26話状態を踏んでしまった皆様、申し訳ありませんでした。
アインツベルン城までやって来た遠坂凛、アーチャー、そしてセイバーの三人は、城主であるイリヤが外に出ていくのを確認すると――城内に忍び込んだ。
セイバーの直感を頼りに幾つかの部屋を回ってみれば、すぐ衛宮士郎の囚われている部屋へとたどり着き、あっさりと再会を果たす。
時刻はすでに夜となっており、徒歩でここまでやって来た凛達の労力は大きなものだ。
それをこれから、アインツベルンの追っ手を警戒しながら同じ道程を帰らねばならないのに。
ロビーまでたどり着いた三人は、階段を降りて広間に出る。そこからはさらに細長い通路が三十メートルほど伸びており、その先に巨大な扉があった。
あれが玄関。あそこから出られる。
「――なぁんだ、もう帰っちゃうの? もっとゆっくりしていけばいいのに」
三人が振り向けば、階段の上に死神が立っていた。
小さなイリヤ。そして仁王立ちするバーサーカーだ。
「しまった――ハメられた」
「わたしが出かけたと思った? 残念、そう見せかけただけよ。リン達が森に侵入した事なんて、とっくに承知済み。のんびりお出迎えの準備ができちゃった」
イリヤが手をかざすと、バーサーカーが跳躍して階段の下へと着地する。床が割れるのではと思えるような重い響きを鳴らし、長大な斧剣を振りかざす。
「――誓うわ。今日は、一人も逃さない」
殺意と歓喜の入り混じった宣言をした。
同時に、バーサーカーの眼がギラギラと輝き出す。敵の姿を認め、主の命を執行しようとする。
ぎり、と音を鳴らして凛は歯噛みすると、一歩前に出て、詫びるように言った。
「……アーチャー。少しでいいわ。一人でアイツ達の足止めをして」
それは、死ねと命じているも同然だった。
多勢に無勢で戦った柳洞寺とは違う。セイバーは魔力切れを起こしており、士郎と凛は非力な魔術師にすぎず戦力外。つまりこちらの戦力はアーチャーのみなのだ。
アーチャーは返事をしなかった。代わりにセイバーが異を唱える。
「馬鹿な……! 正気ですか!? 相手はバーサーカーですよ!? それにアヴェンジャーの姿もまだ見ていない」
「このまま戦ったところで、私達は役に立たない。なら、アーチャーを犠牲にしてでも私達は逃げるべきなのよ。――逃げ切れるかどうかは、別としてね」
無茶のある作戦だ。だが事態はすでに絶体絶命。
一番マシな作戦だから"無茶"ですんでいるのだ。
それをアーチャーも自覚していた。
「賢明だ。凛達が先に逃げてくれれば、私も逃げ延びる可能性が出てくる。単独行動は弓兵の得意分野なのでな」
そう言って、凛の前に出る赤衣のサーヴァント。
イリヤは一瞬きょとんとするも、すぐさま嘲笑を浮かべる。
「へえ、びっくり。そんな誰とも知らないサーヴァントで、わたしのヘラクレスを止めるつもりなんだ? アハッ――可愛いトコあるのね。リン」
構わず、アーチャーはまた一歩、前に出る。
死刑台へと登っていく。
そんな背中を士郎は、セイバーは、見守るしかなかった。
ただ守られる側でしかない、無力な彼等には、挟める言葉などない。
それでも、マスターである凛だけは最後の言葉をかけようとする。
「…………アーチャー、私……」
「ところで凛。ひとつ確認していいかな?」
「……なに?」
しかし最後の言葉は、アーチャーからこそかけられた。
「ああ。時間を稼ぐのはいいが――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
まったくもって予想外な言葉に、凛は瞠目する。
強がりではない。
これは、励まし。
自分は負ける気などないから、お前もあきらめるな、戦え、生き延びろという言葉。
だから凛は、空元気の中にありったけの勇気と信頼を込めて答える。
「――ええ、遠慮はいらないわ。ガツンと痛い目に遭わせてやりなさい、アーチャー」
そんなやり取りを見せられ、イリヤはヒステリックに叫ぶ。
「っ、バカにして……! いいわ、やりなさいバーサーカー! そこの身の程知らずをバラバラにしてやるのよ!」
意にも介さず、凛はサーヴァントに背を向けて駆け出す。
「――行くわ。森さえ抜ければ、後は何とかなる」
続いてセイバーが駆け出すも、士郎は、なぜかアーチャーの背中から目が離せなかった。
その背中を、忘れてはいけない気がした。
その背中が、真摯な声色で呼びかけてくる。
「衛宮士郎――いいか。お前は戦う者ではなく、生み出す者にすぎん」
バーサーカーが迫る。鋼の戦車と化して、斧剣を振り上げる。
アーチャーは無手をかざし、光を握りしめる。
「余分な事など考えるな。お前にできる事はひとつだけだろう。ならば――そのひとつを極めてみろ」
光は白と黒の夫婦剣となり、バーサーカーの攻撃を待ち構える。
「――忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。お前にとって戦う相手とは、自分のイメージに他ならない」
赤い背中が沈む。両者の剣風が奔る。
その衝突を見届ける事なく士郎は走り出した。凛とセイバーはすでに玄関にたどり着いている。もたもたしていられない。
赤い背中が、ただ、行けと告げていた。
通路を駆け抜け、大きな扉へとたどり着く。
「早く! 三時間も走れば国道に出られる!」
扉を開けると、そこは夜の森だった。
イリヤの言葉通り、ここは樹海の奥深くに潜む古城なのだと理解した。
凛を先頭に、三人が森へと踏み出そうとした瞬間――。
「おっと、ここから先は通行止めだ」
炎の壁が道を阻んだ。
玄関から半径十数メートルの半円を描くように炎が踊り狂い、凛達の真正面には紅いコートを着た
アヴェンジャー。
姿を見せなかったのは必死に扉から出た士郎達をあざ笑うための演出であると同時に、衛宮士郎を生け捕りにするためだろう。流石にロビーの中でバーサーカーと一緒に大暴れしては、士郎を巻き添えにしてしまう危険性がある。
「デッドラインを越えたら焼け死ぬぜ。ここで大人しグボァッ!?」
ニヤリと浮かび上がる酷薄な笑みに、青い光弾が爆裂する。
血飛沫が散った、あまりにも呆気なく命も散った。
この展開を予期していた凛が、問答無用で宝石魔術を放ったのだ。
「走って!」
凛は一瞬足りとも立ち止まらなかった。
たたらを踏んだセイバーと士郎も、すぐに意識を切り替えて駆け出す。
アヴェンジャーは頭部から煙を出しながらその場に崩れ落ち、地面に激突するよりも早く身体を炎上させて焼滅した。そしてその場に肉体を復元させた時にはすでに、凛が肉薄していた。
凛の拳が光る。魔術回路を起動させ、渾身の力を込めた正拳で再び顔面を狙う。
だがアヴェンジャーも拳を繰り出していた。快活に笑いながら焔を帯びた拳を。
拳はアヴェンジャーの顔面に。
烈火の拳は凛の腹部に。
同時に炸裂し、互いに悶絶して後ずさる。
「下がって!」
セイバーが叫び、凛の横をすり抜けながら不可視の剣を振るう。
切っ先がアヴェンジャーに触れようとした瞬間、またもや彼女の肉体は爆ぜた。爆炎によって凛とセイバーは後退を強いられる。そしてまたまたすぐ復活したアヴェンジャーが、今度はセイバーへと蹴りを繰り出す。
「ハッ――悪いなセイバー! 聖杯戦争の仕組みを考えれば、お前には死んでもらう!」
「くっ、どけぇ!」
炎のリングの中、セイバーは鮮やかな連撃によって邪魔者を斬り伏せようとする。
いつぞやと違い、アヴェンジャーは空を飛んでいない。堂々とした地上戦だ。だというのにセイバーの剣はことごとく空を切った。
「魔力切れっていうのはここまで酷くなるのか? 剣が鈍すぎるぞセイバー!」
「だからとて! 剣の間合いで遅れを取ると思うなアヴェンジャー!」
次第にセイバーは防戦一方となる。
鋭い火爪を剣で弾くも、回転蹴りが脇腹に直撃して苦悶が胃袋まで震わせる。肩で体当りして距離を取るも、アヴェンジャーは軽やかにバク転して遠心力の乗った蹴りを振り上げてきた。顎に当たる寸前でかろうじて首をねじるも、頬を乱雑に削られる。
それでも、なんとか拳の間合いから剣の間合いへと移行した。
だがアヴェンジャーは届かぬ腕を振るい、そこからは魔力光が散弾となって放たれる。――剣が鈍い。足も鈍い。故にその場に踏ん張り、鎧で弾を受ける。金属音が連続して響くのに合わせて身体を揺さぶられた。
「対魔力とやらはどうした!? 裸の王様か!」
「くっ――」
万全の状態であればアヴェンジャーの強力な火炎スペルさえ弾くセイバーの対魔力。
それすらろくに機能せず、このような小技でも熱気を浴びて体力を削られる。
下手に距離を取っては大火力の一撃によって消し炭にされかねない――剣の間合いから逃すな!
守るべき者の姿を思い描き、みずからを鼓舞してセイバーは前へと踏み出した。
城内から轟音が響く。
アーチャーが足止めをしてくれている、命懸けで。
しかしいつまで持つ? 一時間? 十分? それとも十秒か?
玄関周辺を包む炎はまだ消えていない。しかも凛は腹部を焼かれた痛みで未だ喘いでいる。士郎が駆け寄り肩を貸して立たせていた。
「遠坂――!」
「くっ――マズイわね。私もセイバーも、あいつから逃げられるコンディションじゃないわ」
「あきらめるな! 何か手があるはずだ、何か――」
不死身のサーヴァント、アヴェンジャー。三騎士よりは劣るが格闘戦を行え、炎の魔術に関してはキャスターに比肩する。欠点は人間と大差ない耐久力の低さだが、それは強力な蘇生能力で補って余りある。――それが今の士郎達の敵だ。
性格は攻撃的だが、非戦闘時はそうでもないらしい。イリヤに料理を振る舞ったり、一緒に遊んだりと和やかな関係を築いているとも聞く。さっき、囚われていた士郎を心配して見に来てもくれたし、サーヴァントになるよう説得してくれていた彼女は、イリヤだけでなく士郎の身を案じてさえもいた――と思う。しかし今は灼熱のデッドラインを引いて、士郎達の退路を断っている。
アヴェンジャー……その能力と性格、交わした幾つかの言葉に思索をめぐらせた士郎はハッと気づく。ある言葉を思い出したのだ。
もしかしたら。いやそれしかない。それに賭けるしかない。
「遠坂、お前――」
凛の耳元に口を寄せ、士郎は小声で問いかけた。
「――――できるか?」
「っ……無理、やった事ない。でもセイバーなら――」
凛も小声で応じる。
士郎は力強くうなずいた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇◇◇
双剣を砕かれたアーチャーは斧剣に身体ごと弾き飛ばされ、ロビーに壁に痛烈に叩き込まれて血と埃にまみれていた。それでもなお、よろめきながら立ち上がる。
無様な姿をイリヤが笑う。
「よっわーい。もう壊れちゃったの? そんな宝具でバーサーカーに戦いを挑むなんて……」
侮蔑を受けながら、アーチャーは自嘲気味に、けれど、何かを懐かしむように微笑した。
彼は跳躍し、吹き抜けのロビーに張り出された二階の廊下に飛び移ると、詠唱を開始する。
「I am the bone of my sword.」
右手に出現したのは、刀身の捻れた奇っ怪な剣。
左手に出現したのは、黒塗りの大弓。
攻撃の気配を感じ取ったバーサーカーは、宝具の攻撃を恐れず飛びかかる。
――
剣が矢に変形する。アーチャーは、心中でその異質な真名を解放して矢を放った。
並のサーヴァントなら即死する一撃は、バーサーカーを迎撃して爆音を轟かせる。その威力は天井を破壊し、さらにその上層を突き抜けて夜空をあらわにした。
バーサーカーはダメージを負い、ロビーに着地すると防御の姿勢を取る。狂気によって塗り固められていようと、神話の戦いを制覇してきた大英雄の戦術眼は確かなものだった。
「……また違う宝具? ……あいつ、幾つ宝具を持って……」
イリヤは困惑する。
中華風の双剣。花びらの盾。妹紅相手に使い捨てた不死殺しの剣。
宝具に優れるライダークラスならともかく、あんな名も知れぬアーチャー風情がこれほどの宝具を所有しているなどありえない。
「まさか――"投影"?」
英霊の性質に詳しくないながらも戦闘経験の豊富だった妹紅が、アーチャーを警戒していた訳を今更ながら実感する。肉体的に脆弱な妹紅にとっては厄介な相手ではあっても、バーサーカーならば警戒すら必要ないと思っていた。
――気に入らない。
気に入らない、気に入らない、気に入らない。
あんな無名の英霊にヘラクレスが苦戦するなどあってはならない。
子供じみた癇癪を起こしてイリヤは命じる。
「バーサーカー! 何をモタモタしてるの、早く殺しちゃって!」
「■■■■――ッ!!」
突き破られた天井から降り注ぐ月明かりの中、致命の殺意が渦巻いて迫りくる。
まだ命をくれてやる訳にはいかない。アーチャーは不退転の闘志を漲らせた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇◇◇
イリヤとバーサーカーは派手にやってるようだ。アーチャーも粘っているようだが、いつまで持つやら。
妹紅はすでに勝利を疑っていなかった。
魔力切れを起こしたセイバーなら、足止めするだけで勝手に自滅してくれる。距離を取って弾幕で翻弄する必要もない。
流れ弾が城の窓でも割ったら後で怒られるだろうし、このまま押し切る。
とうとうセイバーを追い詰め、その首筋を炎の爪を焼き裂こうとした瞬間――。
赤い光弾が、妹紅の手元をかすめた。
反射的に身を引いてみれば、セイバーの背後から宝石魔術を行使した凛の姿と、セイバーに駆け寄る士郎の姿が見えた。
「まだ足掻くのか!」
流れ弾は、城の窓だけを気にしている訳ではない。
衛宮士郎を巻き添えにしない意図もあって、わざわざ格闘戦に興じていたのだ。
士郎はセイバーを後ろから掴んで引き寄せ、凛が援護射撃で妹紅を後退させる。
「シロウ!? 何を――」
「セイバー。この城に――――」
困惑するセイバーに、士郎が何事かを耳打ちする。
セイバーはハッとしながら、周りを見回した。
この森は。
この城は。
すでに知っている事を、改めて自覚する。
「あっ……アイ…………」
「何してる!」
凛の射撃をくぐり抜け、再びセイバーへと迫って火爪を振るう妹紅。
だが、セイバーを突き放して士郎が前へと飛び出した。
慌てたのは妹紅だ。
(火爪はマズイ――!)
咄嗟に火を消し、単なる爪撃として士郎の胸を斬り裂く。――火を宿さずとも、しなやかな竹を綺麗に切断する程度の威力。故に腰を引いて浅く、肉の表面だけをえぐるよう加減する。
士郎のトレーナーが朱に染まる。大丈夫、少なくとも骨には届いてない。
直後、士郎は雄叫びを上げながら妹紅の鼻っ柱に額を振り下ろした。
殺さないよう大慌てで加減した隙を狙われてしまった。痛烈な頭突きを急所に浴びて、たまらず悶絶しながら後ろへ下がる。
その間に、セイバーは駆け足で逃げ出していた。
「っ!? セイバー、待て――」
「お前の相手は、俺だぁぁぁぁぁぁ!!」
士郎が拳を振り上げ、見え見えのパンチを放ってきた。
無論、回避などたやすい。軽く屈んでやり過ごし、すぐさまボディに膝蹴りを入れてやる。火炎を使ってはいないが体重を載せた一撃だ。士郎は苦しげによろめく。
「雑魚はすっこんでろ!」
大怪我をさせなければ問題はない。そう意識を切り替えて、裏拳でこめかみをぶん殴ってやる。士郎は呆気なく膝を折り、崩れた体勢の向こうから、新たな光弾が飛んできた。凛だ。
「くっ――」
首をそらすのが精一杯だった。光弾は妹紅の頭蓋を浅く削り、脳みそを大きく揺さぶられる。意識が混濁する中、根性で踏みとどまった士郎がまたもや殴りかかってくる。
お互い朦朧としている状況だ。攻撃が当たるも外れるも運任せであり、運は士郎に味方した。
拙い裸拳が妹紅の片胸にズシンとめり込み、肺の空気を押し出された。
「カハッ」
呼吸が止まり、その場に膝をついてしまう。
かすむ視界の中、士郎の足が見えた。
(――ヤバイ、蹴られる)
即座に歯を食いしばる。
しかし、士郎の足は振り上げられる事なく、後ろへと下がった。
見上げてみれば、両の拳を握りしめて構えてなんかいる。
闘争心は見事だが、戦い方が甘っちょろい。
(――優しい子なんだな)
でも、妹紅はこんなタイミングで感心してしまった。
イリヤのサーヴァントになれば命は助かるのに、士郎だってイリヤを嫌ってはいないのに、イリヤの誘いを断って怒らせて、こんな事になっても足掻いている少年が――眩しい。
『俺はセイバーのマスターで、イリヤと同じ、切嗣の子だ』
その言葉を思い出す。
それはセイバーへの義理堅さであると同時に、衛宮切嗣への義理堅さでもあり、イリヤへの義理堅さでもあるのではないか?
同じ、切嗣の子だからこそ――マスターとサーヴァントなんて関係を、イリヤとの間に築く訳にはいかないと思っている。――イリヤを大切に想ってくれている。
それはそれとして、自分はイリヤのサーヴァントだ。セイバーを殺し、士郎は生け捕りにする。
優先順位の低い遠坂凛はというと、士郎の開いた足の向こうで、宝石を振りかぶっていた。
妙な感慨に耽っていたせいで反応が遅れ、投げ放たれた宝石は士郎の股下を潜り、妹紅の肩を穿つ。鮮血が散り、右腕全体に痛みが走った。
仕方ないから自爆する。
至近距離で爆風を浴びた士郎がふっ飛ばされ、未だ伏したままの凛に衝突する。
二人がもつれ合っている間に肉体を復元。
「もうっ――なんてインチキ!」
「こっちだって痛いの我慢してるんだ!」
凛に罵声をぶつけられながら、妹紅はセイバーが逃げた方角を見やった。
いない。完全に見失った。セイバーの対魔力ならば衰えた状態であっても、あの程度の炎の壁は突破できるだろう。妹紅としてはこの場で一番始末したい相手なのに。
士郎と凛は、そもそもまともにやり合って遅れを取る相手じゃない。
それでも士郎の土壇場の気合と、凛の絶妙な奇襲と横槍、そして士郎だけは殺すまいと火焔を使わない妹紅の手加減が、悪い意味で噛み合ってしまった。
しかしそれでも、優位なのは自分だという確信があった。
人間の体力や走る速さなどたかが知れている、こいつらは後回しにしていい。
セイバーを追おうと決断して走り出す。
「待ちやがれ!」
士郎も飛び起きて駆け出した。
セイバーが逃げた方角には、士郎の方が近い。進行方向に立ちはだかられる。
危機を察知した凛が叫ぶ。
「士郎!」
どうせまた横槍を入れてくるんだろう。見向きもせず腕を払って、幾つかの火焔弾を放り投げてやった。凛の悲鳴と爆音が響く。この程度で死ぬとは思えないが、死んでくれても構わない。
後は弱っちい士郎を張り倒せば、セイバーを追える。
もう不意を突かれる要素はない。同じように弾幕を投げつけてやろうとし――。
「うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
士郎が吼え、両の手に光を握りしめる。
何だ? 士郎は治癒魔術くらいしか使えないんじゃなかったのか。
凛のように宝石でも投げつけてくるのか。
構わない。
先手を取って妹紅は炎の尾羽根を指の合間に出現させ、ひとまとめにして投げつけてやる。これならせいぜい大火傷くらいですむ。常人なら一生モノの負傷だが、そこら辺は自前の治癒魔術で何とかしてもらおう。
思わぬ苦戦によって、妹紅の手加減も緩んできた。
それはますます士郎を追い詰め――。
「――――
閃光が走る。
何が起こったのか、一対の斬撃によって炎の尾羽根は切り払われていた。
それでも、構わず、妹紅は走る。
所詮は士郎、どんな悪あがきをしたか知らないが負ける道理などない。
コートから発火符を取り出す。補充が面倒なためこちらに来てからはあまり使っていないが、これをばら撒いてやれば、四方からの爆発によって感覚を奪えるはずだ。
直接当てないでやるから感謝しろ! そう慢心して、妹紅は笑い――。
剣閃が走る。
鋭く、疾く、白と黒の中華剣が鮮やかに踊る。
警戒していれば避けられない攻撃ではなかった。たかが士郎という侮りが不覚を招いた。
「――これは!?」
両手を切り裂かれ、発火符をその場に落としながら、妹紅は目撃する。
衛宮士郎の両手に握られた武器、アーチャーが愛用している宝具、干将莫耶を。
「……士郎?」
凛もまた困惑し、慌てて城の玄関を見やる。
開けっ放しの扉の向こう、未だアーチャーとバーサーカーの激戦は続いて――いや、いつの間にか戦闘音が止まっていた。剣を打ち合う音も、バーサーカーの雄叫びも、破砕音も、爆音も。
決着がついた? 膠着状態に陥った? それとも戦場を移動しただけ?
ともかく、彼の剣を貸し与えられた訳ではない。
あの双剣は間違いなく、衛宮士郎の手によって出現したものだ。
「まさか――"投影"!? アーチャーの"宝具"を!?」
唯一、正統の魔術師である凛のみが答えに思い至り――だからこそ、それはありえないと驚愕する。投影とはこんな魔術ではない。劣化品によってその場しのぎをするだけのものだ。
だがあれは、あの夫婦剣は。
「素人が! アーチャーの真似事してもぉぉぉ!!」
「アヴェンジャァァァアアア――!!」
鮮血とともに発火符が舞い落ちる中――血と炎で紅く染まった両手と、白と黒を握った両手が交差する。手負いだろうとこんな奴に負けやしない。僅差でこちらが先んじると確信する妹紅。
だが士郎の双剣は驚くほどに流麗だった。まるでアーチャーが振るっているかの如く、冷静に的確に、妹紅の両腕を肩から切り落とす。
こんな小僧相手に不覚を取っている?
不覚を取り続けている?
窮鼠猫を噛む――さっきまでのはそれだ。
しかし今この瞬間、妹紅の前にいるこいつは、果たして鼠なのか?
違うと、思い知らされる。
未熟で、半端で、歪だけれど。
こいつはきっと"英雄"になれる男だ。
「っ……!!」
それでも、だとしても、妹紅が負ける道理にはならない。
生憎こちらは不死身の蓬莱人。痛い目に遭わされたなら、痛い目に遭わせるだけだ。
渾身の反撃を成功させた士郎、その顎に向けて力いっぱい右足を振り上げる。
爪先に確かな手応え。そのまま思いっ切り押し上げ、のけぞらせてやる。
そのまま自分は身を捩り、回転――遠心力を乗せながら右足に火力を集中させる。肌が焼けるほどの熱を帯びて、自傷の火脚を無防備な腹にぶち込んでやる。
「ガッ――!?」
内臓をシェイクし、安っぽい服が炭化して崩れ去り、肌を焼き焦がす一撃。
土壇場の凄まじい根性にはさすがの妹紅も感服したが、ここまでだ。
士郎は悶絶しながら地べたを数メートル転がり、双剣も光の粒子となって消失する。
「はぁっ、はぁ……」
両腕が痛む。肩から先が無くなって、血がドクドクと溢れてくる。
傷口が焼けるように熱い。意識が朦朧としていき、視界が暗くなる。
駄目だ、維持できない。
玄関周辺を半円状に包む炎の壁が小さくなっていく。
一度リザレクションをして、それからセイバーを追わねば。
崩れ落ちて地面に膝をつきながら、息を整え、体内の気を練って自爆しようとすると――。
暗くなったはずの視界が、急激に明るくなる。
「なんだ……?」
光には方向性があり、視線を向けてみれば、セイバーが逃げた方向から光と騒音が響いてくる。
何かが近づいてきている。セイバーが士郎達を助けに戻ってきたのか?
だったら、どうせリザレクションしないといけない身だ。剣の間合いに入ったら大人しく斬られてやろう。そして自爆する。焼き殺してやる。
光が迫る。……エクスカリバーの光……は、もっと綺麗なはずだ。
光が迫る。一対の光が、獣の瞳のように光っている。
光が迫る。夜道を照らすための人工の光が。
「イリヤのっ――!?」
仰天し、回避しようと妹紅はよろめいてしまった。
両腕がなく、消耗し切った身体で無茶ができるはずもなくその場に倒れ込んでしまう。
けれど視線だけはそちらに向けていた。
自分に迫る――自動車に。
運転席にセイバーを乗せた――メルセデス・ベンツェに。
「お――おい!? 待てやめろ止まれぇ!」
タイヤが迫る。
ぐしゃりと異音を立てて、背中の上を車が通り過ぎていく。タイヤによって皮膚を剥ぎ取られ、肉すらもミンチになって飛び散ってしまった。脳天まで鉄杭を打たれたような激痛が突き上げる。精神は振り切れるほどの絶叫を上げているのに、喉は震えるのみで泣き言のひとつもこぼせない。妖術を使ってもいないのに全身で火花が暴発しているようだ。
車体の重さに潰され、背骨までもがバラバラに砕かれる。
意識と視界が反転し、上下の感覚さえ喪失した。
なぜ空に地面があるのか、なぜ眼下に闇夜が広がっているのかも分からなかった。
「がぼっ……」
悲鳴の代わりに、血とも内臓ともつかない赤い塊を吐き出し、ミートソースを拭ったボロ雑巾のようになって、妹紅は無残に転がっていた。
メルセデスは軽やかに旋回し、士郎の隣で停車すると助手席側のドアが上へと開く。
「シロウ! 無事ですか!?」
息も絶え絶えになった士郎は、間に合ったという安堵に息を吐いた。
あの時、士郎が思い出したのは――自分を城に運ぶため、イリヤが自動車を運転したという、アヴェンジャーの何気ない言葉だった。
『私もさ、庭でいいからちょっと運転させてくれって頼んだんだけど、ダメだって言われてな。いいよな自動車、私も自分でドライブしてみたい』
それはつまり、この城に自動車があるという事。
それならばこちらの足の遅さなんか関係ない。みんなまとめて逃げられる。
だが士郎には運転なんかできやしない、だから凛に訊ねたのだ。
『遠坂、お前――車の運転できるか?』
『っ……無理、やった事ない。でもセイバーなら騎乗スキルで達人級に運転できるわ』
か細い光明を見出した士郎は、作戦に穴があるのを承知でセイバーに頼んだ。
『セイバー。この城に自動車があるはずだ。それに乗ればみんなで逃げられるかもしれない』
モタモタしていたら全員アヴェンジャーにやられてしまう。
自動車がどこにあるのかも分からず、騎乗スキルを持つセイバーがそこに行かねばならない。
けれど、幸運にもセイバーはアインツベルン城の車庫の場所を知っていた。
かつての聖杯戦争、この城を利用した事もある。
アイリスフィールの運転するメルセデス・ベンツェでこの城に訪れた事があるし、セイバー自身も運転した経験がある。
もし、場所が変わっていないのなら。
それらの希望が、セイバーに賭けを決断させた。サーヴァントではない士郎と凛に、どこまでアヴェンジャーの足止めができるのかは疑問だった。
でも、それでも、それだけが、唯一の助かる道と判断した。
果たしてその作戦は実を結び、さらにアヴェンジャーへの不意打ちとして予定以上の大戦果を遂げた。車に轢かれたのが余程堪えたのか炎の壁もとうとう消失する。
戦力は確実にアヴェンジャーが上回っていた。それでも誰一人あきらめず足掻き続け、少年は逆境を糧に新たなる力を引き出し、デッドラインを越えて脱出するチャンスを掴み取ったのだ。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇◇◇
荒野――どこまでも果てしなく続く不毛の荒野。
暗い夕焼け空には巨大な歯車が浮かび、機械的に回り続けている。
そしてその世界には、無数の剣が突き立っていた。
アインツベルンの城でも森でもない別世界。
そんな中、赤衣を己の血でさらに赤く染めたアーチャーと、巌の如きバーサーカーが剣戟を演じていた。
音速で振り下ろされる暴虐の一撃をアーチャーは飛び退いて回避するも、切っ先が爪先をかすめただけで靴が弾け飛び、血しぶきが舞う。
舌打ちしながらアーチャーは手をかざした。瞬間、宙に数本の剣が出現し、射出装置も無しに敵を目掛けて発射される。鋭き刃はひとつひとつ種類が違う。どれもがバーサーカーにとって初めて体験する攻撃だ。
巨体に突き刺さる無数の剣。致命には至らずとも、バーサーカーに血を流させ、体力と魔力を確実に削り取っていく。
さらにアーチャーは空中で弓を構え、またもや新しい剣を投影――弓に番え、必殺の矢として放つ。閃光が砂埃を吹き払い、バーサーカーの首を鮮やかに斬り飛ばした。
「――――っ!」
その光景を見せつけられたイリヤスフィールは忌々しげに歯を食いしばり、バーサーカーへ意図的に魔力を流し込む。
ヘラクレスの手にかかれば、無名のアーチャーなど塵芥に等しい小兵だと思っていたのに――どうしてこんなにも手間取っているのか。
妹紅もマーキングが切れていて状況が分からない。まさかあんな死に損ないのセイバーに苦戦をしているのではと不安になってしまう。しかしそれを馬鹿にできないほど、バーサーカーもまた苦戦を強いられている。
イリヤは憤怒と恥辱に身体を震わせた。
どうして、どうしてこうもイリヤの思い通りにならないのか。
今にも喚き散らしそうな少女の姿を、アーチャーはどこか悲しそうな眼で見ていた――。
藤原妹紅、縛りプレイ中に不意打ちと想定外の事態が押し寄せてくる。
衛宮士郎、原作主人公補正をアクセル全開。
セイバー、アクセルを踏んで轢殺。いやまだギリギリ生きてるけど。