ゴブリンスレイヤー THE ROGUE ONE 作:赤狼一号
昨年も誤字修正にご協力いただいた皆様。感想や評価コメントで反応して頂いた皆様。
本当にお世話になりました。
今年も頑張っていきますのでよろしくお願いいたします!!
その晩の客は「招かざる客」であった。もっとも、その夜に限って言えばその言葉は「予期しない珍客」と言う部分が大きかったが。
さてどう言った要件であろうか。戸口の前にどこか所在無さげに立ち尽くすのは、いつも通りのボロボロの鉄兜に胸甲・革鎧を重ね着した冒険者だった。
常ならばあり得ぬ事象に吾輩の背にうっすらと寒気が走る。要件によっては、どちらかがこの部屋から出られなくなるだろうかも知れぬ。
突拍子もない展開かもしれないが、そうした最悪の事態が浮かばないほど、吾輩も太平楽な身の上ではない。
「……」
果たしてそんなこちらの心根を知ってか、知らずか、見慣れた鉄兜からは聞きなれた静かな声音は聞こえない。
珍しく惑うた視線が、壁に掛けられた両手持ちの三日月斧や鋼鉄の戦棍などの武装を転々とすると、がっしりとしたテーブルに置かれた油の瓶や砥石などに移り、最後に砥石に当てられたナイフに止まった。
「...取り込み中だったか?」
鉄兜の奥から絞り出されてきたのはそんな言葉だった。
様子を察するにどうもこの場で物騒な展開になる類の話ではないらしい。
それでも、珍しくあちらからは口火を切りにくいらしい。
『ゴブリンか?』
吾輩の手言葉に、ゴブリンスレイヤーは黙って首肯した。
なおさら怪訝な話であった。糞虫を殺すのどうするのと言う話など、ありふれた日常である。今更何を躊躇する事があると言うのか。
「頼みがある」
言葉とともに傷だらけの鉄兜の頭が房飾りの痕跡が見えるほどに下げられた。
その言葉を聞いた瞬間に吾輩の臓腑になんとも言えぬ悦びが込み上げるのを感じた。かの油断ならぬ冒険者のさらした弱み。
甘美な裏切りへの誘惑が脳裏に春を売る女の薄絹のように揺蕩う。その中になにか別の、羽でくすぐられるような言いしれぬ心地が僅かに混じっていたのはなんだったのだろうか。
――弱みを見せたぞ。楽しい裏切りのチャンスが来るぞ。
その時の顔はどんなに甘美なものだろう。絶望の中に繰り出される罵声はどれほど心躍る響きだろう。
心のうちに生じる忌々しい糞虫じみた戯言に吐き気がする。
そこからの会話はあまり頭に残らなかった。数百の小鬼の軍勢、大量の上位種、そして小鬼王と言う個体としても手ごわい上位種の存在。
「…すまない」
見慣れた鉄兜からでた謝罪の言葉は、明らかな弱音だった。その甘美な響きに、再び浮足立つ糞虫共が腹立たしい。
苛立ちを表に出さぬように、大きく息をつく。
ほんの僅かにゴブリンスレイヤーの肩が動いたように見えたり
『小鬼王。軍勢もいるとあれば、貴殿と言えど容易い相手ではあるまい』
「その通りだ。だから手伝って欲しい」
静かな声に諦観の響きがあった。口では要請の言葉を吐きながら、それは直後の断りの文句を予想してのモノであった。
絶望とまではいかないが、それでも常の小揺るぎすらない決然としたあり方ではない。糞虫の直感が声音の中のほんの僅かな諦観と失望を感じ取る。
――その響きの心地よさたるや、天上の音楽とて比肩しえないのではないだろうか。さらなる絶望に突き落とすのには期待通りの言葉を吐いてやればいい。
「分かっている。これは割に合わない仕事だ」
吾輩の無言を解答と取ったのか。ゴブリンスレイヤーは失望を精一杯隠そうとしながら、言葉を紡ぐ。だが、この忌々しい耳朶はそういう音声の機微には恐ろしく敏感であった。
故にこそ、直後の言葉を聞き逃すなどありえなかった。
「小鬼王は俺が刺し違えててでも仕留める。お前には…」
瞬間、吾輩の拳は卓上の油瓶を粉砕していた。加減なく振り下ろされた拳の革袋を貫いて鋭い欠片が突き刺さる。脳裏を駆け抜けた鋭い痛みは、揺蕩う糞虫共の言葉を霧散させた。そして、代わりに湧き上がって来たのは怒りだ。
――刺し違える? 糞虫の分際で王などと寝ぼけた事を抜かすマヌケと?
この吾輩がむざむざ死なせるでも思っているならそれ以上の侮辱があろうか。
無論目の前の男に左様な意図など無い事は十二分に理解している。
――貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ。
ふと脳裏に浮かぶのはいつの日かの約定である。死なせぬと、誓ったのだ。
気に入らぬ。眼の前の男が弱気に駆られている事も、吾輩が糞虫共に此奴を譲り渡すと思われているのも、全てが腹立たしい。
――この忌まわしき世界が滅ぼうと、そんなことはあり得ぬ!!!
手を卓の下に下げながら、逆の手で手言葉を作った。
『承服できぬ…そういう事なら吾輩は断るぞ』
その言葉に目の前の冒険者の肩が落ちる。それに喜ぼうとする糞虫の手を突き刺さった瓶の欠片ごと握りしめた。皮手袋にしみこむ油と血。そして痛みを以て告げるのだ。
貴様らの出る幕ではない、と。吾輩は己が身に巣食う糞虫共の声をねじ伏せる。
――あの日、全て殺すと誓った筈なのに、忘れたのか糞虫?
痛みをもって問いかければ、霧散するのもまた糞虫いらしい唾棄すべき衝動であった。
吾輩は己の問いに答える代わりに、小鬼殺しの冒険者を真っ直ぐに見据えた。
いつになく、苦悩と諦観の見える眼。そんなものはこの男には似合わぬ。
「お前が言う事はもっともだ……」
兜の奥から響くくぐもった声。
「済まなかった、この話は忘れ…『いかに貴殿と言えど、小鬼王の首は譲れん』なに?」
それを遮るように、手言葉を作った。
あの日の吾輩のように、幸福の絶頂にいる糞虫がいる。己の輝かしき未来を夢想する愚かな虫けらがいる。
『些事は全て貴殿に任せる。だが、かの糞虫の首は我輩のものだ。何れの邪神に叙せられた冠かは知らぬが、素っ首ごと叩き落としてくれよう』
何故、それを見逃すことなど出来ようか。
「…手ごわい相手だ。割にも合わん」
この期に及んで吾輩を案じる愚か者への応えに迷いはない。
『それが糞虫を見逃す理由になるのか?』
「すまん、感謝する」
言葉と共に再び見せられた房飾りの痕跡に、先刻ほどの愉悦は覚えなかった。
なぜなら、その兜の奥に何時もの決然とした灯を見たからだ。この男はこうでなくてはならぬ。
やればやることは決まっていた。
幸福の絶頂で輝かしき未来への夢想の中にいる我らが同胞を蹂躙するのだ。
――糞虫冥利に尽きると言うものであろう?
『それで...どう殺す?』
吾輩の応えに、鉄兜の奥が笑ったような気がした。
話すべき事を話し終えたゴブリンスレイヤーがさっと踵を返す。その後ろ姿をローグは黙って見送った。
――あの背を、吾輩はどうしたいのであろうか。
元より彼奴の前でこの聞き苦しいゴブリンの声で話すわけにはいかぬ。だと言うのに、何かもどかしく思うのは何故だろうか。
絶望と憎悪を供に、ただ一人闇の中を歩くと決めた事に後悔はない。なのに、いつの間にか灯ったその火こそ何よりも渇望し続けた「何か」のように思える。
底知れぬ闇の道を歩き続け、なお闇を恐れるのは…。なお孤独に寂寥を感じるのは…。
かつての灯りを覚えているからなのだろうか。
そして、かつての温もりを…。 ゴブリンスレイヤーが礼儀正しく閉めていった扉を、ローグは無言で見つめていた。
いつになく小鬼殺しは弱っていた。無防備だった。助けを求めていた。
その手をはねのけたらこの冒険者はどんな声を漏らすのか、それをどこかで期待している自分がいた。
そんな衝動と相反する何かが腹の底に確かにある。
――あまり吾輩を惑うてくれるな…。
ふと机の下に置いていた火酒のツボを拾い上げ、一息に干す。のどを焼く感触と胃の腑におちて煉獄の如く燃える酒精の熱さが、今はわずかに心地が良い。
飲み干した火酒のツボが手から滑り落ちる。
久々の深酒のせいか、思考は濃い霧がかかったかのようだった。
もはや酩酊し、揺らめく風景。どこかで声がする。
大事か? あれが大事か? あれが欲しいか!? 渡したくないか!!
ならば壊したらどんなに楽しいだろう?
裏切られたときの戸惑いはどれだけ甘美だろう?
それが失望と怒りに変わる様はどれほど胸を高鳴らせるだろう?
己が大事に大事にしていたものを己の手で打ち壊す!
そこにまといつく絶望と怨嗟はどれほど甘美なものか、お前は知っているだろう?
――黙れ
お前はつぶさに覚えている。
戸惑う顔を、安堵の顔を、組み敷いた時に即座に恐怖に変わったあの顔を。
美しい、美しいあの顔を一度たりとも忘れた事はないはずだ。
「黙レッ!」
思わず口から声が漏れる。糞虫共の俗悪な言葉。言の葉の響き一つとて虫酸が走る。
酩酊した思考の中をガラスのかけらのような記憶達が揺蕩う。
蹂躙し、むさぼりつくしたその肉の味がにわかによみがえっては、股座に醜悪な血が集まってくるのを感じる。
油断している。スキをつけるぞ。致命の裏切りをくれてやれ。
その時得る悦楽はいったいどれほどのものか。
いつになく、吾輩の中の糞虫共がうるさい。
めずらしく吾輩はかの害虫共に寛容になってしまっている。罵倒しようにも言葉が出ない。
ローグは気づけば己が拠点としている宿から飛び出し、郊外に走っていた。
ゴブリンスレイヤーが寝ずの番をしているであろう牧場をよけ、別の方向にある小高い山の上。そこで咆哮した。まるで犬のように喉の奥を震わせながら、狼を思わせる奇妙な咆哮が彼方の山嶺に木霊する。
いっそ犬ならばよかった。ただ獲物をかみ殺す、それだけを考えてそれだけに血道を上げる畜生であれば、どれほど良かったろう。
このまま狂気に浸ったふりをして、いっそ全てを捨て去ってしまおうか。
吾輩は黙って己の剣を抜いた。刃が見える。澄んだ刃が…模様鍛接された大理石の如き刃の表面に鋭い輝きがある。吸い込まれそうなほどのきらめきがある。
戯れに爪弾けば、澄みきった金打声が小さく響き渡る。
もう一度、爪を当てれば冷たい鋼の音が、ただ一つ信仰する誓言を思い出させる。
「己すらも信じるに値しないのであれば、信ずるものなどただ一つ。鋼を、ただ鋼のみを信ずるのだ」
内なる糞虫の声などよりも鋼の鳴り響くを聞け。それこそ糞虫共を永遠に眠らせるために、鋼が目覚める音だ。
――下賤で醜悪極まる糞虫共よ、絶望して死ぬがいい。
しばらくして、遠方より響いたいらえが、その木霊に答える声と共にはるか彼方にまで響き渡るのを。盗賊騎士は知る由もなかった。
そこは辺境の街より山を1つ超えた深い森の奥。 その木々の隙間から見せる空は、夕日が地平に隠れ始めたまさに黄昏時の空であった。その茜と紫の入り交じる空に一つの声が響く。彼方より、清涼な空気を穿つように響くのは、獣の声、もっと言うのであれば同胞の声だ。
彼は自分の耳をピクリと立ち上げた。その「声」の含む情報を一つ残らず聞き逃さぬようにするためだ。
その長い長い遠吠えの響きが彼の心を躍らせる。
はるか遠方より大切な報せを伝える為に、幾多の同胞たちが連なるように吠え伝えたそれは、待ちわびた報せ。
全ての兄弟達の喜びが、連なる同胞たちの猛りが心を沸き立たせる。
そして気づけば、彼は長い咆哮を上げていた。
彼方に待つ兄弟達に、幾星霜も待ちわびた、その命令を届ける為に……。
かねてより追跡していた「獲物」。
それも久方ぶりの大物であるそれは、幾多の獲物共を屠ってきた彼にとっても形勢の危うい相手であった。
「獲物」の中でもひときわ強力な個体がそろっているばかりではない。有象無象の雑魚どもですら大群である。到底、彼一頭で殺し切れる相手ではない。
――群れが必要だ。
諦めるという選択肢など無い。さりとて無謀な単騎駆とて否である。
咆哮の主こそ彼の知らぬ同胞であったが、その符丁には覚えがあった。否、忘れたくても忘れられぬ。寝ても覚めても待ち続けた「命令」である。
「兄弟達」が歓喜と共に伝令したそれは、配下を持つ「兄弟」によって連奏され、幾多の山々を木霊し、ここに至ったのだ。
連ね伝えたその知らせこそ待ちに待った「招集」を命ずるものだった。「主」が彼を必要としていた。
「主」が兄弟たちを必要としていた。
「獲物」共を追い続けた先にきっとまた会えると、「獲物」を殺し続けていればきっといつか来ると、そう信じて待ち続けた時が来たのだ。
歓喜と共に「彼」は次の「兄弟」へとつなぐための咆哮を上げた。
答えの代わりに茂みがざわついた。何頭もの同胞たちが唸り声を上げながら出てきた。
風に乗ってきた匂いが十重二十重に囲まれている事を知らせる。
一際大柄な「同胞」が牙を剥きだしにして前に出る。
この先に「兄弟達」のいない群れがいくつあるかは分からない。だが、一つ確かなことがある
――お前が最初でも無ければ最後でもないだろう
喉をならし僅かに牙を見せる。跪くならよし、そうでなければ躯を晒せ。
眼の前の同胞が僅かにたじろぎ、ひときわ大きな唸り声を上げた。
――「軍勢」が必要なのだ。待ちわびた招集に応える為に。我が主命に殉ずる為に。
夜の帳を斬り裂くように勝利を告げる咆哮が響いたのは、それから僅かの事だった。
それは忠実な獣である。
それは獰猛な獣である。
それは恐るべき獣である。
それは狩に秀でた犬である。
それは忠勇以外の鎖では縛られぬ狼である。
小さきもの、並みのもの、大きなもの、皆がそれぞれ「狩り」を教え込まれ
皆がそれぞれの「狩り」に秀でている。
彼らの獲物は小さきものである。
彼らの獲物は大きしものである。
彼らの獲物は醜悪なものである。
彼らの獲物は許されざるものである。
彼らは獲物を逃がさぬ。
彼らは獲物を見失わぬ。
いつかまみえし主の為に。
だだ、主がそれを望むが故に……。
――とある貴族の詩集より
今回は前回の裏の作品となっております。ちなみに今回含めてしれっと出てくるワンコは、外伝でローグが乗っている狼ちゃんとは違います(笑)
この作品も連載開始から5年w なんとも長い時間お付き合いいただいてきたと思います。
応援して下さった皆様のおかげでここまで来れました。これからもよろしくお願いいたします!!