イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第33話 遠坂フォーオブアカインド

 

 

 

「――さて。もうひとつの怪しい点、ランサー組よ」

 

 気を取り直して。

 衛宮邸の居間にて、元の席に戻った妹紅と凛。

 なお、その間に小休止のお茶を士郎が入れておいてくれた。イリヤにはこんな事もあろうかと用意しておいたオレンジジュースだ。もちろんストロー付き。

 ランサーの名前を出されて、さっそく妹紅が抗議する。

 

「あいつら、戦術は考えても暗躍はしないだろ」

「そうね……ランサーとは1回戦ったけど、好戦的で誇り高いサーヴァントだった」

「ランサーとは4回会ってるけど、まあ、そうだな」

「なら、もっと率先して仕掛けて来そうなものなのに消極的すぎると思わない?」

 

 言われてみればその通りだ。妹紅はお茶をすすりながら思案した。

 ランサーは好戦的だが、マスターには忠実であり、サーヴァントとしては理想的なタイプだ。

 バゼットともろくに言葉を交わしてはいないが、サーヴァントの戦いに乱入して殴りつけるような女が、こうも大人しくなるものだろうか。

 全然見かけないから、てっきり喧嘩でもしたのかと思っていたが――。

 

「いや。何か事情があるにしても、あいつらは妙な企みはしない」

 

 真っ向から否定する。それには凛もうなずいた。

 

「私もそう思う。でも、実際ここまで動向不明なのって怪しいのよ。まさかもうギルガメッシュにやられたなんて可能性も――」

「それはないわ」

 

 イリヤが口を挟む。

 オレンジジュースに口をつけず、しかし橙色を眠たそうに見つめながら。

 

「……ランサーは、まだ無事よ。倒れたサーヴァントは、ギルガメッシュを入れて、四騎」

「なんで分かるんだ?」

 

 当然の疑問を訊ねたのは士郎だった。

 彼とてランサーには一度心臓を貫かれており、因縁浅からぬ関係だ。ゲイ・ボルクの脅威性も理解しており、できるなら戦いたくない。

 しばし、一同はイリヤからの答えを待った。

 しかし、一向にイリヤは語ろうとせず、ストローに口をつける。

 ストローの半ばほどまでオレンジ色がせり上がるもそこで止まり、コップの中へ戻っていってしまった。

 

「まあともかく」

 

 妹紅も不思議には思っていたが、イリヤが居心地悪そうにしているなと察して話を切り替える。

 

「休戦して色々調べようっていうなら、ランサー達とも話した方がいいな。今夜にでも捜しに行ってみるよ。わざとらしく空を飛び回ってれば気づくだろ」

「……一般人から見えないよう、視線避けの魔術かけさせてもらうわよ」

 

 神秘の秘匿は魔術師の義務である。

 冬木のセカンドオーナーとして見過ごせず凛は協力を申し出た。

 

「で、他に怪しいのと言ったら御三家最後の一角……間桐」

「マキリも違うだろ」

 

 またもや妹紅が口を挟む。

 

「マキリは今回の聖杯戦争をあきらめてる。そもそも、ギルガメッシュなんてのを抱き込んでたなら立ち回りようなんて他にもっと色々あったろ」

「……それはそうなんだけどね。はぁっ。分からない事だらけで何から手をつければいいやら。とりあえず、あいつに報告しないとなー……」

「報告? ……ああ、監督の神父さんか」

「私とアーチャーで行ってくるから、士郎とセイバーはこいつら見張ってて」

 

 そう言って凛は立ち上がる。

 拳を交え、認め合ったとはいえ、敵は敵。その線引きはしっかりしているようだ。

 ――しかし、その士郎とセイバーもいずれ敵同士に戻る間柄である。

 できてるのか? 線引き。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 新都、冬木教会。

 アーチャーを門前に残して凛が礼拝堂に入ると、待っていたかのように言峰綺礼が立っていた。

 

「おや、そちらから会いに来るとは珍しい。……何かあったのかね?」

「実は昨日――」

 

 第四次聖杯戦争のアーチャー、英雄王ギルガメッシュに襲われた事。

 なぜか間桐慎二がマスターになって、いいように使われていた事。

 アインツベルン城にてバーサーカーとアヴェンジャーが討ち取った事を伝える。

 

「……それは確かなのかね?」

「ええ。さすがの英雄王も、アヴェンジャーみたいな復活はできないみたいね」

 

 一応、アヴェンジャーの正体は伏せておく。

 元々サーヴァントではないと見抜いていたようだし、問題ないだろう。

 

「それで、アインツベルンのマスターとサーヴァントは……」

「"うち"で預かってるわ。うまく言えないけど、迂闊に聖杯戦争を進めるのも危険な気がするのよね。しばらく休戦するつもり」

「……無事なのだな?」

「ええ。ちょっと具合を悪くしてるけど……」

 

 それを聞き、言峰は慈悲を与えるかのようにほほ笑む。

 

「そうか……よければ教会に連れてきなさい。傷つき倒れた者を治療するのは教会の責務だ」

「……? イリヤはマスターよ。脱落後ならともかく、中立のあんたが肩入れしちゃダメでしょ」

「イレギュラーが発生し、聖杯戦争を休止して調査するとなれば配慮はするさ」

 

 いやに親切だ。

 子供好きって訳ではないのは、実体験として知っている。

 第四次聖杯戦争で父を失って以後、言峰綺礼は後見人として、または師匠として凛の面倒を見てきた。

 だから、こいつがどんなにいけ好かない神父かよく分かっているのだ。

 だから、喉に魚の骨が引っかかったような小さな違和感を覚えてしまう。

 

「別にそう騒ぐほどの事じゃないし、ほっといていいわ。それより――ランサーのマスター、どうしてる? 会わせろとまでは言わないけど、あんたから今回の件を連絡してもらいたいんだけど」

「……すまないが、それはできない」

「なんでよ? あいつらが休戦に乗る乗らないはともかく、ギルガメッシュの事を教えとくくらい別に――」

「そうではない。ランサーの()()()とは連絡がつかないのだ。もう、だいぶ前からな」

 

 教会が中立とはいえ、わざわざどこに潜伏しているか伝える義務はない。

 情報なんてどこから漏れるか分からないのだから。

 

 結局、ろくな新情報も得られないまま凛は教会を後にした。

 情報は伝えたのだ。今後なにか分かる事があるかもしれない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 話し合いを終え凛が出かけて以降、イリヤは座卓に上半身を寝そべらせてぼんやりとしていた。

 まるで時間が止まってしまったかのように、じっとしている。

 

 今まで数多の命を置いてきぼりにしてきた紅白の少女は、ふいに、自分こそがすべての命に置いてきぼりにされていたのではないかと思い至った。

 故に、居間で茶をすすっていた妹紅は、深々とため息をつく。

 

 同じようにセイバーも思い悩んでいた。

 自分の事情、聖杯に託す願いはすでに士郎に伝えてある。

 しかしそれを理解される事はなく、むしろ真っ向から否定されてしまった。

 そのせいで口論に発展したところでギルガメッシュと遭遇したため、有耶無耶になってしまったが――昨日は戦いや、倒れたイリヤと妹紅や、バーサーカーの見張りやで、さらに有耶無耶を積み重ねてしまったが。

 キッチンで昼食の支度をしている士郎の背中を眺めると、どうにも気が沈んでしまう。

 故に、居間で茶を飲んでいたセイバーは、深々とため息をつく。

 

 妹紅とセイバーのため息が完璧なタイミングで重なった。

 そのせいで互いに視線を交えてしまい、妙な空気が流れる。

 

「……ところで、妹紅は不老不死の、生身の人間なのですよね?」

「ん、そうだけど」

「正体を詮索するつもりはありませんが、何年ほど生きているのですか?」

「してるだろ、詮索」

「いえ、すみません。本当にそういうつもりはないのです。ただ、てっきり佐々木小次郎の年代の人物と思って調べていたもので気になってしまって……」

 

 今ならイリヤスフィールの言った通り、アヴェンジャーの正体探しはまったくの徒労だったと分かる。――こういった事でイリヤは嘘をつかないだろうと判断して調査をやめてよかった。

 なお佐々木小次郎は四百年近くも昔。

 それだけでも途方もないのに、英雄王との口論を鑑みればもっと古い存在だろう。かぐや姫でないにしても竹取物語に関わる人物なら――。

 

「1300年くらい」

 

 あっさりと答えられ、セイバーはギョッとする。

 なるほど、竹取物語の舞台となった年代がおおよそ、それくらいだったはずだ。

 そして、セイバーがサーヴァントとして召喚される前の時代――カムランの戦いは"今"からおよそ1500年近く"昔"になる。

 差は200年程度。

 すごく近い年代のような気もすれば、遠くかけ離れているようにも思えてしまう。

 英霊として時を越えて召喚されている身とはいえ、セイバーが生きた時間は三十数年にすぎないものだ。1300年の人生など――とてもじゃないが想像できない。

 

 ――エクスカリバーは所有者の成長を止める。だがそれは肉体の話だ、精神は不老にならない。

 では、妹紅が飲んだ薬というのはどうなのだろうか?

 歪みを抱えてはいる。しかし朽ちず、狂わず、人間としての精神を保っている。

 それが薬の力だったとしても、個人の資質や情念によるものだとしても。

 人の心のままそんな時間を生きるというのは、もはや呪いでしかない。

 

 そう思い至ったが故に、セイバーの驚愕たるや筆舌に尽くしがたいものだった。

 キッチンの方でビックリして振り返っている士郎など、ただ年数に面食らっているだけだろう。

 妹紅は特に気にもせず茶をすすっている。

 セイバーも茶を一口飲み、気持ちを立て直す。

 

「そうですか、1300年……いったい何を思って歩んできたのか、想像もつきません」

「別に普通だよ。荒れたり、無気力になったり、世の中を恨んだり呪ったり……普通の人間が普通に思う事ばかりさ」

「普通……」

「高潔な騎士王様には無縁な話か?」

 

 無縁――そうなのだろうか。

 セイバーは聖剣を手にしたその時から、人の心を捨てた。

 民を守るために、守りたいという気持ちを捨てねばならなかった。

 効率よく国を治めたと思う。

 不貞、裏切り、民の死、仲間の死――そういったものにも冷静に応じ、荒れる事も、無気力になる事も、恨む事も、呪う事も、なかった。

 ただ、理想の王で在り続ける。それだけでよかったのに。

 

 料理を再開している士郎の背中を見る。

 恨んでも、呪ってもいないが――荒れたり、無気力にはなったかもしれない。彼なら、彼だからこそ、セイバーの抱える願いを理解してくれるものと思っていたから。

 彼の前では王ではなくなる。騎士ではなくなる。

 あの日、置き去りにした――少女の気持ちが蘇ってくる。

 そうなってしまう理由は、きっと。

 

「妹紅、ちょっと来てくれないか?」

 

 士郎が意外な人物を呼ぶ。

 なんだ、と思いながらも妹紅は筋肉痛の身でキッチンへ向かった。

 セイバーの思索は途切れ、無気力な気分になってお茶を飲む。

 なんだか、妙に苦かった。

 

 妹紅はというと、士郎の用意した食材を眺めながら幾つかを指差していた。

 

「これと、これ……こいつも多分ダメ」

「そうか。まあ、梅干しなんかは嫌がるだろうなとは思ってたけど」

「つか、そっちの山盛りの食材はなんだ?」

「えっ、バーサーカーの分だけど……」

「サーヴァントには食事なんて必要ないんだから、仲間外れにしない程度でいいって。城でも私達と同じ一人分で満足してたし」

「あー、じゃあこっちのは夕食に回すか……」

「梅干しまで片づけるな。イリヤは食べないが私は食べる」

 

 梅干し……セイバーも初めて口にした時は面食らったが、行軍中の兵糧に比べればどうという事もない。しかし、上品なイリヤの口には合わないかもしれない。

 

 ――打ち合わせもなく裏切った振りさえして、もしかしたら真意が伝わらず決別していたかもしれないのに、それでもとイリヤのために身体を張った妹紅。

 不死身ゆえに己が身をまったく惜しんでいないという理由もあるのだろうが、ああ、やはり彼女がイリヤを想う気持ちは本物なのだなとセイバーは感じ入った。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 昼食の準備が完了した頃、教会への報告を終えた遠坂凛が帰ってきた。

 疲れた、ガッツリ食べたい、という凛のリクエストではあったが、本日のメインはだし茶漬け。明らかに食欲不振のイリヤを気遣ったメニューとなれば誰も文句は言えない。

 それはそれとしてセイバーや凛のため、ガッツリとしたオカズも用意してある。肉とか魚とか。なので文句を言う必要もない。

 今回はバーサーカーの分もちゃんとある。

 文句のつけようのない昼食に、イリヤは満足気にほほ笑んでスプーンを取った。

 その手つきは、やはりどこか頼りない。

 

「ん……あったかい」

 

 あっさり風味の丁寧な味つけだけでなく、食べやすいようだし汁の温度も調整してある。

 そういった気配りを受けながら一口、また一口とだし茶漬けを食べていく。

 妹紅もご満悦の表情で堪能する。

 

「うん、美味い。日本人は米と味噌汁があれば永久機関になれるが、これなら単品で永久機関だ」

 

 第三魔法の魂で永久機関が実現可能なのだが、こんなところにあっさり魔法レベルの代物が存在していた。世界は単純だ。

 セイバーと凛も美味しそうに食べている。オカズもモリモリ食べている。

 妹紅もオカズに手を出しつつ、チラチラとイリヤの様子を見守った。

 朝より食べるペースが早い。

 単に、朝はまだ疲れが抜け切ってなかっただけで、食欲は回復しているようだ。

 あまり心配しなくていいのかもしれない。すぐ元気になるはず。

 そんな期待を肯定するように、イリヤは茶碗一杯分のだし茶漬けを食べ切った。

 無論、普段の食事量に比べれば少ない。オカズには一口も手をつけなかった。

 それでも、よくなるはずだ。

 悪くなる理由なんて思いつかないのだから――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 昼食後。凛がイリヤを診察するというので、妹紅が立ち会った。

 休戦中によからぬ事を企むタイプには見えないが、それでも休戦は休戦でしかない。

 

「検査で分かった事は包み隠さず話せ。これを飲めないなら、休戦中だろうが背中に気をつける事になるぜ」

「飲むわ。でも、望まない結果が出ても癇癪起こさないでよね」

 

 そのような契約を経て、凛はイリヤの服を脱がして色々と検査を始める。

 どういう意図で何をしているのか妹紅には分からない。しかし凛の表情は真剣そのもので、ある種の信頼を置けるものだった。――感心したように彼女は呟く。

 

「これは、凄い身体ね……。イリヤ、幾つか質問させてもらうわよ」

 

 イリヤも抵抗する気はないのか大人しく従っていたが、体調に関わる質問をされた際には幾つかをはぐらかしていた。

 その結果、凛は魔術師らしい冷たい表情で語る。

 

「神経の大半が魔術回路に置き換えられてる。それも外科的に。これなら、ヘラクレスをバーサーカーとして現界させられるはずだわ……」

「神経って、大丈夫なのか?」

 

 妹紅が訊ねる。

 イリヤが嫌そうな顔をしたが、凛は構わず答えた。

 

「……これじゃ、満足に走る事もできないでしょうね」

 

 言われてみればイリヤが走る姿など、昨日、ギルガメッシュを打倒した妹紅とバーサーカーに駆け寄ってきたあの時くらいだ。

 アハト爺から肉体改造を施され、魔力を強化している事は聞いていた。だが。

 

「――セラめ。こんなの聞いてないぞ」

 

 こんなハンデをずっと抱えて生きてきたなんて。

 苛立ちをあらわにする妹紅を、イリヤが冷たく睨む。

 

「安い同情なんて要らないわ。聖杯を手に入れるため、不要な機能は捨てても構わない。それに、こんな身体だからこそ――バーサーカーと一緒にいられたんだもの」

「しかし、何だって急に体調を崩した。倒れる前……妙な事を言ってたよな? "大きすぎる"とかどうとか」

「……負担が、大きすぎただけよ。もういいでしょ。休ませて。モコウは、手、握ってて」

 

 現状ではこれ以上の検査と治療は難しいのもあって、凛はすんなりと退室した。

 小難しい顔をしながら妹紅は小さな主の手を握り、そのか弱さに胸を痛める。イリヤは、こんなに弱々しい存在だったか……?

 

「モコウ」

「ん……なに?」

「リン達は、十二の試練(ゴッド・ハンド)が回復するのを知らない。だから侮ってるのよ」

 

 妹紅は意外そうに目を見開いて、まばたきをした。

 手を握ってろなんて殊勝な事を言っといて、内緒話がお目当てか。

 小賢しいけど可愛いなと苦笑してしまう。

 

「……つまり、休戦にかこつけて態勢を整えようって? ハハッ、策士だな」

「聖杯戦争の裏にいるナニカが気になるのは、わたしも同感。だから、それを調べるついでみたいなものよ」

「……聖杯戦争、もし続けてマズイようならどうする? やめるか?」

「……そうね、どうしようかな」

 

 答えをはぐらかして、イリヤは目を閉じた。

 診察、検査の疲れだろうか。あっという間に眠りに落ちてしまう。

 寝息は、意識しなければ気づけないほど浅い。

 

「セラ、リズ……」

 

 あの二人なら、イリヤがこんな有り様になった理由が分かるのだろうか。

 イリヤを元気にする事ができるのだろうか。

 せめて二人がどうなったのか、ちゃんと聞き出したいところだが、今のイリヤにそれをするのは酷かもしれない。

 妹紅は律儀に手を握り続けた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎とセイバーが買い出しから戻ってきたのを機に、妹紅はキッチンへ向かって夕食の支度を手伝った。居候させてもらう以上これくらいの事はしないと気がすまない。

 昼食時、イリヤの食欲も回復していた事だし、精のつくものを食べさせようと士郎は張り切る。

 食べられないようならセイバーなりバーサーカーなりに回せばいいのだし。

 

 凛はイリヤの診察後すぐ出かけており、夕食前に大荷物を持って帰ってきた。

 この荷物はなんなのかと士郎は説明を求めるも、凛はお腹が空いたからと後回しにしてしまう。

 妹紅はイリヤを呼びに客室へ向かい、また、イリヤを抱きかかえて戻ってきた。

 ――歩くのさえ億劫なほど弱っている。

 そう周りに気づかれながらも、イリヤは平然と知らんぷりしている。

 そして、食卓に並んだ料理に瞳を輝かせた。

 

「わあ、美味しそう――これ、ハンブルグ?」

「ああ。ハンバーグを作ってみたんだ」

 

 和食を得意とする士郎だが、ハンバーグ作りの手際は非常に慣れたものだった。

 さっそく、イリヤの隣に座った妹紅がナイフとフォークでハンバーグを切り分ける。

 

「子供じゃないんだから、一人で食べられるわよ」

 

 なんて言いつつも、イリヤは震える手でフォーク一本握るのがやっとだった。

 だから妹紅は、イリヤの口までハンバーグをわざわざ運んでやる。自分も筋肉痛でつらいのに。

 

「んっ……」

 

 噛む間でもなくハンバーグは口の中で解れ、肉の甘みがいっぱいに広がる。

 精のつく肉料理を食べやすいようにという配慮が、あたたかみとなって沁み込んでいるようだ。

 イリヤはすっかりご機嫌になって二口目を催促した。

 一口ずつ、一口ずつ、運ばれてくるハンバーグを堪能する。

 合間に白いご飯も何口か食べ、味噌汁にも口をつけたが――。

 

「このお味噌汁、モコウでしょ」

「なんで分かるんだ。士郎の指示通りに作ってみたのに」

 

 お城にいた頃は美味しい美味しいと味噌汁を飲んでくれたのに、士郎の味噌汁を覚えた途端、小姑みたいになってしまった。

 妹紅はわざとらしく、それはもうわざとらしく嘆きながら、みずからの味噌汁を飲む。

 

 そんなこんなでハンバーグは完食。ご飯と味噌汁は半分残してしまったが、結果は上々だ。

 セイバーと凛もご満悦。

 中庭からバーサーカーの皿を持ち帰ってきた妹紅は、物のついでにと食卓の食器も集める。

 

「皿洗いは私がやるよ」

「じゃあ俺は食後のお茶でも」

 

 妹紅は居候らしく仕事を肩代わりしようとしたが、なぜか士郎は他の仕事を申し出る。

 生真面目な働き者だ。

 妹紅は感心したので、コーヒーをリクエストした。士郎が笑って了承したので、やっぱりお茶でいいと言い直した。

 生真面目な働き者にも程がある。

 そんなやり取りを微笑ましく見守りながら、イリヤは何気ない称賛の言葉を送った。

 

「シロウって、和食だけじゃなく洋食も得意なのね。驚いちゃった」

「まあ、それなりに作れる自信はあるけど――」

 

 お茶の準備をしながら、士郎はチラリとイリヤを見やる。

 

「ハンバーグを、好きな人がいたんだ」

「……そう」

 

 誰が、という質問をイリヤはしなかった。

 急に流れた不穏な空気を察し、妹紅とセイバーも、ハンバーグを好きだったのが誰か察してしまう。凛は我関せずといった態度だ。

 だからだろう、話題をそらすのに都合がいい相手としてイリヤの目に映った。

 

「ところで、リンの後ろに置いてある鞄は何?」

「ああこれ? イリヤの治療や検査に使う道具一式、及び、着替えよ」

 

 話題をそらすのに使わなきゃよかったと、イリヤの唇が"へ"の字に歪む。

 ところが皿洗いをしている妹紅はそれに気づけない。

 

「着替えか――そういえば着の身着のままで出てきちゃったからな、助かるよ」

「女の子が着たきり雀じゃ可哀想だし、病人が着替えないってのも不衛生でしょ」

「凛。私の着替えもあるの?」

「あっ。妹紅の分、忘れてた」

「……まー、別にいーけど……」

 

 明らかに不貞腐れる妹紅。

 リザレクションで服ごと再生すればある程度の汚れは落ちるが、あくまである程度だ。

 なお、凛は悪びれた様子もなく、むしろ愉しげに笑っている。

 

「まあまあ。私の服でよければ貸して上げるから」

「そんな短いの、はけないよ」

 

 凛のスカートは短い。太ももが丸見えで、ちょっと屈めば下着も見える。

 しかし飛んだり跳ねたりしてもなかなか下着が見えないのはなぜだろう? 魔術で保護しているのかもしれない。

 

「あら、じゃあその一張羅のまま生活する?」

「借ります」

 

 こうして――。

 凛の服を借りたセイバー。

 凛の服を借りたイリヤ。

 凛の服を借りる妹紅。

 という謎の布陣が誕生するのだった。

 

 衛宮邸に住まう女子、すべからく凛の服を着るべし。

 遠坂凛がフォーオブアカインド!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――イリヤがまともに動けない。

 そんな事情を今日一日でたっぷり思い知らされた妹紅。自然、サーヴァントである自分が介護役になる。

 急に倒れて、目覚めたらろくに歩く事もできず、箸も持てない――その変貌振りは激しい不安をもたらしたが、士郎の前で意地を張っているイリヤを見ると、こちらも大騒ぎなんてできない。

 

 着替えとして凛のパジャマを脱衣所に持ち込み、白い裸身をさらした二人はその長い髪も丁寧に結い上げ、ガラス戸を開ける。

 脚を伸ばせばいっぱいになってしまう狭いお風呂を見て、イリヤは呆然となってしまった。これに入るのか。

 しかし妹紅は感慨深い笑みを漏らす。

 

「ほほー、檜風呂。いいじゃないか。衛宮んち来てから和の心が蘇る」

 

 妹紅はお構いなしにイリヤを風呂椅子に座らせ、湯をかけてやる。

 白雪のような肌がほんのり赤みをさすのを見て、妹紅はわずかに安堵した。

 

「泡だらけにしてやる」

 

 なんて言いながら、妹紅はイリヤの全身をくまなくボディソープまみれにした。優しく撫で回してやれば泡がもこもこ湧き出してくる。小さなイリヤはあっという間に泡だらけ。

 再び湯で流してやればほら、綺麗さっぱりお肌スベスベちゃん。

 

「なあ。風呂に入ったら身体を支えられず沈んでくとか、そういうのやめてくれよ」

「そこまで弱ってないわよ……」

 

 自力で風呂桶に入れず、妹紅に持ち上げてもらってようやく、湯船に身を浸すイリヤ。

 全身がポカポカあたたまっていくが、やはり狭い。小柄な自分でこうなら、士郎はいったいどうしているのかと本気で疑問に思っている。

 その間に妹紅も身体を手早く洗い始める。リラックスしたいのが本音だが、介護相手がいるならそうもいかない。

 全身を泡に包んで、もこもこもこたん、もっこもこ。

 ザバッと流して、はいおしまい!

 さあ自分も温まろうとしたところ、イリヤがジロジロと見ているのに気づいた。

 

「……モコウの身体って、キレイよね」

「あー?」

「傷ひとつない、キレイな身体……あんなに血まみれになって、いっぱい死んだのに」

「まあ、髪の毛一本からでも再生できるからなぁ……」

 

 まあ、髪の毛一本すら必要ないけれども。

 イリヤを端に寄せて、妹紅も身体を湯に浸す。

 少女とはいえ二人分の質量を収めたお湯が、幾らかあふれ出た。

 

「はー。筋肉がほぐれていくぅ……」

「……筋肉痛、大丈夫?」

「明日には治ってる。適当に温まったら、頭も洗うからな」

 

 湯船に髪が浸らないよう結い上げている二人だが、イリヤの髪は腰に届かない程度の長さなのでたいしたボリュームではない。だが、妹紅は足首まで届かんばかりのすごい長髪だ。

 それはもう頭の上が山盛りのてんこ盛りになっており、どうやってバランスを取っているのか謎なレベルである。時折向けられるイリヤの視線も半ば呆れている。

 これを洗うとなると相当な時間がかかりそうだ。

 

「モコウって、幻想郷ではお風呂、どうしてるの?」

「川の水を汲んで沸かす。火には困らないから楽なもんさ」

「原始的……」

「贅沢したい時は温泉だな」

「おんせん」

「そうだ。舌切雀の話、覚えてる?」

「あー、あの悪趣味な……」

 

 雀のお宿に招かれて、大きな箱と小さな箱のどちらかをお土産として選ぶ話だ。――箱の名前は何だったか。ツララ? ツヅラ? ツツウラウラ? よく覚えていない。

 正直爺さんは遠慮して小さな箱を選んだら、中からお宝ザックザク。

 後日やってきた意地悪婆さんは欲張って大きな箱を選んだら、中からモンスターとゴーストが湧き出てさあ大変。そんな分かりやすい教訓話。

 

「アレにも出てくる雀のお宿っていうのが、私の暮らしてる竹林にもあってな。たまにそこで命の洗濯してるんだ。竹林の連中には顔が利くから安くすむし」

「意外と文化的なところもあるのね」

「温泉はいいぞ。風情がある。露天風呂で風景を楽しみながら飲む酒ときたら……」

「モコウなら、酔っ払って溺れ死んでも安心ね」

「ぎくっ」

 

 温泉で泥酔し溺死した過去を疑いようもなく見抜かれた。

 イリヤは乾いた笑みをこぼす。

 

「……モコウ? ここで溺れられても、わたし、助けられないから」

「溺れないよう……」

 

 その後、髪も洗った。

 アインツベルンのシャンプーに比べ質がとても悪かったが、妹紅はそんなの気にしない。

 

「……お兄ちゃんと、同じ匂い……か……」

 

 イリヤも満更ではなかったようだ。

 なお、妹紅の異様に長い髪を洗うため衛宮家のシャンプーは多大な消費を強いられた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅のパジャマは、凛が現在進行系で使っていた予備パジャマを回してもらったものだ。

 サイズが大きくダボダボしてしまっているが、なかなかあたたかい。

 一方、イリヤのパジャマはサイズ的不都合はない。

 子供の頃に使っていたパジャマが残っていたため持ってきたそうだ。

 物持ちがいいというか、貧乏性というか。

 

 士郎と凛は、まだ話し合いとか、修行とか、パトロールとか、やる事があるらしい。

 妹紅もランサー探しに街を飛び回ろうかという考えはあったが、今日のところはイリヤが心配なので、早めに就寝と相成った。

 

「聖杯戦争中なのに、こんなに早く寝ちゃっていーのかな?」

 

 今までは敵を狙って街を徘徊したり、城で待ち構えたりしていたが、今夜はバーサーカーに見張りを任せて、良い子が寝る時間にもう布団に入っている。

 ――もちろん、同じ布団で身を寄せ合いながら。

 

「……モコウ。お伽噺」

「あいよ」

 

 さて、今夜は何を語って聞かせよう……。

 なんとなく鶴の恩返しを語り聞かせると、イリヤの指が妹紅の指へと絡んできた。

 最後まで語り終えると指の力が抜け、浅い寝息を立て始める。

 妹紅はチラリと障子戸を見た。

 生憎、鶴の影は見当たらないが――大きな大きな人影がすぐ外で番をしてくれている。

 中庭ならともかく、部屋の手前は道場に挟まれた通路だ。狭くて居心地が悪いだろうに。

 しかし安心して眠れる。

 二人のサーヴァントが見守る中、小さなマスターは眠る。

 

 前日の騒動が嘘のように、その夜はとても静かで、安らかなものだった。

 

 

 




 平和な日常。――嵐の前の静けさとも言う。

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