イリヤと不死身のサーヴァント【完結】   作:水泡人形イムス

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第8話 衛宮さんちの息子さん

 

 

 

 1月31日。まだ召喚されていないサーヴァントはセイバーとアーチャーのみとなった。

 ランサー組との前哨戦も終えたが、かといって特段、生活が変わった訳ではない。

 今朝もメイド達は妹紅と弾幕ごっこに興じ、セラが決死の反撃で隙を作り、リズのぶん投げたハルバードが妹紅の首に直撃切断。

 

 ついに、見事に、美しく!

 メイドチームが勝利を飾ってのけたのだった!!

 幽雅に咲かせ、血染めの花――からのリザレクション。

 

「ぐはっ。やーらーれーたー……さすがリズだ」

 

 一昨日ランサーといい勝負したくせに、メイドに不覚を取るとは情けない。

 万が一の時はリズにランサーを倒してもらおうか、なんてイリヤが言うと、リズが本気にしかけたので慌てて止める事となった。

 

 

 

 昼食もそこそこにすませたイリヤは、妹紅のおねだりを了承し、メルセデス・ベンツェをかっ飛ばして冬木の街へと訪れる。

 車は適当な有料パーキングに預け、今度はショッピングモールではなく街そのものを回った。

 

 紫のコートを着たイリヤと、紅いコートを着た妹紅。

 されど髪と瞳の色はよく似ており。遠目から見れば仲のいい姉妹のようだ。

 ――近目から見ると人種違う他人。

 

「ランサー組に鉢合わせたらどうする? 向こうは私の顔知ってるぞ」

「別にどうもしないわ。聖杯戦争は人目を避けてやるものだから、お日様が出てる間は戦わないもの。礼儀知らずがお構いなしにっていうなら遠慮なく叩きのめすけど」

 

 などと会話している二人は、冬木市ハイアットホテルでケーキバイキングを楽しんでいた。

 鳥よりも高く空を飛ぶ妹紅ですらビックリするほど巨大な四角い建物。これが旅籠(はたご)だというのだから妹紅はビックリだ。ロビーでは日本人だけじゃなく異人すら見かけた。

 イリヤはブルーベリータルト、妹紅はストロベリータルトと、色合いに合致したものを美味しく堪能している。しかしあまりのんびりしてもいられないぞ。

 お皿にはまだまだレアチーズケーキと、ミルフィーユと、ババロアケーキと、クレームブリュレが控えているのだから!!

 それらを片づけたらまたバイキングに並んだスイーツを取りに行かねばならぬのだ!

 乙女の夢はふわふわと甘く広がる。スイーツタイムだもん当然だよね。

 

 ちなみにこのホテル。

 十年前に爆発事故で一度は倒壊したのだが、無事に再建を果たした歴史を持つ。

 

「十年前って前の聖杯戦争の時期と一致するな。どっかの馬鹿サーヴァントがやらかしたのか?」

「その可能性は高いわね。まったく、品のない奴がいたものだわ」

 

 両者、同時にタルト完食。

 イリヤはレアチーズケーキを、妹紅はババロアケーキを次の相手に選んだ。

 甘くとろける乙女タイムは留まるところを知らず、それらを乗り越えるためイリヤは紅茶を口にした。ドリンクサーバーのものなので味は控え目。

 妹紅はアイスコーヒーを好んで飲んでいる。幻想郷にも珈琲豆はあるが、コーヒーフレッシュを入れた味が気に入ったようだ。ミルクに似ているがミルクではない。コーヒーフレッシュとはいったい何なのか? コーヒーフレッシュだけでコップ一杯飲んでみたいとさえ思う。

 

「しかし昼飯を少なくして、おやつこんな食べちゃって。健康に悪いな」

「たまにはいいんじゃない? セラがいると規則正しい食生活とか言ってうるさいんだもの」

「セラもなー、もっと肩の力を抜けばいいのになー」

「クスッ、でもそこがセラの可愛いところなのよ」

「確かに。ところでこのケーキ美味いな。すごくしっとりしてて……何だこれ」

「ババロア」

「ばばろあ」

 

 オウム返しにしたが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのフルネームをちゃんと覚えていなかった妹紅だ。ちゃんと覚えられるだろうか。短いから覚えられるかな。食べ物だから覚えられるだろう。妹紅はそういう奴だ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ホテルでたっぷり甘味を堪能した後、大型書店を発見した妹紅は、本なんか城にいっぱいあるしと面倒がるイリヤの手を引いて意気揚々と乗り込んだ。

 行き先は、よりにもよって絵本売り場だった。

 

「ほほーう。可愛い絵がついてるんだな。ホラ、桃太郎も浦島太郎もあるぞ」

「あのねぇ……わたし、こういう幼稚なの読まないから」

「私に話させてるのは誰だったか」

「それはそれ、これはこれ」

 

 絵本は日本のものは日本のもので、西洋のものは西洋のもので固まっていた。

 桃太郎は絵本の代表格らしく、日本昔話コーナーの一番目立つ位置に置いてある。

 舌切り雀は見当たらない。マイナーな話なのか、見逃しているだけか。

 何気なく、桃太郎の隣にあった絵本を取る。

 黒髪に着物という古典的な日本人像の描かれた――。

 

「イリヤ」

 

 ふいに、冷たい声が降ってくる。

 それが誰の声なのか分からず、きょとんと見上げてみれば。

 

「あっち、漫画があるみたいだ。行ってみよう」

「――あ、うん」

 

 何の変哲もない妹紅が微笑を浮かべており、とことこと歩き出してしまった。

 イリヤは持っていた絵本を棚に戻し、後をついていく。

 

 かぐやひめ。

 

 あの絵本の物語も、いつか、妹紅が語って聞かせる夜が訪れるのだろうか。

 寝物語をさせられる回数は限られている。聖杯戦争が終わるまで。それがリミットだから。

 

「うーん。こっちの本は文化や常識が違ってよく分からない物が多いんだよなぁ」

「わたしも庶民の生活がよく分からないの。でも日本の生活はそれなりに知ってるわよ。悪さをしたら正座してハラキリするのよね。モコウもやった事あるの?」

「あー? そんなもん…………」

 

 妹紅は少し言葉を途切れさせると、露骨に顔をしかめて頷いた。

 

「…………あるよ、あるある。いやー痛かったなー」

「へー……やっぱり日本人って変なの。礼儀正しいのか野蛮なのか分かんない」

 

 聖杯戦争が終わらなければ、こんな日々もずっと続くのだろうか。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冬木市は中央に流れる未遠川を堺に、東西で大きく分かれている。

 東側の新都は十年前の大災害から復興する折、街を作り直したおかげで近代化がされて賑わっている。それに対し西側の深山町は大きな災害に遭っておらず昔ながらの住宅街が目立つ。

 と言っても別段、さびれている訳ではない。商店街は毎日賑わっているし、数多くの若者が通う穂群原学園もある。また、遠坂や間桐といった名士の家もこちら側だ。

 深山町西側の山には柳洞寺という歴史あるお寺がたたずんでおり、呆れるような石段を登れば街を一望できるだろう。

 そこからさらに西の郊外。長い長い森を抜けた先に、アインツベルンの城がある。

 

 新都で遊び呆けたイリヤと妹紅は今、深山町にいた。

 日が暮れて、穂群原学園からの帰路につく生徒の姿が増える中、人気のない路肩にメルセデスを停車して地図を広げている。

 

「穂群原学園がここで……じゃあ、あっちか」

「イリヤ、どこ行く気だ? 夕飯に寿司を食べに行くんじゃないの?」

「お寿司はまた今度。遊びすぎちゃったし、コンビニとかいうところで適当に買ってきて」

 

 などと話していると、車の窓をノックされた。

 外には二人組の警察官が立っており、不審げにイリヤと妹紅を見つめている。

 

「――敵か?」

「ケーサツよ。モコウは黙ってて」

「ああ、お巡りさん」

 

 漫画などで知識はあるのだろうが、警察官すらパッと見で判別できない古代人を放置して、イリヤは窓をオープンさせる。外車ゆえ左ハンドルであるため、運転席に座るイリヤは当然左側――歩道側だ。

 警察官は親しみのある笑みを浮かべたが、同時に不安そうな色が見て取れた。

 

「お嬢さん、日本語は分かるかな?」

「ええ、分かるわ」

 

 そういえば日本人は言葉の通じない外人を畏怖する性質だったはずだ。

 

「お父さんかお母さんはどこかな?」

「……いない」

「えっと、じゃあ保護者……車を運転してた人はどうしたの? エンジンのかかった運転席に座っちゃ危ないよ」

「わたしが運転してるの」

 

 冗談と思ったのだろう。驚愕でも困惑でも理解でもなく、参ったなぁと警察官同士で顔を見合わせる。

 その間にイリヤは財布から一枚のカードを取り出した。

 

「はい、免許証」

「あ、ああ……ありがとう。でもオモチャじゃなくてね、ちゃんと……ってこれよく出来てるな」

 

 そりゃそうだろう、本物なのだから。

 入手手段が非正規なだけである。

 しかし、そんな事情を話しても信じはしないし、信じられたところで結局は運転免許証の偽装だの偽造だの密造だのなんだの、つまらない事をネチネチ文句つけてくるに違いない。

 だからイリヤは、瞳と言葉に力を込めた。

 

「何も、問題は、無い。そうでしょう?」

 

 妖しく光る眼差しと、艶やかに紡がれる言の葉が、警察官の意識へと沁み込んでいく。

 彼等はしばし呆然としながらイリヤを見つめ、そして。

 

「――そうですね、問題ありません。ご協力ありがとうございました」

 

 一礼して去っていった。

 事なきを得たイリヤはギアを切り替え、車を発進させる。

 助手席で大人しく縮こまっていた妹紅は、窓にこつんと頭を預けた。

 

「なぁ。車いっぱい走ってるけどさ、運転してるのって大人ばかりだよな」

「そうね」

「子供が運転しちゃいけないんじゃないか?」

「年齢的にも技術的にも問題ないわ」

 

 実年齢『車の免許取れる歳』の少女は、実年齢四桁の少女に向けてニッと口角を上げて見せる。

 様々な問題点が透けて見えはしたものの、妹紅も元々アウトローであり、魔術師は社会の裏側の住人だ。騒ぎ立てるほどの事ではないとすぐに割り切る。

 

「……で、私達はどこに向かってるの?」

「ちょっとね、人探し」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 午後七時を回った頃。

 大きな武家屋敷の近くの小道から、人気というものが消え失せた。

 そんな中、日に焼けた髪の青年が坂道を登っている。

 穂群原学園の制服に身を包んでおり、遅めの学校帰りなのは簡単に見て取れた。

 坂道の上から、銀色の少女が下ってくる。

 彼もそれに気づき、自然と視線が交差する。

 少女は微笑をたたえたまま歩み寄り、青年はぶつからないよう身体を横に避ける。

 すれ違う寸前、少女は青年の顔を覗き込むようにしながら告げた。

 

「早く呼び出さないと死んじゃうよ、()()()()()

 

 意味も意図も分からないその言葉に青年は困惑し、後ろへと通り抜けた少女に何事かを問いかけようとして、振り返る。

 そこにはもう、誰の姿もなかった。

 まるで、手のひらに落ちた雪が消えてしまうかのように少女は消えていた。

 

「……何だったんだ?」

 

 青年はしばし少女の姿を探したが、すぐに向き直って坂を登るのを再開した。

 そんな姿を、電柱の上から紅白の少女が見下ろしているのに気づかぬまま。

 

「――アレが衛宮か」

 

 獲物を見定めた猛禽の眼差しとなりながら、コンビニで買ってきたばかりの肉まんを口にする。

 もちもちとした食感の内側から、熱々の肉が汁を滴らせる。寿司を食べられなかったのは残念だが、寒空の下で食べる肉まんというのも乙なものだ。

 そんな中、コリコリとした食感が幸せなアクセントを加える。

 

「……んっ、美味い。タケノコが入ってるのか」

 

 ヒマワリのような笑顔になる妹紅だったが、水を差すように一匹の羽虫が近寄ってきた。

 冬だというのに元気な事だ。街灯の光か、それとも肉まんの香りに寄ってきたのだろうか?

 

「そら」

 

 肉まんの底にくっついていた紙を放り投げ、羽虫諸共に燃やしてやる。ゴミのポイ捨てはよくないが、灰が宙に舞うのは多分セーフだ。

 衛宮が武家屋敷に入っていくのを見送った後、紅白の少女は電柱の上から飛び立った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……………………なん……じゃと……」

 

 暗闇の中で、その者は呟いた。

 信じられない事だった。ありえない事だった。

 気づいているのか、いないのか。

 

 出来得るなら、気づかないままでいて欲しいものだ。

 もう遅い。何もかも遅すぎる。

 あれはもはや過去でしかない。

 

 しかしすでに予感は芽生えていた。

 遠からず――彼奴と――――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その夜、イリヤは目を覚ました。

 枕に妙な硬さがある反面、妙なぬくもりがある。

 耳元から寝息が聞こえる。

 わずかに視線をやれば、間近に妹紅のシルエットが見えた。

 

 ああ、そうだ。今日も妹紅の客室に乗り込み、寝物語にわらしべ長者と笠地蔵を語らせた。

 妹紅の腕を枕にして、静かに聞いていた。

 今は何時だろう? なんとなくそう思って、瞳に魔力を込める。

 暗視の魔術を使って時計を見れば午前の一時になるところだった。

 

 瞬間、どこか遠くに大きなものが降臨するのを知覚する。

 

「アーチャー」

 

 六人目が召喚された。

 聖杯戦争の開幕は近い。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「衛宮切嗣とその息子」

 

 マスターのターゲットを確認した翌日、2月1日。

 ターゲットの詳細情報を妹紅は確認していた。

 日課となったメイド達との弾幕ごっこの後、メイドの仕事を手伝う口実でセラにくっついて回っており、今はお風呂をモップで磨いている。

 

「分からないな。その切嗣ってのは聖杯戦争で勝利目前だったんだろう? なんで聖杯を壊した」

「知るものですか、野蛮な日本人の考える事など……」

「猿の手みたく、実は願いを曲解されて破滅するアイテムだったとか」

「そんな訳ないでしょう! 聖杯を作ったのは我々アインツベルンなのですよ!」

「それもそうか。せっかく作った聖杯をなぁ……酷い話だ」

 

 セラは結構ペラペラと前聖杯戦争の出来事を語ってくれた。

 衛宮切嗣の悪口を言えるからなのか、妹紅を仲間と認めてくれたのか、それとも妹紅が作った今日の朝ご飯が美味しかったお礼なのか。

 妹紅は腰を入れてモップをかける。石造りの風呂場は一歩間違えると滑って転びそうで、ちょっと怖かった。しかしいざ湯船に入ってみれば、スベスベした肌触りが心地いいのも知っている。木造の風呂とはまったく異なる魅力を備えた見事な風呂だ。

 

「聖杯だけでも酷いのに、イリヤみたいな可愛い娘を捨てるなんて酷い親だな」

「所詮は聖杯目当てのチンピラだったのです。おいたわしやお嬢様……みずからの手で殺したかったでしょうに、とっくに病気でくたばっているとは……復讐の機会さえ奪う最低の男です」

「ああ酷い。でも、衛宮切嗣はくたばってくれてざまあみろだけどさ、息子を狙うのは八つ当たりじゃないか? や、別に構わないけど」

「魔術師殺しが後継者として育てた義理の息子。捨て置く理由がありますか?」

「また聖杯戦争の妨害をしてくるかもしれない……か?」

 

 ありえる話だ。

 復讐的観点でも、聖杯戦争的観点でも、とっとと殺した方がいい。

 顔をしかめっぱなしのセラは、排水口に残っている抜け毛を丁寧に集めていた。バーサーカーは風呂を使わないので、当然ながら銀色と白色の髪だけだ。

 髪は魔術や呪いに使えるため、疎かな掃除をする訳にはいかない。

 

「エミヤキリツグの息子……お嬢様の心を乱す不埒者」

「要するに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 セラの言葉は厳しかったが、衛宮切嗣というアインツベルン深くに潜り込んだ不埒者に裏切られた過去を聞いてしまえば、新参者もはなはだしい藤原妹紅という人間が信用されないのも無理からぬ事。むしろ厳しい言葉を浴びせられる妹紅の方こそが憐れみを抱いてしまうほどであった。

 イリヤに至っては遺伝子上の父親に当たる訳だし、その憎しみは相当根深いだろう。

 

「それにしても()()()()()()()()()()……か。世の中、恨みつらみばかりだなぁ」

()()()、ね……モコウはお父さんを理由に復讐した事があるんだ?」

 

 幼い声が浴場に闖入し、妹紅とセラは驚いて入口を見る。

 城の主イリヤが不機嫌そうに立っていた。妹紅の細かな言葉を拾い上げて。

 

「お嬢様、清掃中ですので、お召し物が汚れ――」

「セラ。なに勝手にキリツグのこと話してるの?」

 

 責めるような言葉を受け、セラは青ざめる。

 

「えっ? あ――も、申し訳ありません!」

「……()()()()()を狙ってるのは事実だから、多少の事情説明は必要よ。でも」

「出過ぎた真似を……」

 

 深々と頭を下げるセラ。

 その手前で、べちゃりと音が鳴る。モップを杖代わりにした妹紅が割って入っていた。

 

「私が訊いて、セラが答えた。それだけだ」

 

 文句があるなら私に言えと瞳で語りながら、妹紅は不敵に笑ってみせる。

 イリヤはつまらなそうに唇を尖らせたが、本気で怒ってはおらずあっさり引き下がる。

 

「……千年も生きてるなら、もう復讐は果たしたの? ……どんな気分だった?」

「復讐してる最中だ。復讐はいいぞ、最高に楽しい。生きてるって実感が漲る」

「相手も不老不死の薬を飲んだお姫様って事ね。魂を物質化した不死者同士……なんて不毛な殺し合いなのかしら。それじゃ、いつまで経っても終わらないわ」

 

 それゆえの聖杯。それゆえの願い。

 妹紅の精神も相当こじれていそうだ。

 

「モコウの事情なんてどうでもいいか。サーヴァントとしてちゃんと働いてくれたら文句無いわ。それより――タケノコ、朝からあく抜きしてるみたいだけど」

「ああ、セラが用意してくれた奴な。今日の昼は私が作る」

「そう。楽しみにしてるわ」

 

 それだけ言って、イリヤは浴場から出て行ってしまった。

 見送ってから、セラは顔をしかめたままぶっきらぼうに言う。

 

「……ここはもう結構です。昼食の準備をしてきなさい」

「そう? じゃ、後は任せた」

 

 モップをセラに手渡すと、妹紅はウキウキ気分で退室した。

 タケノコはセラが用意しただけあって、それなりに上質なものである。

 普段食卓に並ぶ西洋料理は素材も技術も抜群だが、たまには馴染みのあるものを食べたくなるのが人情ってものだ。

 

「それにしても、()()()()()か……」

 

 仇を呼ぶにしては、随分と親しみを感じる呼称である。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「…………タケノコご飯は?」

 

 サロンにて、露骨に不機嫌な声色でイリヤは言った。

 その言葉を受け、きょとんとしている藤原妹紅。その左手には茶碗に盛られた白飯があり、その右手は箸でタケノコの煮物を摘んでいる最中だった。

 

「タケノコご飯はこないだ食べたから、今日は鶏肉と一緒に煮てみた。味噌汁にも入ってる、天ぷらも海老とタケノコで、タケノコ三昧だ」

「うん。ねえモコウ。タケノコご飯は?」

「白いご飯でオカズを食べる。――ダメ?」

「むううー! 楽しみにしてたのに、モコウのバカー!」

 

 イリヤの舌はすでにタケノコご飯モードになっていた。

 味噌汁も煮物も美味しいのだろうけれど、そういう問題ではないのだ。

 白いご飯と一緒にタケノコを食べればいい、という問題ではないのだ。

 タケノコご飯を食べられないのが問題なのだ。

 

 セラとリズは美味しそうなタケノコ料理だなとウキウキ気分で箸を取っていたので固まってしまい、バーサーカーもなぜかマスターが不機嫌だから茶碗を摘んだまま様子を見ている。

 

「いや、まあ、そうか。そんなに気に入ってたんなら、また作ってやるから」

「またじゃなく、今、食べたかったの! 作り直しなさい!」

「無理。タケノコ全部使っちゃった」

 

 何分、五人前なので。

 

「もー! もおー! んもおー!」

 

 プリプリ怒りながらイリヤはタケノコの煮物を食べた。

 コリコリした食感と、にじみ出る汁の味わいが絶妙で美味しい。美味しいから悔しい。

 タケノコの質が前回より上がっているのが分かるのだ。これでタケノコご飯を作っていれば!

 

「ごあ? ごああ……」

 

 なんだかよく分からないとばかりにバーサーカーは首を傾げたが、マスターがタケノコ料理をパクパク食べているのを見て自分も食べてもいいのだと解釈し、茶碗の中身を口に流し込んでバリボリ食べる。同じくリズもマイペースに食べ始める。

 妹紅はセラからジロリと一瞥され、困ったように笑うのだった。

 

 

 

 そして。

 

「やっちゃえ、バーサーカー!!」

「■■■■ーッ!!」

「死んでたまるか鳳翼天翔ぉー!」

「左ですバーサーカー! その弾幕の抜け道は一歩左!」

「がんばれー」

 

 タケノコご飯を作らなかった罰として、妹紅はバーサーカーと模擬戦をやらされて死んだ。

 セラとリズもいっぱい応援した、バーサーカーを。

 アインツベルンの仲間になったはずなのに四面楚歌。妹紅はちょっぴり悲しくなった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なあイリヤ」

「なあにモコウ」

「ここ私の部屋なんだけど」

「ここはわたしの城よ」

「なんで自分の部屋で寝ないの?」

「わたしがいないと床で寝そうなんだもん」

 

 その晩も、イリヤは妹紅の部屋のベッドの上の最高級布団の中に潜り込んでいた。

 妹紅も同じように引きずり込まれ、寝物語を強要される。

 

「あー……じゃあ、今日はどうしようかな……カチカチ山でいいか」

「ねえモコウ、かぐやひめって知ってる?」

 

 腕にぎゅっとしがみついて訊ねると、妹紅の腕がほんのわずか、力むのを感じた。

 どうしたんだろうと思って表情を見ると、妙につまらなそうにしている。

 

「……いや、あの話はどうも苦手でな」

「主人公がお姫様だから、聞いてみたかったのに」

「じゃあ瓜子姫でも」

 

 そうして語り出したお伽噺はとても悪趣味で凄惨なものだっため、イリヤは妹紅の腕を力いっぱいつねってやるのだった。

 瓜から生まれたお姫様が、天邪鬼に騙されて殺されてしまう話なんてしたら、そりゃ機嫌を悪くされてしまう。

 

 そして。

 その晩はまだ、七人目のサーヴァントは召喚されなかった。

 

 しかし。

 運命の夜は――目前にまで迫っていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランサーは隠れ家である双子館で見張りをしていた。マスターの密談を無事完了させるために。

 なにせ、密談相手は聖杯戦争の監督役だ。他者に知られては要らぬ疑いを持たれてしまう。

 あの生真面目なマスターが後ろ暗い取引などするはずないし、監督役との密会も先日のアインツベルン調査報告の一環だろう。

 

「――――ッ!?」

 

 だが不意に、バゼットとの()()()()()()

 何があったのか、考えるよりも早くランサーは駆け出していた。

 ドアを乱暴に開け放つと、マスターはすでに血染めの姿で床に伏していた。

 

「バゼット! おいバゼット!? 一体なにがあった!?」

 

 必死に呼びかけながら抱き起こし、気づく。

 すでに呼吸はなく、事切れている。さらには左腕が切断されており、大量の血が流れ出ていた。

 

「っ、これは……!」

「マスターの危機を察知して舞い戻ってきたか、ランサーのサーヴァントよ。だがいささか遅すぎたようだな」

 

 バゼットに気を取られている間に、敵はすでにランサーの背後に回っていた。

 バゼット以外に被害者の気配は無い。サーヴァントもだ。

 つまりこの襲撃者こそ、バゼットが密談していた相手。教会から派遣された中立の監督役。

 

「……テメェが、言峰綺礼か」

「如何にも。君にとっては新たなマスターでもある」

「何だと……ッ!?」

 

 振り返れば、神父姿の不吉な男が、見せつけるように右腕をかざしていた。

 魔力を帯びた赤い紋様が刻まれている。

 

「貴様、その令呪はまさか!」

「そう。バゼット・フラガ・マクレミッツから奪わせてもらった」

 

 ランサーの喉が震える。

 令呪――マスターがサーヴァントに行使できる、三度限りの絶対命令権。

 中立の監督役が、なぜそんなものを奪う?

 答えは簡単。奴は中立どころか、監督役の立場を利用して暗躍する食わせ者という訳だ。

 

「ランサー、いや英霊クー・フーリンよ。今のお前は契約者を失った身。そのままでは魔力が枯渇し、ただ消滅を待つのみだ。そんな末路はさぞ不服だろう? ならばいっそ――」

「……バゼットを殺した貴様に、おめおめ尻尾を振れっていうのか?」

「彼女を未練に思う必要はない。迂闊な油断をするマスターでは、遠からず同じ結末になっていただろう。真の勝利者たろうとするならば、この私こそがマスターに相応しい。――聖杯を求めて召喚に応じた英霊であれば、選択の余地はあるまい」

 

 ここで――即座に言峰綺礼を殺す。

 可能だろうか? 令呪はすでに言峰の手中だ。

 仮に仇討ちを成せたとしても、そこでランサーの運命は尽きる。

 それでいいのか?

 

 バゼットは呼んだ。英霊クー・フーリンの力を見込んで、聖杯戦争を勝ち抜くために。

 アヴェンジャーとの決着もまだついちゃいない。

 バゼットと共に対策を練り、準備を整えて打倒しようとしたあの不死身のサーヴァント。二人でやり遂げようと誓ったばかりだというのに、ここで投げ出してしまっていいのか?

 赤枝の騎士として成さねばならぬ事はまだ、残っている。

 

「………………いいだろう。このままみすみす消え去るだけってのも寝覚めが悪い」

 

 バゼットから奪われた三画の令呪。

 それが言峰の手にある限り、ランサーは鎖に繋がれた犬にすぎない。

 

「だがな、言峰綺礼。俺にまともに指図したいと思うなら、まずはその手の令呪を一画、使っておきな。……何かの間違いで後ろから刺されないとも限らねえからよ」

 

 ニタリと、卑しい笑みを浮かべる言峰綺礼。

 その腕が赤く輝き、第一の令呪が発動する。

 

「では命じよう。――主替えに賛同しろ」

 

 強制力を持つ言葉がランサーの霊基に刻まれる。

 これで名実ともにこの男がランサーのマスターとなった。

 憎々しいがやむを得まい。サーヴァントである以上、抗えぬ定めがある。

 

 だが信頼する者を裏切ってまで令呪を手にした男の願いが、バゼットの命に釣り合わぬものだったなら。英霊として見過ごせないものだったなら。

 たとえ新たなマスターであろうとも、ケジメは着けさせてもらう。

 そのためには令呪三画、すべてを使い切らさねばならない。残り二画――。

 

「さらに第二の令呪にて命じよう」

「なっ――?」

 

 言峰綺礼は惜しみなく、再び腕を赤く輝かせた。

 主替えだけでなく、この状況で何を命じるというのか。

 

「お前は全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ」

 

 不可解な命令が刻まれる。

 納得できない。しかし逆らえない。命令が己の身体を縛る。

 

「ぐっ――何を考えてやがる!?」

「情報収集は聖杯戦争の常套手段であろう?」

「情報収集は結構。だが()()()とはどういう訳だ? これじゃあ全力を出せねぇばかりか勝機すら逃がす事になるぜ」

「フッ。血気盛んなサーヴァントに、少々慎重になってもらいたいだけだ」

 

 嘘だ。この男はまだ、何か、隠している。

 そう直感しながらも、鎖で繋がれたランサーにできる事は少ない。

 また、バゼットの仇であろうと、令呪に命じられたためであろうと、主替えに賛同してしまった以上サーヴァントとして従うのが戦士の務め。

 英雄なんてものは、望まぬ命令に振り回されるものだと分かってはいるが――。

 

「チッ……仕方ねぇ、一度目は退いてやる。だが二度目は容赦しない。それでいいな?」

「構わないとも。その程度ならば、好きにするがいい」

 

 こうして、ランサーの聖杯戦争は一変してしまった。

 果たしてバゼットの無念を晴らせるのか。

 己が願望である全力の戦いを果たせるのか。

 アヴェンジャーとの決着をつけられるのか。

 聖杯戦争の勝者となれるのか。

 すべてが不透明なものとなる。

 

 だが、それでも。

 暗雲に包まれた暗闇の荒野に放り出されながら、ランサーは雄々しく立ち上がった。

 赤枝の騎士としての誇りが胸に灯っている限り、この闘志が折れる事は決して無い――。

 

 

 




 ランサーと言峰の馴れ初めはだいたいアンコ通り。
 自分がマスター運Aランクだと思い込んでたランサーと、自分が男運Aランクだと思い込んでたバゼットさんを襲う過酷な現実――。

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