妹紅が目覚めるには一晩を要した。
ちょっと頭を連続して打ったとはいえ、一殺してリザレクションしても起きないほど消耗していた妹紅……一人で外に出かけてる間、いったい何があったというのか!?
「わーい、セラとリズの作ったご飯だぁ。昨日はなーんにも食べてないからお腹ペコペコ」
「ただの空腹ぅぅぅぅぅぅ!?」
いやまあちゃんと食後に、凛とアーチャーまでもが衛宮邸にいた事、学校で戦闘があったっぽい事、そしてキャスターのマスターに会った事は報告されました。
「暗殺拳を使う男だったけど……名前とか姿とかはパスで」
「なんでよ? 元マスターは再契約して復帰する可能性あるから殺しとかないと」
「その時は私が責任持って殺すから放置しといてくれ。降りてくれるならそっとしときたい」
言葉を吟味し、イリヤは眼を細める。
「…………それは……わたしのサーヴァントとして聖杯戦争を続ける、というコトよね?」
「あー……そういう約束だろ? 私は聖杯戦争に協力する。活躍次第でおこぼれをもらえる」
「……そう、ね」
おこぼれどころか。
最高の魔法をプレゼントしたっていいのだけれど。
(まだ――それを言うタイミングじゃないか)
逸る気持ちを抑えながら、イリヤはうなずいた。
「分かったわ。キャスターのマスターについては、モコウに任せる。邪魔してきた時は責任持って殺すコト!」
「ああ、任せてくれ」
敗退したマスターなんかにたいして脅威も感じなかったし、興味も無かったので、イリヤは妹紅の機嫌を優先した。媚を売った――と言うより、妹紅を安心させてやりたかっただけだ。
それより、セイバーが推定ライダーと学校で戦闘したという情報を重視したい。
今まで暗躍していたライダーが動いた。セイバーも当然追うだろう。事態が動く。
「フフン――もう待つのは飽きたわ。バーサーカー、モコウ。わたし達も打って出るわよ」
「ああ――ミートパイおかわり! チーズとワインも!」
「聞きなさいよ人の話」
一日絶食していた妹紅は少々意地汚かった。
なんでこんなのにこだわってるんだろうと、情けなく思うイリヤであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇
朝食後、食べ過ぎで妹紅はダウンしてしまい弾幕ごっこは中止となる。
腹加減がよくなってから清掃を手伝わせ、昼食も終えた後――。
メルセデス・ベンツェ300SLクーペをかっ飛ばして冬木の街に到着したイリヤ達はまず、行く当てもなんにもないので思い切って衛宮邸を訪ねてみた。
呼び鈴を押して一分待機。妹紅が庭に侵入して呼びかけても反応なし。
留守だった。
「ライダーを捜しに出かけてるのかしら?」
士郎もセイバーも凛もアーチャーもいない。つまんない。
不貞腐れながら、イリヤはメルセデスに戻り、エンジンを作動させた。
今日は2月9日、土曜日である。
人通りは多い。交通量も多い。
のんびりとドライブをしつつ、軽く深山町を回る。
遠坂の屋敷の前も通った。特に何事もない。妹紅はポッキーを食べていた。
間桐の屋敷の前も通った。特に何事もない。妹紅は缶コーヒーを飲んでいた。
消去法から言えばライダーのマスターは間桐なのだが、サーヴァントの気配は感じなかった。
結界を張って誤魔化してる可能性もあるが、なんとなくここではない気がする。
双子館の前も通った。特に何事もない。しかし廃墟なら勝手に入っても問題や危険はない。
妹紅を連れて中に入ってみる。
双子館――第三次聖杯戦争の際、エーデルフェルト家が用意した洋館だ。西側と東側にひとつずつあり、今回は西側。
もうずっと使われていないため埃が積もっていたが、とある一室は掃除された形跡があり、なぜか乾いた血痕が残っていた。
血痕がいつのものなのかよく分からない。聖杯戦争と関係があるのかないのかも謎だ。
後は、解きかけのパズルが転がっていた。16面しかない簡単なものだった。
「最近まで誰かが使ってた形跡はあるな。ライダー組か、ランサー組か……」
「結界の類もないし、もう使ってないみたいね」
「うーん、じゃあ手がかりなしか。隠れ家にするには結構使い勝手よさそうなんだけど」
「新都側にも同じようなのがあるわ。だから双子館」
「そっちも行ってみるか。ライダーかランサーのアジトだったら面白いんだが」
「そういえばランサーって全然手がかりないわね」
「バゼット……意外と隠れるのが上手なんだな」
双子館を出て双子館へ。深山町から新都へ。
冬木大橋を渡って一直線に向かう。
新都側の双子館も荒れており、人の気配はまったくなかった。血痕もなかった。両方にあったらホラーで面白かったのに。
「バゼットって外来人だろ。ホテルに偽名で泊まってたりはしないか?」
「ケーキバイキングに行きたいだけでしょ。それに、今回捜してるのはライダーよ」
「奴等もケーキバイキングで英気を養ってるかも」
「昼間はどっかに隠れてるでしょ……やっぱり夜になるまで待たなきゃ難しいかな?」
車であっちへこっちへ回ってばかり。
運転しっぱなしのイリヤも、助手席に座りっぱなしの妹紅も、身体が固くなってしまった。
しょうがないので公園で一息つこうという流れになり、駐車場にメルセデスを停める。
深山町の公園は狭かったが、新都のものは広々として大きい。
噴水や花壇といった憩いの場もあれば、記念碑のようなもの、雑木林などもあった。
弾幕ごっこをできるような広場もある。
イリヤと妹紅は二人並んで天に向かって手を伸ばし、力いっぱい背伸び。
腰のあたりから脳天までビリビリとした刺激が走り、意識が揺さぶられる。しかしその揺さぶりが晴れれば気分スッキリだ。
妹紅はさらに肩や腰を回し、色気のない喘ぎ声を出す。
戦うのが仕事だしストレッチは大事。
ついでに、何とはなしに公園を歩いて回る。
こんな場所にライダー組が隠れているはずもないが、気分転換だ。
「あ、セイバー」
ところが、違うサーヴァントの気配を感じ取ってしまった。
雑木林の木陰から、広場にあるベンチを覗き見てみれば――。
セイバーが、士郎に膝枕していた。
なんて羨ましい。イリヤはムッと眉を吊り上げる。
妹紅も二人を見て呆れ顔になった。
「あいつら、ライダー捜しじゃなく逢引してたのか?」
「あいびき?」
「男女が連れ添って出かけて乳繰り合うコト」
「……デート……じゃ、ないとは思うけど」
よくよく見れば士郎は眠っているようだった。
デートの最中、エスコートすべき女性を放って居眠りするだろうか?
多分、疲れて休んでいるだけだ。昨日はライダーと戦って大変だったようだし。
「どうする? 襲うか? ああでもまだお日様が……」
「……ほっといていいわ」
士郎は無防備に眠っているが、セイバーがついているから大丈夫だろう。
「……なあイリヤ。ライダー狩りにわざわざ出向いたのは、あいつらを守るためって事でいい?」
「うーん……どっちかっていうと、邪魔だからかな。弱くてコソコソ逃げ回ってて鬱陶しいわ。お兄ちゃん達と遊んでる時に変な手出しをしてくるかもしれないし……」
散々な評価だ。
しかし妹紅としても楽観していた。
「柳洞寺で旦那相手にまあまあ立ち回ってたが、どうも弱そうというか……いや、違うな。弱ってそう……? 全力出せてない気がした。寺子屋を丸ごと使って魂喰いなんかしようとしたくらいだし、何か不備を抱えてるのかもしれない。まっ、そんな雑魚は私一人で十分だ」
「大丈夫かなー」
なぜか無性に不安になるイリヤだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇
しばらくして、ビル街にて。
「あっ、サーヴァントの気配発見」
「おっ、あの小さいビルの屋上にライダーがいるな。飛んでってやっつける」
あっさり見つけて。
「石化の魔眼・キュベレイ!」
「あーれー。身体が石になっていくぅ~!?」
あっさり敗北。
「殺すのではなく封印なら……柳洞寺でランサーが言っていた通りですね。しかし、ヘラクレスに来られたら正直勝てる気がしません。どうしたものか……。幸いシンジはトイレに行ってますし、今のうちにこの石像を隠してこの遭遇そのものを隠蔽してしまえば無茶振りを回避――」
アヴェンジャーに勝ったところで聖杯戦争を勝ち残れる訳ではない。
冷静かつ的確な判断を下そうとしたライダーだったが、新たなサーヴァントの気配がビルの外壁を駆け上がってくるのに気づいて振り向く。
金砂の髪を揺らしながら、甲冑をまとった騎士が飛び出した。
「見つけたぞライダー!」
「セイバー!?」
第二ラウンド突入。
石像の妹紅、ビルの屋上の片隅にひっそりと捨て置かれる。
セイバーは気づかずライダーを追いかけたし、ライダーのマスターも気づかずセイバーの近くにいるだろう衛宮士郎を見張りに行く。
地上に置いてきぼりになっていたイリヤは、マーキングが石化で破壊されるまでは視界共有で状況を把握していたため、半ば呆れながら迎えに行った。
ビルの屋上にたどり着き、バーサーカーを実体化させてバーサーカーパンチを命じる。
ギガントマキアをも乗り越えた剛腕炸裂! 石像の妹紅は木っ端微塵のミジンコちゃんへと成り果てた。数秒して、二人の目前にて肉体を復元させる妹紅。床に座り込んでぼんやりしている。
イリヤは腰に手を当てると、前屈みになって視線の高さを合わせた。
「アヴェンジャー。何か言い訳は?」
「…………石化なんてなかなか稀有な体験だったが、あまり面白くないな」
「自力でリザレクションできなかったの?」
「試す前に割られた」
話していて、
もっと早く試せばいいのに、イリヤが来るまで何をちんたらしていたのか。
「アヴェンジャーってもしかして、イジメられて悦ぶヘンタイさん?」
「何でそーなる!」
「普段から率先して自爆や捨て身してばっかりだし、石になってもそのままだし」
「だって、石化なら
妹紅が何事か言い訳しようとした瞬間、夜空に光が奔った。
ハッと見上げてみれば、隣に建つ大きなビルの上を流星が駆け巡っている。
「……ペガサス?」
それは純白のペガサスにまたがったライダーであり、どうやら屋上にいる誰かを攻撃すべく狙っているようだった。相手はセイバー以外にない。
天高くきらめく星々を背に、ライダーは流星となって急降下した。
同時に、屋上へと別の光が集まる。それはまさに星の光。闇を切り裂く大いなる光。
ライダーという流星すら呑み込んで、光は眩い奔流となって天へと昇っていく。
――約束された勝利の剣。
月まで届きそうな、宝具の光。
その眩しさ、その美しさ。
圧倒された妹紅は呆けたように光を眺めていた。
「……なんだあれ。キャスターの比じゃない……」
「騎士王アーサー・ペンドラゴンの宝具……聖剣エクスカリバー」
その正体を口にしながら、イリヤはライダーの敗北を理解した。
あれを受けて無事ではすむまい。そのうち
「ん、なんかこっち来た」
「え?」
妹紅が見上げた先を眺めてみれば、身体を光の粒子として散らせながら、ライダーが降ってきていた。
たまたま、本当にたまたま、ライダーはイリヤ達のいるビルの屋上へと落下する。
ぐしゃりと音を立て、すでに消滅しかかっている身体が軟体のように歪んだ。
「へえ……エクスカリバーを受けてまだ生きてるなんて驚いたわ。宝具で相殺したのね」
だが、もう長くない。
十秒と待たずライダーは息絶える。
「うっ、が……ぐ……」
息も絶え絶えだ。すでに胸から下が消え去ってしまっているライダーは、朧な瞳でイリヤ達を見上げた。
すでに視力すら喪失しているのだろう。焦点が合わず、魔眼の干渉も皆無だ。
それでも、ライダーは何かを掴もうと――あるいは託そうとするように、手を伸ばした。
「サ、ク、ラ…………」
それが今際の言葉。
――サクラ。
――桜。
なぜ
妹紅は疑問に思いながらもライダーの前で膝をつき、力無く虚空へと伸ばされていた手を握る。
しかし手応えはなく、まるで握りつぶしてしまったかのようにライダーの手は光の粒子となって散ってしまった。
「――――」
だが最期に――誰かに――それを感じ取ったのか、ライダーの両目がほんのちょっとだけ見開かれてから、光になって夜の闇へと溶けて消えた。
その散り様には、物悲しさを覚えてしまう。
このサーヴァントは最後の最後まで、誰かに――何かを――。
妹紅はライダーの素性も事情もまったく知らないが、それでも不憫と思ってしまった。死に際にあんな声色を聞かされては、敵が減った事を素直に喜べなくなってしまう。
しかし、妹紅にしてやれる事なんて何一つとして無い。
サ、ク、ラ。
今際に花の名を呟いた意味も分からぬまま、記憶の片隅で埃を被せるくらいしかできないのだ。
一方、イリヤはライダーの事情なんてお構いなしである。
そんな事よりも、重要な事が起こるのだから。
――来た。
大きなモノが、イリヤという器へと流れ込んでくる。
幼い肢体に張り巡らされた魔術回路が蠢動し、微熱が胸を熱くさせた。
僅かに身体が重くなる。見えざるモノの質量が、確かに増したのだと自覚する。
「……ふふっ。ライダーは完全に消えたわ。でも、セイバーも消耗が激しいみたい」
「すごい光だったからなぁ。魔力不足って奴か?」
「わたし達もあのビルに行くわよ」
「弱ったところを襲うのか?」
「様子を見るだけ」
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
逃げる。逃げている。
何もかも失って。無様な負け犬となって。
間桐慎二は逃げていた。
ビルの非常階段を駆け下り、息も絶え絶えになりながら、ただただ衛宮が憎かった。
どうしてあいつが、あいつまでもが。
誰も彼もに見下される。衛宮にすら敗北した。
どうしてこうなった。あんな雑魚サーヴァントでなければ勝てたはずだ。
自分が衛宮より劣るはずがない。
劣等感にまみれた哀れな男、間桐慎二は逃げていた。
「まったくもう。マスターを逃がすなんて詰めが甘いんだから」
そんな彼がようやく一階まで降りきったというのに、死神と鉢合わせをした。
小さな、いかにも弱そうな、銀色の少女。
彼女こそが死神。
その鎌は二本。大きく無骨な黒い巨人と、燃え盛る紅白の少女。
どちらを振り下ろすかは気分次第。
ビルの裏手の薄暗い路地裏が彼の墓場。
「ヒッ――」
柳洞寺での戦いはライダーから聞いている。
バーサーカーとして召喚された大英雄ヘラクレス。
正体不明、不死身の炎をまとうアヴェンジャー。
もはや言い訳不能の死が、質量となってのしかかってくる。
「貴方の名前――何だったかしら。まあいいわ。今すぐ死ぬんだもの」
「や、やめ……」
「ねえ。挽き肉と焼き肉、どっちが好き? 好きな方を選ばせて上げる」
この期に及んで少女のステキなお誘いを理解できないほど愚かではない。
だからどんなに愚かしくても、慎二は首を横に振って拒絶するしかなかった。
「い、嫌だ……死にたくない……死にたくない、死にたくない、死にたくない」
「こんなつまんないのがマスターなんて、御三家も堕ちたものね」
「僕は! 間桐の跡継ぎなんだぞ!! それがどうしてこんな……ふざけるなぁ!」
「うーん……炎だと目立つし、バーサーカー、静かに殺して」
まだ近くに衛宮士郎とセイバーがいる。
それが間桐慎二の処刑方法を決定させた。
イリヤの言葉に従い、バーサーカーが前に出る。
だが、慎二とバーサーカーの間に割って入る紅白衣装の影があった。
「アヴェンジャー、どうしたの?」
「……マキリ?」
そして、イリヤの記憶の奥底から住み続けている名前を口にする。
ビックリしてまばたきしていると、妹紅は慎二の襟首を掴んで、恐怖と涙でぐちゃぐちゃの顔を間近から確認する。真面目な表情をしていればそれなりにハンサムであるはずだ。
――遠い日が蘇ってくる。爽やかな笑顔を浮かべる快男児の姿が。
「ヒッ……ひぃッ……」
「……おい小僧。名前は?」
「た、たすけ……」
「名無しなら要らん」
片手で襟首を掴み、もう片方を炎上させて振り上げて焼き殺すアピール。
おかげで素直にさせられて、悲鳴のように名乗り上げる。
「間桐ッ! 間桐慎二……!!」
「マトウ……間藤? ……うーん、違うか」
あてが外れたのか妹紅はぼやくも、好奇心に釣られたイリヤが口を挟む。
「マキリよ」
「うん?」
思わぬところから思わぬ名前が出て、妹紅は不思議そうに振り返った。
「マトウは、元はロシア辺りの魔術師の家系で、本来はマキリって言うの」
「ろしあ……外国か? 日本より北の」
「ええ」
イリヤに、ある予感が閃いた。
藤原妹紅が、佐々木小次郎と同じ時代、同じ場所にいたのなら。
遠い、遠い、彼方の記憶に住まうあの男――。
「マキリ・ゾォルケン」
妹紅は驚きのあまり、ポカンと口を開ける。
元から名前を知ってなければ、そんなリアクションはできない。
そして、肯定するように慎二も呟いた。
「臓硯なら、僕の祖父だ……」
「……まさか……マキリだぞ!? マキリ・ゾウルケン! 生きてるのか!?」
千年以上を生きる妹紅が面食らっている。
ゾォルケン、臓硯――五百年を生きる魔術師。
始まりの聖女と共に聖杯を夢見た、旧き仇敵。
慎二にとってはチンプンカンプンの状況だが、とにかく、処刑執行に待ったをかけられたのだと気づいたらしい。引きつった愛想笑いを必死に浮かべる。
「じ、爺さんを知ってるのか? だったらこの手を離してくれよ。可愛い孫が殺されたなんてなったらさ、ほら、嘆きのあまりポックリ逝っちまうかもしれないぜ?」
「……悪いけど、お前の生殺与奪はうちのマスターが決める事だ。焼き肉は苦しいから、大人しく挽き肉になってくれ。一瞬で潰れれば痛くない」
困ったように言いながら襟首を放した妹紅は、巻き添えにならないよう後ろへと下がる。
恐怖と絶望にまみれた中、思いがけず降りてきた蜘蛛の糸が――。
滑稽なほど慎二の面差しが歪んでいき、その場にへたり込んでしまう。
銀色の死神は、憐れな負け犬を見下ろした。
一言、告げるだけでコレは挽き肉になる。
『…………お前、まさか……燕相手に刀振ってた小僧か!?』
妹紅にも別れがあって、再会もあった。
二度目の別れもあった。
聖杯戦争なのだから仕方ないし、たいして気に留めてる訳ではない。
でも、目の前にひとつ、転がっているものがある。
踏み潰すのも、拾うのも容易く、マキリ・ゾォルケン本人ですらない。
深く考えようともしたが、そんな価値が間桐慎二にあるとも思えず、気まぐれで決めればいいかと楽観する。
「行きなさい」
「…………は?」
「貴方みたいな小物、相手をするのも馬鹿らしいわ。次会ったら殺すから」
そう言ってイリヤは歩き出す。
もちろんバーサーカーも忠犬のように後をついて行く。
妹紅は、ちょっぴり驚いて――慎二を一瞥してからマスターを追った。
「イリヤいいのか? 私は別にアレを消しても気にしないぞ」
「違うわ、バーサーカーをあんな奴の血で汚したくなかっただけ。それよりも、貴女がマキリと知り合いなんて聞いてないんだけど?」
路地裏から出る直前でバーサーカーは霊体となって姿を消した。
街灯や自動車のヘッドライト、そして周りのビルから漏れる人工の光が眩しい。
人工の星の海を歩いているのだ。
「別に言うほどの事じゃなかったし、マキリがまだ生きてて、しかも冬木にいるなんて知らない」
「…………たまに話に出てきた知り合いの異人っていうのは」
「あいつの名前に漢字を当ててやったのは私。日本での名付け親みたいなもんさ」
妹紅は決め顔になってウインクをした。
ちょっとうざったい。
「……それは……なんとも驚きの真相ね」
胡散臭い真相とも言える。本当に真相なのか不安ですらある。
しかし聖杯戦争を司る御三家、その一角にそんな繋がりがあったなんて夢にも思わなかった。
もしかしたら妹紅がこの土地に迷い込んでしまったのは、マキリや佐々木小次郎との縁あってのものかもしれない。
あるいは単に、聖杯戦争が行われる霊地に引き寄せられただけか――。
「で、どうするの?」
「ん……明日にでも会いに行っていい? マキリが敗退したなら、もう敵同士じゃないだろ」
「明日……か。うん、いいわ。好きになさい」
――わたしも、好きにするから。
声に出さず、唇だけでイリヤはそう続けた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇
冗談じゃない、つき合ってられるか、あいつら全員頭がおかしい。
人の命をなんとも思わない殺人鬼ばかりだ。ふざけるなふざけるなふざけるな。
どうして僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。クソッ。どいつもこいつも馬鹿にして。
家には帰れない。帰ったら失望される。落胆される。馬鹿にされる。見下される。侮蔑される。
お爺様に、桜に。
そんな事が許されるものか。嫌だ。帰りたくない。畜生、畜生、何でだ、何でこうなるんだ。
このまま街をうろついてる訳にもいかない。
野宿なんてまっぴらごめんだし、他のサーヴァントに会ったら殺される。
逃げなきゃ。隠れなきゃ。どこへ? 家は駄目だお爺様がいる桜がいる僕の失敗をあざ笑う。
そうだ教会だ。教会で保護してもらうんだ。中立地帯、あそこなら安全だ。
間桐慎二は冬木の教会へ逃げ延びる。
そして、保護してくれた言峰綺礼神父にあらん限りの文句を吐き出した。
聖杯戦争なんて頭のおかしい馬鹿な儀式によくも巻き込んでくれたと。
ライダーなんて雑魚サーヴァントを呼んだせいでこの有り様だと。
衛宮も遠坂も僕を馬鹿にしている。見下している。
ふざけるな……そんな事が……あっていいはずないだろ……!!
――少年の慟哭を受け、言峰綺礼は優しい声色と共に、その肩へと手を置いた。
「では、君に相応しいサーヴァントがいれば――再び聖杯戦争に臨み、その才を示すのかね?」
「……はっ? あんた、なに言って……」
「君は運がいい。手の空いているサーヴァントが丁度、一人いる」
――衛宮と遠坂への嫉妬――そして、アインツベルンへの憎悪を胸に――間桐慎二は、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇◇◇
アインツベルン城に帰宅すると、セラとリズが慇懃に出迎えた。
聖剣の光を見て心配でもしたのだろうか?
挨拶を終えると、リズが駆け寄ってくる。
「イリヤ。身体は大丈夫?」
「うん、これくらい全然平気」
にっこりと笑うイリヤ。
どうしたのだろう、何だか態度が優しい。
戦闘は無かったのだから、いやあったにはあったが妹紅が勝手に瞬殺されただけだから、イリヤが疲れるような事は何もなかったはずである。
メイドの過保護か。
その後、イリヤがお風呂に入ってる間に妹紅は夜食をすませ、イリヤと入れ替わりにお風呂に入る。二人とも綺麗さっぱり疲れを洗い落としたら、パジャマになってベッドインだ。
やっぱりと言うか、その晩もイリヤが客室に訪れてきた。
ベッドで仰向けになって寝転んでいた妹紅は、目も開けずに訊ねる。
「マキリの話でも聞きにきたのか?」
「マキリと会ってたのって、いつ頃?」
「さあ……具体的な年数って、あまり覚えてないんだ。……戦国時代だったかな? いやどうだろう違うかも。多分500年くらい前だと思う。誤差は前後に100年くらい?」
「とてつもなく大雑把ね」
ベッドが軋む。
イリヤの息遣いが近づいてくるのを感じた。
「……でも、そうか……それなら聖杯戦争とは何の関係も無さそうね」
「聖杯戦争っていつからやってんの?」
「200年前から。……その頃、モコウは?」
「もう幻想郷にいたよ」
イリヤには大雑把に千年と伝えているが、不死になってからもう1300年は経つだろうか。
最初の300年は人間に嫌われ、身を隠して過ごしていた。
次の300年はこの世を恨み、妖怪だろうが何だろうが見つけ次第退治して、薄っぺらな自己を保っていた。
次の300年はその辺の妖怪では物足りなくなり、何事に対してもやる気を失っていた。
――アサシンやマキリに会ったのがこの時期だ。まあまあ面白い人間達だったが、彼等と共に過ごした期間の短さを思えば、この300年は総合的に退屈なものだったと言えてしまう。
その次の300年――幻想郷へと流れ着いてついに、不死の宿敵と再会した。
それから少しずつ人生が楽しくなって、弾幕ごっこなんて楽しい遊びもできて。
生きてるって素晴らしいと、思えるようになったんだ。
でも、それでも。
永遠の呪いは妹紅の精神を蝕み続ける。
だから、今日の石化はなかなか有意義だった。
だから……。
目を開けて、イリヤを見る。
銀色の髪がとても綺麗で……まるで月光を照り返す雪みたいな……。
自分は裏切っているのだろうか。騙しているのだろうか。
不安と罪悪感が胸を締めつける。
そして、気のせいだろうか。
イリヤも同じ気持ちを抱いている気が――する。
「……どうかした?」
「あの……一緒に寝ても、いい?」
何度も一緒に寝てるのに今更なにを言ってるんだ。
そういえば二日前、妙な事を言いながら迫ってきた。
まだ気にしているらしい。
妹紅はイリヤの腕を掴むと、ベッドの上に引き倒した。
布団をバサリとかぶり、小さなイリヤを抱き枕のように抱きしめてやる。
「わぷっ……モコウ、苦しい」
聖杯戦争が終わっても、一緒にいて欲しいと――イリヤは思ってくれている。
それを理解しているから、妹紅は何も言わなかった。
イリヤの体温を感じながら、イリヤの文句を聞きながら。
妹紅の意識はまどろみへと沈んでいく。
シナリオの都合で原作ムーブしすぎたライダーさん、最後になんか花の名前を呟く。お花見したかったのかな? したかったんだよ……四人で歩きながらさ……。