ゴブリンスレイヤー THE ROGUE ONE 作:赤狼一号
やはり、目の届かない所も多いですし、誤字修正の筈が気づいたら加筆してて鼬ごっこになっている今日この頃です。
評価を入れてくれる皆さま。コメントや感想を入れてくださってる皆さま。とても元気づけられています。寒くなって気落ちする事も多いんですが、こうしてIFBADルート完結まで持って行けたのは皆さまのおかげです。
ありがとうございます。
無惨な敗戦から一転、森人や鉱人そして神殿勢力に至るまで文字通り総力を結集した人族の反攻は意外な程あっさりと進んだ。
蝗の如く全てを喰い潰して進軍する小鬼の軍勢。それは裏を返せば守勢に回れば確たる拠点もないという事である。元が烏合の衆の小鬼たちである。皇帝があっさりと撤退すれば、その後の有象無象など物の数ではない。
とはいえ、我々はそれは丁寧に小鬼達を殺しつくした。取り返した村々に罠を仕掛け、上位種すべてに賞金をかけて優先的に殺し、全ての女子の小鬼の巣窟への接近を禁止した。
小鬼は見つけたら殺す。それがこの時代の人間の共通認識と化していた。
だがそれはそれとしてすべてが平穏無事とはいかなかった。
崩れた軍団を追いかけて進軍した連合軍に横合いから斬り込んだ隻腕のオーガがいた。矢玉や槍で針鼠のようになりながら本陣へまで迫ったそれは勇者一行がいなければそのまま王を討ち取っていたかもしれない。
殿としてとある村を砦に作り変えていた気狂い鉱人と邪教のはぐれ信徒達はついには一人残らず死ぬまで戦い抜いた。
それでも人族は小鬼達をとある城塞まで追い詰めることに成功した。皮肉にも因縁のあるその場所は、魔神王と呼ばれた人族最大の敵の居城であった。
十重二十重に包囲したその場所へ、最強の刺客を送り込んだ。
とある辺境の街を小鬼から守り通した冒険者。今日まで辺境の伝説として語り継がれるその名を
薄暗い大広間。その奥にある玉座にそれはいた。
古びた長剣を杖のように立て、闇の中で静かに時を待っていた。
傷だらけの顔、片方が欠けた耳、その醜悪な顔から下は黒鉄の甲冑に鎧われている。とある気狂いの鉱人が鍛えたそれは禍々しい装飾が施され、およそ魔王と言われて人が想像するような装いであった。
ぴくりと欠けた耳が動く。
「……やはりわが師は、貴殿に託したか」
吾輩の言葉に、ゴブリンスレイヤーは微動だにしなかった。しかし、その腰に差した古き鋼の片手斧がその役目を雄弁に語っている。
在りし日に師へと返したそれをゴブリンスレイヤーは携えてきた。総ての決着をつけるために……。
「……来るならば、貴殿だと思っていた」
「…そうか」
そう一言答えたのちゴブリンスレイヤーは、元の沈黙に戻った。『なぜこんな事をしたのか?』もし、彼の横にあの慈悲深くも強き女神官が居れば、そう尋ねたであろう。
またはあの、騒々しくも快活な妖精弓手が居れば…。
無意味なことだ。この場に居ないものの事を気にしている暇はすぐに無くなるというのに。それでも詮無きことを考えてしまうのは何故であろうか。
ゴブリンスレイヤーは沈黙を保ったままだった。だが、それすらさして疑問に思わない。目の前の男は世にあまねく糞虫共の天敵であり、吾輩が師の他に唯一尊敬した本物の「冒険者」なのだ。
――
「女魔術士はどうした?」
「…生きておる。恐らくは吾輩を最も殺したいのはあの娘であろうな」
こんな糞虫に身を捧げた愚かな女。あの日より全てを無くし続けた果に、最後にこの手に残ったもの。
「お前はここで死ぬ」
ゴブリンスレイヤーの怜悧な声。
【かつての約定は、もはや守れぬな】
唐突な手言葉に小鬼殺しが僅かな戸惑いを見せた。
――貴殿は死なぬ、吾輩が死なせぬ。
いつか、このような日が来ることはわかっていた筈だった。永劫に共に立つことはできぬとわかっていた筈だった。
ともすれば吾輩は
「俺はゴブリンを殺すだけだ」
ゴブリンスレイヤーの冷徹ないらえ。
――貴殿はそうでなくてはならぬ。
吾輩は己の得物を抜いて、それに応えた。
円環を貫く様な形の柄頭、そこから伸びた柄は緩やかな曲線を描く十字鍔につながり、さらに鍔元から緩やかな括れより始まる長大な剣身が牛の舌のように鋭く長く伸びる。剣身の腹には意味不明のルーンがびっしりと金象嵌で彫り込まれ、黒玉を思わせる地肌に星のように煌めいていた。
かつて『
ゆえにこそ、その剣を鍛えたものを誰も識らぬ。
ゆえにこそ、その剣の名は誰も知らぬ。
かつて地上に降りた一柱の神が手ずから鍛えたとも、いつか流星の落ちたる跡に最初から剣の形で刺さっていたとも言われる。
その剣に刻まれた文字は未だ解読できず、何を意味する言葉であるかは杳として知れず。
古代言語において「鋼の英知」または「裁定と死の宣告」を意味すると言う説もあれば、神そのものの名であるという意見もある。
ゆえにその名を『
そう手言葉を作りながら、いかつい面相を歪ませた師の顔を今でも覚えている。
あの顔を見ると、安らぐような、妙に上付くような、不思議な心持にさせられたものだ。
師の元に斧を返しに行った折の一騎打ちにおいてさんざんに叩きのめされた後に、餞別にと渡されたのがこの剣。
「超勇者」を名乗る呪わしき神々のお気に入りが振るう聖剣とも互角に打ち合い。あまつさえ、かの忌々しき神々のお気に入りに土をつけることが出来たのも、みなこの剣のおかげだ。
そうでなければ、師や勇者、各国の英雄たちを相手にここまで戦い抜くことは出来なかったであろう。
「吾輩に正面からの打ち合いで勝てるつもりか」
「お前が居なくなった後……俺を鍛えたのは沈黙の聖騎士だ」
別れ際の師の顔を思い出す。背いた事への怒りや侮蔑など欠片も見えなかった。ただ、寂し気に見えたような気がする。
吾輩は黒玉鋼の剣を担ぐように構え、ゴブリンスレイヤーを観察した。
奴との距離はおおよそ三歩。あと一歩すすめば一足飛びに切りかかれる距離だ。吾輩は両手剣故に彼奴より間合いは長い。ゴブリンスレイヤーはその間合いのギリギリにいるのだ。
小細工はさせず、初手で仕留める。そうでなければ一体何が飛び出してくるかわかったものではない。
それを読んでか、ゴブリンスレイヤーの片手に括り付けた盾はくすんだ厚革こそ張ってあるが、僅かに垣間見えた板金はミスリルの輝きだ。おそらくは薄板を打ち重ねて仕込んでいるのだろう。
ミスリル仕込みの盾と言い、わが師の片手斧と言い、本来であれば斯様な装備はゴブリンスレイヤーの流儀ではない。
なるほど彼奴は本気で吾輩と斬りあうつもりらしい。
――ならば乗ろうではないか。
わが師によって貴殿がどれほど鍛えられたのか、吾輩に教示してもらおう。
小鬼殺しの間合いの半歩外、だがそこはすでに吾輩の間合いだ。刹那、刃を突き出すように打ち込む。間合いに入った瞬間の即座の踏み込み。教本通りの単純な手であるが、それゆえに早い。
黒玉鋼の刃がゴブリンスレイヤーの肩甲冑の隙間に吸い込まれようとした瞬間、盾の裏の左手から何かがこぼれるのが見えた。
――紙?
ゴブリンスレイヤーの左手に見えたのは古ぼけた羊皮紙。
とっさに視界に入ったのは開いたスクロールの紙面だった。そこに書き込まれたルーンが輝き、奇跡の発動を告げる。
――拙い!!!
反射的に剣先をスクロールの方へ向ける。紙面から吾輩に襲い掛かってきたのは大量の水であった。それも攻城弓から放たれた矢のごとき勢いで迫ってくる。
「GGAAAAAaaaaaa!!!」
吾輩の口から糞虫じみた咆哮が漏れる。全身全霊の力を以て水の流れに向けて剣を立てる。
凄まじきはわが師の佩剣と言うべきか、高圧の水流の中でもびくともせずに逆にそれを切り裂いている。だが、その切り裂かれた水流は勢いを削がれてなお、甲冑を貫いて吾輩の体を切り裂く。
「GRRRRMM!」
不意に笑みがこぼれる。何たる発想!! 何たる不意打ち。真っ向勝負に見せた装備は囮だったのだ
――それが貴殿の本命か!! だが、この程度で、吾輩は殺せぬぞ!!!!
もう少し、耐えればスクロールの方が限界を迎えるであろう。そうなればこちらの番だ。
そう思った瞬間水の勢いがにわかに弱まり、遮られていた視界が戻ってきた。
「なにぃッ!?」
その視界に飛び込んできたのはゴブリンスレイヤーの姿だった。
片手に光るは
吾輩の剣の平に当てられたるは、小鬼殺しの斧と盾。そのまま地面へと打ち流された剣が石畳を深く斬り込む。
ふと、脳裏に浮かんだのは、在りし日に剣を振る眼の前の冒険者の姿。
共に磨いた技を以て、小鬼英雄を屠ってみせたその後ろ姿。
――あの日よりもさらに……良く精進したものよな。
剣の下を添うように振りぬかれたのは、見知った片手斧。その鋭い斧頭が脇の下へと叩きこまれる。強固な全身甲冑と言えど、装甲できぬ数少ない弱点を過たず喰い破った。
冷たく熱い感触。刹那、壮絶な苦痛が全身に根を張り巡らせる。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
それが引き抜かれた瞬間に、痛みと共に生命そのものが抜けていくような倦怠感が全身を蝕む。これまでさんざん糞虫どもに叩き込んできた古き鋼の刃は想像以上に致死的な威力があった。
彼奴らしからぬ装備、不意打ちのスクロール、なるほどすべてが囮とは恐れ入る。
――貴殿が糞虫風情に遅れを取るなどあり得ぬ話か
してやられたはずなのに、いっそ誇らしい気分だった。全身の力が抜けていく。背に感じたのは硬い石畳の感触。
仄暗い天蓋が見える。もう体を起こす力は残っていない。最後に写ったのは斧を振り上げるゴブリンスレイヤーの姿。
――こうでなくてはならぬ。糞虫の結末など、なべてこうでなくてはならぬのだ。
そう思う反面、胸の内につかえて取れぬ何かがある。
――貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ。
在りし日の約束がふいに蘇る。
――できるならこの約定を……共に…………。
胸の中に、遥か昔に忘れた筈の何かが湧き上がる。肉体の苦痛とは別に、胸が締め付けられるような何かが…。
――吾輩はどうすべきであったのだろうか。
歩んできた道に後悔など無かったはずだった。
至ったこの結末に満足しているはずだった。
それでも何故か澱の様にたまった何かが、とうの昔に腹の底に沈めた筈の何かが湧き上がってくる。
何か言葉を出したいのに、言葉が出てこない。それでも最後の力を振り絞って片手を上げた。
ゴブリンスレイヤーの歩みが止まる。警戒ゆえかこちらの手に視線が行ってるのはむしろ都合が良かった。
『さらばだ……』
――我が……
最後の手言葉はうまく作れただろうか。相変わらず小鬼殺しの兜の奥にひろがるのは闇、そのただなかに揺れる決意の火が、僅かに揺れたように見えた。
視界に闇が広がっていく。
意識が闇の底へ沈む。
深く、深く、沈んでいく。
「待って…」
どこか懐かしい女の声。ゴブリンスレイヤーはそちらを振り返った。
「生きていたのか……」
「あら、ご挨拶じゃない」
そう言って笑ったのは十数年前に行方不明になったはずの女魔術士だった。
長く伸びた赤い髪と、銀縁の眼鏡。死霊術士じみた黒いローブ。豊満な体つきを別にしても言い知れぬ色香を漂わせた横顔。
だが、その深い憂いを帯びた表情の中に、どこか昔の面影が残っている。
どうしていたとは聞かなかった。聞いても今更意味の無いことだ。ゴブリンの巣窟の中にこれほどの長期間いたというのに正気を保っていたのは不思議としか言いようがない。
同時に、どこかで目の前の光景に納得している自分がいる事に、ゴブリンスレイヤーは気づいた。
「これ、ローグがあなたにって」
そう言って、女魔術士が手渡したのは「転移」のスクロールである。
「何のつもりだ…」
「行先は、貴方たちの本陣よ。あなたが勝ったら渡すように言われてたの」
「なぜだ」
「なぜかしらね。どちらにしろ使うなら早くなさい。信じなくても良いけど、もうすぐここは火の海になるから」
そう言って、女魔術士はもごもごと何かの呪文を呟いた。宮殿の床や壁が光り、大小の魔法陣が広がっていく。
瞬く間に壁面まで広がったそれは赤い光を宿しながら、外へと広がっていく
「『炎獄』の奇跡よ。準備するのに何年もかかっちゃったわ」
そう言いながら、女魔術士はくすくすと笑いだした。
「なぜ、こんなことをしたのかって聞きたい?」
その問いにゴブリンスレイヤーは答えなかった。聞かなくとも、なんとなしにわかるような気がしたからだ。
そんな彼の反応をまるで気にした風もなく、女魔術師は歌うように語り始めた。
この世から小鬼を滅ぼすにはどうすれば良いだろうか。
各地に点在し、浸透し、好き勝手に暴れるゴブリン達。
それらの苗床となるのは、油断して敗れる新人冒険者たち。辺境の村々。ゴブリンを脅威と見る余裕のない国々。
ならば、答えは簡単だ。
防備の薄い村は全て喰らい尽くせばいい。愚かな冒険者など殺しつくしてしまえばいい。
新人に任せるなど愚問の脅威になってしまえばいい。
国々が総力を挙げるに足る敵となればいい。
逆らうものは皆殺し、そして史上最大ともいえるゴブリンの帝国を築き上げたのだ。
長続きなどする必要はない。むしろ、すべての小鬼勢力が追い詰められ、一点に集結するこの瞬間を「彼」は待っていたのだ。
繁殖地となる辺境の村々や防衛の甘い人類拠点を飲み込み、徹底した焦土戦術によって離散した小鬼が繁殖しうる地を破壊する。
そうして小鬼が集結した一点を焼き滅ぼすことによって一網打尽にする。
例え逃げ延びたとしても、十重二十重の軍勢が囲んでいる。奇跡的に逃げ延びたとて焦土と化したこの周囲一帯でどこから食料を得ようというのか。
そして、今度こそ人族は小鬼を討ち漏らしてはならぬ不俱戴天の仇と断ずるだろう。
「小鬼のくせに小鬼の抹殺を企むって、本当にわけわからないわよね」
女魔術士はそう言って言葉を切ると、倒れ伏したローグのそばに座り込んだ。物言わぬ盗賊騎士の頭を膝に乗せると、いとおし気に撫で始める。
「小鬼であることが嫌で嫌で仕方がなかったのかしらね」
母が我が子を見るような優しげな眼で盗賊騎士に問いかけるが、答えはない。
「沈黙の聖騎士、勇者、冒険者、魔神王との戦線を支え続けた各国の軍隊。追いつめられる事はわかっていた」
そこまで言って顔を上げた女魔術師は、まっすぐにゴブリンスレイヤーを見た。
「そしてなにより、貴方が居る」
女魔術師が浮かべた寂しげな笑み。その目に込められていた感情を、ゴブリンスレイヤーはどう捉えればいいのか分からなかった。
「なぜそれを俺に話した」
「多分、貴方には知っていてほしかったと思うから…」
そう言いながら、また女魔術士はローグの頭を撫でた。
「この人は…………ずっとあなたを待っていた。あなたがきっと来ると、そう信じていた」
噛み締めるように語る女魔術士が浮かべた笑みは、やはり寂しげだった。
「ずっと、ずっと待っていたんだと思う」
ゴブリンスレイヤーは転移のスクロールを手に取ると女魔術士の方を真っすぐに見た。
「女神官は、お前の生存を信じていた……」
その言葉に女魔術師は驚いたような、少し困ったような顔で笑った。
「そっか」
「あいつは、ローグがお前を殺すはずはないと言っていた……」
「相変わらずね。あの子」
ほっとしたような、それでいて何か遠いものを懐かしむような顔で女魔術師が答えた。
ゴブリンスレイヤーはその顔が遠い昔に見たようものを思い出させて、腹の奥底が引きちぎられるようだった。
「…お前も一緒にこい」
――声は平静を保てているだろうか。
ざわめく内心を押さえつけながら、ゴブリンスレイヤーは何とか声を絞り出す。
女は、ただ黙って首を横に振った。
「弟はどうする。彼はお前を探し続けているぞ」
強力な魔術師へと成長し、戦線の一端を担ったのは彼女の弟だった。愛する姉の生死と報復。彼もまたゴブリンスレイヤーに決着を託した者の一人だ。だからこそ、それに応えたかった。
「そうね、あの子には謝らなくちゃ」
女魔術師は悲しげに表情を曇らせる。でも、と女はやはり柔らかく微笑んだ。その微笑みが大切なものを失った瞬間を思い出させる。
「この人はずっと一人だったから……」
ゴブリンスレイヤーはこの目を知っていた。愛する者の為に自分を犠牲にすることを覚悟したものの目。己自身の原点とも言えるその目が見つめる結末がいかなるものであるか、ゴブリンスレイヤー自身が一番良くわかっていた。
「だから最後はそばにいてあげたいの」
「……そうか。残念だ」
「あの子に御免なさいって伝えて」
「わかった」
「それと、みんなによろしくね」
女術士はそう言って、いたずらっぽく笑った。
ゴブリンスレイヤーは黙ってうなずくと、スクロールを広げた。
「ありがとう。――さよなら」
その言葉に、ゴブリンスレイヤーは今度こそ振り返らなかった。
古い友人が去るのを見届けた女魔術師は、そっとローグの手を取った。ごつごつとしたタコだらけの手。血と戦に最後までつかり切った手。器用なのに不器用なその手感触を、ゆっくりと確かめる。
「あなた、結局ほかのゴブリンには私を抱かせなかったわね……」
いっそ偏執的なまでにローグは女魔術師を独占し続けた。彼女に近づく小鬼は例外なく惨殺し、それは上位種であっても構わず戦い、数日間苦しんで死ぬような傷を与えた。
戦の捕虜も略奪した村娘もすべてに興味を示さず、すべてを手下の小鬼たちにふるまい。自身は女魔術師のみを抱き続けた。女魔術師自身何度もローグの子を孕み、その子供たちは戦で死ぬか。ローグ自身に殺された。
同じ女として捕らわれた女たちに対して同情の念が無かったわけではない。おぞましいゴブリンの子を孕む屈辱と恐怖がなかったわけではない。
だが、それでも自身が思慕した男を独占し続ける喜びは大きかった。
獣じみた行為の中で、劣情と愉悦以外の何かを必死で見出そうとしている男が愛おしかった。
相反する感情に悩まされながら、時に熱情に流されながら、女魔術師はローグを選んだ。
そして、おそらくはローグも……。
――そう思うくらい罰は当たらないはずだ。
それ以上の罪を犯してきた。数えるのも馬鹿らしくなるほど罪業を積み重ね、ここまできたのだから。
「ちょっと、うぬぼれても良いわよね」
ローグの傷だらけの顔にぽつりぽつりと雫が落ちる。
「本当に、勝手で、不器用で……」
薄闇の中でパキリッと乾いた骨を踏む音がしたのはその時だった。
「…ゴブリンスレイヤー?」
薄闇から這い出た何かが女魔術師を突き倒した。
「な、なにを」
視界に飛び込んで来たのは子供ほどの背丈の影。
「待ってた。バカどもが皆いなくなる瞬間を」
ニタリと下品に歪んだ表情が視界に広がる。聞き慣れた野卑な混沌の言語こそは小鬼のモノだった。
「あいつも死んだ。城も武器もみんなオレのだ。女も」
馬乗りになった子鬼の口から唾液が垂れる。片手にあるのは薄汚れた短剣。
――そう言えば初めてアイツにあった時もこんな感じだったっけ。
そう考えると急に可笑しくなってきた。ビリビリと布の破ける音がする。これから始まる恥辱に耐えなければならない。術の発動までまだ時間がある。
これも一つの因果応報だろう。幾多の女達が流した涙をこれから流すことになるのだ。
汚れた手が女魔術師の乳房に伸びる。口からこぼれた唾液が破けた服の隙間から見える白い肌に零れ落ちる。
「まず両手足の腱を切ってやろう。それから舌も、呪文を唱えられたら困るしな。歯もすべて抜こう」
小鬼が嬉しそうにまくしたてる。印を組めなくなるのはまずい。それに術を唱えられなければ、あの地獄が永劫に続くのだ。
ヒヤリと自身の背を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。これは報いだろうか。女魔術師はこれまで目を背け続けてきた罪が、形を成して牙を剥くのを幻視した。
必死でずり上がろうとする女魔術士の背に何かが触れる。
「これは刻んで犬の餌にでもしてやろうか」
薄汚い足が愛しい男の亡骸を踏みつける。彼の恐怖政治は徹底的だった。
彼に従わぬもの、彼の命令に手を抜くもの、彼に対して企むもの、みな彼に従う「犬」達に八つ裂きにされた。
「さんざん食わせやがって!! 今度はてめえの番だ! ざまあみろ」
せせら笑いながら、小鬼は何度もローグの亡骸を足蹴にする。
「やめて」
とっさに亡骸を抱締めた女の背中を小鬼の足が何度も踏みつける。
「がっ!ぐっ! あうっ!」
彼女の口から漏れる悲鳴を聞いて、小鬼は喝采を上げた。蹴る力がさらに強まる。こうなっては孕み袋として使うと言う計画も覚えているか怪しい。
それでもギリギリまで術を発動する時間を稼がねばならない。
「ううっ、ローグ」
「……GR?」
ふと背中にくる衝撃が止まった。否、何かが小鬼の足を止めたのだ。
「――糞虫風情が……」
けだるげな呟きと共に、ふと視界に影が差す。その正体が隆々とした腕だと理解したのは直後の事だった。
「お前!? 死んだはずじゃ…!!」
耳朶に届いた聞き慣れた音声は、確かに愛しい男のものだ。女魔術師の背中で動いたそれは、小鬼の足を持って逆さに釣り上げる。じたばたともがく小鬼の顔が、驚愕と絶望に引きつっていくのが見えた。
「離せッ! 離ッもがッ」
「……吾輩の、モノにッ!」
もう片方の手が小鬼の口を頭ごと包み込む。
「――手を触れるなッ!!」
恐ろしい悲鳴と共に小鬼の首が背骨ごと引き抜かれたのは、刹那の事であった。両の手から蛇のように脊柱の付いた小鬼の首が滑り落ちる。砕けた顎からダランと舌を垂らして、小鬼の首が恨めし気な目で見ているように見えた。
「ローグ!?」
慌てて、女魔術師は後ろを振り返る。だが、愛しい男の肉体は無情にも崩れ落ちた。
「ローグ! ねえ! 起きてよっ!! ねえっ!!」
男の頭をかき抱いて、女魔術師は必死に叫ぶ。それでも、再び目を開ける事は無い。
「……ばか」
女魔術師はもう一度、愛しい男の亡骸を抱きしめた。
「出会った時も、助けてくれたよね……最後もなんて、ずるいよ」
涙をこぼしながら女は男の表情を見る。果たして、その顔は安らかな笑みを浮かべていた。
「ほんとに勝手な人。やりきった、て顔しちゃってさ……」
そう言いながらも女魔術師の口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。言葉にこそしないものの、その行動が表す意味が分からないほど、短い付き合いではない。
「最後の最後くらい、『愛してる』って言いなさいよ」
だがそれでもうれしかった。望んでいた答えを得られたような気がしたのだ。
愛する男が何より執着した小鬼殺し。その生涯最後の一体は、己の執念の為でもなく、生涯の好敵手の為でもない。
――この取るに足らない
そう思えればこそ、女魔術師は勝ち誇った気分だった。
女魔術師はローグを選び、ローグは女魔術師を選んだ。それがこの物語の結末。
そして彼女はそっと最後の
「起動」を意味する古語が響き渡るのを皮切りに、女魔術師を中心に幾重にも魔法陣が形成される。紅蓮の輝きを放つその文字の羅列は城の大広間をそして城塞全体を瞬く間に覆いつくす。
女が男のために用意した最後にして最大の奇跡。一人の悪漢がその生涯を賭した悪行が遂に貫徹しようとしていた。
「――あんたの事が好き。愛してる。だから、向こうでちゃんと答えてよね」
最後に女はその唇を男のそれに重ね合わせた。
刹那、魔法陣より生み出された膨大な魔力の奔流が、灼熱の炎へと変換される。凄まじい轟音と共に紅蓮の柱が宵闇の空を貫いた。
拡大と強化の刻印によって増強された「炎獄」の奇跡は魔神王の城壁を飲み込み、籠城していたすべてのゴブリンたちを、城塞ごとこの地上から消滅させた。
「ゴブリンスレイヤーさん」
「…終わった」
「女魔術師さんは……」
女神官はあえてローグの末路は尋ねなかった。ゴブリンスレイヤーが生きて城から戻ってきたのは、そういうことだとわかっていたからだろう。
「女魔術師は…あそこに残った」
女神官の視線が燃え盛る城の方を向く。
寂しげな、それでいてどこか納得したような女神官の表情が、妙に印象的だった。
女神官、徒党の仲間、ではローグは、あの男はなんだったのだろうか。小鬼? 自らの存在を何より憎み、友を守り、他者を庇い、そして他人を仲間と呼んだ小鬼。
ごとりと何かが落ちる音がした。
「ゴブリンスレイヤーさん……?」
気づけば、ゴブリンスレイヤーは兜を脱ぎ捨てていた。警備の厳重な本陣においてさえ決して外さなかった兜。素顔に吹きすさぶ夜風が妙に冷たい。
「……ゴブリンではなかった」
ゴブリンスレイヤーの言葉に、女神官が驚いたように顔を上げた。
宵闇の空に立ち上る炎。盗賊騎士と女魔術師、そして籠城した無数のゴブリン達、そのすべての命を飲み込んで、天を焦がす大火は燃えている。
ふいに夜空を切り裂くように大狼の咆哮が遠く響く。どこか物悲しさを感じさせるそれは、信念と共に燃え尽きた者への鎮魂歌のようだった。
「ローグ・・・」
そう呟いたゴブリンスレイヤーの横顔に何かが光る。女神官は黙ってゴブリンスレイヤーの傍に寄り添った。
その昔、小鬼という混沌の生き物がいた。子供ほどの体躯をもち、残虐で狡猾で自己中心的。この世界のすべての生き物に憎しみと蔑みを抱く混沌の生き物。
小鬼戦争と言われる歴史上最大の小鬼禍。それを引き起こした「小鬼皇帝」と呼ばれる変異種の勃興が同時に小鬼の歴史に終止符を打つことになったのは歴史の皮肉と言えよう。
同時期までほぼ無名だったゴブリンスレイヤーと言われる冒険者の手によって小鬼戦争は終結。その後の徹底した掃討戦により、この世界から小鬼は絶滅した。以降その姿は歴史にのみ語られる存在となる。
なおそのゴブリンスレイヤーの傍らで、影のように寄り添い戦い続けた戦士の名は後世には伝えられていない。
ただその雄姿は、辺境の英雄を讃える吟遊詩人達が歌い継いだ歌の中にのみ残されている。
焼け落ちた城塞。そのかつては広間であった場所に立つ影があった。
只人にしては規格外の長身を黒い外套に包み、さながら葬列に参ずるものの様に見える。そして、それは間違いではなかった。
石畳に突き刺さった、両手握りの柄を持つ長剣。灼熱の炎に呑まれたにも関わらず、煤一つつかぬその剣は黒玉を思わせる輝きがある。
墓標の如く祭壇に刺されたその剣に向けて黒尽くめの偉丈夫は膝まづいた。
――戦い抜いたか。……放蕩息子め。
その冥福を祈る気にはなれなかった。何故なら、彼の者は神々を憎悪していたから。
『戦を愛する者よ、鋼を知るものよ、祈りを好まぬものよ、せめてこの迷いし魂を解き放ちたまえ―――』
故にその後の事を祈るとしよう。彼の者は必ず復讐をやり遂げると誓っていたのだから……。
――
節くれだった指が黒い剣身を弾く。澄み渡った鋼の色は晴れた空の奥へと吸い込まれていく。
遥か遥か空の先で「ひええ」と悲鳴が響いた気がした。
~ダクソ風武器解説~
「名も無き者の刃」
黒玉に輝く鋼を鍛えて作られた
並の騎士剣より遥かに長大なそれを小鬼の皇帝は縦横に操り幾多の英雄と戦ったと言う。
かつては偉大な騎士の佩剣だったとされるそれをどういう経緯で小鬼皇帝が手にしたかは分からない。
ただその剣が幾多の冒険者や強力な騎士を打ち倒した事のみが語られている。
その剣に名はいらない。ただ、剣の用を果たすのみである。
この世のものも、あらざるものも、等しく斬り伏せ滅ぼすのだ。
この後、遊戯盤で遊んでた神々がどうなったかはご想像にお任せします(笑)
あ、ちなみに武器解説はダクソにあるバリエーション武器みたいなものなのでわざと変えてます一応w
こんな具合に暗い話なので、最終話の後に乗せるのは気が引けたので先に投稿しました。と言うか本当はこの最終話だけのダイジェストの話にするつもりだったんですが、あれよあれよと話が膨らみこんな事に(汗)
ちなみにこの後なぜかこのすば世界に転生してアクアを死ぬほどビビらせると言う与太話を考えていました(笑)
ともあれ、お楽しみ頂けましたら、感想等で教えていただけますと幸いです。