イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第21話 リタイア

 

 

 

 ――翌朝。窓から射し込む朝陽に顔を照らされ、イリヤはうめきながら目を覚ます。

 結局あの後、わざとらしくじゃれている間に眠ってしまった。

 妹紅の体温を感じながら。

 ブルリと、イリヤは身体を震わせる。

 妹紅の体温を感じない。

 寝る時はあんなにピッタリくっついていたのに。マスターを寒がらせるなんて、サーヴァントとしてなっていない。

 文句を言ってやろうと、身を起こすと――。

 

「……あれ?」

 

 ベッドにも、客室にも、藤原妹紅の姿はすでに無かった。

 まあ、早起きな日もあるだろう。イリヤはたいして気に留めず、朝の支度をすませる。

 そして、セラとリズをサロンに呼び出して言いつけをした。

 

「モコウには、わたしが聖杯に何を願うか――話してないわよね? うん、それならいいの。今後も話しちゃダメよ」

 

 デリケートな問題だ。迂闊に触れて、頑なになられても困る。――実際、なんだかよく分からない間にボタンを掛け違えてしまったのだし。

 主の命令に対して、無論、完璧で忠実なメイドである二人が逆らうはずもない。

 

「確かに――第三魔法の達成が目的と言ったら、自分はすでに達成済みと自慢してきそうですし」

「モコウ……イリヤの願いを反対するかもしれない?」

 

 リズが痛いところを突いてくる。

 これまで見てきた妹紅の価値観なら、そうなる可能性が高いのだ。

 さすがに、裏切りはしないはず。

 しかし反対されたり、出奔して帰ってこなくなるかもしれない。

 

「モコウは、いずれ本当の意味でわたしのモノにする。そのためにはタイミングが大事なの」

 

 聖杯を手にした後なら、妹紅でも止めようがない。

 予定は早々に狂ったが、そもそもがイレギュラーな出会いだったのだ。

 構うものか。どうせ聖杯戦争の勝利は決まっている。

 私事にかまける余裕はたっぷりある。

 

「聖杯も、モコウも、シロウも! 全部、全部、わたしのモノよ」

 

 すでにイリヤのモノであるセラとリズの前で宣言する。

 セラは、未だ不満を抱えているものの、イリヤに逆らうはずがなし。

 リズは、未だ不安を抱えているものの、イリヤに逆らうはずがなし。

 これでいい。

 イリヤの願望は叶うべきなのだ。

 

「――ところでモコウはどこ? お散歩?」

「はて、いつもなら朝食のおねだりに来る頃ですが」

 

 しかし、朝食の時間になっても妹紅は姿を見せなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 食事は調達が面倒だから取らない。ひもじさの苦しみには慣れている。飢饉の時は大人しく餓死する。――そんな風に生きていた時代もあったし、今でも食事を抜いたりする。

 アインツベルンに来てからは、千数百年の人生の中でもっとも飽食な日々を送らせてもらった。

 

 過分な扱いを受けている――今更ながらそれを自覚した。

 聖杯戦争の助っ人、不死身の援軍。そんなものイリヤには必要ないのに。バーサーカーの旦那だけで十二分なのに。

 毎日ご馳走を食べさせてもらっている。街で高級寿司も食べた。服も買ってもらった。

 ベッドだって最上級のフワフワで、最高の抱き枕も頻繁にやって来る。

 

 ああ――アインツベルンで耽っていたい。

 

 それはきっと本音ではあった。

 でも昨晩、イリヤに迫られたあの時、疑ってしまった。

 

 妹紅はみずからの脇腹の辺りを軽くさする。

 あの時、永遠を癒やすなんて言いながらこんなところを触れるから――。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()のかと思ってしまった。

 

 秘密を知った奴から求められるのは初めてじゃあない。今までも何度も求められ、返り討ちにしたり、逃げたりしてきた。

 仲良くなって譲り受けようと媚を売ってくる奴もいた。――イリヤも同じなのかと一瞬でも疑ってしまったのが情けない。

 イリヤは薬の詳細を知らなかったし、不老不死にも興味が無いように見えた。だから安心していたという面もある。

 人見知りなようで、人懐っこくて。

 子供に好かれるのは、永き孤独を癒やす安らぎとさえ感じられた。

 裏切られるのは平気だ。人の世なんてそんなもの。仕返しに焼きを入れておしまいだ。

 でも、好きな奴に裏切られるのはイヤだった。

 

「……まあ、私の早とちりだったみたいだが」

 

 別に妹紅の中のモノを求めていた訳ではなく、単なる熱烈な求愛だったようだ。

 友人としてか、主従としてか、家族としてかは分からないが。

 別れたくない――という意味なのだろう。

 聖杯戦争が終わっても一緒にいたい。そういう誘いだと妹紅は解釈した。

 

 しかし何だか気恥ずかしくて、こうして黙って出てきてしまった。

 

 

 

 妹紅は今、冬木の街にいる。

 それこそ着の身着のまま。コートすら羽織らず、現代人らしいジーンズもはかず、ブラウスとサスペンダー付きの袴という目立つ格好で。

 まあ、足まで届く白髪(はくはつ)の時点で目立ちまくるのだ。今更多少服装がおかしかろうが誤差!

 ついでに言えば無一文。お小遣いも置いてきてしまった。

 

 実のところ、アインツベルンに帰るかどうか決めあぐねていた。

 だから、イリヤからもらった物はすべて置いてきた。

 いや下着だけはうっかりそのままだ。これくらいは勘弁願おう。

 

 怒っているだろうか。

 呆れているだろうか。

 悲しんだり、泣いたりは――ちょっと想像つかない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 当てもなくブラブラと歩き回り続ける間、何度か隣を歩いているはずの少女を探してしまった。

 いるはずがないのに。

 何だかもう気が萎えてしまって、続いてイライラしてきて、暴れたくなったので。

 

「おのれ焼き討ちに来たか!」

「随分と遅かったな」

 

 衛宮邸に忍び込んだら即バレした。

 塀を()()越えて庭に入ったところ、重たい鈴のような音が響いたかと思うや、屋内からセイバーが飛び出してきて、屋根からアーチャーが飛び降りてきたのだ。

 

「……今は昼だぞ? 何でそんな臨戦態勢なんだ?」

「敵陣に忍び込んだ者の言葉か」

「もっともだ」

 

 我ながらボケた発言をしてしまった。

 セイバーが敵意をあらわに飛びかかろうとしているのも仕方ない。

 一方アーチャーは疲れた様子で愚痴を吐いた。

 

「こっちは貴様が焼き討ちに来ると聞いて、一晩中見張りをさせられていたのでな」

「……? …………あー……あー、あー、そういえばそんな冗談言ったなぁ。というか、何でお前が衛宮の家で見張りを? こないだ衛宮士郎を殺そうとしてただろ」

「……マスターの指示だ。今はこうして同盟関係にある」

 

 意外、でもないか。

 視線をめぐらせてみるも、衛宮士郎と遠坂凛の姿はない。屋内に隠れているのか。

 

「…………それで、今度こそ焼き討ちに来たのか?」

 

 アーチャーが白黒の夫婦剣をかざし、妹紅の視線を向けさせる。

 

「まさか。ただちょっと衛宮士郎に文句言ってやろうと。昨日イリヤにナニしたお前等」

 

 アーチャーの視線がセイバーに向いたので、妹紅もセイバーを見やった。

 

「……イリヤスフィールから聞いていないのですか?」

「なんか思い詰めてたぞ」

「…………シロウが家を案内し、一緒に本を読んだ……それだけです」

 

 それで竹取物語か。

 もしかしたらとも思ったが、やはり竹取物語の裏事情までは知らないようだ。イリヤもあくまで妹紅の迂闊な言動の端々から推理、考察していたのだし。

 しかしどうも、セイバーの態度がおかしい気がする。

 

「まさか答えてくれるとは思わなかったな。イリヤを敵視してたように見えたんだけど」

「貴女にも是非答えてもらいたいですね、なぜサーヴァントが八騎もいるのか」

 

 まだ信じてるのか。

 初対面の時点では疑われていたのに、そんなに不死身が奇異に見えるのか。

 とはいえ言峰綺礼にはアッサリ見抜かれたので、バレるのも時間の問題だろう。

 バレたところで特に問題ないので構わないが。

 

「そういう真面目な質問なら、こっちだってあるぞ。衛宮切嗣は何でアインツベルンを裏切った。何でイリヤを捨てた」

 

 今まさにアインツベルンを無断で出て、帰るかどうかも決めあぐねているのに、何でこんな質問しちゃったんだろうと口に出した妹紅自身が呆れてしまった。

 しかし結構キツイ質問だったのか、セイバーは戸惑いを見せるように息を呑んだ。

 

 しかしなぜ、アーチャーまで眉間を険しくしているんだろう?

 イリヤとも衛宮とも関係ない、完全な部外者のくせに。

 

「…………私は、何も知りません。切嗣がなぜ裏切ったのかも……その後どのような人生を送ったのかも……」

「………………士郎もか?」

「ええ。イリヤスフィールの存在すら、貴女と初めて戦った日に知ったはずです」

「そう、か……」

 

 これで、何か有益な情報を得られていたならば。

 自分はきっと、アインツベルン城へとんぼ返りをしていた。

 未練がましい。

 それにしても――イリヤは竹取物語を聞いただけで真実にかなり近い推理を披露したのに、こちらは特に進展なし。

 さらにそれにしても――セイバーは随分色々と語ってくれた。イリヤに関わる事だからか。昨日お宅訪問した際、多少仲良くはなったのか。

 

「サーヴァントの人数だが、監督役の神父とこないだ会ったけど別に問題ないってさ」

 

 いっそ英霊じゃないと暴露しようかとも思ったが、それはやりすぎだろう。

 好きに勘違いしていればいい。

 

「相変わらず正体不明で在り続ける訳ね」

 

 縁側からの声に視線を向けてみれば、遠坂凛が腕組みをして立っていた。

 コートを着ていない姿を見るのは初めてだが、紅い上着はともかく、何だろうあの黒いスカートは。あまりにも短すぎる。スッとした太ももが丸見えだし、ちょっと動いたら下着が見えてしまいそうだ。

 だがそれ以上に視線を引いたのは――腕組みしながら持っている、一冊の本。

 距離があるため題名は確認しづらいが、表紙には()()()のイラストが垣間見えた。

 わざわざ敵陣真っ只中で、本を読んでもらったと告げた少女を思い出す。

 ならばあれが何の本なのかは察しがつくし、遠坂凛もあれこれ考察しながら読んだのだろう。

 

 ――そこに藤原妹紅はいない。物語の外に自分はいたから。

 

 しかし気に障る。あんなくだらない本を読まれたというだけで嫌悪が湧く。

 正体は露見しないにしても、不死身の由来は気づかれてしまうかもしれない。とはいえその程度の情報にたどり着いたところで、どうにかできるモノではない。

 

「本当に同盟組んでるんだな」

「バーサーカーとアヴェンジャーの二人がかりに言われたくないわ」

「……衛宮士郎はいないのか?」

 

 侵入者を知らせる結界が張ってあったようだし、結構あれこれ喋って時間も経っている。トイレにこもっていたとしても、いい加減、姿を現してもいい頃だが。

 サーヴァントにすべて任せて安全地帯に隠れるタイプでもあるまいに。

 

「……そういえば、いないわね」

 

 凛も不思議がって視線をめぐらせる。

 途端にセイバーはハッとして、剣を突きつけるように一歩迫ってきた。

 

「アヴェンジャー! まさかシロウをかどわかすための囮に――!?」

「いや、今日は一人だ」

 

 日課のマーキングもされていないので、イリヤは妹紅がどこでどうしているか知るすべも無い。

 

「衛宮士郎がいないんじゃ長居する意味もないな」

 

 トンと地面を蹴ると同時に飛翔し、重力の鎖を切って舞い上がる。

 

「なっ……逃げるのですかアヴェンジャー!」

「セイバー。お前、結構いい奴だな」

 

 そう言い残して空高く離脱。

 あっという間に衛宮邸は遠のいていき、無防備な背中に追撃は来なかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「――アレは危機感のない愚か者だからな。大方、黙って買い物にでも行ったのだろう」

 

 狙撃もせずアヴェンジャーを見送ったアーチャーは、士郎の不在について興味なさげに言い捨てた。凛もありえそうだとため息をつく。

 

「念のため、近場を見て回ってきます」

 

 だがセイバーはそれをよしとせず、凛に留守を任せて出かけた。

 そしてすぐ、士郎の通う学校で異変が発生する。

 

 間桐慎二がサーヴァントを使い、魂喰いのため鮮血神殿と呼ばれる結界をライダーに使用させたのだ。結果、学校中の人間が昏睡しその生命力を吸われる事態に陥った。

 アヴェンジャーが衛宮邸に侵入する数分前、士郎は慎二から電話で学校へと呼び出されており、その凄惨な現場を目の当たりにする。

 姉同然に慕う藤村大河、慎二の妹であり士郎にとって可愛い後輩である間桐桜もその毒牙にかかる。激怒した士郎だが、慎二の従えるライダーに太刀打ちできるはずもなかった。

 

 人間とサーヴァントの差に圧倒され、全身を痛めつけられた士郎は、令呪を使ってセイバーを呼ぼうとする。

 だが妹紅のせいで士郎の不在に気づいたセイバーが学校近くまで来ていたため、令呪を使う間でもなくマスターの窮地に駆けつけて事なきを得た。

 鮮血神殿によって魂喰らいをしたライダーだが、まだ生命力を吸い切れておらず、セイバーとの真っ向勝負は分が悪い。そのため宝具を開放し、強大な閃光と共に校舎を破壊。

 セイバーが士郎の盾となっている隙に、慎二を連れて脱出してしまう。

 士郎もまた結界の影響と、ライダーに傷つけられた事が原因で、セイバーに担がれて自宅へと連れ戻されるのだった。

 

 学校中の人間が昏睡するという事件は大騒動になるも死者はなく、救急隊が駆けつけてみんな病院へと運ばれた。

 無論、原因が魔術であるなどと言えるはずもない。

 神秘を秘匿すべく、監督役の言峰綺礼はガス会社のせいにするか集団食中毒にするか、アレコレと頭を悩ますハメとなった。

 

 藤村大河と間桐桜も命に別状は無かったが消耗が大きく、しばしの自宅休養を余儀なくされた。

 同じく学校もしばしの休校となる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 城かと思うほど大きな寺子屋でなにやら大きな騒ぎがあったらしいと気づいた頃には、もう救急隊が駆けつけていた。

 雑木林の木陰からそれを眺めていた妹紅は、自身が出遅れたと悟る。

 それにしても寺子屋を巻き込むとは随分となりふり構わない乱暴さだ。

 ランサー組がこんな事をするはずがない。消去法でライダー組の犯行なのは明らか。

 

 さて、どうしよう。

 

 まだアインツベルンに帰るか決めかねているし、ライダー組の情報収集というのも面倒くさい。

 それでも観察を続けていると、一人の男に気づいた。

 どうやら校舎にいながら、昏睡せず無事だった者がいるらしい。

 生徒の制服ではない。スーツを着た大人の男性だ。眼鏡をかけて薄暗い雰囲気をしている。

 

 なんだあいつ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 男が自由の身になったのは、すっかり日が暮れてからだった。

 一人だけ無事だった教師という事で、あれやこれやと事後処理に追われてしまった。

 そして彼は、夜の街を一人歩いていた。

 行き先は――衛宮士郎の家。

 正門ではなく裏手に回った彼は塀の高さを確かめ、腰を落として跳躍の姿勢を取る。

 

「不法侵入すると、警報が鳴るぞ」

 

 頃合いかなと思って、妹紅は電信柱の上から声をかけた。

 男は驚いた様子もなく妹紅を見据える。

 

「何者だ」

「お前こそ何者だ。堅気じゃないよな」

 

 男の前へ無防備に飛び降りてやる。

 こいつは只者じゃないと直感が告げていた。

 隙と思って手出ししてくれればからかってやったのだが、男は間合いを計るのみ。慎重だ。

 

「さてはライダーのマスターか。一人だけ無事だったもんな」

「聖杯戦争の関係者か。衛宮の仲間なのか? 彼がサーヴァントらしき者に校舎から連れ出されるのを見たのでな、マスターではないかと思ってこうして訪ねにきた」

 

 随分とくたびれた声をしている。聞いていて疲れそうだ。

 

「……ライダーから聞いてないのか?」

「私はライダーのマスターではない」

「じゃあ何だ。何で無事だった」

 

 問うと、男は胸ポケットから小さいものを取り出す。

 ――袋に包まれた、お守りだった。

 布地や紐こそ東洋系のものだが、伝わってくるのは西洋系の強力な魔力。

 

「そんなの持ってるのか」

「こちらも色々と聞きたい事がある。何分、聖杯戦争についてよく知らぬのでな」

「……まあ、相手はしてやるが……ここでやるとこの家の住人に気づかれる。私は別にいいけど、場所変えるんなら乗ってやるぜ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 結果を言えば。

 藤原妹紅が男を無力化するまでの間に、首を五度も飛ばされた。

 一度目、二度目は訳も分からず。

 三度目、四度目は遠距離から炎を放つも詰められてあっという間に。

 五度目は互いの攻撃を同時に放って相討ちという形で。

 

 ――死に覚えが得意な身としては、知覚できない即死攻撃は覚えるのに難儀する。巫女のように最初からしっかり回避する戦闘スタイルも覚えた方がいいのだろうかと少し悩む一戦だった。

 

 人気のない夜の道路の上に、男は大の字になって寝そべっている。

 見下ろしているのは妹紅だ。綺麗に首を飛ばされたおかげで痛みは無く、それゆえ消耗が少なくすんだのが皮肉だった。

 

「……お前、どこの誰だ」

「…………葛木宗一郎。キャスターのマスターだ」

 

 召喚者は殺したと言っていたはずだ。

 まあ、彼が召喚者だろうが、後からマスターになった人間だろうが、どっちでもいい。

 

「キャスターは死んだ。なのにまだ続ける気か?」

「彼女と共に戦うと決めた。私が戦いを始めたのだ。それを途中でやめる事はできない」

 

 夜の風が、妹紅の白髪(はくはつ)をはためかせる。

 途中でやめる……。

 脳裏に、同時に、黒と銀の髪がなびいた。

 途中でやめる事は……。

 

「願いが、ある訳じゃないのか?」

「聖杯に興味はない。だが、彼女の代わりに私が果たさねばならん」

 

 無理だ、と妹紅は思った。

 この男、葛木宗一郎、どういう素性か分からないが凄腕の暗殺者だ。

 しかし霊体であるサーヴァント相手に戦うには分が悪い。

 そもそもバーサーカーには絶対勝てないし、初見殺しの体術もランサーならその戦術眼と敏捷性で回避し、槍の間合いで一方的な殺戮を披露できるだろう。

 聖杯戦争に挑む限り、いつか、誰かに、殺される。

 

 正直、こんな初対面の他人が死んだところでどうだっていい。

 けれど、一人の女の声が耳の奥に響く。

 

「キャスター、言ってたぜ」

 

 

 

『……私の聖杯戦争は、終わりました……だ、だからもういいのです……そう、い……』

 

 

 

 最後のあれは、こいつの名前だったのか。

 単なるマスターとサーヴァントという関係ではなさそうだ。

 もっと違う繋がりを持った、まるでそう、夫婦のような――。

 

「だから、もうやめとけ。キャスターの望みはお前が聖杯戦争をやめる事だ」

「……………………」

「お前の望みは、キャスターの望みを叶える事なんだろ……?」

 

 がらにもない説得をしてしまった。

 果たして聞き届けてくれるかは分からないが、これ以上は言葉を重ねても無駄だろう。

 妹紅は背を向けて歩き出す。しばらくすれば宗一郎も起き上がれるだろう。

 

「――なぜだ」

 

 宗一郎の言葉に妹紅は足を止める。

 

「なぜ、お前がキャスターの望みを叶えようとする。聖杯戦争ならば敵同士だろう」

「……別に、ただ……」

 

 思い返せば、フードから覗くキャスターの美貌と、その周囲から放たれる無数の閃光。

 

「キャスターのスペルが、綺麗だったからさ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 葛木宗一郎の聖杯戦争は終わったのだろうか。

 幸い、彼がマスターだったとは妹紅以外にバレていない。

 ここでリタイアしてくれれば、元マスターとして狙われる心配もないだろう。

 真実、終わりを決められるのは当人だけだ。

 …………終わってほしいと願う、しかし。

 

 

 

 葛木宗一郎――彼の純朴な願いを、終わらせるのは心苦しい。

 キャスター――彼女の純粋な願いを、叶って欲しいと思う。

 誰もが誰かの願いを踏みにじりながら生きている。自分はすでに数多の願いを踏みにじった。

 願いの重なった誰かとしか、手を取り合う事はできない。

 

『彼女と共に戦うと決めた。私が戦いを始めたのだ。それを途中でやめる事はできない』

 

 戦争、好奇心、聖杯、飯と酒、暇つぶし、復讐の応援――最初はそんな理由で戦いを始めた。

 けれどイリヤと共に戦うと約束したのだ。

 舵取りをイリヤに任せはしたが、戦いを始めたのは自分の意志。

 それを途中で――。

 

 

 

 葛木宗一郎の言葉が耳から離れない。

 その正体は結局、自分の心なのだろう。

 聖杯に託す願い、心躍る戦争、少女の復讐――理由は色々あった。

 でも今は――。

 

 イリヤが大好きで放っておけない。

 ただそれだけなんだと思う。

 

 だったら自分はどこに立ち、何をすべきか?

 その答えと葛木宗一郎の言葉が一致したから、こうしてアインツベルン城へ戻ってきたのだ。

 

 草木が眠り、星々の瞬く、森の奥の古城。

 そのドアを無言で開けると、明かりのついた豪奢なロビーの中、バーサーカーが仁王立ちしていた。そしてその肩には、不機嫌そうな顔のイリヤスフィール。

 やはり怒っている。プンスカプンだ。

 今にもバーサーカーに命じて妹紅を殺しそうだ、10回以上は確実に。

 まあ、それも仕方ない。大人しく殺されてやるか。

 あんまりきついようなら魂のまま待機すればいいだけだし。

 そんな後ろ向きな気持ちを交えつつ、妹紅はやけっぱちな明るい笑顔を作った。

 

 

 

「ただいま!」

 

「――――ッ!」

 

 

 

 瞬間、イリヤの顔がクシャリと歪む。

 うつむき、身体を震わせ。

 バーサーカーの肩を蹴って、飛びついてきた。

 

「わっ!?」

 

 妹紅が驚いたのは、イリヤの脚力が弱すぎて明らかに飛距離が足りない事だ。

 このままだとロビーの硬い石床に顔面ダイブ確定。

 反射的に妹紅は駆け出し、バーサーカーもイリヤを受け止めようと手を差し出していた。

 結果。

 イリヤはバーサーカーに優しくキャッチされ、妹紅はバーサーカーの指に顔面から突っ込んで盛大にすっ転ぶ。硬い、硬すぎる。石床より硬いぞバーサーカーの指。

 お花畑が見えた。

 さらに後頭部から石床にダイブ。ガッツーンという音が脳みその中でエコー。

 お花畑が見えた。

 

「も、モコウ!?」

 

 イリヤが飛び降りてくる。目測を誤って妹紅の顔面にだ。

 お花畑が見えた。

 大人びた黒。

 

「ぐべっ」

 

 顔面を踏まれる。

 もう何がなんだか分からない。死んでリセットしようか。

 いや、イリヤの重さが身体の上にある。

 多分、妹紅の顔面を踏みつけた拍子にバランスを崩して、妹紅の胸元に尻餅をついている。

 だから、リザレクションせず自然回復に任せよう。

 

「ちょっ、モコウ!? 起きなさい! わたし、怒ってるんだからー!」

 

 ああ、イリヤが体操服とブルマを装着して何か喚いている。

 なぜかアインツベルンのロビーじゃなく、和風の道場の中にいる。

 

「ふっ……どうやら、私は、ここまでみたいだ……リタイアさせて、もらうぜ……がっくーん」

「…………バーサーカー、1回殺しなさい」

 

 お花畑が見えた。

 見慣れた赤。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 モコウはもう帰ってこないんじゃないか。

 昨日、あんな風に迫ったから。

 キリツグのような一方的な裏切りではなく。

 イリヤの過ちによって見限られたのではないか。

 

 それを思うと怖くて、怖くて、怖くて……。

 自分で捜しに行く事も、セラやリズに捜しに行かせる事も、できなかった。

 布団に潜って考える。

 

 自分が悪かったんじゃないか、他にやりようはあったんじゃないか。

 シロウもイリヤを拒絶したらどうしよう。

 

 また失うんじゃないか、他にも失うんじゃないか。

 セラがいなくなったらどうしよう。

 リズがいなくなったらどうしよう。

 バーサーカーがいなくなったらどうしよう。

 

 イヤなコトばかり考えて、考えて、考えて……。

 心に毒が溜まっていくのを自覚した。

 毒に酔ってしまえば楽になれる。

 モコウを逆恨みして、憎んでしまえば、自分は悪くなくなる。

 悪いのはモコウだ。せっかく誘ってやったのに拒絶するなんて酷い奴だ。

 だから早く帰ってきて、ごめんなさいって謝るのなら、まだ許して上げられるから。

 

 帰ってきて、謝りなさい。

 帰ってきて、謝るの。

 どうして帰ってこないの?

 どうして謝らないの?

 

 脳裏に、紅白衣装の女と、全身黒ずくめの陰気臭い男が、浮かんで。

 

 帰ってきて、謝って、くれたなら――。

 

 

 

「ただいま!」

 

「――――ッ!」

 

 

 

 ごめんなさいより、すてきなことば。

 帰ってくるべき場所は()()だと。

 

 色々な気持ちが吹き飛んでしまう。

 その一言で、胸がいっぱいになってしまったのは、失わずにすんだという安堵のため。

 

 いつか――置き去りにしなければならないものがあるとしても。

 もう、失うのはイヤだった。

 

 

 




 短い家出だった。しかも何も解決してない。でも本人達は満足気。

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