能ではない。

 

 天才魔術師が十年くらい魔力を込め続けた宝石などを惜しみなくぶっ放すとかすれば!

 天才魔術師が十年くらい魔力を込め続けた宝石などを惜しみなくぶっ放すとかすれば!!

 人間でも! バーサーカー殺害は! 不可能ではないのだ!

 

 それを何の下準備もなく可能にしたのは、本来一生に一度しか許されぬ全身全霊の自爆ゆえ。

 それを気兼ねなく使い、呆気なく生還したのは紛れもなく第三魔法――。

 

 

 

天の杯(ヘブンズフィール)

 

 

 

 それに至った魔法使いであるが故だと、イリヤスフィールは思い知らされた。

 腹の底からぞわぞわとしたものが這い上がってくる。

 炎の眩しさを目視しすぎたせいか、瞳の奥がチリチリと熱い。口の中はカラカラだ。

 

「まあ死んじまったもんは仕方ない。さて、お嬢ちゃん……と、メイドさん? そろそろ本題に入ろうか」

 

 セラとリズが構える。サーヴァントを倒した以上、次に狙うのはマスターの命しかない。

 バーサーカーを焼き殺すほどの使い手に勝ち目など無いと承知していても、イリヤを守るという役目を放棄する理由にはならない。与えられた役目を果たさねば彼女達に存在価値など無いのだ。

 存在価値――セラとリズには、それがある。だがイリヤの存在価値は大きく揺らいでいた。

 

 負けた。

 負けた。

 負けた。

 バーサーカーがじゃない。

 アインツベルンが負けたのだ。

 イリヤスフィールが負けたのだ。

 こんな極東の島国の、こんな訳の分からない、いい加減な、センスの合わない、会ってすぐ嫌いになった、そんな女に。

 第三魔法に至るという最大の悲願を、とっくに先んじられていた。

 

 だからこれはアインツベルンの敗北だった。

 ――バーサーカーの敗北では、ない。

 

「聞きたい事があるんだ」

「――なんでしょう」

 

 妹紅の問いに緊張が走り、セラが応じる。

 一方リズがすり足で、わずかに前に出た。

 話があるというなら好都合。少しでも時間を稼ぐべく、大人しく耳を傾ける。

 襲撃者の背後に倒れたままの、バーサーカーの骸をうかがいながら。

 藤原妹紅は、屈託のない笑みを浮かべて――。

 

 

 

「道に迷って往生してる。ここどこ? お前達も異人みたいだが日本でいいのか? できれば人里への道を教えてくれ。後は自分で勝手になんとかするから」

 

 

 

 何を言っているのだ、この女は。

 何かの隠喩か、挑発か、意図が分からずイリヤとセラは唇を引きつらせる。

 リズは口を開きかけたが、わざわざ敵の質問に答えていいのだろうかと思い直した。

 ――藤原妹紅は困り顔になる。

 

「……あのー、道を訊ねたいんだけど……もしかして使い魔を殺しちゃったの怒ってる? いやこれは、そちらのお嬢さんが突然()()()()()を始めて……いやこっちもノリノリで戦っちゃったけどさ、いや別に悪気があった訳じゃ……もしもーし、聞いてる?」

 

 何を言っているのだ、この女は。

 何を言っているのだ、この女は。

 何を言っているのだ、この女は。

 あんまりにもあんまりではあるが、事実確認はしなければならないとセラは奮い立つ。

 

「……まさか……アインツベルンの森にたまたま迷い込んで、なりゆきでサーヴァントと戦い、倒した……とでも言うのですか?」

「うん、そう」

「……聖杯戦争は?」

「知らん。使い魔を戦わせる戦争ごっこか?」

 

 ごっこではないが、概ねその通りだった。

 セラは目眩を起こし、ヨロヨロと後ずさる。

 これは罠だ。意味不明な言語で惑わせる悪辣な罠に違いない。そう思わねばやってられない。

 しかし、藤原妹紅と最初から話をしていたイリヤは、問答無用でぶち殺そうとしたイリヤには、腑に落ちてしまった。

 

 

 

「ふっ――――ざけないでぇぇぇー!! 貴女みたいなのが、なんで! どうして! 第三魔法に至ってるのよぉー!!」

 

 子供のようにわめき出すイリヤ。

 ずっとずっと、十年前から張り詰めていた何かがプッツリと切れてしまった。

 いや、切れたどころではない。

 弾け飛んでしまった。

 

 

 

「は? え? なに? 第三魔法?」

「魂の物質化! 肉体に依存しない生命! どこをどう取っても天の杯(ヘブンズフィール)じゃないのよー!」

「なんだそれ、ヘブンズヒールなんて知らないぞ。確かに不老不死ではあるが」

「それが第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)だって言ってんのよ! 馬鹿! 死ね!」

「すまない、死ねない」

 

 次から次へと、大嫌いという感情があふれてくる。

 嫌っても、嫌っても――嫌い切れなかった男がいた。

 でもこいつは、この女は、一点の曇りなく大嫌いだ。

 

「参ったな……戦争ごっこは私が勝ったんだから、もっとこう融通してくれてもいいじゃないか。ご飯をご馳走するとかさ」

「うるさいバカ! 誰があんたなんかにご馳走するもんですか。それに――誰が誰に勝ったですって? わたしのバーサーカーは絶対に誰にも! 負けないんだからぁ!!」

「……ごめん、そんな大切な使い魔と思わなくて」

 

 ようやく、妹紅は心から困った顔をした。

 何度も殺されたとはいえ、殺し返すのはやりすぎだったといった風に。

 

「弔うなら手伝ってやる、墓穴を掘るのも大変そうだし――」

 

 と、妹紅はバーサーカーの焼死体へと振り返った。

 焼死体はシューシューと音を立てて煙を上げており、未だ焦げ臭く、焼けただれた肌は急速に元の鈍色へと復元されながら、歯を剥いてグルルルルと唸りながら、強面の顔を迫らせていた。

 

「――ん?」

 

 シューシューと音を立てて、傷ついた肉体がすごい速度で回復しているのだ。

 巌の如き巨体はとっくに起き上がっており、鋭すぎる眼光に怒りをみなぎらせる。

 何度殺されても生き返って戦い続けた妹紅には、原理はともかく何が起きているのかはあっさり理解できた。

 

「えっ……なに? お前も生き返るの? 第何魔法のヘブンズでヒールしたの?」

「■■■■――!!」

 

 バーサーカーに問答無用で剛腕を振るわれ、交通事故のような音を立てて藤原妹紅はすっ飛んで花壇に突っ込んだ。

 ただでさえ妹紅の自爆で盛大に荒れてしまったというのに、地面に顔から盛大に突っ込んでガリガリと削ったためさらに台無しになった。

 

「不死身同士の戦いなんか()()()だけで十分だってのに……」

 

 再生復活中の弱々しい攻撃だったためギリギリ致命傷になるだけですんでいたが、全身の骨が悲鳴を上げ、動けそうにないので体内で火力を練り上げて自爆。花壇に人型の焦げ跡を作ってリザレクション。身体は五体満足の新品だ。花壇は死体蹴りの焦げ焦げだ。

 

「あーもう、ルール無しでやってちゃ埒が明かない。お嬢ちゃん、ここらで手打ちにしない?」

「イリヤスフィール――そう名乗ったはずよ、フジワラ・ノモ子」

「発音おかしいっていうか、区切り方おかしいな」

 

 ふわりと浮かび、これ以上花壇を荒らさないよう気を配って外に出る妹紅。だがすでに手遅れの大惨事。

 花壇の世話をしていたメイドのセラは苦虫を噛み潰したような顔で下手人を睨んでいる。もちろん、悪いのはノモ子なる女だと理解していた。お嬢様のサーヴァントは悪くない。敵を殴り飛ばしただけだから悪くない。花壇に突っ込んでったノモ子が悪いのだ。というか自爆のダメージが一番大きいんだから絶対に確実にノモ子が悪い。まさしく絶対悪。

 そんな悪者を退治すべく、肉体を再生させたバーサーカーが斧剣を杖代わりにして立ち上がる。

 百殺で足りぬなら千殺するとばかりに、獣のような唸り声で戦闘続行の意志を示した。

 

「――もういいわ」

 

 イリヤが、それを制止した。

 主が戦いを望まず、敵だった者からもすでに覇気は感じられない。ならばバーサーカーにも戦う理由はなく、大人しく唸り声を鎮める。

 

「聞き分けのいい鬼だな」

「本当に聖杯戦争の事を知らないみたいね。それどころか第三魔法の事も」

「ん……不老不死になる方法なんて、世の中、結構あるもんだけど……その第三魔法ってのはどういうものなんだ」

「…………城に上がってきなさい。ディナーをご馳走するわ。第三魔法についても教えてあげるから、貴女にも色々答えてもらうわよ」

「いいのか。ついさっきまで殺し合ってた仲だぜ?」

「いいわ」

 

 イリヤは酷薄な笑みを浮かべ、セラとリズを押しのけて前に出る。

 とても人を夕食に誘うような雰囲気ではないが、言葉を違える気はなかった。

 実際、どうしようもなく気に入らない相手ではあるが、話をしたいというのも本心であり、あるひとつの確信がイリヤの精神に安定をもたらしていた。

 

 

 

「だって貴女はもう――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 勝ち誇ったようにイリヤは言う。

 もう戦わないから、なんてお優しい意味ではない。

 また戦えば簡単にあっさり勝ってみせるという上から目線の言葉だ。ただし実際は睨み上げている、イリヤは133cmしかないので。

 癪だとばかりに150cm前後の妹紅は睨み下げてきた。

 

「そりゃ死んだ回数はこっちのが多いが、カードを全部切った訳じゃない」

「ええ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そっくりそのまま返してやると、妹紅は「むう」と喉を鳴らしてバーサーカーを見上げた。

 こちらのカードもすべて見せた訳じゃないという意図を理解する程度の知能はあるようだ。

 カードの内容を理解した時、どのような醜態を晒してくれるのか……それを想像するとイリヤの胸に暗い悦びが灯る。

 

「セラ、リズ。聞いての通りよ。ディナーの準備をなさい。バーサーカーは……そうね、霊体化してついてきて」

 

 埃を落とす意味も兼ねて、バーサーカーは光の粒子となって姿を消す。次に実体化する時は汚れひとつない綺麗な姿になっている。憎らしいが、あの女のリザレクションと同じ理屈だ。

 あの女――藤原妹紅は、イリヤ達のやり取りを見て目を丸くしていた。

 

「……なに?」

「おっ、お……おおお……」

 

 口ごもり、バーサーカーが消えた位置を指さして。

 妹紅は目と口をこれでもかってくらい大きく開いて。

 

 

 

「オバケだぁぁぁぁぁぁーっ!?」

 

「今更そこに驚くの!?」

 

 

 

 これが。

 こんなものが。

 こんなくだらないやり取りが。

 イリヤとバーサーカーと藤原妹紅の出遭いであり、初めての戦い。

 

 後になって思い返すと、どうしようもないくらい呆れてしまう残念な思い出だ。

 覚えている事すら億劫なほど残念な思い出だ。

 

 けれど、きっと、ずっと、忘れない。

 これから始まる、ほんの一ヶ月にも満たない日々を。

 

 だから、きっと、ずっと、忘れない。

 胸の奥に灯った、闇を灼き祓う四枚の翼を。

 

 

 

 

 

 




 妹紅とイリヤ――色が似てるね!
 妹紅とバーサーカー――能力が似てるね!
 妹紅とアインツベルン――第三魔法だこれええええ!?

 だいたいそんな発端で思いついたクロスオーバー。
 第三魔法やその他もろもろの細かい設定が違ったりしてても、億年前から賢者XXがいて、女神ヘカテが変なTシャツ着てる世界ゆえ。

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