地を滑るようにして、というかほんのわずかだけ飛翔して突進したアヴェンジャーは、セイバーの素早く鋭利な一撃を受けて真っ二つになって死んだ。
セイバーは思わず目を点にしてしまう。
「――――えっ?」
死んだ。
綺麗さっぱり死んだ。
あまりにも呆気なく、無防備に、胴体を一刀両断にされて死んだ。
血と臓物が派手に飛び散って道路を汚す。闘争の表情のまま妹紅は瞳孔を全開にして、上半身と下半身に分かれて転がった。グロテスクな光景だ。
あまりにも簡単すぎる結末にセイバーと凛は面食らっている。
アーチャーは不快そうに眉根をひそめるも、油断なく構えて周囲を警戒している。相手はイリヤスフィールなのだから、もっと力強いサーヴァントがいるはずだ。アレは使い捨てのホムンクルスか何かだろう。可哀想だが当然の結果と考える。
士郎は、表情を引きつらせていた。
聖杯戦争のルールは聞いた。戦う覚悟はした。
誰かが死ぬ可能性、誰かを死なせる可能性も考えていた。でも。
――死んだ。目の前で、年下にしか見えない女の子が死んだ。
――殺した。一緒に戦うと誓ったサーヴァントが、セイバーが殺した。
これは聖杯戦争で、相手は魔術師とサーヴァントだ。
死は当たり前にある。それを受け入れるかどうか、抗うかどうかは別として、当たり前にあるのだ。それは分かっている。しかし。
脳裏に蘇る、あの日の光景。
赤く、赤く、燃える街で。
士郎はきっと目撃していた。
あそこにいたのは焼けてしまった人だけではない。
瓦礫に潰され、身体の何割かを喪失し、身体の内側をこぼれさせている人もいた。
――死体は見慣れている。
でも、殺さなくてはいけない相手だったのか。
殺さずにすませられないか、話し合いはできないか。
模索すらしていなかったのに。
「せ……セイバー」
「……弱すぎる。こんなものがサーヴァントであるはずがない。やはりホムンクルスか」
語調を強め、セイバーはイリヤを睨んだ。
騎士王の心の迷いが、疑いが、ひとつの解答へと導かれていく。
こんなホムンクルスを作り、使い捨てるアインツベルンのやり口ならば。
――
「気をつけて。アインツベルンのマスターはまだ、サーヴァントを――」
「フッ――フフフ。アハハ」
嘲笑。
イリヤが笑っている。斬殺死体を見つめながら、飛び散った血と臓物を確かめながら。
馬鹿にしたように嘲笑っている。
「何がおかしい。ホムンクルスとはいえ、貴女のために命を――」
「待て、これは」
アーチャーは凛の盾になるように立って、妹紅の死体を凝視する。
血と臓物にまみれた死体が光の粒子となり、ささやかな夜風に舞って散り散りとなっていく。
「なっ――まさか、本当にサーヴァントだったというのですか!?」
サーヴァントが死するが如く、光となって消えゆく。
すべてが消え去った直後、当惑するセイバーの足元が突如発光する。
――反射的に見下ろした瞬間、靴裏が、眼前にあった。
清楚で可憐な鼻と唇を、粗野な靴がなぞるようにして踏み上げる。
光からは、胴の繋がった妹紅が身を翻しながら出現していた。
「女子を足蹴に!?」
予想外すぎる展開に、凛が代表して素っ頓狂かつ謎のツッコミを叫ぶ。ちょっと電波が飛んできたのだ、教会の方から金色の電波が。
そんな中、イリヤだけは理解していた。
(たまたま足が当たっただけね……)
多分、目の前でスタイリッシュに翻って格好つけたかったんだろう。
足をぶつけたせいで明らかによろめいてしまっている。格好悪い。
「くっ……アヴェンジャー!!」
上下逆さまのままの妹紅に、セイバーが大雑把な斬撃を繰り出す。
呼び方がアヴェンジャーになっているという事は、どうやら、信じたようだ。
偽サーヴァント、自称アヴェンジャーの存在を。
「うわっ、た――!?」
復活間際の隙を突かれながらも、大雑把な攻撃だったために空中で身体を旋回させ、浮かび上がる事で回避に成功する。重力に逆らう動きはますますもってセイバーを当惑させた。
そこに妹紅は火爪を振り下ろす。
隙を、突いたはずだ。
しかし優れた直感による賜物か、寸前でセイバーは上半身をよじる。甲冑の胸部に火爪が激突して、夜の
妹紅は宙に浮いたまま火爪と火蹴りを連続して繰り出す。
翼もなく、風でもなく、純粋に空を飛びながらの格闘、しかも身体を回転させて上下すら入れ替える人型の敵。
その奇っ怪さはセイバーを後退させ、不可視の切っ先を鈍らせた。
剣術とは、人間を相手に想定された武術だ。あるいは狙いの大きい巨大な獣相手ならば応用もできるだろう。
間近で空を飛び回る人間に対応するのは調子を狂わせた。空を飛び回る鳥を相手に剣を振ってでもいなければ、こんなもの初見で対応できるはずがない。
さらには衛宮士郎という半端物をマスターとしたための大幅なステータスダウンも厳しい。
第四次――衛宮切嗣がマスターだった時ならば、すでに斬り伏せられていたはずだという焦りが攻撃を強引なものにする。
妹紅は小馬鹿にしたように笑う。最優のサーヴァントはこんなものかという侮りが、セイバーの空回りと噛み合ってしまっていた。
剣を縦に振り下ろせばスッと横にスライドして回避。
剣を横に振り抜けばスッと上にスライドして回避。
思慮外の空白を巧みに突いて翻弄する。
「くっ、この――」
「たわけ! 冷静に対処すれば捉えられぬ相手ではあるまい!」
厳しいながらも的確な助言をしつつ、アーチャーは横槍を入れるかどうか思案していた。
チラリとイリヤスフィールを見れば、楽しげにアヴェンジャーとセイバーの戦いを眺めている。
「アーチャー」
咎めるように凛が名を呼ぶも。
「この場は共闘すると言った。しかし、率先して守ってやる必要はあるまい。あの程度対処できず何がセイバーか」
「そうね、でも、敵を前に木偶みたいに突っ立って……貴方それでもサーヴァント?」
「――やれやれ」
困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑して、アーチャーはどこからともなく中華風の双剣を取り出した。干将莫耶。古代中国に伝承せし夫婦剣である。
それに気づき、イリヤはわずかな驚きを見せた。
冬木の聖杯で東洋の英霊は召喚できないはずだが、はて、遠坂は何か裏技でもしたのだろうか。
アーチャーが飛びかかると、妹紅はすぐさま上空に逃れ、アーチャーもすぐさま跳躍して追いかける。空中、すれ違い様の斬撃は妹紅の左足を切断し、得意の足技を封殺した。
自由飛行のできないアーチャーはそのまま慣性に従って遠のいていく。
背中合わせとなった妹紅とアーチャーは同時に振り向き、同時に攻撃を投げつけた。
焔の尾羽根が手裏剣のように飛び、それを回転する干将が突き抜ける。回避のため妹紅はバランスを崩し、そこに、新たに投げつけられた莫耶が右腕を根本から切断する。
「チッ……持っていかれた……!」
毒づきながら妹紅は地面に落下していき、衝突の寸前で爆発炎上。姿をくらます。
悠々と着地したアーチャーはセイバーを一瞥し、出し抜かれたセイバーは悔しげに睨み返した。
剣の腕前はセイバーが上のはずだ。
「礼は言いません」
「それはそうだろう。もう数手も打ち合えば、君がアヴェンジャーを捉えていた。だが――」
油断なく、アーチャーは夫婦剣を新たに出現させて握り直す。投げつけた夫婦剣はサーヴァントが息絶えるが如く、光の粒子となって消滅した。
そして爆散地点にて再び五体満足で復活する妹紅。右腕も、左足も、綺麗に元通りだ。
「さすがに格闘戦じゃきついな。さすがはセイバーブルーとセイバーレッド」
「――アーチャーだ」
双剣を軽く握り直すアーチャー。
クラスの件でアーチャーらしくないとはすでにランサーから言われてはいるが、セイバーレッド呼ばわりはさすがに気が抜ける。
「アヴェンジャー……などと物騒なクラスを名乗っている割にゆるい奴だ。再生能力は驚異だが戦闘技能は妙に偏っている。貴様、いったいどこの英霊だ?」
「……私もひとつ、気になってる事がある」
妹紅は真剣な表情を作ると、戦いを見守っていた遠坂凛に向かってスッと指を向ける。
「お前のマスター……遠坂凛、だったか」
何を言われるのかと凛は身構え、アーチャーも何をされるのかと警戒心を強めた。
イリヤも、妹紅の行動に心当たりがなく、何を言うつもりなのか耳を傾ける。
しかしどうせくだらない事だろう。
「あいつのコート、私が着てたのと同じデザインじゃないか?」
くだらなすぎる指摘に凛は「は?」と表情を崩し、イリヤは妹紅から預かったコートをその場で広げてみる。こないだショッピングモールで買ったこれは確かに、凛が身にまとっているコートと同じデザインだった。
「……リンとお揃いかぁ……」
イリヤは曖昧な表情で眉根をひそめる。
サーヴァントとしてその憂い、晴らさねばならぬと妹紅は決意した。
「よし遠坂凛。そのコートを脱いで寄越すなら許してやる」
「ふざけんな!」
怒鳴り、人差し指を鉄砲のような形で妹紅に突きつけて光弾を放つ凛。
事前情報が正しければ、遠坂は宝石魔術を得意とする。故にこれは宝石を触媒とした魔力の光弾だ。その色鮮やかさは実に見事なもので、まるで弾幕ごっこのよう。
ならば避けるのが弾幕少女の戦い方。素早く身をかがめてあっさり回避し、妹紅は獰猛に口角を吊り上げる。
「――ようし、そろそろ気張るか。マスター、どっか隠れてて」
「存分にやりなさい」
クスクスと笑って、イリヤは横合いにある外人墓地へと入っていった。
攻撃に専念するとなれば、イリヤを守る余裕は無くなる。お得意のスペルカードも広範囲攻撃であり、我が身さえ顧みぬ捨て身戦法が真骨頂なのだから。
「待ちなさ――」
凛が追おうとした刹那、イリヤとの間に三筋の火線が走る。
サーヴァント二人、マスター二人を前に、一人たりとも逃さないとばかりの態度の妹紅。その身体が風に吹かれたように舞い上がり、チリチリと空気が熱されていく。
「
言われて、凛は猜疑心を抱きながらもアーチャーの陰に隠れる。
セイバーは士郎の前に盾になるようにして立った。
罠である可能性はあるが、何かを仕掛けてくるのは間違いないと理解していた。
「スペル――サンジェルマンの忠告」
瞬間、人間一人を悠々と呑み込む大きさの炎が襲いかかった。ホースから水が勢いよく放射され続けるが如く、炎は絶え間なく放射され続ける。それは紅蓮の大蛇とも呼ぶべき光景であり、セイバーもアーチャーもすぐさまマスターを抱えて跳躍する。
道路へ、近隣の家屋の屋根へ逃れても、別の火炎放射が薙ぐようにして襲いかかってくる。
一本一本が人間には致命の火力。直撃すればサーヴァントでも負傷は免れない。
放たれ続ける火炎放射の数、実に十数本。
「これがアヴェンジャーですって!? 空を飛びながらこんな大魔術――キャスターの域よ!」
「これでは近づけんな、だが狙う事は――!?」
焔柱が振り下ろされ、赤き衣の主従をさらなる紅に染めようとする。
避けられぬと判断したアーチャーは即座に片腕をかざし――。
「
七枚の花弁の如き薄紅色の光を展開。
それはあらゆる飛び道具を防ぐ強力無比な盾であり、妹紅の火炎は呆気なく散り散りにされた。
しかし炎は単発の一撃ではない。後から後へと絶え間なく放射されているのだ。
花弁を展開したままアーチャーは着地する。前には焔、後ろには凛。盾を解除すれば脱出するより先に炎に呑まれ、盾を出し続けるには迂闊に姿勢を崩せない。
「ちょっと、なんなのよこの宝具! 貴方いったい……」
「だから、覚えてないと言ってるだろう」
赤赤コンビの会話は気になるが、妹紅の本命は士郎であり、セイバーの打倒が最初の目標だ。
炎を踊らせて青き騎士を追い回す。こちらも士郎を脇に抱えて逃げ回ってはいるが、いかにサーヴァントと言えど足手まといを抱えていてはいずれ捉えられる。道路に落ちていた黄色いカッパを焼き払い、セイバー達を追い詰めていく。
「くっ――」
セイバーには優れた対魔力がある。直撃を受けてもそう大した事にはなるまい。
だが士郎というマスターを、炎の奔流から守れるとは限らない。
さらに、このままでは反撃のしようがない。
「――シロウ!」
セイバーが叫ぶ。
シロウ。その語感からようやく、妹紅は切嗣の息子の名前を理解した。
そんな些事に構わずセイバーは続ける。
「かばいながらでは戦えません。炎を一旦弾き飛ばしますから、ここは任せて逃げてください!」
「けど――――いや、ここは任せた!」
逡巡を見せた士郎だが、すぐに決意の表情で力強く応じる。
直後、セイバーはまっすぐに炎の出所を見据えて剣をかざす。
「
その叫びと同時に、セイバーを中心として強風が渦巻く。舞い踊り炎を跳ね除け、夜空を赤々と染め上げた。
その間に士郎は駆け出した。一直線に、外人墓地に向かって。
「なっ――!?」
それは誰の声だったか。
ともかく、セイバーと凛はそれが逃亡ではなくイリヤを追いかける行為であると理解し、当惑と苛立ちに歯噛みする。アーチャーは呆れ気味だ。
「させるかーッ!」
妹紅が腕を振り回すと炎の大蛇がのたうち、セイバーの暴風を避けて士郎を追撃せんとする。即座に割って入ってくるセイバー。相変わらず自身を中心とした暴風を撒き散らしており、近くに植えられていた街路樹が半ばあたりからへし折れてすっ飛んでいった。
風王結界の威力を足元に集中させたセイバーは、ジェット噴射のように飛翔する。
風には風。妹紅は即座に炎を手元に収束させ爆発を起こす。爆炎は目くらましとなり、爆風は風王結界をかき乱す。その隙に妹紅は急降下してセイバーの攻撃を回避し――。
「――捉えた」
冷淡な男の声。
下方から高速で射出されたナニカが、心臓を貫く。
胴体に誇張抜きの風穴を開けられ、精いっぱい首をねじって下手人を見てみれば、アーチャーが弓を構えてこちらを見据えていた。
「弓――使えたのか」
では、胸に刺さっているのは矢なのだろう。そう思って視線を向ければ、胸から生えているものは――剣。弓で剣を放ったのか?
しかもこの独特の波動、ただ殺傷力に優れた武器という訳ではない。
呪い、あるいは呪いを祓うようなむず痒さを感じる。さては。
「不死殺しの武器なんか――うっ、これはっ!?」
攻撃の正体を的確に見抜いたと思った刹那、剣から膨大な魔力が噴出して爆発を起こし、妹紅の五体を木っ端微塵に吹き飛ばした。
着地したセイバーはそれを目撃し、驚愕する。
「――宝具を使い捨てた!?」
思い出すのは、第四次聖杯戦争で相まみえた黄金のサーヴァント。
アレも豊富な宝具を湯水のように使い捨てていた。しかしそれとは決定的に違う事がある。宝具が爆発したという点だ。
重低音の響きはセイバーと凛の腹にまでズシンと響き、爆風が髪を荒々しくなびかせた。
宝具に込められた魔力を暴発させる事により、絶大な破壊力を実現させる最終手段。
代償として宝具を喪失してしまうが――英霊にとって、その意味はあまりにも大きい。強力な武器、切り札を失うというだけではない。宝具とは英霊の歩んだ人生の結晶とさえ言える。
それをこんなあっさり。
マスターである凛は思い出す。干将莫耶をランサーに幾度も打ち砕かれ、そのたび新しい干将莫耶を取り出して戦った姿を。
「アーチャー、貴方……」
「不死殺しの剣を喰らわせてやったのだ。これでも生き返るようなら手に負えんが――」
宝具を幾らでも出せて、幾らでも使い捨てられるとなれば、なんと規格外の英霊なのか。
そんなサーヴァントが実在するのか。なぜ凛に召喚されたのか。彼の真名はなんなのか。
凛は様々な疑問を脳の片隅に追いやった。今はそれどころじゃない。
だって、ほら。
「お前やっぱりセイバーレッドだろ……なんで弓で剣を射る」
光の粒子が集まり、無傷の肉体で蘇りながら、藤原妹紅がぼやく。
アーチャーは自嘲気味に笑いながら、冷や汗をかかずにはいられなかった。1ランク
(イリヤのサーヴァント――不死性は
アーチャーの警戒心に満ちた眼差しに、妹紅も警戒心に満ちた眼差しを返した。
(強いのはセイバーの方だが、厄介なのはこっちだな)
筋力、速度、技量――比べてみればいずれもセイバーが
巧く翻弄できたからよかったものの、慣れられてしまってはそうもいかなくなるだろう。
だが妹紅からすれば、セイバーの攻撃もアーチャーの攻撃もランサーの攻撃もバーサーカーの攻撃も等しく致死。
であるならば、真正面から堂々と挑んでくる騎士道精神あふれる相手や、搦め手をしてこない猛獣の如き者よりも、アーチャーのようにいちいち隙を突いて狙撃してくる敵が邪魔だ。
しかも不死殺しの攻撃はむず痒い。
不死殺しのくせに不死者を殺せないところも気に入らない。
そういった理由で攻撃面では厄介だが、防御面はそうでもない。
「風に盾――内側に潜り込めば焼き殺せる」
やりようはある。
妹紅は闘志を衰えさせず、再び炎を燃え上がらせた。
セイバーとアーチャー。まとめて始末する!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方その頃、イリヤは衛宮士郎と相対していた。
わざわざ外人墓地内の林の中まで、無防備を晒して追いかけてくるとは。
(お兄ちゃんだけなら、バーサーカーを実体化させる必要はないか)
妹紅もサーヴァント二騎を相手にがんばっているのだし、偽サーヴァント自称アヴェンジャー作戦を尊重してやるのがマスターの優しさというもの。
とはいえ、
視力を強化すればこの距離と闇夜でも問題なく直視はできるが、今、目の前にいる男の子から目を背けるなんて、もったいなくて出来ない。――たとえ妹紅の弾幕がどんなに美しくてもだ。
イリヤは背中を木に預け、興味深そうに士郎を見上げる。
念の為、
「積極的なのね。追っかけてきてくれるなんて思わなかった」
「――君みたいな子が、本当に聖杯戦争のマスターなのか?」
「……? 自己紹介したと思うんだけど」
いや、フルネームを名乗っただけだったかもしれない。
遠坂凛にはそれで万事伝わるだろうが、彼には全然伝わっていなかった?
「ええ、そう。わたしは聖杯戦争のマスターよ。お兄ちゃんと同じね」
「……戦わなくちゃ、いけないのか?」
「もちろん。わたしはそのために日本へ来たんだもの。そして貴方に会うために」
「俺が切嗣の息子だからか?」
墓地の外では未だ夜の闇が赤々と照らされている。
妹紅はまだ戦っているし、セイバーもアーチャーも落ちていない。
無粋な邪魔者がやってくる可能性は否めない。
が、無粋をしたのは士郎だった。
「復讐とか殺し合いとか、そんな物騒な真似を君みたいな子供がするなんて――!」
「…………命乞い? そんな変な言い方しなくても態度次第で見逃して上げるのに。それに自己紹介はすませてるんだから、ちゃんと名前で呼んでよ。イリヤって」
「――――イリヤ」
士郎の唇が、イリヤの名前を紡いだ。
イリヤの頬は自然とほころび、慈悲の心が湧き上がってくる。
「ねえ。お兄ちゃんの名前は?」
「……衛宮、士郎」
「エミヤシロ……? なんか言いにくいなぁ」
イリヤが素っ頓狂な発音で復唱すると、彼は危機的状況でありながらわずかに緊張を解いた。
「言いにくかったら、士郎でいい」
「シロウ。シロウか……うん、単純だけど響きがキレイだし、いい名前ね。合格」
モコウよりは言いやすい。分かりやすい。美しい。
というのがイリヤの感性だった。
だから気持ちが強まる。
「――キリツグは、絶対に殺してやろうと思ってた。でも、お兄ちゃんならいいよ」
欲しいと思う。
「シロウもわたしのサーヴァントになるならいいよ。そうしたらお兄ちゃんを殺す必要もない」
「サーヴァント……俺が? いや、イリヤのサーヴァントはアヴェンジャーじゃないのか? なんで俺なんか……イリヤにとってのサーヴァントってなんなんだ?」
「いつも一緒にいてくれるのがサーヴァントでしょ? 側にいて、イリヤを守ってくれる人だってお爺様は言ってたわ。だから、アヴェンジャーもわたしのサーヴァントなの」
バーサーカーとモコウ。
そしてシロウをサーヴァントとして侍らせる。
ああ、なんと甘美な光景なのだろう。
みんながイリヤを好きでいるから、イリヤもみんなを好きでいる。
セラとリズにご馳走を用意してもらって、みんなで一緒にパーティーをするのだ。
キラキラとした笑顔が自然と浮かぶ。
「イリヤ。悪いけど、イリヤの誘いには乗れない」
だが、その夢想はあっという間に砕かれた。
酷くつまらないものを見るように、赤い瞳がくすんでいく。
「ふぅん…………殺されたいのかしら?」
「そうじゃない、でも、俺はセイバーと約束したんだ。一緒に戦うって。その約束を破る訳にはいかない」
「そう……お兄ちゃんは、わたしよりセイバーを選ぶのね」
スッと、意識が冷えていく。
無邪気な少女の無邪気な殺意が空気に溶け、士郎の呼吸に合わせて入り込み、肝を冷えさせる。
「そういう意味じゃ……」
「だったら
ふいに、爆音が轟いて言葉を遮る。
衝撃に林の木々が揺れ、墓石を照らす焔と共にセイバーがすぐ近くへと跳んできた。それを追って妹紅が飛来し、嵐のように炎を撒き散らしている。
セイバーの対魔力には苦労しているようだが、それでも、セイバーのスカートには焦げ跡が刻まれていた。
「セイバー!」
みずからのサーヴァントの姿を見て、士郎が叫ぶ。
「シ――」
セイバーが応じようとして振り向き、翠の瞳が、マスターの側に立つイリヤを捉える。
瞬間、セイバーは風となった。地を這うような姿勢で疾駆しながら不可視の剣を構える。
一直線に、イリヤを狙って。
士郎がどのような魔術の心得があるのかセイバーはまだ知らないが、殺意に満ちた敵マスターの前で無防備を晒しているのを看過できようはずもない。
有無を言わさず斬り伏せるべく、セイバーの剣が奔る。
妹紅の表情が強張り、何事かを叫ぶ。――殺し合うのは得意だが、誰かを守るのは不得手であるが故の失策。
不意を突かれた。バーサーカーを実体化させるのは間に合わない。
イリヤの手元にコートがある。セイバーを止められるか。
信じるしかない。イリヤはコートを広げ――。
「やめろセイバーァァァアアア!!」
士郎が叫んだ。
手の甲の令呪を赤々と輝かせながら、サーヴァントへの絶対の命令権を行使して。
まったくもって想定外の命令を受け、セイバーは困惑と同時に急停止をした。イリヤはすでに剣の間合い。後は剣を振り抜くだけで事足りる。そんなタイミングで無防備を強制された。
「し、シロウ……なぜ!?」
猜疑の目が士郎に向けられる。
だが、そんな猜疑に答える言葉を士郎は持っていなかった。
ただ、命令が一瞬でも遅れていたらイリヤは胴を両断されていた。
アヴェンジャーのように、上半身と下半身に分かれ、血と臓物を撒き散らしていただろう。
それを士郎は許容できなかった。
切嗣の名をさみしげに呟き、身勝手ながらも士郎を殺さない道を示そうとした少女を。
どうして殺す事ができるというのか。
「イリヤァァァア――!!」
妹紅が叫ぶ。
と同時にイリヤの持っていたコートの内側が発光し、慌ててそれを手放した。
セイバーは目撃する。凛と同じデザインと言われた紅のコート、その内側にたっぷりと貼られた魔術の札を。
閃光、そして爆発。
仕込まれた発火符の一斉起爆による衝撃は視覚と聴覚を麻痺させ、セイバーに後退を余儀なくさせた。イリヤへの攻撃行動ではないため令呪による阻害は機能せず、対魔力も手伝ってほぼノーダメージではあったがバランスを崩してつまづきかける。
その間に妹紅は爆炎の中を突き抜け、イリヤの身体を引っ掴んで上空へと飛び上がっていた。
コートは外側に防火の魔術をかけてあったため、発火符の炎も前面という出口に集中した。コートはボロボロになってしまったが、背中側を持っていたイリヤは無傷だ。
それでも妹紅はかつてないほど狼狽し、声を裏返らせながら問う。
「イリヤ、大丈夫!?」
「う、うん」
返事は上の空で、イリヤの瞳はこちらを見上げる士郎を見下ろしていた。
手の甲の令呪が一画、減っている。
令呪を使った。
三度だけの絶対命令権を。
使った。
なんのために?
セイバーを止めるために。
なぜ止めた?
イリヤを――――。
めくるめく心の躍動。
めぐりめぐる心の情動。
それらに心身を揺さぶられるイリヤを抱いて、妹紅は申し訳なさそうに吐露する。
「驚いた。まさか切嗣の娘を躊躇なく殺そうとするなんて」
「――――むすめ?」
その言葉に反応したのは士郎だけだった。
イリヤは呆然としているし、セイバーは剣を構えたまま睨むしかできない。
構わず妹紅はイリヤにささやく。
「ああいう猪武者はマスター狙いしないと思ったが、そういうタイプじゃないらしいな。マスターここは退くぞ。いいな?」
返事はしなかった。
構わず、妹紅はイリヤを抱いて星空へと逃げる。
セイバーが追撃をしてこないか注意して、振り向いて。
遠く、外人墓地の外側、建物の屋根の上で弓を構えている紅衣の弓兵の姿に気づく。
――――狙い撃たれる。イリヤを抱えた状態で。
その瞬間、妹紅は確かに肝を冷やした。
不死の肝が久々に冷えた。
射線はすでに見切っている。典型的な自機狙いの高速弾。
だが今の自分は重りを抱えている。
撃たれると同時にイリヤを投げ捨て、着地はバーサーカーに任せ、自分だけ死ねば――そのような計算を素早く行い、指先を緊張させる。
アーチャーは弓の弦を引き絞り、矢のような剣の切っ先を妹紅に定めた。
イリヤの姿もアーチャーの瞳にはハッキリと見えている。
――月は無く、星も無く――
『…………ねえ、■■■』
――ただ、雪だけが――
「…………………………」
アーチャーが弓を下ろす。その行いに妹紅は戸惑った。
射程外まで逃れられたのか? いや、そうとは思えない。
妹紅は不審がりながらもマスターの身の安全を優先し、全力でその場から逃げ出すのだった。
自分勝手に暴れまわるのは得意だが――誰かを守りながらの戦いは苦手だと痛感する。
たとえ自分が死ななくても、イリヤが死ねば自分の負けだ。
いざという時はバーサーカーがいる、なんて慢心も、不意打ちの前では間に合わなかった。
よりにもよって、復讐すべき衛宮士郎に助けられるとは――。
妹紅は奥歯を強く噛み締めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アーチャー」
「フッ……逃げ足の早い英霊だ。しかしまさか、不死殺しの剣を以てしても殺し切れんとは」
「それは別にいいわ。殺せないなら他の手を試すだけよ」
心強い発言をするマスターに、アーチャーは満足気にほほ笑んで見せた。
だがそのマスターは不満足そうだ。
「ねえ。今の、撃てば当てられたでしょ?」
「……どうかな。アヴェンジャーは回避が巧い」
それでも重りを抱えたアヴェンジャーより、アーチャーの狙撃の方が速いはずだ。
納得はできなかったが、問い詰めてものらりくらり避けられるだけだろう。
今夜はこれでお開きとしておこう。聖杯戦争はまだ始まったばかりなのだから。
外人墓地では士郎とセイバーが向き合っていたが、互いにうつむき、視線を合わせないようにしていた。確執と言うほどではない。しかし色濃い戸惑いが流れていた。
「……シロウ、なぜ敵のマスターをかばったのですか。そんな事のために貴重な令呪を……」
「俺はまだ、切嗣の事を聞いていない。セイバー。知ってる事があるなら話してくれ。あの子は、イリヤはセイバーを知ってる風だった。切嗣にもこだわっていた。……切嗣の娘、なのか? 答えてくれセイバー。何も知らないままじゃ、俺は戦えない」
共に戦うと誓った主従。
マスターにはすでに迷いが生まれてしまっていた。けれど真っ直ぐにセイバーを見つめている。
逃げたりなんかしない。立ち向かい、解き明かそうという意志が見て取れる。
だから、千載一遇の好機を逃した直後でありながら、セイバーは思うのだ。
自分は高潔なマスターを得られたのかもしれないと――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アヴェンジャー……エクストラクラスらしく、面白い能力のようね。クスクス。どうやら魔術が得意のようだけど……本職相手にどこまでやれるかしら」
暗闇の中、水晶球を持った女が笑みを浮かべた。
彼女こそキャスターのクラスで現界したサーヴァントだ。
冬木の街で戦うという事は、他陣営に監視されるリスクを伴う。通り道などで戦っては尚更だ。
アヴェンジャーのマスターは思慮に欠けているようで、結果、あのお人好しな坊やの手助けが無ければ不覚を取っていたに違いない。
「けど、どうも妙なのよねぇ、あのサーヴァント。
分かる範囲での考察を重ねていく。
あの場に集まった三騎のサーヴァント……そのうち飛び切りのイレギュラーがアヴェンジャーなため、自然と注目してしまう。さらに宝具を使い捨てるアーチャーもまた奇妙な存在だ。
両者とも、いったいどこの英霊なのか……。
「恐らく、アヴェンジャーは死から蘇った逸話のある英霊……ならば"死なない怪物"を殺した類の不死殺しでは効果が無く、"死から蘇る奇跡"を封じる宝具や神話再現が必要という事かしら。……でも、ふふっ」
実に興味深い英霊だ。
できれば従属させ、その性質を事細かに調べても見たい。
だが――彼女の興味をもっとも強く引いたのは。
「あんな粗暴な小娘よりも……セイバー……いいわ、是非とも欲しい……」
正統派のサーヴァント、セイバー。
武器の正体は隠されているものの、その能力はシンプルに強い。
こちらの得意分野が搦め手である以上、欲しいのはアヴェンジャーやアーチャーのような奇抜な能力ではなく、セイバーのようなシンプルな強さ。前線に立って力を振るうサーヴァントだ。
アヴェンジャーの炎を防ぐ対魔力は彼女にとっても脅威だが、それをどうにかする手段は、幸いにも持ち合わせている。場さえ整えれば、セイバーを手中に収める事は可能だ。
そういった戦術的事情は大きい。
「それに……ああ、金髪で碧眼で、ちっちゃくて可愛くて、ああ……すっごく欲しい!!」
――それはそれとして、個人的趣味嗜好もだいぶ大きく影響されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じように、覗き見をしていた魔術師がいた。
活気に欠ける、今にも朽ち果ててしまいそうな老人だった。
豪奢な、しかし陰気臭い雰囲気のこびりついたダイニングにて、グラスに注いだブランデーを口をつけないまま放置し、頭を抱えてしまっている。
見間違いでも、耄碌した訳でもなかった。
間違いなく彼奴だ。
しかもあの火炎放出の威力と鮮やかさは、もはや寿命に縛られた人間にはたどり着けない領域。以前より格段に強くなっている。
「――何をやっておるのだ、アーパー放火魔め」
疲労がズシンとのしかかってきた。肩が重い。胃も重い。
「サーヴァントだの、アヴェンジャーだの…………よくもまあ、ほざきおって」
此度の聖杯戦争、彼はすでに
勝つ気はない。ただ適当に観戦して楽しみつつ、有用な情報や手札があれば回収しておきたい。その程度のものだ。
こちらの陣営から出したマスターとサーヴァントにも、まったく期待していない。
「しかし、前回の聖杯戦争で外来の魔術師を招き、痛い目を見たアインツベルンがまさか、
老人は身体を起こし、グラスを手に取った。
枯れたような唇をブランデーで湿らせ、目を細めて思いを馳せる。
今はもう田舎にしか存在しない日本の原風景の中、あの女は吐き出すようにして言った。
『――――どこかに、隠れてるに違いない』
『慣れぬ異国で助けてもらった恩もある。私の魔術で探すのを手伝うのは構わないが、本当にいるのか?』
『…………いるはずなんだ。地上のどこかに、きっと』
『まあいい。私としてもあの伝説には興味がある。私の"夢"に役立てられるかもしれん』
『夢……? そういえばお前、わざわざ
『フム――そういえばまだ言ってなかったな。聞くがいい、私の夢は――――――』
大笑いされたのを覚えている。
腹を抱えて「馬鹿じゃないのか」と馬鹿にしながら、馬鹿みたいに笑っていた。
その態度にはこちらも苛立ち、色々と言い返してやったが余計に笑われるだけだった。
だがあの女が、そんなにも楽しく笑う姿を見るのは初めての事で――。
以来、お互い肩の力を抜いて軽口を叩くようになったはずだ。
もう随分と昔の話だ。思い出せない事も多い。
記憶は摩耗し、歳月の底に埋もれてしまった。
……まさかこの期に及んで、記憶の底から噴き出してくるとは思わなかったが。
今更が過ぎる。老人はもう
しかしなぜ聖杯戦争に参加しているのか? 刹那的な享楽を求めて馬鹿をやっているだけというのもありえない話ではない。あの馬鹿はそういう事をする。
だが聖杯に託す願いがあるとしたら、それは。
「――――まだ、探しておるのか?」
ポツリと、老人は呟いた。
どこを探しても見つからなかった仇を、数百年経ってなお、追いかけているのか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜の森をメルセデス・ベンツェが走る。
呆けたマスターに運転を任せるのは不安だったが、妹紅では運転できないし、マスターを抱えたまま飛んで戻っては自動車を置き去りにせねばならない。車の前まで連れて行ったら運転席に乗り込んでくれたため、こうして帰路につけてはいるが――。
「なあ、イリヤ」
助手席に座り、窓ガラスにだらしなく頭を預けた妹紅が問う。
「あのシロウってのが、イリヤの復讐したい相手なんだよな?」
「――ええ、そうね」
「
念を押すように、妹紅は言う。
イリヤはまっすぐ前を見たまま、アクセルを強く踏み込んだ。
エンジンが唸りを上げ、景色の流れが早くなる。
「お兄ちゃんは殺さない。わたしを嫌わない限り、生かして捕まえるの」
「あー? そういうの、私には向かないし――旦那も無理だぞ、そういうの」
「シロウがわたしを守った。フフ――シロウがね!
どうも、妹紅のせいで悪影響を受け、心の
そこに衛宮士郎の予想外すぎる行動がクリーンヒットしたらしい。
気が触れたように、自慢するように、昂ぶりをあらわにしてイリヤは叫ぶ。
「アハハハハ――――ッ!!」
イリヤは士郎を殺そうとしていたのに。
士郎はイリヤを守ってくれたなんて。
「モコウ。わたしを守り損ないかけたのも、余計な事をペラペラ喋ったのも、本当はとびっきりのお仕置きをするつもりだった。バーサーカーに100回殺させてやろうかとさえ思ってた」
「復讐なんだから理由を突きつけてやらないと後悔させられないだろ……ていうか100回殺しは勘弁して」
「フフッ、いいわ。特別に許して上げる。今はとっても機嫌がいいの」
「……あいつが令呪を使わなきゃ、私が先に爆破してたよ」
ぼやきながら、妹紅は目を閉じた。
瞼の裏に、赤い衣の弓兵を思い浮かべる。
あの英霊、最後、明らかに妹紅を見逃した。
さんざん切り刻んでおきながら、不死殺しの剣をぶち込んで爆発させておきながら。
なぜあの時に限って――?
チラリと、上機嫌のイリヤを見る。
(子供には手を出せないタイプか?)
そういった手合が敵に回った場合、遠慮なくぶん殴ったり蹴り飛ばしたりしてやったものだ。
しかし、アレの相手をまたするというのも面倒だ。
ランサーが仕留めてくれればいいのに。
妹紅は切に願いながら、ご機嫌が過ぎる運転に揺られる。
その後も城に着くまで、イリヤは幾度か笑い声を上げていた。
イリヤ大歓喜。