「フジワラ・ノ・モコウ? ……ノって何よ、ノって」
「あー?
「うじ」
「あー……帝から授かった苗字の…………」
アインツベルン城の廊下を、銀色少女と紅白少女が歩く。
会談すべくサロンに案内する道中、まずは改めて名前をうかがったのだが――。
なんだかよく分からない説明をされた。
異人の少女にどう説明したものか悩んでいるのか、それとも学が無く説明できないだけなのか、出会って間もないイリヤには判別できない。
しかし、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、自分の名前にも入っているドイツ語の「フォン」のようなものかと察しはできた。
それを伝えようとするや――。
「ああもう面倒くさいな。フジワラ・モコウでいいよ。いやモコウだけでいいよ」
などと言われてしまったので、今後モコウと呼称する事に決定した。
こうして互いの名前を確認し合い、絢爛豪華なサロンへと案内する。絢爛豪華シャンデリアで照らされ、絢爛豪華な調度品が並べられ、絢爛豪華なオーラが漂う中、貧乏くさい継ぎ当て衣装の妹紅の前に、絢爛豪華な西洋料理を並べてやる。
妹紅は目を爛々と輝かせて歓喜し、料理を口へ運びながら訊ねる。
「お酒ないの?」
「――あるわ。セラ、ちょっと」
給餌をしているメイドのセラを呼び寄せたイリヤは、冷たい声色で耳打ちする。
「舌が鈍るような強いお酒に、
「――かしこまりました」
そうして持ってこられた高級ブランデーを無警戒に歓迎した妹紅は、うっとりと唇を濡らして次第に頬を紅潮させていった。肉汁たっぷりのローストチキンもお気に召したようで、おかわりなんか要求している。
……不死身にかまけて警戒心がゆるいのだろうか。それともただの馬鹿か。両方か。
それでもイリヤは油断せず、慎重に探ろうと心がけていた。
……がらにもなく緊張していた、のかもしれない。
アインツベルンが目指し続けた到達点、第三魔法、それが目の前にあるという事実に。
……彼女はどうやって不老不死に至ったのだろう。
とにかく歓待していい気分にさせつつ、アインツベルンの質の高さを見せつける。こんなすごい料理をご馳走できるんだと自慢して、お前よりアインツベルンはすごいんだと自尊心を満たす。
そうして油断と薬物と泥酔が合わされば、口を滑らせるかもしれない。
如何にして不老不死へ至ったのか、そのヒミツを――!!
メイドが腕によりをかけた豪奢な料理がしっかりと片づいた後、改めてグラスをブランデーで満たした妹紅は、食後の幸福な時間にどっぷりと浸る。
――口を軽くする薬は効いているだろうか? 副作用として多少、前後不覚に陥るはず。妹紅は赤面してふらついてはいるものの、単に酔っ払ったようにしか見えない。
薬が効いているにせよいないにせよ、仕掛けるなら今と判断し、イリヤは口を開く。
「フフッ……楽しんでいただけたかしら?」
「ああ、サイコーに美味しかった。お前のところのメイドすごいな。それにこのブランデーもすごくいい。五臓六腑……血に乗って身体の隅々まで染み渡るみたいだよ」
「それはどうも。……不老不死のヒミツも、同じように染み渡っているのかしら? ブランデーのように飲み干したのかしら?」
「ほー、外の"魔法使い"もなかなか詳しいもんだ」
嫌味ではないと察してはいても、イラッと来てしまう。"魔術"と"魔法"の違いも分かっていない東洋の女を相手に、淑女であり続けるのは難しい。
しかし、それにしても妙な返事をされた。
まるで今のイリヤの比喩表現を、
「……? 不老不死になる薬でも飲んだのかしら?」
「別にそう珍しい話でもないだろう。一度手を出しゃ、大人になれぬ。二度手を出しゃ、病苦も忘れる。三度手を出しゃ……って奴。肝試しの時といい、この頃すぐ種が割れるなー……」
妹紅は第三魔法の秘密をあっさり告げた。
不老不死の薬を飲んだのだと、堂々と肯定した。
確かにちょっと
度数のすごく高いブランデーに、ちょろっと仕込むようセラに命じたけれども!
全然警戒せず料理もブランデーも口にするのを見て内心ほくそ笑んでいたけれども!
こんなあっさり暴露するなんて夢にも思わなかった。
薬物や魔術への対策をしてないのかこの馬鹿は。
あるいは酔っ払ってるのか。
純粋にアルコールに屈したのか。
なにせ度数が50~60はある強烈なのを用意した。
それを水割りもせず、ストレートで、ガブガブと水のように飲んでいるのだ。
――薬と関係無く酔っ払ってるだけかもしれないという思いが強くなるイリヤだった。
とはいえ、この頃すぐ種が割れる――なんて言ってたからには、不老不死の秘密を最近誰かに見抜かれたと解釈していいのだろうか。
口が軽くなっている要因のひとつかもしれない。
が、それはそれとして、おいそれとは信じ難い。
「モコウ、ふざけてるの?」
「不老不死になるアレやコレなんて、古今東西色々あるだろ? だから、たまたまそれを口にする奴なんて古今東西色々いるだろ」
研究を重ね叡智を究めた末に不老不死の薬を開発して飲んだ――のではなく。
たまたま。
たまたまそれを口に?
「………………じゃあモコウは、仕組みも何も知らないまま、魔術を究めようとか根源を目指そうとかいう意図もなく、研究や修行を積み重ねた訳でもなく……その不思議な不思議なすごい薬を飲んだっていうだけで――
「あー、うん、そう」
ブランデーの杯を空にし、みずから瓶を取って無遠慮かつ無警戒に注ぐ妹紅。
毒を盛られる心配をしていないというより、盛られてもいいや不死身だからと思っているのだろう。口を軽くするお薬を少量盛られている自覚は無さそうだ。もしかしたら素で暴露するほどの間抜けヤローなだけかもしれないが。
「ふーん……それはなんともすごいはなしね。それ以来、貴女は老いる事も死ぬ事もないんだ?」
「酒には酔える」
「そうみたいね。――その薬、いったいどこの誰が作ったの?」
「薬なんだから、薬屋さんが作ったんだろ」
のらりくらりと応じつつ、ガブガブと高級ブランデーを飲み干していくその姿、実に苛立ちを覚える。
しかし客として招いてしまった以上、短慮を起こしてはアインツベルンの名誉が傷つく。
こんな馬鹿のせいで傷ついてしまう。
「本当に不老なら見かけ通りの年齢じゃないわね。幾つ?」
「はて……だいたい四桁か、そんなもんかなー」
本当なのか適当なのか、なんとも大雑把な数字を出してきた。
四桁、という事は千歳だとでも言うのかこの女は。
「1000歳にしては落ち着きがないわね。まるで子供みたい」
「お前は子供にしちゃ落ち着いてるな。見かけ通りの年齢?」
「さあ、どうかしらね」
10歳かそこらに見えるイリヤは実年齢を誤魔化した。
いちいち説明するのも面倒だが、そもそもプライベートを教え合う間柄ではない。
それに妹紅の返答は胡散臭くて、こちらとしても真面目に答える気になれないでいる。
それでも――第三魔法の体現者が目の前にいるのだ。
アインツベルンはあくまでアインツベルンのやり方で第三魔法を実現させねばならないため、模倣する気はない。しかし本当にそんな薬があるのなら手に入れてみたいのも本心だった。お爺様に送ってやれば喜ぶかもしれない。なにせもう今回の聖杯戦争が最後だと思っているくらいだから、新しい研究材料を基にアインツベルンの錬金術を発展させられるかもしれない。
「不死の霊薬か……確かにそういう類の伝承は世界各地にあるでしょうけど、たいていは若返りや長寿になるってだけとか、不死性を得るけど滅びない訳じゃないとか、そういうものよね。モコウは弱点ってないの?」
「饅頭が怖い」
「マンジュウ?」
「でも今はお腹いっぱいだから別にいいや。ああ、後は一杯のブランデーが怖い怖い」
酔っ払っているのか支離滅裂な言動に突入し、美味そうに喉を潤す。
イリヤも酒を飲めない訳じゃないが、真面目に話を聞きたかったので紅茶だ。
「……それにしても、お前、不老不死になりたいのか?」
「なりたい訳じゃないわ」
ただ、ならなくてはならないだけだ。
イリヤスフィールの生家、アインツベルンは、第三魔法を実現するという妄執のために千年の時を積み重ねた。
千年……妹紅が不老不死になったのも本当に千年前なのだとしたら。極東の島国で、ただ薬を飲んだだけで第三魔法に至った人間がいたのだとしたら。
アインツベルンの妄執が、犠牲が、酷く安っぽいものに思えてしまう。
その鬱憤を妹紅にぶつけたい衝動と、知られたくない葛藤がせめぎ合い、後者が押し勝った。
「ただ、アインツベルンとして無視もできない」
「そうか。ま、不老不死なんてろくなもんじゃない。ならない方が身のためだ」
「それは貴女が肉体に縛られてるからじゃない?」
だから悔しくて、ケチをつけてやろうと思った。
不老不死であり、エネルギーの永久機関と化しているだろう藤原妹紅は確かに第三魔法に分類される奇跡である。しかし。
「第三魔法……魂を物質化させ、肉体に依存しない高次元の生命となる奇跡。だというのに、貴女は肉体に固執している」
「肉体がないと、楽しめるものも楽しめないだろう」
「第三魔法というのは、もっと崇高なものよ。有限の肉体を捨て、無限の魂となって高位の次元に属する事ができる。なのに未だ物質界を千年もさまよってるなんて、薬が不完全だったのか、それとも貴女が無能なのか――」
「お前等の不老不死の定義なんか知らん」
のらりくらりとかわされる。
千年という数字が盛ったものだとしても、数百年も生きていればこの手の問答など慣れていてもおかしくない。
イリヤは紅茶を唇に運び、ゆっくりと味わって気を落ち着けた。
「こっちからも質問。聖杯戦争ってなに?」
だというのにわざわざ向こうが話題を振ってくる。面倒そうな話題を。
「貴女には関係ないわ」
「なくはない。聞きかじった感じ、マスターがサーヴァントとやらを使って戦争するんだろう? なかなか楽しそうな催しじゃないか」
「お祭りじゃないんだけど」
「バーサーカーとの決着はまだついてない。別に見逃してやってもいいが、事情がよく分からんままじゃあな。藪をつついたり逆鱗を剥がしたりして、どうなるか試してみたくもなる」
「うわっ、面倒くさ……」
不老不死とはいえ、楽しそうだからという理由でバーサーカーと戦う大馬鹿者で、一度とはいえ実際に殺してみせた実力者。
放置するのは危険だし、半端に巻き込んでしまったのは自分だ。
責任は取るべきなのだろう。
でも取りたくない。
「聖杯戦争のマスターと勘違いして襲ったお詫びに、ディナーをご馳走したでしょ? 今もブランデーをガブガブ飲んでるでしょ? そもそもうちの敷地に唐突に迷い込んだ貴女が元凶でしょ? 教える理由なんてないわ」
「勘違いしたって事は、マスターもサーヴァントもこの森に来れる程度の距離にいる訳だ。とりあえずうんと空高く飛んで、目についた人里に降りてあちこち聞き回ってみれば分かるかな。魔術師がいそうなところを襲撃でもすれば見つかりそうだ」
「やめなさい!」
そんな事をされたら聖杯戦争が混乱してしまうし、下手したらアインツベルンが神秘の隠蔽に失敗したという扱いになってしまう。
協会や教会から睨まれたら動きにくくなって厄介だし、魔術で操ってしまおうにも、死んだら何でもかんでもリセットして復活する第三魔法の体現者を御し切れるかどうか……。
いや、これでも一応こいつも魔術師の端くれ。神秘の秘匿はするはずだし、派手にやらかしたらこいつの責任になる。
気にする必要はない。それでも鬱陶しい。
「むうう~……なんて厄介な女なの! わたし、モコウのコト嫌いだわ」
「私は好きだぞ。燃えるくらい美味いこのブランデー。酒精が強くて頭がぐるんぐるんするん」
するんって何だ、するんって。
ついに瓶を空にする妹紅。一人で、一回のディナーで、よくもまあ飲み切ったものだ。
イリヤはしばし頭を抱える。脳みそがグルグルかき回されている気分になり、倦怠感がズッシリのしかかる。
駄目だ。このまま捨て置いたら精神衛生上よくない。大事な大事な用事を邪魔されでもしたらたまったもんじゃない!
「――分かった、教えて上げる。聖杯戦争の事」
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
聖杯戦争。
それは万能の願望機である聖杯を手に入れるための儀式。
聖杯に選ばれた七人のマスター、それと契約した七騎のサーヴァントによる殺し合いによって行われ――。
最後に残った一組のみが聖杯を手にし、その願いを叶えるのだ。
サーヴァントとして呼ばれるのは英霊である。
通常、どんなに優れた魔術師でも英霊を召喚するなどできないが、聖杯の力を借りる聖杯戦争においては可能となる。
召喚してしまえばマスターから魔力が供給される限り現界し続けられるが、逆に言えば魔力が切れたら消えてしまう。
英霊とは神話や伝承にて偉業を語られた英雄達であり――彼らは死後"英霊の座"と呼ばれる高次の場所に迎えられるという。
しかし、いかな聖杯の力を借りたとて、英霊という規格外の存在を召喚するのは難しい。
そのため用意した"クラス"に割り当ててある種の制限をかける事となる。
剣の騎士、セイバー。
槍の騎士、ランサー。
弓の騎士、アーチャー。
騎乗兵、ライダー。
魔術師、キャスター。
暗殺者、アサシン。
狂戦士、バーサーカー。
――ただし基本クラスから外れたエクストラクラスが呼ばれる事もあるそうだ。
具体的にどんなエクストラクラスがあったのかと妹紅に問われ、イリヤは連綿と受け継がれた記憶を掘り返しながらひとつのクラスを口にした。
復讐者、アヴェンジャー。
「じゃあそれで」
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………………………………………は?」
長い長い沈黙の後、イリヤは聞き返した。
妹紅は酒で紅潮した頬をゆるませて、おどけるように告げる。
「私はアヴェンジャーでいいや」
「いや、何の話?」
「鈍い奴だな。私はアヴェンジャーの振りして、聖杯戦争に参加する。よかったなイリヤちゃん。バーサーカーとアヴェンジャーの二枚看板で優勝間違いなしだ」
「……………………………………………………………………は?」
こうして最強タッグが、いや、最強トリオが結成した!
すごいぞ、つよいぞ、ぼくらのアインツベルン!
アヴェンジャー・モコウの言う通り、これで優勝間違いなしだ。キャッホーウ。
第五次聖杯戦争、完ッ!! アインツベルンよ永遠なれ!!
「って、ふざけるなー!」
力いっぱいテーブルを叩いて立ち上がるイリヤ。
それはそうだ。大事な大事な聖杯戦争に余計な異物が乱入しないようとしたのに、なぜわざわざ懐に劇物を――!?
「お前、私がサーヴァントかもしれないって思ったろ? なら他の連中も騙せる。偽サーヴァントの私が戦えばバーサーカーを温存できるし、趣味じゃないがやられた振りして終盤まで潜んで不意打ちなんて手も可能だ」
「待ってねえ待って。なんでもう了承前提で話を進めてるの?」
「了承した場合のメリットをアピールしてるだけだ」
「しないから。絶対しないからありえないから」
「それもそうだな。不意打ちなんてガラじゃないし、私もバーサーカーも正面突破が性に合う」
「もうやだこの酔っ払い」
妹紅の申し出を受ける理由など皆無。アインツベルンの誇りが傷つくし、そもそも信用できるかこんな奴。
「貴女が妄言を吐くのは自由だけど、わたしのサーヴァントはバーサーカーだけよ」
「むう、駄目か……ちょっと叶えたい願いがあったんだが」
「願い……って、どんな?」
偶然の産物とはいえ第三魔法に至った人間がなにを願うのか。
多少の興味は湧く。
「不老不死を死なせる方法……聖杯に願えばなんとかなるかなーと」
なんともくだらない願いだった。
仲間にしない理由がまたひとつ増えた。
しかし多少の興味は湧く。
「死なせたい不老不死って貴女? それとも
図星だろう。そう思って指摘してやると、妹紅は額に手を当てて頭を左右に振った。
否定ではなく酔い覚ましだろうか?
「む……何を言ってるんだ私は。口が滑った」
「やっぱり他にも不死の薬を飲んでる奴がいるのね」
「あー……」
第三魔法の薬を作ったのが妹紅でないのなら、作ったそいつ――その魔法使いは自分で服用しているだろう。根源を目指すのは魔術師の悲願であり、不老不死になればそれが可能なのだから。
薬は効いてるはずだが、あまり語りたくないのか妹紅は露骨に話題をそらす。
「そういうそっちの願いはなんだ? 願望機とやらに頼らないといけないようなものなのか?」
「アインツベルンの悲願成就――それだけよ」
「悲願って?」
「……アインツベルンの研究を完成させる事」
目の前の完成品に
「研究ね。そういうのは自分の力でやるべきじゃないのか?」
「聖杯を作ったのはアインツベルンだもの、自力よ」
「作ったのに使ってない?」
「使うには色々条件がいるの。そのための聖杯戦争」
「そうなのか」
納得したように頷いた妹紅は、ジロジロとイリヤの周囲の空間を眺める。
急にどうしたのか。その辺りには霊体化したバーサーカーがいるだけだ。一声かければこの女をひき肉にする。
「バーサーカーにも願い事があるのか?」
「……さあ。理性も何も無いし、願い事も無いんじゃない?」
「って事はサーヴァント一騎分、願い事が空いてる訳だ」
空いてない。
サーヴァント六騎分の魂があれば確かに聖杯は願望機として機能し、マスターとサーヴァントの願いを叶えてみせるだろう。しかし
故にバーサーカーの願いの枠はなく、マスターであるイリヤが独占せねばならない。妹紅なんかに分け与える余地はなく、分け与える理由もない。そもそも嫌いだし信用できない。しかしそんな事情、妹紅は知らない。
「鬼なんて喧嘩と酒があれば満足する生き物だ。聖杯なんか無くても構わないだろ」
「バーサーカーは鬼でもオーガでもないわ」
「……えっ? まさか人間?」
「英霊だって言ってるでしょう」
「――もしや武蔵坊弁慶!?」
「日本から離れなさい。というか、冬木の聖杯は東洋のサーヴァントを呼べないから、貴女にサーヴァントの振りさせるのは最初から無理があったわね」
「そんな私をサーヴァントと疑ったのは誰だったかなー」
「むっ……あ、あれはモコウが悪いのよ!」
この後、些細な言い合いをして酷く無駄な時間をすごしてしまった。
やれ、妹紅が勝手に森に入ってきたのが悪い。
やれ、イリヤがろくな説明もなく襲いかかってきたのが悪い。
やれ、妹紅は死なないだけで別に強くはない悪質なゾンビ野郎。
やれ、イリヤが強い訳じゃなくバーサーカーが強いだけで虎の威を借る狐。
そんな有様で、妹紅の評価が下げるばかりの会談となった。イリヤの評価は下がらない。評価しているのはイリヤなので。
そうこうしている間に夜はすっかり更けてしまい、外は真っ暗闇。そんなところに迷子の妹紅を放り出せば、さらに迷って結界を荒らすなど余計な事をやりかねない。いっそ野垂れ死んでくれればいいが、野垂れ生き返るのは目に見えている。
渋々、妹紅を客室に案内して泊まらせる事に。
「勝手に出歩かないでね。罠にかかっても知らないんだから」
と脅しはしたが、果たしてどれだけ効果があっただろうか。
その晩、イリヤはくたくたになってベッドに潜り込み、あっという間に眠りにつくのだった。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――帰ってくる。
男はそう言った。
男はそう約束した。
けれどお爺様は告げた。
「あの男は帰ってこない」
違う、そんなはずない。絶対に帰ってくる。
「あの男は裏切った」
裏切るはずがない。約束した。信じてる。
「あの男は冬木で子供を拾い、家族として育てている」
信じて……いたのに……。
「あの男はお前を捨てたのだ」
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夢見は最悪だった。
カーテンの隙間から射し込む朝陽のきらめきも、澄んだ空気が肺と眠気を洗う感覚も、今はまどろみを邪魔する無粋な闖入者にすぎない。
ベッドの天蓋をしばし見つめ、ぼんやりと無心に陥ったイリヤだったが、五分もするとゆるやかな仕草で起き上がった。レディとして身支度を整えてからサロンに向かい、用意された朝食を摂りながらセラに訊ねる。
「モコウはどうしてる?」
「私達メイドと同じ朝食を与えた後、リーゼリットに追い出すよう命じました」
「そう」
ジャムを塗ったトーストに、フワフワのオムレツ。瑞々しいサラダを楽しむ。ポタージュスープが味わい深い。娯楽の少ないアインツベルン城において食事は大きな楽しみだ。
料理担当はリズだが、かといってセラも料理の腕前を相応に備えているし、手伝いもする。
城の管理、家事全般、花壇の世話など熱心に励んでおり、ホムンクルスとしての価値が低いとしても、イリヤにとっては価値のあるメイドだ。
「ただ、気になる点がひとつ。客室のベッドを使われた形跡がありませんでした」
「それってどういう……?」
「枕もシーツも未使用のまま……偽装のように掛け布団だけ動かしてありました。恐らく一晩中ろくに眠らず何かしていたのでしょう」
「何かされていたの?」
「……分かりません。結界には何の異常もなく、部屋の外に出てはおらず、使い魔の類を放った訳でもなく、魔術を仕込まれた様子もなく……」
確かにあんな信用ならない奴、こそこそ何をしているか分かったもんじゃない。
だが、痕跡を残さず暗躍できるほど優秀とも思えない。
「ただ、日本人は床で寝る原始的風習があると聞きますので、その可能性も」
「害が無いならどうでもいいわあんな奴」
聖杯戦争には本当に関係なさそうだし、これ以上関わる必要もない。
アインツベルンの森は広いが、空を飛べるなら迷わず出られる。結界はまだ出ていった人間を探知していないがいずれ出て行くだろう。
そんな風に思いながら、食後、セラを伴って廊下を歩いていると。
窓の外の中庭で動く人影を見つけた。
覗き込んでみればリズが瓦礫の掃除をしており、その隣で紅白衣装で
「なっ……に、してるのよ、あいつは」
「えっ……ええっ!? リーゼリット、追い出したはずでは!」
慌てて中庭に出てみれば、スコップを地面に突き立てながら汗水を垂らし、健康的な笑顔を浮かべる藤原妹紅がそこにいた。
リズも悪びれもせず瓦礫撤去に勤しんでおり、対照的にセラの怒気が高まっていく。
中庭が結構片づいてきているのを見て、イリヤはため息をついてしまった。
「リズ、モコウ……何してるのよ」
「おはようイリヤ。お掃除、手伝ってくれるって」
「おはようさん。一宿一飯の恩を返させてもらってる」
朝食も食べたので二飯だ。
「結構よ。帰ってくれない?」
「
「あー……うん、そう……」
しまった、バレてる。
酔いが覚めた後に気づいたのだろうか。気安い口調で駆け引きなんかしてきて生意気な奴だ。
つい、そっぽを向いて誤魔化してしまったが、あまりにもわざとらしい動作でますますバレバレの駄目押しをしてしまう。
「ところで聖杯戦争のマスターって全員決まってるの? 変更や追加は無し?」
「……マスター側で参加する気?」
「どんな願いも叶うマジックアイテムが景品なんだろ? そりゃ興味も出るさ」
「殺したい相手がいるなら、聖杯に頼らず自分の手で殺しなさいよ。わたしならそうするわ」
わずかに、妹紅の眼が細まる。
紅色の奥に揺らめく炎のような影が見えた気がして、イリヤはようやく本当の意味で妹紅と目が合ったように感じた。
「おや? イリヤちゃんも誰か殺したい相手がいるの?」
「殺すかどうかは未定。でもわたしの目的の邪魔をするなら――今度こそ容赦しないわよ」
「された覚えがない」
口を軽くする薬を弱めのものにしたのは容赦だ。強いのにしたらバレるんじゃないかと警戒したのもあるけれども。
「――まあいいや。それで、私がマスターになるのは可能か?」
可能と言えば可能だ。
今のところ他に召喚されているサーヴァントはランサーとキャスターだけ。それを知覚する能力がイリヤにはあった。まだ半分以上の枠が空いている。遠坂と間桐がまだ召喚していないとしたらさらに二枠が予約済みとなる。さらに聖杯みずからがマスターを選ぶケースもある。
枠は空いていても余裕は無く、マスターになって欲しい男がいる。
なのにこの女を混入させるなんて冗談じゃない。
「それは宣戦布告って事でいいのね?」
「そんなつもりは無かったが、そうなるのか。バーサーカーと決着をつけるのもやぶさかじゃないけど生憎掃除中。また散らかす訳にもな。というかバーサーカーにもやらせろ。あの怪力なら瓦礫なんか小石みたいなものだろ」
妹紅は足元の瓦礫を踏みつけた。レンガブロックひとつ分くらいの瓦礫だ。
その隣で、リズは人間の胴体ほどはあろうかという瓦礫を軽々と抱えている。
バーサーカーなら瓦礫すべてを持ち上げてもお釣りがくる。なにせ巨人アトラスに代わって天を支えた実績の持ち主なのだから。
だが、バーサーカーの役目は聖杯戦争であり、イリヤを守る事である。掃除ではない。
「貴女ねぇ……英霊を何だと思ってるのよ」
「使い魔だろ?」
「貴女も魔法……魔術師ではあるのだから、現界した英霊がどんなものかくらい――あれ? 本気で分かってない?」
まさかいくらなんでもそんなことは。
そんな思いを肯定するように、藤原妹紅は頷いてしまった。
「いや……待って、ねえ待って。えっ、火を操ったり、飛行魔術を使ったりしてたじゃない。魔法は薬頼みだとしても、魔術は学んだのよね?」
「魔法と魔術の違いもよく分からんが、私が使ってるのは妖術だ」
「要するにマイナーな東洋魔術でしょ? ……魔術師じゃなく魔術使いだとしても……貴女、いったいどこで魔術を学んだのよ。常識知らずにも程があるわ」
「忘れた。まあ長く生きてれば陰陽師や僧侶、修験者なんかと事を構える機会もあったからな。手解きを受ける機会もあったさ。西洋の魔術師にも会った事あるが、逆に面倒見てやったよ。箸の使い方とかな」
「西洋の魔術師? 日本って昔は外交しないぞーって引きこもってたんじゃないの?」
「会ったのは鎖国前だ。……鎖国後だっけ? いかん、昔過ぎて記憶が曖昧だ。けど確か、異人のくせに妖刀みたいな名前の奴だったな」
日本は長らく鎖国と称し、オランダを除く西洋との交流を絶っていた時代がある。
おかげで魔術的にも大きく遅れを取っており、魔術協会からも重要視されない国だ。
――それを好都合と考えたアインツベルンは鎖国中の日本にこっそりと忍び込み、遠坂、マキリと協力して60年周期の聖杯戦争を始めるに至ったのだが。
まあ、妹紅が昔に面倒を見た西洋魔術師なんてどうでもいい。
こんな馬鹿に面倒見られるくらいなら大した魔術師じゃないだろう。
「魔法は薬を飲んだだけ……魔術は半端に学んだだけ……なんだろうこれ、どうしたらいいんだろう……本当にどうしようこいつ……すごく面倒くさいわ……」
「なんだかよく分からんが、こっちの魔法使いも色々面倒くさいようだな」
「だから魔法使いっていうのは……ねえ、モコウ。貴女、どこから来たの? まさか薬屋以外にも魔法使いがいるなんて言わないでしょうね」
「いる。いやどうもこっちと魔法の定義が違うみたいだが、程度にも寄るけど不老不死なんて珍しくもないし、空を飛んでビーム出したり、人形からビーム出したりするぞ」
イリヤは泣きたくなった。
聖杯戦争のため、復讐のため、日本にやって来たというのに。
なんでこんな貧乏くさい変なのと関わってしまったのだ。頭を悩ませているのだ。
「貴女、いったいどんな魔境から来たのよ……」
「あー……これ言っていいのかな? いいか。困るのはあのスキマ妖怪だ」
「すきま……?」
「幻想郷って言ってな。この世から忘れ去られたものが集まる異世界がある。普段はそこにいる」
「幻想……まさか幻想種のいる世界じゃないでしょうね」
まさかを肯定するように、妹紅は悪戯っぽく笑った。
「妖精とか妖怪とか?」
「妖精とか悪魔とか」
「ああ、いるいる、いっぱいいる。妖精は石を投げれば当たるくらいいる。悪魔は
メイドと魔女を同列に語られても困る。
というか、妖精とか悪魔とかが普通にいるって事は。
「……モコウって……年齢四桁あるんだったよね?」
「あー、まあ、だいたいそれくらい」
「……まさか……幻想種?」
幻想種――神話や伝承に語られる伝説上の、あるいは空想上とされる生き物だ。
ペガサスやユニコーン、グリフォンやヒポグリフ、フェニックスなど。
それらは強力な神秘を身にまとい、長く生きるほど力を増すと同時に
まさかこいつ、人間のまま幻想種になったのか。
そうでなくとも、人間のまま幻想種のいる世界に渡ったのか。
「ところで話は戻るが、今から私がマスターになるのは可能なのか?」
「……理屈の上では可能、現実的には無理なんじゃない?」
「どういう事?」
「サーヴァントの召喚方法を貴女に教える魔術師なんていやしないわ。特に貴女がどういう人間が知ればなおさらマスターにしたがらない。実力を知れば戦いの障害になるし、性格を知れば名誉や誇りを汚すような部外者が混ざるなって怒るでしょうね」
「むう」
妹紅は困り顔になって黙り込む。
これであきらめてくれればいいのだけれど。
イリヤはため息をつこうとして、ブルリと身体を震わせた。そういえばコートを着ないまま外に出てしまっていた。
「部屋に戻るわ。セラ、温かい紅茶をお願い。リズ、そいつが変な事しようとしたら殺していいから。モコウ、掃除をしたいなら勝手にしてなさい」
「あ、おい、バーサーカー置いてけよ。瓦礫まだいっぱい残ってるんだぞ。花壇の手入れも!」
「散らかしたのはモコウでしょ」
英霊はメイドでも執事でもない。
戦う事。守る事。倒す事。殺す事。勝つ事。それらを果たせればそれでいい。
霊体化したままのバーサーカーの気配を感じながら、セラを伴って城へ戻るイリヤ。
後ろからは文句の声が続いていたが、振り向きはしなかった。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はぁ……つれないお嬢ちゃんだ。あんたも大変だな、あんなののメイドなんて」
「わたし、イリヤ好き。だから平気」
筋肉ムキムキの大人でも持ち上げるのに苦労しそうな瓦礫を、リズはあっさり持ち上げる。
妹紅も花壇内のクレーターを埋める作業を再開しながら会話を続けた。
「しかしすごい力だな。身体強化の魔術でも使ってるの?」
「わたしはホムンクルスだから」
「ホムン……なに?」
「錬金術で生み出された、人造の生命」
「ふーん。お嬢ちゃんの側でツンケンしてた奴も?」
「セラも、そう」
「イリヤは?」
「あまりお喋りしたら、イリヤが怒るから」
そう言って、リズは廃材置き場へと向かってしまう。
妹紅はつまらなそうに目を細めると、しばし作業を休止して身体をブラブラさせた。
中庭に立ち並ぶ大理石の石像、そのひとつに、真っ白な小鳥が舞い降りる。鳴き声も上げずに妹紅をじっと見つめた。それに気づかぬまま妹紅は、今度は首を回してストレッチをする。
「あー……なんでここにいるんだ、私は」
ぼやきながら門のひとつを見る。妹紅がバーサーカーと一緒に突っ込んだ門だ。
その向こうには妹紅が迷い込んだ森がある。
「……イリヤも殺したい相手がいるのか」
ニッと、イリヤには見せなかった笑みを浮かべる。
楽しげでありながら、どこか暗い、そんな笑みを。
それから――花壇の手入れを再開する。慣れているのか手際がよく、リズとの役割分担もあって中庭は見る見る綺麗になっていく。これなら今日中に花を植え直せるだろう。聖杯戦争が始まったら
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
自室の暖炉で暖を取りながら、イリヤは頬杖を突いてくつろいでいた。
中庭の様子を水晶球に映して妹紅を見張ってみたが怪しい行動はせず、本当にただ花壇の手入れをしているだけだった。
予想外に殊勝な姿を見ながら考える。この女をどうすべきか。
抱え込んだら面倒になる。
解き放ったらもっと面倒になる。
聖杯の願いを分け与える理由もなければ余地もない。
セラの入れた紅茶を味わい、あたたかいものがお腹に降りていくと、気が落ち着いて冷静な自分が戻ってくる。
そうして妹紅を引き入れるメリット、デメリットを改めて勘案する。
妹紅は強い。火力だけなら英霊の域に達した魔術行使と不死身の肉体――いや、魂がある。
相性次第でサーヴァントを倒せるし、相性が悪くても滅ぼされる事はない。
対処の方法が、ない訳ではないが。
聖杯の願いを餌に従える事は可能だ。
願いを叶える段になって、約束を無視してとっとと
アレに本物の第三魔法を見せつけてやったら、どんな顔をするだろうか。
誇りを傷つけられた恨みや対抗心が自分の中にある。
妹紅の操る炎は、花火みたいで――。
勘案して、やっぱりあんな女を引き入れる必要はないと結論づける。
自分にはバーサーカーがいる。あの規格外の大英霊をバーサーカーで召喚しながら魔力不足など起こさない自分がマスターをしているのだ。どんなサーヴァントが相手だろうと不覚を取るなんてありえない。妹紅に殺されてしまったのだって不覚ですらない。
バーサーカーの宝具の前では、致死の攻撃すら不覚になりえないのだ。
「だから、あんな奴」
暖炉の火がゆらゆらと輝いていて、妹紅の火の美しさを思い起こさせる。
妹紅は嫌いだけど、命の輝きにも似たあの焔は。
まぶたを閉じる。
まぶたの裏には、バーサーカーと妹紅の戦いが焼きついていた。
Q.蓬莱人にお薬や毒物って効くの?
A.永琳の毒効かない発言は薬師知識で対策できる的な意味という解釈もありまして。
ギャグではあるけど、うどんげっしょー時空では妹紅はハライタのクスリで腹痛に!
永琳はアオゾメヒカゲタケで興奮・幻覚に陥ってたから是非もない!
あるいは慣れないブランデーで変な風に酔っ払ってただけです。
幻想郷縁起だと正体は隠してたけど、永夜抄みたくある程度見抜かれてるなら結構ペラペラ喋っちゃう印象。深いところまで聞こうとなると儚月抄。