次回からは新規分になるので、時間がかかる事をご了解ください。
エルランドでの湿った気候と雰囲気とは逆に船上は快適そのもの。南へ進む船は温暖な気候を取り戻し、風をきって進む船は乗員を開放的な気分にさせてくれる。
「一息つけたわね」
「いや、本当だよ」
ブレッドとアンジェラは甲板から北の方角を見つつ、段々と見えなくなっていくエルランドを思い出していた。
出港の朝。旅支度を終わらせて宿から港に向かう途中でトラブルが発覚した。より正確に言うならトラブルを察知してくれたブレッドの商売仲間が、少ない情報を元に必死になってブレッドたちを探してくれたのだ。
その彼が言うにはエルランドから出港する船にアンジェラ王女が紛れていないかどうか、理の女王からの勅令が下ったとの事。いきなり頭角を現した女王の側近である紅蓮の魔導士が直々に最後の船に乗り込む全ての人間の顔を確認するというのだ。
これには二人とも焦った。最後の船に乗らなければこの国に閉じ込められていつかは炙り出されてしまうというのに、その船に素知らぬ顔をして乗り込む作戦は台無しになってしまった。一応、万が一を考えて男装する準備まではしていたのだが、アンジェラの顔を知っている紅蓮の魔導士を欺けるとは到底思えない。
ちょっとでも怪しいと思われて軽いボディチェックを受けるだけでも、マントの下に隠した女性らしい肢体でバレてしまう。
打つ手がないかと思った瞬間、ブレッドの商売仲間がこんな提案をしてきた。
「金さえ積めば客員を乗せ終わった後、最終調整の荷物に紛れて乗せる事は出来るぞ?」
「それって人間扱いされてないじゃない! イヤよ、そんなの!!」
「言ってる場合か、ミィ。というか、いくらだ? そもそもそんなに金がかかるなら無理だが」
ワガママを言うアンジェラの事を一応、誰が聞き耳を立てているかも分からないから偽名で呼ぶ。密航の密談なら商人は余り気にしないが、アンジェラという一万ルクには反応する商人は少なくない。それが商人という金を扱うものの業である。
そもそも目の前の密航の話を持ってきた男も善意でこの話をしている訳ではもちろんない。というよりか、むしろ100%の打算で話しかけてきている。
ブレッドとある程度の面識がある彼は、魔物の住処となった零下の雪原を一人で渡れるブレッドの強さをよく知っている。その強さはもはや商人ではなく傭兵と言われても納得する程だ。アンジェラの賞金首を狙っても返り討ちに遭うのが関の山であるのが分かりきっている。かといって多くの人間を雇っても旨味が少ない上に成功する保証もなく、失敗した時が怖い。
ならば一か八かであるアンジェラの一万ルクはきっぱりと諦めて、知り合いであるブレッドに協力しつつ、絞れるだけ絞るのがいい。ブレッドはその強さ、薬草の知識、そして商業都市バイゼルのコネと利用する価値は山程ある。むしろたかが一万ルクよりも価値があるかも知れない。もちろんバレた瞬間、彼は今までの情報を全て理の女王に売って自らの保身を図るだろうが、むしろそれくらいの打算がないと商人なんてやってられないし、その位はブレッドも承知の上である。
「そうだな。手数料とか俺の取り分とか込みで三千ルクで手配してやるぜ。それと――」
「ねーな、そんな金」
「…は?」
危ない橋を渡る分の貸しをつけようした男だが、意外な言葉に一瞬志向が停止した。まさかブレッドがたかが三千ルクも持ってないとは思ってもいなかった。
その理由はすぐに彼から明かされるが。
「ここまで来るのに大分散財したからな」
チラリとアンジェラを見るブレッドに納得する男。ここに来るまで裏金を渡して逃れて来たのだろう。
だからこそアンジェラを密航するのでなく、堂々と乗船させるくらいしか手段しかなかったのだ。
どうするか。どうしようもないのか? もう…どうしようもないのか?
金はない。策もない。打つ手が、ない。
「ねえ、おにーさん。これなら三千ルクの価値はない?」
唐突に宝石を差し出したのはアンジェラ。その指にはめていたリングにあしらわれた宝石を見せながら聞く。
どうするかを悩んでいたブレッドとアンジェラを売る事を考えていた商人は、自分の思考に浸っていたからこそアンジェラの言葉に虚をつかれた。
そしてその指輪を見た時、二人は同時に悟る。アンジェラの指輪は三千ルクでは済まない、その倍…三倍の価値はあるだろう事に。アンジェラの首とほぼ同じ値段だ。しかしそれもある意味当然、王女であるアンジェラの身に付ける装飾品の価値が低い訳がない。
こう考えるとアルテナもなかなかガメツイ。何せアンジェラの賞金は一万ルクとはいえども、彼女さえ捕えてしまえばその身につけている装飾品だけでその数倍のリターンがあるのだから。
「いや、それなら…」
十分だ。そう言いかけて商人はアンジェラの側にブレッドがいる事を思い出した。ブレッドならば確実にこの宝石の価値が理解できている。そんな男を前にしてボるなんて信用を落とす事になりかねない。ブレッドは商業都市バイゼルに太いパイプを持つ人物だ。それを敵に回すのはどこをどう考えても旨味がない。
「…お釣りがくるな。七千五百ルクで買い取ってやっていい」
「少し安くないか?」
「現金払いじゃないと手間賃もかかるだろ? 今、この場で金を持っているのも密航の手段を持っているのも俺だけだ。多少は足元を見させて貰うぜ?」
その言い分を聞いたブレッドは面白くなさそうに眉をしかめる。有利な条件にいるならとことん足元を見る。それも確かに商売の鉄則だ。やりすぎでないのならブレッドも強くいう事は出来ない。それはブレッドの信頼を落とす事に繋がってしまうからだ。
それに確かにこれからの短時間で密航の手配をする事にはブレッドの手には余る。かかっているのは命だ。ここは金に拘る必要はない。いやむしろ、ここは金で押し通すべき場面だ。
「分かった。ミィ、宝石をくれてやれ。釣りもいらん。ただし…確実に密航させろよ。俺は正規の手段で乗船する。もしも船にミィが乗ってなかったら分かってるな?」
言いたいことだけを言ってこの場から離れて船乗り場へと向かうブレッド。
残された二人は呆然としながら無理矢理商談をまとめてしまったブレッドを見送る。アンジェラは相手が提示した三千ルクの倍以上の宝石を気前よく商人に渡すように指示してしまったブレッドの理由が理解出来なくて。
そして商人は一万ルクの宝石よりも価値のある商業都市バイゼルの一員、ブレッドに貸しを作る機会を一方的に切られてしまった事について。本来なら三千ルクの上に、命懸けの仕事であると言って貸し一つを作るところまでいきたかった。が、それを見抜いたのかブレッドはたかだか数千ルクの上乗せで貸しを作る機会を断ち切った。もちろん去るブレッドを呼び止めればまだ交渉は出来るかも知れないが、その場合は注目度が上がりアンジェラを密航させるのに支障が出るかもしれない。
商人にはブレッドがアンジェラに肩入れする理由が分からない。分からない以上、ブレッドがアンジェラを見限る可能性というのは視野に入れなくてはならない。そしてその場合は密航の取引どころかブレッドの心象を酷く悪くするという最悪のケースもまたありえる。
先程、主導権は自分にあると言い切った商人だが、実はそれは正しくない。商人の世界は金とコネと信用の世界であるからこそ、商業都市バイゼルに強い影響力を持つブレッドを無視出来ないのだ。
一番欲しかったものを手に入れられなかった商人だが、その心境はそこまで悪いものではない。相手はブレッド、一流の商人である彼だからこそ一筋縄ではいかない事は分かっていた。ローリスクハイリターンの商談が潰れた訳ではないのだから。
少なくともアンジェラの持つ宝石を入手出来れば現金だけで五千ルクの利益は出る。その上で貸し一つの言質は取れなかったが、ブレッドの頼みをそれなりに聞いたのだ。今後、多少の融通をきかせてくれる事くらいはしてくれるだろう。商人は信頼も大事なのだからここまで骨を折ったのに数千ルクでハイお終いとなる訳がない。
「それじゃあミィちゃん、船に乗ろうか。心配するな、仕事はキッチリするさ」
「ふん。積荷として、ね。しかもボッタくりの値段で。全く、ブレッドも何を考えているのかしら!」
自分とその所有物を軽く扱われた。そう感じているアンジェラの機嫌はすこぶる悪い。
だが自分では何も出来なかった事も薄々理解しているのか、彼女にとって理不尽な結果にも強く文句を言うことなく宝石を商人に押し付ける。
ワガママな王女サマに苦笑いを浮かべそうになるが、そこは流石に一端の商人。下手な表情は表に出さない。
確実に密航させる為、出来るだけ静かにアンジェラを連れて倉庫街へと足を進めるだけだった。
無事に密航を終えて船の倉庫から這い出たアンジェラはブレッドを探して船を歩き回り、やがて離れていくエルランドを疲れ切った表情で眺めていたブレッドを見つけた。
どうやら二人分の乗船券なのに一人しかいないブレッドにアルテナ兵は警戒心を抱いたらしい。
ブレッドはそれを口八丁でまいた。
高価な宝石をくれる代わりに船の手配と出港するまでの面倒をみてくれないかと持ち掛けた怪しい女がいた事。そして港で不自然な警備の強化があった事を話すと顔色を悪くした事。その翌日に金目の物を持ち逃げされ、そこでようやく追剥ぎだったと気が付いた事。次の商談があるから追剥ぎを探すことを泣く泣く諦めた事。せめて同乗者を探して少しでも損害を補填しようとして、それが上手くいかなかった事。
それを聞いたアルテナ兵はその追剥ぎがどこに行ったのかを強く問いただしてきたので、情報料をせしめた上で嘘八百を並び立ててこの船から注意をそらした事。
ブレッドの苦労話と武勇伝の中間くらいの話を聞き終わり、次はアンジェラが口を開く番。
「で。説明してくれるんでしょうね?
私の宝石を格安で譲った訳を」
不機嫌そうに言うアンジェラにブレッドはあの短い話し合いでどんな駆け引きがあったのかを出来るだけ丁寧に説明した。
説明を聞いてある程度理解を示してくれたアンジェラだが、商人の貸し借りについては結局余り納得出来なかったみたいで、やはり機嫌が完全に治った訳ではない。
だが命には代えられないと半ば無理矢理納得したらしい。
そして見えなくなっていく大陸を見つめつつ、時間を過ごす。
「見えなくなっちゃった」
水平線の向こう側へ消えた大陸を見つつ、アンジェラは寂しそうに不安そうに呟く。
彼女としては望んだ出奔ではなかった。賞金首として実の母に追われた、悲しい船出だ。そしてまた初めてアルテナの外に出たのである。後ろ立てもなく、慣れ親しんだ国を後にするには不安しかなかった。
「見えなくなったな」
対して安堵の息を吐くのはブレッド。
彼としてはアルテナはアンジェラの、そして自分の敵地でしかない。そこから如何にして離れるかが問題であり、それは綱渡りの連続だった。無事に渡り切れたとなれば安心の一つもするというもの。
正反対の心境でいた二人だが、やがて大陸から冷えた風が吹いてきてブルリと体を震わせる。
「船室へ行こう。このままここに居たら風邪をひいちまう」
「……そうね」
アンジェラを連れ従えて船のドアを開け、中に入る。
この船は食堂などの共有スペースと、個々の小さな寝床付きの小部屋に分かれており、まず向かったのは食堂だった。
アンジェラはもちろんだが、ブレッドもアルテナ兵の尋問で昼を食べ損ねており、夕食にはまだ早い時間ながらも腹はペコペコだった。
幸い夕食の時間が始まったばかりのようで、食堂は開いていた。適当な席について夕食を待つ。ちなみに船上であるからして食材は限られ、レストランのように個別メニューは用意されていない。一つの食堂で出されるメニューは一種類であり、上客とそれ以外で区別されている。彼らは当然それ以外の方だ。
出されたのは魚のすり身の団子が入った野菜スープに、固い黒パン。パンはスープに付けてふやかして食べる。
運ばれて来た食事を取ろうとした二人に声がかかる。
「一曲如何かな?」
ふと見ればそこには楽器を持った吟遊詩人。船や酒場で歌い踊って稼ぐのが生業で、ブレッドの故郷のバイゼルでもそういった娯楽は盛んだった。
隣を見る。国を出たばかりで緊張しきりの王女様。景気づけにもいいかと、ブレッドは懐を漁って銅貨を一枚取り出す。
「旅立ちの、希望の歌を」
「承知したよ」
銅貨を受け取った吟遊詩人はジャランと確かめるように楽器を鳴らし、コホンと軽く咳をする。
「Meridian Child」
町の灯が 消えていく
世界の希望が 消えるように
夢を持て 恐れるな
世界は君の事を見捨ててない
月が煌めく 未来への道
独りきりの君が 迷わぬように
星が輝く 夜道を照らす
君が独りきりで 泣かぬように
淋しい時には 夜空を見上げよう
辛い時には 星を数えよう
世界で息吹く 命の鼓動 独りきりで震えないで
足を止めるな 歩いて行け
頼るべき仲間 必ず待つ
何度くじけても 諦めるな
望むべき未来が あるのなら
食事を取る二人を乗せて、吟遊詩人が奏でる曲に合わせながら、船はゆっくりと城塞都市ジャドへと向かっていた。
当時は神曲に詩をつける事がブームだったみたいで。
……今でも楽しい辺り、私もまだまだ現役の厨二病患者だなぁ。