イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第42話 再臨

 

 

 

 逆月より溢れ出したそれ――黒々と濁ったおぞましき異形の巨獣。

 胴体から無数の巨腕を生やしたその様は蜘蛛を思わせた。

 大聖杯の孔より泥とともに現れたがためその身を包む黒もまた、やはり泥であった。

 かつて聖杯の"泥"を飲み干した英雄王も、霊核を砕かれていては失墜を免れなかった。しかしそれでも、その圧倒的な自我は犯し切れるものではない。泥の束縛を厭い、狂気の獣と化しながらも地上へと現出してしまったのだ。

 

「ギルガメッシュ! 霊核を砕かれながらも――妄執のみで在り続けていたというのか!?」

 

 言峰綺礼が叫ぶ。信じられないとばかりに驚嘆しつつも、みずからの発した言葉が正鵠を射ていると自覚しながら。

 妹紅、士郎、セイバーの驚愕も計り知れないほど大きなものだった。

 退場したはずのギルガメッシュが、あの最大の難敵だった英霊が、まさかこのような形で"再臨"するなど――ありえていい事ではない!

 言峰はみずからの腕に刻まれた令呪から伝わる変異を感じ、得心がいったとばかりにうなずく。

 

「――ランサーとアーチャーが死に、二騎分の魂が小聖杯に注がれた事で容量(キャパシティ)オーバーして大聖杯へと押し出され、黒化英霊として"孔"から這い出てきたとでもいうのか? クッ、ククク。ありえるのかそんな事が? ありえてしまったというのか!」

「クッ――薄汚い化け物がッ! イリヤに触れようとしてるんじゃあ――ない!」

 

 怒鳴り散らしながら、泥の海を飛び越えて妹紅が叫ぶ。

 イリヤを奪還しようにもドレスが邪魔で触れられない以上、黒化ギルガメッシュをどうにかするしかない。

 人間を鷲掴みにできるほどの巨大な黒腕へと、妹紅はみずから身体を晒した。

 全身を炎上させ、暗闇の中の松明となって黒化ギルガメッシュの注意を引きながら。

 果たしてその作戦は成功し、巨腕はイリヤではなく妹紅へと軌道修正される。

 ――聖杯を掴み取るためではなく、聖杯に群がる薄汚いハエを叩き落とそうとするように。

 フェニックスは溢れんばかりの熱気を両腕へと集めた。凝縮された炎の大玉は、まるで小規模な太陽のように燦然と輝き誇る。

 

「お前がいくら復活しようと、聖杯の呪いは私の炎で灼き祓えるのは立証済み! ましてや今さら理性も無い獣なんぞに遅れを取るはずがない! 喰らえフジヤマヴォルケイノ!!」

 

 放たれる大爆発の猛撃は大きな手のひらへと直撃し、英霊すら焼き尽くす壮絶な火焔が踊り狂った。

 愚鈍な腕にまとわりついていた黒い肉が――灼き祓われる。

 

「な……なにい、これは――!!」

 

 結果、妹紅は驚愕に目を見開いた。

 黒い泥の向こうには、無数の武器と防具。

 剣、槍、斧、弓、盾、兜、鎧――寄せ集めにされ、腕の形を成している。

 

 そのすべてが紛れもなく宝具!

 すなわち黒化した不定形の巨大な肉塊の正体は――英雄王の財!!

 

 こんなもの幾ら攻撃したところで黒化ギルガメッシュを倒せるはずもない。

 すべての宝具を破壊し尽くすほどの火力も無ければ暇も無い。

 倒すなら黒化ギルガメッシュ本体だ。

 奴は、どこに――。

 

「セイ……ハイ……!」

 

 巨大な黒い肉塊の中央、その上部――人間の大きさと形をした黒い塊が、生えていた。

 声もそこから聞こえた。つまりアレこそが黒化ギルガメッシュの本体。

 アレを殺す! 即座に炎を握りしめて、妖力を込めて――。

 

「ガァァァアアアッ!!」

「うわっ……!?」

 

 黒化ギルガメッシュの巨腕に鷲掴みにされる。

 その膂力以上に、宝具で構成されているがための硬さと鋭さに妹紅は喘いだ。

 剣か、斧か、何かは分からないがとにかく刃物が手足に食い込んでいる。

 槍か、鎌か、何かは分からないがとにかく切っ先が腰に突き刺さっている。

 

「ぐっ、この……」

「妹紅!」

「あ、あそこだ! あの図体の上の、人型! アレを潰せば……!」

 

 泥の海の向こうでたたらを踏んでいる士郎とセイバー。

 黒化ギルガメッシュが這い出るのにともなって泥がますますあふれ、二人が動ける範囲は狭まっていた。

 さらにセイバーは風王結界(インビジブル・エア)で泥を士郎に近づけまいとしており、動けないでいる。士郎を置いて黒化ギルガメッシュに飛びかかる訳にもいかない。

 

「――シロウ。令呪でアレを破壊しろと命じてくれれば、先の令呪も撤回されます」

「くっ……! でも、それじゃあ……」

 

 イリヤを巻き込まないため令呪を切ったのに、イリヤを巻き込む命令なんてできる訳がない。

 だが、状況は一変しすぎている。

 言峰の言葉を信じるなら、アーチャーはランサーと相討ちになって――死んだ。

 そしてあの巨大な黒い怪物がギルガメッシュであるのなら、断じて聖杯を渡す訳にはいかない。

 

 しかし――イリヤ、大聖杯、黒化ギルガメッシュ。すべてが近い。近すぎる。

 士郎の胸中で、切嗣から受け継いだ正義が渦巻いた。

 ――痛い。心臓が今にも張り裂けてしまいそうだ。

 バーサーカーだけでも手に負えないのに黒化ギルガメッシュまで現れてしまって、このままでは本当に、十年前を上回る大災害に発展しかねない。

 それを止める手立ては――士郎の手の甲に、一画、刻まれている。

 

「――――駄目だ。それだけは、できない」

 

 それは。

 世界と天秤にかけてでも、愛する者を守り通すという強さなのか。

 世界と天秤にかけてでも、愛する者を手にかけたくないという弱さなのか。

 ともあれ衛宮士郎は、イリヤスフィールを選択した。

 

「――ああ、そうだな」

 

 応えたのは、令呪と無縁のサーヴァント。

 自称アヴェンジャー藤原妹紅が、ニヤリと、攻撃的な笑みを浮かべた。

 

「覚えておけ!! 女の子の命は世界より重いんだよ!!」

 

 全身を白熱炎上。ありったけの火力を吐き出しての大爆発を起こし、宝具の腕を吹き飛ばす。

 爆炎を突き破り、炎の尾を引きながら空を疾駆した妹紅は一直線に黒化ギルガメッシュの本体と思われる人型を狙った。

 弾き飛ばした宝具のうちのひとつ、細身の剣がたまたま目の前に降ってきたためそれを掴み、刀身に炎を伝わらせて紅蓮の一閃を放つ。

 甲高い金属音が響いた。

 黒化ギルガメッシュの首を刎ねようとした直前、足元の汚泥から無数の盾が這い上がってきたのだ。理性は残っていないようだが、危機を回避する本能は残っているらしい。

 妹紅はすぐさま盾の壁を回り込み、細身剣で黒化ギルガメッシュの首を狙って振るう。妹紅の体術は素人の喧嘩殺法を千数百年という単位で練り上げたものだ。故に無駄がなく、独自の理にさえ至っている。そして喧嘩となれば得物を手にする事も多々あり、剣の振りも鋭いものであった。

 

 ――燕を斬るには至れなかった剣。アサシンとして召喚されたあの男には遠く及ばぬ素人剣法。

 

 切っ先が届く。そう思った刹那、盾の壁の中より豪奢な槍斧が突き出した。その重量と頑強さが細身剣の腹に命中すると、あっさりと砕けて折れてしまった。

 さらに足元から剣の山が生え、咄嗟に妹紅は飛び上がりながら火焔弾をがむしゃらにばら撒いて反撃する。火焔弾は黒化ギルガメッシュ本体には届かず、その周囲の肉塊を灼き祓って宝具の山をあらわにするだけだった。

 理性のない獣――だというのに、これほどか英雄王。

 

 一人じゃ勝てない。

 冷静な思考がそう告げ、幾つかの自爆特攻を想起させたその瞬間――。

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 汚濁に濡れた大気が、雄々しき咆哮によって吹き飛ばされた。

 見上げてみれば、血塗れのような空に巨大な鋼色の影。

 それはまっすぐに黒化ギルガメッシュへと降ってきて――巨大な斧剣を振り上げて――。

 

 爆音が轟いた。

 

 それは黒化ギルガメッシュを守護するべく突き出した盾の壁を悠々と打ち砕き、散らばらせた剛力無双の一撃によるもの。

 炎によって泥を祓われた宝具の肉塊の上に、どこまでも忠実な大英雄が降り立った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 小さきモノは、少年の呼びかけに応えた。

 その手を取ろうとした。

 

 そうであるならば。

 

 小さきモノを蹂躙せんと手を伸ばした異形と、小さき者を奪還せんと戦う少年――彼に味方する紅き炎の友と再び、肩を並べ――背中を合わせ――戦うしかあるまい!!

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「ハハッ……結局こうなったか」

「■■■■……」

 

 アインツベルンの少女――イリヤスフィールが契約せしサーヴァント、二騎。

 ここに再結成を果たし、黒に染まった英雄王へと挑む。

 

「こいつは! 私達が何とかする! セイバーは今度こそ――イリヤを巻き込まないタイミングで聖剣をぶっぱなせ! ()()()()()()()()()! なぁに、どうせ不死身だ。景気よく頼む!」

 

 泥の濁流から士郎を守っているセイバーに呼びかけ、妹紅はありったけの力を込めた火焔放射で掃除でもするかのように黒泥を灼き祓った。

 肉体を代替する宝具の姿があらわになる。これならば泥が致命のバーサーカーであろうと存分に暴れられるはずだ。

 その間、バーサーカーはその名に相応しい大暴れを披露し、次々に現れる盾の壁を粉砕してのけた。響き渡る破壊音の中、妹紅は哄笑した。

 

「ハッ――――ハハッ、ハハハハハハッ! ハーッハッハッハァッ!!」

 

 愉しい。

 バーサーカーが駆けつけてくれたとはいえ、敵は強大、こちらは修羅場の真っ只中。

 だというのに、妹紅の心には歓喜の歌が響いていた。

 

 巨大な泥の腕が持ち上がるや、妹紅はすぐさま巨大火焔弾を撃ち込んで泥を焼滅させる。宝具で組み立てられた内部が露出するやバーサーカーが受け止めた。巨人族と戦争した大英雄にとって、自分より大きな怪物なんてのは珍しいものではない。

 妹紅は巨腕の半ばあたりに自傷の火脚を叩き込んで散らばらせてやる。

 残骸の中から手頃な槍を掴み取り、黒化ギルガメッシュ目がけて投擲。狙いは正確だが速度が足りず、小さな動作で避けられてしまう。舌打ちしながら魔力弾を連射しようとすると、足元の宝具が這い上がり、絡みついてきた。

 それに気づいたバーサーカーが無造作に拳を振り下ろす。衝撃によってクレーター状に宝具が吹き飛ばされ、自由となった妹紅は宙へと身を翻し、同じく宙へと投げ出されたバーサーカーと共に柳洞寺の地面へと着地する。

 身長が二倍近くも差のある二人が、臆す事なく並び立つ。

 

 ああ――こんなに愉しいのは珍しい。これほどの昂ぶり、千三百年の戦いの中、幾度あっただろうか?

 少なくとも確実に、ベスト3には入る高揚だ。

 永遠の暇を癒やす甘露なる美酒を浴びて、妹紅は満面の笑みを浮かべた。

 

「私達はイリヤのサーヴァントだぁぁあああッ!!」

「■■■■――ッ!」

 

 黒化ギルガメッシュの下半身から生える、宝具によって構成された巨体――その各所から、宝具を材料とした黒腕が次々に生え、阿修羅の如き手腕で妹紅とバーサーカーに迫りくる。

 その猛威に恐れる事なく、不死身のサーヴァントは暴風と化して荒れ狂った。

 

「爪符――デスパレートクロー!!」

 

 鋭い炎爪を次々に振り上げる妹紅。大気を焼き切る斬撃の乱舞は、迫りくる黒腕の泥を次々に剥ぎ取っていき、その火焔斬撃の中にバーサーカーが身を投じて斧剣を振り回す。

 宝具という宝具をこれでもかとばかりに弾き飛ばし、周囲に残っている泥の海へと強制投棄してやる。財を愛でる英雄王は獣に堕ちてなお、みずからの財が穢される事を憤り、ますます攻撃の手を強めた。呼応するように二人のサーヴァントも闘志を昂ぶらせる。

 

「セイハイィィィイイイイイイッ!!」

 

 黒化ギルガメッシュが吼え、宝具の剛腕が迫る。バーサーカーは咄嗟に斧剣を盾にして防ぐも弾き飛ばれてしまい、後方には未だ蔓延る泥。

 

「貴人――サンジェルマンの忠告!」

 

 即座に強烈な火炎放射を放つ妹紅。渦巻く火焔はバーサーカーと泥を一緒くたに焼却し、夜の闇をこれでもかと紅に染める。そんな紅蓮の真っ只中をバーサーカーは猛進する。

 いかに十二の試練(ゴッド・ハンド)と言えど聖杯の泥の前には無力。ならば十二の試練(ゴッド・ハンド)によって得た耐性により、不死の炎を浴びながら戦えばいい。単純な力任せの戦術がこれ以上ないほどに噛み合う。

 炎の源泉を鬱陶しく思ったのか、先程の剛腕が今度は妹紅に振り下ろされた。

 反射的に避ける妹紅だが、一瞬の遅れにより下半身を叩き潰された。臓腑をあらわにした妹紅の元へとバーサーカーが駆けつけ――。

 

「■■■■■■――ッ!!」

 

 剛力を以て斧剣を振り下ろす。

 宝具の剛腕ごと妹紅の上半身を粉砕。直後、光となって弾けた肉片が人の形を成して復活する。

 妹紅の不死性は重々承知。ならば背中を預ける友であろうと、諸共に粉砕する事にためらいは無し。これが不死身のコンビネーション。

 マスターの窮地に我が身を惜しむ腑抜けはこの場にいない。

 

「ガァアァァァッ――!」

 

 黒化ギルガメッシュは怒りをあらわにすると、新たな巨大な黒腕を二本作り上げ、不死身のサーヴァント達を挟むように広げた。

 古今東西の宝具の原典を敵に回し、背中合わせで構える妹紅とバーサーカー。

 

「バ……サー、カ…………モコぉ……」

 

 逆月の前で磔となっているイリヤが、頬を濡らす。

 心身を引き裂くような魂の負担のためではない。

 こんなになっても、どこまでも、どこまでも、戦ってくれるサーヴァントがいてくれるから。

 二人の雄姿が、嬉しいから。

 

 妹紅は、小さき主を安心させるようにほほ笑む。

 守りたい誰かのために戦う。そんな単純で、当たり前の事が、胸に不屈の炎を灯らせる。

 ああ――生きてるって素晴らしい。

 

「すぐに決着をつけてやる」

 

 その言葉を合図に、妹紅は黒化ギルガメッシュの巨体の中心に沿わせるようにして火炎放射を繰り出した。――泥が灼き祓われ、巨体の中央に座す本体への"道"が作られる。

 バーサーカーはすでに駆け出していた。

 次から次へと生えてくる黒腕の相手などいつまでもしていられない。本体の首を獲れば今度こそギルガメッシュを討ち滅ぼせる。

 打ち合わせもなくそんな計画を実行しようとし――。

 

 

 

「――捉えたぞ」

 

 

 

 ゾワリと、全身の毛が逆立つ。

 妹紅に迫ろうとしていた黒腕、その陰より、黒い男が飛び出してきた。

 

「言峰――」

「オォォオォオォォォッ!!」

 

 バーサーカーと離れる瞬間を狙っていたのか。

 こいつは、言峰綺礼は、藤原妹紅一人で対処せねばならない。

 だがこの神父の格闘能力に不意を突かれたのは不味い。

 距離が近い。回避は間に合わない。迎え撃つしか無い。

 紅白の少女と闇色の神父、その手刀が交差する。

 

 両者の胸元から同時に、鮮血が飛び散った。

 相討ちに持ち込めたのは妹紅の反射神経の賜物であった、だが――困惑する。確かに言峰綺礼の胸骨を貫き、心臓をも貫いたと確信したのに――。

 

 男の心臓は、まるで手応えが無かった。

 

 奴の狙いも心臓だったはずだ。しかしかろうじて軌道を逸らせた。

 だからこの勝負、先に心臓を捉えた自分の勝ちであるはずだった。だが手のひらに伝わる感触は死体のそれに等しい。――この男は確かに生身の肉体で生きている。だのに心臓が、心臓だけが死んでいる。

 その困惑が判断を鈍らせてしまった。

 不死性で敵の虚を突いてきた少女が、敵の不死性によって虚を突かれたのだ。

 

 言峰は苦悶に表情を歪めながらも、その眼差しは些かの衰えも見せなかった。不死人の胸骨を貫き、心臓と肺の合間へと指先を滑り込ませている。だから即死せずすんだ。

 まだ反撃は可能だ。妹紅は内側から言峰を爆発させてやろうと気力を込めるも――。

 ガシリと、心臓を鷲掴みにされる痛みは悲鳴すらも押し殺させた。

 

「モ……コ……!」

 

 代わりに――その一部始終を目撃したイリヤが、かすれた声で名を呼ぶ。

 返事をする余裕も、強がる余裕も、今の妹紅には無い。

 耳聡く反応したバーサーカーが宝具の山の上で立ち止まり、振り向くが、もう遅い。

 言峰の、もう一本の手が伸び――妹紅の腕を掴んだ。

 

「流石の不死人も……泥に落とされては、どうかな……?」

「き、さ、ま……!」

 

 言峰は妹紅を掴み上げると、渾身の魔力を足元に込めて地を蹴った。

 ほんの数メートルの距離に、灼き損ねていた泥の塊があった。

 

 妹紅は歯を食いしばって火力を高める。言峰の胸の傷口から光があふれ、派手な爆音と共に炎と肉片が周囲に飛び散った。言峰綺礼は胸から下を喪失し、しかしそれでも、妹紅を掴む両手は離れなかった。

 

 先んじて――言峰綺礼からちぎれた下半身が、地面に転がって臓物を撒き散らせた。

 残された言峰の上半身もすでに死に体となりながら、最後の執念で妹紅の心臓を握りつぶす。

 意識が断たれた数秒の空白の間に――妹紅は飛翔もリザレクションもできないまま、言峰綺礼の上半身もろとも泥の塊へと落下した。

 ドプンと音を立てて、その全身が呑み込まれていく。

 

「…………我が悲願……見届ける事、叶わず……か……」

 

 最後にそう言い残して言峰綺礼も泥へ沈む。

 手応えの無い心臓。十年を雌伏し呪われた聖杯の成就を悲願とした動機。

 それらの謎を抱えたまま、永遠に姿を消した――。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 妹紅の窮地を察したバーサーカーが逡巡を見せた瞬間、足元の宝具がせり上がった。

 バランスを崩したバーサーカーは宝具の山を転げ落ちるも、野生じみた執念によって体勢を立て直し、足から地面に着地する。

 そこを、黒化ギルガメッシュの黒腕に襲われた。

 反射的に斧剣を盾として構えるも、殴ってばかりでは埒が明かないと学習されたのか、腕は斧剣を鷲掴みにした。――泥が斧剣を包む。

 判断は早かった。これに触れる訳にはいかないと、頼みの斧剣を手放してバーサーカーは後退を余儀なくされる。

 だが、この世全ての悪(アンリマユ)は邪魔な蓬莱人がいなくなった事に気づいたとでもいうのか、それとも誕生を願った言峰綺礼の遺志を受け取ったのか、バーサーカーを囲むようにして泥が有機的に這い寄ってきていた。言峰綺礼の下半身も泥に呑まれて消えていく。

 退路はすでに無く、飛び越えるしかない。

 バーサーカーは即決して飛び上がる。だが唯一の退路にはすでに、黒化ギルガメッシュの黒腕が振るわれていた。

 バーサーカーの身体に、黒化ギルガメッシュの拳が激突する。

 311kgの体重が跳ね飛ばされる。

 全身泥まみれになりながら、妹紅が呑み込まれたのと同じ泥の塊へと落ちていき――。 

 

「――――ダメ――」

 

 イリヤの、小さな嘆きが、バーサーカーの耳に届いた。

 しかし、だからとて、今更どうにかなるものでもなく。

 

「■■■■――!」

 

 バーサーカーもまた、泥の海へ沈んでいくのだった。

 大きなサーヴァントを喰らった影響か、泥は質量を増して破片を飛び散らせる。

 

「下がれセイバー!」

 

 英霊にとって致命の泥。士郎はみずからのサーヴァントを案じて声をかけた。

 だが、それに一番反応したのはセイバーではなかった。

 

「セイ……ハ…………セイ、バー……?」

 

 黒化ギルガメッシュが呻き、彼の視線を追って獲物を見つける。

 泥の海の中、泥を近づけまいと風をまとう、青衣に甲冑をまとった金髪碧眼の少女騎士。

 それこそが、それこそが、聖杯などより欲するモノ。

 巨腕が、バーサーカーから奪ったばかりの斧剣を乱雑に投げ捨てる。召喚後バーサーカーと共に主のため振るわれ続けた武器は、使い手の後すら追えず、別の泥へと落ちてその姿を消した。

 

 事の成り行きを――素晴らしき逆転劇を目撃していた衛宮士郎は、それが潰える様も目撃し愕然となっていた。

 セイバーもまた、ゆっくりと迫りくる黒化ギルガメッシュの巨体を見上げ、歯を食いしばった。

 相変わらず――聖剣の軌道上にはイリヤスフィールがいる。

 聖剣の放つ巨大な光――今は、その大きさが恨めしい。

 

「シロウ。こうなってはもう聖剣を解放するしかない。しかし、イリヤスフィールがあの位置にある以上、大聖杯を狙う事はできない。――黒いギルガメッシュのみならば、移動すれば、何とか」

「駄目だ。大聖杯を破壊しないと、聖杯の泥を止められない」

「しかし――」

「だから」

 

 絶望の真っ只中、この場でもっとも無力な男、衛宮士郎は――前へ、踏み出した。

 その行いはセイバーを驚愕させ、イリヤスフィールの哀願を誘った。

 

「だめ……お兄、ちゃん……逃げて……」

「守るって、言ったろう?」

 

 士郎の表情はやわらかなものだった。

 妹を元気づける兄。

 そうとしか表現できない、優しくて、あたたかい笑みを浮かべていた。

 妹を守るための両手に光が走る。

 

投影(トレース)――開始(オン)!」

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 暗い、暗い、闇の奥底。

 深い、深い、死の胎内。

 

 すでに頭蓋を越えて脳みそを破壊。視覚味覚聴覚嗅覚触覚を喪失。体温をリアルタイムで喪失していく死体に、この世のすべてにある人の罪業が流れ込む。この闇に捕らわれた者は苦痛と嫌悪によって自分自身を食い潰す。

 

    死ね         死ね       死ね  死ね

         死ね       死ね          死ね

     死ね       死ね         死ね     

 

 闇は吹きすさぶ風となって妹紅を包み込み、防ぐ手立てもなく空間ごと塗り潰していく。身体が指先から溶けていく。皮膚、筋肉、脂肪、神経、骨、内臓、何もかも何もかも溶けて喰われて黒い泥へと変貌していく。これが末路。これが終着点。人の身でこの汚濁に抗う術は無い。喰われて溶ける。消える。

 

   死ね   死ね     死ね    死ね 死ね  死ね 死ね

      死ね 死ね  死ね   死ね  死ね   死ね

    死ね  死ね  死ね  死ね   死ね  死ね 死ね 死ね

 

 

 悪意、怨嗟、苦痛、恐怖、屈辱、慟哭、絶望。

 妹紅の肉体は喰われ、喪失する。

 呪いの本命はここからだ。呪いの本質はここからだ。

 肉体を犯し、精神を犯し、魂さえも犯す。

 もはや妹紅に肉体は無く、精神は暴かれ、魂は剥き出しとなり――。

 

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

(――――いや――不幸自慢というか、()()()()してるトコ悪いが――)

 

 黒々とした汚泥の中、死に満ちた地獄の中、その魂は何一つ影響を受けずにいた。

 何せ泥の入り込む余地もなく、元から"穢れ"で染まり切った魂だ。

 無色透明だった聖杯と違い、()()()()()()()()()()

 

(こちとらとっくに死に飽きてる)

 

 不死の魂が炎上する。

 赤く、朱く、紅く――暗黒の闇を灼き祓っていく。

 ふたつの影が、闇に浮かぶ。

 

(こんなもんが聖杯に詰まってるのか。これにイリヤを触れさせるなんて()()()()()()――なあ、お前等もそう思うだろ?)

 

 妹紅が振り向くと、そこには二人の英霊の姿があった。

 

 赤い衣の世話焼きな男、アーチャー。

 青い衣の誇り高き戦士、ランサー。

 もはや息絶え、一切の助力も、励ましの言葉すらかけられぬ存在。

 ただまっすぐ、妹紅を見つめるしかできない無力な存在。

 

 けれどそれだけで、胸の奥がドクンと跳ねる。

 妹紅は屈託のない笑みを返すと、眼差しを鋭くして天を見上げる。

 

 目指すは月――夕焼けよりも紅く染まった空に浮かぶ、漆黒の逆月。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 藤原妹紅とバーサーカーが泥に呑み込まれ――もはや敗北必至となった衛宮士郎とセイバー。

 赤い空、漂う燐光、香る死の気配、あちこちに蔓延る黒い泥。

 イリヤは遠く――逆月の前に磔となったままであり、その前には黒化ギルガメッシュの巨体が立ちふさがっている。

 

 絶体絶命の窮地でありながら、衛宮士郎の瞳は燃えるように輝いていた。

 投影し、握りしめるのは、アーチャーが振るったのを模倣した二振りの剣。

 白と黒の刀身を持つ干将莫耶。

 これを宝具細工の巨体の頂点に座す黒化ギルガメッシュに突き立てられれば、新たな希望が芽生えるかもしれない。

 

「いけませんシロウ! この泥の海の中、貴方がそんな物を握ったところで、もう――」

「ここであきらめたらイリヤを救えない! 足掻くしかないんだ!」

 

 今一度、令呪の使用を求めるべきか――セイバーはわずかに逡巡し、目を伏せた。

 黒化ギルガメッシュはすでにこちらを標的としており、宝具を発動させようとすれば危機を察知して妨害してくるだろう。仮に宝具を放てたとしても宝具で身を固めた黒化ギルガメッシュを倒し切れるだろうか? 倒せたとして、その向こうにある大聖杯を破壊できるだろうか?

 ――駄目だ、現状の魔力ではそれほどの火力は出せない。

 イリヤを見捨て、イリヤもろとも薙ぎ払う覚悟を決めたとしても、もう手遅れなのだ。

 ならば宝具を解放せず黒化ギルガメッシュを突破するしか道は無い。

 力及ばず、息絶えるとしても。

 道はそれしか残っていない。

 

「――分かりました。共に行きましょう」

「すまない。――ありがとう、セイバー」

「なんの。私はシロウのサーヴァントですから」

 

 二人はほほ笑み合い、それが別れになるのではと予感しながらも駆け出した。

 セイバーが剣を振るい、風王鉄槌(ストライク・エア)にて泥を吹き飛ばす。

 その開けた道を、走り抜ける。

 死地へと身を投じてしまった、最後に残った二人を見つめて――イリヤは唇を震わせた。

 

「ダメ…………来ちゃダメ……お兄ちゃん……」

 

 大聖杯がすぐ後ろにあるのに、第三魔法を起動する事もできず――。

 唯一残った家族と、せっかく想いが通じ合ったのに――。

 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 何が悪かったのだろう。

 

 今までの人生はすべて無駄だった。

 

 イリヤが得られるものなんて、何一つ無かった。

 

 冬木に来て――ほんの短い間、夢を見ていただけ。

 

 雪のように溶けて消える、儚い夢を見ていただけ。

 

 

 

 もう、失うしかできない。

 失うところを、見ているしかできない。

 見せつけられるしか。

 

「こんなの、やだよ」

 

 イリヤの頬を、無色透明の雫が伝い――顎の先から落ちた。

 それは、イリヤの下方に広がる毒々しい泥の沼へと吸い込まれようとし――。

 

 紅い旋風が、泥もろとも灼き祓った。

 

 その場にいるすべての者が驚きに動きを止める。

 どこからか流れてくる真紅の炎は、渦を巻いて広がり泥という泥を灼き祓っていく。

 

 浄化の炎を吐き出しているのは、呪いによって穢れ切っているはずの泥だった。

 一際大きな泥の塊。

 藤原妹紅とバーサーカーを呑み込んだ泥の塊が今、呪いを蹂躙焼却する活火山と化している。

 

「こ、この炎は!? まさか!」

 

 思わぬ事態のため決死の特攻を中断し、立ち止まる士郎。

 その隣に寄り添うセイバーもまた困惑し、しかしこんな事ができる者の存在など一人しか思い浮かばず安堵の息を吐く。

 そして、火山となった泥は一際大きな炎の塊を吐き出し――。

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 一際大きな雄叫びを上げ、火山弾となって大地に降り注いだ。

 着地点にあった泥は爆炎によって四散し、その巨体は大地にめり込みクレーターを形作る。赤熱した肌は大気を揺らめかせ、鋼のような髪は熱気によって浮かび上がって荒々しくなびいている。

 その姿を、士郎とセイバーは知っていた。

 あの夜に、柳洞寺に八騎のサーヴァントが集った際に目撃した恐るべき姿。

 ――イリヤは思い出す。あの夜に交わした、ささやかな言葉を。

 

『スペルとして名付けるならどんなのがいいかな。パゼストバイフェニックス・バーサーカー?』

『もう一捻りしなさいよ。そうね、たとえばパゼストバイ――――』

 

 第三魔法に到達した少女――蓬莱人の魂と憑依融合せし大英雄。

 不死の宝具と不死の火焔を身にまとった、不死身のサーヴァント。

 

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカー!!

 守るべき者のために"最終再臨"を果たす!!

 

 

 




 月まで届け、不死の――。

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