第32話 ドキドキ☆新生活
どうしてこうなってしまったのだろう。
何が悪かったのだろう。
―――
失い続けた少女の手に残った、目が眩むような
そうして、最後に何を掴めるのだろう。
願いに手を伸ばせば、その願い以外のモノはきっと、こぼれ落ちてしまう。
それでも少女は、願いに手を伸ばす――。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆◆◆
2月12日、火曜日。
英雄王ギルガメッシュとの壮絶な死闘を繰り広げた翌朝――妹紅は目を覚ました。
畳、敷布団、掛け布団という純和風スタイルに懐かしさを覚える。――アインツベルン城にこんな部屋はない。鈍い頭で思考する。衛宮の家か。
起きようとすると全身に痛みが走った。昨日あれだけ死亡と蘇生を繰り返したから筋肉痛になってしまったらしい。少なくとも今日、敵に襲われたらまともに戦えそうにない。
それでも無茶は慣れている。痛む身体に鞭打ってのそのそと這い出て縁側に出るが、間取りが分からない。イリヤはどこだ。
すぐ外には道場らしき建物、その左にはこじんまりとした庭が広がっていた。
そこに、バーサーカーが仁王立ちしている。
無事だったかと安堵するも、バーサーカーは傷口こそふさがっているが、以前のようなみなぎる生命力を感じない。まだ万全ではないのだろう。
雄々しき巨人はその眼差しを妹紅にではなく、妹紅が出てきた隣の部屋に向けていた。
無遠慮に乗り込むとそこも畳の和室で、中央に敷かれた布団にイリヤが一人寝かされていた。
――息をしていない?
慌てて駆け寄り、頬に手を当てる。
大丈夫、あたたかい。生きてる。
しかし呼吸が妙に浅い。
「ったく、驚かせるな」
「寝てるだけよ?」
パチリと、イリヤのまぶたが開く。
「なんだ、起きてたのか」
「……ここ、どこ?」
「多分、衛宮んち。私も今さっき起きたトコ」
「…………そう」
「イリヤ、大丈夫?」
自分でも驚くほど、妹紅の声は柔らかくなっていた。
まるで病床の愛娘を案じる母のようだ。
――そんなような経験、もう忘れてしまったというのに。
「………………バーサーカーは?」
「庭にいる」
「……………………そう」
どうにも反応が悪い。寝起きだからか?
妹紅はチラリと障子戸を見る。部屋の前には誰もいない。
まだ自分達が起きたと気づかれていないなら――。
「イリヤ。これからどうする? 逃げるか?」
「…………わたしが、気を失った後の事……話して……」
「………………あの後すぐ遠坂凛が来て……」
妹紅自身も気絶してしまうまでにあった出来事を話す。
イリヤは、士郎がかばってくれた事を聞いて「そう」と嬉しそうにほほ笑んだ。
そして最後まで聞き終えると。
「抱っこ」
と、おねだりをしてきた。
――イリヤらしからぬ可愛らしさだ。いや、今までも甘えてくるような仕草はあったが、こんな露骨なのはあったか?
妹紅は戸惑いと照れ臭さから断ろうとするも、昨日一日でイリヤが失ったものを思い出す。
筋肉痛のつらさを隠しながら、仕方ないかと両手を広げる。
「ほら、来い」
――イリヤは来なかった。ただ、待つだけだ。布団をめくりもしない。
やっぱり何かおかしい。
「…………イリヤ?」
「わたしを抱き上げなさい」
有無を言わさぬ命令口調を受け、言われるがまま従い、ようやく、妹紅はイリヤの軽さと重さを理解した。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆◆◆
衛宮邸の居間、中央には四角くて大きなちゃぶ台があり結構な人数で食卓を囲める。
ついこないだまでは衛宮士郎、藤村大河、間桐桜の三人だけだった。
しかしその二人は先日学校で行われた魂喰いの結界の影響で自宅療養となり、代わりと言ってはなんだが今はサーヴァントであるセイバーと、下宿している凛が座るようになった。
だがそれも昨日までの話。
ガラリと障子戸を開けて、二人の少女が入ってくる。
人種や顔立ちは違えど色合いの似ている二人が一緒にいると、まるで姉妹のように見える。
「イリヤ! アヴェンジャーも、目を覚ましたのか」
「お陰様で。……本当に料理してるんだな」
士郎は居間と繋がっているキッチンにて人数分の朝食を用意していた。
白いご飯、お味噌汁、焼き魚といった典型的な日本の朝食。典型的すぎて逆に今時こんなの食べてる家庭どんだけあるんだってレベルだ。
「……イリヤ、具合はどうだ?」
「ン……平気」
アヴェンジャーの胸に身体を預けたまま、イリヤらしからぬ覇気のない声が返ってくる。
まだ本調子ではないようだ。結構ガッツリとした朝食を作ってしまったが、もっと食べやすいものにすべきだっただろうか?
「……ねえ。モコウから聞いたわ。あの後、わたしをかばってくれたって」
「そんなの当たり前だろ。イリヤを見捨てるなんてできない」
「えへへ……やっぱり、シロウはイリヤのお兄ちゃんだ……」
嬉しそうに、幸せそうに、けれど儚く、イリヤはほほ笑んだ。
無性に愛しさが込み上げ、士郎は気恥ずかしくなってしまう。
「積もる話は後にして、とりあえず座って待っててくれ。朝飯、作っちゃうからさ」
照れ隠しの言葉だったが、それにアヴェンジャーが文句を告げる。
「寝起きの乙女に身嗜みも整えさせず、座ってろと?」
「あっ――と、洗面所ならそこを出て……」
アヴェンジャーはイリヤの髪を一撫ですると、洗面所へと向かっていった。
そしてすぐ、短い口論が聞こえてくる。セイバーとアヴェンジャーの声だ。
「しまった、セイバーが使ってたのか」
色々と不安になる士郎だったが、戦いの場でなければ多分、そう酷い事にはならないはずだ。
とはいえ気になって耳をすませば、乙女の語らいが聞こえてくる。
「おや――髪を梳く手つきがぎこちないですね。普段からアヴェンジャーがやっている訳ではないのですか?」
「いや、いつもは…………メイドが、やってたな。イリヤの髪を梳くのはこれが初めて」
「こんなに長い髪を日頃から手入れするのも大変でしょう。しかしいささか長すぎませんか」
「長い方が格好いいだろ。空飛ぶ時バサバサーってなるし。セイバーも髪解いてみる?」
「いえ、この方が動きやすいので。……というか貴女は髪が長すぎます。毛先が床に届きそうではないですか。狭い洗面所で迂闊に動かれると、髪に絡め取られそうです」
「アサシンとライダーも髪が長くてサラサラで綺麗だったよなー。旦那にもトリートメントした方がいいかな?」
「ば、バーサーカーの事ですか?」
「キューティクル・バーサーカー」
「それは……ちょっとイメージが……」
「あいつ、ああ見えて可愛いトコあるぞ」
……意外と仲良くやれているようだ。
あるいは、イリヤを気遣って和やかに努めてるのかもしれない。
洗面所から戻ってくる金と、銀を抱えた白。
入れ替わりに、寝起きの悪い凛が洗面所にフラフラと向かう。
朝食ができるまでの間、居間にはセイバーが大人しく正座しており、対面にはイリヤ、アヴェンジャーが並んで座る。少ししてシャキッとした凛もやってきた。
――以前、公園でイリヤとお喋りした時に想像した光景。セイバーとイリヤがこの家で同じ食卓に着く姿が、目の前にある。そう思うと士郎は無性に嬉しくなった。
色々と話し合わねばならない事もあるが、まずは楽しい朝食だ。
「これがシロウのご飯……」
「……ん?」
配膳をすませるとイリヤが瞳をキラキラさせるも、アヴェンジャーだけ露骨に眉をひそめた。
明らかにアピールしている――不服があると。
「どうしたアヴェンジャー? 日本人なら、こういう朝飯は慣れて……」
「旦那の分はどこだ」
「…………えっ」
「旦那の分」
クイッと、親指を立てて中庭に繋がる廊下を示す。
その巨体ゆえ木張りの廊下にすら上がれないバーサーカーは、寒空の下、中庭で大人しくしているはずだ。
「……あっ! 悪い、そういえば言ってたよな……バーサーカーもご飯を食べるって」
「そうそう、ちゃんと言っ…………たっけ?」
「いや、何日か前にイリヤから聞いたんだ。米はまだあるけど、オカズは……」
梅干しや納豆ならあるが、バーサーカーの口に合うだろうか?
いっそ塩おにぎりにでもして、などと考えていると。
「わたしの、半分上げる」
イリヤが申し出た。
「……あまり、食べられそうにないから」
「…………そうか。じゃあ私のオカズも分けてやるか。……おい士郎! 分けていいと思えるどうでもいいオカズが見当たらないぞどうなってる。全部美味しそうだ」
アヴェンジャーも申し出た、と思いきや理不尽な怒り方をされた。
結果、ご飯は新しくよそって、イリヤのオカズを半分、アヴェンジャーの目玉焼きを半分、士郎の焼き魚を丸ごと一本、バーサーカーに差し出す事になった。
それらをお盆に載せ、妹紅が代表して持っていった。
「悪いな旦那。ここで空でも見ながら食っててくれ」
「ごあっ」
……何やら、野太いくせに愛らしい声が聞こえてきた。
バーサーカーなのか。士郎もセイバーも凛も目を丸くする。
食事を届けた妹紅が戻ってくると、さあ自分達もと喜び勇んで手を合わせる。
こうして、皆が朝食を食べ始めた。
イリヤもご飯を食べようとして――卓上に箸を落としてしまった。カチャンという音が一同の注目を集める。
士郎は愛想笑いを浮かべて立ち上がる。
「――悪い、スプーン取ってくる」
箸を使えるかどうか、確認するのを忘れていた。
だが席を離れる間際、アヴェンジャーの表情が強張っているのに気づいた。
イリヤはそんなアヴェンジャーに視線を送り、すぐに目を伏せた。
そのやり取りの意味を想像しながら、台所へと向かう。
スプーンを持ってくると、イリヤはそれを使って不器用に白米を食べ始める。
――箸を使い慣れていないのだとしても、スプーンもこんな手際なのか?
「イリヤ。スプーンじゃ焼き魚なんか食べにくいだろ。ほら、解体しといてやる」
アヴェンジャーが妙な気遣いを見せ、何だか微妙な空気になってしまう。
セイバーも普段の和やかな雰囲気を持たず、淡々と食事を取っている。凛は言わずもがなだ。
――イリヤは味噌汁のお椀を左手で掴むが、なぜか持ち上げようとせず、スプーンで少量の汁をすくって唇に運んだ。
「…………美味しい。モコウより丁寧で、味わい深いわ」
「……合わせ味噌と木綿豆腐の組み合わせが絶妙だな。出汁は……鰹節か」
イリヤも繊細な舌を持っているが、和食に関しては根本的に知識不足だ。
なので妹紅が材料を見抜いてやると、士郎は感心して笑みを浮かべた。
「よく分かるな。アヴェンジャーも料理をするんだって?」
「ん、まあ、餓死しない程度には自炊するけど……なんだ、何か言いたそうだな」
「いや……俺もモコウって呼んだ方がいいのかなって。アヴェンジャーってクラス名だろ? でも実際は、英霊の振りをした
「イモウト、クレナイ」
端的すぎる表現にセイバーが眉をひそめた。というかイリヤも眉をひそめた。
――漢字表記、伝えてなかったのか。
日本人である士郎と凛には普通に伝わる。
一拍遅れて、セイバーも聖杯から授けられた現代知識、及び日本語知識によって理解する。
イモウト、妹。
クレナイ、紅。
モコウ、妹紅。
「……やっぱり変わった名前だな」
「丑の刻参りしても無駄だぞ。それと別にアヴェンジャー呼びのままでいい。格好いいからな」
「物騒すぎて人前だと言いにくいんだよ」
セイバーですら藤村大河や間桐桜から変わった名前と思われていた。
しかし、これはまだ変わった名前ですむ。日本語に訳せば『ツルギさん』って感じだ。
剣子、弓太郎、槍太郎などと訳してもまあ分かる。
だが流石に『復讐者さん』はおかしいだろう!
その後も些細な言葉を交わしながら朝食を食べ終えると、凛が手を叩いて意識の切り替えを求めてきた。
色々と情報交換をしなければならず、流れ次第では、聖杯戦争はすぐにでも再開される。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆◆◆
英雄王ギルガメッシュに関する事。
第四次聖杯戦争で召喚されたアーチャーで、マスターは不明。
圧倒的な戦闘力を誇り、無数の宝具を無造作に使ってくるせいで正体が掴めずじまいだった。
そしてなぜかセイバーに求婚してきた。上から目線で花嫁にしてやると。
燃え盛る冬木の街で最後の決戦をするも、決着がつかないまま聖杯戦争は終結。セイバーも消えてしまった。だがギルガメッシュはその後、聖杯を使って受肉したと推察される。
それから十年、奴は人の世に潜伏して生きてきた。
そしてライダーを失った慎二と契約して第五次聖杯戦争に交ざり、昨日、偶然士郎とセイバーに出遭ってしまった。
公園での戦い。その後、メルセデスでアインツベルンに急行した事を話して士郎とセイバーの情報は終了する。
イリヤは、自室で眠っていたらアインツベルン城の揺れによって目覚め、メイド達がギルガメッシュに襲われているのに気づいて戦おうとするも、あの二本の巨大剣によって城の崩壊を招いてしまい、バーサーカーも戦いに敗れ命のストックを使い切ってしまった。
そこに、士郎とセイバーが駆けつけた。
妹紅は午前中から士郎をさらいに衛宮邸を訪れたが見つからず、公園に行ってもすれ違い、衛宮邸に戻ってみたら車が無くなっており、そのままアインツベルンに帰ろうとした。
途中で異変を察知し、士郎、セイバーとほぼ同時に駆けつけたものの、バーサーカーが半死半生になってるのに気づいて慌ててロビー上部のバルコニーに身を隠した。
その時、瓦礫を落としてしまいバレやしないかとヒヤヒヤしたそうだ。
らしからぬ慎重さを発揮したのは、バーサーカーへの信頼の厚さのため。千数百年もさまよっていれば、殺されはしなくとも勝てない強敵に相まみえる修羅場も当然経験している。
――妹紅一人ならば、そんな戦いに興じて敗走するのもいい。しかし守るべき者がいるならそうもいかない。
成り行きを見守り、状況を把握し、攻撃方法を把握し、まともに戦っても勝ち目がない――イリヤを守れないと悟った妹紅は、一芝居打ってバーサーカーを火焔で隠し、死んだフリをさせた。
後は――ご覧の通り、見事イリヤの令呪とバーサーカーによって逆転勝利を収めた。
「セイバーがさ、エアとかいう奴の隙を突けばって言ってたから、全力で悪口言って怒らせてエア使わせて隙を作ろうと思ってたんだけど……何だアレ。世界の終末が垣間見えたぞアレ。セイバーあんなモン抜かせようとしてたの?」
「私はエアを抜かせる前、あるいは抜く瞬間を狙っていたのです。抜いた後、振るう際の隙を狙った訳ではありません」
「…………まあ、巧くいったからいいか」
「バーサーカーが斬り伏せた際、エアが機能停止したからよかったものの……暴発を起こしていたらシロウとイリヤとバーサーカーは確実に死んでいましたよ」
「巧くいったからいいじゃん!」
そして遠坂凛とアーチャーはというと。
衛宮邸前で車が無い事に気づいた妹紅を見つけ、こっそり追いかけてきただけらしい。
つまり、セイバーと士郎が駆けつけたあの時点で――。
妹紅はすでに到着して様子をうかがっており。
凛とアーチャーも到着して、妹紅の様子すらもうかがっていたのだ。
「いざとなったら、アーチャーにギルガメッシュを狙撃してもらおうかとも思ってたんだけど……その必要も無かったわね」
ギルガメッシュへの不意打ちは、死んだと思われていたバーサーカーだから成功した面もある。
果たして、遠距離からの狙撃が通用したかは疑問ではあると凛も自覚していた。
「――とまあ、そういう訳で昨日の出来事はみんな把握できたと思うけど……慎二は都合よく利用されてただけだろうし、ギルガメッシュ単独犯だとも思えないのよね」
「慎二か……」
妹紅が中庭全体を焼き払った際、行方知れずとなった慎二。
なんとか脱出して、アインツベルンの森を徒歩で帰った可能性はある。
もちろん、焼け死んだり瓦礫に埋もれて死んだ可能性もだ。
推定殺人犯の妹紅は顔をしかめる。
「間桐慎二か……わざとじゃないが、死んでたなら私の責任だ。(マキリに)悪い事したな」
「ギルガメッシュと組んでいた以上、あいつの自己責任だ。(俺や慎二に)悪く思う必要はない」
慎二と親友である士郎だが、魔術師としての心構えは持っている。
半端物で、正義の味方なんてものを目指しているため、普通の魔術師からは大きくズレてはいるのだが、越えてはならないラインを越えたのならば、士郎みずから殺す事もありえる。
ただ、桜にはなんと伝えればいいか――士郎には分からなかった。
慎二の話で居心地が悪くなったのか、妹紅は話の流れを変える。
「――で、ギルガメッシュの事情が怪しいから休戦しようって事だが、信用していいのか遠坂凛」
「前にも言った通り、私の目的は聖杯じゃなく聖杯戦争そのものだもの」
「聖杯目当てに呼び出されたサーヴァントのアーチャーを信用していいのか」
「あいつも聖杯に興味ないし、マスターの私がいるんだから――」
「令呪で縛らなきゃマスターの同盟相手を斬るような奴だぞ」
「それは――」
「令呪見当たらないけど大丈夫なのか」
言われて、凛は手の甲を隠す。
そう、凛は一昨日の時点ですでに令呪を使い切っているのだ。
もうアーチャーを抑える事はできない。
「令呪状況をまとめると――イリヤは残り一画、士郎は残り二画」
イリヤの命令。
その1、士郎を守るためバーサーカーを柳洞寺に転移。
その2、ギルガメッシュを不意打ちすべく高速実体化と背後への転移。
士郎の命令。
その1、イリヤを斬ろうとしたセイバーを止める。
凛の命令。
その2、柳洞寺で士郎を斬った事を知り、後に自分の同盟相手に手を出すなと命じる。
その3、バーサーカーの足止めに残したアーチャーを呼び戻し、妹紅を迎撃させた。
「初めて会った時点で一画使ってたみたいだけど、何に使ったんだ」
「なっ――何でもいいでしょ!」
凛の命令。
その1、アーチャーが舐めた態度取ったんで命令聞けと曖昧で幅広い命令をした。少々の拘束力は発生したが反抗を許さないようなものではない。
幸い、凛とアーチャーの関係は良好なため今はまだ従ってくれているが、すでに枷は無い。
アインツベルンとも休戦してしまった以上、同盟相手の士郎とセイバーに手を出すなという拘束力も弱まっている。
明確に同盟が破綻したと認識できる状況に陥ったら――アーチャーはどうするのだろう。
士郎を殺し、バーサーカーを殺し、聖杯戦争の勝利に向けて動き出すのか。
実のところ、凛も不安に思っていた。
妹紅はぐるりと一同を見回す。
「……もしかして、令呪なんかで従えなくても裏切る心配皆無な旦那って、他のサーヴァントにあるまじき紳士?」
「紳士て」
凛は一瞬、白いタキシード姿のバーサーカーの姿を幻視した。しかもなぜか片手に薔薇を持っており、アーチャーのようにキザな態度で恭しくお辞儀なんかしてる。
決してありえない珍妙な光景。ハッキリ言って気色悪い。
話題を切り替えるべく、凛は座卓に両手を叩きつけて身を乗り出した。
「というか、私よりもアヴェンジャーよ! 貴女の正体、色々教えてもらうわ」
「やだよ面倒くさい」
強気で勝ち気な態度で妹紅に詰問する。
「第三魔法、魂の物質化――ギルガメッシュが興味深い事を言ってたわね」
「魔術だ魔法だの話はよく分からん。どっちも同じじゃないの?」
「八人目を演じていた不老不死に、本当にいた八人目のサーヴァント……まあ、二人の会話や本気での殺し合いから察するに、無関係なんでしょうけど……それでも! 遠坂として聖杯戦争に紛れ込んだ異分子は見過ごせないわ!」
「私はイリヤのサーヴァントになるって約束で参戦してる。ほら、外来の魔術師が傭兵としてマスターに雇われた扱いでいいだろ」
そう言って、妹紅はイリヤの肩を抱いた。
あまり会話に参加せず、ぼんやりとしているイリヤだが、会話はちゃんと聞いているらしい。
サーヴァントだという宣言に合わせて自慢気にほほ笑んでいた。
しかし、妹紅ののらりくらりとした態度は凛を苛立たせる。
聖杯戦争の裏を探るため、今は協力が必要だというのに。
なのでちょっとやり返してやろうと、挑発的な笑みを浮かべる。
「フフン、まあ私には貴女の正体、もう分かってるんだけどね」
「――何?」
「士郎から聞いてるわ。以前、ここに来たイリヤに竹取物語を読んで上げたんですってね。ギルガメッシュも不老不死の薬だとか言ってたし、妹紅ってのも本名じゃないんでしょう? となれば答えはひとつ――」
ビシッと、凛は妹紅を指さした。
そして自信たっぷりに――告げる。
「なよ竹のかぐや姫! それがあんたの真名ビボォッ!?」
早業のように妹紅も人差し指を凛に突きつけ、その顔面に弱い魔力弾を撃ち込んでいた。
ちょっとした事で敵対し、今すぐにでも殺し合う危険性がある遠坂組とアインツベルン組。
今がまさにその時か!?
「ッ――何すんのよ、この馬鹿!」
「誰が
「かぐや姫以外のなんだっていうのよ! ――まさか竹取の"お婆さん"が薬で若返ったとか!?」
「どうしてそう気色悪い発想しかできないんだお前は! イリヤは的確に見抜いてきたのに、節穴か遠坂凛!!」
「それじゃあどこの誰だって言うのよ!」
妹紅と凛はほぼ同時に立ち上がると、ちゃぶ台をぐるりと回って歩み寄り、取っ組み合いを始めた。さすがに室内で炎や宝石を放つほど短慮ではなかったし、殴ったり蹴ったりもはしなかったけれど、おでこをつついたり、ほっぺをつねったり、肩を押したり、なんとも子供じみた喧嘩が開始される。
いつしか、妹紅は右手で凛の左手首を力いっぱい握りしめ、凛は左手で妹紅の右手を力いっぱい握りしめる形で向かい合っていた。
お互いありったけの握力を込め、歯を食いしばって睨み合っている。
よくよく見れば、凛の手には魔力が込められていた。魔術で身体強化して張り合っているのだ。なんと大人げない。
しかし妹紅も妹紅で妖術で身体能力を上昇させ――プルプルと震えていた。
筋肉痛がつらいのだ。
力めば力むほど震えてしまうのだ。
「クッ――意外とやる。さては着痩せするタイプだな?」
「はあ? いきなりナニ言い出してんのよ、アンタ」
スレンダー美人として評判の凛は、逆説的に胸が控え目であるのを自覚していた。
だというのに着痩せなどと、実は脱いだら凄い的な言葉は皮肉にしか聞こえない。
だが妹紅は好敵手と認めて称賛を浴びせる。
「腕が太い。寝る前に腕立て伏せをしていると見た」
「うぐっ……べ、別にいいでしょ! 今時の魔術師は格闘技も必須科目なのよ!」
称賛は乙女的観点で見るとハートが傷つく結果をもたらしてしまった。
毎日腕立て伏せしているのは事実であった。
「そういうアンタこそ、この細腕のどこにそんなパワーがあるのよ……!」
「生憎、身体は弱くてな。動くとすぐダメージを負ってしまうんだ」
「不死身にかまけて無茶ばかりしてるせいでしょうが!」
人間は普段、三割ほどの身体能力しか使わないと言われたりもする。
だが残り七割をフルに活用した場合、筋肉組織はその負荷に耐えられず破壊されてしまう。命の危機に瀕した際に火事場の馬鹿力として偶発的に発揮するならともかく、意図的に常用するものではない。
常用するなら二千年の歴史を持つ伝説の暗殺拳とか身につけてからにした方がいい。
しかし妹紅は不死にかまけて無茶できてしまうのだ。あまり身体によろしくない。
筋肉痛もそろそろ限界だ。
そこで妹紅は凛の左手を解放しつつ、全身を使いつつ左手首を捻って脱出。凛は思わぬ行動にバランスを崩して倒れ込んだ。
「ひあっ!?」
「うおっ!?」
互いの額がゴッチン! 目頭に火花を散らしながら、二人は畳に倒れ込んでゴロゴロ転がる。
結果は相討ち。凛は涙目になりながらプルプルと震え、妹紅は呆けた顔で機能停止していた。
ここでイリヤも知らない秘密情報を公開しよう!
妹紅は頭突きをすると――――動きを止める。
額を殴るとか、額に物をぶつけるとかでは効果がない。
しっかり額と額をゴッツンさせると本能的に大人しくなるのだ。
悪さをした相手に頭突きでお仕置きする友人が幻想郷にいるせいで、妹紅も幾度かのお仕置きを受けた結果、そのように躾けられてしまったのだ。
凛の痛みが許容範囲に収まるのと、妹紅が機能回復したのもほぼ同時で、お互いなんだかよく分からないが痛み分け状態になったとは理解した。
「フッ……やるじゃない、妹紅」
「お前もな、凛」
なぜかライバルめいた拳の友情が誕生。
そんな光景を見て、士郎もセイバーも頭を抱える。
しばらく休戦するんだから、二人とももっと身体を労ってもらいたい。
根が単純なのだろう。部屋の外から見守っていたアーチャーも呆れ顔でため息をひとつ。
随分と人の良い少女が、アヴェンジャーを演じていたものだ。
外の世界の女子高生としのぎを削って友情が芽生える程度の能力。
菫子ちゃん、この頃は小学校低学年くらい?