イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

43 / 57
第40話 重なる願い

 

 

 

「――固有結界。なるほどね、異空間に引きずり込んだのか」

 

 空が赤き光に照らされる柳洞寺に残された妹紅は、セイバーからアーチャーの行った魔術の正体を聞いていた。

 ルーンの刻まれた石はそこらの砂利に混じったまま。なるほど、これならランサーの強化を解除して戦えるって寸法だ。ただ――それを差し引いて考えてもやはり、分が悪いと思ってしまう。

 セイバーも同じ考えのようで、表情は険しい。

 

「しかしアーチャーが敗北すれば、ランサーはこちらの世界に戻ってくるでしょう」

「って事はモタモタしてられないな」

 

 アーチャーから感じたのは計算された勝算や自信ではなく、みずからを顧みぬ献身だった。

 もはや帰れぬと承知しての行為ならば、その意を汲んで前進すべきだ。

 

「行こう。イリヤを迎えに」

 

 士郎が言い、柳洞寺の裏へと歩き出す。闇色に染まった逆月はそちらに浮かんでおり、おぞましい泥もまたそちらから流れてきている。

 ――妹紅とセイバーも後に続く。

 

「シロウ。泥に触れないよう気をつけてください」

「ああ。…………柳洞寺のみんなは大丈夫かな? 泥に呑まれでもしたら……」

 

 この異常事態の真っ只中にありながら、人が出てくる気配は無い。

 魔術によって眠らされているなら避難ができず危険だ。

 

「それなら平気だろ」

 

 しかし妹紅はあっけらかんと答え、歩きながら本殿を指差す。

 

「ほら、泥が建物を避けるように蠢いてる。多分、キャスターかランサーが魔除けしてるな」

「そうか、それなら――」

「しまった」

 

 士郎を安堵させた直後、妹紅は冷え冷えとした声を吐き出す。

 不穏なものを感じて士郎とセイバーは足を止める。

 

「どうした? 魔除けに何か……」

「ランサーに渡すの、忘れてた」

 

 と、妹紅はポケットから槍の穂先のような形をしたルーン石のイヤリングを取り出した。

 ランサー召喚の触媒であり、バゼットの形見だ。

 藤原妹紅が預かるべきものではなく、持つべきものでもない。

 あの夜、あの森で出遭った赤枝の騎士のみが持つべきものだ。

 それを、すっかり忘れてしまっていただなんて。

 

「妹紅……」

 

 騎士の誇りを知る理想の騎士王は、その失態を憐れんだ。

 戦況に影響は無し。ランサーに返却したところで利は無く、このイヤリングが何かの役に立つ事も決して無い。ただ妹紅の心に影を残すだけである――。

 

「ま、いっか。()()()()()()()()()

「――――は?」

「ほら、急ぐぞ。ランサーなんかよりイリヤ優先だろ」

 

 騎士のあれやこれやの詰まったイヤリングを無造作にポケットに戻し、妹紅はとっとと駆け出してしまう。士郎とセイバーも慌てて後を追いつつ、そんな扱いでいいのかと呆れ果てる。

 今度会ったら――今度があるとしたら、それは、アーチャーが敗北し、ランサーが追いかけてきた時だ。

 だというのに、なんという気安さなのか。

 

「妹紅。貴女はランサーと敵同士とはいえ、信を置く関係ではなかったのですか?」

「あー? 遊び相手としては結構楽しいとは思うけど、片手で数える程度しか顔を合わせてない男にあれこれ義理立てするほど律儀じゃない」

 

 1回目、森で初勝負

 2回目、空中衝突お姫様抱っこ。

 3回目、寿司屋。

 4回目、英雄王以外全員集合柳洞寺大乱闘。

 5回目、間桐邸帰り道足止め戦闘。

 6回目、柳洞寺絶対英霊戦線。

 

 ――片手の指で数えるには些か不都合があるのだが、妹紅は気づかない。

 

「それよりどうする。旦那を抑える手数が絶対的に足りないぞ」

「やるしかないでしょう。最悪の場合、バーサーカーは私一人で受け持ちます」

「――()()()()()しろよ? どうせ使ったところで旦那は倒せないんだし」

「…………ええ……」

「私はアドリブで対応する。言峰の動向も読めないしな」

 

 その言葉にセイバーは不安を覚え、小さく息を吐いた。

 戦争など元より予定通りにいかぬもの。刻々と状況を変える戦場にアドリブで対応するなど日常茶飯事ではあったが、かと言って杜撰な作戦を肯定する訳ではない。

 今回は杜撰というより無為無策。

 士郎とセイバーが成すべき事のみが決まっており、それ以外すべてがアドリブと言ってしまってもいい。

 

 ――勝てるのだろうか。

 

 セイバーは黙考しながら、チラリと士郎の横顔を見る。

 初めて出逢った時は、ただの少年だった。

 しかし今は――。

 

(申し訳ありません、士郎。もしもの時は、私は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 柳洞寺の裏にある池はどす黒く濁り、まるで地獄が溢れてきたかのようだった。

 飛び込めばきっと、そのまま地獄の底の底まで引きずり込まれ、二度と帰ってこれなくなる。

 そんな池の近くの広場もまた泥にまみれており、その中の空白地点に雄々しき大英雄が立っていた。

 斧剣を握り、敵を討ち倒すため、敵であるこちらを睨んでいる。

 その十数メートルほど後ろで言峰綺礼が喜悦の笑みを浮かべており、その頭上高くに漆黒の逆月が暗く輝いている。

 それこそが大聖杯によって開けられた"孔"である。

 

 その"孔"の前に――美しいドレスをまとった少女が、磔にされたように浮かんでいた。

 

「――――イリヤ」

 

 白を基調とし、縁を金で刺繍された、まさに天上の者がまとうドレス。

 頭には同じ色彩の冠があり、この邪悪な瘴気の蔓延する空間にて唯一、神聖不可侵な空気が少女の周りにだけ存在した。

 

「ようこそ衛宮士郎とセイバー。そして天の杯(ヘブンズフィール)の魔法使いよ」

「外道神父……イリヤに何をした?」

 

 怒気を孕ませて妹紅が問う。

 磔となったイリヤの瞳は虚ろで、意識を喪失しているように見える。

 言峰が害意を持って何事かを成したなら、バーサーカーが黙っているはずもないが……。

 

「なに――扉を開く負担が思いの外、大きかったらしい。規格外の英霊の魂を取り込んだ影響か」

「聖杯の降霊も滞ってるようだな。好都合だ」

 

 嘲笑を浮かべつつ、妹紅はそっと士郎に寄り添ってささやく。

 

「イリヤ意識ない。どうしよう」

「どうしようって……」

「仕方ない、お涙頂戴☆説得大作戦は中止だ」

 

 アーチャーの投影を真似できるとはいえ戦力外でしかない士郎。

 その最大の役目はイリヤを説得する事だった。成功すればバーサーカーとも戦わなくてよかったのだが、どうもそれを狙えそうにはない。

 妹紅はすぐさまアドリブを回した。

 

「私がさらってくる。セイバーは旦那の足止め。士郎は下がってろ」

「馬鹿言うな、俺も戦う!」

「お前はイリヤだけ見てろ」

 

 問答無用で士郎を突き放すと、妹紅はバーサーカーに向き直り、申し訳なさそうにほほ笑む。

 ――狂戦士は静かに、かつての仲間の言葉を待った。

 

「旦那……旦那はイリヤの願いのために戦ってるんだよな。第三魔法の成就……セラとリズも、それを願ってるんだろう。あの城にいた面子で、私だけが裏切り者だ」

「…………」

「悪いなセラ、リズ、旦那。…………私はやっぱりこっちの道を行くよ」

 

 敵を屠るため闘争本能を拡大されているはずのバーサーカーは、戦場の只中にありながらまぶたを閉じ、今の言葉を吟味するように低く唸る。

 ほんの数秒後――再び開かれた瞳には、力強い光が宿っていた。

 妹紅はニッと笑う。

 

「行くぞセイバー! そこらの泥に突っ込むなよ!」

 

 言うや、妹紅は空高く飛び上がりつつバーサーカー目がけて炎の鳥を投げつけた。

 

「そうら! 毎度お馴染み鳳翼天翔ォーッ!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 十二の試練(ゴッド・ハンド)により妹紅の炎への耐性を得たバーサーカーに通用する道理は無い。しかし燃え盛る火炎は視覚と聴覚を奪う。

 バーサーカーは軽く手で払いのけ、その隙を狙ってセイバーが低姿勢で肉薄する。

 

「ハァァァ――ッ!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 聖剣が輝く――もはや正体が露見している以上、刀身を隠す必要もなし。気合一閃。黄金の斬撃が跳ね上がる。

 瞬間――漆黒の稲妻が降り注ぎ、両者の間で大気を破裂させた。

 聖剣と斧剣は絶え間なく激突し、その震動は後方にいる士郎の腹を重たく響かせる。

 仮に士郎が双剣を投影して助勢しようとしても、何の役にも立たず命を散らせてしまうだろう。そう強く自覚して忸怩たる思いを抱き、士郎は妹紅の背中を見やった。

 バーサーカーを飛び越えて、逆月に磔にされたイリヤスフィールを目指している。

 

 妹紅は視線を素早く走らせ、逆月の下に陣取る言峰綺礼の位置を確認し、挨拶代わりに魔力弾の乱舞を放った。

 同時に言峰は両手を振りかざす。

 途端に、逆月からこぼれ落ちる泥の滝が天へと逆流し、妹紅を狙って襲いかかる。

 

「こんなすっとろい"へにょりレーザー"! 当たるもんか!」

 

 こちらの魔力弾は回避されて土煙を立てるのみに終わる。だが泥の攻撃も空中旋回してあっさりと回避してやった。この距離で弾幕少女とやり合いたいなら、アーチャーかキャスターになって出直してこいというものだ。

 

「チッ……厄介な」

「イリヤァァァアアア――――ッ!!」

 

 最早目の前。毒づく言峰など相手にせず、イリヤに手を伸ばす。

 ほっそりとした腰を鷲掴みにし、ドレスの不思議な感触に驚きながら抱き寄せようとし――。

 

「…………あ?」

 

 手元から感覚が消失していくのに気づいて妹紅の動きは止まる。

 奇っ怪な出来事が起きていた。

 イリヤの――いや、イリヤのドレスに触れたところから、妹紅の手が金色に染まりつつあった。それは金属の冷たい輝きであり、人々の欲望を駆り立てる黄金の輝きでもあった。

 

「――そのドレスには呪いがかかっていてね」

 

 言峰があざ笑う。

 

「人の手で触れれば、どこぞの昔話のように黄金と化してしまうのだ。――故に、精霊やホムンクルスでなくば管理する事はできぬ」

「ホムン――――」

 

 セラ。

 リズ。

 二人の顔を思い出しながら、肩まで黄金と化した妹紅はバランスを崩して、手から地面に落下する。――黄金というのは脆い。金属音を立て、黄金の両腕はグニャリと不格好に曲がった。

 まさに宝の持ち腐れ。

 これだけの黄金があれば贅沢三昧できるのに、ただひたすらに邪魔だ。

 

「うぐっ、く……」

「邪魔はさせん。私は――見届けねばならんのだ」

 

 逆月から流れ落ちる泥を言峰の手が掴み、投げる。すると泥の流れの向きが変わり、一心不乱に妹紅へと迫った。

 咄嗟に飛翔して回避を試みるも黄金の両腕が重い――下半身を泥に呑まれ。燃えるように熱く、凍えるように冷たく、死ぬように痛みが迸った。

 どこか遠いところから悲鳴が聞こえる。

 死んだ苦しみ。死んでしまった痛み。死んでしまう嘆き。死んでしまう――。

 不思議だ。死なないはずの人間の口から、今際の悲鳴が列をなして溢れ出してくる。

 

 ――泥からありとあらゆる死が這い上がり、肉体を喰らって行く。神経一本一本を丹念に焼き焦がすような激痛が冷徹に脳髄を責め立てた。

 

 たまらず全身を破裂させ、光の粒子へと変質させて泥から逃れる。

 黄金の両腕だけが地面に落ち、ガラガラと転がった。

 

「クッ――流石は第三魔法、厄介なものだ」

 

 油断なく、言峰は泥の滝に身を寄せて注意を払う。

 英雄王ですら殺し切れなかった妹紅の不死性、侮る理由などひとつもない。

 光が――イリヤの手前に集まる。

 肉体を復元させた妹紅が、再生した両手で今度はイリヤの顔を掴もうとする。ドレスに触れないなら直接――瞬間、間に刀剣が割って入る。

 黒鍵。教会の代行者が使用する礼装、邪を滅する剣だ。

 

「――――ッ!」

 

 空中でバク転をしながら退避した妹紅は言峰の妨害に苛立ちながら、後方で行われるセイバーとバーサーカーの激闘を盗み見る。――よく持ちこたえている、しかし劣勢だ。

 ならば。

 

「この何度目かの命、燃え尽きるまでぇぇぇえええぇええええええッ!!」

 

 とっておきのスペルを発現。逆月に対抗するように、血塗れの空で青白く輝く太陽と化す。

 超高熱の炎そのものと化した妹紅から白炎の大玉が無数に放たれ、大地へと降り注いだ。

 言峰に向かってはがむしゃらに、バーサーカーに向かってはセイバーの邪魔にならないよう意識して、超火力の弾幕地獄をお見舞いする。

 バーサーカーは頭部に直撃した白炎大玉によって視覚と聴覚を奪われ、セイバーの聖剣が身体に赤い線を走らせる。

 言峰は人間離れした速度で駆け回りながら、泥を操って迎撃を目論むが――。

 

「なん……だと……!?」

 

 天へと逆流する泥の滝が、妹紅の白炎に触れるや蒸発して消失した。

 灼かれている。

 死を孕んだ泥が、生を孕んだ炎によって跡形もなく。

 

「ハッ――ハハハハハッ! ここに来て嬉しい誤算だ! その泥、不死の炎で灼き祓える!!」

天の杯(ヘブンズフィール)!! 我が願いを阻むというのか……!!」

 

 常に人を喰ったような態度の言峰が、怒気をあらわにして黒鍵を投擲する。

 だが黒鍵は太陽をすり抜けるのみで、内部で嗤う人型のシルエットに触れる事はできなかった。

 言峰に打つ手は無く、泥でセイバーを攻撃しようにも、届く前に灼き祓われるのは目に見えている。戦場を司る天秤がわずかにこちらへと傾いた。

 それを後押しするかのように、一際大きな蒸発音が響く。

 妹紅の白炎が逆月をかすめ、溢れてきたばかりの泥を蹂躙したのだ。

 言峰の表情が焦りに歪む。

 

「いかん――大聖杯が!?」

「そういえば泥はそこから出てるんだったな……よし、セイバーの出番を待つまでもない! 大聖杯なんか焼滅させてやる!!」

 

 さらに、妹紅は強烈な火炎弾幕を逆月に向かって放つ。幸いイリヤが磔にされているのは逆月の下部あたり。中央ど真ん中に火球を投げ込み放題だ。

 次から次へと泥を溢れさせる逆月――その泥を次々に灼き祓いながら白炎が迫る。

 逆月へと呑み込まれながらも、内側から灼き尽くしていく。

 このまま"切り札"を行使しないまま決着をつけられる――そんな期待が膨らんだその時。

 

「■■■■■■■■――ッ!!」

 

 セイバーに背を向けて、偉大な戦士バーサーカーが地を蹴った。

 その者、蝋で翼を作りしイカロスと異なり、己が脚力のみで擬似太陽へと挑みかかる。

 泥すら灼き祓う不死の炎――それすら越える大英雄は、その身を白熱火炎へと躍らせた。

 さすがのセイバーもその後を追う事はできない。

 

「妹紅! 逃げて――!」

「チッ――頑固親父め!!」

 

 バーサーカーの巨体が疑似太陽へと消える。人影が迫る。炎の海を突き破って、剛腕が妹紅の身体を鷲掴みにする。

 殺しても無駄、痛めつけるのが良策――すでにそれを理解しているため、殺さない程度に絞めつけられ、両腕と脇腹の骨がメキメキとへし折られた。

 

「ガッ――ぐうう!」

 

 太陽が墜ちる――。

 炎は消え、バーサーカーは悠々と着地した。幸い疑似太陽の下は炎に灼かれて泥が消失しており動きやすい状況だ。だから――すぐさまセイバーが突っ込んできた。

 狙いはバーサーカーの腕。妹紅を解放して連携せねばという的確な決断。

 だが、バーサーカーは振り向きながら力いっぱい、妹紅を掴んだ腕を振りかぶった。

 

(――投げつけられる!?)

 

 反射的にそう判断したのは、妹紅とセイバー、双方同時であった。

 痛みにより集中力を喪失している妹紅にはどうしようもできない。

 一方、セイバーは妹紅を受け止めるべきか、見捨てて回避すべきか、あるいは斬り払って突撃すべきか、みっつの選択を思い浮かべていた。

 好手なのは斬り払っての突撃。仲間を斬るなどもってのほかだが相手は妹紅だ、むしろリザレクションのため死亡する手間が省けて都合がいいはず。

 いいはず、なのだ。

 

 セイバーは足を止め、両腕を広げて受け止める体勢を取る。取ってしまう。

 あのお調子者で、いい加減で、攻撃的で、イリヤスフィールのため一生懸命な少女――。

 そして背後から戦いの成り行きを見守っている、士郎の視線――。

 斬っても平気だと分かっていても、セイバーはたたらを踏んでしまった。

 

「■■■■――!!」

 

 バーサーカーの腕が振り抜かれる。

 妹紅はきりもみ回転しながら投げ飛ばされ――セイバーの頭上を飛び越え、柳洞寺本殿の方向へと姿を消してしまう。

 不死身の難敵をわずかでも戦場から遠ざける――それがバーサーカーの判断だった。

 虚を突かれたセイバーは視線で妹紅を追ってしまい、みずからの失態に気づいて向き直り、すでに眼前にバーサーカーが迫っていた。

 斧剣が払われる。

 聖剣の腹を盾として受け止めるも、咄嗟だったため踏ん張りが利かずセイバーは撥ね飛ばされてしまった。その方向には聖杯の泥――落ちる訳にはいかない。

 魔力を行使して風王結界(インビジブル・エア)を展開し、触れそうになった泥を吹き飛ばす。

 

 ――まだ、持ちこたえられる。

 今はまだ、今しばらくは。

 

「■■■■――ッ!」

「クッ――!」

 

 体力を、気力を、魔力を消耗してでも、バーサーカーの追撃を凌ぐしかない。凌がなければ次に繋がらない。――妹紅が戦線復帰するまで、凌がなければならない。

 最後の手段を取るとしたら、単独での決行は難しい。

 

「イリヤァァァアアアアアアッ!!」

 

 ――セイバーの視界の端で、愛しき少年が駆け出した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 もっとも頼りにしているセイバーは、バーサーカーの剛力に追い詰められた。

 起死回生と思われた妹紅の炎は、バーサーカーによってあっさり破られた。

 アーチャーはいない。令呪の力を得たランサー相手に生き延びられるかどうか分からない。

 

 ――自分だけが何もできない――

 

 そう思い知らされていたその時、セイバーとバーサーカーが移動したため、逆月への道が開けていると衛宮士郎は気づいた。

 逆月の下には言峰綺礼がいる。黒鍵を使い、泥を操る――彼もまた士郎をはるかに上回る強者である。それでも、士郎は駆け出していた。

 

 今、士郎の目に映っているのは一人だけ――逆月の前に磔となった、少女のみだ。

 

「イリヤァァァアアアアアアッ!!」

 

 名を叫ぶ。しかし返事は無い。意識を失ったままだ。

 ここに来る前にした作戦を思い出す――。

 

 イリヤに会ったら、お涙頂戴でもなんでもいいから説得しろ。

 

 それが、戦力外通告を受けた衛宮士郎にできる唯一の、衛宮士郎にしかできない逆転の一手だった。

 イリヤが心変わりをすれば、バーサーカーもそれに従い、争う必要が無くなる。

 最大の強敵が、最大の味方に戻ってくれる。

 そんな作戦を思い出しながらも、しかし彼の心に打算は無かった。

 逆月の数メートルほど前――丁度、妹紅が擬似太陽となっていた場所の下、泥の無くなった平地で立ち止まった士郎は、祈るようにイリヤを見上げる。

 

「イリヤ――目を開けてくれ! 俺はイリヤと戦うのも、イリヤが目を覚まさないのも嫌だ! ほんの短い間だけど、仲良く暮らせてたじゃないか! ――――帰ろう。俺と一緒に、切嗣の家に帰ろう!」

 

 ひたすらに、ひた向きに、衛宮士郎は言葉をぶつける。想いをぶつける。

 

 

 

 ――その行為が意味を成すとは思えなかったが、言峰綺礼は邪魔だとばかりに泥を掴み妨害を試みる。

 だが、視界の端が明るくなるのに気づいて即座に方向転換。横手へと泥を放つ。

 そこに――燃え盛る不死鳥と化した妹紅が迫っていた。

 

「邪魔をするな破戒僧!!」

「邪魔をするな不死人!!」

 

 炎と泥は互いに相殺し合い、妹紅と言峰は肉弾戦へと移行する。

 驚異的な速度と技術から放たれる八極拳の技を、妹紅は空を飛び交う事で翻弄しつつ火脚を振り下ろす。まともに当たれば英霊にすらダメージを与えるそれを、言峰は手が焼けるのも構わず鮮やかに受け流す。

 

「クッ――これほどの使い手とは! よっぽど修練を積んだらしいな」

「大雑把なようで、動きに無駄が無い――伊達に長生きしていないという訳か」

 

 遠距離から弾幕を放てば一方的に攻められるものの、この状況でそれをやっては弾幕を避けながら士郎の命を狙うだろう。

 それをさせないために妹紅は肉弾戦をせねばならなかった。

 一気呵成に仕留めたいところだが、言峰は無理に攻めようとせず防御と回避に専念する。不死身を殺しても意味が無いと理解し少しでも時間を稼ごうとしているのだ。

 並々ならぬ執念を感じ取った妹紅は火爪を連続して繰り出すも、言峰はその半分を身軽な動きで避け切り、その半分を黒鍵を犠牲にしてしのぐと、新たな黒鍵を取り出す。

 士郎に向かって投げられないよう、妹紅は射線に回り込まねばならなかった。

 

 

 

 妹紅が言峰を足止めしている。

 アーチャーがランサーを足止めしている。

 セイバーがバーサーカーを足止めしている。

 

 それらに感謝しながら、自分の無力さを悔いながら、士郎は言葉を続ける。

 逆月のイリヤへと呼びかける。

 

「頼む――目を覚ましてくれ。もう一度、俺と――」

 

 返事はない。深く閉じたまぶたは、一切の反応を示さない。

 言葉は届かない。

 月の兎に向かって叫んでいるようなものだ。

 聞こえるはずが――ない。

 

「イリヤッ! 頼むから返事をしてくれ……声を聞かせてくれ、イリヤ……」

 

 無意味な慟哭をあざ笑うかのように、闇深き孔からドプリと大量の泥が吐き出された。

 その下方で戦っていた妹紅と言峰が思わずその場を離れるほど大量の泥は、士郎に向かって濁流となって迫ってくる。

 

「シロウ――!」

 

 素早く反応したのはサーヴァント、セイバー。

 バーサーカーの斧剣を掻い潜って一足飛びに士郎にしがみつくと、大きく横に飛んで泥の波から逃れた。

 バーサーカーもいったん泥から距離を取ると、泥の波の向こう側に開けた場所を見つけ、そこに目がけて飛んだ。丁度、大聖杯とセイバー達の間の位置だ。

 いかな最強のバーサーカーと言えど、聖杯の泥だけは如何ともし難く、行動が制限されている。しかしこれで敵との間を阻むものは無い。

 後は猛進するだけ――というタイミングで、その背中に火の玉と化した妹紅が組みついた。セイバーが士郎の側にいる今なら言峰に狙われても問題ない。だが今度はバーサーカーに狙わせる訳にはいかなくなる。

 

「馬鹿か! この角度で突っ込んだら士郎を巻き込むぞ!? 士郎を殺せばイリヤも悲しむってのが分からないのか!」

「■■■■――!!」

 

 言葉は通じず、バーサーカーは妹紅を振り払うべくがむしゃらに暴れ回る。

 そして泥は今もなお溢れ続けている。このままでは全員呑み込まれてしまうかもしれない。

 セイバーの表情が暗く沈んだ。

 

「――シロウ、これ以上は無理でしょう」

「セイバー、何を……」

「恨んでくれて構いません。ですが、私は貴方にだけは死んで欲しくない――」

 

 セイバーが聖剣を掲げる。その刀身は眩き黄金に輝き、光の柱が天へ昇る。

 月まで届きそうな星の光――これこそ聖剣の頂点、騎士王が誇り。

 星の産んだ神造兵装。

 前聖杯戦争において、聖杯すら打ち砕いた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)

 それを見て、妹紅が叫ぶ。

 

「何をしてる!? 大聖杯の破壊はまだ早い! ――イリヤを巻き込むぞ!?」

約束された(エクス)――――」

 

 大聖杯を破壊するため温存すると決めていた宝具が開帳される。

 まさしく大聖杯の破壊という目的のために。

 そして、救出すべき存在もろとも薙ぎ払うために。

 

 セイバーの意図を察した妹紅はみずからバーサーカーから離れ、エクスカリバーの軌道上へと舞い上がって身体を大の字に広げた。

 ――そんな行為に意味があるはずがない。頑強な肉体を持つバーサーカーならいざ知らず、妹紅の肉体は脆弱だ。

 不死、不死身、不老不死。

 いかにエクスカリバーといえど決して滅ぼせぬ不滅の存在でありながら、小さな少女の盾になる事すらできない、脆い人間の肉体なのだ。

 どうしようもないと――理解した。

 

 妹紅が躍り出たのを見てもセイバーは躊躇しなかった。覚悟はすでに出来ていた。

 万が一の時は――愛する少年に憎まれてもいい――みずからの手でイリヤスフィールもろとも大聖杯を破壊しようと。

 ――アイリスフィールの姿を思い出す。娘を慈しみ、愛する母親の姿を。

 申し訳ないと思っている。

 この剣を振り下ろせばきっと、自身の胸は悲しみで張り裂けてしまうだろう。

 

 それでも。

 それでも。

 士郎を救えるのなら。

 

勝利の(カリ)――」

「駄目だ! ()()()()()()()()()!!」

 

 瞬間――サーヴァントが守ろうとしたマスターの手の甲が、赤く輝く。

 衛宮士郎、二画目の令呪が切られたのだ。

 

「ッ――!!」

 

 天に昇る光の柱が消失し、セイバーの手元には光を失った剣だけが残る。

 イリヤが大聖杯の手前に磔にされている以上、どこから聖剣を放っても巻き込んでしまう。

 これでもはや、イリヤをあの場から動かさない限り、大聖杯に向かって宝具を使用できない。

 

 

 

『…………もし、セイバーや凛達が……イリヤを傷つけようと、したら……"令呪"で守らせろ』

 

 

 

 かつて、藤原妹紅とした約束はこうして果たされる事となった。

 貴重な勝機を捨て去るのと引き換えに。

 妹紅に浮かんだ安堵の表情はわずかに引きつっており、自分達の"敗因"を作らせてしまった慚愧が入り混じっているのが見て取れた。

 そして起死回生の一手を潰されたセイバーは責めるではなく、ただ申し訳なさそうにマスターを見やる。

 

「シロウ、貴方は――」

「すまないセイバー。でも俺は……」

 

 だけど、それでも、イリヤを犠牲にするなんてできやしない。

 イリヤとはまだ、ほんの少しの時間しかすごしていないのに。

 これで終わってしまうなんて、あってはならない。

 そんなの認められない――。

 

 

 

「どう、して……」

 

 

 

 その時、今にも消えてしまいそうな、か細い声がした。

 だというのに、なぜだろう。

 その場にいる全員の耳にハッキリと届いた。

 士郎とセイバーは見上げる。

 妹紅とバーサーカーは振り返る。

 泥の陰に立つ言峰もまた、逆月の前に浮かぶ少女のまぶたが開くのを見て取った。

 

 イリヤスフィールの赤い瞳が、衛宮士郎を見つめていた。

 令呪を使ってまでセイバーを止めた士郎。

 思い返してみれば、一画目の令呪も同じ使われ方をした。

 それが、イリヤの意識を覚醒させたのか――?

 

「どうして、そんなにまでして……わたしを……?」

 

 祈るように、願うように、イリヤは問う。

 今にも泣き出してしまいそうな、震え声で。

 

「そんなの決まってるだろ」

 

 同じように、士郎の声は震えていた。

 今にも泣き出してしまいそうな、けれど決意を秘めた、力強い声だった。

 少年は告げる――。

 かつて、自信の無さ故に告げられなかった言葉を。

 

 

 

「俺はお兄ちゃんだからな。妹を守るのは当たり前だろ?」

 

「――――……っ!」

 

 

 

 二人で月を眺めた夜――士郎はイリヤに一緒に暮らそうと誘いながらも、胸を張って兄を名乗る事ができなかった。

 今までずっと離れ離れで――切嗣はずっとイリヤを想っていたのに、イリヤはずっと切嗣と士郎を憎んでいたのに、士郎だけが何も知らずに生きてきた。

 

「こんな俺に、イリヤの兄貴を名乗る資格があるのか分からない。でもイリヤが俺を"お兄ちゃん"と呼んでくれたから――俺は今、ここに居るんだ」

「お兄……ちゃん……」

「俺はイリヤと一緒にいたい。残りの時間がどうであろうと、家族として一緒に生きていたい」

 

 士郎は両手を広げる。

 遠く、届くはずもないその仕草はしかし、確かに、イリヤの心に届いていた。

 

「――帰ろう、切嗣の家に」

「あ、ああ――わたし――わたしも、シロウと一緒に――」

 

 少女の手がピクリと動く。

 士郎の手を取ろうとするかのように。

 

「一緒に、居たい」

 

 少女の無垢なる願いに、セイバーは剣の切っ先を地面に落とした。

 今まさに殺そうとしていた少女の見せた生きる意志に、心から歓びを抱いていた。

 

 妹紅もまた安堵の笑みを浮かべ、空中で身体の向きを修正した。

 生憎あちこち泥まみれだ。兄と妹を引き合わせるには、空を飛べる自分が一肌脱ぐのが丁度いいだろう。

 

 バーサーカーはただ、黙って、静かに、少女を見上げていた。

 小さき者、雪の少女、純粋で気高いマスター。

 その赤い瞳からこぼれる透明な、美しいものを見た。

 それこそが少女の願いであると理解する。

 

 少年と少女の"我儘(ねがい)"が今、重なったのだ。

 

 イリヤスフィールの唇が、小さな笑みを作ろうとして――。

 

 

 

「は――はぐっ!? うっ、あああぁぁぁあぁあぁぁぁッ!?」

 

 

 

 イリヤは己が身をも引き裂かんばかりの絶叫を吐き出す。

 同時に――ドクンと、世界が胎動した。

 

 

 




 敵になっても味方になっても士郎を守らなきゃならない妹紅。
 敵のままでもイリヤのためばっかり令呪を切る士郎。
 敵になるとマスターの身の安全のためイリヤを殺す選択をしてしまうセイバー。
 囚われてるなぁ……。
 なおセイバーがイリヤを殺そうとするたび、イリヤ攻略が一足飛びに捗る模様。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。