イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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最終話 Last Word

 

 

 

 ひらひらと、ひらひらと、灰が降っている。

 少女の周囲に降り積もり、少女の白髪(はくはつ)に降り積もり、灰色に染め上げていく。

 火山灰に覆われた荒れ地の坂道に独り、少女はみずからの膝を抱いて座り込んでいる。

 

 疲れた。

 もう、疲れてしまった。

 

 歩きたくない。

 立ちたくない。

 ずっとこうして座っていたい。

 ずっとこのまま朽ちていたい。

 

 灰の山の陰から、白黒の獣がこちらを見ている。

 

   ――貴女は大きい夢を見るのを辞めたのかしら?――

               ――夢の世界の貴女はいつも静かだわ――

 

 そう囁くと、白黒の獣は桃色の泡に包まれて姿を消してしまった。

 

 灰が降っている。

 ひらひらと、ひらひらと、灰が降っている。

 少女の人生に降り積もり、風景を灰で染め上げていく。

 思い出を灰で埋め尽くしていく。

 そんな有り様を、ぼんやりと眺めていて――。

 

 ひらひらと。

 ひらひらと。

 ひとひらの雪が降ってきた。

 

 顔を上げる。

 

(――――きれい)

 

 両手を広げると、銀色は導かれるように、少女の腕の中へと降りてきた。

 雨のように降り注ぐ灰色の中で、たったひとひらの銀色が、こんなにも眩しい。

 

「――――――――あ――」

 

 気がつけば少女は灰の山に座り込んだ姿勢のまま、銀色の髪の少女を抱きしめていた。

 逃すまいと、あるいはこの世の不幸から守ろうとするように、両手両足を絡めて力強く、そしてとびっきり優しく。

 

(――――あたたかい)

 

 赤ん坊のように丸まっている銀色の少女、その髪の色も輝くような銀。

 思わず頬を擦りつけ、絹のような肌触りに心身を安らかにさせる。

 銀色の少女は振り向かない。けれど気持ちよさそうに背中を預けてきた。

 

 

 

      ――――ずっとこうしていられたらよかったのにね――――

 

 

 

 それはどちらの言葉だったのか。

 あるいは誰でもない夢幻の淵からの囁きなのか。

 灰が降る中、灰に埋もれていく中、胸に抱いた銀色はこんなにも愛しい。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――――暑苦しさに目を覚ますと、じっとりとした倦怠が藤原妹紅を襲った。

 汗でべったりと貼りついた浴衣の着心地にうんざりしながら起き上がる。外からはセミの鳴き声がうるさく響いており、すでに真夏の陽射しが容赦なく猛暑をもたらしているらしい。

 寝起きのだらしない姿のまま妹紅は縁側によろめき出て、庭の景色を眺める。

 目が白むほどに眩しい光景の中、腰巻き一枚のバーサーカーが汗もかかずに蒼天の空を見上げていた。寒さにも暑さにも強いのは羨ましい。

 

「旦那、おはよう」

「――ごあっ」

 

 エメラルドのように輝く瑞々しい竹に囲まれた、藤原妹紅の隠れ家。

 申し訳程度の庭には家庭菜園と、それを狙ってやってくる獣や兎を捕まえるための罠も仕掛けられてある。竹林に入ってちょっと歩けば川もあるため水には困らない。

 庭の対面にはバーサーカーのために建てられた離れがある。といっても中身は空っぽだ。

 サーヴァントには睡眠など必要ないが、妹紅の狭い家で男女がひとつ屋根はよくないという理由から建てられたバーサーカー用の寝床である。

 彼に理性があればもっと手の込んだものを用意したが、狂化されているためこれでも十分と言える。――狂ってなかったらどんな家を好み、どんな生活をしていたのか、興味がないでもないが。

 しかし狂化してなお紳士的な大英雄の事だ、ランサーと同じようなノリで幻想郷に馴染むのだろう。

 だが彼はバーサーカーとして召喚された。

 ランサーのように人里の面々と仲良くするのは難がある。狂化の影響か人間離れした異形となっているし、言葉もまったく話せない。簡単な指示には大雑把に従いはするが、細かい事となるとそうもいかないし、妹紅ではイリヤほど上手にコントロールできない。

 

「まっ、竹林でひっそり暮らす分には問題ないか。とはいっても、噂は広がってるんだよな……」

 

 妹紅は竹林の案内人をしているため、迷い人が「山のように大きな妖怪が出る」「岩の塊が動いた」と怯えているのを知っているし、慧音やサーヴァント達からもたまに聞いたりする。

 余計な騒動を起こさなければ、そのうち幻想郷にいる多種多様な妖怪達と同じ認識へと埋没していくだろう。妹紅は楽観すると、寝汗でべっとりと貼りついた浴衣を脱ぎ捨てるため部屋に戻っていった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 幻想郷――忘れ去られし者が行き着く最後の楽園。

 そこに何の因果か、人理に刻まれた英霊達が迷い込んでしまった。

 冬に三人、夏に三人、ついでにそのマスターが一人。

 下手をすれば人間贔屓のアラヤの介入を招いたり、妖怪退治の本家本元連中が大暴れして大惨事になりかねないものだが、なんだかんだサーヴァント達は幻想郷に馴染み、管理者である妖怪の賢者は心労を重ねてはいるが、概ね平和な日常を謳歌していた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランサーの平和は崩れ去っていた。

 先週、自衛以外では極力戦わないという約束を破り大暴れしたせいだ。いや自衛ではあったけれども、対軍宝具をぶっ放したのは流石にね。

 八雲紫が渓谷沿いにあるランサーの隠れ家を訪ね、川で釣りをしている浴衣姿のランサーにくどくど説教をしている。

 一週間前は結界調査で忙しかった紫に代わり、藍が長々と説教してくれた。その後は化け猫の橙がジロジロ見張りをするようになった。

 模範生が問題児に急転直下。――なお最重要警戒対象のキャスターは、馬鹿夫婦っぷりのせいで完全に「アレはもういい」となってしまっている。

 八雲紫が言うべき事は概ね藍がすでに言っているが、同じ事を繰り返し言い聞かせるのも大事だし、何より紫はストレス発散ができてランサーには精神圧迫ができる。

 説教しない道理は無かった。

 

「確かに、藤原妹紅が襲ってきたとからやり返したという道理は分かります。でも途中からノリノリで戦ってましたよね? 本気で戦ってましたよね? 宝具解放しましたよね? しかも被害の少ない突く方じゃなく、被害の大きい投げる方」

「いやぁ参ったぜ。あいつ不死身だろ? 体力尽きて足腰立たなくなるまで殺したら俺の勝ちなんて条件で戦ったもんだから、こっちとしても手が抜けなくてな」

「楽しそーに語らないでよぉぉぉ! 葛木宗一郎の件が落ち着いたと思ったら、今度は模範的な生活をしていたランサーが大暴れって……結界はなんともありませんでしたが、アラヤが幻想郷に目をつけたらって考えたらもう……もう……!」

 

 ガクリとうなだれる紫。

 妹紅の体力は削り切れなかったが、紫の体力は削り切れそうだ。胃壁も順調に削れている。

 

「まっ、この件に関しちゃ言い訳はしねぇし、後悔もしてねぇ。ケジメをつけろってんなら大人しく従うぜ」

「くっ……こういう時だけ聞き分けがいい……」

 

 ぐぬぬと食いしばった紫は、はぁとため息をついて川の流れを見下ろした。

 暑苦しい夏。水場で涼むのは良策と言えよう。

 

「結局どれだけ模範的で律儀な人でも、ケルト脳はケルト脳という事なのですね」

「ケルト脳ねぇ」

「お宅の教育どうなってるのと、抗議の手紙を送っておきましたわ」

「…………手紙? 俺の事を手紙に書いたのか? 誰に?」

「影の国の女王様に」

 

 ピシッ――とランサーは凍りついた。真夏だっていうのに心臓の底から絶対零度に陥る。

 

「待て、待ってくれ賢者さん。そりゃもしかしてまさか……」

「幻想郷も影の国も、外の世界から切り離された異界ですから――まあ色々と隔たれていて行き来は容易なものではありませんが、スカサハ様が今でも影の国で生き続けておられるのは結構有名なお話ですし……」

「待て、待ってくれ賢者さん。そりゃもしかしてまさか、場合によっては()()が幻想郷に来るって可能性も……?」

「さあ? 手紙程度ならともかく、本人が行き来できるかは試してみないと分かりませんから」

 

 試されたらどうしよう。

 行き来できちゃったらどうしよう。

 

 クー・フーリンの師である女王スカサハは不死であり、神秘の途絶えた現代でも平然と生き続けている。まあ幻想郷にも西暦以前から生きてるのや、神代から生きてるのがチラホラいるのだが。

 

 なんてこった、そんなのありか。ランサーはたまらず青ざめてしまった。彼女にだけは絶対にどうしても頭が上がらない。

 スカサハが幻想郷に来るまでこの不安は続くし、スカサハが幻想郷に来てしまったら不安は成就してしまう。

 こうして――ランサーの平穏な日々は恐怖と不安に彩られるのだった。

 

 どうか! 手紙が! 影の国に届いてませんように!

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そうかい、それは大変だったねぇ……」

 

 一週間前、風見幽香に襲われた事を、浴衣姿のアーチャーは香霖堂で愚痴っていた。

 どうにもこうにも少女達が強い幻想郷にて、落ち着いて話のできる大人の男性というのは貴重な癒やしでもある。

 癒やし空間を快適にするため香霖堂の掃除を手伝ったり、緑茶を入れたりしてしまっている。

 二人してズズッとお茶をすすりながら、いなり寿司なんか食べている。

 

「まったく。皆、もう少し慎みというものを持てんのか」

「そういう運命なんじゃないか? 君にはどうも女難の相が見える。それも、個性豊かな女の子と縁が多そうだ」

「…………やめてくれ。そんな運命、信じたくない」

 

 英霊の"座"に囚われ、長き戦いの日々に記憶を摩耗させた彼だが――今はそこそこ、昔の人間関係を思い出せていた。だから余計につらい。霖之助の言葉がザクザク刺さる。

 

「まあ、避難場所が欲しいならいつでも来てくれたまえ。客以外はできるだけご遠慮願いたいのだが、君は色々修理してくれるからね。おかげで売れ行きもよくなった」

「それは結構。しかし、電気や燃料が必要なものは売れないだろう」

「それはいいんだ、僕が使うんだから。――ガソリンや灯油ならたまに手に入るしね」

 

 なんだかんだ、外の世界からアレコレ入手する経路は多数ある。

 霖之助の場合、妙なものが幻想入りしていないかと八雲紫が確認に来る事があるので、そのついでに色々融通してもらったりしているのだ。

 なお、アーチャーがアレコレ直すもので、紫が警戒しなくてはならない道具が色々と増えた。つまり仕事と心労が増えた。つらい。

 

「やはりここにいましたか、アーチャー」

 

 という訳で、八雲紫の代わりに八雲藍が様子を見にくる事もある。彼女はサーヴァントの見張りも兼任しており、特に定住する場所を持たないアーチャーにつきまとう事が多かった。

 ――アサシンは技量こそ高いがサーヴァントとして非力なのと、よく妖夢と一緒にいるためそちらに任せてある。

 九つの尾をきゅっとすぼめながら、香霖堂の雑多な店内へと入る藍。

 商品棚に並ぶガラクタを辟易しながら流し見て、妙なものがないかザッと確認する。

 

「また()()()()()などしていないでしょうね……」

「落ち着け藍。私達は茶を飲んでいるだけだ」

「橙が貴方を見張ってる時もあるんだからあまり変なコトしないでくださいね、去勢しますよ」

「物騒すぎる!」

「一夫多妻去勢拳は九尾の狐の嗜みですので」

「嗜みというレベルではない!」

「予感がします。アーチャーはいつか、私とは別の九尾に一夫多妻去勢拳をされる――!」

「されてたまるか!」

「ところでそのいなり寿司、私も頂いても?」

「くっ……さては匂いに釣られて来たな?」

真逆(まさか)。誇大妄想している暇があったら私の分のお茶もお願いします」

 

 幻想郷に存在するというだけでアレコレ悩ませるのがサーヴァントであるからして、管理者としてはストレス解消にイジメたくなるのが人情である。

 反英雄のライダーはセーフ。一番の危険因子であったキャスターは幻想郷を安住の地としたのである意味一番セーフ。英霊として格の低いアサシンも一応セーフ。

 アーチャーも格は低いけどアラヤと契約した守護者だからある意味一番アウト。

 今日も今日とてアーチャーは女難に恵まれていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冥界近くの丘にある一本桜の下で、普段通り着物姿のアサシンと、普段着通りの妖夢が横に並んで刀を構えていた。

 それだけでそこは剣の結界が張られている。

 この内側に入り込んだ燕は容赦なく斬る。

 アサシンの結界と妖夢の結界、どちらでも好きな方に挑んでくるがいい!

 

「見つけた! あんた達が最近、鳥を斬ろうと躍起になってる殺人鬼ね!」

 

 そこに夜雀ミスティア・ローレライがやって来る。

 夜行性の鳥だけど、昼間だって普通に飛び回って歌いまくる迷惑な鳥だ。そして焼き鳥撲滅運動を掲げている無謀な鳥だ。

 

「おお、ミスティア……だったか。我等は確かに焼き鳥が好きだが、焼き鳥を焼いている訳ではないので気にしなくて構わぬ。――ただ、斬るのみ」

「いえ、私は焼きますよ? 幽々子様は焼き鳥も唐揚げも大好きなので。そうだ今日のおゆはんは照り焼きチキンにしましょう」

 

 あんまりにもあんまりな物言いに、ミスティアの怒りは蒸気となって噴出する。

 

「もう怒った! 二人まとめて夜目にしてやる!」

 

 こうして始まる弾幕ごっこ。

 これも修行のうちと判断したアサシンと妖夢は、その場から動かずミスティアの弾幕を切り払う縛りプレイを開始する。はてさて、勝利の天秤はどちらに傾くのか?

 そんな様子を、燕は空高くから見つめていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「咲夜。これはあちらに運んでおけばよろしいですか?」

「ええ。妖精メイドと違って役に立つわね」

「咲夜。テーブルの位置を移動させておきました」

「ご苦労さま。力持ちで助かるわ」

「咲夜。食器の件ですが――」

「……ねえライダー。どうしてそんなに私の名前を呼びたがるのかしら?」

 

 紅魔館の中庭にて、メイド長の咲夜と妖精メイド達、そして司書の衣装に身を包んだライダーと小悪魔がテーブルや食器を並べていた。

 レミリアお嬢様の気まぐれで、今夜はここで立食パーティーをするのだ。演奏のできる妖精メイド達は楽器のお手入れを張り切っている。

 元々、吸血鬼のカリスマ(もしくは紅魔館でのオシャレな生活)に惹かれて集まってきた子ばかりなので、ライダーの素性や正体を問題にするような者はおらず、というか妖精メイドに至ってはその辺もあまりよく理解していないので、特に不和が生じるでもなく働き者のライダーはすっかり紅魔館に馴染んでいた。基本は図書館勤めだが、メイド長の咲夜との交流も多い。

 

「……すみません。どうも咲夜の名前は呼び心地がよくて」

「………………まあ、お嬢様がつけて下さった名前を褒められるのは悪い気はしませんが」

「ところで桜」

「さくら?」

「失礼、間違えました。ところで咲夜。お嬢様と妹様に、高いところから私に飛びついてくるのをやめて頂くよう言ってもらえませんか?」

「貴女が面白い反応するから繰り返されるのよ」

 

 すっかり紅魔館に馴染んだライダーは、今日も小さな吸血鬼のわがままに振り回されている。

 しかしそんな生活に憧憬を覚えてしまうのだから、逃げられるはずもないのだ。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 日曜日なので寺子屋はお休み。生徒達も自由気ままに人里のどこかで遊んでいるだろう。もしかしたら人里の外まで出かけてしまってるかもしれないが、危険な場所には近づかないようしっかり言ってあるので大丈夫大丈夫。

 という訳で、質素な古着に身を包んだ葛木宗一郎とキャスターの二人は、仲睦まじく人里の通りを歩いていた。

 すると、同僚の上白沢慧音とバッタリ会う。

 

「あら。慧音先生、こんにちは」

「こんにちはキャスター。葛木先生も。今日は二人でお出かけか?」

「ええ、博麗神社に参拝に行こうと思って」

 

 殊勝な言葉に慧音はちょっぴり驚く。

 だって博麗神社だもの。参拝客がいなくて、お賽銭が全然無い博麗神社だもの。

 

「意外な信心深さ……」

「神々は基本的に嫌いよ。身勝手な理由で人間を弄んで……。でも、ヘカーティア様と博麗神社の祭神は別ね。どちらにも恩があるもの」

「博麗神社の祭神……か」

「…………ところであの神社、どんな神を祀っているの? こないだ霊夢に聞いたけど、巫女のくせに知らないとか言われて……」

「すまない、私も知らない。あそこの祭神は色々と謎でな……」

「…………謎である事に意味がある神様なのかしら……。それはそれとして、霊夢はもっと真面目に巫女をするべきよね」

「まったくもって」

 

 キャスターと慧音が和気藹々と語る姿を、葛木宗一郎は静かに見守っていた。

 ――幻想郷に迷い込み、様々な(しがらみ)を失って――キャスターは変わった。

 恐らくこれが生来の、純粋な心の形なのだろう。

 物心がつく以前、あるいはこの世に誕生した時には、自分にも人間らしい心の形があったのだろうか? そのように思い悩んでいた彼の手を、キャスターがそっと握る。

 

「――宗一郎様、どうかなさいました?」

「いや――何でもない」

 

 忘れ去られしモノが行き着く世界、幻想郷。

 そこで暮らしていれば、忘れ去ってしまった己の心も取り戻せるのだろうか。

 だが、取り戻せなくても構わない。

 これから新しい心の形を、二人で育んでいけばいいのだから。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 永遠亭――全身真っ白なユーブスタクハイトは、盆栽の捻れ具合を吟味していた。

 ホムンクルスと違い、なかなか思うように成長しない上、その成長があまりにも遅すぎる盆栽という娯楽。そこにどのような愉悦が存在するのか、ユーブスタクハイトにはまるで理解できない。

 ただ、その隣で自前の盆栽をニコニコ眺めている輝夜は眩しいと思う。

 

 アイリスフィールとイリヤスフィールも、共にある時は、このように笑っていただろうか。

 

 奇妙な思考が走るも、意味の無い事だと判断したユーブスタクハイトは、盆栽の育成方針を再試行する。当初の予定通りに育成するのは困難になり、アドリブと呼ばれる柔軟性を発揮すべきかもしれない。

 だがそのためには感性や直感も必要になってくる。その辺り、彼は鈍い。

 すべてを論理的に思考し、論理的に実行する。それが彼に備わった機能だ。

 その論理に過ちや失敗があったとしても、非論理的行動をする理由にはならない。問題点を解決してより論理的な取り組みをするだけだ。

 

「お爺さん」

「なんだ輝夜」

「十年後、この盆栽はどんな形をしているのかしら?」

「………………………………分からぬ。不確定要素が多く、現状では判断不能だ」

「じゃあ、確認しないとね」

 

 別にする必要はない。

 輝夜のお遊びにつき合い終えたら、八意永琳と薬学について議論を交わす予定だ。

 それまでの時間潰しを、しているだけにすぎない。

 それでも、そんなユーブスタクハイトを輝夜は微笑ましく見守っていた。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「いやぁ……みんなすっかり幻想郷に馴染んだねぇ……」

「マーリン、また独り言ですか? それとも私に聞かせているのですか」

 

 妖精達が住まうとされる伝説の島、アヴァロン。

 約束された()の地で安息の時間を過ごしているセイバーはもはや甲冑を着る事もなく、清楚な白いドレス姿となって石造りの塔の前に立っていた。そこに囚われている旧知の魔術師にたびたび会いに来ているのだ。

 といっても直接顔を合わす事はない。塔の、人が通り抜けられないような小さな窓を通して幾ばくか会話を交わすだけだ。

 

「やあ()()()()()、来ていたのか」

「来ていたからそんな口振りをしたのでしょう。……まったく。私が訊ねてもアレコレはぐらかすばかりで、聞かせる気なんか無いくせに」

「いやだって、君はもう彼等とお別れした訳だから、いつまでも固執しているのもね」

「……今年だったそうですね。聖杯戦争に私が二度目の参加をしたのは」

「ああ。余すところなく見させてもらったよ。君がどのようにして、誤った願いを克服したのか」

 

 セイバーはイラッとした。

 花の魔術師マーリンの千里眼は、()()()()()()()()()事ができる。

 そのためブリテン崩壊時にセイバーが聖杯に縋ってから実に1500年ほど、答え合わせを待ち続けていたのだ。セイバーが素直に話していればよかったのだけど、自分だけならともかくあの少女達の思い出まで吹聴するのは気が引けた。

 

「しかしまさか、ギルガメッシュにヘラクレスに蓬莱人とはねぇ。幾ら君とはいえ、よく最後まで勝ち残れたものだ」

「見ていたのなら分かるでしょう? 私は勝ち残った訳ではない。最後の後始末を任されただけです」

「フフッ。そして君はアヴァロンにたどり着き、仲間ハズレになった訳だ。いや、実のところ君まで非正規の方法で幻想入りしてたらバランスが崩れちゃう可能性があったんだけどね。ああ残念。私が塔に囚われていなかったら君の手を引っ張って、安全に結界をすり抜けて幻想郷まで連れて行く事もできたのに!」

 

 なんとも騒々しい魔術師の相手をするのに疲れてしまい、セイバーは塔に背を向けて立ち去ってしまった。しかし――マーリンの言葉の端々から、聖杯戦争の後日談は快いものになったのだろうとは察せられて、気持ちは晴れ晴れとしていた。

 それがマーリンの計算通りだと察せられてしまうのが、少々癪ではあったけど。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バーサーカーの日常は平穏なものであり、変化にも乏しかった。

 暑さも寒さもろくに感じない彼にとって、冬も夏も大差は無い。

 日がな一日、庭で日向ぼっこをし、小鳥と戯れ、妖精のイタズラをスルーし、夜雀の歌を一方的に聴かされたり、妹紅から食事を分けてもらい、日が暮れたら離れに入って眠る。

 たまに妹紅と一緒に竹林を散策したり、妙な合体スペルをやらされて輝夜に向かってぶっぱなされたりもするが……。

 そんなバーサーカーだったが、その日、聞き慣れぬ声が遠くから聞こえてきた。

 甲高い声。騒がしい声。胸がざわめく声。

 本能の赴くがままに立ち上がった彼は、竹藪を掻き分けて声のする方へ向かう。

 しばらくして、その声は急に息を潜めた。バーサーカーの騒々しい接近に気づいたのだ。

 構わず近づいてみると――身長133cmくらいの女の子が頬を涙で濡らしながら、怯え切った様子でこちらを見上げていた。

 

 

 

「迷子?」

 

 夕食時の人里にて。

 竹細工を売って小金を稼ぎ終えた妹紅が帰ろうとしていると、慧音が慌てて声をかけてきた。

 

「ああ。うちの生徒の女の子なんだが――友達と一緒に人里の外へ度胸試しに出かけて、はぐれてしまったらしい」

「迷子は一人だけ?」

「他の子は慌てて知らせに戻ってきて……そろそろ日も暮れる、危険な時間だ」

「分かった、手伝うよ。それでどこに度胸試しに行ったの?」

「迷いの竹林だ」

 

 妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を退治する。

 一時はその建前は形骸化し、妖怪の弱体化を招くに至った。

 今では妖怪は人間を襲いはするが、人里の人間を不用意に傷つける事は無い。しかし知性の低い妖怪はそんなルールなど把握していないし、闇夜に紛れてこっそりルールを破る妖怪もいないではないのだ。

 だから人里の外は危険だというのは、建前だけでなく真実でもある。

 

「……キャスターにはもう伝えたのか?」

 

 夫と恩人が寺子屋の教師をしているため、キャスターは寺子屋と生徒達の安全も気にかけるようになっている。なんだかんだ心根の優しい女性だ。しかし今日は――。

 

「博麗神社に参拝に行ってしまった。霊夢と話し込んでるかもしれないし、いつ帰ってくるかも分からない」

「分かった。私と慧音で捜そう」

 

 そのように結論づけて妹紅と慧音が人里の出入り口へ向かうと、そこには幾人が集まって、野次馬のように人里の外を眺めていた。

 

「どうしました?」

「ああ、慧音先生。アレ、見てご覧よ」

 

 村人に促されて外を眺めてみたら、見覚えのある鉛色の巨漢がのっしのっしと人里に向かって歩いてきていた。

 ――妖怪が人間に化けて人里に紛れ込む事はある。だが、妖怪丸出しでやって来るなど正気の沙汰ではなかった。

 まあ彼は妖怪ではないし、正気でなく狂気なのだが。

 

「バーサーカーさん!? 何故ここに……」

「ん? 旦那、女の子を抱えてるぞ」

 

 迷子の女の子を保護し、人里へと連れてきたバーサーカーは、人々から大いに驚かれた。

 ざわざわと不穏な空気が広がり、巫女を呼んでこようという声が大きくなる。

 

(人間は迫害が好きだもんな……。妖怪じゃないって言っても、あのナリじゃあ……)

 

 と半ばあきらめ気味だった妹紅は特にフォローもせずバーサーカーを連れ帰ろうと考える。

 だが慧音が皆の前に飛び出して、力強い口調で告げる。

 

「皆さん! 安心してください、あの巨人は妖怪ではなく英霊。人間に危害は加えません」

 

 ぱちくりと、一同はまばたきをして慧音を見やる。妹紅もだ。こんな風に人々を説得する発想、まったく無かった。普通は最初に考えるべきアイディアなのに――。

 それは妹紅という人間が、人間というコミュニティを信用していない証左である。

 人間達は戸惑いをあらわにして言葉を交わし始めた。

 

「霊……それってオバケって事!? 危険じゃないか!」

「いや、ランサーの兄貴も英霊だって聞いたぞ」

「赤いアンちゃんも確かそんなだったなぁ……守護霊みたいなもんだろ?」

「佐々木さんもそんなんじゃなかったかしら」

 

 意外やあっさりと受け入れる人々がいた。

 ――最初にバーサーカーを目撃していたら、こうはならなかっただろう。しかし人里に馴染んだ他のサーヴァントのおかげで、受け入れる下地ができていたのだ。

 保護された女の子もバーサーカーに危険は無いと理解してすっかり安心、むしろ自慢気だ。

 

「慧音先生! 見て見て、噂の()()! こんなに大きいの!」

 

 ――どうも度胸試しの正体とは、竹林に出没する謎の筋肉怪物――バーサーカーの事だったらしい。まあ竹林をうろちょろさせてる時に、タケノコ狩りに来た村人なんかと鉢合わせたりもしたから多少噂が広まっているのは承知していたが、子供達にそんな風に伝わっているとは。まあ、妹紅も最初は鬼と勘違いして戦ったので人の事は言えない。筋肉の妖精と勘違いされなかっただけ万々歳と思おう。

 バーサーカーから女の子を受け取った慧音は、その両肩をそっと掴むと、ニッコリと笑顔を浮かべて――。

 

「危険なコトをするんじゃあない!」

 

 ガッツーンと、女の子に頭突きをお見舞いするのだった。

 なお、度胸試しから帰ってきた他の子供達もすでに頭突き済みである。愛のムチ!

 そして野次馬をしていた村人達も、バーサーカーを見上げながら「こりゃ畑仕事させたら凄そうだ」「いやいや大工やらせたら凄いんじゃないか」「腰巻き一丁とは大した益荒男よ」「いやこの格好で人里に入るのはマズイんじゃねぇか?」などと口々に囃し立てている。

 

「…………旦那にも服を用立ててやった方がいいのかな……しかしこのサイズとなると必要な生地も何人分……しかも頑丈なのじゃないと……出費がまた……」

 

 そのような光景を眺めながら藤原妹紅は苦笑した。世界は思ったより単純で、愉快に出来ているらしい。

 同時に、自分はバーサーカーを過小評価していたようだと。

 いかに大英雄とはいえ、狂化して言葉も話せないこんな男が人間に受け入れられるなどとは思わず、同じマスターに仕えた縁で()()()()()()()()()()()()()()()と思い上がっていた。

 だが実際はそんな必要など無かったのかもしれない。

 他のサーヴァント達が下地を作る以前であろうと、バーサーカーは一人でやっていけたのではないか? 竹林でも妖精や小鳥から慕われているし、それこそ酒の席で口にした『竹林に放り出して筋肉の妖精って事にする』なんて冗談を実行した方が、彼も自由気ままに平和を満喫できて幸せなのではないかとさえ――思う。

 

 アインツベルンのマスターを守護するための双翼は、繋ぐ本体が無ければ別個の翼にすぎない。

 

 ――――藤原妹紅は悟る。

 

 こいつがこいつらしく生きるために、自分は特に必要無いのだと。

 困った顔をしてバーサーカーの面差しを見上げると、静かな瞳が見つめ返してきたので、誤魔化すように笑う。なんだか無性に自分が情けなかった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖杯戦争――かつて"根源"を目指した御三家によって始まった魔術儀式。

 第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)へと至る道。

 

 その道程は迷走と混沌に満ち、歪んでしまった。

 けれど、それでも、紡ぎ繋いで、掴み取れたモノもある。

 

 季節はめぐる。

 景色はめぐる。

 

 外の世界の遠い出来事など、楽園の住人達には関係のないもの。

 新たに妖怪の山へとやって来たその少女もまた、ついこないだまで居た外の世界で聖杯戦争なんていう奇跡の降霊儀式が行われていたなんて知るよしもない。

 

「幻想郷……ここが、これから私達が生きていく世界なのですね!」

 

 信仰の薄れた外の世界より、二柱の神と共に幻想郷へとやって来た風祝の少女は、幻想郷を一望できる崖の上に立つと、高々とお払い棒を掲げて神通力を込める。

 外の世界で奇跡を起こしてきた少女は、この世界でもちゃんと奇跡を起こせるのか、それを実践してみようという心づもりだ。それ以外に動機は無い。

 そして古来より奇跡を表す現象として『風』がある。追い風、向かい風、逆風、神風――然るべき時、然るべき風を吹かせられるのであれば、それはまさしく神の御業と言えよう。

 

 彼女は風の神に仕えし者。風祝、東風谷早苗。

 幻想郷の神社は博麗神社だけ、という時代は終わる。

 幻想郷の巫女は博麗霊夢だけ、という時代は終わる。

 

 季節はめぐり。

 景色はめぐり。

 

 神々が恋した幻想郷に、新たな時代が到来しようとしていた。

 心機一転の発露として風祝は風を呼んで世界を祝う。

 

「奇跡――神の風!」

 

 少女が見た日本の原風景に一陣の風が吹いた。

 それは、夏の息吹を感じさせる暖かな風だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆ ◇

 

 

 

 木の根っこを枕にして引っくり返っている妖夢とミスティア。やはり焼き鳥撲滅運動家が優先したのは、ただの辻斬りではなく鶏肉料理もする辻斬りだった。実力は妖夢が上。しかし焼き鳥撲滅に懸けるガッツが爆発力を生んだ。結果は二人まとめてノックアウト。

 愉快な一戦ではあったが、鳥目にされたアサシンはあまりちゃんと観戦できなかった。しかしこれもまた修行と、空気の流れで弾幕を観賞。

 

 なかなか有意義な時間だったと微笑を浮かべつつ、夕陽を浴びる一本桜の下に佇む。

 剣を構え、呼気を整え、ひたすらに機を待つ。

 さあ、妖夢は夜雀と一戦を終えた。次は我等の番ぞと宿敵を誘う。

 張り詰めた剣気に惹かれ――燕が、剣の間合いへと舞い降りる。

 

 秘剣、燕返し。

 

 同時に繰り出される三本の剣閃を後押しするように、あるいは燕を剣の檻から逃すよう助力するように、一陣の風が吹いた。

 剣は風に乗って鮮やかに舞い、燕もまた風に乗って鮮やかに舞い、風は、西の山間に沈む夕陽に向かって吹き抜けていく――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ★ ◆ ◆

 

 

 

 夕焼けに染まる柳洞寺の山門を潜り抜けた直後、住職の息子である柳洞一成は気配を感じて振り返った。――しかし誰もいない。山門の前にも、石段の下にも、誰もいない。

 かつてこの寺に居候していたあの男の姿を、無意識に捜してしまったのだろう。

 急にフラリと柳洞寺に現れたのだ。去っていく時もこんなものだと思いながらも、やはり、さみしいと思ってしまう。しかし、あの男の事だ。きっとどこでだってやっていける。

 少年の切なさを撫でるようにして、夏の風が茜色の空へと吹き抜けていった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ☆ ◇ ◇

 

 

 

 夕焼けに彩られた博麗神社の境内にて、古着姿のキャスターは霊夢に説教していた。

 もっと祭神を敬い、神社の手入れをし、巫女として真面目に働くようにと。

 幻想郷に存在する神社は博麗神社だけ――商売敵がいないとはいえ、こんな有り様でいいはずがない。もしも! 新たな神社や寺が幻想入りしてきたらどうするのか!

 霊夢としては逃げ出したいが、キャスターは生活が苦しいながらしっかりと賽銭を入れてくれたので無下にもできない。葛木宗一郎が幻想入りした際も結構たっぷり賽銭を弾んでくれたし、今後も霊夢のためではなくあくまで祭神のため賽銭を入れてくれるそうなので。

 そのような二人を見守っていた葛木宗一郎だが、不意に、柳洞寺で自分を慕ってくれていた少年の声が聞こえた気がして振り返る。だが鳥居の向こうには誰もいなかったし、石段を誰かが登ってくる気配も無い。

 ――柳洞寺での穏やかな生活は、決して悪いものではなかった。遠方の神社を参拝するだけのつもりで別れも告げず立ち去ってしまった事を、申し訳なく思う気持ちもある。

 だがきっと、あの時、あのタイミングでなければ、今のような結果にはならなかった。

 そのように思うと、キャスターが振り返った。

 神話の時代からさまよい続けながらもようやく自分の帰るべき場所を手に入れた女は、そろそろ長屋に帰ろうと提案しようとして表情を穏やかにし――。

 仲睦まじき二人の間を夏の風が吹き抜けていった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ★ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 間桐邸にて、間桐慎二は自室から窓に肘をかけて、つまらなそうに庭を見下ろしていた。

 庭では、間桐臓硯が杖をつきながら夕陽を眺めていた。旧き悪友のように眩い夏の夕陽だ。桜も付き添っていて、何やら臓硯の体調を気遣っているようだ。

 間桐の家は変わった。

 閉所に立ち込もっていた陰気な空気が、窓を開けた途端に吹き込んできた爽やかな風によって洗われていくような感覚。

 慎二はどうにもその変化に慣れなくて、風を厭うように窓を閉じようとした。

 しかしそのタイミングで強い風が吹いて、思わず手で顔をかばって後ずさってしまう。

 庭では桜が臓硯の肩を支え、髪をバサバサとなびかせていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ☆ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 紅魔館の庭にはすっかりテーブルが並び、演奏のための舞台も整った。

 後は忌々しい太陽が没し、吸血鬼の時間を待つだけである。

 もうどれくらいかかるだろうかと、小悪魔とお揃いの衣装のライダーは西の空を眺めた。

 紅魔館の血のような紅とは違う、目がくらむような鮮やかな茜。

 不意に"形のない島"から見る夕焼け空を思い出す。

 咲夜はそろそろお嬢様にお声をかけに行こうと考え、ライダーにはパチュリーを呼んでくるよう伝えようとして、肩を叩こうとした。

 その時、強い風が紅魔館の庭を吹き抜ける。

 ライダーの足元まで届く髪は風に弄ばれて、夕陽に向かって長々と薄紫の尾を引いた。

 特に理由も無く、ライダーはバイザーを外す。

 石化の魔眼の効力を発揮させながら見つめる夕陽は、もちろん、石になったりしない。

 

 ――――髪が、夕陽に向かって流れる光景を――ライダーはじっと見つめていた。そこにずっと気がかりだった少女の髪の面影を見つけて。

 

 

 

       ◆ ◆ ★ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 鈍ってしまった身体もだいぶ回復したバゼットは、夕焼けに染まる冬木教会の庭でシャドーボクシングに耽っていた。"新しい腕"もよく馴染んできた。そう遠からずベストコンディションまで回復するだろう。

 

 ――生き残ったからには、もう負ける訳にはいかない。そのような誓いが胸の奥に灯っている。

 

 そんな彼女を迷惑そうに眺めるのは、シスターのカレンと、居候の少年ギルである。

 最近バゼットが体験した不思議な夢の中の出来事、それを知っているのはカレンしかいない。

 そして夢の中でさらに迷い込んだ不思議な神社での話は記憶が曖昧なのもあり、誰にも話していない。

 空を裂く拳をひとしきり打ち終えたところで、暖かな夏風が彼女のイヤリングを揺らした。

 ――このイヤリングはずっと彼女の耳元にあったものなのだろうか?

 言峰綺礼に不意打ちを受け、そして長い夢から覚めた時、イヤリングは変わらずこの耳に着けられていた。だが聖杯戦争で何があったか調べて回った際、遠坂凛は一時的にこのイヤリングを回収して"アインツベルンのサーヴァント"に渡したという。

 

 夢の中で見た夢に想いを馳せながら、バゼットは赤い空を見つめる。

 彼の槍、彼女の炎――現代を生きる赤枝の騎士は、何かと赤に縁があるようだ。

 そんな中、真っ黒なアイツの存在が染みのように残っているのも、決して不快ではなかった。

 人間、弱いところや汚れているところだってある。それを飲み込んで、彼女は生きていく。

 

 

 

       ◆ ◇ ☆ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夕焼けを浴びて茜色にきらめく川の流れに釣り糸を垂らし、浴衣姿のランサーは静かに水面(みなも)を眺めていた。

 浮きが反応する気配は無い。なんだか今日は釣れない気がする。この間せっかく妹紅と決着をつけたばかりだというのに、妖怪の賢者め、本当に影の国と連絡を取れるのだろうか。

 風見幽香にもますます目をつけられてしまったし、どうしたものか。気の強い女は好きだがああいう化け物は範囲外だ。

 

 ――――妹紅も悪くないが体型が子供っぽすぎるし、バゼットくらいで丁度いい。

 

 かつてのマスターを思い浮かべた瞬間、渓流を吹き抜ける風が懐かしい香りを運んできた。

 耳飾りが揺れる。

 ランサーは思わず視線を上げ、惚けたような顔で風の行方を追いかけた。

 ああ――西の空があんなにも赤い。

 赤く、眩しい。

 

 

 

       ◆ ★ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 一人切りの遠坂邸。壁は夕焼けを浴びて茜色に染まり、まさに赤い悪魔の住処といった風情。

 唯一の住人であり遠坂家当主である魔術師、遠坂凛。父も母も亡く、妹はもうずっと昔に養子として引き取られてしまった。

 半年前に召喚したサーヴァントも、自分が戦線離脱している間に最後の戦いに挑んでいなくなってしまった。真名すら告げないまま。

 カタンと、窓を開けて右側にある夕焼け空を眺める。

 士郎の家は賑やかで、楽しくて、居心地がよくて――。

 すっかり毒されちゃったなと自嘲する。

 

 そんな少女の二つに結った髪を、吹き抜ける風がやや乱暴に巻き上げる。

 凛は思わず風上側の目を閉じ、髪を抑えた。

 

 ――最後に名前を言い当ててやれば面白かったかな――

 

 唯一、それだけが名残惜しかった。

 

 

 

       ◆ ☆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 香霖堂に騒々しい魔女の少女が押し寄せてきたのでアーチャーは退散し、八雲藍とも店の前で別れると、夕焼けの田舎道を浴衣姿のままのんびり歩いていた。

 どうせこの地では風来坊。監視しにくいから野良妖怪のような生活はやめろと藍から言われはするが、サーヴァントであるため野良妖怪以上に衣食住の必要が無く、未だかつてないほど気ままな生活を許されている。

 

 ――アラヤと契約した自分が、こんな時間を送る資格など無いのに。

 

 歩きながらアーチャーは先週の事を思い返していた。妹紅との決着をつけたランサーは、一度、幻想郷から消滅しようとしていた。

 未練を断ち切り、満足を果たした結果だろう。もっとも、妹紅が空気を読まなかったせいで台無しになってしまったが。

 いつか自分もああやって消えてしまうのだろうか? この地に、アーチャーを満たすものなどありはしないのに。

 衛宮切嗣という男を見送った自分は、まだ何か、未練を残しているのか。

 どうしても殺したかった少年――もう殺す気はない。どのような末路を迎えようと知った事ではない。借り物の夢に向かい、理想を抱いて溺死しようと構わない。

 ただせめて、あの少女が生きている間だけ、己の役目をまっとうすればいい。

 

 その時、風が吹いた。

 暑い夏の幻想郷。吹く風も当然暖かい。

 けれどなぜか、アーチャーの頬を撫でた風だけは妙に冷たく――視界の端を、きらめく白い粒がすり抜けていった。

 

 

 

      ――――がんばったね、シロウ――――

 

 

 

 ハッとして立ち止まり、白い粒の軌跡を追う。花びらや紙くずではない。もっと小さな、もっと冷たい、夏の幻想郷で見るはずもないモノを――。

 思わず、左手を伸ばす。小さな白い光を掴もうとするように。

 

 だが儚き白は夕陽の光の中へと溶けるように消え、完全に見失ってしまった。――いや、そもそもその白い粒とは本当に存在したのか? 何かの見間違いではないのか?

 

 夕陽に手をかざしたまま、しばし指の合間から覗く眩しさに眼を細めるアーチャー。

 その光を握りしめるようにして手を閉じる。

 眩く照らされた己の拳を見つめる。

 

 摩耗した記憶の彼方――縁側に座り、一緒に雪を眺めた少女がささやく。

 

 借り物の夢に生き、理想を抱いて溺死した。

 大切なものを置き去りにし、本当に守りたかった人を守れなかった愚か者がいた。

 そうして己自身を捨てて、"正義の味方"に成り果てた――。

 けれど。

 

 "妹を守る兄"にも、なれたのだと思った。

 

 ああ――光がこんなにも眩しい。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ★

 

 

 

 ――――冬木の町の一角にある武家屋敷。

 幸せな夕食を終えた後、セラは熱心に皿洗いに励んでいた。衛宮士郎の作るタケノコご飯にはまだまだ及ばないが、焼き鳥のタレは九割ほど妹紅のモノを再現できている。

 結局――ステーキとパインサラダでセラの勝利を一緒に祝うという約束を果たす事もなく、あの騒々しいサーヴァントは居なくなってしまった。――胸がきゅっと切なくなる。

 そのような気持ちをお嬢様以外に抱くなど、ホムンクルスとしての堕落でしかない。

 だが――第三魔法をあきらめ、市井にて兄と生きる事を選んだお嬢様を、堕落したとは思えないのだ。ならば自分のこの気持ちはどうなのだろう。――冬が来れば、自分には似合わない紅いマフラーを巻くのだろうか。

 皿洗いの手を止めていると、リズが台所に上がり込んで冷凍庫をあさり始めた。アイスが食べたいのだろうが、生憎、今日はもう品切れだ。

 落胆したリズは、少しでも涼もうと台所の窓をガラリと開いた。

 

 待ってましたとばかりに、ビュウッと強い風が吹く。

 洗剤の泡がひとつ、セラの鼻先へと飛んでくっついてしまった。

 それを見てリズは笑う。

 窓から覗く外の色合いから察するに、空はもう夕焼けに染まっているのだろう。

 赤々と輝く――夕焼け。

 冬になったら紅いマフラーを巻こう。不意にそう思って、セラはほほ笑んだ。

 

 

 

       ★ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ★

 

 

 

 ――――冬木の町の一角にある武家屋敷。

 主婦めいた姿のメイドに台所を預け、衛宮士郎は庭にいる妹を迎えに行った。

 庭の花壇に植えられた吾亦紅の前にいたイリヤは兄と手を繋いで、指をそっと絡める。

 サーヴァントやメイドのように踊れない少女ができる、精一杯の弾幕ごっこ。

 指の隙間に自分の指を潜らせて、心の隙間に入り込む。

 その手のぬくもりを信じながら、いつか色褪せてしまうだろう思い出を思い返す。

 けれど、あの四枚の炎翼の美しさだけは、きっと、ずっと、忘れない――。

 

 そんな二人の間を、夏の息吹きを感じさせる暖かな風が吹き抜けた。

 吾亦紅の花の香りをさらって、夕陽に向かって昇って行く――。

 

 

 

       ☆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ――全て遠き理想郷。

 美しい草花に包まれ、妖精達が歌い踊る、誰もが夢見た理想の楽園。

 戦いの日々から遠ざかり、白いドレスに身を包んだセイバー。

 歴史に刻まれた名は騎士王アーサー。その真名はアルトリア・ペンドラゴン。

 一面の花畑の中、突如として吹いてきた風にセイバーはハッと顔を上げる。

 遠く、遠く離れた空の下で――あの"兄妹"が一緒にいるのだと直感した。

 悪ふざけが過ぎるマーリンなんかに聞かされなくとも、今、心でそれを理解できた。

 金砂の髪を揺らしながら、風は遥か高みへと翔けていく。

 遠い、遠い、幻想の果てまでも――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆

 

 

 

 人里からの帰り道――。

 夕焼けがあまりにも綺麗だったので、バーサーカーの肩に座っていた妹紅は寄り道を提案する。

 竹林の手前にある小高い丘の上。とても見晴らしがいいその場所で、空を鮮やかに染める夕焼けを眺める。目が痛むほどの眩しさは、なぜか胸をキュッと締めつけた。

 

 ――風が吹く。

 風は、藤原妹紅の長くて白い髪と、バーサーカーの荒々しい黒い髪を夕陽に向かってバサバサとなびかせながら、この辺りには咲いていない吾亦紅の香りを運んできた。

 妹紅とバーサーカーはまばたきをして、不意に、冬木で過ごした日々を思い出す。

 一緒に戦ったり、遊んだり、ご飯を食べたり、弾幕したり、喧嘩したり、復讐したり――復讐をやめて、手を取り合ったりした。

 

 ――――あの子は私には出来ない事をやり遂げた、だから――――

 

 イリヤなら幸せになれる。

 士郎も、セラも、リズもいる。幸せになれないはずがない。

 少女を取り巻く呪いはすべて、不死身のサーヴァントが断ち切り、灼き祓ったはずだから。

 

 長い長い人生の末、いつか埋もれてしまう、あまりにも短い思い出だけど……。

 

 幾重もの想いを載せたその風は、きっと妹紅とバーサーカーの想いも載せて空へと還っていく。

 あの夕陽すらも飛び越えて、我等が愛しきマスターの居場所に届くだろうか。

 

 

 

 

 

 

「…………なあ。旦那はなんで消えないんだ?」

 

 自分を肩に乗せて佇む相棒に、妹紅は何気なく訊ねた。

 バーサーカーは答えない。語る言葉を持たない。そのような自由は剥奪されている。

 

「旦那も何か願いがあって聖杯戦争に参加したはずだ。最終的に私同様、自分よりイリヤを優先したっていうのは――――分かる。割り切りのいい旦那なら納得してそうなもんだ」

 

 冬木で出逢った最高の相棒。

 狂気に落ちながらも誇り高き英雄であり――優しいお父さんのような人。

 そんなバーサーカーだから、藤原妹紅は心から彼を信頼できた。

 イリヤを見守る穏やかな瞳が好きだった。

 

「それでも消えないっていうのは、やっぱりまだイリヤが心配なのか? それとも他に何か心残りでもあるのか?」

 

 その言葉に、バーサーカーが振り向く。

 相変わらずの無言で無表情だけれども――肩に座る友人を見守る瞳はとても穏やかだった。

 幾度か、妹紅はまばたきをしてバーサーカーを見つめ返す。

 力強く、雄々しく、優しく、そして儚い瞳。

 

 イリヤはもう、自分が居なくても大丈夫。

 バーサーカーもきっと、自分が居なくても大丈夫。

 妹紅は――――。

 

「――――――――私は、いいんだ」

 

 妹紅はあきらめたように言い、顔を背けた。

 夕焼けが次第に闇へと落ちていく様を、さみしげに見つめながら。

 

「サーヴァントなんてのは、いつか別離(わかれ)るもの。私達はイリヤの味方であると同時に火種。一緒に居ても不要な争いを招くだけさ」

 

 どうも、第三魔法とやらは外の世界じゃ面倒な代物らしいし、魔術協会とやらに目をつけられても面倒だ。

 それに外の世界に行こうにもバーサーカーは外に出た瞬間、世界に繋ぎ止めるものが無いせいですぐ消えてしまうし、妹紅だって聖杯と縁を結んだせいで監視対象になっている。仮に外に出られても、今度は幻想郷に帰らせてもらえなくなるかもしれない。それは困る。

 

「それに――――」

 

 噛みしめるように、少女は言葉にする。

 

 

 

「夢見るような"思い出"をもらった。聖杯戦争の報酬はそれで十分――」

 

 

 

 過去は無限にやって来る。記憶は無限の過去に埋没する。

 けれど、炎のように鮮烈で、雪のように儚き聖杯戦争は、確かにあった事なのだ。

 

 母が娘を守るように。

 姉が妹を可愛がるように。

 サーヴァントがマスターに尽くすように。

 

 一人の女の子と出逢い、絆を紡いで、弾幕のように美しい思い出となった。

 そうだ。いつか彼女との思い出をスペルカードにしよう。

 素敵な名前をつけて自分の歴史に刻もう。

 

 銀色の少女の思い出――きっと、ずっと、忘れない。

 

 それでいい。

 それでいいのだと妹紅は思う。

 

 夕陽の頂点が、山間に沈んで姿を隠す様を見送る。

 空には満天の星々と、青白く輝く冷たい月が浮かんでいた。

 

 

 

「月が綺麗ね」

 

 

 

 色々と感慨に耽ってる最中だというのに、涼やかで美しくて気に障る声が背後から。

 風で乱れた髪を撫でつけながら振り向いてみれば、竹藪を背に蓬莱山輝夜が佇んでいる。結構強い風が吹いていたというのに髪は櫛を通したばかりのように整っていた。それに黒髪とは本来、闇に紛れる色合いであるはずなのに、日が没した後も闇より深く輝いているように見える。

 蓬莱山輝夜というお姫様は、本当に綺麗で――。

 

「何か用か」

「サーヴァントが来てからあまり突っかかってこなくなったわね。平和でいいわ」

「お望みなら焼き討ちしてやるぞ」

 

 永遠亭を頼る病人が迷惑するので絶対にやらないのは見え見えの脅しだった。

 輝夜は口元を袖で隠し、目元に笑みを浮かべて見せる。

 

「用事があって会いに来たの。貴女のマスターについてお話を聞きたくて」

「あー?」

 

 ふざけるな、と妹紅は思った。

 イリヤとの思い出は掛け替えのない大切なものだ。事務的な報告なら八雲の連中にしたけれど、アインツベルンの名は告げてもイリヤの名前すら告げていない。士郎や凛の個人情報もだ。

 思い出話なんて、同じ日々を共有したバーサーカーとしかしていない。例外として衛宮切嗣にだけは語り聞かせたかったが、それも果たせなかったというのに……!

 

「ふざけるな。何でお前なんかに」

「ユーブスタクハイトに聞かせてみようかと」

「アハトにだと? ますますもってふざけるな。何であんな人形爺に!」

 

 もはやアハト翁に復讐する気は失せているが、好きか嫌いかで言えば大っ嫌いだ。

 永遠亭に行く機会が減った要因のひとつが、あの爺に会いたくないからだ。

 

「イリヤスフィールの話を聞かせればほら、人間性が育つかもしれないもの。盆栽にお水を上げるようなものと思って」

「やなこった! 枯れてしまえ!」

 

 アハト翁が人形のような存在だと理解したとはいえ、聖杯汚染やイリヤ改造の元凶であるのは間違いがない。そんなの相手に親切になれるものか!

 思い出の余韻もどこへやら、こうなったらもう意地でも思い出語りなんかするもんか!

 

「もうっ……妹紅ったら強情なんだから」

「フンッ、力ずくで聞き出そうとしても無駄だぞ。お前なんかに喋る事なんか何一つ無い!」

「あら、力ずくがお望み? じゃあ私が勝ったらイリヤスフィールの思い出をユーブスタクハイトに聞かせてもらうわ」

「だから! 力ずくでも無駄だって言ってるだろう!」

「妹紅が逃げるなんて珍しいわね」

「逃げてない! そこまで言うならお望み通り殺してやる」

 

 ギラリギラギラ、殺意がギラリ。瞳を鋭く冷たく輝かせ、瞳の奥を熱く滾らせて、藤原妹紅は臨戦態勢に入った。バーサーカーの肩をトンと蹴って飛び上がり、日の没した夜空にみずから太陽となって燃え上がる。

 竹取物語のお姫様も飛翔する。夜の闇の中で輝く黒髪は神秘的で、それに囲まれた白い顔はお月様のようだ。いや、お月様よりもきっと美しい。奇跡によって編まれた美貌は数多の男を籠絡してきた。人を狂気へ誘うルナティックプリンセス。

 

「やる気になってくれたようだし、こちらも返礼を用意しないといけないかしら? 妹紅が勝ったらステーキでもご馳走するわ」

「――――そんなものは要らない。()()()()()()()()()()()()!!」

 

 ランサーにはステーキとパインサラダを要求したのに。

 輝夜が相手ならそんなものは要らない。必要ない。

 宿敵と、怨敵と、仇敵と、殺し合えるというだけで満たされる。満たされてしまう。

 

「こんなにも月が綺麗な夜は――」

「こんなにも静かな夏の夜は――」

 

 酷薄に笑う輝夜。

 残虐に笑う妹紅。

 置いてきぼりにされて二人を見上げるバーサーカー。

 

「美しき弾幕の海に沈み! 永遠に翻弄され続けなさい!」

「地上最高の炎で月まで舞い上がれ! そして灰になれ!」

 

 さあ、美しき遊戯が始まる。

 生きて生きて生きて、死んで死んで死んで、繰り返し繰り返し繰り返し――。

 永遠に終わらない夢幻にして無限の弾幕遊戯。不朽不滅の殺し合い。 

 

 

 

「ラストワード――蓬莱の樹海!!」

 

「ラストワード――フェニックス再誕!!」

 

 

 

 星空に色とりどりの流星が舞い、無数の火の鳥が飛び交う。

 ああ――その光景のなんと美しく、眩しい事か。

 弾幕を撃ち合って笑う少女達の、なんと生き生きとした事か。

 

 小さき主にかしずきながらも、どこかさみしそうだった不死鳥の友は、こんなにも眩しく生きられるのだ。あの麗しき月の姫と向かい合っていられるのだ。

 バーサーカーは少女を見守ろうと思っていた。力になりたいと思っていた。

 主に笑顔を取り戻すため共に戦った不死鳥自身に、笑顔を取り戻してやりたいと思っていた。

 だが――それはとんだ思い上がりだった。

 

 少女が少女らしく生きるために、自分は特に必要無いのだと。

 

 ――――バーサーカーは悟る。

 

 しかし、それでも――彼はとても優しいバーサーカーだ。

 あの少女はどうにも不器用なようで、月の光と付かず離れずの距離を保とうとしている。

 月の光に寄り添う気はまだ無いようだ。

 

 ならば、今しばらくは自分が寄り添おう。

 力強く燃え上がる不死鳥が、真の意味で永遠の空に羽ばたける日が来ると信じて。

 

 

 

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 人生なんて後悔と諦観だらけだと藤原妹紅は考える。

 あの時ああしていればと後悔し、すんでしまった事は仕方ないと諦観し、後ろ髪を引かれながら生きていく。

 だから時々、思うのだ。

 

『永遠の人生が苦しいんでしょう? さみしいんでしょう? だから――わたしが一緒に居て上げる。宇宙が終わるその時まで、ずっと一緒に居られるわ』

 

 あの手を取っていればよかったなー、なんて。

 なんで断ったんだ自分。格好つけか。

 あの時はあの時なりに崇高な意志とか願いとかあったはずだが、そんなものはとっくに時間に埋もれてしまって、未練がましい気持ちがじくじくと化膿する。

 

 刹那的な享楽に耽っている間は忘れていても、その合間に、ふと思い出す。

 退屈と倦怠に溺れてぼんやりと世界を眺めている時、たびたび思い出す。

 つらく苦しい時は頻繁に思い出す。

 

 あの時、あの恩人の背中を蹴落としてなければ――自分はただの人間として死ねていた。

 あの時、あの少女の手を取っていれば――自分は心砕いた相手と永遠を寄り添えていた。

 

 相反する、けれど救いとなる機は確かにあったのだ。

 その自業自得を受けきれるほど自分の心は強くなくて、矮小な自我を守るため『すべての元凶』を今もなお憎み続けている。それが生きる活力となった。

 

 ああ、もしも人生をやり直す事ができたなら。

 あの時、あの瞬間、異なる選択をできていたなら。

 今のすべてと引き換えに、理想の人生を迎えられていたのなら。

 それは確実に素晴らしいものであると妹紅は考える。

 良くなるのだから、悪い訳がない。

 いつだったか、このような誘いを毅然と拒絶した少年ほど高潔にはなれない。

 だが――未練が後悔を生むのならば、未練を否定するのもまた未練だった。

 

 もしもあの時イリヤの手を取っていたら、今頃こうして輝夜と弾幕したり、慧音に膝枕してやったり、バーサーカーの旦那と思い出を語らったり、幻想入りしたサーヴァント共と馬鹿騒ぎする事もなかったはずだから。

 

 もしもあの時イリヤの手を取っていたら――柳洞寺での最終決戦も、ありえなくて。

 イリヤを士郎のために奪還する事もできなくて。

 

『でも…………大好きだよ、モコウ』

 

 花開くような微笑みを向けられた歓喜も。

 やわらかであたたかなぬくもりを抱きしめた安らぎも。

 きっと、あの選択をしなければ、あの瞬間でなければ、得られなかったのだろう。

 

 たとえ、違う選択でより良い結果を得られるたとしても。

 あれ以上のモノを得られたのだとしても。

 今より幸せになれたとしても。

 自分が掴み取ったあの瞬間を捨ててしまうのは――――もったいない。

 そんな貧乏性で未練がましい感性が、今の自分を肯定する。

 

 そうしてこれからも新しい思い出を拾い集めながら歩いていこう。

 時々振り返って、無限の灰の中で輝く思い出を眺めよう。

 思い出の中でほほ笑む誰かを思い出せば、きっと同じように笑えるから。

 

 ああ――生きているってなんて素晴らしいんだろう。

 そう思って、藤原妹紅は花開くように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

      イリヤと不死身のサーヴァント

      Fate/Imperishable Memories

 

      Holy Grail War

      EXTRA STAGE

      Last Word

 

      ALL Clear!

 

      ◇ FIN ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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