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私は、自惚れていた、と言っていい。
”絶対”とは言葉のあやであって、現実には存在しない。
いや、むしろ、絶対と高を括っている時にこそ、イレギュラーな現実が、それこそ絶対的に降って来る。
そして私は、思い切り頬を叩かれたように、目を丸くする。
今日が、そんな日。
例えば、仕事でケアレスなミスをする。
勿論、上司には叱られるけれど、気にしないくらい、私の心は平穏だった。
例えば、社内の曲がり角で、嫌な先輩とぶつかって嫌味を言われ、しかもお茶をこぼしたって、私は平和だった。
こんな汚れは洗えばすぐ落とせるし、嫌味の一つくらいあった方が、まだ健全と言うもの。
例えば、今朝見た週末の占いは、パーフェクトに最下位だったけれど。
彼との逢瀬を思えば、世界全ての私と同じ星座・血液型の人が、果たしてみんなして最悪の週末なのかどうか、考えるまでもなく、私は勝利を確信していた。
しかし――。
占いは、当たってしまった。
浮かれ過ぎた私の期待のレベルは、地に落ちる勢いも、落ちた後の気だるさも、同じエネルギーをもって、私を貫いた。
彼は、来なかった。
勝手に約束を押し付けたのは、私の方。
元々予定があったのか、何とかなる筈だったのか、彼は、電話口で反省し、頭を下げる絵が浮かぶほど、何度も私に謝った。
「うん、分かった。そんなに謝らないで。大事な時だもんね。体に気をつけて、頑張って。遠野君」
震える手を押さえつけ、逃げるように、私は電話を切った。
あれほど求めた彼の声が、今日は私を傷つけてしまう。
彼にそんな事、させたくはなかった。
気が付くと、友人の何人かを誘って、私は、いつもの居酒屋に赴いていた。
「最近、やけに付き合いがいいじゃねえか、ん?もしかして俺に惚れたか?水野!」
上機嫌に笑い、肩に手を回す上司。
この雰囲気にも慣れたのか、全く気にならなくなっている自分に、少し驚く。
その内、一人、また一人と友人が帰っていく。
みんな家庭があり、或いは恋人が待つ部屋に戻るのだ。
そう思うと、こみ上げるように胸の奥と目蓋が熱くなった。
「おい、水野……お前また泣いてんのかよっ!」
慌てて、ハンカチで目元を押さえる。
泣く事など、何も無い。
すると、何を思ったか、上司が私を抱きしめた。
私は身じろぎしたが、思いの外、力が強かったのと、そして何故か居心地が良かったのとで、少しの間、身を任せた。
何と言うのだろう、父に抱かれた感じに近いような、そんな安心感があった。
私は、上司の胸の中で、じんわり泣いた後、「家まで送る」と上司に誘われタクシーに乗った。
気恥ずかしさと、後ろ暗さと、少しの安心と、私の心は乱れ、ドキドキと波打っている。
それが何となく心地良く、暗いタクシー内を線で照らす、外からのヘッドライトをぼんやりと眺めていた。
「大丈夫か?」
最近聞いた同じフレーズに、耳が反応する。
声質そのものは全く違ったけれど、私を気遣い、安心させようとする声色に、私は目を伏せた。
「水野、大丈夫か?」
もう一度そう言った声も、セリフも、彼とは似ても似つかない上司のものだった。
タクシーはすでに、私のマンションの前に停まっていた。
私の膝の上に置いた上司の手から、体温が伝わる。
私は、たった一人で、暗く孤独な部屋に戻らなくてはならない寂しさに、恐怖のような感情を抱いた。
お酒のせいに出来るほど、私は酔っていたし、また、遠野君のせいに出来るほど、私は彼を愛していた。
「水野……?」
再び上司が私の名前を呼んだとき、私は上司の手に自分の手を重ねるように置き、部屋まで来るように介抱を頼んだ。