生まれ持った体が一番いい。
ベッドから体を起こして、性別が男性へと変化していたとき私は実感した。
誰か、性別が変わったことのある人とこの気持ちを共感したい。
いるわけないでしょ、ばあああああああああか。
二度目はないでしょ、二度目は。本当、駄目だって。
顔を手で覆っても現実は変わらない。
また枕の上に紙があった。紙にぽつぽつ涙が落ちた。
『女性に戻るためには』
1、特定の誰かを満足させなければいけません。
2、特定の誰か以外の人間には、貴方は生まれてからずっと男性であったと認識が改変されています。
涙をぬぐって文字を読む。
まぁ、前回もあっという間だったし、私天才だからすぐ戻れるでしょ。
そうして一日、二日経ち、時は流れ。
特定の誰かが分からないんですけどぉ!?
身近な人間じゃないって可能性もあるの?
もし相手が知らないブラジル人だったら私詰みなんだけど。
男性の体に慣れてしまいそうで怖くなってきた。
私は女、私は女。私は女……。
うん?メールだ。
差出人は紲星あかり。内容は『明日買い物に行きませんか』。
あかりちゃんは二つ下の後輩で、ひょんなことで出会ってから私の事を慕ってくれている可愛い後輩。
だけど、誘われても行けないかな。
この間探りを入れてみたけれど、私のことは男性と認識しているようだった。
私は一刻も早く元の体に戻りたい身だ。
あかりちゃんと買い物に行ってる段ではない。
残念だけどお断りのメールを送ろう、ん、またメールが届いた。
『すいません、ご迷惑だったでしょうか……』
行きます!無理!この子悲しませるとか神が許しても私が許さない!
やばい、遅刻する。頑張れ私の足と肺。
約束の時間、14時まで、後3分しかない。
場所は、目立つ大きなディスプレイの前、あ、見つけた。
向こうも見つけてくれたようで、ぴょんぴょん跳ねながら手をぶんぶん振っている。
しぐさに心がほっこりした。
でも、珍しい。
あかりちゃんは、体の線が出ないゆったりとした服、スカート丈も膝下まであるロングスカートばかり着ていた。
でも今日はジャケットを羽織っているとはいえ体の線が出ているシャツだし、スカートも膝上だ。ストッキングは履いてるけれど。
マキさんの影響でお洒落に目覚めたかな?
いや、まさか気になる男の人が出来たとか?
あかりちゃんがお嫁さん……想像したくない。泣くから。
「こんにちは、ゆかり先輩、どうしました?」
「お嫁さんに行っても、あかりちゃんは私の後輩ですからね……」
「本当にどうしたんですか?」
「いえ、いつか来る現実に打ちひしがれてました」
「変な先輩ですね。先輩はいつも変ですけれど」
クスクスと小さく笑われた。
馬鹿にされるのは好きではないけれど、あかりちゃんになら別にいいかな。
「いいんですよ。それで、今日は何を買うんです?」
「はい!服屋さん周りたいです!」
服を買うお金があればゲームを買いたい私にとっては不得意分野だ。
けどあかりちゃんもそれを知っているから私にアドバイスを求めてはこないだろう。
私の役割は荷物持ちかな。
「駄目です!」
「ちゃんと買えますから!」
「元のところに返してきなさい!」
「せめてどっちか選んでください!」
「どっちも駄目です!」
女性向けの服屋さんにて、あかりちゃんは二着服を持ってきて、どちらがいいと思うか聞いてきた。
片方は白いワンピース、片方はネイビーのボリュームスカート。
ワンピースは上半身の線が出るから駄目。あかりちゃんの体系だと目を引くから。
スカートはポップに「クリスマスに向けてお洒落しよう」と書かれていたのが気に食わない。
クリスマスの浮ついた雰囲気でお洒落なあかりちゃんが変な男の目についたらどうするつもりなのか、ポップを書いた人に説教したい。
「もー。じゃあ、ゆかり先輩が選んでくださいよ」
「えー。私、ファッション詳しくないですし」
「駄目って言うくらいならそのくらいしてください」
頬を膨らませてぷんすこ怒るあかりちゃん。
その姿は別に怖くないしむしろ愛らしいけど、不機嫌にしたい相手ではない。
選ぶしかないか。
まず、露出が高い服は却下。先輩は許しません。
マキさんが着るような服も駄目。
そうなると
「どういった服をお探しでしょうか?」
服屋の店員さんが現れた。思わず一歩引いた。
服屋さんはこれがあるから嫌だ。引きこもりの私には強敵だ。
でも助かった。店員さんなら間違いなく私よりいい服を選んでくれる。
「あ、えーと。あの子の服を探しているんですけれど」
「贈り物ですか」
違うけど否定するのも面倒。
「えー、はい、そうです」
「かしこまりました、それで」
「すいません、今先輩に選んでいただいてるので」
「そうでしたか、失礼いたしました」
びっくりした。あかりちゃんが突然入って来た。
固まった私に比べ、一礼して去っていった店員さんは訓練されてると思う。
「せんぱーい?先輩が、服を選んでくださいね?」
「え、でも店員さんの方が詳しいで」
「せ・ん・ぱ・いが選んでくださいね?」
「……はい」
「先輩は優しいですね。まさかプレゼントしてくれるなんて」
「え?い、いえ、それはさっ」
「有難うございます」
「……はい」
あかりちゃんがにこっと笑うだけで言うことを聞いてしまう私は何かもう駄目なんだと思う。
自覚してるのに治せる気がしないのが重ねて駄目だ。
可愛い後輩だから仕方ない、そう自分に言い聞かせておく。それでいいのかは分からないけれど。
しばらく悩んだけれど結局、今あかりちゃんが着ているのと似た黒のジャケットにした。それが一番似合うと思ったから。
新品ゲームが3本分の値段に血を吐きそうだったけれど、あかりちゃんがぴょんぴょん跳ねて喜んでくれたからいいかな。
でも嬉しいからって抱き着いて来るのは駄目。
今私男だから。
「ありがとうございます!ゆかり先輩は自分の選ばないんですか?」
「そうですね、たまには……」
毒を食らわば皿まで。出費的な意味で。
スカートを手に取って、いや、駄目だって。
今私男だからスカート無理。
「ここ、女性向けの服屋さんですからね?」
「え?ゆかり先輩なら似合いますよ?」
「この子は、まったく」
「きゃー♪」
あかりちゃんの頭を軽く拳でぐりぐり。
楽しそうに笑ってる。こうかはないようだ。
スカートは別に好んで穿いてなかったけれど、穿けないとなると無性に穿きたくなるのは何故だろう?
そのお店を出て数軒回って、夕方になったあたりでお別れになった。
何度も何度も私に服を選ばせようとするあかりちゃんに私は困りっぱなしだった。
初恋、ではなかったんだと思います。
初恋って、その人を考えたら胸が暖かくなったり、目の前が輝き出したり、そういうものでしょう?
でも私は違いました。そんな奇麗じゃなかったんです。
ゆかり先輩と会ったその夜から、ゆかり先輩には私だけを見て欲しいと思ってしまったんです。
全然会えないと焦がれて、同じクラスの人たちに嫉妬して。
後輩だからと面倒を見てくれて嬉しいのに、友達より遠い関係に苛立って。
胸の中がぐちゃぐちゃして、目の前が暗くなって。
それが私です。おかしいのは自覚しています。
そもそもゆかり先輩は女の人です。
女の人相手に持つ感情では、きっとなかったんだと思います。
でも、ゆかり先輩、今、男の人なんですよね?
私、ゆかり先輩が私に聞く前にそのこと知ってしまったんですよ。
何で男性になってるのかは知りません、けど、けどですね。
初恋じゃないこれを何て呼ぶのか私は知りませんけど
性別が違うなら、大丈夫ですよね?
……ゆかり先輩の好みの服を知りたかったのに、いつも着ている服を選ばれたのは残念だったな。
嬉しかったけど。お家の中なのに着てるけど。あ、そうだ。
スマートフォンが震えた。あかりちゃんから連絡だ。
食事のお誘い。ジャケット買ってもらったお礼をしたいから今度は私が奢っちゃいますよ、らしい。
断固拒否、今回に限っては断固拒否。
私は一秒でも元の体に戻りたい。
外でお手洗いにいけない生活はもう嫌だ。
『私が元女性だと分かる人』を早く見つけなければいけない。
ん、またかりちゃんからメール。
一応、一応見ましょうか。
ま、どんなメールが来ても私は行きませんけどね。
ゆかり先輩のお誘いに成功しました。
うかうかしてはいられないのです。
女性同士だったころからいつも一緒な人がゆかり先輩のクラスにいるので、男性になっている今どんな状況なのか、想像するに怖いのです。
さあ、頑張ってデートプランを考えねば。
目標は、ゆかり先輩が恋愛に興味を持つこと。私に興味を持ってもらうこと。
ゆかり先輩が私に告白してくれたら一番。
夜に綺麗なイルミネーションの下で
『あかりちゃん、いえ、あかり。私は貴方が好きです』
『こんな私でよければ、貴方とずっと一緒にいさせてください』
頭の中で収まりきれない、手が動いてしまう。枕にぶつける。ぼふぼふ。
どきどきする。心臓が頑張ってる。
理想に向かって靴選び、服選び、そしてお店選び。
食事屋さんは、ゆかり先輩の好きな食べ物がプリンだから洋食屋さんに決定。
前々からゆかり先輩と行きたいと思っていた場所があるんです。
個室があるし、お店の中もお洒落で、そのお店のハート型のパイを食べさせあったらいつまでも一緒、そんな素敵なジンクスのある場所。
一緒に食べさせ合う、なんて想像するだけで嬉しい、けど恥ずかしい。頭熱くなる。ことことする
頭をぶんぶんふって冷却。まだ考えることはあるから。
えーと、そう、待ち合わせ日時。
恋人を意識して欲しいから、夕方がいい。
待ち合わせ場所は恋人さん達が待ち合わせによく使う場所、うん、駅前がいいな。
駅前はイルミネーションが奇麗で待ち合わせに人気だし、~が~に告白された、なんて話もよく聞くし。
後は話すこととか考えておかないと。退屈させてしまっては駄目だから。
今日は眠れそうにない。
もう日も暮れてきて、駅前のイルミネーションが奇麗に光っていて。
肌寒くなってきたのも、季節の味わいというものだろう。
けれど私にそれを楽しむ余裕はない。
遅刻する、あかりちゃんが怒る。もう怖くて時間見れない。
駅前は行きやすい場所なんだけれど、いかんせん人が多くて探しづらい。
目につくのはいちゃつくカップル達、爆発してくれ。
あかりちゃんの目に毒だろうから、早く見つけて脱出させないと。
メールしてみようかな、もうあかりちゃんはいるだろうし。
いや、いた。先に見つけたのは向こうのようだ。
手を振ってぴょんぴょん跳ねる姿はいつ見ても可愛らしい。
私がプレゼントしたジャケットを早速着てくれていて嬉しくなった。
「すいません、お待たせしました」
「はい、待ってました」
「じゃあ、行きましょうか」
「……恋人さんたちが多いですね」
あかりちゃんはほんのり顔が赤い。原因は寒さのせいだけじゃないだろう。
やっぱり刺激が強すぎたようだ。
「そうですね。じろじろ見てはいけませんよ?」
「……何かその、恋人さんたちを見て思うこと、とかないです?」
「え?原因不明の爆発しないかなって」
あかりちゃんが小刻みに震え出した。何かを言いたげに口を開け閉めしている。どうしたんだろう?
「もー!」
反射的に体が後ろに動いた。
あかりちゃんが私のいた位置にいる。
あかりちゃんが飛びついてきたのだと遅れて理解した。
「どうしたんです!?」
「もー!!」
続いて飛びついてきた、突然何なのか分からないですけれど、今は私男なのでそういうのは駄目なんです!
私は運動が苦手だけど、あかりちゃんはそれ以上に苦手だし、躱すくらい余裕ですね。
……何かデジャブ、前にもこんなことあった気がする。
そう、確かマキさっ
左足を後ろに運ぶ途中で右足に引っかかって、私の体を支える物が無くなって、私の体が宙に浮いて
空が見えて、あ、駄目。
あかりちゃんまで。
「あかりちゃん、その、歩きづらいので、横に来てもらえないですか」
私の背にあかりちゃんの額がぐりぐり押し付けられた。
来てくれないらしい。
あかりちゃんは私の背に額を押し付け、私の裾を両手で握りながら歩いている。
振りむこうとしてもそのまま周って背中から動いてくれない
さっき倒れた私の上に倒れてきて、あかりちゃんが見たことのない素早さで起き上がって、手を貸してくれて、私も起き上がって。
そこからずっとこの調子。
私も心臓ばっくばくだけれど、それどころじゃない。
自分より慌てている人を見つけたら逆に落ち着く法則、っていうのは本当らしい。
「さっき、頭打ってたりしないですか?病院と、大丈夫ですね、はい」
ぐりぐりが強くなった。大丈夫らしい。
時間が経ったら落ち着いてくれるかな……?
……周りからの視線を感じて仕方ない。
あかりちゃんを知ってる人に見られてなければいいんだけど。
ゆかり先輩の顔が見れません。
今すぐ逃げ出したいです。絶対に逃げれませんけれど。
ゆかり先輩の声が全然聞こえません。心臓の音ばかり聞こえます。
私歩いてるのでしょうか?浮いている気がします。
ゆかり先輩は、分厚い服越しでも暖かくて、落ち着く香りがして、ほっと安心して、ずっと続けて欲しかったけど。
今でも危ないのに、後2秒あのままだったら私の心臓は限界を迎えていたでしょう。
奇跡の生還を果たしました。
私の体にまだ感触が残っています。
あんなに近づいたのは初めて。
駄目、思い出しては駄目、頭熱くなってくらくらしてきた。
誰かどうにかしてください。
私がどうにかなる前に。
時間が経てば落ち着いてくれると思った私は愚か者だった。
そして、お店について、予約していた個室に入ろうとしているのに私の後ろから離れようとしないあかりちゃんを、どうにか離そうと思った私はもっと愚か者だった。
あかりちゃんの手を握って、服の裾から離してもらうことには成功。
そのままくるんと振り返ると、顔から蒸気が昇りそうなほど真っ赤な後輩。
目には涙さえ浮かべていた。後少し何らかの刺激が加われば泣いてしまう顔だった。
つまり私が見たことによって涙がこぼれた。
見てはいけない顔を見てしまった、と思ったのもつかのま、あかりちゃんは限界を超えたらしくべしべしと私を叩いてくる。
「ごめん、ごめんなさい、許してください」
必死に謝るしかなかった。
4人掛けの木目が奇麗なテーブル。
片方の二つは白の椅子、もう片方は黒の椅子。
斜めから照らされる灯とちょこんと置かれた造花。
体験したことないし、私には似合わないと断言できるお洒落な雰囲気、普段なら回れ右して逃げ出すお部屋。
だけど今は立ち向かうときだ。
頬を膨らませたあかりちゃんの機嫌をどうにか取り戻さなければいけないから。
でも、天才の私ですから。
そんなこと簡単簡単。余裕の朝飯前だ。
無理だった。
「奇麗なお部屋ですね」
「……そうですね」
「デザート何食べるんですか?」
「……このアップルパイを」
「いいですね、こっちのプティングも美味しそうですね」
「……そうですか」
「運ばれてきましたか。早かったですね」
「……そうですね」
「あ、あかりちゃん、その、顔を見たのは謝りますから」
足をぶつけられた。蹴られたと表現出来ない程軽かったけど、不機嫌のままってことは伝わった。
どうしよう。マキさんならこんなときも上手なんだろうけど。
痛い、今度は蹴られた。何で?
状況を変えようとなんとか色々話すけれど、変わらない。
けど、デザートを食べているときに変わった、変えられた。
「そ、その、あかり様、こればかりは、こればかりは許していただけないでしょうか」
私はあかりちゃんが目の前に差し出してきたパイを口に入れられない。
恥ずかしい、こういうのはパーティーピーポォしかやってはいけないと法律で決まっている。
日陰で暮らす私にそんな行いは出来ない。
こういうのはマキさんにして欲しい、私には無理、痛い。何でまた蹴られたの。
「むー」
「駄目です」
手で×を作る。
頬を膨らませて唸れば私が言うことを聞くと思ったら大間違いだ。
……赤面が加わって心揺れ動かされているけれど。
「じゃあ、私にしてくださいよ」
口を開けるあかりちゃん、どうしてそうなった。
目をつむってるから、前見えてないよね
放っておいたらどうなるんだろう?睨まれた。
うーん、私がされるよりかはマシ、か。
一切れ口に運ぶと、不機嫌そうな顔が少しほころんだ。
あかりちゃんは食べ物には勝てないらしい。
「美味しいですか?」
「……美味しいです、あ、ゆかり先輩、足元に何か落ちましたよ?」
「はい?」
何だろ、とテーブルの下を覗いても何も無い。
顔を上げるとアップルパイ、目の前、甘い。
奥にはあかりちゃんの腕。食べさせられてしまった。
「美味しいですか?」
「……恥ずかしいですね」
味なんて分からない。
後輩にあーんされる先輩がどこにいるというのだ。
でも、あかりちゃんが何かを成し遂げた顔をしている。
機嫌が治ってくれたなら、恥ずかしい思いをした甲斐があったかな……。
「ゆかり先輩はどうでした?私はいいお店だと思いましたけれど」
「いいお店でしたね」
「ですよね!また一緒に来ましょうね!」
お店の外に出た途端にあかりちゃんは手を広げてくるくる回りだした。
元気が戻ってくれてよかった。
良かったけど、この元気に水を差しそうで嫌だけれど、言うべき、かな。
「でも、夜や個室は止めましょうね」
「え?何でです?」
「そもそも初めから止めるべきだったのでしょうけれど、ほら、あかりちゃんは女の子ですから、夜に、その……男性と二人きりになってしまっては駄目ですよ」
あかりちゃんの回転が止まった。
自分のことを男性と表現したくないけれど仕方ない。
あかりちゃんに何かあったら可哀そうだから。
「えー。いいじゃないですか」
「駄目です。ご両親やお友達の目っていうのもありますから。夜な夜な遊んでいると思われてしまいますよ」
「ゆかり先輩とだから大丈夫ですよ」
「私でも駄目です、男性なんですから」
「もー。今日のゆかり先輩はガンコですね」
「当たり前です。私は先輩なんですから」
普段甘くても、譲っちゃいけないものもある。
納得行かないようであかりちゃんは頬を膨らませている。
私に懐いてくれるのは有難いんだけれど、それとこれとは別。
ちゃんと聞いてもらわない、と。
あかりちゃんの表情が変わった、突然だ。
眉根を寄せた、真っ直ぐな眼差しが私を貫く。
私の全てを見透さんとするような真剣な表情に、身動きが取れなくなった。
苛立ちを覚えた。ぐつぐつ煮えてゆく。
そうですか、ゆかり先輩と触れ合ってどきどきしていたのは私だけ。
カップルを意識してもらった、つもりだったけれど、駄目でしたか。
私の独りよがりですか。
後輩だから面倒を見なければ、ゆかり先輩の根本はそれですよね。
だからこそ今日も来てくれたんでしょうけれど、でも、だから。
決心した途端、手が、足が震える。
手を握りしめ耐えようとすると、汗を感じた。
言わないほうが、後輩である方が、絶対に楽ですよね。
だけど私は今のままじゃいられない。
だから、言うべきなんだ。
「ゆかり先輩、私、後輩をやめてもいいですか」
「……はい?」
呼吸が苦しい。
心臓が頭にあるみたい、どくんどくん響いてる。
頑張れ、私。
今言えないと一生言えない。
「ゆかり先輩、いえ、ゆかりさん。私をゆかりさんの恋人にしてください」
返事は聞きたくない。
「ゆかりさんが女性であったことは知っています。黙っていてすいませんでした」
息が出来ない。
怖い、ゆかり先輩の顔がみられない。
「ずっと私だけを見てほしいです。返事は今すぐじゃなくていいです。お返事待ってます」
耐えられない。逃げた。
後悔はしていません。
言わないとずっと後輩のままですから。
でも、でもですね。
何故私が告白されたいとばかり思っていたか、その理由が今分かったんです。
私、嫌われたくなかったんですね。
相手から好かれていれば嫌われてないから。
女性同士なのに恋人にして欲しいと思っている人は気色悪い。
後輩としか思ってない相手にそんなことを言われても無理。
私はゆかり先輩にそう思われたくなかったんですね。
どうか、お願いします、恋人にしなくてもいいです。
私を嫌いにならないでください。
2年くらい前の話。
夕方に家までの近道だからと裏道を帰っていると、男性にナンパされて困っているあかりちゃんを見つけて、手を引っ張って逃がして。
「この辺りは危ないですから、近寄らないようにしてください。今日は家まで送りますか」
怖かったんでしょう、私の言葉にこくこくと頷き、眼に涙を浮かべたあかりちゃんと手を繋いだままお家に連れて帰って。
次の日、どうも胸騒ぎがして、裏道を通ると、あかりちゃんがおどおど体を震わせなら立っていて。
「昨日この辺りは危ないって言ったはずですけれど?」
「す、すいません、昨日、お礼を言えなかったので、ここで待っていたら、貴方に会えるかもしれないって、その、すいません」
怒った私にあかりちゃんは頭をぺこぺこと下げて。
このときからあかりちゃんは、守ってあげたい人になった。
冬の寒さが風で運ばれて私にぶつかって、体が震えだしてようやく私の思考が戻った。
私を男性だと思っているならともかく、私のことを女性と認識した上で、告白された。
女性同士の恋愛は非常識、そんな思いが頭に巡らないほど馬鹿な子じゃない。
守ってあげたいと思っていた子は、いつの間にか強くなっていた。
嫌な考えが思い浮かぶ。
私が男性に戻る条件は相手が満足すること。
マキさんのときに分かったけれど、私が女性に戻るとき、日付は男性へと変わった日に巻き戻される。
つまり私がどう思っていてもあかりちゃんの告白を受ければ元の体に戻れて告白は無かったことになる。
頭を電柱にぶつける。
脳がその衝撃で揺れ、鈍い痛みが頭を刺激する。
もう一発、ぶつけた場所が熱くなって、液体が頭をつたう感触がする。
左の景色が赤く見える、血が流れているらしい。
よし、変な考えは追い出せた。
私がどう思っていようが、打算で告白の返事をしてはいけない。
どんな理由だろうが、今のあかりちゃんの気持ちと真正面から正直に向き合わない理由にはならない。
迎えにいかないと。あかりちゃんはきっとお家に帰っていないから。
駅から伸びる大きな道から外れた裏道。
電灯がとぎれとぎれで暗いけれど、あかりちゃんの銀色の髪は夜に混じることなくよく目立つ。
やっぱりここにいた、初めて会ったときを思い出してしまう。
一歩一歩近寄って
「昨日このあた」
「ゆ、ゆかり先輩!血!血が!頭から!!」
「え」
「死んじゃう!ゆかり先輩が!誰か!助けてください!!」
「だ、だいじょ」
「救急車!救急車!!すぐ来ますから!!気をしっかり持ってください!お願いします!ゆかり先輩!死なないでください!!」
「大丈夫ですから!」
スマートフォンを取り出したあかりちゃんと格闘が始まった。
「……落ち着いてくれました?」
「……はい」
人通りがないところでよかった。
男性が頭から血を流しながら女の子に絡んでいる様子なんて、誰かに見られていたらきっと警察を呼ばれていただろう。
ハンカチで頭の血をぬぐうと、血は止まっていたし、大きな傷でもないようだった。
おかしいな。告白の返事をしに来たのに、二人して息切れで肩を上下させている。
でも、私の息が荒いのは動いたから、だけじゃないな。
上手く息が吸えない、吐けない。何度繰り返しても肺に空気が行ってくれない。
告白したとき、あかりちゃんは、どんな気分だったんですか?
告白した後、どんな思いでいたんですか?
決心に依って行動した強さに、涙が出そうです。
私に泣く資格はないけれど。
「あかりちゃん、私は、あかりちゃんの恋人になれません」
やっぱり、ですか。
分かってはいたんだと思います。
告白した途端に失敗を思い浮かべる人が成功するわけないですし。
でも、もしも、成功したら、と思っていたんです。
場所は言ってないのにここに来てくれたとき、もしかしたら、と思ったんです。
目が熱くなって涙が勝手に出てきて。
格好良く「そうですか、でもまだ諦めないですからね」なんて言えたらよかったのでしょうけれど。
駄目、すいません、顔を見られたくないんです。
ゆかり先輩の胸を貸してください、こんなこと出来るの最後ですから、許してください。
私の手に収まるほど小さな体が震えている。
私の胸が涙で濡れて暖かい。
嫌だ、あかりちゃんが泣いてるのなんて嫌だ。
胸が裂けるように痛い、泣きたい、だけど、泣くわけにはいかない。
ごめんなさい、謝ってはいけないけれど、ごめんなさい。
私はあかりちゃんを恋人として見れそうにないんです。
可愛い後輩、としてしか見れないんです。
目が覚めました。寒いです、あれ?ここどこ?
嫌な夢を見たような気がしますけど。
横向きな体を起こすと、何かにぶつかりました。
体を回転、ゆかり先輩の顔?
下にあったのは、ゆかり先輩の足、その下が板、じゃなくてベンチ。
体にかかっていたのはゆかり先輩のパーカー。
膝枕されてたみたいです、嬉しい、何で?
……そっか、私、フラれて、泣いて、疲れて。
ゆかり先輩が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「……大丈夫ですか?」
「……はい、すいません、恋人でもないのに、こんなこと」
「……その、寒くないですか?」
「大丈夫です、パーカー、お返ししますね、有難うございました」
「……はい」
暖かなパーカーを脱いで、体が冷たくなりました。
ゆかりさん、いえ、先輩はもっと寒かったでしょうに、ごめんなさい。
パーカーを着なおすゆかり先輩は、悲しそうな眼をしていて、私は何もいえなくて、夜の静けさと私たちが同じになって。
帰りたくない、このまま帰ったらもう会えない気がする。
「……その、ゆかり先輩、私、嫌われてないですか?」
「いえ、それはないです」
「じゃあ、また連絡したり、遊んだり、いいですか?」
「はい、いいですよ。また遊びましょう」
「夜だと、男性と女性がって言います?そもそもゆかり先輩女の人なんで変ですけれど」
「いえ、もう戻れ」
何かを言いかけて、慌てた様子でさっと口を押えたゆかり先輩。
「何を言いかけたんです?」
「……あかりちゃんは知らなくていいです」
目を彷徨わせ始めたゆかり先輩。明らかに挙動不審。
何を隠しているかは分からないですけれど、大事なことですよね?
前もこんなリアクション見たことあります。
その話を聞かないと大変なことになる、そんなときでした。
「教えてくれないと、キスしますよ」
「……えーと」
「目を閉じてください」
「話しますから許してください」
説明によると、ゆかり先輩は私が満足したら男性に戻れて、その間の記憶は私からは消える。
私の満足は私の告白の成就だろう、つまり。
「男性のままでいたいんですか?」
「違います、戻りたいです、けど、あかりちゃんに、その、嘘つきたくなかったんです」
「何で女性に戻れるって私に言わなかったんです?」
「……恋愛感情に打算を持ち込みたくなくて」
この人は頭が悪いんだろうか、と思う。
OKしておけばきっと戻れるのに。
けど、そんなこと出来る人だったら、私この人好きにならなかったんだろうな。
あーもー。そっか、当たり前ですよね。
ゆかり先輩、男性のままは嫌ですよね。
私は一番肝心なことをずっと考えていなかった。
告白失敗したのも、失敗を想像したからとかそれ以前の問題だ。
「ゆかり先輩、ごめんなさい、私、ゆかり先輩の気持ちを考えていませんでした」
「いえ、そもそも知り合いが突然男性になった、なんて状況で冷静になれる人なんていないでしょうから、気にしないでください」
そう、一番大事なことは、相手の気持ちを考えることだった。
ゆかり先輩は男性に戻りたい。
一番はそれでした。
そのために少し我がまま言わせてください。
「有難うございます、それとゆかり先輩、一つお願いがあるんですけれど」
「いいですよ」
「元に戻ったら、私に『ゆかり先輩の気持ちを考えるように』って伝えておいてもらえませんか」
「……元に戻れたら、伝えますね」
「大丈夫ですよ。明日には戻れますから」
「え、あかりちゃん、満足したんです?」
「不満はありますよ?」
「じゃあ、駄目なんじゃないですかね……」
相手の気持ちを考える重要性に気付いても、私の最終目標は結局ゆかり先輩と恋人になること、それは変わりないから不満は不満。
けれど、今の私じゃ駄目。
時間が戻って、ゆかり先輩にそのことを伝えてもらったら、私は一歩前に進める。
そこからならきっと、ゆかり先輩の恋人に相応しい素敵な女の子になれるでしょう。
……何か変ですね。そういえば。
「あれ?そういえば、ゆかり先輩、女性同士の恋愛は気色悪い、と思わないんです?」
「え?いえ、言われてみると、それは気にしていませんでしたね」
え、えっと、それはつまり。
「ゆかり先輩!元に戻ったら『私は女性同士の恋愛は嫌じゃない』と私に伝えてください!」
「……元に戻ったときに考えておきます」
目を逸らされた。
絶対言わない気だ。
いや、言ってしまったら昔の私がどうするか想像出来るから強く言えないけれど。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
「あ、すいません、あかりちゃん。今日は私の家に泊まってください」
「嬉しいですけれど、何でです?」
「いえ、あかりちゃんがなかなか目が覚めなかったので、今日は私の家に泊まります、ってご家族に連絡しまして」
いつの間にかそんなところにまで気を使っていただいていたとは。
「有難うございます。ゆかり先輩のお家、久しぶりですね」
「家族に説明しなくていいから一人暮らしは便利です」
あれ?ということは。
「ゆ、ゆかり先輩、私、その、男の人のお家に二人きりで、しかもお泊りなんて初めてなんですけれど」
「……気にしないでください」
この後二人は同じ部屋で寝た。
結月ゆかりが次の日目覚めると、家には一人で、体は女性に戻っていた。
何故戻れたか分からないが、その喜びの前では吹き飛ぶ、前に、後輩の頼みごとを実行するかしないか悩むことになった。
最後まで読んでいただき有難うございました。
前話にお気に入りや評価を入れていただけた方々、有難うございます。
次話を書く励みになります。