イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第36話 願いはいつだって自分のために

 

 

 

 客室で眠るイリヤを挟んで座っている妹紅と凛。

 検査が進むにつれ、凛の表情が険しいものへとなっていった。

 イリヤの柔肌に手を起き、魔術回路を起動させて探りながら呟く。

 

「どういう事? ――魂の量が大きすぎる。人間なら器が砕け散るくらいに」

「どういう事? イリヤの魂が18歳サイズにでもなったか」

 

 妹紅のトンチンカンな解釈も、場を和ませる事はなかった。

 凛は首を左右に振り、愕然とした様子で告げる。

 

「英霊の魂を蒐集してる――まるで聖杯のように」

「……魂……蒐集、って……アサシンと、キャスターと、ライダーと」

「英雄王ギルガメッシュ」

「の魂をか?」

 

 第三魔法、魂の物質化に至っている妹紅は、魂の質量という概念を感覚で理解していた。

 言葉での説明は難しいが、確かに、あいつらの魂をひとつの肉体に収めるなんて無茶な話。

 

「――じゃあ、ギルガメッシュが消えた後、急にイリヤが倒れたのは」

「蒐集した魂を維持するため人体の機能を停止させて()()を作ってる」

 

 それもアハト翁とやらの仕業か。――セラとリズも知っていたのか。

 だからライダーが消滅した晩もイリヤを気遣った訳だ。

 

「……マスターとして聖杯戦争に勝ち残らなきゃいけない。だったら、生命の維持に支障が出るような事はない、そうだな?」

「それと魔力供給もね。ただ手足を動かす機能や、呼吸する機能は――酷く、弱まってる」

 

 呼吸する能力とは、食事を摂る能力にも関わってくる。食べ物は喉と胸を通るのだから。

 ろくに酸素を吸えない環境での食事は疲れる。炎の扱いになれない頃、煙をもろに吸って酷い目に遭った事を妹紅は思い出していた。

 

「だからって、たった四騎でこれって、じゃあ六騎全部の魂を蒐集したらどうなるんだ。いや金ピカ含めたら七騎か」

「多分、ギルガメッシュの魂が規格外なのよ。イリヤも"大きすぎる"って言ってたし……本来ならサーヴァント()()を収められるキャパシティがあるはず。でも」

「……イリヤの命が惜しければ、聖杯戦争はここでおしまいにしろと?」

 

 妹紅の問いに、凛は答えなかった。

 イリヤの命を優先するなら、それもひとつの手。しかし幾つか見落としがある気がした。

 

「おしまいになんかしない」

 

 ふいに、二人の間から溶けて消えてしまいそうな声がした。

 見れば、イリヤのまぶたが開いていた。

 いつの間に起きていたのかは分からないが、会話はしっかり聞かれていたらしい。

 

「わたしはアインツベルンの悲願を叶える。そのために機能しているんだから」

「おい。なんで英霊の魂なんか集めてる? このままだと勝ち上がっても死ぬぞ」

 

 妹紅は有無を言わさず切り込むが、イリヤは毅然とした態度を崩さない。

 

「リンの言うコトなんて真に受けないの。わたしは死なないし、残りのサーヴァントも受け入れられるわ。最悪――他の身体機能を停止させれば"空き"も広がるもの」

 

 淡々と語る言葉に迷いは無く、妹紅は早々に引き下がらせるのは無理だなと悟った。

 しかしそれはそれとして分からない事だらけなのだ。納得なんてできやしない。

 

「いい加減にしろよイリヤ。誰のおかげで死なずにすんだと思ってる? ――私が守ってやった。士郎がかばってくれた。セイバーが活路を示してくれた。凛が交渉をしてくれた。アーチャーは知らん。そろそろ事情を話せ。凛に聞かれたくないなら追い出すから」

 

 自分以外の皆々の名前を挙げながら、自分にだけは話せと要求する身勝手さ。

 凛が文句を言いたそうに睨んできたが、妹紅はまっすぐイリヤを見る。

 紅い眼で朱い眼を。

 

「――英霊の魂をなんでイリヤが蒐集してる。そうまでして目指すアインツベルンの悲願ってのは何だ」

「何って第三魔法でしょ」

 

 答えは青みがかった瞳から。

 ハッと顔を上げると遠坂凛が、そんな事も分からないのと馬鹿にするように妹紅を見ていた。

 

「……第三……不老不死の魔法?」

「魔術師は"根源"を目指すもの。第三魔法はそれに至る手段のひとつ。――アインツベルンが妹紅を迎え入れたのも、第三魔法に至った人間を野放しにしたくなかったからでしょう?」

 

 聡明な若き魔術師が暴き立てる。イリヤの語らなかった事情を。

 妹紅は空白の表情を浮かべ、しばし、凛を見つめていた。

 ――理由探しをする。否定できる理由。あるはずだ。あった。

 

「違う。第三魔法については、まあ、最初は聞かれたが……必要以上に秘密を探っては来なかったしそもそも、こいつはもう"不老不死の薬"がどこにあるのか知ってる。こっそりバーサーカーに命令すればほんの数秒で不老不死の薬が手に入る。それをしなかった」

「家系、血統を重んじる魔術師は、みずからの魔術で"根源"を目指すものよ。――私も、あんたの肝を食べて"根源"に至ろうとは思わないわ」

 

 腹を指さされ、妹紅はたじろいだ。

 不老不死という欲に憑かれて迫ってくる者、不老不死という地獄を畏れて離れる者はいた。

 しかし不老不死を是としながら、誇り高さ故に拒否する者は初めてだった。

 

「――そうなのか。そうなのか、イリヤ」

 

 視線を落とす。

 つまらなそうに。ああ、とてもとてもつまらなそうに、朱い眼が背けられる。

 

 ああ、そうなのか。

 思い返してみれば、確かに、妙に、不老不死を意識していた。

 第三魔法とは、天の杯(ヘブンズフィール)とは、わざわざご高説を語ってくれた。

 セラも、リズも、大切な事を隠したままいなくなってしまった。

 イリヤも、そうしようとしていたのか。

 

 

 

 戦争も復讐も肯定し、イリヤの笑顔のため身を挺して戦ってきた異邦人。

 そんな彼女がイリヤを否定する、譲れない一線があるとするならば――。

 ()()()()()()()()()()()()を、自分と同じにしたくないという我儘だ。

 

 

 

「やめときな。不老不死は孤独で救われないもんだ」

「わたしは天の杯(ヘブンズフィール)に至るため作られたホムンクルス。――不老不死を厭うような精神性、元から持ち合わせていない」

「っ……」

 

 不老である仙人や天人は、まず『生きる欲』を捨てないとなれないという。

 仏陀もまた『生きる欲』を滅却して解脱したという。

 生命の構造として、寿命に見合った精神を構築するのは当然の帰結だ。

 

 そういった精神性を、妹紅は理解できない。

 死ぬ事も許されず、仙人になる事もできず、人間のまま人間と暮らせなくなる。

 どんなに達観しても、どんなに老成しても。

 狂わず、朽ちず、人間として在り続けてしまう永遠の牢獄。

 

 分かるはずもない――自然の嬰児であるホムンクルスの気持ちなど。

 

「それにね、モコウみたいに物質界に留まるつもりもない。本物の魔法を見せて上げる。わたしの魂はより高位の次元に属し、その精神も――」

「知った事かッ――」

 

 だから、否定するしかできなかった。

 理屈なんて無い。理由なんて無い。

 単なる感情論の押しつけしか妹紅にはできない。

 

「何が不老不死だ、何が"根源"だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「不老不死にも"根源"にも興味無いわ。ただ、そうしなくちゃいけないからそうするだけ」

「アインツベルンの悲願なんか放っておけ、お前がつき合う必要はないッ。高位の次元? そんなところに行ってどうなる。せっかく衛宮士郎と仲良くなれたのに、それを自分から捨てるのか。何もかも捨てて独りで行くつもりか。何が不老不死だ、こんな、こんなもの――!」

 

 煮える、腸が煮える。

 蓬莱の薬の溜まった生き肝さえもグツグツと沸き立って、薬が汗となって揮発しそうに思える。

 まな板の上の鯉のように、布団に寝そべってろくに歩けもしなくなった少女。

 弱々しく、けれど誇り高く美しいマスター。

 

「死ねッ!」

 

 そんな少女に、暴言をぶつけるしかできない。

 ギルガメッシュの時の演技とは違う。正真正銘、心から吐き出した暴言だ。

 

「お前は()()で死ねッ! 聖杯戦争なんか台無しにしてやる! アインツベルンの悲願と挫折を抱えたまま死んでしまえ!!」

「――――まあ、死ぬけど」

 

 あまりにもあっさりと、イリヤは告げた。

 それは妹紅の暴言(ねがい)の肯定ではない。

 単なる事実を述べたかのような、そんな言葉。

 

「――なに?」

「言われなくとも、天の杯(ヘブンズフィール)に至れなかったらわたしは死ぬの。――リンならもう気づいてるでしょ? わざわざ黙ってるなんて憐れみのつもりかしら」

 

 当惑しながら、妹紅は凛を睨んだ。

 冷たい魔術師の顔をしている。だからきっと、これから言う事はすべて事実。

 

「聖杯戦争に勝ちさえすればいいっていう肉体改造の影響でしょうね。一年よ」

「……一年? 何が……」

「イリヤの寿命は残り一年ってところ」

 

 思考が凍てつく。

 何だそれは。イリヤの肉体は、人生は、いったいどういう理屈で、道理で、そのような宿命を背負わされているのだ。

 聖杯戦争だとか、マスターだとか、第三魔法だとか、ホムンクルスだとか。

 そんなもののために、この少女の命は在るとでも言うのか。

 

 ――ガシャンと、遠くで、あるいは近くで、何かが割れる。

 ――ガラリと、遠くで、あるいは近くで、何かが開け放たれる。

 

「今の話……本当なのか?」

「――お兄ちゃん」

 

 背後から声がし、イリヤの声が震えた。

 妹紅が無意識に振り向いてみれば、そこには廊下にお盆と湯呑みをぶちまけた衛宮士郎が立っていて、今、ドカドカと足音を立てて部屋に乗り込んできていた。

 

「遠坂! イリヤの寿命が一年っていうのは――!」

「――本当よ。衛宮くん、どこから聞いてたの?」

「っ……妹紅が、大声を張り上げたあたりから……」

 

 知った事かと、感情論のみで否定したあたりだ。

 妹紅の主義主張、身勝手も、結構聞かれてしまった。――それはいい。些事だ。

 士郎はイリヤの頭側に回ると、膝をつき、イリヤの頬にそっと手を伸ばす。

 

「…………イリヤ……お前……」

「あーあ……お兄ちゃんには、知られたくなかったんだけどな」

 

 それは、残酷な肯定。

 寿命が一年しかないと、イリヤは言っているのだ。

 士郎の手が震え、それを、イリヤの手がそっと包む。

 

「聖杯を手に入れたら、わたしはここからいなくなる。聖杯を手に入れられなかったら、すぐに死んでしまう。――だから()()()って言ったの」

「――――ッ!!」

 

 妹紅には分からない二人の、きっと、兄と妹としてのやり取りがあったのだろう。

 ひび割れるように士郎の瞳が歪む。狂おしいほどの嘆きが伝わってくる。

 

「聖杯――」

 

 だから、先んじてたどり着いた答えには妹紅も共感した。

 士郎はすがるように告げる。

 

「俺が勝ち残って、聖杯に願えば……イリヤの寿命を……」

「シロウは優しいね。でも、それはわたしの願いを踏みにじるものよ」

「それでも俺は、イリヤに生きていて欲しい」

 

 平凡な人間としての、当たり前の願い。

 しかしそれは、魔術師やホムンクルスの特異な思考とは相容れないものでもあった。

 だからイリヤは嬉しそうに、とても嬉しそうにしながらも、首を横に振ったのだ。

 だから妹紅は。

 

「私は賛成だ」

 

 裏切った振りをしてまでイリヤを守った妹紅は――裏切りを宣言する。

 ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、みずからのトラウマを理由に歯を剥いた。

 

「士郎に聖杯を取らせる。だからお前はここで大人しく家族ごっこするんだな」

「――モコウ。貴女のマスターは誰?」

「最悪の場合、聖杯をぶっ壊してでもイリヤには渡さない」

「――モコウ」

「一年後も百年後も私にとっちゃ大差ない。イリヤが望むなら()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 脳裏に――銀色のメイドが思い浮かぶ。

 それはセラではなく、リズでもなかった。

 今は遠き幻想郷にて、夜の竹林へ肝試しにやってきた愉快な主従。

 吸血鬼の主と、人間のメイド。

 吸血鬼は誘った。不老不死になればずっと一緒に居られると。

 しかし、人間のメイドは柔らかに拒否をした。

 

『私は一生死ぬ人間ですよ。大丈夫、生きている間は一緒に居ますから』

 

 それを聞いて、ああいいなと、羨ましいな、美しいなと、妹紅は思った。

 永遠なんて要らない。思い出が埋没し、別れ続け、喪い続ける人生なんてイヤだ。

 けれど、そんな妹紅の想いは――イリヤの表情を怒りで歪めさせた。

 

 

 

「――同情してるの? 可哀想なわたしに、優しく手を差し伸べてくれてるんだ」

「イリヤ、私は」

「憐れみなんて、要らない」

 

 苛烈な拒絶。弱々しく機能を喪失した身体に覇気が蘇る。

 頬に触れたままの士郎の手を引き剥がし、両の手で身体を支えながら上半身を起こす。

 朱い瞳が爛々と輝いて、紅い瞳を鋭く射抜く。

 

「わたしがマスターで、貴女がサーヴァント――それを(たが)えるつもり?」

「それは、でも……」

「勝手にわたしの願いを否定しないで……! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()につき合わせないで!」

 

 言葉に胸をえぐられる。

 ああ、そんな事は分かっていた。自覚していた。

 それでも、見抜かれていた事が、突きつけられた事が、こんなにも苦しいなんて。

 

「モコウ――わたしはもう、貴女の願いを知ってる。わたしに取り入った理由も知ってる」

「イリヤ――やめろ」

「わたしがシロウを殺すところを見たかったのよね?」

 

 ああ――その通りだ。

 妹紅の肩から力が抜け、腕がだらりと下がってしまった。

 構わずイリヤは続ける。

 

「モコウはカグヤ姫を殺せないから、カグヤ姫も"蓬莱の薬"を飲んでいるから――貴女はカグヤ姫を殺す事をあきらめてしまっている。終わらない殺し合いで満足してしまっている」

「――違う」

「わたしの復讐を手伝って、わたしをモコウと重ねて、シロウをカグヤ姫と重ねて、自己投影して自己満足して、自分はちゃんと復讐できるんだって誤魔化したかったのよ」

「そんなつもりじゃ――!」

 

 1300年を生きた不死者が、見かけ相応、十数歳の少女らしい悲鳴を上げた。

 否定の叫びはどうしようもないほど赤裸々に、イリヤの指摘を肯定してしまっている。

 士郎は妹紅とひとつ屋根となって予想外の顔をたくさん見てきた。けれど、これほどまでに想像と離れた妹紅を見る事になろうとは。

 イリヤはさらに深く、妹紅の真実を暴いていく。

 

「違わない! モコウの聖杯に託す願いがそれを証明してるもの!」

「――――ッ!」

「不老不死を死なせる方法が貴女の願い。でもどうしてその願いをカグヤ姫に向けないの? それで貴女の復讐は叶うのに!」

 

 口を軽くされて、漏らしてしまった願い。

 仇が薬屋ではなくお姫様であると誤解を解きつつも、願いの内容を勘違いするよう誘導した事。

 すべて見抜かれて、暴かれて、ひび割れそうな顔で歯を食いしばる妹紅。

 その先を言わないでと願いながら、それが叶わぬと理解し、諦観してしまう。

 

 

 

「モコウの願いは、不老不死となった自分自身の"死"よ」

 

 

 

 ――生きてるって素晴らしい。

 最近、そんな風に思えるようになった。

 輝夜は許せない。けれど殺し合うのは楽しくて、生き甲斐を感じて。

 巫女やら魔女やら庭師やらメイドやら、面白い連中とも出会って。

 お節介焼きな友人も安堵の笑みを浮かべるようになって。

 

 それでも。

 死ねる可能性を見つけてしまったら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「いちいち敵の攻撃を受けるのは、性質を見抜いたり相討ちを狙うだけじゃなく――もしかしたら死ねるのではという期待が性根に染みついているから。ライダーに石化された時だってそう。石化なら永遠に意識を停滞させ、擬似的な死に至れるのではないかと試していた。ギルガメッシュの時でさえ、貴女が死んだらわたしも殺されてしまうところだったというのに……わざわざ不死殺しの原典の採点すら、していたわね」

「そんな、事は……」

 

 無いと言い切れない妹紅は、あまりにも弱々しかった。

 無限の"生"に怯える女の子の素顔が、そこにある。

 

「貴女は本当に、わたしのために戦っているの?」

「――――ッ」

 

 妹紅は死の誘惑を跳ね除け、乖離剣エアの隙を突いた。だがあの時、妹紅を突き動かしたのは本当にイリヤへの情だったのか? 気に入らない英雄王を殺す絶好のチャンスに飛びついただけではなかったのか? 自分自身の心の在処すら、妹紅は見失いかけていた。

 イリヤは、そんなサーヴァントの素顔を更に暴き立てる。

 

「自分自身を重ねたわたしが復讐をやめて、不老不死になるのがイヤなだけでしょう? わたしが平凡な人間として一生を送る姿に()()()()して、()()()()したいだけの浅ましい女。どこまで()()()()なのかしら――」

「――――違わない。でも、それだけじゃないだろ」

 

 アインツベルン城での日々はお互いに隠し事だらけだった。

 それでも共に笑い合った日々は本物だった。

 そんな事はイリヤだって分かっている。

 それでも。

 

「黙りなさいモコウ。わたしは憐れみなんかより、聖杯が欲しいの」

「――――」

 

 共感を抱き、馴れ合い、笑い合いながらも。

 一番深いところでは相容れない。

 二人の関係は、そんなものだったのかもしれない。

 

 出逢いは運命(Fate)ではなく、必然は無く、単なる偶然の事故でしかなかった。

 

 妹紅は(きびす)を返して部屋を出て行く。

 だからもう、残された士郎にも言える言葉なんて無かった。

 イリヤの決意を変える言葉なんて無かった――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅はすっかり無気力になりつつ、中庭を飛んでバーサーカーの肩に座り込んだ。

 野太い首に支えられた頭を肘掛けとし、ぐったりとうなだれてため息をつく。

 

「あー……しくじったぁ。何であんな言い方しちゃったんだろ」

 

 イリヤに不老不死になって欲しくないのは本音だが、それにしたって、あんな感情的に怒鳴り散らすのでは聞く耳なんか持ってくれるはずもない。

 他人とのコミュニケーションが苦手な妹紅にだって、それくらいは分かる。

 しかし巧い言い方なんて思いつかないし、巧い言い方をしたところで――。

 

「言い方を変えたとて、彼女の決意は変わらんだろう」

 

 嫌味な声が降ってきた。

 思いっ切り仰け反ってバーサーカーの頭に背中を沿わせ、視界が上下反転するまで引っくり返ってみれば、土蔵の屋根にアーチャーが立っていた。

 

「なんだ、盗み聞きでもしてたのか」

「見張りをするようマスターから命じられてるからな」

「令呪はもう無いのに、まだ裏切らないのか?」

「最初から令呪など持ち合わせてない君に言われたくはないな」

 

 アーチャーは生意気そうに笑う。

 まあ、裏切る裏切らないの話なら、ついさっき裏切った事になるのだろうか妹紅は。

 それに引き換えアーチャーは『衛宮士郎と同盟を組んだのはマスターであって私ではない』なんて言い訳をしている。こっちの分が悪いかもしれない。

 

「……私もだいぶ化けの皮が剥がれてきた。だがお前は正体不明のままだ。真名はなんだ? 宝具を大量に出せるのはなんでだ? 聖杯に何を願う? 凛の奴を裏切ったりしないんだろうな?」

「生憎、記憶はすっかり摩耗していてね……」

「胡散臭いんだよお前。性格も悪そうだし、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――お断りだ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、妙に感情を込めて拒絶するアーチャー。

 性格が悪い男は、性格のいい士郎がお気に召さないのだろうか。

 分からないでもない。妹紅も性格がよろしいとは言えないので、清廉潔白な聖人がいたら確実に鬱陶しがるし、ケチをつけたくなる。

 人間が当たり前に持つ悪性が沸き立つというものだ。

 お互い陰険な眼差しで睨み合う。

 

「……それにしても、かぐや姫、か」

「なんだ、喧嘩売ってるなら買うぞ」

「いやなに。まるで第三魔法のバーゲンセールだと思ってな」

 

 その発言に、妹紅は目を丸くした。

 聞いた事のあるフレーズだ。

 というか漫画で見た。

 

「………………………………ドラゴンボール知ってんの?」

「………………………………君こそ知っているのか?」

 

 気まずそうに顔を背けながらも、律儀に答えるアーチャー。

 過去の時代の英雄が漫画なんて知ってるはずない。つまり召喚後に読んだという事。

 つまり――遠坂凛の家には少年漫画が並んでたりするのか?

 

「……まあ、幻想郷にも漫画が流れ着いたりするから……」

「幻想郷……? ……そうか……君も漫画を読んだりするのだな」

「まあな。――聖闘士星矢とか好きだぜ。鳳翼天翔もスペルで再現してる。柳洞寺で使ったし、車で逃げるお前等にも使おうとしただろ?」

「そうか――」

「ギルガメッシュってさ、見かけだけは黄金聖闘士みたいで格好よかったよな」

「ああ、まあ……分からなくもない」

「聖闘士みたいな格好するなら、正義の味方でもやれってんだ」

「……あー……うむ、いや……あんなのが正義の味方になっても、正義が困るだろう」

「――そういえばセイバーのエクスカリバーって、手刀でできないの? 山羊座みたく」

「無理なんじゃないかなぁ……」

 

 アーチャーの素の人格がスイッチオン。

 鉄面皮から、柔らかい苦笑がこぼれ落ちる。

 妹紅もなんだか脱力してしまって、アーチャーと口論や喧嘩をする気が萎えてしまった。

 信用できるかできないかで言えば、まだ信用できないでいる。

 しかし好きか嫌いかで言えば、今は、どちらでもないくらいにはなった。

 たかが漫画の話で。

 ああ安っぽい。なんとも安っぽい。

 けれど人間なんてそんなもの。趣味が合えば気分も合うのだ。

 

「――おい。明日、士郎がタケノコご飯作るってさ。たまにはお前も食べないか?」

「――無用な気遣いだ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 イリヤスフィールは布団に潜り込むと、どこかの誰かさんと同じようなぼやきを漏らした。

 

「あー……失敗したなぁ。何であんな言い方になっちゃったんだろ」

 

 とは言うものの、妹紅からの憐れみがプライドを傷つけたのだから仕方ない。

 上下関係を覆されないためには、深層心理を暴き立ててのマウンティングが必要だった。

 その企みは成功した、でも――妹紅はもうサーヴァントで居続けてくれないかもしれない。

 凛に身体的事情を明かされてしまうのは想定していた。

 それでも、聖杯を手にすれば解決すると解釈した妹紅が側に居続ける予定だったのだ。

 なのに、アインツベルンの悲願が第三魔法だという事まで暴露してしまうなんて――!

 

「リンったら、空気読めないんだから……」

 

 無論、いつまでも隠し続けていられるものではない。

 しかしタイミング次第で、もしかしたら。

 あの時、妹紅をベッドに押し倒して迫った時のように――。

 今度こそ間違えなければ――。

 そのような願望を意識すると、胸がきゅっと苦しくなる。

 

「…………シロウ……」

 

 ずっと、ずっと、一番に欲しかった男の子。

 イリヤに残った最後の家族。

 手中に収める算段はすでに無く、彼にはここにいて欲しいと願ってしまう。

 でも、白髪(はくはつ)褐色のアーチャーを見てこうも思うのだ。

 衛宮士郎をこのままにしていいのかと。

 ――イリヤの手は小さく、すべてを掴み取るなんてできない。

 だから、第三魔法を目指す事――それを最優先にするのが、正しいはずだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「喋りすぎちゃったかな」

 

 離れに戻った凛は独りごちた。

 驚きや、士郎と妹紅にも情報を開示すべきだと判断したのは自分だ。

 しかしその開示範囲は、これでよかったのだろうか?

 黙っていてやった方が、もうしばらく平穏な日々を遅れただろうに。

 

「心の贅肉……」

 

 魔術師としての冷静さ、冷徹さを凛は持っている。

 それなのに、こうして甘い思考をしてしまうのは心に贅肉があるせいだ。

 削ぎ落とせばより完璧な魔術師となれる。

 しかし――。

 

「イリヤスフィール……か……」

 

 あれほどまでに憐れみを拒んだ少女を、どうしても憐れんでしまうのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 夕食の席に妹紅は姿を現さず、食卓を囲むのは士郎、セイバー、凛、イリヤの四人だった。

 

「どうせ不貞腐れてるんでしょ。ほっとけばいいのよ」

 

 などと言ったイリヤは、ほんの数口で食事を終えてしまった。

 マスター三人、サーヴァント三騎+αでひとつ屋根に暮らしながらも、信じられないほど穏やかな時間を過ごせていた。

 しかし、それが陰りつつある。

 イリヤ不調の真相と願い。

 藤原妹紅との不和と願い。

 セイバーとの不和と願い。

 

 この穏やかな日々は、長続きしないものだった。

 けれどいつまでも浸っていたいものだった。

 

 

 

 士郎がバーサーカーの食器を下げに行くと、バーサーカーはお盆を持ったままじーっと屋根を見上げていた。夕食はどれも手つかずだ。

 不思議に思い士郎も中庭に出て屋根を見上げると、あぐらをかいて座る妹紅と、背中合わせに立つアーチャーの姿があった。

 

「私が思うに――」

 

 士郎の登場に気づかず、アーチャーは語り出す。

 

「君がバーサーカーと夕食を分け合えば、彼は引き下がるのではないかね?」

「食欲が無い。お前が食べれば?」

「フンッ。あんな未熟な料理、食べたところでな」

「士郎の飯バカにすんな。そーゆーお前は料理できるのか」

「フッ――君が満足できるタケノコご飯を作ってしまってもいいのだぞ?」

「いらない。――士郎のタケノコご飯、食べる時やっぱりイリヤと顔合わせるよなぁ。ギスギスした空気で食べても美味しくないしなぁ。一人飯のが性に合う」

「随分さみしい人間なんだな。……アインツベルンではどうだったのだ?」

「あー、和気あいあいと食べてたよ。……メイドも二人いてさ、どっちもイリヤの事が大好きで、本当にいい奴だった。聖杯戦争が終わったら瓦礫掘り返して、墓でも建ててやるか」

「……君は、聖杯戦争が終わってもイリヤの側にいるつもりなのか?」

「どーしようかなー、と思ってる。……士郎が居れば、私はもう要らないだろうしな」

 

 ――ほんのつい先程、妹紅は言った。

 

『一年後も百年後も私にとっちゃ大差ない。イリヤが望むなら()()()()()()()()()()()()()

 

 あれはその場の勢いで言っただけだったのか、それともイリヤに望まれないと思っているのか。

 単に気持ちの整理がついていないというのもあるだろう。

 ――士郎だってそうだ。

 聖杯を手に入れて、イリヤの寿命を人並みにする。

 その願いを叶えたとして、イリヤは幸せになれるのか。イリヤを幸せにできるのか。

 

「随分とイリヤに入れ込んでいるな。だが、サーヴァント風情に過保護な保護者を気取られては、また機嫌を損ねられるぞ」

「今はあんな調子だから仕方ないだろ。元気ならそこまで面倒見ないし、不老不死以外はイリヤの好きにさせるさ。自分の生き方は自分で決めればいい」

 

 意外と距離感を保っている妹紅。

 今日はイリヤと妹紅の意外な部分ばかりを目撃している気がする士郎だった。

 しかしさすがに、これ以上はもう――。

 

「――――アレでも18歳なんだし」

「えっ」

 

 思わず声を上げる。

 意外すぎて声を上げる。

 確かにセイバーはイリヤの年齢が合わないと言っていたが、具体的な数字を出されると戸惑ってしまう。

 

「――士郎? なんだ、また盗み聞きか」

「あっ、いや……食器を下げようと……」

 

 妹紅が視線を下ろすのに合わせ、アーチャーが背中を向けたまま霊体化して姿を消した。

 妹紅と馴れ合いはしても、士郎と馴れ合う気は無いという事か。

 もしや女好き? スケコマシ?

 妹紅はピョンと跳ねて飛び降りてくる。凛とお揃いのミニスカートのまま。

 ヒラリ、と。

 赤と白のストライプが垣間見えた。

 ドキリと慌てる士郎に気づかず、妹紅はバーサーカーの持っているお盆を掴む。

 

「旦那。食べないなら下げるぞ」

「…………ごあっ」

「だから食欲無いんだってば」

 

 これは無理だなと判断した妹紅は、お盆を取り上げた。

 せっかく美味しそうな料理なのに、すっかり冷えてしまっている。

 

「実は現状、かなり最悪に詰んでる」

「……は?」

「理想は私が、妥協点は士郎が聖杯取る事なんだけど――相当難しいぞ」

 

 すでにイリヤを勝たせる気を無くした妹紅だが、その声は諦観に満ちていた。

 

「実は旦那の蘇生回数って1日2回くらい回復するから、もう残機7くらいになってる」

「……嘘だろ?」

「で、一度殺した攻撃には耐性がつくからセイバーじゃ火力は足りても手札が足りん」

 

 暴露されるバーサーカーの極めて重要な秘密。

 当の本人は妹紅の裏切りを分かっているのかいないのか、口止めをしようともしない。

 

「という訳で私や士郎が聖杯を取るのは非常に難しい。むしろ聖杯戦争ぶっ壊す方向で動いた方がいいかもしれない」

「けどそれじゃあ、イリヤの寿命は――」

「それはそれで、仕方ないかなとも思うんだ」

 

 妹紅はズイッとお盆を押しつけてくる。

 手つかずの料理を残念に思いながらも、士郎は素直に受け取った。元々食器回収に来たのだし。

 

「……なあ。イリヤが不老不死になったら、どうなるんだ?」

「高次元の精神世界だか魂世界だかに昇天。つまりお前とはオサラバだ」

「…………」

「イリヤにとってそっちの方が幸せだったとしても……永遠を苦にしない生命だとしても……私はやっぱり、士郎と家族ごっこしてるイリヤが好きだよ」

 

 妹紅自身どうすればいいのか迷っている。

 それでも士郎に情報と選択肢を分け与え、後悔しない道を探している。

 

 トンと妹紅は地を蹴って、星空へと飛び上がった。

 会話を打ち切られてしまった士郎は、チラリとバーサーカーを見、蘇生回数の件を凛にも伝えるべきか思案する。

 休戦中に裏切るような奴じゃない。

 しかし休戦を終えた後、バーサーカーが手に負えないからとイリヤの命を狙ったりしたら。

 あるいはこの情報を伝えなかったら、バーサーカーに勝てると油断して挑んでしまうかもしれない。

 誰も失わずに聖杯戦争を終えるなんてできやしない。何を残すか選び取らねばならない。

 

 大のため小を切り捨てる――それは残酷だけど合理的で正当な行為だ。

 けれど今、士郎の手にあるものは――掛け替えのない"小"ばかり。

 どうすればいいのだろう。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「今夜は一緒に寝なさい」

 

 士郎は、イリヤから、添い寝を申しつけられた。

 どうすればいいのだろう。

 

 相変わらず妹紅が姿を見せないので、イリヤの寝間着へのお着替えはセイバーが行った。

 さすがに女の子と一緒に寝るのは恥ずかしい士郎。

 セイバーとだって一度しか一緒に寝てないのに!

 そんな葛藤はあれど、イリヤは妹紅と喧嘩したばかり。

 さみしいんだろうな……なんて思ってしまったらもう、断るなんてできやしない。

 こうしてイリヤは士郎の部屋へとお邪魔した。

 

 修行僧呼ばわりされるほど物のない士郎の部屋も、布団を敷けばちょっとは物があるように見える。かもしれない。

 イリヤを布団の上に運ぶ際、なんだか犯罪的な絵面ではないかと不安になり、心の中で今は亡き養父へと謝罪する。

 そうして自分も布団に入り、掛け布団をかぶると。

 

「えへへ……シロウの匂いがする」

 

 なんて言いながら、イリヤが腕にしがみついてくる。

 その力の弱々しさに、士郎は切なくなってしまう。

 部屋の明かりは消してあるはずなのに、妙にハッキリと少女の笑顔が見える気がした。

 背負っている宿命、悲願、愛憎。

 どれもこれも重苦しいものなのに、今ここにいるのは、ただあどけないだけの女の子だ。

 

「…………ねえ、シロウ」

「……なんだ?」

「モコウ、わたしのコト嫌いになっちゃったかな……?」

 

 友達を作ったり、友達と喧嘩したり。

 そんな当たり前さえ知らないのだろう。

 安心させるよう、士郎はハッキリとした口調で答える。

 

「なる訳ないだろ」

「……でも…………」

「ちょっと言い合うくらい、誰だってするさ」

 

 誰だって。

 その言葉があまりにも遠い少女は、わずかに身体を弛緩させる。

 こんな、当たり前の事を何も知らないまま死んでしまうのか? 何も知らないままこの世界から去ってしまうのか?

 

「そうだ。みんなイリヤが好きなんだ。妹紅も、バーサーカーも、セイバーも、遠坂も……それから切嗣だって、絶対に」

「…………アーチャーは?」

「あいつは……どうだろ。イリヤを匿ってても文句を言ってこないんだから、嫌ってはないんじゃないか?」

 

 嫌われているだろう士郎は、たびたび嫌味を言われているもので。

 それもイリヤが来てからはなぜか収まったが。

 

「……みんな、イリヤと一緒にいたいって思ってる。だから」

「シロウは?」

 

 暗闇の中、朱い瞳がゆらりときらめく。

 分かりきった答えを待っている。

 分かりきった答えを告げる。

 

「前も言ったろう? 俺はイリヤと一緒にいたい。イリヤが好きだ。切嗣の残してくれた家族を、放ってなんかおけない」

 

 それを聞いて、満足気にイリヤは。

 

「うん、だからもういいの」

 

 そう呟いて、まぶたを閉じる。

 

「もういいの――」

 

 士郎の言葉に胸をあたたかくさせながら、静かな呼吸をさらに静かにさせていく。

 夜の深さへと溶けていく。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「むう」

 

 衛宮邸の壁に張りついている不審者がいた。

 宙に浮かびながら衛宮士郎の自室を覗いている不審者がいた。

 

「――何をやってるんだ、お前は」

 

 さらに、屋根の上に立つ赤衣の不審者が呆れた口調で訊ねると、宙に浮かんだ不審者は、その姿勢のまま重力に逆らって上昇する。

 

「駄目で元々、ちょっと頼ってみようかなと」

「…………私にか?」

「は? 何でお前なんかに頼らなきゃならないんだ」

「では誰にだ」

「誰って――」

 

 空を飛ぶ不審者は悪戯っぽく笑って答えた。

 

「有り体に言えばそうだな……"正義の味方"?」

「…………は?」

 

 なぜか苦虫を噛み潰したような顔をするアーチャー。

 はて、どうしたのだろうと妹紅は首を傾げた。

 

 

 




 錯綜する想い。
 すれ違う願い。

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