イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第43話 逆月まで届け、不死の炎翼

 

 

 

 これは――英霊(サーヴァント)の物語ではない。

 これは――マスターの物語ではない。

 そして――不死者の物語でもない。

 

 これは――泣いている女の子に笑顔を取り戻すための物語だ。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 黒き逆月が胎動し、赤い光に満ちた空の下――。

 堅き巌のような肌を、赤熱させながら炎上させた巨漢――。

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカーが仁王立ちしていた。

 

 柳洞寺に蔓延る呪いの泥を、第三魔法から放たれる焔によって灼き祓い。

 眼前に屹立する巨大な黒塊――黒化ギルガメッシュに臆さず、その向こうにいる少女を見つめている。逆月の前に磔となった、天のドレスをまとった少女。

 小さきモノ、無垢なる精神、儚き命。

 二騎の不死身のサーヴァントを従えるマスター。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを守らんがために。

 

「バーサーカー……モコウ……」

 

 サーヴァントにとっては致命である聖杯の泥に落とされながらも、第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)を宿す妹紅が憑依する事によって呪いを跳ね除けたバーサーカー。

 大好きな二騎のサーヴァントが、未だあきらめず、こんなになってまで尽くしてくれている。

 

 無色透明の涙が次々にあふれてくる。

 アインツベルン城で過ごした賑やかで楽しくて、馬鹿みたいに騒々しくて、やわらかで、あたかな――美しい日々が、イリヤの胸を駆け巡る。

 

 父は亡く、母は亡く、セラとリズも居なくなってしまった。

 けれど。

 シロウと、バーサーカーと、モコウが居てくれるなら――。

 ずっと一緒に、居られるのなら――。

 

 ズシンと、大地が揺れる。

 小さい山のような巨体、黒化ギルガメッシュの胴が足踏みをしたのだ。

 理性無き獣が如き彼にとって、()()()()()()()()()()()()()()

 

「セイ……バー……!!」

 

 己が欲する最高の女を手に入れる。それだけの魔獣。

 それは赤化バーサーカーも同じであった。

 最古の英雄王、()()()()()()()()()()()()()()()()

 その向こうにて涙を流す愛しき主を救う事のみが己の存在理由。

 

 ただ、目の前の障害を取り除く――その一点にのみ両者の意志は重なっていた。

 

 

 

「セイバァァァアァァァアアアーッ!!」

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 両雄激突。斧剣を失っている赤化バーサーカーは、みずからの五体と、頼もしき相棒の焔を武器として黒化ギルガメッシュに飛びかかる。

 泥を灼き祓う炎を全身にまとった以上、もはや大英雄が敵を恐れる道理は無い。

 

 迫りくる宝具の巨腕を真正面から殴り返す。瞬間、その拳が火球をまといて爆発した。

 ――フジヤマヴォルケイノ。妹紅がお得意のスペルを完璧なタイミングで発動させたのだ。

 宝具が散らばって降り注ぐ中、まだまだこんなものではないとばかりに黒化ギルガメッシュは宝具で編んで作った巨腕を無数に振り下ろしてくる。

 赤化バーサーカーは拳を突き上げてさらに宝具を撒き散らせる。その一撃一撃はまさに火山の噴火にも等しく、荒れ狂う火焔は宝具の合間を縫って内部から延焼させていく。

 黒化ギルガメッシュが大量の宝具によって英霊の力を示すならば、赤化バーサーカーは肉体と精神によって示すのみ。

 それに合わせて藤原妹紅がスペルを爆発させ、後押しをする。魂のみとなった永久機関が生み出す無限の炎は、今宵、尽きる事はない。

 

 一撃ごとに地面が、いや、円蔵山そのものが震える。

 英雄譚を彩るべき宝具が次々にぶちまけられ、そして、炎の赤に混じって鮮血が散った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「いけない。泥は炎によって退けられるが、宝具の塊を素手で殴り続けていては、バーサーカーの身体が持たない! 十二の試練(ゴッド・ハンド)で回復する暇も無い!」

 

 赤化バーサーカー達の後方で、士郎をかばうセイバーが冷静な判断を下す。

 戦況は刻々と覆され、想定外の事態ばかりが押し寄せてくる。

 助力したい気持ちはあるが、この驚天動地の衝突、迂闊に飛び込めるものではない。それに彼等の放つ火焔が周囲の泥を次々に灼き祓ってはいるものの、黒化ギルガメッシュに向けて放つ炎以外は単なる()()にすぎない。

 セイバー達を取り囲む泥も幾分減りはしたが、士郎を守るためこの場を離れる訳にいかず、大聖杯は未だ泥を吐き出し続けている。

 介入する手段とタイミングを見誤れば、自分達はあっという間に濁流に呑み込まれて消えるどころか、バーサーカーと妹紅の邪魔にさえなりかねない。

 

「ッ――バーサーカー! 囲まれてるぞ!」

 

 そんな中、士郎が叫ぶ。

 頭上から降る巨腕の猛威に対抗していた炎の怪物を難敵と認め、()()()()()()を思い出したのか――黒化ギルガメッシュは(ゲート)を開き、周囲に宝具を展開していた。

 宝具の弾幕が来る。即座に理解した妹紅は、赤化バーサーカーの足下に火力を集中させた。頼もしき相棒は即座に意図を理解し、力いっぱい大地を蹴る。途端に足下が爆発し、その場に巨大な火柱が立ち昇った。

 宝具が射出されるのと同時に、バーサーカーは火炎流に乗るようにして天へ昇る。まるでロケットの打ち上げだ。一秒前までいた場所に宝具が嵐のように吹きすさび、空を切る。

 上空に逃れた赤化バーサーカーを、黒化ギルガメッシュの本体が見上げる。

 気位の高い獣は、見下されたという一点のみに憤怒し、さらにその上層に宝具の門を開いた。

 

 自由の利かない空中で――宝具の嵐を浴びせられる。

 そんな未来をバーサーカー自身すら確信し、妹紅もまた無傷で避け切れるものではないと覚悟する。

 

「うおおぉぉぉおおぉぉぉっ!」

 

 吼えたのは衛宮士郎だった。

 投影したはいいものの士郎本人が力不足であるがゆえ、役に立ちそうもなかった双剣――干将莫耶に、ありったけの魔力を注ぎ込む。

 想像(イメージ)するのは、在りし日のアーチャー。

 かつて柳洞寺に八騎のサーヴァントが集い、大乱戦を繰り広げたあの夜に目撃した光景。

 彼の振るった、巨大化した干将莫耶をトレースする。

 

 ――白と黒の夫婦剣が発光した。

 刀身が大剣と呼べるほど伸び、峰の根元側は針山のように金属が隆起している。

 あるべき形を歪め、無理やり巨大化させた異形の剣。

 干将莫耶オーバーエッジが両の手に握られる。

 それは、白と黒の翼のようにも見え――。

 

「受け取れバーサーカー!」

 

 常人が片手で持てる代物ではない大剣を、筋力すら模倣する事で空高く投げ放つ。その反動のため筋組織が悲鳴を上げるが、不死身の二人はもっと痛い思いをしているのだ。これしき耐えずして何が兄か。

 白と黒は飛ぶ――狙いは宙に舞う赤化バーサーカーの左右。

 

 ――空中の砲門に宝具が並び、射出される。

 それと同時に、赤化バーサーカーは向かってきた夫婦剣を掴み取った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 紅い軌跡が空を切り裂く。

 幾重もの軌跡が空に模様を描く――まるで弾幕ごっこのように。

 

 迫りくる無数の宝具と切り結び、ことごとくを弾き飛ばした力強い剣劇。

 巨大な翼のような形の双剣は、刀身に炎を帯びて火の粉を撒き散らす。

 同時に、バーサーカーの背中からもまた炎の翼が燃え上がっていた。

 強力な魔力の羽ばたきによって浮力を得たバーサーカーは、羽毛のように宙を舞う。

 

 バーサーカーが吼え、妹紅の炎をまとい、アーチャーが使っていた強化改造宝具を、士郎が投影して託し――四つの意志がイリヤのために全身全霊を尽くさんとするその姿。

 

 背中から生えた二枚の炎翼と、両手に握った双剣から立ち上る二枚の炎翼。

 闇を灼き祓う四枚の翼をまといし者。

 

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカー・オーバーエッジ。

 

 その美しくも雄々しい光景は――その場にいるすべての者を釘づけにした。

 士郎とセイバーは希望を見出し、黒化ギルガメッシュは脅威に焦れる。

 イリヤスフィールの胸の奥に火が灯る。

 

 たとえこの先、何があろうとも――。

 

 このもっとも美しき光景を――きっと、ずっと、忘れない。

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

「セイバァァァアアアアアアッ!!」

 

 

 

 天地震わす咆哮と共に、黒化ギルガメッシュの右半身が赤く発光し、赤化バーサーカーに対抗するかの如く炎上を始めた。

 出てきたのは海をも断ち割らんばかりの巨大な炎剣。

 かつてアインツベルン城に降り注いだ剣の片割れ。山を斬り拓く斬山剣イガリマと同等の質量を誇る紅の刃――シュルシャガナ。

 こんなものが振り下ろされれば円蔵山が地割れを起こした挙げ句に大規模な山火事となりかねない。地上にいる士郎とセイバーも焼け死んでしまうだろう。

 

「■■■■……」

 

 赤化バーサーカーはその脅威を悟る。神造兵装の直撃を受けては確実に五体が砕かれてしまう。

 しかし狂戦士にあるまじき落ち着きを見せながら、託されし夫婦剣を握りしめる。

 

「アァアァアアアァァァァァァァ――――ッ!!」

 

 シュルシャガナが振り下ろされる。紅蓮の炎が尾を引いて、夜の闇を斬り拓いていく。

 瞬間、赤化バーサーカーの背中が爆発する。

 どうせ頑強な大英雄に憑依しているのだから、どうせすでに炎に耐性を得ているのだから、通常の英霊であれば焼滅する無茶だってお構いなしに実行できる。

 爆発するような炎翼を推進力とし、バーサーカーは紅き流星となって空を駆けた。

 右翼の火力を強めてやれば赤化バーサーカーの飛行方向は左へとズレ、シュルシャガナの一撃を回避しようとする。しかし互いに信頼しあう者の合体連携であろうと、このスタイルで本格的な空中戦闘をするなど初めての事。バーサーカーの右膝が刃に触れ、灼熱の痛みとともに斬り飛ばされてしまった。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 圧倒的質量の衝撃を受けて赤化バーサーカーは空中で錐揉み状態に陥るも、身体を回転させながら前へ前へと飛び続ける。いつかの戦いと同じだ。英雄王を倒すには弾幕の嵐を掻い潜って前に進むしかなく、不死身の最強タッグがこの程度で押し止められるはずもない。

 回転の勢いをそのままに、赤化バーサーカーは干将莫耶オーバーエッジをシュルシャガナの刀身の腹へと突き立てる。

 通常であれば打ち負け、こちらが砕かれるはずの衝突。だが刀身は鋭利に研がれた炎によって切れ味を増しており、さらに士郎の想いとアーチャーの工夫が詰め込まれている。

 奇跡を手繰り寄せるには十分だ。

 金属の割れる音が鳴り響くと、シュルシャガナはその紅き刃に大きな亀裂を走らせた。――同時に白と黒の夫婦剣もまた刀身に亀裂を生じさせてしまう。

 

「■■■■■■――ッ!!」

 

 間髪入れずシュルシャガナの亀裂へと自傷の火脚を叩き込む。神話の時代に巨人族と戦った大英雄の、狂化によって強化されたパワーが生命の炎で後押しされた結果、シュルシャガナは半ばほどから真っ二つにへし折れた。

 刀身の先端側から炎が弱まっていき、地面へと落ちていく。

 振り下ろしの直撃ほどではないが、大きな被害が出る事は確実であった。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)――ッ!!」

 

 だが、セイバーが剣を振り上げる。

 泥から身を守るため使っていた風王結界(インビジブル・エア)を、この瞬間、最大の風力を以て解放する。

 地から天へと昇る竜巻の如き風圧は、シュルシャガナに残る炎を洗いざらい吹き飛ばすとともに落下の速度を著しく軽減させる。

 

「ぐっ、ううっ……バーサーカー! 妹紅! 我々に構わず進めぇぇぇ!!」

 

 敵同士として出逢ったサーヴァント。

 もはや信頼しかない。勝利を託してセイバーは全力のサポートに回る。

 鎮火したシュルシャガナを導くよう風王鉄槌(ストライク・エア)を徐々に傾け、円蔵山の森の木々を薙ぎ倒しながら、風圧と倒木のクッションを作ってそこに墜落させてやる。

 大震動と土煙が巻き起こる中、セイバーは、前聖杯戦争で放った聖剣の一撃が、川に停泊していたボートを盾にする事で威力が削がれ周辺への被害が狭まった事を思い出していた。

 事を成したセイバーは、かたわらの士郎の無事も確かめてから夜空を見上げた。

 

 無数の宝具が流星となって飛び交っている。

 シュルシャガナを失った黒化ギルガメッシュは憤怒の雄叫びを上げながら、本体の周りに門を開いてかつてのように数多の宝具を射出していた。

 それに対し、狂える戦士は我が身を友に任せ、冷静に前だけを見つめていた。

 流星舞う宝具弾幕の空を潜り抜ける(グレイズ)

 しかし赤化バーサーカーの巨体と、しなやかさのない強引な炎翼突撃で避け切るのは困難を極めた。急所に当たるであろう宝具のみを卓越した心眼で見定め、預けられた双翼の剣によって打ち払いながら空を()く。

 刀身が軋み、亀裂が走りながらも、双翼の剣は折れない。

 

 それでも――しのぎ切れない宝具が赤化バーサーカーを襲った。

 穂先が黄金に輝く絶世の槍が右肩を貫通する。

 刀身が螺旋を描く大剣が脇腹を捻るように抉り取る。

 さらには青き燐光をまとった竜殺しの魔剣が左足のアキレス腱を切り裂く。

 

 みずからの出血を蒸発させながら、それでも紅蓮の狂戦士は止まらない。

 宝具の山の上に座す人型の影――黒化ギルガメッシュの本体のみを討ち果たさんとする。

 止められないと本能で悟った黒化ギルガメッシュは即座に、みずからの前面に防壁を展開する。強固なる盾や斧を並べ立て、あらゆる猛攻を弾き返そうとした。――だが。

 

「■■■■■■、■■■■■――ッ!!」

 

 デスパレート・射殺す百頭(ナインライブズ)――最大最強を誇る神速連撃が炸裂する。

 狂気に侵され、喪失したはずの"技"が振るわれる。重ねた願いを果たすため、クラスという枠を捻じ伏せて、神話の"技"が蘇ったのだ。

 さらに1300年の研鑽を積んだ復讐者のスペルが折り重なり、その神話的な威力を数倍にも押し上げていた。

 心と願いを重ねたがために、二人の技とスペルも完全にシンクロしたのだ。

 

 赤化バーサーカーの握った双翼の炎剣が、紅き雷光のように閃いて世界を八つ裂きにする。

 妹紅の放つ火爪の如きそれは、バーサーカーの膂力と、干将莫耶オーバーエッジの鋭さによって目の前の防壁をことごとく爆砕させる。

 金属音と爆発音が幾重にも折り重なり、宝具の壁を突き破り、その向こうへ――。

 その最後の二撃がクロスを描き、すでにひび割れていた干将莫耶オーバーエッジは限界を迎えて砕け散る。だが――それと同時に黒化ギルガメッシュの本体を四散炎上させた。

 

「――――ッ!! セイ……バ……!!」

 

 聖杯の孔から這い出て無理やり現界していたそれは、黒い粒となって散りながら炎に呑まれる。

 障害を越えた赤化バーサーカーはその勢いのまま宝具の山に突っ込み、それすらも粉砕して地面へと降り立った。背中の炎翼が大きく広がってブレーキをかけるも、彼の右脚の切断面と、アキレス腱の断裂した左脚とで地面を削ってようやく停止する。

 背後では散らばった宝具の山が次々に消え去り、さらには赤化バーサーカーに突き刺さっていた絶世の槍と螺旋の剣も光となって宙に舞う。山間部に落ちたシュルシャガナの刀身も同様だ。

 黒化ギルガメッシュの敗北をこれ以上ないほど示している。

 そうして、赤化バーサーカーが見上げてみれば。

 頭上にはもう、嬉し泣きをしているイリヤの姿があった。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 イリヤスフィールとバーサーカー。互いの視線が紡がれて、互いが安堵を抱く。

 それに合わせてバーサーカーにまとわりついていた炎が肩の上に集まって人の形を成す。

 紅白衣装の人間、第三魔法の少女、藤原妹紅が憑依を解除して実体化したのだ。

 巌のような肌に戻った頼もしき相棒の肩を軽く蹴って飛翔すると、藤原妹紅はイリヤの前で静止して困り顔になった。

 

「抱きしめてやりたいところだが――そのドレス、なんとかならない?」

「モコウ……モコウ……!」

 

 イリヤがもがく。

 小聖杯として機能するため削ぎ落とした、人間としての機能を駆使しながら。

 ――アインツベルンの魔術系統は流動と転移であり、天のドレスは外付けの魔術回路である。

 小聖杯であり願望機でもあるイリヤは、過程を飛ばして結果を導き出す魔術を備えており、転移魔術の応用によってみずからのまとう天のドレスを、その場から消し去った。

 まるで英霊が霊体化するかのように、光の粒子となって消える天のドレス。

 光の粒子の中から現れるイリヤスフィールの裸身。

 まるで、無垢なる生命がこの世に誕生したのを祝福されているかのようだ。

 

「おかえり、イリヤ」

 

 妹紅は柔らかな微笑を浮かべてイリヤスフィールを抱き支える。

 その手つきは壊れ物を扱うかのように優しく、子供をあやすように銀糸の髪に頬ずりする。

 サラサラとした肌触り。胸の中にある確かなぬくもり。添い寝は何度もしているけれど、こんなにも心が安らぐのはお互い初めてだった。

 今にも泣き出してしまいそうな顔を、イリヤは妹紅の胸に押しつける。

 

「まったく…………自分勝手で、短絡的で、乱暴で……アインツベルンの悲願を踏みにじって、自分の理想を押しつけてくる…………本当に困ったサーヴァント……」

 

 サーヴァント。考えてみればなんとも歪な関係だ。人間同士の主従関係なんて珍しくもないが、英霊の真似をしてマスターとサーヴァントなんて関係を築いてしまうなんて。

 友達とか、同朋とか、家族とか、もっと聞こえのいい関係を育めたかもしれない。

 けれど、マスターとサーヴァントとして繋ぎ繋いでたどり着いた今この瞬間は、掛け替えのない歓びをもたらしていた。

 歪んだ少女同士だもの、歪んだ関係が丁度いい。

 傷つきひび割れた心の形が、パズルのピースのようにピッタリと重なる。

 

「でも…………大好きだよ、モコウ」

 

 花開くように微笑みながら、涙に濡れた眼差しで見上げるイリヤ。

 ああ――この顔が見たくて、自分はイリヤに逆らったのだと妹紅は実感した。応じるようにして口元に微笑を浮かべようとして――視界の端を流れる赤に気づき、息を呑んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは黒化ギルガメッシュの残滓。聖杯から這い出た、規格外の英霊の魂である。

 大聖杯に再度焚べられた英霊の魂――その容量(キャパシティ)はすでに臨界。

 

 ドクンと、世界が胎動する。

 

「――――あ――」

 

 異変を感じ取ったイリヤが逆月へと振り向くのと同時に、膨大な泥が"孔"から吐き出された。

 まるで(つつみ)が決壊したかのような濁流はイリヤと妹紅にまで届き、その全身を呑み込もうとしている。呑み込まれれば――イリヤは死ぬ。

 

 泥を灼くべくこの場で炎上すればイリヤも焼け死ぬ。――一緒には居られない。

 

 妹紅はほんの一秒にも満たない間に思考の奔流を巡らせ、パッと、イリヤを手放した。

 すでに宙への磔から解放されていたイリヤは重力に従い、真っ逆さまに落下していく。

 イリヤは妹紅の姿が遠ざかっていくのを、呆然と見上げていた。

 妹紅は、イリヤを見下ろす余裕なんてなかった。

 だから。

 

「後は――――」

 

 すぐさま全身を発火させ、炎の防壁を生み出して迫りくる泥を灼き祓う。

 ――量が多い。一瞬押し止めるのがやっとだ。

 台風で氾濫した川がもたらす水害を思い出しながら、妹紅は背中からも炎の翼を噴出させ、大聖杯の泥に身を投じる。焼いて、燃やして、払って、祓って、グングンと前へ進んでいく。

 

 

 

「――――頼んだッ! ヘラクレス!!」

 

 

 

 最後に、万感の思いを込めて相棒の真名を呼び――。

 藤原妹紅は泥を灼き祓いながら、大聖杯の"孔"へと飛び込んだ。

 

「モコウ――!」

 

 その光景を目撃したイリヤは身体を震わせる。

 ――大聖杯からすでに吐き出された泥の大半が灼き祓われ、そして新たに吐き出される泥の量も半減した。しかしそれでも、溢れる泥の量は今までの比ではなく、捨て置けば冬木市全土が泥に呑み込まれるのは想像に難くない。

 そして、逆月のすぐ下にいるイリヤもまた、自力で逃れるのは不可能だ。

 だから。

 

 大きな手が、イリヤをそっと抱きとめる。

 それは硬くて、強くて――不死の炎の残滓のおかげで、とってもあたたかくて。

 優しいバーサーカーに、父が我が子を抱きしめるように、触れ合った。

 

「――バーサーカー」

 

 狂化を施され、言葉を失ったサーヴァント。

 けれどその瞳に、恨み言や狂気は存在しない。

 小さき主を慈しみ、力にならんとする想いだけがあった。

 

 ――頭上から泥が降ってくる。五秒とかからず泥に呑まれてしまう、そんな、ほんのわずかの、短い時間。

 イリヤとバーサーカーは、どれだけ見つめ合っていられたのだろう。

 

「■■■■――ッ」

 

 幾つもの重傷をあちこちに負い、右脚は欠損し、左脚もアキレス腱が切れており立ち上がる事さえできないバーサーカー。宝具の力で治癒するにしても、十数秒はかかりそうだ。

 故に、少女が信じた者を信じて――彼は身体を翻し、守るべき主を放り投げた。

 

「――――ッ!?」

 

 バーサーカーの姿が遠ざかっていくのをイリヤは見た

 ――行ってしまう。モコウだけでなく、バーサーカーも行ってしまう。

 それを理解して、叫ぼうとして。

 

「イリヤッ!」

 

 投げられた先にいた衛宮士郎に抱き止められた。

 力強く、もう二度と手放すまいという意志と共に。

 

 藤原妹紅からバーサーカーへ。

 バーサーカーから衛宮士郎へ。

 

 

 

 ――――お前が守れ。

 

 

 

 理性無き赤い瞳が、衛宮士郎に告げる。

 理性無き赤い瞳を、衛宮士郎は真っ直ぐに見つめ返す。

 

 冷たい冬の城に呼び出され、理性を剥奪され、狂気に意識を焦がし、なお――。

 それでも守ろうと誓ったモノを、彼はみずからの意思で手放した。

 託し、託され――最後に行き着くべき場所にたどり着いたのを見届けたから。

 

 バーサーカーは、頭上から降る泥の濁流に全身を呑み込まれる。

 彼女の守り手であったサーヴァントは、最期に少女を見つめたまま消えた。

 

 ――消える。消えていく。

 冬の城で繋いだ二人の絆が、マスターとサーヴァントを繋ぐパスが消えていく。

 

 ――消える。消えていく。

 イリヤに宿る最後の令呪、最後の一画が、使っても居ないのに消えていく。

 

 ひとひらの雪が、手のひらに触れて溶けるかのように……消えてしまった。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

 ――昔、月に向かって飛んだ事がある。

 

 なんだったか、異国には蝋の翼で空を飛んで、太陽を目指して飛んだ男がいたという。

 蝋の翼は太陽の熱で溶け、男は墜落して死んだとか。

 

 私も同じだ。

 月を目指して飛んで、飛んで、飛んで――力尽きて墜落し、死んで、生き返った。

 たったそれだけの、取り留めもない思い出。

 

   死ね   死ね   死ね    死ね    死ね

       死ね   死ね  死ね   死ね      死ね

  死ね     死ね       死ね    死ね  死ね

 

(芸が無いな、またそれか)

 

 泥に、呪いに、大聖杯に呑まれた妹紅は、攻撃的な笑みを浮かべてさらに火力を増大させた。

 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に、死んで死の終わりに冥し。

 すでに天の杯(ヘブンズフィール)に至った藤原妹紅にとって、死は幾度でも体験する日常であると同時に、未来永劫訪れない幻想でもある。

 

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

(――うるさい。そんなに"死"を願うのか)

 

 マキリの言葉を思い出す。

 この世全ての悪(アンリマユ)によって汚染された聖杯は、願いを"破壊"や"死"といった形でしか叶えられない呪物と化しているのだったか。

 そうであるならば。

 妹紅は白熱する火焔を身にまとい、世界すべてを灼き尽くさんばかりに炎上し、大聖杯の内側を蹂躙しながら、思った。

 

(だったらイリヤを"死"なせてみせろ)

 

 別に――本気で願った訳ではない。

 むしろ余計な事せず消え失せろと思ってさえいる。この呪いのせいで、イリヤは親の代から散々な目に遭ってしまったのだ。残さず余さず灼き尽くしてやりたい。

 

 妹紅の火力は跳ね上がり、漆黒の闇がさらに黒く焼け焦げていく。

 死の呪いでは決して犯せぬ不死の炎が、我が物顔で世界を蹂躙する。

 

聖杯(おまえ)が"死"という形でしか願いを叶えられないなら、イリヤを()()()()()()()として"死"なせてみせろ)

 

 思い返してみれば、本当に楽しい日々だった。

 こんなにも誰かと仲良くなれたのは本当に珍しい。

 

(誰かを好きになったり、嫌いになったり。歓んだり、悲しんだり――)

 

 イリヤ。バーサーカーの旦那。セラ。リズ。

 アインツベルンの日々は本当に幸せだった。

 

(楽しい事、つらい事を経験して。誰かを祝福しながら、誰かを呪いながら)

 

 ランサー。バゼット。アサシン。キャスター。

 好敵手との戦いは本当に楽しかった。

 

(家族と共に生き。笑い合える友達を作って。あたたかで、ささやかな人生を送り――)

 

 マキリ・ゾウルケン。桜ちゃん。ライダー。

 予期せぬ出来事もあった。平凡な日常の眩しさは目に痛かった。

 

(ホムンクルスの寿命なんか蹴っ飛ばして――)

 

 衛宮士郎。遠坂凛。セイバー。……ついでにアーチャー。

 敵だった連中と仲良くなるのも、満更でもなかった。

 

(醜く( うつくし )老いさらばえたイリヤを――"死"なせてみせろ)

 

 大聖杯に、内側から亀裂が走る。

 こんな呪物が二度と機能しないように、妹紅はその命を燃やし尽くすのだ。

 

 闇が――吹き飛ばされる。

 ほんの一瞬、妹紅は夢を見た。

 

 どこまでも青く広がる空の下、美しく咲き乱れる花畑の中――。

 銀色の髪と、朱い瞳を持つ女が、天のドレスをまとって、真っ直ぐに立っていた。

 もはや意志と魂の昇華された人形。在りし日の誰かの残滓。

 

 

 

 ――――ユスティーツァ。

 

 

 

 その姿を見て、妹紅は何故か、マキリがイリヤに向けた呟きを思い出す。

 誰かの名前なのか、何かの名前なのか、呪文の類なのかも分からない。

 けれどきっと、あいつにとって大切だったモノを示す言葉。

 

 あの女は何なのか。イリヤが大人になったかのような姿の、あの女はいったい。

 そもそも、これは現実の光景なのか。聖杯が見せる幻ではないのか。

 

 美しき理想と幻想の花園で、二人の視線が交わり――――。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

「シロウ――令呪を。貴方の命が無ければ、アレは破壊できない」

「ッ…………セイバー。宝具を開放して、大聖杯を破壊してくれ。二度と、誰にも使われる事がないように――」

 

 泥の濁流が迫る中、セイバーはマスターに決断を要求し、マスターはそれに応えた。

 何がなんでも守りたかったイリヤはすでに手中。

 妹紅は聖杯の"孔"に消え、バーサーカーは泥に消えた。

 犠牲となった二人に申し訳なく思いながら――深く感謝しながら――衛宮士郎は三画目、最後の令呪を行使した。

 

 セイバーは聖剣を高々と空に掲げ、眩き黄金に輝かせる。

 光は力の塔となりて、赤色の空をも突き抜け星へと至る。

 胸に刻まれた幾つもの思い出――幾つもの決断、幾つもの間違いを積み重ねてたどり着いた結末に、後悔が無いとは言わない。けれどもう背を向けたりはしない。

 己の生きた道を認め、その人生を完遂する。

 

 

 

「束ねるは星の息吹――――黄金の夢から覚め、運命から解き放たれよ!」

 

 奇跡によって編まれた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)を今、振り下ろす。

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)――!!」

 

 

 

 放たれる光の奔流。

 闇を切り裂き、世界を照らし、進行上にあった泥を薙ぎ払っていく。

 閃光はついに悲劇の元凶たる呪われた大聖杯へと至る。

 逆月の()()()()()()()()()、大気が震えるのに合わせて亀裂が大きく開いた。

 天地をつんざく轟音と共に、光は上方へと吹き上がると、崩壊する逆月の破片を天高く昇天させていく。

 赤い光に染まった空を、黄金の光が染め直し――星空と、銀色の月がその姿をあらわにする。

 

 聖杯に侵されていた風景が、どこにでもある冬の空を取り戻したのだ。

 雪降るような星々の海の下、冷たい風が吹き抜けていく。

 円蔵山の一角が大きくえぐれ、木々も薙ぎ倒されてしまっている。

 そこに――不死身のサーヴァントの姿は無かった。

 泥に呑まれたバーサーカーも、聖杯の"孔"に飛び込んだ妹紅も――気配さえ感じられない。

 

 残されたのは聖剣を振り下ろした姿勢でたたずむセイバーと、裸身のままのイリヤ、それを抱きしめる衛宮士郎のみ。

 

 これで本当にすべての危難は去ったのだ。

 士郎はホッと息を吐くも、腕の中の少女が裸身を震わせるのに気づくと、慌てて自分が着ていた白黒のジャージを脱いで明け渡した。

 ジャージをまとったイリヤは寒がるように身を縮ませ、聖剣がえぐった地形を見やる。

 

 ――バーサーカーが、十二の試練(ゴッド・ハンド)で復活する気配は無い。

 ――藤原妹紅が、天の杯(ヘブンズフィール)で復活する気配も無い。

 

 別れの言葉も告げられないまま、聖杯の闇に身を投じ、聖剣の光と共に去ってしまった。

 そして最後の別れが訪れようとしている。

 

「――――シロウ。イリヤスフィール」

 

 月と星が静かに輝く夜空の下、セイバーは翡翠色の瞳にあたたかな光を浮かべる。

 その身体は足元から金色の光となって消失しつつあった。

 聖杯が無くなった今、彼女がこの世に留まる道理は無い。

 あるべき場所に還らねばならない。

 

「私はもう大丈夫。迷いは晴れ、聖杯を求める事は二度と無いでしょう。二人の幸せを遠い空から祈っています。――どうか、お元気で」

「セイバー!」

 

 士郎はたまらず叫んだ。

 イリヤを抱きしめながら、最後まで自分に尽くしてくれた彼女のため、かけるべき言葉を探す。

 

「…………っ……ありがとう」

 

 けれど出てきたのはありきたりな、けれど、きっと正直な気持ち。

 それが伝わったから――セイバーもまた、安らかに微笑して――――。

 

 士郎とイリヤ。兄妹として歩き出したばかりの二人に見守られながら、最後のサーヴァントは光となって世界を去った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

 夜風が吹く。

 まるで何事もなかったかのような、静かで冷たい、冬の風。

 円蔵山を覆う木々が波打つようにざわめき、寂しさが押し寄せてくる。

 寒い、寒い、冬の夜。

 けれど胸の奥は熱を帯びている。

 

 冬木の街からすべてのサーヴァントが退場し、繋がりは途絶えてしまった。

 正真正銘、二人きり。

 衛宮士郎とイリヤスフィールだけがこの場に残されたのだと実感する。

 

「……帰ろう。俺達の家に」

「…………うんっ……」

 

 ジャージ一枚のイリヤを背負って、トレーナー姿の士郎は歩き出す。

 聖杯の消失と共に柳洞寺に蔓延していた泥も消えていたが、この寒空だ、いつまでものんびりしていられない。可愛い妹が風邪を引いたら大変だ。

 

 立ち去っていく兄妹の姿を、月は空高くから静かに見守っていた。

 

 

 


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