マナの絆   作:117

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本日2話目の投稿です。


002話 賞金首

 

 アンジェラはやはり相当疲れていたようで、方針が決まるとすぐにスヤスヤと寝入ってしまった。おかげで夜が明ける頃にはすっかり元気になって、ブレッドが持っていた予備の外套をつけて白銀の世界を行く。

「…………」

 対してブレッドの方はアンジェラを助ける為に寄り道をして体力を大きく削ったばかりか、野営の間中気を張っていてほとんど休めていない。寝不足のまま、ブスッとした顔で先を歩く。

「ねぇ、エルランドにはまだ着かないの?」

「夕方までにはつかねぇよ」

 心なしかブレッドの返事にもトゲがある。そんな言葉をくらったアンジェラも機嫌を傾けて、しばらく無言での時間が流れる。そして重苦しい空気に負けたアンジェラがまた口を開き、ブレッドの憎まれ口を聞く。

 結局、日が沈むまでそんな会話を繰り返し、満天の星空が綺麗な時刻になってようやくエルランドにつく運びとなった。

 

「なによ! 結局夕方までにはつかなかったじゃない!」

「夕方までには確実につかないって言っただけだよ! って言うか、遅くなったのは確実にトロトロ歩いてたお前のせいだっ!」

「女の足と男の足を比べるなんてサイテー! ほんっとデリカシーと思いやりが無いわね、ブレッドは!」

 ギャイギャイと騒ぎながら歩く二人。雪が降り、冷えて静かな夜であるからして普通に近所迷惑な旅人だが、旅人とはそんなものだと諦めている町人は気にも留めない。むしろ男と女の喧嘩にクチバシを挟んでとばっちりを受けてはたまらないと、ろくに注意すら向けられない始末である。

 それが幸運であったと気がつくのは、宿屋に入った時だった。

「あー、寒かった」

 チリンチリンとドアにつけられたベルがなり、アンジェラはのほほんとそんな事を言いながら体に積もった雪を払う。だがブレッドはそれどころではない。宿屋の壁の、目立つところに貼られた紙を見てギョッと体を強ばらせていた。ブレッドの視線の先、そこにある紙には似顔絵と数字が書いてあった。似顔絵はアンジェラにそっくりで、数字は金額を表すもの。しかも、その数字はちょっとお目にかかれないような単位の一万ルクだ。

(賞金首かよっ!?)

 ブレッドは慌ててアンジェラの外套についたフードを被せる。

「ちょ、何すんのよっ!?」

(バカ、静かにしろよ! お前、賞金首になってるぞ!!)

「!」

 そこでようやくアンジェラも壁に貼られた紙に気がつく。固まるアンジェラに囁くブレッド。

(とにかく、どうにかして俺が誤魔化すからお前は黙っとけ。ここで定期船に乗れないとマジで命が危ないぞ!)

 青ざめた顔でコクコクと頷くアンジェラ。ブレッドは頭の中でどうしたらいいのか考えつつ、女将が来るのを待つ。

 それから間もなくして、パタパタという足音と共に恰幅のいい女将が姿を現した。

「はいはいお待たせ致しました。あらあら旅人さん、お久しぶりですわね」

「女将、ごぶさた」

「アルテナへの旅はどうでした? 欲しい薬草がおありって話でしたけど」

「ん~。やっぱり理の女王の魔力が減っているというのは本当だな。随分寒くなって、草も生えが悪くなってた。

 まあ、本来なら雪でおおわれているような季節だからな。少しでも見つかっただけでも御の字だよ」

 世間話をしつつ、チラチラとアンジェラに視線を送る女将。二人としては気が気でない。

「しかし旅人さん、もう少し遅かったら危なかったわよ。明後日に出る船に乗り遅れたらしばらくこの国に閉じ込められる事になるからねぇ」

「らしいね。アルテナでその話を聞いて、最後のキャラバンに乗り遅れた時には焦った焦った。まあ間に合ったんだから何よりだけどな」

「全くだね。ったく、これも理の女王さまの魔力がなくなったせいかねぇ。最近はモンスターの数も増える一方だし。

 そうそう、理の女王さまと言えば、王女アンジェラさまに賞金がかかったのよ。うちにも兵士が来て、一番目立つ所に貼っていったからね」

 女将はチラリと貼り付けられた紙を見て、次にアンジェラを見る。

「…………一応言っておくが、彼女の名前はミィ。俺の従姉妹だからな」

 ブレッドは先に釘を刺す。

「はいはい、彼女がアンジェラさまね。いくらなんでもこのタイミングで行きにいなかった女の子が来たら私でも気がつきますから」

 無駄だった。女将はため息をつきながらブレッドを見る。

「あのねぇ、うちみたいな場末の宿屋は信用商売なのよ。旅人なんて連中はすねに傷を持っている人間も少なくないし、兵士に突き出したりしたら変な噂がたって客足が遠のいちまうよ。保障もしてくれない偉そうな兵士たちよりか、気前のいい旅人の方があたしゃ好きだね」

 チラチラとブレッドの持つ大鎌を見ながらの女将の言葉。

 ――つまり、通報して下手にドンパチされて取り逃がし、宿屋を壊されるくらいなら、口止め料を貰った方がいいという事らしい。

「…………ち、足元見やがって。

 まあいい。二人部屋を一つ、2泊分借りたい。チップは弾む」

「毎度ありぃ」

 満面の笑みを浮かべる女将。ブレッドは懐から財布を取り出し、まず宿代を払う。ついで残った中身もごっそりと取り出し、カウンターに置く。

「って、ちょっと! 相部屋なのっ!?」

「文句あるならこの分の出費全部払わすぞ! ここからアルテナに持っていった荷物運びの金、全部消えたんだからな!!」

 叫ぶアンジェラにちょっと泣きそうなブレッド、そして色々な意味で笑みが深くなる女将。

「はいはい、従姉妹さんとのじゃれあいは部屋でして下さいな」

 どうやら本格的に三文芝居にのってくれるらしい女将に安堵の息を吐きつつ、部屋へと向かう二人。

 女将も部屋に案内したら、ごゆっくりという言葉を残して立ち去っていく。そして女将が立ち去ったのを見計らって、アンジェラが口を開いた。

「ねえ。あの女将、信用できるの?」

「信じるしかないんだよ」

 忌々しそうに舌打ちしながら言うブレッド。

「エルランドに居ればジリ貧だ、いつか必ず見つかる。この国から脱出するには明後日にジャドへ出航する船に乗るしかチャンスは無いんだ。

 けど、指名手配を喰らったって事は確実に検問が張られてる」

「え……じゃあどうすんの?」

 アンジェラの顔が不安そうな色を浮かべ、ブレッドの顔も渋くなる。

「……俺と一緒に行動していると、そう知られていないならまだ手はある。世間知らずのお姫様一人に的を絞った検問なら、なんとか潜り抜けられる方法はあるハズだ」

 世間知らずのお姫様と言われたアンジェラは不満な表情を作るが、話の腰は折らないでブレッドの話の続きを促す。

「だが共犯者がいるとバレたら終わりだ。そこまで警戒された上で船に乗り込める程、この国は甘くない。

 だから女将に密告されて、アンジェラ王女に――」

「アンジェラでいいわよ」

 驚いた顔でアンジェラを見るブレッドだったが、当のアンジェラは何を今更といった様子で溜息を吐く。

「あのね、今までお前とか何とか言ってたくせに何を今更気を使ってるのよ。だいたい、いちいち王女王女言ってみなさいよ。私は賞金首なのよ?」

 賞金首の下りで辛そうに俯くアンジェラ。唯一の肉親に、そこまでして命を狙われた傷はそう簡単にはふさがらない。そんなアンジェラを見て口を開きかけたブレッドだったが、結局何の声もかけないで続きの話をする。

「……アンジェラに仲間がいると検問に伝わった時点で打つ手はもうない。女将が密告しない事を、俺らは祈るしかないんだよ」

 そしてしばらく無言になる二人。肝心な所が他人の欲任せというのは殊の外精神によくない。

 

 コンコンとドアが叩かれる音がする。ビクリと体を震わせるアンジェラと、思わず大鎌に手が伸びるブレッド。

「……誰だ」

「女将でございます。夕食をお持ちしました」

 視線を合わせるアンジェラとブレッド。そう言えば夕方に小休止した時に携帯食を食べた時以来、何も口に入れていない。自覚した途端にお腹がすいてきた。

「今、鍵を開ける」

 一応、注意しながら開錠して女将を中に向かい入れる。女将が持ってきたトレイには二人分の夕食が。

「あらあら、やっぱり警戒してますね。まあそれはそれとして。

 今日の夕食は焼きたてパンにラビ肉のシチュー、海藻のサラダとデザートには桃のタルトです」

 部屋の中に入ると、備え付けられている机にトレイを置く。

「食器はトレイに乗せて部屋の前に出して頂ければ結構ですから。ではごゆっくり」

 そうしてあっさり出て行く女将。

「……ちょっと警戒しすぎたかしら?」

「まあ、な。信じるしかないといっても、どうしても体は強張るし」

 気が抜けたように肩をすくめるブレッドに、アンジェラがクスリと笑う。

「早速食べましょう。私、お腹減っちゃった」

 そう言ってテーブルの前の椅子に座るアンジェラ。

「そうだな。ここで心配していても仕方がないしな」

 習ってブレッドも椅子に座る。そして向かい合い、食事を前にする。そしてブレッドが食べようとスプーンを手に取った瞬間、

「この世を見守るマナの女神様、命を口にする罪深い我等を許したまえ。そして罪深き我らに糧を与えて下さった事に、感謝を捧げます」

 朗々とした声が響いた。思わずブレッドの手が止まってしまい、そして目の前の女性を見る。目を閉じて手を組み、マナの女神に祈っている女性を。正直、ブレッドは今までこの女性を王女だと思っていなかった。確かに美貌は今まで出会ったどの女性よりも美しいと思えるものだったのは確かだったが、それよりも雪の中でとんでもない格好をしていた方が衝撃だった。それからの行程もワガママなふるまいが目立って王族らしい気品なんて微塵も感じられなかった。

 そんな事を考えていた前の自分をぶっとばしてやりたい。そうとまで思える程に、祈りを捧げるアンジェラは神々しかった。

「――ブレッド、あんた食前のお祈りはしないの?」

 ふと我に返った時には既にアンジェラはスプーンを手にして、先ほどまでの雰囲気は消え去っていた。ブレッドは軽く頭を振って頭の中の妙なイメージを振り払う。

「俺はバイゼルの、しかも庶民の出だからな。そんな習慣はないんだよ」

「ふ~ん」

 少し変な顔をするアンジェラ。箱入り娘であった彼女には食前にお祈りをしないというのは違和感でしかないのだろう。

「いちいちそんな反応するな。こんな事、旅に出れば茶飯事だからな。じゃあ食べよう。

 いただきます」

 簡単にそう言って、ブレッドもスプーンを掴む。ちなみにブレッドは「いただきます」といったのも結構久しぶりだったりする。

 そしてしばらくは黙々と食事をとる二人。熱々のパンをちぎり、シチューに浸して口に運ぶ。彩り鮮やかな海藻をフォークでさして、ドレッシングを絡めて咀嚼する。

 食べ物を順調に減らしていく二人。桃のタルトを残して食事をお腹に納めた二人は残ったそれに向かっていく。

「そうだ。明日の事なんだが」

 ブレッドはタルトをつつきながらタルトをつつくアンジェラに話しかける。

「明日? だって船が出るのは明後日でしょう?」

「ああ。だから明日のうちに仕事を済ませておかなきゃいけない訳だ。船だってタダじゃないんだから」

 そう言って行儀悪く傍らに置いた大きな荷物をフォークで指し示す。

「アルテナからここまでの荷物運びの仕事、最後までキッチリやらないと報酬が貰えないからな」

「荷物運び?」

「ああ、明後日の便で船も終わりだからな。ここの商人に土壇場での追加荷物を頼んだり、俺に直接依頼してジャドまで荷物を運んだり。大方の旅人がいなくなるからエルランドまでの荷物運びの依頼もあったな」

「ふーん。それで?」

 遠くを見ながら思い出すように数えていくブレッド。それをどうでも良さそうな声で続きを促すアンジェラ。

「だから明日、俺は一日中ここを留守にするって事だよ」

「ちょっと、私をここに置いていくつもり!」

 バンとテーブルを思いっきり叩きながら怒鳴り声をあげるアンジェラだったが、対してブレッドは醒めた視線で彼女を見返すだけ。

「仕方ないだろう。今の有り金だと二人分の船賃に足りないんだ。アンジェラを連れてエルランドを歩くなんて論外だしな」

「そ、そりゃそうだけど……」

 一部の隙もない完全な論理展開。返答につまるアンジェラ。

「まあ、気持ちは分からなくもないけどな。けどこれは仕方ないし、諦めろ」

 にべにもなく言い切るブレッドに、反論の一つも出来なくなってしまうアンジェラ。代わりについつい憎まれ口がこぼれてしまう。

「ふんっ、こっちの気も知らないで。だいたいブレッドは私が捕まったって関係ないからそんな気楽な事が言えるんだわ。

 そうでしょ? だいたい考えてみれば私と一緒に居る所を見つかった方がブレッドの都合が悪い訳だしね」

「バカヤロウ、お前が見つかったら連鎖的に俺も破滅だよ」

 紅茶を注ぎながらふてくされたアンジェラに呆れ果てた声をかけるブレッド。

「もしもアンジェラが見つかるって事はここの部屋まで突き止められるって事だ。だったら宿泊名簿からなにからを調べて俺までたどり着く事は簡単だ。

 賞金首を匿った旅人に温情なんかかけるもんか。俺も一緒に死刑台送り、良くて奴隷におとされる」

 決してありえなくはない未来予想図を淡々と他人事のように話すブレッド。

「……その、悪かったわね」

「気にするな。世間知らずの王女様だって事は分かってるから」

 その言いぐさにカチンと来るが、黙っておく。代わりにふと沸いた疑問を口にするアンジェラ。

「ねぇブレッド、あんたどうして私を助けてくれんの?」

「…………」

「行き倒れの人間を助けるって言うのはまだ分かるわよ。けど、私は賞金首じゃない。とっとと役人に突き出すのが普通じゃないの?

 それなのに賞金を取らないで、それどころか船賃やらなにやらまでかけて私を助けてくれる理由ってなに?」

 挑むような視線で問いかけてくるアンジェラ。それを感情のない目で見返すブレッド。

 張りつめた静かな時間が流れていく中、探るような視線交換は続く。

「――先行投資、だよ」

 唐突にブレッドは口を開いた。

「アンジェラ、お前は次のアルテナの女王候補だ。そりゃこんな事になったら跡を継ぐのは難しいかも知れないが、それでもアンジェラがアルテナ唯一の跡継ぎである事は違いないからな。リスクをとってでも恩を売っておく価値はあると思ったんだよ」

 再び静寂。だけどそれもすぐに破られる。

「もう寝るぞ。今日は一日中歩き通しだったし、いい加減疲れただろ。

 明日はこの部屋から出るなよ、いいな」

 突き放すようなブレッドの言葉にも、全く反応しないアンジェラ。ブレッドは無言のまま空になった食器をまとめると、廊下へさげる。

 結局その後は全く会話もなく、重苦しい雰囲気につつまれながらの就寝となった。

 

 翌朝アンジェラが目を覚ました時、窓から見える太陽の位置が昼前の時間だという事を教えてくれていた。かなり疲れていたのだと、アンジェラはそこでようやく自覚する。

 ベッドの上で寝転がりながらボーとしていると昨日のブレッドの言葉がフラッシュバックしてくる。一つの単語、価値。それは今のアンジェラには余りに辛い単語だった。アンジェラを物のように扱うその言葉は、彼女が追われる身となった時につけられた傷口を深く抉る。

 恐らく既にブレッドは仕事で部屋にはいないだろう。ポツリと口からブレッドに向けた独り事が漏れてくる。

「ふんだ、もう少し気を使いなさいよね。本当にデリカシーがないんだから」

「あ、お姉ちゃん。起きたの? お寝坊さんなんだね」

 考えるより早くアンジェラは近くに置いていたロッドを手にとって、ベッドから転げ落ちるように聞こえてきた声から距離をとる。そうしてからようやく誰もいないはずの部屋に誰かいるという状況に汗が吹き出てきた。

 追っ手、逃げられない、どうすれば。ぐるぐるとそんな言葉が頭を巡るアンジェラの目に飛び込んできたのは、椅子にちょこんと座っている小さな女の子。

「へ?」

「おはようございます、お姉ちゃん」

「え、あ、うん。おはよう?」

 礼儀正しく頭を下げる女の子に毒気が抜かれてしまうアンジェラ。改めて少女を見てみるが、少なくともこの少女が追っ手とかそんな感じには見えない。

「ねえ、あんた誰?」

「わたし? チチって言うの。お姉ちゃんの名前は?」

「アンジェラ。それでチチちゃんはどうしてここに?」

 不思議そうに聞くアンジェラに、にぱーと嬉しそうな笑みを溢れさせるチチ。

「えっとね、いつもみんな忙しいんだ。だからお姉ちゃん、遊んでよ!」

 子供らしく全く要領を得ない説明に目を白黒させる事しか出来ない。

 だけれども純真無垢な笑みを向けてくる小さな子供にそう気を張り続けている事も出来なくて、クスと小さく笑みをこぼしてしまう。

 どうせ今日一日はこの部屋から出れないのだ。ならこの小さな少女と遊ぶのもいいアイディアのようにも思える。

「いいわよチチちゃん、遊ぼうか。何して遊ぶ?」

「おままごとー!」

 にっぱりと笑って元気良く答えるチチ。しばらくの間アンジェラとチチは宿の一室でままごとにふけっていた。

 

 すーすーと穏やかな寝息がベッドから聞こえてくる。遊び疲れたチチがアンジェラのベッドで眠っている音だった。

「はぁ。子供の体力ってすごいわね」

 そんなチチに振り回されたアンジェラは椅子にもたれかかって汗を拭っている。

 そもそもとしてアンジェラもそれほど遊ぶのが得意と言う訳ではない。むしろ家庭の事情のせいで、彼女が子供らしい遊びを誰かとしたのはこれが初めてといってもいいかもしれない。

「ま、楽しかったわよ」

 天使の寝顔を見せるチチを見て、笑みがこぼれるアンジェラ。と、コンコンコンと部屋の扉が小さく三度ならされた。瞬間、表情をひきしめたアンジェラは手元にロッドを引き寄せて扉を睨みつける。

「女将ですよ、ミィさん。昼食をお持ちしました」

 その言葉にも警戒を解かないで、けれども扉ににじり寄ってそこを開ける。とたんにいいスープの匂いが漂ってきた。

 あっけらかんとお盆を持ったまま部屋の中に入ってくる女将。

「はいはい、お邪魔しますよ。……って、チチ。どこにいるかと思ったらこんなところに」

 ベッドの上のチチを見て目尻を下げる女将。だけどそれも一瞬、女将はすぐに業務用の笑みを作り直し、お盆をテーブルの上に置く。

 そうしてから女将はアンジェラへと向き直った。すぐに部屋から出ていくと思っていたアンジェラは少し面食らってしまう。

「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ」

 柔和な笑みと共に女将が言う。そこで初めてアンジェラは自分が杖を固く握りしめている事に気がついた。だがそれを指摘されても、力を緩める気にはなれなかったけれども。

 そんなアンジェラの様子を見てくすと笑う女将。

「……何か、用なの?」

「ほんの少しだけお話がしたくて」

「話? どんな?」

 睨みながら挑むアンジェラだが、笑顔でかわす女将。

「まずは娘と――チチと遊んで頂き、ありがとうございます」

「ああ、やっぱりチチちゃんはここの娘さんだったんだ」

 まあ、少し考えれば分かる事ではある。鍵がかかっているはずの宿に入ってくるなんて、その関係者でなければ難しいのだし、暗殺者にしては幼すぎるし何より隙だらけだったアンジェラに何一つ危害を与えないのはおかしい。

「暇な時間を見つけては遊んであげているつもりですが、やはり構えない時間というのがありまして。時々優しそうなお客様の部屋に入り込んで遊びをねだる事も少なくないのですよ」

「別に大丈夫よ。私も楽しんでたしね」

 神妙に礼を言う女将に対してざっくばらんに返事をするアンジェラ。そんなアンジェラに対してますます笑みを深める女将。

「話ってそれだけ?」

「いえ、もう一つ。どちらかというとこちらの方が本題です」

 女将は言いながら、巾着袋を取り出してお盆の隣に置く。置いた瞬間にジャラリと重い音がした。

 アンジェラは訝しげにそれを見て、次いで女将の顔を見る。女将は相変わらず笑っていた。

「これは?」

「お金です」

 そう言いつつ巾着袋の縛りを解く女将。そちらに視線を移してみれば、確かにそこにはかなりの量のお金が顔を見せていた。

「差し上げます」

「は?」

 アンジェラの顔がますます困惑に染まる。女将の意図が全くつかめない。

「どういう事?」

「これは昨日、ブレッドさんに頂いたチップ分のお金です。見ればアンジェラ様は着の身着のままでのご様子。それに以後旅をなさるのなら、お金はどれだけあっても足りる事はないですから」

 確かに女将の言うことは最もだ。ブレッドがお人好しとはいえ、彼も商人や旅人としての側面も持っている。善意だけで人を1人いつまでも養い続けてくれる保証はないし、アンジェラとしても自分で自由に使えるお金があるのは嬉しいところ。落ち着いたら逃げ出すときに身につけていた少しばかりの宝石類を売るしかないのかなと、漠然と考えていたところであったのは事実。

「そういった話じゃなくて! どうして私にこんな大金をくれるのよ!!」

 だがもちろんアンジェラが聞きたいのはそういうアンジェラの事情ではない。王族とはいえ他人に、しかもお訊ね者であるアンジェラにお金をくれる理由が分からないと、そう言っているのだ。

「…………」

 言葉をほんの少しだけためらった女将だが、すぐに意を決したように口を開く。

「貴女が、理の女王様の娘さまだからです」

「……はっ?」

 絶句するしかないアンジェラ。訳が分からない、全くもって訳が分からない。なにせアンジェラはその理の女王に賞金を懸けられているのである。理の女王に忠誠を誓うならばむしろアンジェラを兵士に突き出すべきである。それともこの女将は理の女王に何か恨みでもあるのだろうか? 疑問は尽きない。

 そんなアンジェラの混乱に終止符を打ったのは女将の言葉。

「理の女王様は冷たいように見えていましたが、本当は下々にまで気を配って下さる温かい方でした。誤解されやすい方だとは思いますが、この国の人々はみんな理の女王様の事を信じていたのです。

 ですがその理の女王様が自分の娘に賞金を懸ける。今でもまだ信じられません。ありえないと、そう思っているのです。

 もしも理の女王様のお気が触れた時、戒めて下さるのは実の娘であるアンジェラ様しかいらっしゃいません。ですからお願いです、アンジェラ様。どうかこの国を、理の女王様をよろしくお願い致します」

 そう言って深々と頭を下げる女将にアンジェラは思わず涙がこぼれそうになった。

 母が国民に愛されていた事、まだ信じて貰っている事が嬉しくて。そしてその信頼がありながら自分を殺そうとした母が悲しくて。ごちゃごちゃとした胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうになったのだ。

「……ありがと」

 昼食の隣におかれた巾着袋を手に取る。それのずっしりとした重みをかみしめる。その重みはありきたりな言葉で語るならお金の重みではなかった。理の女王という人物の人徳の重さだった。

 それをかみしめているアンジェラを見ながら女将は思う。

 彼女には最初からアンジェラを、理の女王の娘を売るつもりはなかった。

 だがしかし商人がどういう人種なのか、薄々分かっているつもりだ。基本的に自分の利益を最優先に考えて行動する。それが悪いことだとは思わないが、いざという時にブレッドがアンジェラを見捨てるという事は十分にあり得る。

 かといって彼女はしがない一市民である。そうほいほいと人一人養える程のお金を用意出来る訳もない。だからこそ悪役を買って出てまでお金を得た。いざという時に役に立つのは力とお金だ。

 それをアンジェラの面倒を見ているブレッドからたかる事に思うことがない訳ではないが、しかし他に方法もない。賞金首だと理解しつつも匿っているという事、それに値段をつけさせたのだが想像をはるかに超えるお金が返ってきた。アンジェラを売ればその出費が抑えられる上に賞金の一万ルクが手に入るというのに、だ。

 商人は自分に利益のない行動はしない。これは大原則であるはずである。

 ではいったいブレッドは何をもってアンジェラに一万ルク以上の価値を感じているのか。それが分からないのがどこか薄気味悪かった。

 

 夕方を過ぎ、夕食が始まろうとする時間にブレッドは宿屋に戻ってきた。

「遅かったじゃない」

「アルテナからの荷をさばいたり、明日の船に乗る準備とか色々あったんだよ」

 表情に疲労の色を漂わせたままブレッドは乱暴にアンジェラの向かいの椅子に座り、テーブルの上のお茶を二人分注ぎ、片方はアンジェラに差し出してもう片方は自分の口に運び軽く喉を湿らせた。

 そして今日一日何をしていたのかを話し出す。

「まず朗報だ。アンジェラは賞金首になっているが、余り積極的にアンジェラを捕まえようって人間は少ない。金に目の眩んだ荒くれ者か、情報が回ったアルテナ兵くらい。他のだいたいはアンジェラに同情的、もしくは理の王女に懐疑的だ」

「どういう事?」

「急に王女を殺そうっていうのが不思議でならないのさ、その点は確かにラッキーだったよ。理の女王が娘の死を望むはずがない、これは何かの間違いだ。みんながみんなそんな事ばかり口にする」

「……」

 ずっと城で過ごしてきたアンジェラには母である理の女王の人気が意外過ぎた。あの冷酷な母がここまで国民に慕われていたとは夢にも思っていなかったのだ。

 だが、母が自分の命を使ってマナストーンの解放を目指していたのは紛れもない事実である。この現実と評判の差はなんなのだろうか?

「それで俺の人脈と情報網を使って船に乗れる目処はついた。女一人が乗るならかなり厳密に審査されるだろうが、やっぱりアンジェラが旅の供を連れているとは考えられていないらしい。

 アンジェラはミィの偽名でエルランドで見つけた俺の弟子。それで船に乗るのは問題ない。アルテナから詳しい情報もきていないみたいだし、その派手な格好を隠せばいくらでもごまかせそうな状況だ」

 そういってブレッドは日中に仕入れただろう女物の旅衣装をアンジェラに差し出す。明日の朝にはそれに着替えておけという事だろう。

「後、少しだがお金を渡しておく。ある程度自由に使えるお金がないと不便だろ?」

 そして更にちょっとした値段が入った財布をアンジェラに差し出した。確かにある程度のお金はあるに越した事はないが、これは余りに至れり尽くせりではないだろうか?

 昨日聞いた限りでは恩を売るためだといっていたが、ここまで丁寧な対応をされてしまうと流石にそれも信じにくい。

 ブレッドが自分に対してどうしてここまでしてくれるのか。本当に、信じていいのか。確かめられずにはいられなかった。

「ねぇブレッド。どうしてあなたはあたしにここまでしてくれるの?」

「昨日も言っただろ? 先行投資だよ。いつかアンジェラが女王になった時の為にな」

「嘘、そんなの信じない。あたしがどれだけ迷惑をかけたか、自分でも分かってるつもり。なのに…ブレッドはとても優しいもの。

 本当は何か理由があるんでしょ? どうしてなの? あなたを信じさせてよ」

 真摯なアンジェラの言葉に一瞬だけ虚をつかれたブレッド。だがその余りにまっすぐな瞳と声にすぐに根負けする。

 元々本気で隠すつもりもなかった話だ。知りたいのなら話す事に嫌はない。

「俺は孤児なんだよ。親の顔どころか、自分の名前も親につけられたものじゃない。バイゼルにゴミのように捨てられていた…。だから、親が子供を殺そうとするなんて許せない。

 ただそれだけだよ」

 どうしてブレッドはアンジェラに肩入れするのか。それは本当に一言で済んでしまうような、そんな理由だった。

「親子なんだから仲良くしてないのはダメだ。仲違いする事はあるかもしれないけど、死んでしまったらそれも出来ない。

 ……だから。俺はアンジェラが理の女王と仲直りするまで守る。これで信用できないか?」

 アンジェラという人物でなくて、ただただ親子が憎みあっている現状が我慢できない。それがブレッドの答えだった。

 そしてそれに対するアンジェラの返事も言うまでもない事だった。

 夜が更け、日が昇る。

 朝一でエルランドに出発する最後の定期便。その船上にブレッドとアンジェラの姿があった。

 無事に船に乗れた二人が目指す先は城塞都市ジャド。光の司祭がいる聖都ウェンデルに最も近い港町に向かって船はいく。

 

 

 

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