ゴブリンスレイヤー THE ROGUE ONE    作:赤狼一号

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 大変長らくお待たせいたしました。
 更新が長引いた中でもコメントくれた皆様。日々巡回してくれていた皆様。
 本当にありがとうございました! とても励みになりました。 



異邦人≪エイリアンズ≫

第9話

 

 

 燃え立つような夕陽が、しっかりした石組みのそれを照らしていた。明らかな人工物の巨石を以て組み上げられたその建造物には出入口と思しき長方形の空洞があり、その周囲に歩哨らしき糞虫共とその飼い犬の姿が見える。

 

 詳しく言えば狼なのだろうが、用途としてはまさしく「犬」である。番をさせ捜索に使い、用がなくなれば食う。

 

 存外に物覚えも良いし、糞虫(ゴブリン)と畜生で近しいもの故か意志の疎通も何となくとれる。吾輩もわが師の「猟犬」の訓練をよく行ったものだ。一時はそうした「犬」を大量に育成して糞虫共の駆除に役立てようと思ったが、一所にとどまらねば難しいために断念した。

 

 できる限り糞虫共の殺し方を訓練して肉の味を覚えさせたが、今頃どうしているだろうか。

 

 あるものは立ち寄った農村に引き渡し、あるものは山で己のつがいを見つけて野に帰っていった。今頃、どこかの山で糞虫共のハラワタを貪っているのだろうか。それとも貪られているのか。

 

 どちらにせよ、今日あの糞虫共のハラワタを引き裂くのは吾輩達だ。

 

 西日の強い事もあって、夜目が利く吾輩にも入り口の奥に広がる深淵の底は見えない。

 

 吾輩やゴブリンスレイヤー達が潜む茂みは入口より風下に位置する。向かい風で矢勢が伸びて狙いにくい事はあるものの、まずまず無難な奇襲の位置取りである。

 

 吾輩は手にした東方風の短弓に矢をつがえた。もっとも吾輩の出番はまだだ。

 

 一の矢を放つのは背丈ほどの長弓に矢をつがえた妖精弓手。

 

 もともと射手としては名高い森人の弓だけに、手にする長弓も技巧の粋を凝らした造形である。我が師の命で過去に吾輩が訓練したイチイの丸木を削り出しただけの戦弓(ウォーボウ)とは大違いだ。

 

 あれは天秤棒を撓めて弦を張ったような長くて単純なつくりの弓で、長さは吾輩の背丈より長く、引きの重さが並みの男二人分もある強力な代物だ。並の甲冑であれば馬の首ごと貫く事ができる。

 

 対照的なほどに精緻な作りをした森人の長弓は、なかなかに複雑な造形をしている。恐らくは弓力の割には引きやすく力の効率が段違いなのであろう。

 

 弓というものを知り尽くした種族が作る弓。吾輩も一張り買い求めてみようか。

 

「外すなよ」

 

「誰に言ってんのよ」

 

 鉱人道士のからかいをさらりと流し、妖精弓手が長弓を引き絞る。一切、力みも無駄もない美しい動作だ。

 

 前夜の話によれば、この糞虫共は古い森人の遺跡に巣食った連中の一部であり、この遺跡の内部には相当数の糞虫共が潜んでいるとの事である。

 

 そして大規模な営巣である以上、田舎者(ホブ)呪術師(シャーマン)、またはそれ以上の上位種が統率している可能性もあるのだ。

 

 ともあれ、今はこの森人の手並みを拝見するとしよう。

 

 僅かな吐息の音と共に妖精弓手のたおやかな指から弦が放たれる。優美に撓んだ長弓がその全ての力を矢に伝え、乾いた弓鳴りの直後に射ち出された矢が明後日の方向に一直線に走っていく。

 

「!?」

 

 予想と外れた軌道を描いた矢に、吾輩は一瞬、呆気にとられた。

 

「外しとるではないか」

 

 鉱人道士の焦った声に気を取り直した吾輩は、自分の短弓を引き絞り、放つ。

 

「……大丈夫」

 

 周囲の狼狽を他所に、妖精弓手は悠々と二の矢をつがえ、引き絞った。

 

「……当たるわ」

 

 吾輩の矢が真ん中にいた歩哨の口の中を貫いた瞬間、明後日の方向にそれたと思われた一の矢が急な曲線を描いて真横から2体の歩哨の頭部を貫く。 同時に放たれた妖精弓手の二の矢が番犬を射抜いた。

 

「あら、意外とやるわね」

 

 ゴブリンの口腔内に突き立った矢を見て、妖精弓手がニヤッと笑った。

 

 あのような妙技を見せられた後に褒められても何やら釈然とせぬ。なるほど弓術を極めるとこのような手妻も可能になるらしい。

 

 まさに魔法としか言えないような妙技を前にして、吾輩は素直に感嘆した。さすがに森人だけあって、弓術だけならわが師にも勝るとも劣らないものがある。

 

「十分に熟達した技術は時に魔法にも見えるものよ」

 

 鉱人道士に向けて妖精弓手が、ふふん、と得意げな顔を向ける。

 

「それをワシに向かって言うかね」

 

 鉱人道士が辟易したように言い返した。

 

 吾輩は行き場を無くした二の矢を弓から外して、ゴブリンスレイヤーを見た。やはりかの御仁も妖精弓手が外した時に備え、投石紐(スリング)で一撃を加えて即座に切り掛かる算段であったようだ。

 

 森人であるから弓は得意であろうと思っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。さすがに「冒険者」という事か。

 

 しかし、こうなると短弓を持ってきたのは失敗であったかもしれぬ。専任の射手。特に妖精弓手の弓の腕であれば、予備は必要ない。あったとしてもナイフや石などの投擲で十分である。

 いくら短くて携帯性に優れると言っても、弓である以上はある程度かさばるし両手も塞がる。予備としてならゴブリンスレイヤーの様に投石紐を選ぶべきであった。

 そも吾輩が短弓を選んだのは速射性と刀槍の届かぬ距離であっても殺せるという利点ゆえである。それに加えて吾輩の遠距離投擲の技はゴブリンスレイヤーと引き比べて一歩届かぬ。

 

 ゴブリンスレイヤーや女神官と徒党を組む事に慣れて来た矢先に、いきなり徒党の人数が倍になり、その能力も未知数であるという事であるから、無難な装備を選んだが……。仕方のない事なのだろうが、なんとなく嫌な予感がする。

 

 徒党を考慮した装備の選定と前衛後衛の配分というものはどうも難しい。昨今は吾輩とゴブリンスレイヤーが二枚の盾となって女神官の援護の下で戦う。と言う役割分担がはっきりしていたので考えもしなかった。

 

 わが師に付き従っていた時などは、吾輩も師も完璧に前衛であったのでなおさらである。

 

 吾輩の思案を他所に、ゴブリンスレイヤーが死んだ糞虫の腹に短剣を突き立てた。たちまちあたりに広がる血と臓腑の匂い。そういえば今回は二人も女がいる。残念ながら吾輩の匂い消しも、ここ最近は立て続けに糞虫共を殺していたせいで補充していない。

 

「あ、あんたたち…な、なにしてるわけ」

 

 妖精弓手がこわごわとゴブリンスレイヤーの手元をのぞき込む。

 

「奴らは鼻が利く。とくに女の匂いには敏感だ」

 

 ゴブリンスレイヤーが振り返るでもなく静かに答える。妖精弓手の耳がビクリと動く。どうやら何かを察したようだが、かねがねその通りである。

 

 吾輩はゆっくりと後ずさりしようとする妖精弓手の背後に立った。

 

 どん、と吾輩の胸板に突き当たった妖精弓手が恐々と振り向き、その表情が絶望に彩られていく。まったくどうして森人という連中の顔はこうも美しく歪むのか。いろいろと歯止めが利かなくなりそうなのでやめて欲しい。

 

「すぐ、慣れますから」

 

 すがるような視線を向けられた女神官が華のような笑みで答えた。明るいはずなのに妙に影のある笑み。吾輩は良く知っている。あれは抗う事を諦め、狂気に流されつつある者の眼だ。

 

 そう言えば、徒党を組んで間もないころの女神官は、今の森人と同じような表情をしていた気がする。ごく最近の事なのに、もう随分と昔の事の様に感じるのは何故だろう。

 

 糞虫共の血と臓腑で彩られ、めそめそと泣き崩れる森人の姿はやはり美しかった。

 

 美しい女の悲鳴とすすり泣き程甘美なものはない。糞虫の情動の感覚というのはまったくもって吐き気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの遺跡の壁が、小鬼殺しの冒険者が持つ松明の明かりに照ら出される。壁面のそこかしこに書かれた文字や壁画。解読すらできぬ言語や抽象画の数々はこの遺跡が途方もないほど古代に建設された事を示している。古代人の足跡が刻まれた回廊。その石畳の上を一行は歩いていた。

 

 最前を行くのは妖精弓手と盗賊騎士。中衛をゴブリンスレイヤーが務め、その傍には回復役の女神官。殿を受け持つのは鉱人の道士と蜥蜴僧侶である。

 

「拙僧が思うにこれは神殿であろうか」

 

 蜥蜴僧侶は壁画の一部を横目に呟いた。

 

「このあたりは神代のころに戦争があったと聞いたことがありますから、その時の砦か何かではないでしょうか。…人の手で作られたもののように見えます」

 

 壁画の一部に注意深く手を当てながら、女神官は答えた。未知への探求に浮かれるでもなく、さりとて闇に潜んでいるであろう脅威に怖気るわけでもない、静かな声音。

 

 小鬼殺しの一党は不思議な静けさを持つ御仁ばかりだ。

 

「それが兵士が去り、残るは小鬼(ゴブリン)ばかりとは、残酷なことだ」

 

 蜥蜴僧侶は主の居なくなった壁画を横目に、僅かの間、瞑目して古代に生きた異邦人達の冥福を祈った。

 

「残酷といやぁ、おめえは大丈夫なんかい」

 

 鉱人道士が珍しく気使うような調子で、森人に水を向けた。

 

「うえぇぇぇッ。気持ち悪いよぉ……」

 

 装束の所々を血脂で汚した妖精弓手がメソメソと弱音を吐いた。長い耳はヘタリと垂れ下り主の意気消沈ぶりを表している。

 

「すぐ、慣れますから」

 

 出口の時と同じセリフを口にする女神官。やはり華の咲く様な笑みだが妙に怖い。

 

「うえ?」

 

「慣れますから」

 

「」

 

「すぐに…慣れますよ」

 

「…はい」

 

 白磁等級離れした異様な迫力に負けて、妖精弓手はトボトボと遺跡の奥へと歩いて行った。その様子をじっと見ていた盗賊騎士が何を言うでもなく、その背に陰のように付き従う。

 

 騎士と言うよりは暗殺者の方が似合いであるな、蜥蜴僧侶はそう思った。

 

「あれ、暗にお前も早くコッチに来いって言って居ったじゃろ」

 

 女神官の後ろ姿を見ながら、鉱人道士が呟いた。

 

「道士殿、知らぬが華と言う言葉もあります」

 

 蜥蜴僧侶の言葉を聞いた鉱人道士が、発酵の進みすぎた葡萄酒を口にしたような顔をしている。

 

 本来であれば危険に身を投ずる冒険者が言う事ではないが、否、故にこそ言うのであろう。「君子、危うきに近寄らず」である。

 

 

 

 

 それにつけても興味深いのは件の盗賊騎士だった。かの沈黙の聖騎士の従士であったと言う事を除けば、その正体は定かではない。だと言うのにゴブリンスレイヤーも女神官もあまりに気にしているように見えない。

 

 小鬼殺しの冒険者に影の様に付き添って一言も喋らぬ。時折なにやら手技をもってサインのようなものをやり取りしているのを見るに、あれが彼らのコミュニケーションの手段なのだろう。

 

 いっそ感応の奇跡でも用いてみるかとも思うが、数打てぬ奇跡を使うには状況的にそぐわない。

 

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)と二人して朴念仁を貫いて女神官殿を四苦八苦させている様子を見ていると、何やら奇妙な滑稽さがあるが。

 

 

 一体いかなる種族の御仁であろうか、大なり小なり夜目が利く事は間違いない。

 蜥蜴人である自分と鉱人の道士は言わずもがなであるが、森人である妖精弓手とて夜目は利く方であろう。

 

 であると言うのに、かの盗賊騎士は全く遅れることなく斥候をこなしている。

 

 しかも、蜥蜴人程ではないにせよ大柄な体躯ではあるが、その割に動作は俊敏で無駄がない。

 

 蜥蜴僧侶は興味深げに盗賊胴(ブリガンダイン)の背中を見つめた。

 

 なめし革に鋼片を裏張りした盗賊胴(ブリガンダイン)は頑丈な割には小片を組み合わせている事もあってシルエットに自由が利く。故に腰に括れを作ってしっかりと「腰で着る」ことが出来る為、動きやすい。

 

 腰に吊った猟刀(メッサー)や北方蛮族風の手斧や短剣、投げナイフに至るまで質実剛健で実用本位な品である。華美な趣こそ無いものの、業物である事は言うまでもない。手にした東方風の短弓を苦も無く使いこなしているあたり、やはり武芸の腕は相当なものがある。

 

 鉄帽子(ケトルハット)から垂れさがる鎖綴りに覆い隠されて面差しこそ見えぬものの、かえってその奥から垣間見える鋭い眼光が、明らかに有象無象の者ではあり得ぬことを理解させる。

 

 それにしても、興味深い者たちが一堂に会したものだ。前を行く面々の後姿を見ながら、蜥蜴僧侶は心の内で呟いた。

 

 それまでの活躍に加えて、盗賊騎士や女神官と徒党を組んだことで、より一層、辺境に勇名を轟かせる事となった小鬼殺しの一党。自身と同じ銀等級の冒険者である妖精弓手と鉱人道士。

 

 本来であれば袖すり合う事すらなかったであろう異邦人たちが、なんの因果かこうして徒党を組んでいる。

 

 やはり旅に出たのは正解であったという事だ。異形を殺し、魂の位階を上げて竜に至る。そんな旅路の最中だからこそ、未知を知る楽しみがあってもいい。

 

 それに実のところ徒党のバランスも良い。

 

 術者が自分を含めて三名。純粋な斥候兼援護役の妖精弓手とその予備(バックアップ)に加えていざとなれば前衛もこなせる盗賊騎士。斥候兼前衛のゴブリンスレイヤー、そして前衛兼術師の自分。術師でありながら、前衛と援護も可能な鉱人道士。残る女神官は貴重な回復役でありながら、援護の奇蹟も習得している。それに加えて異様なまでに場慣れしており、やたらと腹が据わっている。

 

 前述の盗賊騎士殿も含めて、昨今の白磁等級(ニュービー)はいささか頼もしすぎではないだろうか。

 

 ともあれ、索敵しつつあらゆる事態に対処することが求められる探索強襲(ハック&スラッシュ)にはもってこいの面子と言える。

 

 さて、今のところ気配はないが鬼がでるか蛇がでるか。無論、出るのは小鬼であろうが、先ほどから何事か思案している小鬼殺しの様子を見るに、それだけではすまぬような気もする。

 

「それにしても、地下は慣れたもんじゃが、なんぞ気持ち悪いのう。ここは」

 

 鉱人道士がぼやく。それは蜥蜴僧侶も同じだった。

 

「螺旋状になっているみたいね」

 

 先を歩く妖精弓手の声。先ほどから延々とこの通路を歩いているが、微妙な傾斜がついているらしく、平衡の感覚が少しづつ乱れている気がする。

 

 

 外部からの侵入者の方向感覚を狂わせるための小細工。 

 

 ふと前衛の盗賊騎士が何か手で合図を送るのが見えた。

 

「止まれ…」

 

 ゴブリンスレイヤーが短く制止した。どうやら斥候の二人が何かを見つけたらしい。

 

 妖精弓手が地面に腹ばいになり、慎重な面持ちで石畳の一つを注視している。

 

 

「…鳴子か?」

 

「多分。…真新しいから気づいたけど」

 

 盗賊騎士がゴブリンスレイヤーの方へ振り返ると、またあの不思議な手技をいくつか見せる。

 

「妙だ…って何が妙なんですか? ローグさん」

 

「トーテムが無い」

 

 女神官の問いに、ゴブリンスレイヤーが代わりに答えた。

 

「つまり、ゴブリンシャーマンが居ないって事ですよね」

 

 胡乱気な顔をした鉱人道士の為に、女神官が確認する。

 

「あら、スペルキャスターが居ないなら楽でいいじゃない…ってなによ」

 

 見れば盗賊騎士(ローグ)が首を横に振っている。どうもそういう問題では無いようだ。つまり、問題は統率をとる者の存在が明らかでないという事である。

 

「察するに、居ないことが問題なのでしょう」

 

 蜥蜴僧侶が水を向けると盗賊騎士(ローグ)はゆっくりと頷いた。

 

「そうだ、ただのゴブリンだけならこんなものは仕掛けられんし、そもそも真面目に立哨になど立たなかっただろう」

 

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の、決然とした声。

 

「指揮するものがおると?」

 

 鉱人道士の相槌に、小鬼殺しの冒険者は黙って首肯した。

 

 これは、いよいよ話がきな臭い。蜥蜴僧侶はゴブリンスレイヤーに声を掛けた。

 

「小鬼殺し殿達は以前にも大規模な巣穴を潰したと伺ったが、その時はどのように」

 

「いぶり出し、個別に潰す。火をかける。川の水を流し込む…「最近だと爆薬で坑道ごと吹き飛ばしたりしてますよね」…手は色々だ」

 

 女神官がニコニコ笑っている。なんだか妙に眼が怖いのは何故だろうか。

 

 

 

 

「そう言えば聞いてませんでしたが、こないだも結構大きな巣を潰したんですよね、ローグさん。

別の徒党の方に手伝ってもらったんでしたっけ」

 

 女神官に唐突に水を向けられて、吾輩は手言葉で簡潔に答えた。

 

「ふむ、外壁を登攀して巣の中に潜入。油を撒いて巣ごと燃やしたか。……悪くないな」

 

 げんなりとした目で小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の答えを聞いていた妖精弓手が恐る恐る女神官に目を向け、すぐに逸らす。

 

「残念ながら、今回はどの手も使えそうにないですね」

 

 なんだか妙にギラギラとした笑みを浮かべた女神官が残念そうに言う。そう言えば最近は最初の時ほど「効率的なやり方」に反対しなくなってきた。つまり学習したという事だ。やはり只人(ヒューム)は覚えが早い。

 

 

「足跡は分かるか」

 

 女神官の異様な雰囲気などものともせず、ゴブリンスレイヤーが簡潔に尋ねる。

 

「森や洞窟ならともかく、石の床はちょっと」

 

 これ幸いとそちらに振り向いたは良いものの、妖精弓手は難しそうな顔で眉根を寄せ、首を横に振った。

 

 如何に敏腕の狩人とて土の上の追跡ならお手の物だろうが、石畳とあれば分が悪いらしい。

 

 匂いで辿ろうにも、どちらからも同じ程度の糞虫の匂いがする。さてどちらに進むべきか。

 

「どれ、わしが見よう」

 

 そう声を上げたのは鉱人の道士である。

 

「奴らの寝床は左側じゃ」

 

 石畳を観察し始めて、いくらもたたぬうちに鉱人道士はあっさりと断言した。

 

「どういう事ですか?」

 

 女神官が唐突に年相応の表情に戻って小首を傾げる。

 

「床の減り具合じゃのう。奴等は左からきて右に行って戻るか、左からきて外に向かっておる」

 

「…間違いないか」

 

「そりゃ鉱人じゃもの」

 

 冷静なゴブリンスレイヤーの声に、のんびりとした調子で鉱人道士が答えた。話には聞いていたがやはり人が作ったものに関しての鉱人の洞察は侮りがたい。

 

 ゴブリンスレイヤーは吾輩の肩を叩くと、己の剣で右側の道を指した。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、そっちは…」

 

 はずれの道だと伝えたかったのだろうか、女神官の困惑の言葉がしりすぼみになる。

 

 ゴブリンスレイヤーが歩き出した故だ。

 

「あの…」

 

 女神官は再び何かを言いかけたが、ゴブリンスレイヤーに従って歩き始めた吾輩の方をちらりと見て、少しため息をつくと、自身の杖を担いでついて来た。

 

 それでいい。ゴブリンスレイヤーは分かって行動をしている。彼奴が説明よりも優先するものがあると言う事だ。

 

 尤も、吾輩には彼奴の意図は何となく察しがつく。故にこそ胸に何やら鬱蒼としたものが沸いてくるのが煩わしい。

 

 中途半端な人間性がもたらす煩悶。

 

 しかし、これこそが吾輩を唯の糞虫にしておかなかった「もの」である。

 

 なればこそ、吾輩は前へと進むのみだ。

 

「こちらでいい…まだ間に合うかもしれん」

 

 ゴブリンスレイヤーが周りを見据えてくぐもった声を発する。

 

 静かに落ち着いた声音。その中に僅かばかりの焦りがある。

 

 ゴブリンスレイヤーは吾輩とは違う。奴には糞虫共への怒りと絶望がある。そして奪われる悲しみを知っている。

 

 故にこそ奴はゴブリンを殺し続けるのだろう。例え己が道半ばに斃れたとしても…。

 

 だが、吾輩は違う。この身の絶望も糞虫共への嫌悪も、この呪わしき宿命も、すべてを薪として憎悪する。人生も魂も苦痛も喜びもすべてをくべて焼き尽くそう。

 

 この世界に蔓延る糞虫共。その苦痛は我が歓喜。その根絶は我が宿願。この呪わしき世界もろとも焼き尽くしたとしても必ず成し遂げて見せる。

 

 奴と吾輩は似ている。だが、やはり違うのだ。

 

 だとしても、吾輩と奴、ゴブリンスレイヤーと糞虫(ゴブリン)のローグは、今この瞬間に同じものを見ている…。

 

 糞虫共、絶望して死ぬがいい。

 

 

 

 

 

 部屋が近づくにつれて、森人(エルフ)の弓手はもちろんの事、蜥蜴人(リザードマン)の僧侶や鉱人(ドワーフ)の道士達がそろって顔をしかめている。女神官も清潔な布を口に巻いて、厳しい表情をしているほどだ。大なり小なり鼻の良い種族の者たちはたまったものではないのだろう。

 

 女神官の表情を見るに、どうやら察しがついて来たらしい。さすがに吾輩達について幾多の糞虫共の営巣を灰燼に帰してきただけの事はある。

 

 吾輩には前を進むあのボロボロの鉄兜の奥に隠された表情は見えない。だがきっと同じことを思っているはずだ。

 

 しばらくして見えてきた扉をゴブリンスレイヤーが開く。

 

 部屋の中に入ってすぐに目に飛び込んできた光景はやはり予想通りのものだった。森人(エルフ)の弓手が口を押えてえずく。

 

 鉱人(ドワーフ)蜥蜴人(リザードマン)は言葉を失っており、女神官は鋭い目つきで杖を握りしめ鞄をまさぐっている。ポーションと毒消しの数を確かめているのだろう。

 

 

 端的に言えば、その部屋には囚われた森人の冒険者がいた。不幸な事があるとしたら彼女が「女」だったと言う事であろう。

 

 その部屋は食べかすやら排泄物が散乱し、多種多様なごみの中に吐しゃ物やら、糞虫共の体液やらがそこら中にまき散らされていた。

 

 糞虫共が目の前の森人を「使って」日夜ちょっとした息抜きをしていた事は、誰の目にも明らかだ。

 

 部屋の奥に拘束された森人の姿は「惨状」といって差し支えないものであった。その半身は汚れてはいるものの、生来の美しい姿を保っていたが、残る半身には陰険な暴力と凌辱の痕跡が余すところなく刻まれている。

 

 何故だろう。もう幾度となく見てきた光景の筈なのに、吾輩の武器を握る手に不思議と力が籠る。心臓を荒縄で以て締め上げられる様な不快感。

 

 慣れるわけが無い。忘れるわけが無いのだ。絶望と憤怒の眼差しを…。吾輩がこの世界に生まれ出でて初めて目にした光景。そして、糞虫共の巣穴に入るたびに目にする光景。

 

「……殺してよ」

 

 ぽつりと蚊の鳴く様な呟きが耳朶に届く。言われるまでもない。ゴブリンスレイヤーはもう気づいている。吾輩が矢筒から矢を抜き出すと同時に走り出した。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 杖を地面に突き立て女神官が目くばせする。恐らくは目くらましの奇跡を行使するか否かを問うているのだ。やはり女神官も気づいていたらしい。こうなれば早い者勝ちだ。

 

「いらん! ローグ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの剣が、囚われの森人(エルフ)の足元を指す。先刻承知である。吾輩は耳も良いのだ。聞こうと思えば糞虫共の吐息も心音もはっきり聞こえる。

 

 刹那、吾輩は引き絞った弦を放った。弓弦から放たれた矢は真っすぐに飛ぶ。

 

 岩陰から身を露わにした糞虫の胸郭をぶち抜いた。

 

 狩猟用の返しの大きな鏃に肺腑を引き裂かれた糞虫が、カエルを潰した時の様な呻き声を上げる。驚愕にゆがむ間抜け面がなんとも心地よい。

 

 振り上げた手から毒塗りと思しき短剣が零れ落ちた。

 

 地面に倒れ、血反吐を垂らして喘ぐ糞虫の口蓋に剣先を当てるとゴブリンスレイヤーはそのまま真っすぐ体重をかけた。口蓋を貫いた剣先が脳髄に達したのか、糞虫の体が、ビクッと痙攣して動かなくなる。

 

「…三」

 

 鉄兜の奥から錆びた呟きが漏れた。

 

「あいつら……みんな、殺してよ…」

 

 囚われの森人が血を吐くような呟きを漏らす。

 

「…無論だ」

 

 ゴブリンスレイヤーの決然とした答え。それが全てだった。

 そして、吾輩の答えも……。幾度、賽を転がろうとも変わりはしない。

 

 

 

 糞虫共、絶望して死ぬがいい。

 

 

 

 

 

 

 




 さて、次回はいよいよオーガ戦です。今後の予定となりますが、アニメと同じように水の街編に行くかゴブリン王戦に行くかは検討中です。
どのみち先にゴブリン王編を書こうと思ってます。完結まで概算あと3話ほどになると思いますので、よろしくお願いいたします。
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