イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

37 / 57
第34話 星降る夜に雪は降らず

 

 

 

 翌朝――イリヤは凛のお古に着替えた。それは白いブラウスであり、青いスカートであり、セイバーが着ているものとまったく同じデザインだった。サイズが小さいだけだった。

 そんなイリヤとセイバーが一緒にいると、まるで姉妹のように見えるから不思議だ。

 なお、白髪(はくはつ)紅眼で身体的カラーリングが似ていて姉妹に見える妹紅は、黄色いヒラヒラのパジャマ姿のまま朝食の席に現れた。少々行儀が悪い。

 

 朝食はイリヤを気遣ってお雑炊だった。食べやすいし、野菜と卵が入っていて栄養もバッチリ。肉も食べやすいよう小さく切ってある。

 丁寧に、丁寧に煮込んだお雑炊。一番たっぷり入っているのは、誰がどう見たって"真心"だ。

 イリヤは嬉しそうに食べて、うっとりと頬をほころばせる。

 だがそれは最初の数口だけで、途中からは疲れを押してがんばって食べているという風だった。

 結局半分も食べられないまま、首を振って食事を終える。

 妹紅も手早く食事をすませると、食卓の食器を片づけるのを手伝いながら不躾に言い出した。

 

「士郎。悪いけど服と金を貸してくれるか? いや、金は返せないんだが」

「服なら遠坂から借りるんじゃなかったか?」

「今日一日だけいいんだ。いや半日でもいい」

「なんでさ」

「あー、スカート、はけないんだ」

 

 確かに凛のスカートは短いが、妹紅にそういった恥じらいがあるというのは意外だった。

 食卓で一服している凛が意地悪な笑みを浮かべる。

 

「ははーん。飛んだり蹴ったりするから、下着が見えちゃう訳か。可愛いトコあるじゃない」

「見えないから困るんじゃないか」

 

 ……見えない? 凛は一瞬当惑するも、すぐさま答えにたどり着いてハッとする。

 士郎もどういう意味だといぶかしげに妹紅を見て、気づいてしまう。

 パジャマ越しにかろうじて分かる。

 

 胸元の、先端の、不自然なしわに。

 

 その意味を理解し、先程の発言の意味も理解したので、思わず皿を落としかける。

 イリヤは事情を知っているのでムッと唇を歪めた。セイバーは首を傾げるのみ。

 凛は疲れた様子で頭を抱えた。

 

「そうだった……あんたの分は用意してないんだった……」

 

 下着は、セイバーの時はちゃんと新品を用意したのだ。

 イリヤの着ている古着はサイズに合うものが家にあったから引っ張り出してこれたが、さすがにサイズの合う下着までは残っていなかったため、わざわざ買ってきたのだ。

 無論、乙女の心情的として下着を使い回すのに抵抗もあった。

 

 ――妹紅の着替えは完全に失念しており、仕方ないから服とパジャマを貸しはしたものの、下着に関しては依然忘れっぱなしだった。

 まあ、替えが一枚もないこの状況なら、貸すのもやぶさかではない。

 だが凛はセイバーより5センチ背が高く、スリーサイズはすべて4センチ大きい。

 その程度の誤差なら下着の使い回しも可能だろう。

 しかし妹紅はセイバーよりさらに小柄だ。

 さすがに凛のもので代用しては大きすぎる。

 スカート装備で下着がずり落ちたら目も当てられない。

 

「まあ、こちとら生身とはいえサーヴァントの身の上。我慢しろって言うなら我慢するけど」

「はぁ……お金なら私が出して上げるわよ。後で買いに行きましょう。ついでに一仕事手伝ってもらえる?」

「内容による。――士郎。おい、士郎」

 

 赤面フリーズしている士郎に声をかけると、慌てて顔をそむけた。

 

「あ、ああその、ごめん、俺……」

「服、借りていい?」

「も、もちろん」

「ありがとう。それで、私が留守にする以上イリヤを頼めるのは旦那と士郎だけだ。頼んだぞ」

 

 何もセイバーと遠坂の前で言わなくてもと士郎は思う。

 ほら、セイバーも難しい顔をしてイリヤをチラチラ見てしまっている。

 ああ。ただでさえイリヤが不調なのに、士郎の心労も溜まっていく。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――道場。昨日はできなかったセイバーとの特訓を再開する。

 短い竹刀を選んでの二刀。干将莫耶の投影を想定しての戦い。

 素早く、鋭く踏み込んで、しかし、セイバーの竹刀は踊るように双刀を跳ね返す。

 何度やっても届かない。何度挑んでも届かない。

 最優サーヴァントと半人前魔術師の歴然たる差を見せつけられながら、セイバーの加減した殴打が士郎の身を打ち据えた。

 

 そんな訓練風景を、道場の隅からイリヤは眺めていた。

 普段、士郎がどうしているのかを見てみたい。そんなリクエストの結果がこれである。

 寒くないようにとコートを羽織って、わざわざ座布団まで用意して、士郎がここまで背負ってきてくれた。――歩けないのは疲労のせい、なんて安い誤魔化しにつき合って。

 でも……いずれ暴かれる。凛に暴かれる。

 それはイヤだなと、イリヤは思うのだ。

 できればもっと普通の形で……一緒に暮らしてみたかった……。

 

「うわあっ!」

 

 コテンパンにされた士郎が尻餅をつく。なんとも無様な姿だが、ギルガメッシュの時もああやってかばってくれたのだと思うと、イリヤのお腹はポカポカとあたたかくなるのだ。

 

「……どうしましたシロウ。今日はあまり集中できていないようですが」

「しょうがないだろ、見られてるんだから」

 

 と、士郎はイリヤの上を見る。

 セイバーも、困ったようにイリヤの上を見る。

 イリヤは、振り向くのが億劫だったので目を細めるのみだった。

 

 道場の高い位置にある窓。そこには、バーサーカーの形相が鎮座していた。ギラギラとした眼光は真っ直ぐ士郎とセイバーに向けられている。それこそ、小さなマスターによからぬ事をしたら即座に壁を粉砕してイリヤを保護しつつ斧剣でぶった斬るぞ、と言わんばかりに。

 ――屋内に入れる体格ではないため、普段の彼は敷地内をウロウロと歩き回る。

 とにかくイリヤがいる部屋を外から見張れるよう動き回る。

 なので、イリヤが道場にいるのなら道場を見張るのがバーサーカーの役目であった。

 

「……バーサーカー。確かにモコウは『目を離すな』って言ってたけど……マスターのわたしがいいって言ってるのよ」

「…………」

 

 返事は無い。立ち去る気配も無い。

 そうなると、なんだかモヤモヤした気持ちが湧いてくる。

 

「ねえ、お兄ちゃん。バーサーカー、ここにいちゃダメ?」

「ダメじゃないさ。ダメじゃないけど……うん、ダメじゃないから、そこにいていいよ」

 

 怖い。気が散る。そういった意見をぐっと飲み込む。

 イリヤも妹紅もバーサーカーを完璧に信頼している。ここでバーサーカーを追い払うのは、その信頼を汚す行為ではないだろうか?

 いや、そんなのは言い訳だ。

 単に、イリヤが嫌がる事をしたくない――それだけだった。

 セイバーはため息をつきつつ、挑発的に目を細める。

 

「まあ、いいでしょう。気を散らす何かがある戦場というのも、珍しくない。なので気を散らさずしっかり集中できるよう訓練します。さあ、構えて!」

「くっ――ようし、やってやる! でやあああ!」

 

 しばらくして。

 スパコーンという爽快な音が響き渡り、衛宮士郎は盛大に引っくり返った。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 冬木の虎がいた。

 ロリブルマがいた。

 全て遠きタイガー道場があった。

 

「おお士郎! こんなコトで死ぬとは何事かー!」

「ナニゴトかー!」

 

 実際にちょくちょく目撃する向日葵笑顔のタイガーが稽古着姿で騒いでおり、こんな向日葵笑顔見た事ねぇよっていう銀髪少女が体操服+ブルマではしゃいでいた。

 

「まったく士郎ったら、主人公の座を奪われた挙げ句タイガー道場へ来るとは……情けない!」

「フッフッフー。主人公はみんなのアイドル、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンちゃんなのだー! 日本人はみんなロリコンだから仕方ないわね」

「あれれー? 主人公って妹紅ちゃんじゃなかったの?」

「ほら、Fate主人公って戦えない一般人もいるじゃない。その場合、戦闘を受け持つサーヴァントの方が目立っちゃうでしょう?」

「いやー…………一般人系の皆さん、物凄い身体を張ってしっかり主人公してるからね? 誰かさんみたく守られながらワガママ放題とかしないからね?」

「身体を張るのは魔法少女なんかやってる変なわたしに任せとけばいーのよ」

「ジーザス! あっちは天使なのにこっちは小悪魔だ!」

「士郎も原作主人公として、まだやる事があるんだから――こんなところに迷い込んでちゃ、ダメなんだからね?」

「という訳で士郎よ! 今こそ現世に蘇るのだー!」

「イッツ、リザレクションターイム!」

 

 明らかにノリが違う師弟に叱られて、衛宮士郎は元の世界へと戻っていく。

 ここは来るべき場所ではない。

 世界の裏側を覗いてはいけないのだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「シロウ――シロウ! 大丈夫ですか!?」

「うっ……セイバー? いてて……」

 

 ズキズキと痛む頭を抑えながら士郎は起き上がる。

 なんだか妙な夢を見ていた気がするが思い出せない。

 自分が今、ちゃんと道場にいるのか確認したくなって顔を上げると――。

 視界の端、イリヤが横たわっているのに気づいた。

 

「イリヤ――!?」

「――――!?」

 

 セイバーともども、大慌てで駆け寄る。

 イリヤは不機嫌そうな表情で士郎を睨み上げた。

 

「……なんでも、ない」

「なんでもない事あるか! どうした? 具合悪くなったのか?」

「ちょっと、バランス崩しただけ」

 

 士郎が引っくり返ってしまったので、立ち上がろうとした。

 たったそれだけの事だった。

 たったそれだけの事で床に横たわってしまい、起き上がれなくなったのだ。

 

「……イリヤ、本当にどうしたんだ。何か隠してるみたいだけど、原因が分かってるなら……」

「別に……こんなの、どうって事ない」

 

 弱みを見せたがらない少女。

 衛宮切嗣の存在さえ、妹紅が何も考えず暴露なんてしなければ、今も黙ったままだっただろう。

 故に、身体に起きた変調も固く口を閉ざしている。

 

「アイリスフィール」

 

 そんなイリヤが息を呑む。

 セイバーが、母の名を呼んだから。

 

「貴女の母アイリスフィールも……聖杯戦争が進むにつれ、同じように不調となっていました」

「…………そう……」

 

 そっと、セイバーがイリヤの手を握った。

 小さくて、冷たい手。きっと冬の空気のためだけではない。

 なんだか物悲しさが湧き上がってくる。

 

「彼女も気丈に振る舞っていた。ホムンクルスとしての構造的欠陥との説明を受けましたが、その原因は未だ解消されていないのですか? 貴女達の抱える欠陥とは――」

「黙りなさいセイバー」

 

 紅玉の瞳と翡翠の瞳が交わり合う。

 幼く、弱々しくも、気高い魂。その美しい生き方を前にしては二の句を告げなくなってしまう。

 

「休戦は、あくまで休戦。……シロウは見逃して上げるけど、貴女は殺す。今度こそ、聖杯を手に入れるために。お母様が果たせなかった悲願を、わたしが果たすんだから……!」

 

 そのか細い叫びは、泣いているようにも聞こえた。

 けれど、泣きそうな顔をしているのはセイバーだった。

 アイリスフィールとの思い出が胸を締めつける。

 明るく、ほがらかで、美しかったアイリスフィール。彼女との時間は心地よいものだった。

 だから。

 

「つまり、休戦が終わるまでは――」

 

 セイバーはイリヤを抱きかかえる。

 俗に言うお姫様抱っこをして、凛々しき騎士の空気をまといながら。

 

「貴女の身体を気遣っても構いませんね? イリヤスフィール」

「……勝手になさい」

 

 ほんの少し、イリヤが照れているように見えるのは気の所為だろうか?

 それが、士郎とセイバーにとってわずかながら心の救いとなった。

 

 そして人知れず、道場の壁の向こうで、バーサーカーは振り上げかけていた斧剣を下ろした。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎から借りた男物のトレーナー、及びズボンは当然の如くブカブカで、妹紅はベルトを目いっぱいまで締めていた。

 イリヤがセイバーと同じデザインの服なら、妹紅は士郎と同じデザインだ。

 ボーイッシュな服装にはボーイッシュな髪型という事で、ボリュームたっぷりの長髪も後頭部で結び、ポニーテールにしている。

 

「で、どこから回る?」

「そういうあんたこそ、どこか心当たりないの? ランサーと仲いいんでしょ」

「と言ってもなぁ。楽しく殺し合ったり、楽しく寿司食っただけだぞ」

「いいじゃない、仲」

 

 凛の言う一仕事とはランサー及びそのマスターの捜索である。

 ギルガメッシュの一件を知らないなら伝えておくべきだし、知っているなら情報を聞き出さねばならない。

 好戦的な性格とは裏腹に動きが大人しくなったのも、監督役ですら連絡がつかないのも、やはり不自然だ。どのような形にせよ収穫は得られるはずである。

 

「別にランサーの手がかりでなくても、怪しいと思った場所があったら教えてくれない? 何もなかったとか、とっくに調査済みとか、そういうのでもいいわ」

「んー。そういえばあの……あの、あれ……なんだっけ……エ……エー……エインズワース? とかいう家に謎の血痕があったな」

「エインズワース……聞いた事ないわね。魔術師の家系?」

 

 ここに来て初めて出てくる名前に、凛は素早く思考を巡らせる。

 記憶の引き出しを電光石火であさりまくり、該当する魔術師を想定し考察する。

 そんな凛に、妹紅はさらなる新情報を授けた。

 

「確か、三回目の聖杯戦争に参加した双子がどうのとか、そんな感じ」

「エーデルフェルトの双子館じゃないの! 何よエインズワースって!」

 

 ともあれ、深山町側の双子館に赴いてみる凛と妹紅。

 寂れきった廃墟に上がり込んで、二階の部屋に入り込む。

 古びてはしまったが美しい模様の絨毯、立派な暖炉、大きなソファー。壁には絵画も飾られており、カーテンが開けっ放しになっているためガラス戸から光が射し込み、空気中を舞う埃を視認する事ができた。

 

「ここだ。この部屋だけ他の部屋より埃が少なくて、血の跡があった」

「どれどれ……なるほど、確かに誰かが使ってたみたいね」

「以前はライダー組かランサー組か分からなかったが、ライダー組はマキリ……間桐だった。ならランサーとバゼットはここにいたのか……?」

 

 今更ながらその考えに至った妹紅は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 妙に覇気のないランサー。正体不明の血痕。

 ここで、敵と戦闘でもして、返り血をぶちまけさせてやりはしたものの、隠れ家がバレたから放棄した、という考えは妥当なはずだ。

 ――テーブルの上の、未完成の16面パズルを見る。

 素朴な、どうという事のない白い花の絵だと判断できる。こんなものに手間取るほどランサーやバゼットは馬鹿なのか? それともあえて未完成な状態に美を感じていたのか。

 答えの出ない憶測。――ああ、気持ち悪い。

 

「血痕は……だいたい1~2週間くらい前のものよ。ランサーのマスター、なんて言ったっけ?」

「……探すのは手伝うけど、売る気はないぞ」

 

 バゼット。ろくに言葉も交わしてはいないが、真っ直ぐな拳を放つ魔術師だった。

 恐らく、あの葛木宗一郎以上の達人。双剣を投影した士郎や、宝石魔術を連発する凛よりもずっと強いと確信させるプレッシャーがある。

 

「売っても意味ないかもね。これ多分、ランサーのマスターの血よ」

「あいつがそうそう不覚を――」

「ギルガメッシュ相手でも?」

 

 言われ、しばし考え込む妹紅。確かにギルガメッシュ相手なら、ランサーもろともやられてもおかしくない。だが。

 

「いや、ギルガメッシュがやったなら部屋がこんなに綺麗なもんか」

「そうね。ギルガメッシュが前回のアーチャーなら、前回のアサシンも参加してる――なんてオチだったら、ぞっとしないわ」

 

 英雄王と暗殺者が組む。それがアサシン、佐々木小次郎のような特例と違い、まっとうなアサシンであったなら、想像するだけで恐ろしい組み合わせとなる。

 あの圧倒的戦力で堂々と制圧する英雄王と、闇に紛れて暗躍する暗殺者。

 もしそんな共闘関係が成立したら、聖杯戦争なんで絶対確実の大勝利だ。

 

「…………バゼット……」

 

 思わず、彼女の名を口にしてしまう。

 凛はその名前を聞きながら、血痕の近くに落ちていた鈍い輝きを見つけ、拾い上げる。

 それは槍の穂先のような形をしたイヤリングだった。

 

「ルーン石のイヤリング……このデザイン、見覚えない?」

「悪い。あいつがそんなもんつけてたか全然覚えてない」

「私は覚えがあるわ。これ、ランサーがつけてたのと同じよ」

「…………あっ」

 

 言われて、ようやく思い出す。

 確かにランサーの耳からも下がっていた。

 

「といっても、これは実物。ランサーのものじゃないわ。恐らくマスターの物よ。サーヴァントと何かしら繋がりのあるアイテム……礼装か、召喚の触媒か、そんなところね」

「待てよ、じゃあバゼットは……」

「どうかしらね……ランサーが敗退していないのだから、マスターは大怪我を負ってどこかに隠れてるだけって可能性もある。連絡がつかないのも、ランサーが大人しいのも、それで説明がついてしまうわ。でも最悪の場合……」

 

 バゼットはもう死んでいる可能性が、あるというのか。

 まだ一発も殴り返していないのに?

 

「――いいや、大怪我してどっかに隠れてるだけだ。マスターが死んだらサーヴァントも魔力供給されず消えるんだろ? 魂喰いとか、他のマスターと契約なんて尻軽な真似、あの男がするとは思えない」

「現状、どっちの可能性も否定できないわ。ただ……ランサー組を出し抜いた誰かがいるのは確かで、それはギルガメッシュじゃない可能性が高いって事よ」

 

 やはり、聖杯戦争の裏側で何かが蠢いている。

 凛の不安を募らせながら、ルーン石のイヤリングを妹紅に投げ渡した。

 持っているなら、多少なりとも縁のある奴の方がいいだろう。

 

「念の為、この館を隅から隅まで調べるわよ。何かあったら報告なさい。――どうも、貴女は魔術の知識が半端みたいだから」

「半端なのは否めないが、そもそもお前等の魔術体系に馴染みがない。なんで魔術を魔法って言ったら怒ったり呆れたりするんだ。どっちでもビーム出せるのに」

 

 そりゃ出せるけど。

 魔法で放つビームとか凄い火力になったりするけど。

 

「……なんでこんな奴が第三魔法なのよ」

 

 と、凛は妹紅の腹を見やった。

 不老不死の薬とやらが生き肝に溜まるという事は、ギルガメッシュとの戦いを盗み見したおかげで分かっている。

 魔術協会に知られたら封印指定の執行者が大挙して押し寄せて、確実に解体して研究して標本にしようとするだろう。

 どこかの幻想世界から迷い込んだのかとも言われていたが、そこは封印指定の奇跡や神秘や秘術や宝物や禁忌が蔓延っているのだろうか。恐ろしい光景だ。

 

 その後、アーチャーを実体化させて一緒に双子館を引っくり返す勢いで調べまくった。

 妹紅は実際に色々と引っくり返してしまい、アーチャーから引っ込んでろと苦言され、あわや喧嘩に発展しかけるのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 双子館の調査を終える頃にはランジェリーショップも開店しており、約束通り下着を買いに向かう。視覚を刺激するカラフルなワンダーワールドに入るに至って、凛は厳しい口調で命じる。

 

「アーチャーは外で見張り。中に入ったらお仕置きだからね」

「霊体化したままついてこられたらどうする?」

「令呪を使い切ったとはいえ、マスターなんだからそれくらい判別できるわよ」

 

 別にアーチャーなんていくらでも待たせて構わないのだが、もたもたする理由もない。

 妹紅は適当にサイズだけ確認し、スポーツブラ&ショーツを選ぶ。

 そうしたら凛に怒られた。

 もっと色々、アレやコレやソレや考えて選べとまくしたてられ、たっぷり一時間かけて遠坂凛にコーディネートされてしまう。

 まあ結局は良質なデザインのスポーツブラとショーツではあるのだが、丸出しの脚が寒くないようにと黒のオーバーニーソックスも追加。

 

「イリヤのもここで買ったの?」

「ええ。……あんたが下着まで着せ替えしてるの?」

「……診察してる凛だから言うけど、物が持てなくなってる。一人じゃ着替えもできないし、ドアだって開けられない」

 

 セラやリズがいれば甲斐甲斐しく世話を焼いたのだろう。

 だがあの二人はもういない。

 ガラじゃなくても妹紅がやるしかない。妹紅とバーサーカーしか残ってないのだから。

 

 予算の都合もあり、下着とオーバーニーソックスを二着ずつだけ購入して外に出ると、凛が虚空にある何かを視線で追った。アーチャーだろう。どうも凛のかたわらに寄ってきたようなので妹紅も視線をやる。

 いけ好かないサーヴァントだが、さすがに覗きをするような男ではないだろう。

 

「――まだランサー探しの途中だけど、一旦家に戻りましょうか。バゼットの事、報告しといた方がいいし、あんたも着替えた方がいいでしょ」

「士郎とのペアルックじゃ目立つか」

「サイズ合ってなくて動きにくいだろうから気遣ってるの。だいたい、目立つって意味ならまずその髪をなんとかしなさい!」

「やだ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅達が衛宮邸に帰り着くと、居間にはすでに昼食が並んでおり、セイバーがイリヤの口元をハンカチで優しく拭っていた。

 

「凛、妹紅、おかえりなさい」

 

 セイバーがほがらかに応じるその眼の前で、イリヤは照れくさいのかふくれっ面になっていた。

 逃げるように顔をそむけるも、セイバーのハンカチは優しく追いかけてくる。

 妹紅は食卓上のサンドイッチを見る。さっぱりしていて食べやすそうだ。二皿ラップがかけられている。凛と妹紅の分だ。

 キッチンには士郎がおり、湯呑みを出しているところだった。

 

「おかえり。今、二人の分のお茶も持ってくよ」

 

 

 

 食事を終えると妹紅はさっそく客室で着替えた。

 スカートよりズボンの方がいいのだけど、さすがにサイズが大きすぎて動きにくい。

 おニューの下着も装備して、凛が普段着用している赤のタートルネックと黒のスカートに身を包む。やはりサイズは合ってないが士郎のよりはマシだし、この程度なら許容範囲だ。袖が長くて手のひらが隠れてしまっているのもご愛嬌。

 髪の毛は再びポニーテールで結び直す。首周りまで服で包まれているおかげで、うなじが暖かいのだ。それに妹紅だって女の子。ちょっと髪型を変えてみたくなる時だってある。

 さっそく居間でのんびりしているイリヤに見せに行くと。

 

「ダメ。全然ダメ。モコウには紅白が一番似合うんだから。だいたいなんで上だけ赤いの? 上は白でしょ? なんで下は黒いの? しかもソックスまで真っ黒……わたしはセイバーとお揃いで、モコウは凛とお揃いっていうのは、同じ服を着せて仲間意識を持たせて懐柔しようっていう策略なのかしら?」

 

 こき下ろされた。

 これには凛も困り顔。服は単なる使い回しだし、オーバーニーソックスも妹紅がシンプルなものを望んだせいでかぶっただけにすぎない。

 が、これを擁護したのは妹紅だ。

 

「別にいいじゃないか。上が赤で下が黒でも」

「だめぇー! モコウは紅白が一番似合うんだから! 紅白しか似合わないんだから!」

「4Pカラーみたいでいいじゃん」

「4Pカラーって何!?」

 

 格闘ゲーム、もとい弾幕アクションゲームのカラー変更めいた謎の発言はイリヤのツッコミ能力を活性化させ、弱った身体に叫ぶ力を呼び戻した。

 もちろんデメリット皆無。人間、ふざけている時は不思議な力に守られるものである。

 

「イリヤも普段は上が紫、下が白で……今はセイバーとお揃いだから、丁度反転してる訳だ。2Pカラーはこれでいこう」

「他にないから着てるだけだもん! わたしはもっと気品のある服がいいの!」

「ピンクのフリフリも似合いそうだよな。こう、プリズムとかプラズマって感じで」

「気品んんん!! ピンクのフリフリのどこに気品があるのよぉー! そんな馬鹿みたいな格好するくらいなら体操服のがマシよ!」

「体操服……ブルマ……うっ、頭が……」

 

 いつぞや見た走馬灯めいた幻覚を思い出してうずくまる妹紅。

 同時に、なぜかお茶を持ってきた士郎も頭を抱えてうずくまる。

 

「道場……ロリブルマ……うっ、頭が……」

「お兄ちゃんまで!? もー! 何がどうなってるのよー!」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 アホな流れを仕切り直してくれたのは遠坂凛だった。

 深山町の双子館にあった血痕、状況的にランサーのマスターである可能性が高いと告げる。

 午後からは新都側にあるもう一軒の双子館を調べに行くのだが……。

 

「妹紅の手伝いはもういいや」

「何で」

「色々引っくり返すばかりで役に立たないからよ!」

「アーチャーの手際がよすぎるからそう錯覚するだけだ。私は普通だ。というか何だアーチャーの家宅捜索の手際。生前は凄腕の怪盗? それともプロのメイドか」

 

 いったい何があったのやら。

 普段はアーチャーを鬱陶しがる妹紅の瞳に、わずかながら畏怖が浮かぶ。

 プロのメイド――妹紅が想像する三人の銀髪メイド。どいつもこいつも桁外れの管理能力の持ち主だ。そのレベルはもはや人間を凌駕しており、よっぽど特異なスキルか、それ専用に生み出された存在でもない限り、果たせないのではとさえ思う。

 

「……メイド…………」

 

 イリヤがさみしそうに呟き、妹紅は慌てた。

 ふざけてからかおうとしたせいで、つい油断して、不謹慎な言葉を。

 あの時、せめてもう少し早く駆けつけられていたら。

 ここにもう二人、銀髪率を上げる女がいたかもしれない。

 

「じゃあ私はイリヤと大人しく留守番してる。――凛。ランサーのマスターは赤毛の凛々しい女、名前はバゼット・フラン・マクレミリアだ。もしヤバイようなら保護してやってくれ」

「聞いただけで名前を間違えてる気がしてならないんだけど」

「――――バゼットだ」

 

 その後、呆れた調子のイリヤが「バゼット・フラガ・マクレミッツ」だと教えてくれた。

 魔術協会の執行者であるなど、アインツベルンが調べた情報を開示する。

 執行者ともなれば凛では逆立ちしたって勝てないような実力者である。そんな彼女の身にいったい何があったというのか。

 

 ――その後、凛は新都側の双子館を調べに出かけたが、何の成果も得られなかった。

 教会にも立ち寄り、言峰にも色々訊ねてみたが手がかりは無し。

 バゼット探しは完全に暗礁に乗り上げてしまった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 奪われた――無理やり、力ずくで、奪われてしまった。

 それは衛宮士郎の無力さが招いた事。

 ああ、奪われた――奪われてしまった――。

 

 掃除機が。

 雑巾が。

 箒が。

 掃除道具一式が――。

 

「お前はイリヤの相手してろ。居候の代金として掃除しといてやる」

 

 などとのたまう、藤原妹紅の手によって、切嗣から受け継いだ武家屋敷を掃除する楽しみを奪われてしまったのだ。

 大丈夫なのかと不安がる士郎だったが、アインツベルン城でメイドの手伝いをしていたとイリヤが太鼓判を押してくれたおかげで無事、掃除仕事が奪われてしまったのだ。

 

 こうして妹紅は今、衛宮邸中の廊下を雑巾がけしている。

 そうして士郎は今、中庭前の縁側に座っていた。膝に、イリヤを乗せて。

 

「寒くないか?」

「うん。お兄ちゃんの、着てるから」

 

 士郎のコートを羽織り、さらにその上から士郎に抱きかかえられ、イリヤはご満悦の表情だ。

 しかし士郎は気まずそうにしている。だってバーサーカーが見てる。中庭の中央に仁王立ちしながらこっちをずっと睨んでいるのだ。怖い。

 さらに廊下の角からセイバーがこっそり覗き見をしている。二人切りにして上げようという配慮と、それはそれとして様子を見たいという気持ちの折衷案を取っている。

 これからどうすればいいのだろう。

 そんな悩みに、イリヤが道を示す。

 

「――ねえ、シロウ。お話を聞かせて」

「話って……何の話だ?」

「シロウの話。今までどんな風に暮らしてたのかとか、学校でどんな事してるのかとか、そういうの。……知っておきたいの、シロウの事」

「……話題がふんわりしすぎてて、逆に話しにくいな」

 

 困りながらも、士郎は色々な話をした。

 家事は昔っから自分がしていた事

 料理のこだわりや工夫、失敗談や、学校の友達に差し入れをした事。

 学校の友達――柳洞寺の住職の次男坊で、生徒会長をしている友達の事。

 弓道部の思い出。

 集団昏睡事件が起きるまで毎日のように来ていた教師と後輩。

 

 幾つかの話題を避けながら、士郎は語った。

 それらはどれも、イリヤにとっては新鮮な物語。

 平和な日本での、平凡な日常での、取り留めもない生活。

 それは。

 神様や妖怪が出てくるお伽噺よりずっとずっと、遠い物語だ――。

 

 

 

 しばらくして、イリヤがバランスを崩して倒れかけたので、士郎は慌てて支えた。

 具合がまた悪くなったのかと思ったが、単に眠っているだけだった。

 ……いつから眠っていたのだろう? 寝息はあまりにも浅く、後ろから抱いていたのでは判別なんかできなかった。

 士郎はイリヤを客室に連れて行くと、布団を敷いて寝かせてやる。

 あどけない寝顔を見て、胸が苦しくなるのはなぜだろう?

 部屋を出ると、バーサーカーがじっと見つめてきているのに気づいた。

 

「大丈夫。眠ってるだけだから」

 

 伝えても、バーサーカーの態度に変化は見られない。

 イリヤや妹紅なら微細な変化を見抜けるのだろうか? 士郎は苦笑しながらその場を離れた。

 

 そして妹紅の掃除した箇所が結構綺麗になってる事に割と真剣に大真面目に驚いた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 夕食前になって凛とアーチャーが帰ってきて。

 いつものように食べやすいものを作り、妹紅がバーサーカーにも届け、妹紅がイリヤにも食べさせ、イリヤは嬉しそうに食すも大半を残す。もはや日課となりつつある光景。

 食事をしながら凛の報告も聞く。ランサー組の手がかりは依然として掴めず、アーチャーがあちこちで魔力を放って挑発しても無反応だったそうだ。

 それを聞いた妹紅は。

 

「じゃあ、食べ終わったら私も探しに行ってみる。夜の方が誘いに乗ってきやすいだろ。凛達は休んでなよ。午前も午後もランサー探しばっかりだろ」

 

 などと言って、夕食後、本当に夜の空へと一人で飛び立ってしまった。

 凛も疲れが溜まっているのは事実だし離れでゆっくりと身を休める。

 セイバーも魔力問題が解決したとはいえ、マスターが未熟者の士郎ではあまり無理もできない。非戦闘時は自室で大人しく休んでいる。

 

 イリヤは――昼間の時のように縁側にいた。バーサーカーを家に入れるのは大変なので、彼の側にいるには都合がいい場所だ。日が暮れたため冷えてしまうのが玉に瑕だが。

 中庭に面した縁側のガラス戸を士郎に開けてもらい、縁側の縁に座って、足を庭へと投げ出してやる。士郎もその隣に座ると、並んで星と月を見上げた。

 漆黒の空に浮かぶ静かな白い光。

 キラキラと、今にも降ってきそうな天の光。

 中庭にて待機しているバーサーカーはなぜか道場の方を見ている。

 

「今夜は、月がよく見えるな」

「そう? お城から見る方が綺麗よ。でも、シロウと一緒に見る方が楽しいわ」

「――昔、こんな風に」

 

 一瞬、迷いを見せる。

 余計な事を言おうとしていると自覚しての葛藤。

 それでも、思い出を伝えておきたいと思ったのだろうか。

 士郎は言葉を続けた。

 

「切嗣と、月を眺めた事がある」

「――――」

 

 イリヤは唇を閉じたまま、遠い眼差しを月へ向けている。

 天に浮かぶ銀色の、小さな鏡に遠い光景を夢想する。

 

 そこには、若々しい切嗣の姿があって。

 そこには、今も隣にいる士郎の姿があって。

 

 ああ、違うな。

 切嗣が死んだのはもうずっと、何年も前だ。

 だから切嗣はきっと、イリヤの思い出より老けていて。

 士郎はもっと小さな、それこそイリヤと大差ない子供だったのだろう。

 

「キリツグは、どうしてわたしを捨てたのかな……」

「……分からない。でも、きっと何か理由(わけ)があったんだと思う」

 

 どんな理由(わけ)があろうと許せない。

 結果として、切嗣は約束を破ったのだ。帰って来なかったのだ。

 事実として、それがある限り切嗣を憎む気持ちは無くならない。

 そうだとしても、そうだとしても――。

 

「切嗣はよく、海外に出かけていた。もしかしたら……」

 

 すがるような気持ちのイリヤに、すがるような声色で士郎が憶測を述べる。

 もしかしたら、なんだというのだ。

 そうだとしたら、なぜ迎えに来なかったのだ。

 アインツベルンの、冬の城に……どうして……。

 

「あんな裏切り者、アインツベルンの城に入る資格は――!!」

 

 怒気をあらわにして飛び出した罵声、それこそが答えであると――不意に理解する。

 

 そんな可能性、考えた事もなかったのに、どうして今更、こんな時に。

 答えなんて、すぐ近くに転がっていたのだ。

 

「――――ああ、そうか。お爺様がやりそうな事ね……」

「……イリヤ?」

「バカみたい。……それでもやっぱり、キリツグを許せない……大嫌い……」

 

 アインツベルンの結界は侵入者を拒む。

 魔術師殺しと称される切嗣の腕前なら侵入は可能だったはずだ。

 しかし、切嗣は聖杯戦争終結後――ほんの数年で病死したという。

 

 どこか、身体を悪くしていたのかもしれない。大怪我をして、生命力や魔術回路が弱って、アインツベルンの結界を突破できず、そのうち弱った身体が病魔に侵されて……。

 

 ありえそうな話だと、思えてしまうのが悔しかった。

 そんな事はありえないと、心から否定できる方がずっと楽だった。

 ()()()()()()なんてものを考えてしまうのは、心のどこかでまだ、あの男を。

 そんなの――認めたくなかった。

 

「イリヤ。このまま、(うち)で暮らさないか?」

 

 そんな少女に、衛宮士郎は手を差し伸べる。

 イリヤから表情が消えると同時に、時間が静止する。

 星々すらまたたきを忘れる中、無粋な雲だけが月へと流れて覆い隠す。

 月明かりが閉ざされ、ようやくイリヤは訊ね返した。

 

「それはキリツグの息子として?」

 

 切嗣の息子だから、血が繋がっていなくても、その責務を引き継がねばならない。

 彼の理想を受け継いだのだから。その気持ちが譲り受けたものだったとしても、捨てるなんてできない。

 

「ああ。俺は切嗣(おやじ)の息子で、イリヤが好きだ。一緒に暮らしたい理由はそれだけだ」

「――――本気? シロウはキリツグの代わりをするの?」

「いや、俺じゃ切嗣にはなれないし、代わりもできない。けど切嗣(おやじ)が好きだ。切嗣(おやじ)にできなかった事を果たしたい。だから、イリヤが切嗣を憎む心の中に、少しでも許してやっていいって気持ちがあるんなら――」

 

 士郎は思いの丈をまくし立てる。

 ひとつでも伝え忘れたら、ひとつでも伝え損ねたら、目の前の少女がいなくなってしまうのではないかという不安に怯えて。

 

「俺はイリヤと一緒に暮らしたい。――休戦が終わったら、セイバーとバーサーカーを戦わせる事になってしまうのだとしても、それでも最後にはイリヤと一緒にいたい」

 

 たまらず、首を振ってしまう。

 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて――あふれてきそうな涙を無理やり抑え込む。

 

「……それは、無理だよ」

「無理なんかじゃない! イリヤが俺の手を取ってくれるなら、そんな未来だって築けるはずだ」

 

 イリヤは、堪えるようにしながらバーサーカーを見る。

 人間としての機能に欠落を抱えても、マスターとしての機能に不備はない。バーサーカーは着実に魔力を蓄え、最強の宝具を回復させつつある。

 もうセイバーにも、アーチャーにも、ランサーにも負けやしない。

 イリヤは勝つ。勝ってしまう。聖杯を手にしてしまう。

 そうなったら――。

 

 月が顔を出す。

 柔らかで静かな光が降ってきて、イリヤのさみしそうな表情を照らした。

 

「……えへ。でもちょっと残念かな。結局、キリツグの娘だから同情してくれてるだけなんだね」

「違う! それだけが理由なんじゃない! 俺は……」

「なんてね。わたしも、キリツグの息子だからシロウを好きになったんだし――お互い様」

 

 イタズラっぽく舌を出してイリヤは笑う。

 ああ、確かにお互い、意識したのはそれが理由だ。

 

 ――衛宮切嗣は関係ない、自分自身だけの純粋な気持ちで――

 

 そんな美しい言葉は出てこない。

 衛宮切嗣の存在を抜きにしての好意も確かにあるのだろう。それでも、衛宮切嗣の存在を抜きで語るなんてできやしない。それほどまでに、二人にとって衛宮切嗣という存在は重い。

 そんな二人だからこそ、今こうして一緒にいるのだから。

 

「シロウ……ごめんね。少しの間、向こうに行っててくれない?」

「――っ。でも、何かあったら」

「平気よ。()()()()()()がいるから」

 

 士郎はしばし逡巡したが、これ以上語るべき言葉も見つからず、そっとしておくべきだと判断して静かに立ち上がった。

 中庭に立つバーサーカーは相変わらず道場の方を見たままだが、しっかりとイリヤを視界に捉えているのは分かる。彼がいるなら大丈夫だろうと信じて、士郎は屋敷の奥へと下がっていった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 残されたイリヤは視線を下ろし、バーサーカーに小さくほほ笑んでから、その視線を追い――道場の影を冷たく睨む。

 

「盗み聞きなんて、品が無いわよ」

 

 ――返事は無い。

 しかしイリヤが目配せをすると、バーサーカーは斧剣を握り直して道場へ向かおうとした。その途端、魔力の光があふれて道場の壁際にサーヴァントが実体化する。

 白髪(はくはつ)褐色に紅い衣をまとった英霊、アーチャーだ。

 どことも知れぬ無名サーヴァントでありながら、バーサーカーを5回も殺し、イリヤのプライドを深く傷つけた弓兵。

 挙げ句、今の会話を――誰にも立ち入れられたくない会話を、聞いてしまった男。

 彼は中庭まで出てくると、バーサーカーを一瞥してからイリヤに向き直った。

 

「――身体を冷やす。大人しく部屋に戻る事だな」

「セイバーと違って、全然顔を見せないわね」

「三騎のサーヴァントがひとつ屋根に集ったからといって、馴れ合う必要はあるまい」

 

 彼のマスターである凛は才気あふれる魔術師だが、心の贅肉を捨て切れないでいる。

 セイバーもアイリスフィールの面影を見出し、態度を軟化させつつある。

 その状況が面白くないのはサーヴァントとして当然だろう。なにせ、聖杯戦争のために呼び出されたのだから。

 聖杯に望みを託すために。あるいは、聖杯戦争そのものに目的を見出して。

 

 イリヤは星空を仰ぎ、月の眩しさに目を細めた。

 

 

 

「――貴方が誰なのか、知ってると思う」

 

 

 

 風のない、静かな夜だ。

 満天の星がきらめいて、今にも降ってきそう。

 アーチャーは唇をきつく結んで黙り込む。

 語る言葉も、伝えるものも持ち合わせていない。

 すでに終わりを迎えてしまった英霊は、過去の影にすぎないのだ。

 イリヤは視線を下ろし、まっすぐにアーチャーを見る。

 

「貴方がどこの誰であろうと、わたしのお兄ちゃんは一人だけ」

 

 同じ時間、同じ世界に生きる、唯一の存在。

 こことは違うどこかの誰かなんて知らない。

 ここにあるものがすべてだ。

 

「貴方は殺す。聖杯のために殺す。バーサーカーとモコウに殺される」

 

 休戦相手へ改めて宣戦布告する。

 一見平穏なこの一時(ひととき)は砂上の楼閣にすぎず、そう遠からず崩れ去る宿命にある。

 聖杯戦争の裏に何が潜んでいても、聖杯を望む者がいる限りそれは覆せない。

 

「――それでこそアインツベルンのマスターだ」

 

 誇り高き少女の眼差しを受け、アーチャーは小さく微笑した。

 その心中は分からない。

 彼の摩耗した心は、分厚いヴェールによって隠されている。

 彼が何を願い、戦っているのか……。

 どのような道を歩き、何を選び、何を捨て、あのような"心象風景"を宿したのか。

 知るすべはない。しかし――。 

 

「アーチャー、来なさい」

 

 イリヤが命じる。

 まるで自分が彼の上位者であるように。

 命令する権利があるとでも言うように。

 アーチャーはいぶかしがりながらも、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 縁側に座るイリヤの手前まで来ると、お姫様にかしずくように片膝をつき、視線の高さを合わせた。まるで――昔からそうしていたかのように。

 

 理想を受け継いで、歩き続けた者の末路。それがこの英霊の正体。

 果たして、受け継いだのは理想だけだったのだろうか?

 もしかしたら理想の他にも、何かを、誰かを――。

 

「――まったく」

 

 イリヤは、震える手を持ち上げる。

 重い。自分の手なのに感覚が希薄で、力が入らない。

 きっともう、自分自身で掴めるものなんて何もない。

 それでも、アーチャーの首に腕を回して、精いっぱいの力で抱き寄せる。

 ――抵抗は無かった。イリヤの力では微動だにすらしないだろうに。

 細い指が白髪(はくはつ)に沈む。

 眼前の英霊の頭を抱き寄せ、己が胸に沈める。

 

「…………こんなになって……本当にバカなんだから……」

 

 指先が震える。

 どうしようもない、どうにもならない。

 すべては過ぎ去ってしまったもの。

 狂おしいほどに手を伸ばしても、それは、もう二度と戻ってくる事はないのだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――雪が降っている――

 

    ――月は無く、星も無く――

 

          ――ただ、雪だけが――

 

 かつてあの男が座っていた場所に、少女がちょこんと座っている。

 しんしんと舞い落ちる雪を見上げて、少女の横顔がほほ笑んでいる。

 

『…………ねえ、■■■』

 

 摩耗し、朽ち果ててしまった記憶の彼方。

 

 なぜ忘れていたのだろう。

 

 それこそが少女との、最後の思い出だというのに――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「――イリヤ、何してるんだ?」

 

 静かな星空の中に、赤と黒をまとった少女が割り込んでくる。

 夜のランサー探しに出かけていた妹紅だ。

 玄関から帰ってくればいいのに、面倒がって空からなんて。

 イリヤは穏やかな声で答える。

 

「星をね、見てたんだ」

「一人でか? ――いや、そりゃ旦那もいるけどさ。せめて士郎かセイバーを付き添わせろ」

 

 妹紅はグルリと周囲を見回す。

 イリヤは一人で縁側に腰掛けている。中庭からバーサーカーが見守っているとはいえ、体調不良が相手では腕力の活かしようもない。

 

「モコウ。星、綺麗だね」

「あー? そうかなぁ。こっちの空はくすんでて星があまりよく見えない」

「幻想郷って、そんなに星がよく見えるの?」

「見える。アインツベルンの城よりずっとよく見える。田舎って意味だけど」

 

 妹紅も星空を見上げると、空に向かって軽く手を払う。

 すると星のようにきらめく光の魔力弾がふわりと舞い上がった。

 それはそのまま空まで昇っていくのかと思いきや、重力に引かれてひらひらと舞い落ち、砕けて消えた。

 

「――雪みたい」

 

 イリヤが呟くと、妹紅は柔らかい笑みを浮かべた。

 

「イリヤは雪が好きか?」

「うん。寒いのは苦手だけど、白くて、静かで、綺麗で……」

「むう。炎使いの私は正反対」

 

 紅くて、猛々しくて、綺麗な炎を操る藤原妹紅。

 フェニックスの如き彼女が用意できるのは、雪解けびしょ濡れコースだ。

 

「――そういや、二月だってのに雪が全然降らないな。ここって九州だっけ?」

 

 かつてこの土地に来た事があるくせに、ろくに地理を覚えていない妹紅。

 しかしそれも1300年という旅路を思えば仕方ないのかもしれない。

 

「ええ。この街、滅多に雪が降らないみたい。……幻想郷はどうなの?」

「豪雪地帯だから雪かきが大変だ」

「わたしの実家は一年中雪が降ってるわ」

「なにそれ怖い」

 

 話していて寒くなったのか、妹紅はみずからの腕を抱いてブルルと震えた。

 靴を脱ぎ捨てて縁側に上がり込み、有無を言わさずイリヤを縁側の奥に引きずると、ガラス戸に手をかけた。

 名残惜しそうに星空を眺めながらイリヤは呟く。

 幾つもの白いきらめき。

 

「あの星が、雪になって降ってきたらいいのに」

「イリヤはロマンチストだなー」

 

 ガラス戸を閉じると、妹紅はイリヤを抱き上げて歩き出した。

 星降る夜に雪は降らず、少女はただ、柔らかなぬくもりにその身を預ける。

 

 

 

 夜も更けて――イリヤは妹紅と一緒に布団に入った。

 酷く億劫だった。手足が鈍く、寝返りを打つ気すら起きない。

 自分も妹紅も借り物のパジャマ。畳に敷かれた薄い布団。――それらが嫌な訳ではない。だが、不意にさみしさが込み上がってくる。

 

「……モコウ、腕枕」

「あいよ」

 

 イリヤがねだると、妹紅は文句ひとつ言わずイリヤの後頭部に腕を挿し込んだ。

 硬さも柔らかさも半端だけど、伝わってくる体温が心を鎮ませる。

 

「……モコウ。胸を撫でて」

「……苦しいの?」

 

 妹紅は横向きに寝転がって、イリヤに胸をそっとさすった。

 その手つきは不器用で、お母様のものとは全然違う。

 それをさみしいと、思った事もあったけど――。

 

(モコウの手だ)

 

 今はそう、思える。

 モコウをお母様の代わりにできないように、お母様だってモコウの代わりをできない。

 ――シロウにもキリツグの代わりはできなくて、アーチャーにもシロウの代わりはできない。

 みんな違う。みんながこの世にたったひとつの特別で、その中からイリヤが選んだモノは、イリヤを大好きでいてくれたのに……。

 イリヤの手からこぼれてしまったものはもう、戻ってこない。

 そしてまた喪失を体験するのだと思うと、怖くて、さみしかった。

 

「……今日もお伽噺する?」

「ん……」

 

 妹紅の言葉に返事をしようとしたが、漏れたのは吐息だけだった。

 意識が暗く沈んでいく。

 この穏やかな時間は――いつまで――――。

 

 

 




 7Pカラーいいよね。金髪で、上はピンク、下は白。可愛い。
 プリズマ☆イリヤめいたカラーリング。

 深秘録or憑依華をお持ちでない方も『東方深秘録 カラー』とかで検索すれば確認できるかも。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。