イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第35話 ローレライ

 

 

 

 ――2月14日。聖杯戦争が始まって2週間が経った。

 

 朝の、早い時間にイリヤは目を覚ます。

 イリヤのための客室で、同じ布団の中で妹紅が寄り添って寝息を立てている。

 昨晩いつ眠りに落ちたのか記憶がない。寝物語を聞く事もできなかった。

 妹紅に抱き上げられて、居間まで戻ったのは覚えている。

 セイバーがいて、凛がいて――士郎もいて。

 

 物悲しくなったのを、覚えている。

 そこから先は、覚えていない。

 

 布団の中で見えないが、自分も妹紅もちゃんとパジャマに着替えている。

 着替えさせられても眠りっぱなしだったのか。

 随分と多くの機能を失ってしまった。バックアップも今は無く、妹紅達に介護されなければ生活すらままならない。

 ――バーサーカーを召喚した頃を思い出す。

 あの頃はまだ聖杯のバックアップが無く、イリヤ単独でバーサーカーを現界させていたため、慣れないうちはほんのちょっと身体を動かされるだけで全身に激痛が走った。

 あの頃に比べれば痛みが無いだけマシか。

 布団から腕を出し、力を込めて少しずつ這い出る。畳まで行き、肘で身体を支え、歯を食いしばりながら起き上がろうとする。

 聖杯戦争はまだ半ばだというのに、ギルガメッシュなどという想定外の規格外のせいで、自分だけすでに終了間際。そんな状態で休戦となり、ますます長引こうとしている。

 

『イリヤ。このまま、(うち)で暮らさないか?』

 

 ああ、それを選択できたなら。

 ああ、それを選択できるなら。

 

 ――身を挺して散っていったセラとリズ。そして廃棄されていった数多のホムンクルス達。

 イリヤを最高傑作と信じて送り出したお爺様。

 悲願を果たせなかったアイリスフィール。

 

 ここで立ち止まってしまったなら、すべてが、すべてが無為になる。

 アインツベルンのやってきた千年にも及ぶ研究は、すべて徒労でした。色々頑張ったけど何の価値もありませんでしたと結論づけて。

 そうしてお爺様も機能を停止し、アインツベルンは真実終わりを迎える。

 

 ――それを悲しいと思う反面、そうなってもいいのかもしれないと思う自分もいた。

 

 もしバーサーカーが負けていたら、ギルガメッシュに殺されていたら、どうしただろう?

 勝者から聖杯を横取りしようと、妹紅と一緒に足掻いていたかもしれない。

 けれど、きっと、大人しく負けを認めて――聖杯をあきらめて――。

 士郎の手を、取っていたかもしれない。

 

 イリヤは立ち上がる――手足の機能を損ないつつも、気力を振り絞って立ち上がる。

 立てる。自分はまだ立てるんだと示したかった。

 他の誰でもない、自分自身に示したかった。

 そうしてイリヤは立ち上がった。

 大丈夫、自分はまだ立てる。

 不要な機能を停止させているとはいえ、歩けないほどになっては不都合が生じるのだから、これくらいはできて当然なのだ。アインツベルンの最高傑作である自分ならば。

 器が一度に満ちすぎたために、身体がビックリしてしまっただけなのだ。

 それも慣れてきた。

 まだ立てる。まだ歩ける。まだ戦える。

 ここでの休息が無駄では無かった。

 そうして少女は障子戸に手を伸ばそうとして、ふらりと、バランスを崩してしまい――。

 

「おっと」

 

 背後から抱き支えられた。

 視界の端を、長い白髪(はくはつ)が流れている。

 

「イリヤ、おはよう」

「……おはよう」

 

 頭上から降ってくる声を、見上げたくはなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――気づいたらイリヤが布団から抜け出し、転びかけていた。

 そんな朝を迎えた妹紅は、いっそう甲斐甲斐しくイリヤの身嗜みを整えてやる。

 顔を洗ってやり、セイバーとお揃いの服に着替えさせ、髪を丁寧に梳き、士郎達のいる居間に連れて行く。そうしてようやく妹紅も着替えやら何やらを始める。

 凛とお揃いの服を着て、髪もポニーテールに結び上げる。

 それが終わったら士郎の作った朝食をバーサーカーに配達し、それからイリヤに食べさせつつ自分も合間合間に早口に食べる。

 ああ、朝は忙しい。

 その後、士郎とセイバーが日課の鍛錬を始め、イリヤも見学に連れられて行った。

 

「休戦中とはいえ、他勢力の訓練を覗くのってどうなんだ?」

 

 という理由により妹紅は辞退。

 ついでに昨日は覗き見していたバーサーカーも、妹紅に髪の毛を引っ張られて道場から離されてしまった。その光景に士郎は苦笑いし、セイバーは目を丸くする。

 凛とアーチャーはまた調査に出かけた。実に働き者。

 妹紅はというと――。

 

「掃除は昨日やったし、今日はしなくていいな!」

 

 考えてみて欲しい。

 毎日掃除をするのと、三日に一度掃除をするのと、衛生問題の差は如何ほどか?

 答え――差は無い。蓬莱人は病気にならないから。

 

 さらに考えよう。寿命が六十年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 むつかしいさんすうのもんだいは、別にやらなくて構わない。想像は大雑把でいい。

 

 さらに考えよう。寿命は一億年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 さらに考えよう。寿命は一兆年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 さらに考えよう。いやだもう考えたくない。数字がインフレしすぎて怖い。

 

 つまり――掃除なんてものは、住んでる者が健康を害さない範囲かつ、気持ちよくすごせる程度やればいいのだ。

 なので衛宮士郎が毎日掃除する行為を否定はしない。むしろ偉いぞ立派だと褒める所存。

 なので藤原妹紅が毎日掃除する必要はないよね。ここ衛宮さんちだし。

 

 という訳で。

 客室に戻った妹紅は、毛布をかぶると壁を背にして座り込んだ。

 目を閉じ、瞑想を始める。

 別に修行僧という訳ではない。ただの趣味だ。アインツベルンに迷い込んで以来、暇する事が無くご無沙汰だっただけで、暇な時はちょくちょくやっている。

 ノーコストでいつでもどこでもできる暇つぶしというのは、不死人にとって死活問題に繋がる。

 

 浮かび、浮かぶ、遥か遠き原風景。

 衛宮邸より立派なお屋敷。険しい山道を歩く男達。山頂に降臨した神々しき女。暗い森を徘徊する魑魅魍魎。垂直に迫ってくる荒波の海。夕焼けをさらに紅く染める火の鳥。焼け落ちた村と真っ黒な人の形。雪に埋もれて消えた道。暗がりから這い出る蟲の群れ。燃え盛るお寺を取り囲む兵士達。長い長い石段と燕。

 霧の漂う深い深い竹林を跳び回る白兎。獣道で泣いている角と尻尾を生やした女の子。星々すらかすむ月の光――。

 それらの場所に誰がいたのか、誰と出会ったのかも思い出せないまま、妹紅の意識はゆるやかに沈んでいく。

 瞑想を通り越して眠ろうとしている。別にいいか。眠いのだから眠ればいい。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 気づいたら夢の中で弾幕ごっこをしていた。

 しかも片方はこれ見よがしに"宝石の実った枝"を振り回して光弾を放っている。

 さらに片方はこれ見よがしに"無数の宝具"を射出しまくっている。

 何だこの豪華で最悪な光景は。業火で最高の光景に塗り替えてやろうか。

 そんな憤りが溢れんばかりにヒートアップ、私のハートがフジヤマヴォルケイノ!

 死ね、死んでしまえ。お前も私も死んでしまえ。死に狂え。死ね。

 

   ――そこですモコウ! お嬢様をお守りするのです!――

            ――モコウ、がんばって。イリヤの敵、やっつけて――

 

 エールが聞こえる。名前を呼んで応援してくれている。

 見ていろ今すぐ殺してやると、妹紅は残忍な笑みを浮かべた。

 でもさすがにあの二人を同時相手にするのは、夢の中でも無理ゲーすぎた。

 あえなくゲームオーバー寸前に陥り――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「妹紅、どうかしたのですか」

 

 目を開ける。

 障子戸がガラリと開いて、外の光が射し込む中、幻想的な少女が立っていた。

 金糸の髪がキラキラと光っていて、翡翠の瞳が真っ直ぐ自分を見つめている。

 白い服に青いスカート、イリヤと同じ服だ。いやイリヤが同じ服だ。

 ――彼女の名前を思い出すのに数秒かかった。セイバーだ。

 漠然とした体感として、毛布に包まってからもう一時間以上は経っている。道場での特訓もとっくに終わっていたのだろう。

 

「……どうか……って?」

「攻撃的な魔力を感じたので様子を見に来ました。……バーサーカーも外からこっちを見ていますよ?」

「んむ……」

 

 夢の内容はまだ覚えている。

 あいつとあいつが一緒に襲ってくるという最悪な夢だった。

 他にも誰かいたような気がするが、そちらはもう記憶からこぼれ落ちている。

 

「あー、ちょっと寝ぼけ……イメージトレーニングしてた」

「……はぁ……何事もなくて結構です」

 

 セイバーが冷めた目で見つめてくる。寝ぼけていただけだと完全にバレていた。

 とりあえず毛布を脱いで、よろよろと歩き出す妹紅。

 ――太ももが寒い。

 なぜ凛のソックスは膝上までしかないのか。なぜ凛のスカートは股下までしかないのか。

 部屋の中央まで行くと、うんと背伸びをする。払ったはずの眠気が隙を狙っている。

 

「くあっ……ふぅ……。なんだかなー、何もかもやり直したい。リトライしたい」

「っ……」

 

 あの理不尽弾幕のパターンを覚えて再挑戦したいが、何分、夢の中の出来事だ。誰と弾幕勝負したかは覚えていても、細かな弾幕パターンまで思い出せるはずもなし。

 コインを入れてもコンテニューできないのだ。

 

「……妹紅は」

「おん?」

 

 セイバーがうつむいている。お腹が空いて急かしているのだろうか。

 

「妹紅にはあるのですか。やり直したい、過去が」

「あー? そんなの誰にだってあるだろ」

 

 人生の転機から、その日に買ったおやつまで。

 人生なんてやり直したい事の連続だ。

 しかしゲームオーバーの続きはコンテニュー。無かった事にはならない。

 ――歴史を無かった事にできる友人が幻想郷にいるが、そう錯覚させるだけである。

 

「もし――やり直せるとしたら、妹紅はどうします?」

「やり直す」

 

 即答する。

 美味しそうなみたらし団子とよもぎ大福があって、みたらし団子を買ったら微妙だった。

 そんな時はやり直してよもぎ大福を食べたい。

 よもぎ大福も残念な味だったら? 甘味はあきらめて煎餅でも買うさ。

 

「そう……ですか」

 

 どことなくセイバーが安堵したように見える。

 何だろう。食事で文句を言うタイプには見えないし、皿を割って士郎に怒られでもしたのか。

 セイバーは胸に手を当て、得心が言ったというように頷く。

 

 

 

「そうですね。やり直す事で、より良い過去(みらい)を築けるのなら……」

 

「ん? いや、かなり悪い現在(みらい)になるな」

 

 

 

 パッとシミュレートするとそうなる。

 少なくとも現在(いま)の平穏にはたどり着けない。

 ぱちくりと、セイバーはまばたきをした。頭をハリセンで叩かれたような顔をしている。

 

「……えっ? いやしかし、妹紅、貴女にも悔いがあるからやり直したいと……」

「やり直しなんて自己満足でしかないだろ」

 

 セイバーが珍しく戸惑っている。

 まさか昼飯をつまみ食いして、全部たいらげてしまったのか。

 タイムマシンで過去の自分を殴って止めないと、士郎がカンカンに怒っちゃうのか。

 

「――うん。よく考えてみなくても、歴然として駄目だな」

 

 あの背中を――蹴り落とさなかった事にできたとしたら。

 せっかくだし、そんなくだらない空想に羽を広げてみる。

 

「人生やり直せたら、私はここにはいない。イリヤは当然バーサーカーの旦那と二人で聖杯戦争しちゃう訳だろ? ――で、ランサー追い返して、セイバーブルー&レッドと遊んで、キャスターもできるだけ苦しめないように倒して、アサシンと決闘して、ライダーは……よく分からんからまあセイバーが倒しといてくれ。で、ギルガメッシュの野郎が来る訳だ」

 

 いや、イリヤがお城で"客"を待つ戦法を取るなら、キャスターやアサシンとは戦わない?

 まあそんなIFを考えても仕方ない。どうせすでにありえないIFを想像しているのだ。確実に起こりそうな事を追っかけて行こう。

 

「旦那もセイバーもコテンパンにやられた訳だし……言いたくないけど、ギルガメッシュに勝てるかっていうとなぁ……」

 

 勝てると言い張りたいが、事実、殺される寸前のところに駆けつけた身としては――巧く作戦にハメて令呪で背後から奇襲なんて戦法を取らなければ、勝てなかったと思う。

 

 ギルガメッシュの攻撃を弾く無敵バリアーとか。

 ギルガメッシュの宝具弾幕を相殺できちゃうボムやスペルや結界だとか。

 ギルガメッシュを一撃必殺できるサーヴァント特攻の不意打ちだとか。

 

 そんな都合のいいものは無いのだから。

 そんな都合のいいものは無かったのだから。

 

「セラもリズもあの野郎に殺されて、アインツベルンの城もぶっ壊されて、バーサーカーの旦那も殺されて、イリヤも殺される訳だ。士郎も殺されてセイバーは……どうなるんだ?」

 

 セイバーが求婚を受けるとは思えないが、その手の話は苦手だ。触れずにおこう。

 さらに想像力を働かせると、ますますおかしな状況へと転がっていく。

 

「それでええと、あいつが聖杯に願うのは人類一掃だっけ? かなっちゃうな。いかん、想像以上に世界のピンチだった。しかしそうなると冬木市はラッキーだな。最初に滅びるから世界の終末を見ずにすむ。地上は綺麗さっぱり掃除されて、あいつの国ができ上がる訳だ」

 

 ギルガメッシュに仲間や協力者がいるのなら、報酬として大臣にでもなるつもりなのだろうか。いつの時代も権力欲というのは怖いものだ。

 あまりにもあんまりな想像に、セイバーはすっかり面食らってしまう。

 

「そ……そのような事、許されるはずがない。ギルガメッシュとて無敵でないのは先の戦いで立証済みのはず! 再びまみえようとも討ち倒せばいい。私とバーサーカー、妹紅の三人で――」

「いやだから、私が人生やり直したらここにいないって」

 

 あっけらかんと妹紅は言う。

 最悪の予測を、まったくもって意に介さない。

 

「それでいいのですか。妹紅にとってイリヤスフィールとバーサーカーは、掛け替えのない存在ではなかったのですか――!?」

「知らないな。やり直すって事は、イリヤとも旦那とも()()()()()って事だ」

 

 快活に笑う。

 イリヤや世界には悪いが、妹紅にとってはハッピーエンドだ。

 

「イリヤや旦那と遊んだり、飯を食べたり、笑い合った記憶も思い出もみーんな消える。無かった事になる。そうなれば知らない他人がどうなろうがどうでもいいし、私は願い通りの人生を()()()()()()()はずだろう? 困る事は何もない」

「しかし、それでは誰も救われない――!」

「私は救われてる」

「それは! 貴女の願いが我欲に満ちたものだからだ!」

「そりゃまあ、()()()()()のやり直しだからなぁ」

「――――ッ!!」

 

 何やらショックを受けた様子で、セイバーはよろよろと後ずさり、縁側に出た。

 顔に手を当ててうつむき、か弱い声で呟く。

 

「――私の願いも、このような――?」

「…………あれ? あの、セイバー?」

「……っ!」

 

 視界の端で何かを捉えたセイバーは、急に縁側を駆け出してしまった。

 何事かと妹紅も飛び出してみれば、イリヤを抱えた士郎が壁際に寄っていた。――その向こうの曲がり角へとセイバーは姿を消してしまう。

 士郎はセイバーの後ろ姿を見送っていて、イリヤは冷めた目でこちらを見ている。

 ようやく――妹紅は事態を理解し、確認のため訊ねる。

 

 

 

「もしかして今の、真面目な話だった?」

 

「バカモコウ」

 

 

 

 時折癇癪を起こす少女は、怒ってはいないようだが酷く呆れているようだった。

 ――三週間ばかりではあるが一緒に暮らしてきた仲である。さっきのバカ話を真に受けたりはしなかったようだ。

 しかし関係の浅いセイバーは、恐らく真剣なお悩み相談をしていたのだ。

 

「むう、後で謝るか。――士郎。セイバーの願いって過去のやり直し?」

「えっ、あ……それは……」

「それは困るぞ。()()()、士郎とセイバーもいないとギルガメッシュを倒せなかった」

 

 その言葉で、士郎も先程の話がくだらない悪ふざけだったという確信を得る。

 ため息をつくと、ツカツカと妹紅に歩み寄って、抱きかかえていたイリヤを差し出した。

 

「セイバーと話してくる。イリヤを頼んでいいか?」

「すまない、迷惑かけたみたいだ」

 

 イリヤを向かい合う形で抱っこする。33kgの軽さにはもう慣れた。長い長い放浪生活や竹林生活のおかげで細腕に見合わぬ持久力を備えているもので。

 士郎がドタドタとセイバーを追いかけて行き、残された二人はしばし黙り込む。

 冗談半分とはいえ今のは不味かったか。セラとリズの喪失を茶化してしまってもいる。

 

「あ~……イリヤごめん、悪ふざけが過ぎた」

「別にいいわ」

 

 耳元でイリヤがささやく。

 まるで恋人と語り合うが如く、妙に艶やかな声色で鼓膜を撫でる。

 

「――ようやく、勘違いに気づけたし」

「…………ほへ?」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎はセイバーとあれこれ話したらしいが、円満解決とはいかなかったのか、食卓の場に現れたセイバーはどうにも大人しく、飼い主に叱られた犬を連想させる。

 今日のお昼は海鮮スープ。魚肉の団子、イカ、小エビが食欲をそそる。

 さらに栄養を考えて野菜もバッチリ。色彩を豊かにするニンジンとブロッコリー。

「おっ」と歓びの声を上げたのは妹紅だ。

 

「海の幸か」

「イリヤのリクエストでな。――ああ、バーサーカーにはもう運んどいたから」

「ありがたい。いただきまーす」

 

 イリヤがちゃんと食べられるか、味見も兼ねて先に口をつける。

 魚肉団子をがぶり。たっぷりの汁が口内にあふれ、大海原へと変貌する。これこそ生命の味。

 

「うん、美味い美味い。イリヤは何から食べたい? エビか?」

「――セイバー、食べさせて」

 

 いつものように世話を焼こうとする妹紅だったが、イリヤはなぜかセイバーにそれを命じた。

 イリヤを挟むようにして座っているセイバーが面食らう様を、妹紅は軽く睨みつける。

 構わずイリヤは催促した。

 

「セイバー」

「え、ええ……構いませんが……」

 

 スプーンを取り、エビをイリヤの口に運ぶセイバー。

 昨日もこのようにサンドイッチを食べさせたので、頼まれるのも吝かではないが、弱っているとはいえスプーンはかろうじて使えるのだし、食べさせてもらうにしても妹紅がいるのになぜ?

 という疑問がイリヤ以外の全員に抱かれる。

 

 未だ落ち込んだままのセイバーを気遣い、気晴らしの一種として奉仕させている?

 妹紅のしょうもないIF語りに呆れたため、素っ気ない態度を取っている?

 あるいは、せっかくの海鮮料理なのだから気兼ねなく妹紅に食べさせてやろうという配慮?

 

 ともかく、食べるのが好きなセイバーであっても、イリヤのお願いとあっては真摯に応じてしまう。イリヤが咀嚼している間にセイバーも海鮮スープに口をつけ、白いご飯で後を追う。

 片手間で食べられたサンドイッチより忙しい。

 妹紅は毎日こんな事をやっていたのかとわずかに見直し、視線を送る。

 こんなしょうもない事に以心伝心の無駄遣いをした妹紅は、こんな事で見直すなと抗議の眼差しを送る。

 またもや特に絆で結ばれてもいないのに偶発的な以心伝心に成功したセイバーが……。

 

「セイバー、肉団子」

「あっ、はい。……ええと、崩した方が食べやすいですね」

 

 無意味な以心伝心合戦はイリヤによって阻止され、妹紅は気兼ねなく海の幸を堪能する。

 それを見て士郎はほがらかに話しかける。

 

「妹紅は魚介類が好きなのか?」

「んっ……そうだな。八目鰻とか好きだよ」

「ヤツメ……これまた渋いところを」

 

 八目鰻と聞いて、セイバーは故国で食べた八目鰻を思い返す。

 ……泥臭くてとても不味かった。しかし飢餓と戦い続けたブリテンにとってはご馳走だった。

 この時代、この国ならば、アレを美味しく食べる事もできるのだろうか。

 

「――モコウ。海のサチ、好きでしょ?」

 

 異を唱えたのはイリヤだ。八目鰻は川で取れるものであり、やはり海の幸をリクエストしたのは妹紅のための行為だった。

 

「好きか嫌いかなら好きだけど、普段食べられないから今のうちにと食べてるだけだ」

「そう……卑しいサーヴァントね。まだまだ教育が必要かしら」

「マスター、またお寿司食べたいです」

「シロウのご飯にケチつける子は駄目」

「つけてないよ!?」

 

 ニンジンやブロッコリーといった野菜にも魚介の味が沁み込んでいて美味しいのに!

 ケチなんかつけるはずない。士郎は確実に料理上手なのだから。

 士郎もスープの椀を片手に苦笑する。イリヤが楽しそうにしているのを見るのは嬉しい。

 

「ハハッ――八目鰻か。商店街じゃ売ってなかったな」

「おっと衛宮士郎、八目鰻で私を懐柔できるなどという甘い考えは持たない事だ」

「懐柔って。そんなつもりじゃ――」

 

 ビシッと箸を衛宮士郎に突きつける藤原妹紅。

 その行い――マナー違反である。口うるさい頑固親父がいたらちゃぶ台を引っくり返されてしまう。だが幸いここに頑固親父はいない。頑固じゃない親父ももういない。

 故に、妹紅の力強い言葉を遮るものは無し! カッと目を見開いてキッパリと告げる。

 

「私を懐柔したかったら、タケノコご飯と焼き鳥を持ってこい! それと酒ェーッ!」

 

 すごくどうでもいい発言だった。

 士郎は戸惑って口を半開きにしてしまうし、セイバーは冷めた目で見つめてくる。

 ただイリヤは。

 

「タケノコご飯……」

 

 ささやくような声色で、そう呟き。

 

「……イリヤはタケノコご飯が食べたいのか?」

 

 それを聞き取った士郎が訊ねると、コクンと、可愛らしく頷いた。

 妹紅はというと意外そうにしながらイリヤの顔を覗き込む。

 

「イリヤってそんなに気に入ってたの? タケノコご飯」

 

 確かにお気に召してはいたが、こんなにも期待に満ちた表情を浮かべるとは思わなかった。

 ちょっと照れているような、子供らしいというか、外見年齢相応っぽい、あどけない横顔。

 それを引き出したのはタケノコご飯――ではなく、士郎なのだろう。

 

「……一番の得意料理、シロウの方が上手だったら立つ瀬が無いわね、モコウ」

「私より上手に作れるなら是非とも食べたいぞ。というかむしろ興味ある。士郎のタケノコご飯となれば確実に美味いはずだからな!」

 

 屈託のない笑みを浮かべながら海鮮スープをすする妹紅。

 本当に裏表なく、士郎の料理を楽しんでおり、楽しみにしている。

 さらにセイバーもまた、タケノコご飯という響きにうっとりとしていた。優れた直感が告げている――それ絶対美味しい料理だと!

 

 イリヤ、妹紅、そしてセイバーからも期待の眼差しを向けられては、男、士郎に断れるはずもなし。しかし夕食の献立はもう賞味期限の都合もあって決めてあるので――。

 

「よし。じゃあ()()はタケノコご飯にしようか」

 

 そのような約束を、交わしたのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――食後。妹紅が士郎と一緒に皿洗いをしていると、背後からイリヤの視線を感じた。どうも士郎が家事をする姿が好きらしいので、あまり仕事を横取りしない方がいいかもしれない。

 イリヤは……今日も、料理は半分以上残してしまった。

 だがタケノコご飯なら、わざわざ自分が食べたいからとリクエストしたものなら、もっと。

 

 二人がかりの皿洗いがすむと、洗濯物を干すのを手伝ってくれと頼まれた。

 洗濯機の使い方がよく分からないので洗うのは任せっぱなしだったが、干すのはまあ、手伝った方がいいだろう。女物の衣服を男子に任せ切りというのも問題がありそうなので。

 そうして、二人で中庭に物干し竿を立てて衣服やらシーツやらかけている様を。

 

 縁側から、イリヤとセイバーが並んで見つめていた。

 

 ……何が楽しいのだろう。イリヤもセイバーも、士郎の手際を見てほんのりほほ笑んでいる。

 妹紅は邪魔なのだろうか。やはり全部士郎に任せた方がいいのか。

 自分のブラウスと紅い袴、イリヤが元々着ていた薄紫の服と白いスカートもまとめて干す。

 明日は久々に通常スタイルに戻れるだろう。太ももも寒くなくなる。

 

 

 

「~~~~♪」

 

 不意に、清らかな歌声が聴こえてきた。

 おや? と思い、妹紅も士郎も手を止めてしまう。

 見れば、背筋をまっすぐに伸ばしたイリヤが、目を閉じて歌を口ずさんでいた――。

 

 素朴で優しく、けれど淋しげなメロディ。

 どこかの元気印の夜雀(ローレライ)とは大違いだなと苦笑する。

 かたわらに座るセイバーが穏やかな表情で聴き入ってる。なんて平和な光景だろう。――敵同士だという事を忘れてしまうほどに。

 この日常を壊したくない。そんな想いがあふれてきて、だから、日常となりえる行動をのんびり再開する。洗濯物を物干し竿へ。その作業を、できるだけゆっくりと。

 少しでも長く続くように――。

 士郎も同じように、ゆっくりと、作業を再開する。

 ああ、洗濯物を干すなんて作業、二人がかりじゃあっという間に終わってしまう。

 もっと洗濯物があればいいのに。

 

 少しでも終わりを先延ばしにしたくて、手を止めてチラリと中庭の奥を確認する。

 バーサーカー。イリヤに忠実なサーヴァント。狂える大英雄もまた、歌声に聴き入っていた。

 相変わらず無表情で、斧剣片手に仁王立ちしているだけであり、感情の色など表には出さない。

 けれど、多分、間違ってはいないはずだ。

 

 ――洗濯物を干し終えた後もしばらくイリヤは歌い続けた。

 夢のような時間を、士郎は噛みしめるようにして過ごす。

 これはきっと、大切な思い出になるのだと予感しながら。

 

 歌い終えた後、しばし士郎もセイバーも黙り込んだままだった。

 イリヤも目を閉じたままで、時間が止まってしまったかのよう。

 

「――お前、歌えるんだな」

 

 感嘆を込めて妹紅が言うと、イリヤはようやくまぶたを開いた。

 

「――()()盗み聞き?」

()()って何よ」

 

 イリヤが意味深に笑うと、廊下の曲がり角の向こうから遠坂凛とアーチャーが現れた。

 いつの間にやら帰ってきていたらしい。それに気づけないとは、歌に聴き入ってすっかりボケていたようだ。

 

「邪魔しちゃ悪いかなって、終わるまで待ってて上げただけ」

「ご親切にどーも」

 

 そう答えるイリヤの視線は、なぜか凛ではなくアーチャーに向けられていた。

 相変わらず眉間にしわの寄ったしかめっ面。こいつに歌を解する感性なんてあるんだろうかと妹紅は疑問に思った。

 未だ正体が分からないし、馴れ合いも避けているし、単独でバーサーカーを5回も殺せてしまうし、やはり好きになれない。

 せめて衛宮士郎の半分くらい親しみがあればいいのに。

 ……いや、半分ぽっちじゃ足りなさそうだ。

 

「…………疲れちゃった。少し休むわ」

 

 顔を伏せ、イリヤがセイバーの膝へと身体を預ける。

 こんなところで寝ては風邪を引くと、妹紅は客室に戻って布団を敷いてやった。

 セイバーに運ばれてきたイリヤを寝かせると、凛も客室に入ってくる。

 

「やっぱり調子悪いみたいね。――診察していいかしら?」

「いいけど、私も立ち会うぞ」

 

 魔術の事はよく分からないし、凛が妙な企みをするとも思わない。

 それでも完全にイリヤの味方と言えるのは妹紅とバーサーカーだけなのだ。

 少なくとも今この時は、そうであるはずだ。

 

 

 




 IFを知りたい? タイガー道場に通おう。

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