イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第24話 イリヤと士郎

 

 

 

 妹紅を深山町に送り届けた後、イリヤは士郎に会うべく衛宮邸へ向かおうとした。

 しかしセイバーが魔力切れを起こしているとはいえ、衛宮邸には遠坂凛とアーチャーがいる。どうしたものかと思案し、士郎が出てくるのを待とうと思っていたら。

 いつぞやの公園のベンチで、うなだれている士郎を発見した。

 手近の適当な場所にメルセデスを停め、さっそく元気に声をかける。

 

「こんにちはシロウ。浮かない顔してるけど、何かあったの?」

「イリヤ……お前、また一人で? アヴェンジャーに叱られるぞ」

「わたしが叱る方だからいいの」

 

 えっへんと胸を張ってやるも、士郎は沈痛にうつむいてしまう。

 

「……すまない。今は、ちょっと悩み事があって……話す元気とかないんだ」

 

 目の前のイリヤより、セイバーを優先するのか。

 ほんの少しイラッときて、イリヤは声のトーンを落とす。

 言葉に、魔力を落とす。

 

「知ってるわ。セイバーが消えかけてるんでしょ?」

「何でそれを……」

「そんなコトで悩むなんてバカみたい。そんなだからライダーのマスターにも逃げられたのよ」

 

 雰囲気の変化を感じ取り、士郎は立ち上がろうとする。

 しかし立ち上がれない。イリヤがそれを認めていないから。

 

「あ、あれ……?」

「わたしもね、昨日、あのビルにいたの。お兄ちゃんにしてはがんばったんじゃない?」

 

 士郎の顔に焦りが浮かぶ。

 ベンチから立ち上がろうとし、足腰が言う事を利かずに身体を震わせる滑稽な姿を見て、イリヤは冷たくほほ笑んだ。

 

「もう金縛りにかかっちゃった。シロウったら何の守りもしてないんだもの」

「イリヤ、おま、え――」

「無駄だよお兄ちゃん、そうなったらもう動けない。声も出なくなるけど心配しなくていいから。――わたしもね、今日はお話をしにきた訳じゃないの」

 

 赤い瞳が魔力を帯びて光り、士郎への暗示が強まる。

 面白いように染み込んでいく。イリヤの意志が染み込んでいく。

 

「くっ……! まさか、ここで俺を……!?」

「セイバーはもう消える。なら、もうマスターでいてもしょうがないでしょ? シロウ一人切りになったら、戦う手段もなくて、簡単に殺されちゃう。だから――ね」

 

 イリヤは士郎の瞳を覗き込む。

 士郎の視界いっぱいにイリヤが広がる。

 沈む、沈む、意識が沈む。

 もうイリヤの瞳しか見えない。

 もうイリヤの声しか聞こえない。

 

「他の人に殺される前に見つけられてよかった。それじゃ、おやすみなさいお兄ちゃん」

 

 沈む、沈む、意識が沈む。

 衛宮士郎の肉体のコントロールを奪ったイリヤは、喜悦の笑みを浮かべて命じる。

 

「立ちなさい」

 

 あれほど立とうともがいても立てなかった男が、あっさりと立ち上がる。

 

「ついてきて」

 

 ついてくる。

 メルセデスまで戻ると、ガルウイングのドアを上へと開く。

 

「助手席に座って、大人しくしてなさい」

 

 人形のように従う士郎。

 ああ、なんて従順で可愛らしいのだろう。

 妹紅もこれくらい可愛気があればなぁ、と思って。

 

「あっ。モコウ乗せるスペースが無い」

 

 運転席に座ってドアを閉めながら、イリヤは後ろを見た。

 メルセデスの座席は二つしかない。後ろはもうトランクだ。

 仕方ない。イリヤは意識をマーキング元へと飛ばし、言葉を紡ぐ。

 

 

 

「モコウ。聞こえる?」

『どうした? トラブル?』

 

 気安い返事が脳に響く。

 感度良好。間桐邸は妨害をしていないようだ。

 軽く視界も共有すると、一房の髪を摘んで唇の前で弄んでいた。植え込んだイリヤの髪が送受信の装置ではあるのだが、あくまで妹紅の視覚と聴覚を送信しているため、別にそんな事しても通信状態が良くなったりはしないのだが。

 対面の席には、今にも朽ち果てそうな老人が座っているのが見えた。

 マキリ・ゾォルケン。

 ――随分と老いたものだ。濁ったドブ川のような瞳をしている。昔の彼は、もっと――

 

「あのね、わたし、先にお城に帰ってるから。モコウは一人で帰ってきてね」

『……は? 何で? 何かあったの?』

「だってこの車、座席が二つしかないんだもの。トランクに入れられるのもイヤでしょう?」

『えっ、待って、何の話? 誰か一緒なの?』

 

 キーを回してエンジンをかける。

 そういえば、運転しながらの通話は危険なんだっけ。道交法違反になってしまう。

 隣には士郎が乗っているし、安全運転を心がけねば。

 

「お兄ちゃんさらったから、連れ帰るの」

『…………何やってんだお前』

「うん。もう暗示かけて助手席に乗せて、エンジンかけたとこだから、念話は切るね」

 

 あまりのんびりしていたら、セイバーやアーチャーが追ってくるかもしれないし。

 まあ、そうなったらバーサーカーで迎え撃つだけだ。日中ではあるが、お兄ちゃんを守るためとなれば、それくらいの融通はする。

 

「さあお兄ちゃん。アインツベルンにご招待するね!」

 

 歌うような声色で言い、イリヤはアクセルを踏み込んだ。

 メルセデスの高馬力なエンジンが唸りを上げる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「イリヤって割とその場のノリで生きてるタイプ?」

「セイバーがいないんじゃ、お兄ちゃんなんかすぐ殺されちゃうじゃない。保護よ保護」

 

 アインツベルン城に帰宅した妹紅は、イリヤから事情説明を受けて呆れ返っていた。

 士郎はすでにイリヤの部屋に運び込まれ、椅子に座らせて両手両足を縛りつけてある。簡素な捕縛手段ではあるが、そもそも暗示をかけてあるので身動きできない。

 

「セラは地下室に放り込むべきだって言ってたけど、可哀想だしね」

「そのセラが、リズと一緒になにか忙しそうにしてたけど、なんなんだ?」

「うん、ちょっと準備してもらってるの。人形とか、ドレスとか」

 

 何か妙な呪いでも始めるのだろうか。そっちには疎いので分からない。

 呑気に寝こけている士郎の頭を、軽く小突いてやる。随分と呆気ない幕切れだ。

 

「……なあ。士郎をサーヴァントにするっていうのは」

 

 問おうとした瞬間、ふらりとイリヤがよろめいた。

 何とはなしに肩を抱えてやる。

 

「大丈夫?」

「んっ……ずっと運転してたからかな、疲れたみたい」

 

 運転なんてしょっちゅうしてるじゃないか。

 という言葉を呑み込んだのは、本当にイリヤが疲れて見えたからだ。

 

「わたし、ちょっと寝るわ……」

 

 そう言って、イリヤはベッドへと潜り込んでしまう。

 すぐにスヤスヤと寝息を立てるその横で、椅子に縛りつけられた士郎もスヤスヤ寝てる。

 何ともおかしな光景だ。

 見張りとかしといた方がいいんだろうか。

 

 いや、とりあえずセラに知らせておこう。物音を立てないよう気をつけながら妹紅は退室した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 セラはメイド用の自室にいた。

 準備とやらは一段落しているらしく、椅子に腰掛け、ぬいぐるみを大事そうに抱えていた。赤いふわふわの髪に、目玉は黄色いボタンの少年の姿。――士郎を模したぬいぐるみのようだ。

 確実に絶対にセラの趣味ではなく、確実に絶対にイリヤが命じて作らせたものだ。

 

「そうですか、お嬢様が……」

 

 イリヤが疲れて眠ってしまった事を伝えても、驚いた様子どころか、心配した様子すらない。

 過保護なセラらしくない態度だった。

 

「何か心当たりでもあるのか?」

「セイ…………単に疲れただけでしょう。聖杯戦争なんですから」

 

 何か隠しているような気がして、セラの瞳をじっと見る。

 最初は鬱陶しそうに視線をそらしたが、セラはぽつぽつと語り出した。

 

「バーサーカーは魂喰いと言われるほど魔力消費が激しいのです。しかも大英雄ヘラクレスというだけで多大な魔力を必要とするというのに、それをバーサーカーで召喚したのですから……普通の魔術師であればあっという間に魔力を吸い尽くされ、衰弱死してしまうほどです」

「さすが旦那だ」

「それだけお嬢様の魔力が優れているという事です。ホムンクルスとして生まれ、聖杯戦争のため数多の肉体改造に耐え、最適化を果たしたお嬢様だからこそ、バーサーカー・ヘラクレスを現界させられているのです」

「肉体改造……?」

 

 思い当たる節はあった。

 年齢にそぐわぬ幼い身体。軽くて非力な身体。

 それらはその肉体改造とやらの副作用、という訳か。

 

「誰がイリヤにそんな……お爺様って奴か?」

「ええ。アインツベルンの当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。我々はアハト翁と呼んでいます」

「アハト翁……」

 

 名前だけを口ずさみ、続けて出そうになる言葉を自重する程度の気配りは妹紅にもあった。

 ホムンクルスというのは、人間と感性が全然違う。食事を楽しみ、弾幕を楽しんでも、人間とのハーフであるイリヤならいざ知らず、セラとリズは違う生き物だ。

 幻想郷で人間と異なる生き物、妖怪や妖精と面識があるため、その辺の理解は早くできた。

 

(……イリヤが色々チグハグなのは、そいつの教育が原因か)

 

 アハト老というのもホムンクルスなのだろうか。

 あまり根掘り葉掘り訊ねる気は無いが、現状、好感を持てそうにない。

 会う機会があったらぶん殴ってやりたいくらいだ。

 会う機会があったら。

 まったく、それにしても。

 魔術の家系と言えど、マキリのような愉快なお爺ちゃんも世の中にはいるというのに!

 

「――ま、そっちは今はいいや」

 

 顔を合わす機会なんて無いだろうし、あったらあったで一回絞める。

 

「つまりその肉体改造のツケが、聖杯戦争の進行で回ってきたのか?」

「……まあ……そうとも言えます」

 

 曖昧な口振りだ。まだ何かあるのだろうか?

 妹紅は未だ、真実の意味でアインツベルンの一員になれていないのだなと感じた。

 しかし、妹紅とて本来はここの住人ではない。いつか別れるべき立場にある。

 だから、この距離感はきっと正しい。

 

「だから、モコウ」

 

 セラが真摯な眼差しを向けてくる。

 思わず妹紅も背筋を正し、続く言葉に意識を向ける。

 

「貴女がお嬢様のサーヴァントを名乗るなら。その力で、お嬢様を守ってごらんなさい」

 

 妹紅は未だ、真実の意味でアインツベルンの一員には――。

 それは、きっと、今もそうなのだとしても。

 セラの気持ちはもう、本物なのだと理解させられる。

 

 いつもいつも、妹紅に文句や嫌味を言いながらも。

 少しずつ少しずつ、仲間としての時間を重ねていって。

 こんな言葉をかけられたりしたら、もう。

 

「任せて。絶対に守るから」

 

 悩みとか、迷いとか、疑問とか、そういうものはまだ抱えている。

 それでもひとつ、気持ちに芯が通る。

 たとえこの先、想像だにしない事態に陥ったとしても。

 アサシンやマキリのように、歩む道が異なったとしても。

 

 イリヤを守るという一点は、きっと揺るがない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 イリヤが目を覚ましたのは、日が暮れる前だった。

 衛宮士郎がまだ起きないので、顔を洗って身嗜みを整えたり、英気を養うため早めの夕食を食べるゆとりもあった。

 

 衛宮士郎が目を覚ましたのは、日が暮れてからだった。

 縛られていると自覚し、捕まったのだと自覚し、窓から射し込む茜色の光によって時間の経過を理解し、狼狽しているところにイリヤは戻ってきた。

 

 ――何かを得ても、それはいつか失ってしまう。それでも欲しいと思うから――

 

「…………イリヤ……」

「無駄よ。暗示はかかったままだから、お兄ちゃんはもう逃げられない」

 

 冷たい雪のような――いや、氷のような瞳と声。

 それらを向けられた士郎は怯えながらも、力強く見つめ返してくる。

 ああ、なんて()()()――。

 

「ここは、どこなんだ?」

「わたしの部屋。フフッ。ここは樹海の中の城で、周りには何もないの。シロウの住んでる街まで車で何時間もかかるから、助けなんて来ないし、邪魔も入らない」

 

「……俺を、殺すのか?」

「もうっ。せっかく生け捕りにしたんだから、そんなもったいない事しないよ」

 

 楽しさのあまり、士郎の前でクルリとターン。

 髪とスカートをなびかせれば心も同じように弾む。

 

「ねえ、シロウ。わたし……シロウのコト、好きだよ」

「なっ、何を言って……」

「シロウも、わたしのコト、好き?」

 

 彼の膝に、そっと手を置く。

 バーサーカーよりは柔らかく、妹紅よりは硬い、そんな足。

 元気いっぱいに走り回れる健康的な足だ。

 

「……好きだよ」

 

 イリヤはもう、士郎の気持ちを知っていた。

 これは確認作業。想定通りの答えでしかない。

 けれど、だからこそ、イリヤは満足気にほほ笑んだ。

 

「それじゃあシロウ――あの夜したのと、同じ誘いをするわ」

「……あの夜?」

「ええ。わたしとお兄ちゃんが名前を教え合った、あの夜」

 

 教会帰りの士郎達四人に、イリヤと妹紅とで襲撃をかけたあの夜も。

 イリヤはこの誘いをした。

 

「わたしのサーヴァントになりなさい」

 

 言いながら、イリヤは士郎の膝へと乗っかった。

 はしたなく股を開き、スカートも開き、生の太ももで士郎の足の感触を楽しみながら。

 

「イ、イリヤ、ちょっと……!」

 

 途端に士郎は狼狽し、視線を泳がせた。

 けれどチラチラとイリヤの足へ視線を落としている。

 女として意識されていると自覚し、自然と口角が上がってしまう。

 茜色の光の中――自分は頬を紅潮させているのだろうか? シロウは頬を紅潮させているのだろうか? それが分からないのが少し不満だった。

 

「うん、やっぱりシロウは特別。ねえ、シロウがサーヴァントになってくれれば、もう殺さなくてすむわ。シロウがうんって言ってくれれば、シロウだけは助けて上げるよ」

 

 甘えるようにささやく。

 本心からの、純粋な想いを伝える。

 そこにさらに、論理的な理由も与えてやる。

 

「考えるまでもないでしょう? シロウのセイバーはもう消える。戦う手段なんてないわ。なら、いつまでもマスターでいてもしょうがないじゃない」

「セイバーは消させない。そんな事させるもんか」

「ふうん。けどそんな状態じゃ簡単に殺されちゃうよ? サーヴァントなんて必要ない。わたしがお兄ちゃんの鼻と口を塞ぐだけで終わっちゃう。……ふふっ。どうせなら鼻で息をするなって暗示をかけて、口を塞いでしまおうかしら。わたしの、唇で」

 

 自身の唇に指を当てる。淡い色の、小振りで、可憐な唇。

 ゴクリと、士郎が生唾を飲むのが分かった。

 ああ、なんて楽しい時間なのだろう。

 もっと近づきたい、触れ合いたいという欲求に従い、イリヤはさらに距離を詰める。太ももの裏側を這う士郎の感触。

 イリヤのスカートが、士郎の下半身を隠していく。

 唇が、吐息を交換できるほど近づく。

 

「シロウがずっと側にいてくれるって()()してくれるなら――わたしも、ずっとずっと、シロウを守って上げる」

「…………駄目だ。離れてくれイリヤ。俺は、その誘いに乗れな――」

 

 そっと唇を塞ぐ。

 突然の感触に驚愕し、士郎は両目を見開いて下を見た。

 イリヤの――指先が、士郎の唇を押さえている。

 

「もう、物分りが悪いんだから。いい? シロウはすでに籠の中の小鳥なのよ? あんまりわたしを怒らせちゃいけないんだから」

 

 なかなか「うん」と頷かない。

 どうせこんなの時間の問題。けれど。

 

「十年も待ったんだもの。ここでシロウを簡単に殺しちゃうなんて、つまらない」

 

 何度も断られるというのは不愉快だ。

 

「これが最後だよお兄ちゃん。もう一度だけ訊いて上げる」

 

 最後通告をすれば今度こそ、頷くはずだ。

 

 

 

「シロウ――――わたしのモノになりなさい」

 

 

 

 これで決着はついた。絶対に頷く。そう確信する。

 バーサーカーや妹紅のように強い訳でも、不死身な訳でもない。半端な魔術しか使えない、未熟で、非力で、可愛い男の子。

 

 契約で雁字搦めにすれば。

 魂を手に入れれば。

 もしかしたら、彼も、連れていけるかもしれない――。

 そうでなくとも、ずっと、見守れるかもしれない――。

 そんな未来を、夢見て。

 

 

 

「……イリヤの言う事は聞けない。俺にはセイバーがいる。マスターとして一緒に戦うと誓った。それを裏切る事はできない。それに俺は、イリヤのサーヴァントじゃなく――」

 

「…………そう……貴方までわたしを裏切るのね、シロウ」

 

 

 

 身体を、離す。

 頭の天辺から、冷たい何かが降りてくる。

 意識が冷える。心臓が冷える。

 黒々としたモノがせり上がってくる。憎悪は鼓動に乗って全身へと駆け巡っていく。

 

「いいわ。シロウがわたしの言う事を聞かないんなら、わたしだって好きにする。口先だけの命乞い、聞きたくなんかないもの」

「違うイリヤ! 俺は本当に、お前を――」

 

 言い訳がましい。イリヤの中で、士郎への評価が下がっていく。

 しかし、それでもまだ、士郎はイリヤの()()だ。

 

「用事を思いついたから、行ってくるね」

「待て……! 何をするつもりだ……!?」

「セイバーとリンを殺しに行くの。二人を殺せば、シロウも少しは反省するでしょ?」

「バッ――馬鹿な事を言うな! セイバーも遠坂も関係ないだろ!? 俺は、俺の都合で断っただけだ。切嗣を許せないって言うなら、俺を、俺だけを殺せばいい!」

 

 みずからの死を懇願する士郎。しかし、そんなの知っちゃ事ではない。

 イリヤは怒っているのだ。

 

「それでも、二人は殺すわ。どうせ聖杯戦争なんだから構わないでしょ? だって士郎はマスターとして戦うんだもの……わたしも、マスターとして敵を殺して問題あるかしら」

「駄目だ! 俺は、イリヤにも人殺しなんてして欲しくない……大事な人同士で殺し合うなんて、そんなの…………そんなのは、イヤだ……」

 

 無様で、憐れな、衛宮士郎。

 その醜態を見てイリヤは、むしろ笑みを深くした。

 

「クスッ――少しは反省したようね」

「っ! なら――」

「でもダーメ。二人は殺すし、それが終わったらシロウの番なんだから。わたしのモノにならないのなら、シロウだって――要らない」

 

 もう語る事なんてない。

 イリヤはドアへと向かって歩き出した。

 セイバーと凛を始末して、士郎がどんな反応をするかが楽しみだった。

 その時こそ何もかもあきらめて、イリヤのモノになると言ってくれるだろうか――?

 

「やめろイリヤ……! セイバーも遠坂も関係ない! 切嗣の分も、俺を憎んでくれていい。だから傷つけるなら俺だけにしてくれ! 頼む、イリヤ……!」

「フフッ……籠の中で、小鳥がさえずってる。待っててねお兄ちゃん。すぐ、殺してくるから」

 

 相手にせず、イリヤは自室の外へ出た。

 ドアを閉めても、言い訳がましい言葉が耳に届いてくる。

 今はそんなの後回しでいい。

 まずはセイバーと凛だ。

 

「バーサーカーとモコウに準備させなきゃ。お客様をもてなすのは、当主の義務だもの」

 

 彼女達を殺すのにそう時間はかからない、なぜなら――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「――同調(トレース)開始(オン)

 

 イリヤがいなくなった後、士郎はスペルを唱える。

 遠坂に飲まされた宝石の恩恵か、いつもなら一時間はかかる魔力の生成が短時間でできる。

 

「――基本骨子、解明。――構成材質、解明」

 

 イリヤのかけた暗示がある限り、士郎はもがく事すらできない。

 だから乱暴なやり方になるが、体内にあるイリヤの魔力を吐き出すため、より強い魔力を身体に流す。神経を魔術回路に切り替え、全身に熱が走る。

 

「ごぶ……!」

 

 どこぞの血管が切れたのか、副作用で血を吐き出す。しかし暗示は解けた。

 幸い、縄もそうきつく結ばれてはいないようだ。これくらいなら多少手首を痛めるだろうが、無理やり抜け出せる。いざ、脱出――。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 というタイミングで、声をかけられた。

 ビクンと肩を跳ね上げながら声の方を見てみれば、開いた窓から紅白姿のアヴェンジャーが侵入しているところだった。彼女の白髪(はくはつ)は夕陽を浴びて茜色にきらめいており、一瞬、夕陽が人の形をしているかのように錯覚してしまう。

 綺麗だと思いながら、士郎は己の迂闊を呪った。暗示解除に集中していたせいで、窓が開くのに気づけなかったなんて。

 縄にはまだ縛られたまま。果たして誤魔化せるだろうか?

 

「……き、傷が開いただけだ」

「なんだ、ライダーにでもやられたのか? 得意の治癒魔術でとっとと治せ」

 

 まさにそれを期待していたからこそ、こんな乱暴な手を取った側面もある。

 正体不明の治癒能力であるため、頼り切る事はできないが。

 

「……何の用だ。何でそんなところに?」

 

 士郎がアヴェンジャーと会うのは柳洞寺以来だが、焼き討ち未遂や、士郎の留守中に家に忍び込んだ件もあって、あまり信用できないでいる。

 

「窓の外で盗み聞きしてた」

「……イリヤに内緒でか?」

「あいつ怒るとおっかないからな。ナイショにしてくれ」

 

 窓を開けっ放しにしたまま、アヴェンジャーは士郎の周りを一周して手足を確認した。

 抜け出そうとした事は恐らくまだ、バレていない。

 

「……あんたが俺をここまで運んできたのか?」

「ん? いや、私は置いてきぼりにされてな。イリヤ一人で運んだはずだ」

「一人で……って、街からここまで?」

 

 小さなイリヤにそんな事できるとは思えない。

 暗示をかけて歩かされたにしては、足が疲れている様子もなかった。

 

「いったいどうやって……」

「そりゃ自動車だろ」

「じ、自動車!? いやそれなら他に運転手が必要なはずだろ!」

「イリヤは運転上手だぞ」

 

 銀髪の外国人、しかも小学生くらいの少女が、自動車を運転する。

 その光景を想像して士郎はめまいを起こした。

 一方アヴェンジャーは砕けた口調で言う。

 

「私もさ、庭でいいからちょっと運転させてくれって頼んだんだけど、ダメだって言われてな。いいよな自動車、私も自分でドライブしてみたい」

「……そうか」

「っと、そんな事より本題本題」

 

 いったい何の用なのか、士郎には想像できなかった。

 まさかイリヤに内緒で始末しに来た、なんて可能性もある。

 その時は椅子ごと体当たりでも何でもして、精一杯の抵抗をする覚悟だ。

 だが、アヴェンジャーの言う本題はまったく別のものだった。

 

「――衛宮士郎。私が言うのもなんだが、イリヤのサーヴァントになってやってくれないか?」

「……どういう風の吹き回しだ」

「どうもこうも、私はイリヤのサーヴァントだ。マスターの意は汲むさ」

 

 マスターのベッドへ乱雑に腰をかけ、アヴェンジャーはにこやかに笑った。

 攻撃的なものではない、年相応の少女のようなやわらかさに士郎は面食らう。

 

「……アレは可哀想な娘だ。母を喪い、父に捨てられ、ずっとお前達を憎んで生きてきた。それなのに、何でかな……お前の事を()()()()()なんて呼び慕ってる。なんだかんだ切嗣を憎み切れてないのか、それとも息子のお前には罪がないと思ってくれてるのか……」

 

 次第にアヴェンジャーの声のトーンが落ちていく。

 嘘偽りなく、イリヤを案じているのだと感じられた。

 

「……士郎を憎んでるけど、愛してもいる……そういうとこ、凄いなって思う」

「だったら、復讐をやめさせる事はできないのか? セイバーや遠坂まで殺す必要はない」

「遠坂凛はともかく、セイバーは英霊だろ? 倒さなきゃ聖杯が手に入らない」

「お前も聖杯が目当てなのか」

「そのためにサーヴァントになった。まっ、分け前はもらえそうにないけどな」

 

 妹紅の声色が明るくなり、楽しげに語り出す。

 

「お前もサーヴァントになろうぜ。イリヤは怒ると怖いけど、基本的に無邪気で可愛いし、美味しいご飯もいっぱい食べさせてくれる。それからああ見えて甘えん坊なんだ。よく私のベッドに潜り込んできて添い寝してやるんだけど……お兄ちゃんも添い寝してやれ、きっと喜ぶ」

「……随分、仲がいいんだな」

「これでも最初は嫌われてた。最初っから好かれてる士郎ならあっという間さ」

「…………でも……」

「それに、サーヴァントにならなきゃ本当に殺されかねない」

 

 目を細め、口元に嫌味な笑みを浮かべるアヴェンジャー。

 ああも熱心に誘っていたのに、どこか愉しそうだ。

 

「……私としては、お前が殺されて、復讐を完遂するイリヤを見たくもある。でも、あんなに懐いてる男を殺して……イリヤは本当に喜ぶのかなって思うと、不安なんだ。もし、後になって殺すんじゃなかったとか、一緒に暮らしたかったとか、そういう後悔をしたら……」

「アヴェンジャー……」

「お前はどうせ敗退確定なんだ。だったらせめて、イリヤくらいは救ってやってくれないか?」

 

 アヴェンジャーの言葉は理に沿っているのかもしれない。

 本当にもうどうしようもないのなら。

 セイバーも遠坂も救えないのなら。

 自分の命が助かり、イリヤも喜ぶ、そんな選択こそ最上かもしれない。

 だが、それでも。

 

「断る。俺はセイバーを裏切らないし、イリヤのサーヴァントにもならない」

「……そうか」

「俺はセイバーのマスターで、イリヤと同じ、切嗣の子だ」

「…………そう、なのか」

 

 残念そうにアヴェンジャーはうつむいた。

 一分ほどだろうか、互いに無言ですごした後、アヴェンジャーはやはり無言のまま窓から飛び出した。宙に浮いたまま窓を閉め、痕跡を消して姿をくらましてしまう。

 

(――バレずにはすんだか)

 

 内心でそう呟く。

 夕陽の鮮やかさも目を覚ました時に比べて陰っており、もう完全に日が沈む間近らしい。流石にもう自分がいない事にセイバー達も気づいて、慌てているのだろうか。セイバーなら士郎との繋がりによって、アインツベルン城に囚われていると気づけるかもしれない。

 だがセイバーは魔力不足で体調不良。大人しく救助を待つなんてできない。

 

 士郎は縄を解くべく、力を込めた。

 縄を結んだのはイリヤだったのだろうか、思ったよりゆるかったお蔭で手首に痣を作る程度で抜け出せそうだった。それでも縄抜けなんて初めての経験なので少々手こずってしまう。

 外が暗くなってからようやく両手を自由にできた士郎は、足首の縄も急いで解くと、窓の外を確かめる。もう太陽は見えず、城を包む樹海にはとうに夜の帳が下りていた。

 下には美しい中庭も見え、冬だというのに色とりどりの花が咲いている。

 だが、高い。三階か四階か、それくらいはある。

 アヴェンジャーのように飛べる訳でなし、窓からの脱出は不可能だ。ならばとドアに向かうと、廊下に、人の気配を感じた――。

 こちらに、向かっている。

 今更椅子に戻ったところで、縄を結び直している時間があるだろうか。縛られている振りをしてじっとしていたところで、気づかれないだろうか。

 いっそ部屋の中のどこか、タンスとか、ベッドの中に隠れてしまった方が――。

 逆に迎え撃つか? ドアを開いた瞬間を狙って、相手の頭をガツンとやってしまうのだ。

 

 士郎は息を潜め、ドアの横にへばりついて待ち構える。

 ドアが開き、飛びかかろうとした瞬間――金砂の髪をした少女が防衛のため手を振りかざそうとして、二人同時にピタリと動きを止めた。

 

「せ、セイバー!?」

「シロウ――無事でしたか」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「マーキングを解除してどこに行ってたの」

「お花を摘みに」

 

 とりあえずロビーに入ると、イリヤとバーサーカーが並んで待ち構えていた。

 こっそり士郎と会っていたなんて言えず、妹紅は適当すぎる誤魔化しを口にするも。

 

「まあいいわ。モコウも説得に協力してくれるなんて思わなかったから、許して上げる」

「……うーわ、見つかってたのか」

 

 可哀想な娘、なんて言ったのもバレてる訳だ。後でいびられそう。

 イリヤはクスクスと笑う。

 

「ええ、見つかってるわ。ネズミさんもわたしの罠にかかって、わたしが出かけたと錯覚して……シロウの部屋に入ったところよ」

「……ネズミ……セイバーが来てるのか?」

「リンとアーチャーもよ。まだ同盟は継続してるみたいね」

 

 好都合とばかりにイリヤは瞳を殺意で輝かせ、サーヴァント二人へ高らかに命じる。

 

「バーサーカー。アヴェンジャー。シロウ以外は殺しなさい。特にアーチャーは念入りにね」

 

 柳洞寺で士郎を殺されかけた仕返しという訳か。

 妹紅としてもアーチャーにはとっとと退場してもらいたい。実に好都合な命令だ。

 

「任せとけ。やってやろうぜ、旦那」

「■■■■……」

 

 低い、獣のような唸り声を上げるバーサーカー。

 小さき主のため、不死身のサーヴァント達は闘志と殺意を漲らせるのだった。

 

 

 




 Fateルートでの印象深いイベント開始。

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