時刻は午後七時を回った頃。
日没の早い冬の季節、アインツベルンの森はすでに暗闇に包まれていた。
されど人々の営みの届かぬ領域なればこそ、月明かりは静かに一組の男女を照らす。
聖杯戦争を取り仕切る御三家の一角に、アインツベルンに挑もうとする赤枝の騎士を。
魔術協会から派遣された執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツがサーヴァントを召喚したのは1月23日――共に行動するようになって、今日で6日目である。
最初の3日間は、憧れの英雄の軽薄な態度に理想を崩されてばかりだった。しかし今は嘆息しながらも、息の合ったコンビとして活動できている。
ランサー。
その正体はケルトの英雄、光の御子、クランの猛犬――クー・フーリン。
サーヴァントの中でも屈指の敏捷性と継戦能力を誇り、殺傷能力において群を抜いた性能を誇る宝具を持つ彼がいれば、怖いものなど何もない。
そう確信しながらも油断なく闇夜の森を進んでいると、先行していたランサーが立ち止まった。
どうしたのか、などと問うほど未熟な執行者ではない。
肌がピリリと張り詰め、真冬の空気が熱を帯びる。
――来る。
そう直感した直後、星空が炎上した。
巨大な炎の翼が闇夜を切り裂き、獲物を仕留めんとする猛禽類のように急降下をしてくる。二人の反応は素早かった。示し合わせもせず左右に散開し、着地した敵を挟み撃ちできる陣形を作る。
焔が晴れたそこには、紅白衣装の少女が立っていた。
白いブラウスに、サスペンダーつきの紅いズボンという出で立ち。そして足首まで届かんばかりに伸びた
その奇っ怪さは現代社会で生きる人間のものとは思えない。
「サーヴァント……なのですか?」
ステータス隠蔽能力があるのか、マスターであるバゼットの目線でも正体が掴めない。
むしろ何らかの偽装を行った魔術師のようにも感じられる。
幻想のベールをまとった少女は、背中から放出したままの炎の翼を光源とし、二人の侵入者の姿を確かめてくつくつと笑った。
「槍を持ってるからランサー。そっちの
「――ハハッ。聞いたか、
槍を構えながらランサーが笑い、バゼットはほんの僅か、眉根を寄せる。
それらの反応を見、
「あれ? 女の人? それ男の服じゃないの?」
性別の指摘など些事。
だが迂闊な真似はできない。ここは敵地、アインツベルンの森だ。
そんな警戒や葛藤を意に介さず、
「まあいいや。お前等、大人しく帰るなら見逃してやってもいいぞ。サーヴァントが出揃ってない現状、うちのマスターは乗り気じゃなくてな。見逃されたくないならここでくたばれ」
「へっ……随分と豪気じゃねぇか。気に入ったぜ。女は殺らねぇ主義なんだが、聖杯戦争となりゃ仕方ない。楽しませてくれよ」
ランサーが槍を構えてにじり寄るのに合わせ、バゼットは拳を構えつつも後退した。
いかに白兵戦に優れた魔術師であろうと、サーヴァントと疑わしき存在と迂闊に打ち合うほど馬鹿ではない。まずはランサーを戦わせて敵を見極める。
先手は、
だが避ける間でもないとばかりに槍を振るい、音速を越える風圧によって焔は呆気なく四散。と同時に地を這うような低さを少女が駆ける。焔の陰から肉薄され、槍の間合いの内側へと潜り込まれてしまった。
「――フッ!」
即座にランサーの片足が跳ね、少女の顎を痛烈に蹴り上げる。
手応えは浅い。タイミングはバッチリだったが、無理やり放った蹴りのため体重がまったくもって乗っていなかった。しかし隙を作るには十分。ランサーの眼前で無理やり身を起こされた少女は無防備な喉を晒した。
目にも留まらぬ早業で必殺の槍を振るい、首の半ばほどまで切り込んでやる。パックリと開かれた喉元からは鮮血があふれ、悲鳴を上げる事もできず少女は倒れた。
「……なんだぁ? デカい口を叩いた割には、随分と呆気ねぇな」
つまらなそうに言いながら、槍についた血を振って落とすランサー。
少女の死体を一瞥し、切断面から覗く血肉の蠢動を確かめると、違和感に眉根を寄せる。
「こいつ……サーヴァントじゃねえな」
様子をうかがっていたバゼットもそれに同意した。
「確かに、霊核を破壊されたサーヴァントは消滅するはず。……赤い瞳に銀の髪。噂に聞くアインツベルンの戦闘用ホムンクルスだったのかもしれません」
「ホムンクルスねぇ……」
「勝負はあっさりつきましたが、炎の魔術の威力といい、身のこなしといい、侮れません」
「で、どうする? 目的は調査だが……進むか、戻るか」
「進みましょう」
即断し、バゼットは歩き出す。ランサーも横に並ぶ。
あの程度のホムンクルスならバゼットでも不覚を取る心配はない。
またホムンクルスが襲ってきたら、自分も戦おうとバゼットが考えていると――。
「うらめしやー」
バゼットの肩に、後ろから、白い手が掴みかかってきた。
「なっ――!?」
反射的に振り向きざまのエルボーをくれてやるも、背後霊は軽やかなステップで回避。
バゼットから数歩離れた位置に逃げ、獣のように腰を落として構えた。
「今ので、マスターをやろうと思えばやれたかな」
そこには、ついさきほど殺したばかりの少女が立っていた。
――パックリと裂けたはずの喉元には、傷跡も血痕も見当たらない。
その光景はバゼットとランサーの警戒心を一気にマックスまで押し上げる。
「テメェ……生きてやがったのか」
「あまりにもあっさり背中を見せるから、不意討ちすべきか結構迷ったぞ。でもまあ、うちのマスターは真正面からぶちのめすのがお好みみたいだからな。よかったなランサー、お前のマスターが生きてるのはうちのマスターのおかげだ。お礼は聖杯でいい」
「ふざけろ」
忸怩たる思いのこもった声色。
確かに今、その気なら、バゼットは殺されていたかもしれない。
戦士としてそれは屈辱だ。油断した自分が愚かしい。
だが、なぜ生きている? それこそがランサーの誇りを傷つけた。
「
「そんな
「――――ッ!!」
影の国で厳しい修練を重ね、師から授かったこの槍を。
鋭く、鋭く、ランサーの双眸が吊り上がる。
鋭く、鋭く、ランサーの口角が吊り上がる。
「ああ、そうだな――――殺し損なった俺がマヌケだ。悪かった。次は殺す」
瞬間、ランサーは突風となって少女に槍を繰り出す。
刹那、少女は疾風となって飛翔する。宙に浮かび上がって両腕を炎上させる。
下方に向かって放たれる炎の衝撃、火焔鳥。
巻き起こる焔が二人の姿を隠した。
バゼットは腕を交差させて熱気を防ぎ、見失った相棒の行方を探す。
木々が大きく軋む音が耳を打ち、視線を走らせればすぐに目当ての人物は見つかった。
木から木へ、跳弾するかのように跳ね回っているランサー。
そしてその上空、探す必要がないほど赤々と眩しく燃えている
「そうら! 鳳翼天翔!」
無数の火の鳥が暗闇を蹂躙し、木々の間を飛び回る。
それらを避けながらランサーは反撃の機を狙うが、炎の密度と敵の位置がそれを許さない。
ランサーは矢避けの加護を持っており、通常の遠距離攻撃ならば対処できる。
これを突破するには相当の高いレベルで挑むか、完全な不意討ちを狙うか、避けようのない広範囲の面制圧をするのが常套手段となる。
迂闊に弾幕の隙間なんかに飛び込んだら逃げ道がなくなる。ランサーはそう判断し、面制圧のさらに外側へと大きく回避するよう心がけていた。
木から木へ。反動とみずからの敏捷さを最大限に利用する。
「くっ――ホムンクルスに出来る芸当じゃねぇな。貴様ッ、どこの英霊だ!」
「そちらさんこそどちらさん? 兎みたいに跳ね回りやがって」
森の木々の上層部と、そのさらに上空で繰り広げられる、跳躍と飛行による高速戦闘。
バゼットなら介入は可能だ。だがその成否までは読めない以上、今は
そして疑念を積み重ねていく。
あのサーヴァントのクラスは何なのだろう、と。
同じ疑問をランサーも抱いていた。
飛行魔術と膨大な魔術行使――そんな事ができるのはキャスターと見て間違いないだろう。
だが、そうではないとランサー達は知っている。
キャスターならばすでに戦った。
前哨戦を果たして優勢に持ち込むも、仕留め切れぬまま撤退されてしまった。
高位の転移魔術を使われては、ランサーの敏捷性でも追い切れるものではない。
だから、それは仕方ない。
では、こいつは何なのか。
キャスターも飛行魔術を行使しながら魔力砲を撃つ戦術を取っており、その点でも実に似通っている。キャスターでなくとも魔術は使えるが、キャスター以外のクラスで召喚されて、ここまでできる英霊がいるのか?
木が大きく軋む。反動を利用した跳躍で一気に距離を詰めるランサー。
それを迎え撃とうとする
闇夜に紅が散る。
一筋の赤光と、三筋の火爪。
リーチと速度の差で先んじたランサーは確かに女の胴体を切り裂いた。それでも、勢いを殺されながらも女は火爪を振るいランサーの胸元に三筋の傷を刻んで果てた。
舌打ちしながら着地したランサーはすぐ敵の死体を確認しようとするも、振り返った先にあったのは火柱から五体満足で飛び出してくる女の姿だった。
「どうなってやがる!」
不死の逸話を持つ英霊はいる。
だが確かな手応えがあった。あったのだ。
確かに首を切り裂いた。確かに胴体を切り裂いた。なのに傷跡ひとつ残せない。
「この槍の呪いを退けるほどの再生能力を持ってるのか……!?」
毒づきながら、振るわれる火爪に応戦する。
打ち合うごとに打ち勝つ。魔槍の威力と速度は圧倒的に上回っている。
腕を切り落としてやる。女は怯む事もなく肉薄し、ランサーにしがみついた。
直後、火柱がランサーの足元から噴き上がる。
「うおお――っ!?」
絶叫すら焦げつく灼熱空間の中、それでもランサーは火柱の噴出点を力強く蹴って、後方へと跳躍して逃れる。足裏を焼かれてしまったが、たたらなど踏んでいたら全身が焼かれていた。
ランサーは不利を悟る。
わずかずつだがランサーはダメージを蓄積させており、相手は幾度致命傷を与えてもものともしない。不死身のからくりを解かない限りこの優勢に見える劣勢は覆せない。
アキレウスの踵を狙うが如く、ジークフリートの背中を狙うが如く、何か打開策があるはずだ。
あるいは、相手の不死性を凌駕する『死の呪い』を押しつけられれば。
息を乱しながら、ランサーは腰を落として迎撃の構えを取る。
火柱が消えるや、そこにはやはり切り落とされたはずの腕を生やした女が立っていた。
「チッ……イヤになるぜ。本当にどこの英霊だ。クラスすら掴めねぇ」
「んっ……」
そこで女は動きを止め、数秒ほど黙考する。
どのような算盤勘定があったのか、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべて訊ねてきた。
「何のクラスだと思う?」
「……何だろうな。キャスターっぽくはあるんだが、生憎そうじゃねぇってのは分かってる。……ライダー……か?」
炎の翼を生やして空を自在に飛び回るその能力。そして不死性。
該当する英霊などいるのかという疑問を棚上げし――フェニックスを宝具として持って、その能力を限定的に解放していると推定すれば、強引ではあるが辻褄は合う。
「残念ハズレ」
女は、焔の翼を帯びて浮かび上がる。
嘲るように、見下すように、嫌味な笑みを浮かべながら。
「アヴェンジャー」
基本七クラスに属さないクラス名を告げる。
珍しい事ではない。聖杯戦争なら一クラスくらい、エクストラクラスが混じる事もある。
アヴェンジャー。復讐者のサーヴァント。
復讐者、自己回復、忘却補正などのクラススキルを持つが、ステータスや戦闘スタイルは千差万別であり、枠にはめた解釈が困難なクラスである。
「この胸にぃー、復讐の炎が燃えている限りぃー、私は不死身だぁー!」
やや芝居がかった語調で言ってのけ、いかにも悪者らしく表情を歪ませた。
そして明かされた不死身の秘密は単なる比喩なのか、それともまさか復讐心がある限り本当に不死身だとでも言うのか。いずれにせよ攻略法は掴めない、しかし。
「ならばその胸の炎、心臓ごと貰い受ける――」
回復阻害の呪い――魔槍にこめられたそれを歯牙にもかけず再生と攻撃を繰り返す姿は、彼の自負を傷つけるには十分なものだった。
しかし同時にあの女は、アヴェンジャーは優秀な戦士であると理解していた。
不死身任せの強引な攻撃に見えて、動きに無駄がない。
致命傷を負わされながらも的確に攻撃を繰り返し、ランサーはダメージを重ねてしまった。
それを葬るためには、回復阻害の呪いを最大限に発揮させる。
宝具を解放し、絶対的な死を与えるしかない。
膨大な魔力が槍へと凝縮され、アヴェンジャーの表情に感嘆の色が浮かぶ。
恐怖でも焦燥でもなく、感嘆。
舐められている。ランサーは怒気と共に、宝具の真名を叫んだ。
「
因果が――逆転する。
アヴェンジャーの心臓に突き刺さったという事実が確定し、その事実に沿って魔槍が踊る。
槍の一部になったかの如くランサーは疾駆し、穂先を正確無比かつ電光石火で繰り出した。あまりの早業にアヴェンジャーは身をよじるしかできず、その小さな揺らぎにすら合わせて槍は心臓の中央へと導かれた。
衝撃と同時に風穴が空く。心臓を貫くどころではない。アヴェンジャーの胸元に円形の穴が開いて、そこに収まっていただろう心臓は血飛沫と化して舞い散った。
回復阻害の呪いが。必殺の因果が。
確実にアヴェンジャーを絶命させた。
その、絶命したアヴェンジャーの肉体が爆発炎上する。
至近距離で起こったそれも予想のうちではあったのか、ランサーは即座にバックステップで距離を取る。だが視界の端に光の粒子が移り、それらが己の頭上に集まっているのに気づく。
仕留められなかったという確信を肯定するように、頭上から声が降ってくる。
「覚えておけ――」
見上げれば、背中から炎の翼をジェット噴射のように炎上させるアヴェンジャーの姿。
その胸元は無傷。呪いの朱槍を解放してなお、こいつは傷ひとつ残らず再生する。
誇りを示すために作ってしまった隙を突かれた。不死性を読み違えたがための失策。
この距離で大火力の一撃を放たれたら――!!
「イリヤスヒール・ホン・アインベルンツンのサーヴァントは最強なんどぶぁっ!?」
その顎に、横合いから拳が飛んできた。
顎を揺さぶられたアヴェンジャーはあっという間に脱力し、流れるようにボディブローがめり込んで臓器が変形するほどに揺さぶられて悶絶する。
さらに乱入者もろとも地面に落下して背中を強打。肺から空気が押し出されて機能障害に陥る。
「おごっ、ぐげっ!?」
まともに呼吸さえできなくなったアヴェンジャーを見下ろすのは、木陰に隠れて戦いを静観していた魔術師だ。致命の隙を晒す敵を前に、追撃をかけようともせず背を向けて駆け出す。
「バゼット――!?」
「退きますよランサー! 現状、アヴェンジャーの撃破は至難!」
撤退の指示。しかしその声色は強気であり、有無を言わせぬ頼もしさがあった。
ランサーは火傷で痛む足で大地を蹴り、バゼットと共に森の外へ向かって走り出す。
バゼットの剛腕で顎を打ち抜かれ、鳩尾をえぐられたとあっては、たとえサーヴァントであろうとまともに動けはすまい。
二人がお揃いのイヤリングを揺らしながら夜の闇に身をくらますと、数秒と経たないうちに後方で大きな火柱が昇った。
アヴェンジャーが復活したのだと悟り、追撃を警戒する。しかし追ってくる事はなかった。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
かつて魔術の名門エーデルフェルト家が冬木の深山町に構えた双子館。
そこを拠点としているバゼットはソファーに身を下ろすと、コンビニで購入した肉まんを頬張って鋭気を養った。安価であり、レジで注文してすぐ受け取れて、腹もふくれる。
栄養補給にとても都合のいい食品だ。
「おい、俺にもくれよ」
「サーヴァントなんだから必要ないでしょうに」
と口では言いながらも、俗っぽいランサーのために購入したもう一人分の肉まんを投げ渡す。
ランサーは嬉しそうに肉まんにかじりつきながら、バゼットの隣に腰を下ろした。
「しっかし驚いたぜ。なんだありゃあ? 俺のゲイ・ボルクを受けて平然としてやがる」
「原理上、その槍で殺せない相手がいるのは承知しているでしょう。しかしそれでもやはり、その槍の呪いを跳ね除け、さらに蘇生を際限なく繰り返すとは……恐るべきサーヴァントです。さすがはアインツベルン」
「あいつはアインベルンツンとか言ってたな」
ランサーのぼやきに、バゼットは大仰に反応した。
「…………アインツベルンの他にアインベルンツンなるマスターがいる!?」
「いや、名前言い間違えただけだろ」
生真面目で堅物なマスターの天然ボケにランサーは呆れながらも、緊張が心地よくほぐれていくのを感じた。いいマスターに出会えたと思う。
「コホン――名前を言い間違えるあたり、あまり頭のいいサーヴァントではないのかもしれませんね。これでますます我々の勝機は高まりました」
「おっ、さすがは我がマスター。もう勝ち筋が見えたってのか?」
「厄介な敵ではありますが、勝ち筋に頭を悩ますほどの相手ではないでしょう」
バゼットはペットボトルを掴む。これもコンビニで購入したミネラルウォーターだ。
「
「そりゃそうだけどよ……やられっぱなしで悔しくねぇのか」
「私はやり返しましたから」
フフンと鼻を鳴らし、拳をぎゅっと握って見せる。
顎と腹に一発ずつ。アヴェンジャーは心臓を貫かれるよりも明らかに苦しんでいた。
「それにマスター狙い以外にも方法はあります。桁外れの再生能力を有していると言っても、脳を揺さぶり、呼吸を止めてやれば動きも止まる。後は強力な礼装を使って封印してしまえばいい」
「まー、妥当な方法だけどよぉ。もっと直接的にやり返したいと思わねぇの?」
「別に」
バゼットはクレバーに言い切った。
「不死身の怪物がいたら無力化して封印、その後じっくり時間をかけて不死の
「俺はきっちりケリをつけたいんだがねぇ……」
聖杯に託す願いを持たず、しかし全力で戦いたいという理由で召喚に応じたランサーにとっては不満の残る解決方法だ。
アヴェンジャーの火炎や体術はすでに見せてもらったので不覚を取る気は毛頭ない。
筋力、敏捷、技量はこちらが上回っているのだ。厄介な相討ち狙いや自爆特攻も今後は避ければいいだけの事。
あの不死性の対処法はまだ思いつかないが、それでももう10回や20回と殺せば、見えてくるものがあるかもしれない。戦いはまだまだこれからなのだ。
しかしバゼットはマスターで、自分はサーヴァント。愚痴は言っても逆らう気はない。
「ただ――やはり真名が分からないのは不気味ですね。不死身の逸話を持つ英霊は数あれど、炎とともに肉体を再生させるなど……まるで幻想種のフェニックス。ランサーに心当たりは?」
「ある訳ねーだろ。ただ、どうも体術は我流っぽかったな……」
「ですね。無駄のない動きをしていましたが、格闘能力でなら私でも対抗できます。しかしあの炎は厄介極まりない。炎の弾幕を延々と打ち払い続けるというのは困難でしょう」
油断ならない相手なれど、対処できない相手ではない。
というのがバゼットの下した評価だ。
ランサーもまた、今回は規格外の能力を前に悪手を打ったという自覚があり、リターンマッチは臨むところ。
怪物の驚異を理解した上で、
それが人間であり、英雄だ。
「俺も
ランサーの頼もしい言葉に、バゼットは誇らしい笑みを浮かべてうなずく。
しかしここで慢心しては足をすくわれかねない。アヴェンジャーの特異性はあまりにも不可解で、他に隠し玉があってもおかしくないのだ。
「まあ、装備が整うまで相手をする必要はありませんし、聖杯戦争が進めば新たな情報も得られるはず。とりあえず、後で言峰に連絡しておきましょう。アインツベルンから感じた不審とやらは、不死身のアヴェンジャーという特殊なサーヴァントを召喚したためのもので、聖杯戦争の運行を妨げるものではないと」
ランサーはため息をつく。
「監督役相手とはいえ……他所のサーヴァントの情報を告げ口するってのは、どうにも気分がよくねぇな」
「伝える情報は選びますよ。さすがにゲイ・ボルクが通用しなかったなんて吹聴しては、思わぬところから我々に不都合が生じるかもしれませんし」
実際、それは死活問題だ。
ゲイ・ボルクの担い手となれば、ランサーの正体がクー・フーリンである事も露見してしまう。
「言峰綺礼は真面目で思慮深く、公平で紳士的で、逞しくて頼もしくて、信頼できる男性ですが」
「すげー評価
完璧超人かよ。ランサーは胡散臭そうに眉をひそめたが、バゼットは我が事のように胸を張って自慢げだった。
そして、彼女が誇りに思う男は言峰だけではない。
「だからとて貴方に不義理を働く気はありませんよ、ランサー」
「分かってるなら、いいんだ」
バゼットは聖杯戦争の監督役である言峰綺礼と旧知の仲であり、その名前を出す際、子犬のようにはしゃいでいるように見える。
このバゼットがそんなに懐いている相手なら、そう心配する必要もないだろう。
二人一緒にこの聖杯戦争を駆け抜ける――ああ、なんと心躍る展望か。
どんな強敵、難敵が現れようと、二人一緒ならきっと打ち破れる。
ランサーは肉まんを食べ切ると、満足気にほほ笑んだ。
自分はマスター運に恵まれたと、強く実感しながら。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「こ……の…………バカモコウー!!」
「ひぇぇ。言われた通り追い払ってきたのに、何で怒るんだよぅ」
一方その頃アインツベルン城のロビーでは、藤原妹紅が叱りつけられていた。
イリヤは不機嫌さをあらわにし、眉を吊り上げている。
「フジワラ・ノ・モコウ。わたしの名を言ってみなさい」
「イリヤだろ?」
「フルネームで!」
「イリヤスヒール・ホン・アインベルンツン」
パッカーンと、イリヤのアッパーカットが炸裂する。
バゼットの拳と違って非力も非力ではあったが、その衝撃には独特の響きがあり、脳天まで突き抜けた瞬間――。
妹紅はなぜか、体操服姿のロリブルマの姿を幻視した。
幻覚のロリブルマがどんな顔をしているか確かめる間もなく、受け身も取れず盛大に尻もちをつくと、眼前にはマスターが腰を屈めて顔を近づけていた。
大きく口を開き、子供に聞かせるように一語一句丁寧に告げる。
「イリヤスフィール! フォン! アインツベルンよ!」
妹紅はしばし黙考し、反芻し、不思議そうに眉をひそめる。
「……合ってるじゃないか」
「合ってない! そもそも、イリヤスフィールとフォンは聞く機会が少ないかもしれないけど……アインツベルンって名前は頻繁に出てくるでしょ! なんで間違えるのなんで覚えてないの、ねえなんで!?」
「いや、ちゃんと覚えてるよ? 覚えてるんだけど、名前と一緒に言おうとしたらなんか、こんがらがっちゃって……アインツベルンだろ? フォン・アインベル……アインツベルン」
「また言い間違えそーになった!」
ポカポカと妹紅の頭を小突く。
妹紅は「痛い痛い」なんて言いながら頭をかばい、うずくまった。
「ああもう。モコウのせいでアインツベルンのサーヴァントは、マスターの名前もろくに言えないお馬鹿さんだって誤解が広まっちゃうわ」
「旦那に至っては名前すら発音できないじゃんか」
「言語能力のないバーサーカーと比較するなー!」
怒鳴りっぱなしのイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
せっかく好きになってやったのに、まさか名前を覚え切っていなかったなんて。
これは酷い裏切りだ。お仕置き不可避だ。アッパーカットの刑だ。
「立ちなさいモコウ! これからサロンでじっくりと説教するから」
「……悪い、ちょっと休ませて」
だが、妹紅は急にシリアスな声色になった。
「ランサーの持ってた槍、あれヤバイわ」
「……ゲイ・ボルク……光の御子、クー・フーリンの持つ魔槍ね。狙いを外さず、絶対に心臓を貫く必殺の槍。バーサーカーなら一回死ぬだけですむ程度のものだけど、貴女も生き返るんだから平気でしょ?」
「まあそうなんだけど、妙に重いんだアレ。再生を阻害する呪いでもかかってるのか? いちいち肉体をゼロから再構築しないと治せなくて疲れる。明日は確実に筋肉痛だ」
本当にしんどそうに、妹紅は座り込んだままうなだれてしまった。
必殺、即死の能力持ちなんて妹紅からすればカモでしかない。
だが、回復阻害の呪いなどが付与されていたらそういう問題も発生するのか。
やはり耐性を獲得できるバーサーカーの方が優秀だ。
さらに言えば、バーサーカーやランサーなら彼女を殺す事はできなくとも――。
体力が限界を迎えるまで殺し続ければ、
回復阻害より、苦痛や消耗を与える方が有効――そのような
もっともこちらのサーヴァントでいる限り、敵陣営に攻略される側なのだが。
疲れた様子の妹紅の姿にちょっと同情心が湧くも、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの気持ちは未だ怒りに傾いている。
「フンッ――大口叩いたくせに、ランサー如きを仕留められず逃しちゃうなんて」
「いや、追い払えって言ったのお前だろ。英霊が七人出揃うまで本気でやる気は無いって」
「それを差し引いても、モコウ一人じゃ仕留め切れなかったんじゃないの? バゼットとかいう女に小突かれただけでフラフラしちゃってさ」
「パゼストバイフェニックスなら無敵状態で一方的に攻撃できるが、足止めには向かないしなぁ。それに今回は宝具をぶち込まれて、再生した直後の不意討ちだったし……ああ痛かった」
確かに真名を解放したゲイ・ボルクの負担は大きそうだ。
むしろこれっぽっちの消耗ですんでいるのは称賛して然るべきですらある。
「むー……」
「まっ、ランサーもマスターも格闘型だ。槍や拳の間合いの外から弾幕をばら撒いてやればいい。英霊が出揃った暁にはまとめて焼き尽くしてやるぜ」
不死身にあぐらをかいて、たっぷり慢心。
その姿に頼もしさより、不安を感じてしまうイリヤだった。
「足をすくわれそうで不安……まあ、モコウがやられても別にいいけどさ……バーサーカーの出番が無いままってのもさみしいし」
「旦那の勇姿か……丁度よさげな状況があったら任せよう」
妥協案が出たところで、妹紅はようやく立ち上がった。
まだ倦怠感は残っているが、イリヤアッパーのダメージはすっかり抜けたし、一瞬垣間見た謎のロリブルマの幻覚も完全に忘却している。
「疲れたし、ひとっ風呂浴びてくるよ」
「……まあ、モコウもがんばったから……これくらいにして上げるわ。それじゃ、また後でね」
「ああ」
ランサーとの前哨戦の疲れを浴場で洗い落とした妹紅は、スベスベのパジャマに着替えると、一直線に己の客室へ向かい、ベッドに倒れ込むと、胸に手を当てて目を閉じる。
なかなかに強烈な死だった。
ゲイ・ボルク――あんなものを受けて無事なのは、自分とバーサーカーの旦那くらいのものだろう。逆に言えばあれほどのものでも自分を真の意味で殺害するには至らない。
「…………不死殺しの逸話のある英霊って、どんなのがいるんだろ」
薬を口にした時、幻視したものを思い出す。
あの混沌とした、神話の如き光景。確約された永劫の罪過。
あれに匹敵するインパクトが無いと駄目なのだろうか。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「今日はベッドで寝ているのね」
「そりゃまあ……いつも座って寝てる訳じゃないけど」
イリヤが客室を訪れると、妹紅がベッドの上でゴロゴロしていた。
それはいい。ベッドは使うためにあるのだから。だがしかし。
「お伽噺するよう言ったのに、なんで部屋に来ないのよ」
「……は?」
「朝ご飯の時、言ったでしょ。ついさっきも、また後でねって」
「あー、うん、そうか」
妹紅はそれをすっかり忘れていたらしい。
パジャマ姿のイリヤもベッドに乱入すると。妹紅を布団の中に引きずり込んで、お爺さんとお婆さんから始まらないお伽噺を強要してやる。まさか日本のお伽噺すべてがお爺さんとお婆さんで始まる訳ではあるまい。
そんな常識的発想に応じるように、妹紅は少年が主人公のお伽噺を語り出した。
「昔々、あるところにー……浦島太郎という少年がおりました。彼が海の砂浜を歩いていると、子供達が亀を寄ってたかってボコスカとイジメてましたとさ」
その晩は背中を預けたりせず、肩が触れ合う程度に並んで眠った。
両親と一緒に寝ていた時は、こんな他人行儀な添い寝はしなかったが、妹紅相手ならこれが丁度いい距離感なのかもしれない。……他人行儀な添い寝、というのもおかしな表現だが。
時折、お伽噺を語り続ける妹紅の横顔を見る。
薄い月明かりの中、他人行儀な添い寝というシチュエーションにたいして興味が無いのか、目を閉じたまま無感情にお伽噺を口ずさんでいる。
「タイやヒラメが踊って……イリヤ、聖杯戦争が始まったら街に出向いたりするんだろ? 寿司食べよう寿司」
「はいはい、今度お寿司屋さんに連れてって上げるからお話の続き、ちゃんとして」
「えーと……浦島太郎は、毎日宴会を楽しんでたんだけど、地上が恋しくなって……それを伝えたら乙姫様が餞別……お土産で、玉手箱ってのをくれました」
お伽噺は続く。
肩越しに妹紅の体温が伝わってくる。
肘越しに妹紅の体温が――肘も触れていただろうか?
「浦島太郎が地上に帰ってみると、なんと……百年? 三百年? まあ、だいたいそれくらい経っていました。浦島太郎を覚えている人間は誰もいません。彼を知る者は皆、とっくに……寿命で死んでいたから」
ほんの少し。
妹紅の声が、揺らいだ気が――した。
「玉手箱を開けると煙が出てきて、それを浴びた浦島太郎はお爺さんになってしまいましたとさ。おしまい」
「……………………えっ? それがオチ? お爺さんが出てこないと思ったら、お爺さんになって終わるって、日本人はどんだけお爺さんが好きなの!? 納得行かないわ、リテイク! 違うお話をして! お爺さんもお婆さんも一切出てこないの!」
「そんな昔話あったかなー……」
それからしばらく問答して。
猿蟹合戦なる、そもそも人間が出てこないお伽噺が開始される頃には、妹紅の腕に絡みついてしまっているイリヤの姿があった。
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こうして――イリヤは日々を送る。
筋肉痛になった妹紅をからかったり。
セラとリズの弾幕ごっこを鑑賞したり。
敵サーヴァントが森に侵入してこないか見張ったり。
妹紅がコートに防火対策やら発火符やらを仕込んだり。
バーサーカーの肩に乗って森を散歩したり。
その帰り道は妹紅に抱っこさせてお空の散歩をしたり。
妹紅にお伽噺をさせたり。
妹紅に添い寝させたり。
そういった生活を新しい日常として受け入れていく。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ライダーとアサシンの召喚を、イリヤは知覚した。
そして1月31日の木曜日。
イリヤは再び冬木の街へと向かう事を決める。
もうほとんどのサーヴァントが出揃ったというのに。
もし、選ばれなかったとしても――イリヤがやる事に変わりはない。
不死身ではあっても無敵ではない妹紅。肝試しに八人も来られたらボロボロになる体力。