※挿絵を頂きました。今回の話の内容に触れるため後書きに掲載してあります。
衛宮士郎は寝つけなかった。
普段は別室で眠っているセイバーが、焼き討ちを警戒して同じ部屋で眠っているせいだ。
布団を並べたすぐ側で、セイバーが静かな寝息を立てている。
年頃の青少年としてはもう眠るどころではない。
念のためにと枕元に置いてあるバケツの水を浴びて、心頭滅却したい気分だった。
それもこれもアヴェンジャーが焼き討ちに来るかもしれないという情報のせいだ。
――イリヤはちゃんと、焼き討ちしないよう命令してくれただろうか?
――白旗に"焼き鳥撲滅運動"と書いて掲げておくべきだっただろうか?
――"焼き鳥撲滅運動"って何だ。
焼き鳥が撲滅されたなら、なるほど、アヴェンジャーは焼き鳥を投げ放ってはこないかもしれない。しかし逆に、焼き鳥撲滅を阻止すべく焼き鳥を雨あられと投げ放ってくるかもしれない。
あれ? 焼き鳥撲滅を賛成しても反対してもダメなんじゃないかなコレ?
――そうだ。明日の夕飯は焼き鳥にしよう。
セイバーの喜ぶ顔を想像しているうちに、士郎の思考は沈んでいった。
遠坂凛は思案していた。
衛宮邸の離れを借り、電気を消してベッドに入ってはいるが、まだ眠る気はない。
どうにもイリヤの行動が気になった。
衛宮士郎の父親の本当の娘という生い立ちを考えれば、衛宮士郎への執着も、この家の案内をしてもらったのも、分かる話。
ただ、竹取物語を読んでもらったというのが小さな違和感。
そんなどこにでもある昔話を読んでもらうより、士郎や衛宮邸に関わる何かをしていた方が彼女にとって有意義なのではないか?
士郎が言うには、アヴェンジャーはああ見えて料理をしたり、イリヤと一緒に遊んだり、お伽噺を聞かせたりしているらしい。だから、その延長を士郎に求めた――という理屈も分かる。
凛も、竹取物語の現代語訳された分だけザッと読み直してみた。
――不死の薬。
その一点だけ、アヴェンジャーの不死性を想起させる。
その一点しか、アヴェンジャーとの関わりを想起できない。
関係ないのか? 不死になる宝物なんて、古今東西の神話、伝承、昔話にありふれている。
関係あるのか? しかし不死の薬は富士山で燃やされてしまい、誰も口にしていない。
――いや、一人だけ、地上の穢れを清めるために、一口だけ。
正規のサーヴァントはバーサーカーだろう。ならば、アヴェンジャーは非正規。通常とは異なる法則で召喚された、歪んだ存在なのだとしたら――。
人間の英雄ではなく、精霊や怪物、仙人や天人などをサーヴァントとして召喚するという事も、ありえるのだろうか?
疑問の坩堝に陥った凛は思考を休ませるために目を閉じ、みずからのサーヴァントと視界共有をした。
――衛宮邸の屋根の上から、西の夜空を眺めている。
アーチャーはちゃんと、アヴェンジャーに焼き討ちされないよう見張っているようだ。
間桐慎二は夜の街を徘徊していた。
獲物を見つけ、みずからのサーヴァントに襲わせる。
殺さない程度に生命力を奪い、サーヴァントに魔力を補填する。
見せつけてやる。衛宮にも、遠坂にも、自分という魔術師の優秀さを見せつけてやる。
そしてお爺様から褒めていただき、間桐の後継者として歩き出すのだ。
ライダーはというと――魔力供給によって潤った唇を舐めながら、バイザー越しに月を見上げていた。
遙か神代、姉達と暮らした"形のない島"から見上げた月に比べて輝きが鈍っている。ほんの少し小さくなっているようにも思える。
――昔、心から守りたいモノがあった。
けれどそれを守るために彼女は怪物へと堕ち、守りたいモノを、みずからの狂気で――。
ライダーは唇をきつく結ぶ。
――今、心から守りたいモノがある。
けれど、間桐慎二のサーヴァントになってしまった以上、もう、どうする事もできないのではないか? 聖杯戦争を勝利する道筋はあまりにもか細い。まともに戦って他のサーヴァントに勝つのは困難だし、ヘラクレスが相手ではどうしようもない。
ならばマスター狙いに切り替えるべきだが、間桐慎二の下でそれが果たせるとも思えない。ろくな魔力が無くて性格も最悪だったとしても、せめて策略家として優秀なら救いもあったのに、別にそういう訳でもない。――凡庸なくせに自己顕示欲だけは人一倍。
他に、頼れる相手もいない。
他に、託せる相手もいない。
月に手を伸ばしても届かないように、ライダーの手も、誰にも、何にも、届かないのか――。
言峰綺礼は礼拝堂にて祈りを捧げていた。
己の虚無と向き合い、己の虚無を問いただし、己の決意を誓う祈り。
誕生を見守り、祝福によって迎える。
悪であれと望まれたそれが世界に生まれ落ち、何を想い、何を成すのか。
己を肯定するのか、否定するのか――それを見たい。見届けたい。
そのためならば、あらゆる手を尽くそう。
夜は更けていく。
冬木に住まう様々な人々の想いを錯綜させながら、夜は更けていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇
日付が変わろうかという時刻。
静かに寝静まった森への来客はなく、アインツベルンは今宵も平穏無事。
無論、皆が寝静まった真夜中にやってくる可能性もあるが、結界に異常があれば分かるし、寝ずの番をバーサーカーがしてくれている。
イリヤはパジャマの上にガウンを羽織って、ロビーへとやって来た。
数時間前、派手な弾幕ごっこを演じたその場所で、バーサーカーは仁王立ちしている。巌のような体躯に歩み寄ると猛獣のような眼光を向けられるが、恐れは抱かない。
そっと、彼の指先に触れる。
その気になれば指一本でイリヤを肉塊に変えられる、硬くて力強い指。
小さな少女が傷つかないよう力を抜いてくれている、あたたかい指。
「ねえ、バーサーカー」
呼ばれ、巨人は続く言葉を待つ。
しかしイリヤは指に触れたまま、静かに目を閉じた。
以前にも、こんな風に触れ合った事を――二人は思い出していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
二ヶ月前、冬木ではない本来のアインツベルン城にて、イリヤはバーサーカーを召喚した。
外界から隔離された冬の城。
永劫の雪に囚われて停滞した世界で。
イリヤは最初、その存在を嫌悪していた。
聖杯が出現する以前に呼び出したせいで、現界を維持させるには少女の魔力と令呪ですべて賄わなければならなかった。その負担はあまりにも大きい。
バーサーカーがわずかに動くだけでイリヤの全身に激痛が走り、悲鳴を上げた。
神経の七割を魔術回路に改造し、人としての機能を損なってまで規格外の魔力を有したというのに、そんな無様を晒し続けてしまった。
そして、拷問としか呼べない苛烈な訓練の日々が始まる。
冬の森、飢えた獣の群れに置き去りにされた。
悪霊憑きの亡骸の相手をさせられた。
失敗作のホムンクルスの廃棄場に投げ込まれた。
それでもイリヤは生き残った。苦悶の絶叫を上げながらバーサーカーに敵を屠らせ続けた。
それでも十全に制御できていない以上、拷問の日々は続く。
弱音は吐かなかった。しかしバーサーカーを呪う事で自我を保った。
醜い化物を罵倒し、蔑み、ひたすらに嫌悪する。
――次第に制御にも慣れ、聖杯出現の予兆によって魔力の負担も減り、苦痛も消えていった。
それでもバーサーカーへの嫌悪は消えなかった。
「……バーサーカーは強いね」
……その、冬の森を覚えている。
獣に襲われ、全身を紅く染めた銀色の少女。
獣を惨殺し、返り血によって紅く染まった黒い巨人。
あの時も、イリヤはバーサーカーの指にそっと触れた。
魔術回路のパスとは違う、別の何かが通じ合ったのを感じた。
彼がイリヤを守ってくれるのは、従ってくれるのは。
聖杯戦争とか、サーヴァントとか、そんな理由じゃない。
目の前の小さき少女を守る――それは彼自身の胸の内に灯る、優しさなのだと。
その時、二人は真の意味でマスターとサーヴァントになったのだ。
他のサーヴァントなんていらない。
バーサーカーだけでいい。
そう、思っていた。
けれど、人の心というのは狭くて小さいようで、広くて大きい。
バーサーカーへの想いを一欠片も損なっていないのに、サーヴァントという立場に転がり込んだ少女がいる。
最初は洗脳しようとしたり、約束だから形だけとか、利用してやろうとか、思っていたのに。
あの馬鹿が騒々しいおかげで、毎日が楽しくて。
セラとリズまで感化されて、その主従関係もなんだか柔らかいものになった。
――バーサーカーとは、聖杯戦争の終わりが別れの時となる。
どんな結末を迎えるにせよ、それは決定事項だ。そういう仕組みになっている
セラとリズも、バックアップとして仕事を終えればそれまで。イリヤと一緒には来れない。
機能停止するまでこの城を管理し続けるだけの存在となるだろう。
そうなったら、イリヤがいた痕跡も無くなってしまうのだろうか。
いや、あの二人ならイリヤがいなくなっても、イリヤの部屋の維持を続けるだろう。
それでもきっと、イリヤの残滓は次第に消えていくはずだ。
衛宮士郎の家に、衛宮切嗣の残滓を感じなかったように。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇
追憶を終えるイリヤ。
目を閉じて見上げてみれば、バーサーカーはあの日と変わらぬ眼差しを向けてくれている。
別れが確約されているとしても、バーサーカーと結ばれたのは永遠の歓びだ。
だから。
「バーサーカー。わたし、欲張りになっちゃったみたい」
巨人は肯定も否定もしない。
ただ、少女の障害を打ち砕き、少女を守るだけだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇
客室をノックし、返事を待たず家主特権でドアを開ける。
外を眺めていたのだろうか。窓の前に立っていた妹紅が、驚きもせず振り返った。
部屋の明かりは点いていなかったが、月明かりと暖炉の火のおかげで困る事はない。ちゃんとピンクのパジャマにも着替えており、添い寝の準備は万端のようだ。
「またお伽噺?」
嫌がる素振りはなく、自主的にベッドへと向かったので、イリヤもガウンをその辺の椅子にかけてベッドに潜り込む。枕に頭を並べると片腕が妹紅に触れて体温が伝わってきた。
「今日、シロウの家に行ったの」
驚いた様子は無かった。
それを察していたからマーキングを利用して焼き討ち宣言なんてしたのだし。
「…………楽しかった?」
どこか、さみしそうな声で問い返される。
さみしいのは、イヤだ。
「うん。でも、さみしかったかな……人って、いなくなっちゃうものなんだなって」
「そういうもんさ」
当たり前のように答えられるも、その当たり前には千年以上の歳月が降り積もっている。
彼女はいったい何度、そういう体験をしてきたのだろう。
享楽に耽る人柄の下には、いったい何が埋まっているのだろう。
「…………イリヤは、さ。本当はまだ、衛宮切嗣の事……」
探るように、割れ物を扱うように、妹紅は慎重な声色で訊ねてきた。
けれど違う。
今夜はイリヤの番だ。
「フジワラ・ノ・フヒト」
奇っ怪な響きの古い名前。
それを口にするだけで、妹紅は黙り込んでしまった。
イリヤは構わず続ける。
「父上の復讐……そんな事を以前、わたしの復讐と比較してたよね」
「……そんな事、したっけ?」
この期に及んで下手な誤魔化しをする。
布団の中でイリヤは身をよじると、逃すまいとばかりに妹紅の腕を掴んだ。
「かぐやひめ――竹取物語の本、読んでもらったわ」
「つまんない話だったろ」
「そう? 結構面白かったよ」
首を傾け、様子をうかがってみれば、妹紅も視線をこちらに向けていた。
視線が交差し、感情も交差する。
探られたくないものを探られる不快さは、イリヤにもよく分かる。
「不老不死の薬を地上に残したというかぐや姫……」
しかしそれでも欲しいものがあった。
「不老不死の
イリヤの目が見開く。獲物を狙う獣のように。
妹紅の目が細まる。人生に疲れた老人のように。
「フフッ……最初はね、モコウがかぐや姫なんじゃないかって、思ったの」
「やめろよ、気色悪い」
「でもフジワラって名前が出てこなくて、わたし、てっきりお爺さんがフジワラなのかと」
「つか、竹取物語に藤原なんて出てこないだろ」
よく知ってるじゃないか。
「物語での名前はややこしくて忘れちゃったけど、蓬莱の玉の枝の偽物を持ってきたプリンス……モデルがフジワラ・ノ・フヒトなんですってね。別に誰が悪いとか興味ないわ。でも幾つかのキーワードを並べてみれば、だいたい分かっちゃう」
初めて出遭った時、イリヤは森への侵入者が何者なのか推理した。
敵マスターではなかったし、敵サーヴァントでもない、まったくの見当違いの推理だった。
でも今回は。
大雑把ではあるが、きっと正しい推理ができているはずだ。
「竹取物語がどこまで正しいか分からないから、間違ってる部分もあるでしょうけど――。
貴女はフヒトの娘で、父親の件でかぐや姫を恨んでいる。
そしてイワカサとも面識があって、なんらかの手段で不老不死の薬を手にした。
盗んだのか、譲り受けたのか、捨てた薬をこっそり拾ったのかは分からない。
スペルに呪いなんて名づけるあたり、あまりいい思い出じゃなさそうね。
そして幻想郷でかぐや姫と再会し、殺し合っている――――」
――合ってる? 瞳でそう投げかけると、妹紅は目を閉じてしまった。
だんまりを決め込むつもりだろうか?
しかし、妹紅の唇がわずかに震えたのに気づいて、イリヤは辛抱強く待った。
短くとも一分は経った。たっぷり迷ってから、妹紅は目を開いて虚空を見つめる。
「私は、岩笠に助けられたんだ」
「……そう」
「でも、私は岩笠を蹴り落として……薬を奪った」
「……そう」
わざわざ訂正したそこ以外は、概ね推理通りと考えていいのだろう。
岩笠はどうなったのだろう。蹴り落としたなんて表現ではよく分からない。
ただ、その瞳が後悔に濁っているのを感じ取って――妹紅の手を握ってやる。
サーヴァントの肉すら焼き切れる指が、赤ん坊のようにか弱く、握り返してきた。
少し、話の流れを変えよう。
「幻想郷って月にあるの?」
「ない。あいつは月に帰らず、地上に隠れてたんだ」
意外、でもない真相だ。
竹取物語に慣れ親しんでいる日本人ならともかく、イリヤにとっては今日初めて聞いた話でしかない。オチが違ったところで「ふーん、そうなんだ」程度のもの。
「ま、今更――かぐや姫がどうしてようとどうでもいいわ。わたしには関係ないし」
それに竹取物語そのものは、イリヤにとってまったく重要ではない。
妹紅が聞かせる他のお伽噺と同じようなもの。
竹取物語の中に、藤原妹紅はいないのだから。
「でも――」
イリヤは布団を跳ね除けて起き上がると、隣で眠るサーヴァントに覆いかぶさった。
予想外の行為に妹紅は目を見開き、身をすくませている。
乙女を組み伏せる吸血鬼のように、イリヤは妹紅の両肩をきつく掴んで艶やかに笑う。
「物語の外の貴女を見つけて、嬉しいって思ったの」
過去は大事だ。でもどんな過去があったって、イリヤにとって重要なのは今だ。
誰の隣にいるか、誰のために在るのかだ。
誰を想っているかだ。
イリヤは小さな重さでのしかかる。
妹紅の腰を膝で挟みながら、掴んだ両肩へと重心を移す。
イリヤの小さな軽さなんて、簡単に払いのけられるはずだ。
「イリヤ、急にどうしたの」
意図がまったく読めないながらも、不穏を感じ取ったのか口調が大人しいものになる。
可愛い。
あの軽薄で、奔放で、愉快で、苛烈な、
色んなモノが手のひらからこぼれていく。でも、今この手のうちにある彼女ならば。
熱情の旋律が、少女の胸の奥で激しく奏でられる。
「わたしのモノになりなさい」
――告げる。
不死鳥の身は銀雪の下に、不死鳥の命運は銀雪の手に。
聖杯ならざる寄るべによって、この意、この心に従うのなら。
「なに言ってる。……衛宮んちで何かあった?」
「分かってるの。聖杯戦争が終われば、どうしたってバーサーカーとはお別れなんだって」
大好きなバーサーカー。
いつだって絶対にイリヤの味方をしてくれて、守ってくれるバーサーカー。
それでも結局、聖杯戦争のために召喚されたサーヴァントという
「……別れなんてどこにでもある。セラやリズと、思い出話でもすればいい」
「モコウも、思い出話……する?」
「そうだな、するんじゃないか?」
「ウソよ」
声が、震えた。
お腹の奥から、震えがせり上がってくる。
一緒にいるのが楽しかったから、目を背けていたコト。
「モコウは! 聖杯目当てにサーヴァントやってるだけじゃない……!」
ドロドロとした情動が言葉となって吐き出された。
堪えるような表情をしたのは、どちらが先だったか。
妹紅の紅い瞳が
憐れまれている。
可哀想な女の子が癇癪を起こしていると思われている。
弱いところを見られたくなかった。
バーサーカーの前でも強がって、強がって――今でも強がり続けている。
ペタンと、妹紅のお腹にお尻を下ろした。
女性らしい柔らかさに身体が沈み、内臓の動きに合わせて体温が伝わってくる。
「幻想郷に帰るつもりなんでしょう? わたし達を思い出にして、誰と思い出話をするの?」
ギリリと歯を食いしばった妹紅の眼差しが灼熱する。
剥き出しになった白い歯が開かれれば、そこから出てくるのは怒声だ。
「思い出にしかなれない連中が! 勝手を言うな!」
ドロドロと煮詰まった、陰惨な邪気を叩きつけてくる。
矮小な泣き言は、今までにないほど真摯だった。
バーサーカーを殺してのけた復讐者が、今はこんなにも弱々しい。
「明日死ぬも百年後に死ぬも、私にとっちゃ大差無い。どいつもこいつも今を楽しむための暇つぶしだ。私は老いもしなければ死にもしない。死が無くなって生も無くなった。人の形で固定されたせいで、人の形をした社会から逸脱してしまった。お前等みたいなフツーの連中と巧くやっていけるはずがない!」
それは慟哭。
孤独を抱いて溺死して、それでもなお果てず、窒息し続けた者の叫びだ。
彼女にとっては自然の嬰児であるホムンクルスですら、いずれ息絶える普通の生命にすぎない。
寿命の長い短いなんて誤差でしかないほど、他者の死を見続けてきたのだ。
「思い出すら! いずれは無限の過去に埋没してしまう!!」
子供が泣いている――。
朱い瞳と紅い瞳が交差して、互いの瞳の奥にある涙を見つめ合う。
不思議と表にこぼれてはこない。
けれど泣いている。
どこか遠くで、子供が泣き続けている。
「イリヤには分からない。永劫を生きる者の孤独なんて、イリヤには――」
「独りぼっちの、さみしい気持ち――わたしは知ってる」
妹紅の肩を掴む手をゆるめ、肌を沿わせる。
右手は細い首筋を撫で、柔らかな頬へと伸びて、紅い瞳のすぐ下を親指で拭う。
流れてもいない涙を拭うように。
「聖杯を手にし、天のドレスを着たら、わたしは――」
腰を折って前屈みになりながら、左手で妹紅を愛撫する。
肩から胸へ。パジャマ越しに伝わる小さなふくらみは、永遠に未成熟なまま実る事はない。
その淫蕩な手つきは妹紅の頬を紅潮させ、唇から言葉を奪う。
イリヤもまた頬に熱を帯びていた。
妹紅のおへその辺りにお尻を押しつけると、お腹の奥から湧き上がる熱情が全身へと広がっていく。それは組み伏せられた不死の少女へも伝わっているはずだ。
「わたしなら、モコウの永遠を癒やして上げられる」
顔を近づける。
目の前で、妹紅の目が震えている。
鼻先は今にもくっつきそうで、互いの吐息がわずかな空間で絡み合っていた。
これ以上首を動かさなくても、唇を尖らせればもう、触れてしまう。
「だからモコウ――わたしのモノになりなさい」
聖杯で叶えた願いの先に。
くだらないこだわりを捨て、血肉の器を脱ぎ去り、
額をコツンと当てて、永遠への誘いをする。
その時、互いの身体に挟まれた左手が下へとずり落ちた。
「――イリヤ」
妹紅の熱が急激に冷めていく。
瞳の奥の涙を覗き合っていたはずが、視線を下へとそらされていた。
いや、何かを見ている。何を――?
半身を起こして視線を追ってみれば、視線はイリヤの左手へと向けられていた。
胸元から下へとズレた左手。
位置としては右の肋骨あたりを掴むような形になっている。
「…………聞こえのいい言葉を使って、結局
「………………
――熱情の旋律が急速に鎮まっていく。
空気が変わるのを肌で感じた。
微熱を帯びて大人しくなっていた妹紅から、夜に降る雪のような冷え冷えとしたモノを、ほんの一瞬だけ感じ取る。
ほんの一瞬だった。
いつの間にか妹紅の手が伸びており、右肩を掴まれている。
完全に握っていたペースが、妹紅の手へと移り変わったのだと自覚した。
何かのボタンをひとつ、掛け違えてしまったのか。
失敗、したのか。
当惑と落胆からイリヤはわずかに身を引いて、それを感じ取った妹紅の手から力が抜ける。
しばし、言葉もなく二人は見つめ合った。
少しずつ、少しずつ。一呼吸ごとに息が詰まっていく。
苦しさに喘ぎそうになって、唇を動かそうとしたら。
「お前が聞いた竹取物語って、どんなだ」
機先を制するように妹紅が訊ねてきた。
「え、あ、フツーの……だと思うけど。現代語訳とか、解説とか載ってる本」
「………………そうか」
質問の真意を確かめる間もなく、イリヤはグイッと引き倒されてしまう。
抵抗もできず顔面から枕にダイブし、先程跳ね除けた布団がバサリと頭からかぶせられた。
「わっ……ぷ!?」
「このヤロー、すっかり衛宮にほだされやがって。楽しい復讐劇を手伝えると思った私のウキウキを返せコラ。くすぐってやるぅー」
「うひゃあ!? ちょ、そこダメ、反則っ。やーめーてー!」
先程までの艶めかしい空気があっという間に雲散霧消!
妹紅も一緒に布団をかぶっていて、イリヤにしがみつきながら腋や首筋など敏感な部分をくすぐり回してくる。たまらず色気の欠片もない悲鳴が漏れてしまう。
――これは合図だ。
さっきまでの事はなかった事にしようという合図。
この不老不死の少女はもう、イリヤのモノにはならないのだろうか。
じゃれ合いながら、イリヤの心に不安がよぎる。
――いや、まだだ。
聖杯を手にしたその時なら、永遠を癒せるのだと目の前で立証してやれば、きっと。
「えーい、お返し!」
「おおう!?」
くすぐられたお返しとばかりに、イリヤは妹紅の胸にぎゅーとしがみつく。
おでこをこすりつけてやると、妹紅もくすぐったそうに笑い声を上げた。
しがみつく腕に、力を込める。
逃すまいと、手放すまいと、非力な腕に力を込める。
そうして、二人の夜は更けていった。
――――互いの真意を知らず、すれ違ったまま――。