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三雲、医学部を目指すとの事
生きている実感が欲しかった。
生きる意味が欲しかった。
それが、私がボーダーにいる意味だった。
弱り切った身体と共に、衰え切った私の心は、諦念に染まりきっていた。
ベッドに腰掛け、窓際から見える無機質な街並みを眺めていた。
ある日、希望が芽吹いた。
トリオン器官を利用した医療研究――その一環として、私はトリオン体を手にした。
ちょっと走るだけで動悸が走り、調子が悪ければ歩く事すらままならない、自分の身体。
何度想像しただろう。
窓から眺める広い世界を飛び回る自分の姿を。
まるで鳥のようにビルを駆け抜け思い切り両足に力を込めて走り回る自分の姿。
夢だった。
本当に、夢だった。
それが叶った瞬間の事は、未だに忘れられない。
堅い地面を飛び跳ねて、風を切る様に弾丸を走らせる。ずっと想像の中でしかなかったその姿が、現実になったのだから。
素敵な友達だって出来た。
何て素晴らしい時間だっただろう。
私は手に入れたんだ。
欲しいもの、全部を。
――だから、悔いはない。
長く生きられるとは、こっちだって思っていなかった。
覚悟もしていた。
------その、はずだったのだけれど。
芽吹いた希望の花が、いざ暗礁に散り散りになってしまうという現実を目の前にして、私は怖くなった。
もう無くなるんだ。
手にした幸せが。私の生きている意味が。もう無くなる。失う。私が生きてきた時間ごと、全て奪い去られる。
でも。
それでも。
-----もっと嫌な事だって、あったから。
私の大切な人達が、悲嘆に暮れる姿を見たくない。
だから、この恐怖をそっと胸の奥にしまい込んだ。
来るであろう、その日に備えて。
------うん。けど。
その日は、来ることは無かった訳だけれど。
思う事は、幾つもある。
でも、やっぱりこの言葉に集約されると思う。
私は――本当にボーダーに来ることが出来て、よかった。
そう心から思えるの。
※
三雲修は18歳となった。
もう、18。
高校生最後の歳にまで到達してしまった。
「進路はどうするのかね、修君」
「進学しようと思いっています」
「いや。そりゃあ必死になって勉強している姿を見ているから解るけど。専攻はどうするのかね?」
「-----」
宇佐美栞の何気ないその疑問に、三雲修は少し困ったように口を閉じた。
玉狛支部の一室。訓練の合間を縫って生真面目に勉強を行う三雲修の姿と、そんな姿をゆるゆると何気なく眺める宇佐美栞がいた。
眼鏡が、光ったような錯覚を覚えた。
「ふふふ。修君。何故に押し黙るのかね?」
「いや。何となく言いにくいというか------」
「どうせあと一年後にはばれることだろうに~。ほら、お姉さんに打ち明けてごらん?」
ニヤつきながらも、全くの不快感を感じさせない不思議な笑みを浮かべながら宇佐美は修に近付いていく。
「------あ」
並べられている参考書のうち一冊の表題が見えた。
”一から始める医学部英語”。
修らしい、シンプルな題目のシンプルな丁装の参考書であった。
「なにさー。別に何も恥じる事ないじゃないか、修君」
それを見て、このこのと宇佐美は修の頬に肘を押し当てる。痛くないが圧迫感は感じられる絶妙な力加減。
「いや、僕が医学部を目指す事自体が何というか-----」
「身分不相応だとでも?」
「はい-----。僕は別に勉強が飛びぬけていい訳でもないですし」
「何を言うかね何を。こう言っちゃなんだけど、君が三年前にボーダーに入った経緯を知ってしまえば医学部に入るなんて何の驚きもないのだよ」
「は-----はは----」
その話をされては、三雲修としては乾いた下手糞な愛想笑いを張り付ける他ない。
「ペンチ片手に基地に侵入に始まり、隊規違反をしてまでトリオン兵に立ち向かい、そして記者会見への乱入-----何と言う猪突猛進ぶり。我々眼鏡一族の名に恥じぬ逸材だよ、修君は」
「何か----すみません」
「何を謝っているのかね。そもそも、医学部を目指すなんて誰よりも立派な志だよ。特に修君みたいな真面目な子にだったら、笑うなんて失礼極まりない。-----まあ、例えば太刀川さんとか当真さんとかがそんな事言いだしたら思い切り笑うかハリセンでツッコミを入れている所だけど。----でも、そうかぁ。修君、医学部かぁ」
うんうんと頷きながら、宇佐美栞は一つ息を吐く。
「ねぇ、修君。-----医学部に行くのは、やっぱり、それは君がやるべきだと思ったから?」
「------はい」
「うん。やっぱり修君は真面目な子だねぇ。-----私が文学部を選んだのなんて、本好きだということ以外特に理由はないからね。それに比べれば立派も立派だよ。うん」
ねぇ修君、と宇佐美は声をかける。
「お姉さんはね、修君がやっている事も考えている事も全部正しいと思っているけど----でもね、その正しさが修君の我慢とか犠牲の中で成り立つものだったら、やっぱりそれはどうなのかなー、と思う訳ですよ」
「え-----」
「そうでしょう?修君は一度だって----チカちゃんを犠牲に全てが収まってくれるなら-----なんて考えた事はある?」
「------いえ」
「同じ事だよ。------どれだけ正しい行動でも、理想でも、そこに君の犠牲があるなら、それは正しい事ではないと思うんだ。----あ、勿論。これは医学部うんぬんとは全く関係ない話ね」
「----」
「まあ、お姉さんが何が言いたいかというと-----適当に、頑張ってねという事だよ。限度以下でもなく、以上でもなく、適当。これまで、滅茶苦茶に頑張って来たんだから。適当にやろうよ適当に。そして、自分のやりたい事を見つけるて――今度は、そっちを滅茶苦茶に頑張るの」
ふふ、と宇佐美栞は笑う。
「君がやりたい事、応援も協力もしてくれる人はたくさんいるよ。----ほら、丁度ここに来た人とか」
部屋の扉が、唐突に開け放たれる。
そこには――。
「お久しぶりね、――三雲君」
悠然とその場に佇む――那須怜の姿があった。
※
持たざる者。
僕を評価する言葉だ。
半分、当たっている。
僕自身は、何も持っていないのだから。
けれど。それでも。
僕自身は何も持っていなくても。
僕の周りに、僕を支えてくれる存在があった。
僕自身には、何もないのに。それでも僕を見放してくれなかった人たちが。
だから僕は、自分を持たざる者だとは思わない。
僕はヒーローじゃない。
僕がすべきだと思っている事を、ただひたすらに貫徹してきた。ただ、それだけだ。
何処まで行ってもエゴイストだ。
褒められるような事じゃない。
何をやろうにも、全てそれは僕の勝手だった。
僕の勝手で始めた事に、仲間たちがそっと背中を押してくれた。
正しいかどうか。それは解らない。
でも。
空閑は肉体を取り戻せた。
麟児さんも、ボーダーの監視下ではあるけれどこの世界に戻って来た。
近界民の問題はまだまだ解決には程遠いけれど、それでも希望が見えて来た。
この結果を眺めて――僕は間違った事をしていなかったと、きっと言うことが出来る。
それが最善であるかどうかは、解らないけれど。
だから思う。
今回の僕の行動も、やるべき事であったと。
――二つあったはずの腎臓の一つが、僕の身体にはもう存在しない。
その片方は、ある人の中にある。
その人は任務の中で大切な友達と民間人と――そして、僕を守ろうとして、受けなければならない手術を受けないままに独断で戦いに出た。
その結果として、その人は死の境に彷徨う事となった。
必要だったのは、大量の輸血と、健康な腎臓。
その人の血液はA型で、僕もA型。
腎臓も適応型のものだった。
――決意をするのに、然程の時間もかからなかった。
この人は死ぬべきなんかじゃない。そう、当たり前のように思ったから。
やるべき事なんだ、と。
そう自然に思えたんだ――。
今週の修の立ち回り------な、涙が出ますよ------。