ストレンジ・ソルジャー(ゼロの使い魔×FF7) 作:mu-ru
「何を見ているんだ?」
夜。来賓室の壁をじっと見つめているタバサにクラウドは話しかけた。
歴代の艦隊司令官の肖像画が並ぶ中、彼女の視線の先には一枚の肖像画がある。
「シャルル・オルレアン」そう銘が打ってある。この艦の名前と同じだった。
そこには凛々しい顔つきの男が描かれていた。鮮やかな短髪の青い髪に、同じく深い青の瞳の若い男。その顔の輪郭に、クラウドは目の前の少女との共通点を見出す。
「タバサの父親か?」
そう尋ねると、タバサはこちらを見た。
「どうして、知っているの?」
「リュシーと話した時に、この国の事情を少し聞いた。それに、顔がよく似ている」
「そう……、父様はこの絵ほど難しい顔はしていなかったけど」
そっと、彼女は絵画に描かれた父親の顔を撫でる。
「とても優しい人だった。私が魔法で何かできるようになると、いつも褒めてくれた。私は嬉しくなって覚えたての魔法をよく、父様と母様の前で披露していた」
懐かしい過去をタバサは穏やかな口調で語る。きっと、その頃の日々は彼女にとって優しい日々だったに違いない。
「父の死後に、今の国王である叔父がこの艦隊旗艦の名を決めた。あの男がどうして、自分が殺した父の名前を使ったのかはわからない。……わかりたくもない」
叔父の名を出した途端、彼女の表情は歪む。その顔は悲しみと憎しみが複雑に混合していた。
クラウドは黙って、彼女の話に耳を傾けていた。
「あなたのお父さんは、どんな人だった?」
タバサが話しかけてくる。
クラウドは記憶を探ってみて、しかし首を振った。
「よく覚えていない。父さんは物心つく前には死んでしまったから。どんな人だったのか。家族のことで覚えているのは母さんのことだけだ。あの人は……いつも元気だった」
「今は、どうしているの」
「もう、いない。どちらも死んでしまった」
母は、クラウドが最期に故郷に戻った数日後に死んでしまった。
瞼を閉じて思い出すだけで、故郷のニブルヘイムを焼いた炎が浮かんでくる。
あの元気な母は最期に何を思っていたのだろうか。
それを知る術はもう失われている。
「私は……」
タバサが自分の杖をぎゅっと握り締める。
「私は、自分が一体何のためにこの杖を振るうのだろうと考えるようになった。今までは、復讐のためだった。父を殺し、母の心を奪った叔父への復讐心だけが私を動かしている、そう思っていた。でもそれが最近、果たして正しいことなのか、わからない。あなたは以前、私が自分で道を選択したといった。だけど今はその選択肢に疑念を抱いている」
タバサはじっとクラウドを見つめた。クラウドと同じ青の瞳が不安げに揺れている。
「私はあなたが羨ましい。知らない世界に放りだされて尚、あなたは冷静でいられる。大事な人を、大切な物を失ってなお、あなたは自分を見失っていない。
だから教えてほしい、答えてほしい。あなたは、何の為に戦っている?どうして、私と行動を共にしてくれるの?」
溜め込んだ思いをすべて吐き出すように彼女は言った。それはもしかすると、クラウドと出会う以前から抱えていた 彼女の心の中の疑念も含まれているのかもしれない。
クラウドは言葉を選びながら、しかし迷いはなく彼女の問いに答える。
なぜならそれは、何千回と自身に問い続けてきたものだったからだ。
「自分のためだ。自分と、自分が大事にする誰か……何か……。そのために、俺は戦っている」
・ ・ ・
「すべての艦から火薬を降ろしてほしい」
翌日の早朝。シャルル・オルレアン号の作戦会議室に集まった首脳陣に向かい、タバサはそう発言した。
「何を馬鹿なことを!今は準戦時だ。わしは陛下から、いつにおいても戦端に駆けつけられるよう命じられておるのだ。そんな真似はできん」
総司令官のクラヴィル卿が真っ先に反対する。
「犠牲者が増える。これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない。」
「戦になれば損害は否が応にも発生する。それに比べれば、水兵が何人犠牲になろうと問題はない!それよりも、もし船から火薬を降ろしたと同時に陛下から詔勅が発せられたら、このわしが責任を負わねばならんのだぞ!わしはな、戦に勝利するためにここにいるのだ!断じて、こんな姑息な犯罪でわしの地位が落とされるためではない!いいから、調査を進めろ!犯人を捕まえてみせろ!なんの為に北花壇騎士の貴様を呼んだと思っているんだ!」
クラヴィル卿は口を荒げて激昂する。爆破事件が長引いているせいで艦隊の準備が大幅に遅れている。この男がそのことで焦っているのが見て取れた。水兵の命よりも己の保身が大事なのだろう。
新羅の上層部にもそんな奴がいた、とクラウドは思い出す。治安維持部門統括の髭面。見た目ばかり立派で中身が小心の、笑い方が下品な奴だった。まあ、この男はあれよりはマシだと思いたいと、比較しながら考える。
「その前提が間違っているぞ。総司令官」
「なんだと?」
いい加減うんざりしていたクラウドが冷や水を浴びせるように口を出した。
「責任?あるに決まっているだろう。既に15隻も戦艦が潰されているんだ。それ未然に防げず被害を拡大させた責任は間違いなく、ここにいるあんたたちにあるはずだ」
「傭兵風情が口を出すな!貴様に、我が艦隊の何がわかる」
「興味もないね。今大事なのは、この事態をいかに収束させるかだろう」
立ち上がって抗議するクラヴィル卿の罵声を気にも留めず、クラウドは続ける。
「総司令官、考えを改めたほうがいい。被害の数から言えば、戦時に匹敵する損害が出ている筈だ。これ以上くだらない議論をしていても何も解決しない。戦に勝利するために、あんたはここにいるんだろう?だから“
「ぬぅう……」
顔をしかめて唸るクラヴィル卿に、艦隊参謀のリュジニャンが進言する。
「クラヴィル卿、既に我々には打開策がありません。艦隊全体の士気低下もこれ以上無視できませんし、ここは話を聞いてみても……」
「ええい、わかった!申してみよ。一体何をするつもりなのだ!?」
ついに折れたクラヴィル卿を前に、タバサが再び発言する。
「全ての艦から火薬を降ろす。――ただし、この艦、『シャルル・オルレアン号』からは降ろさない」
首脳陣一同の顔が蒼白になった。
「まさか、この艦を……」
「そう、おとりにする。この艦だからこそ、チャンスを作れば必ず狙ってくる」
涼しい顔で告げるタバサに、クラヴィル卿は青ざめて反論した。
「馬鹿な!何を考えている!陛下の御召艦だぞ。もしも、この艦が破壊されるようなことがあったら――」
「――そんなことは絶対させない」
凛とした迷いのない発言に、首脳陣たちは言葉を失った。
「すべての責任は私が負う。だから、艦隊から火薬を降ろして」
・ ・ ・
「ここまでは上手くいったな」
桟橋から離れた煉瓦造りの保管庫の入り口で、艦隊に積み込まれていた火薬を運び込む作業を観察しながら、クラウドが言った。
「はたして犯人は――リュシーはのってくると思うか?」
「ここに来て最初の夜に話したこと、覚えている?話さなかった三つ目の勢力の話」
海からの冬風が厳しく吹きつける中、タバサの表情はどこか儚げに見えた。
「あれは彼女のこと、そして、私と同じような動機を持つ人間のことを指していた。怒りで体を前に動かす、復讐者。彼女は王政府に家族を殺されている。捜査記録に書いてあった。あなたも知っているでしょう?」
「直接聞きに言ったからな。もっとも、彼女に復讐しようなんて気配はまったくなかったが」
ただ、クラウドがそこに違和感を覚えているのも事実だ。もし、彼女が復讐者だとしたら彼女はどうやってその感情を抑え付けているのだろうか。
「彼女のやり方には見当がついている。復讐者は、目的を果たす機会が訪れたなら、どんな手段もいとわないもの。だから、かならず狙ってくる。あの『シャルル・オルレアン号』を」
遠くに艦隊旗艦を眺め、タバサが言った。彼女は続けてクラウドの方を向く。
「だから問題は“悪魔”の方。あなたはそれを知る方法があると言った。そろそろ教えて」
「それか、実は考えはあるんだが、上手くいくかはわからないんだ」
「不確実な方法ということ?」
「出たとこ勝負、といった感じか」
タバサが半眼でクラウドを睨んだ。
「あなたは結構、いい加減」
「友人の悪い所がうつったのかもしれないな」
悪びれる様子もなく、クラウドは肩を竦める。
「まあ、それなら、また夕食をやるよ。今夜は何がいい?」
「……昨日あなたの料理をぜんぶ食べてしまった。悪いから、もういい」
「やっぱり、似ているな」
ばつが悪そうに頬を赤くして、タバサは俯いた。
「ここにいましたか、探しましたよ」
声が聞こえて振り返ると、ヴィレールがやって来るところだった。
「ああ、特位少佐。先程はありがとうございました」
片足のブーツを上げてヴィレールがタバサに礼を述べる。
何のことかと、ブーツを見ると千切れた靴紐を青い糸で刺繍されていた。
タバサが直したらしい。
「どうかしたの?」
「ええ、そちらお付きの――クラウドさんに頼まれごとをしていまして」
「気になることがあったんだ」
クラウドはそう言ってタバサに羊皮紙の束を渡す。それは最初の夜にクラウドが目を通していた、爆破された戦艦と被害者について記載されたリストだった。
「これがどうしたの?」
「教会で水兵が話していた“悪魔”を見たとかいう船。サヴォア号についてだ。このリストに目を通してみたんだが、他の爆破された艦とは違う点があったんだ」
「あの艦には火薬が積んでいなかったんです」
ヴィレールが繋いだ言葉に、タバサは表情を鋭くした。
「調べなおしてみたところ、そちらのリストには記載されていますが、どうやらあの艦は上層部に報告せず密かに火薬を運ぶことを中止するように、水兵たちに指示させていたみたいなんです。そして、それを指示したのが――あの花壇騎士さまだったんですよ。まさか火薬が積まれていないのに爆破された船があったなんて想像だにしていませんでした。あの時、ほぼ同時にグロワール号も爆破されて、現場は酷く混乱していたので改めて調べなおすことも無かったんです」
「積んでいなかった?それなら、どうやってサヴォア号が破壊されたというの?」
「それを調べてもらったんだ。それでどうだった?」
クラウドが続きを促す。
「あなたの言われたとおりでしたよ。爆破されたサヴォア号跡をディテクト・マジックで探査したところ、尋常ではない量の魔力が検知されました。……とても人間には扱えない規模です」
「……どういうこと?」
タバサの疑問にクラウドが答える。
「花壇騎士は海上を漂っているところを発見されたと聞いた。たぶん、彼はサヴォア号の中にいたんだ。何をしようとしていたのかはわからないが、おそらく犯人をおびき出すためとか、その辺りだろう。しかし彼は瀕死の重傷を負わされた。そこで何かあったんだ」
「一体何がどうなっているのでしょう。……あの水兵の話の通り、この艦隊には本当に“悪魔”が潜んでいるのでしょうか。それとも、我々貴族仕官の中に犯人が……」
「大丈夫だ。あんた達の中に犯人はいない」
不安げな表情をするヴィレールにクラウドが言った。
彼はその言葉を信用して良いのか確かめるように、タバサの顔を見る。
「事件は必ず解決させる」
タバサのはっきりとした口調を聞いて、ヴィレールは口を結んで姿勢を正し敬礼した。
「信じます。あなた方に出会えて良かった」
・ ・ ・
「もし、リュシーが何らかの方法でその“悪魔”とやらを操っているとしたら、その正体を見極めない限り、俺たちも彼の二の舞になる」
ヴィレールがいなくなった後、クラウドが歩きながら言った。
タバサは頷く。確かに深刻な問題だ。自分たちが彼女の尻尾を掴もうとしていることが知れたら、何かを仕掛けてくる可能性は非常に高い。なんらかの打開策が必要だった。少なくとも、“悪魔”の正体は絶対に掴まなければならない。
「でも、それを知る方法がない」
「だから、聞きにいくんだ。目撃した人間に直接な」
・ ・ ・
二人が向かったのは、あの花壇騎士のいる教会だった。
周りにいた貴族士官や治療の為にいた水メイジたちをタバサの北花壇騎士としての特権で退室させると、二人は病室に入った。
微かに聞こえる、苦しそうな声。
全身に包帯を巻かれた、死にかけの男がそこにいた。
ただ生かされているだけのその男は、ベッドの上に横たわっている。
「悪いな……」
クラウドは男に近づき、顔の包帯を解いた。
焼け爛れた顔が現れ、その痛ましさに、横でタバサが僅かに顔を顰めるのが見える。
果たして上手くいくか。
クラウドは呼吸を整え、覚悟を決める。
そして、男の暗い瞳の中を覗き込んだ。
――ジジッ――
ノイズ。
クラウドの瞳孔が大きく開いて縦に裂け、淡い、緑色を帯びた。
発作が起きたように、体が激しく揺れる。
何かが、頭の中へ一気に流れ込んでくる。
「クラウド!?」
誰かが名前を呼ぶ。
クラウド?クラウドとは、誰だ。
そうだ、自分の名前。
俺のことだ。
自分を、見失ってはならない。
流れ込んでくる、これは、俺のものではない。
これは、記憶。花壇騎士の記憶だった。
生まれてから。
成長し。
ガリア王家に仕え。
騎士になった。
彼の人生の記憶。
此処ではない。
知りたいのは一番最後、彼が最後に見た光景……。
流れ込んでくる情報の波に耐えながら、懸命に探す
そして、辿り着いた。
船の中だった。
遠くで悲鳴が聞こえる。
狭い廊下。
そこを歩いている。
灼熱のような熱さだ。
炎の中を睨み、杖を構える。
『来い!』
彼が叫んだ。
目の前の廊下が砕け。
腕が飛び出してくる。
そして、見た。
その顔を見た。
悪魔の顔を。
『こいつは……こいつが!』
爪が襲いかかる。
炎が目の前を覆う。
強烈な、痛み
「ぐぅああああああああああああああ!!」
誰かが、地面に倒れる。
「クラウド!!」
誰かが、名前を呼ぶ。
眼の前が明滅して、全力疾走した後のような疲労感を感じていた。
ぼんやりとした視界に少女の顔が映った。
彼女の名前は……、そう、タバサだ。
幼いながら、優れた魔法を扱う少女。
この世界、ハルケギニアに来て戸惑っていた自分を助けてくれた少女。
クラウドの知っている、少女だ。
己の手を見る。自分の手だ。他人ではない。
この身体はすべて自分のもの。
だから、あの痛みも、自分が感じた痛みではない。
「何を、したの?」
タバサが心配そうな顔で話しかけてくる。
「この、花壇騎士の記憶を……覗いたんだ。この男の、最後の記憶をな」
「そんなことが……?本当に?」
「できるかどうか、自信はなかったが。どうやら、上手くいったみたいだな……」
他人の記憶を読み取ったのはこれが初めてではない。
過去に、クラウドはその力を無意識に使ったことがある。
それは、理想の自分を演じる為だった。
弱い己を隠し、幻想の中に逃げ込む為だった。
だから、こうして、自らの意思でこの力を使うことは初めての経験だった。
「……」
汗をぬぐい、激しく動悸する胸をクラウドはわしづかみにする。
この躰に埋め込まれた、あの男の細胞。
あの男を使役していた、怪物の肉体の一部。
それが、もたらす力。
記憶の転写能力。
――コピー、ナンバリング無し。役立たずの失敗作。
いかれた科学者の狂った笑い声が、どこかで響いている。
クラウドは目を瞑り、己の左腕に触れた。
普段は黒いベールで隠しているそこには、ピンク色のリボンが巻かれている。
共に戦った仲間たちとの絆。そして”彼女”を忘れないための戒め。
それに触れて、ゆっくり、息を整える。
大丈夫。
そう……。
俺はもう、大丈夫だ。
そう言い聞かせて、クラウドは立ち上がる。
眼の前には死にかけの男がいた。彼は今だ苦しみうなされ、悪夢の中から逃げられずにいる。
もはや助けることは叶わない。だが少なくとも、彼の苦しみが全て無駄になることはなかった。
そして彼の記憶から見た悪魔も、この世界の人間ではけっして正体を掴むことはできないものだった。
そういう意味でも、クラウドがここに来た意味は確かにあったのだろう。
「”悪魔”の正体がわかったぞ」
クラウドはそう口を開いた。
・ ・ ・
「沈みそうな船からは真っ先にネズミが逃げ出すって言うが、この場合それはうちの上層部の連中だったみたいだな。やつら、誰よりも早く陸に出て行きやがった」
日が暮れた甲板で、警備当番の士官が手を白い息で温めながらぼやいた。
彼が、上を見るとまた雪が降り始めている。この分では明日には積もるだろう。
艦隊首脳陣は船から立ち去った後、『シャルル・オルレアン』号には厳戒体制が敷かれていた。貴族士官のメイジが二十人に、水兵百五十人という鉄壁の布陣である。
「しかし、厳重だよな。この艦をおとりにするのはいいが、ここまでやっちまったら連中姿を現さないんじゃないか。……正直、俺は未だにこの件の犯人は新教徒だと思ってるんだ。だって俺たち貴族士官はずっと一緒にこの艦隊で仕事してきたんだ。俺たちの中に犯人がいるわけない。そうだろ、ヴィレール?」
同僚のヴィレールに同意を求めたが、答えは返ってこなかった。
ヴィレールは顔を伏せて蹲っている。
「おい、どうした?気分悪いのか?」
士官が駆け寄ろうとして、ふと気づく。
なにやら、静かすぎる。次に周りを見て驚愕した。
水兵たちが皆、倒れていた。全員眠らされている。
さらに、シャルル・オルレアン号全体を白い霧が覆っていた。
士官は勘付く。これはただの霧ではない。魔法により作られたものだ。
「おい、大変だ!ヴィレール!」
異常を知らせるが、ヴィレールは突然立ち上がり士官に杖を向ける。
ヴィレールの顔には何の表情も浮かんでいない。目には同僚に向けるとは思えない、冷たい光が帯びていた。士官は 信じられないという表情を浮かべる。
士官は杖を出そうとして、しかし出来なかった。
背後から首筋に強い衝撃を感じ、どう、と地面に倒れる。
「まさか……嘘だろ、ヴィレール」
「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」
気絶する寸前、最後に漏らした士官の呻きにもヴィレールは答えない。
彼は伸ばした杖の先から霧を噴出させ、周囲がさらに白く染まらせた。
その足が艦内へと向かう。目的地は当然、戦艦の中甲板――火薬庫だった。
・ ・ ・
扉の下から白い霧が漏れ出てきた。
「来たぞ」
火薬庫の中で、二人は待ち構えていた。
「霧を吸わないで」
タバサが注意を促す。「スリーピング・クラウド」こういった狭い屋内で最も効果を発揮する眠りの呪文らしい。こんな戦艦の奥深くまで侵入してくるということはおそらくもう、シャルル・オルレアン全体に魔法が浸透しているに違いない。
タバサが一歩前に出て、杖を振る。微かな風の流れがタバサとクラウドを囲い、白い霧は火薬庫内から雲散する。
次にドン、という音。
断続的に破壊音が響いたかと思えば、扉が魔法により蹴破られた。
そこに立っていたのは見覚えのある顔、ヴィレール士官だった。しかし様子がおかしい。
身体が弛緩したようにだらりと腕を肩ごと下げており、眼には光が点っていない。
クラウドにはわかった。あれは人形の眼だ。
己の意思がすべて消失した、操られるだけの道具の眼。クラウドが最も嫌悪する哀れな眼だった。
ヴィレールは「制約」の魔法により操られているのだ。クラウドはタバサに話しかけた。
「ヴィレールに“制約”が掛けられていることを知っていたのか?」
「別に、彼だけじゃない」
タバサはヴィレールの立っている扉の外を指した。すると彼の背後から別の影が現れる。
一つ、二つ。それは四人にまで増えた。全員がヴィレールと同じ、貴族士官だった。
皆一様の眼から光が失われ、魔力を滾らせた杖を手にぶら下げていた。
「爆破事件の長期化に加え、身内にかけられた疑いの眼に彼ら貴族士官たちは酷く疲れ切っていた。そして、自分の中だけでは解決できない悩みを――例えば、神官に告白したくなっても、おかしくはない」
「つまり、誰が操られていても不思議じゃなかったわけか」
ヴィレールは事件の長期化で内部に疑心暗鬼が起きていると話していた。彼らは皆、その悩みを寺院に告白しに行った者たちなのだろう。
暗示とはまさにそういった心の弱った人間に対して非常に通じやすい。
長く緊張を強いられる状況にいた彼らに、「制約」の魔法はたやすく染み込んでいったに違いない。
「ウル・カーノ・イス・イーサ・ウインデ」
ヴィレールがルーンを唱えると、真っ赤に燃える巨大な火球が出現し、こちらに向かってきた。「フレイム・ボール」の魔法だ。追跡してくるこの火球を前にして、狭い艦内では逃げる場所などどこにもない。
しかし、タバサはあえてその火球を杖で受けた。火球は杖先で急停止し、さらに大きく、タバサを飲み込むほどに膨れ上がり、次の瞬間に渦を巻いて消失した。竜巻のように空気を回転させることで火球を分解させてしまったのだ。
それを見て、まるで合図したかのように、後ろにいた他の士官たちが一斉に呪文を唱え始める。この人数で一度に魔法を使えばひとたまりもないと考えたのだろう。そんな思考が彼らに残っているのかは定かではないが。
――そこで、全員が部屋に入ったのを確認した瞬間、クラウドがマテリアを使った。
「『グラビデ』」
ブゥンと、空間がねじ曲がるような低周波。
見えない圧力が、彼らにとっては予想外であろう、上から襲い掛かった。
真下の床が突然の負荷に耐えきれずに木板が叩き割れ、一瞬にして士官たちの姿が消失する。
「じゅうりょく」のマテリアの初級魔法。広範囲にわたって重力を増加し敵を押しつぶす魔法である。
「やりすぎ」
タバサがぼそっと呟いた。
「こんな狭い船の中で使う魔法ではなかったかな」
床には『グラビデ』の力により、通路を遮断するほどの大きな穴ができていた。
穴を覗くと、船の最下層に貴族士官たちが落ちていた。木片の瓦礫に紛れて倒れ伏しているその姿は、言い方が悪いが、まるで潰れた蛙のようだ。もちろん、加減はしたので生きてはいるだろう。
「もし、他にも“制約”を掛けられた奴がいたらどうする?」
「黒色火薬は私の“錬金”で変化させている。火薬樽の中身はただの木炭。当分は心配ない」
タバサは『レビテーション』使って下層に下りていき、倒れているヴィレール士官の靴を確かめた。編み上げのブーツには青い糸で補修がされている。タバサが直したと言っていた靴だ。
その編み糸は、よく見ると髪の毛の一部だった。私の髪の毛、とタバサは言う。
彼女はポケットから粘土細工の小さな人形を取りだし、その背中に髪の毛を押し込んだ。
次に簡単な魔法をいくつか唱えると、人形はぴょこんと起き上がり、独りでに歩き出す。
「このアルヴィーは、髪の毛の行った場所に向かってくれる。ついていけば、犯人の居場所がわかる」
タバサがクラウドを見て頷いた。少し、緊張しているようにも見える。その理由がクラウドにはわかっていた。
なぜなら、本番はここからだからだ。
・ ・ ・
やはりと言うべきか、人形を追ってたどり着いた場所は艦隊付き神官の寺院だった。
冬の夜。寺院は雪混じりの風が強く吹く中で周りの闇を吸い込むような不気味さと、しかしはっきりとした存在感を放っていた。
二人は扉を開ける。冷たい鉄の音。
中には誰もいない。
礼拝堂は広く、寒々とした空気が流れている。燭台の蝋燭だけが怪しく灯っていた。
薄暗くはなかった。むしろ、不自然なほどの明るさが室内に籠っている。
その理由が、礼拝堂の中心に浮かんでいた。
小さな、水晶ほどの大きさの球体。
タバサが目を凝らしてそれを見る。
紅く、発光している。
血のような色。
肌で感じる。
凄まじい魔力を灯していることがわかる。
その波長には、覚えがあった。
「あれは、マテリア?」
「そうだ」
クラウドが頷いた。
冬であるはずなのに、生暖かい風が吹いた。
外側から、内側にかけて。燭台の蝋燭の火が、一斉に球体へと吸い込まれていく。
まるで球体が、周囲の熱を掻き集めているかのようだ。
「マテリアにはいくつかの種類がある。回復や技術の向上などに用いられるものもあるが、そのほとんどが兵器――破壊を目的とした用途に使用されている。その中でも、特に強力無比とされているのがあのマテリアだ」
突然、風が止んだ。
球体が強く発光。
血のように紅い液体が一滴、球体から垂れた。
濾過され、凝縮されたものが染み出たように。
その滴が地面に墜落すると、水面が波打つように魔法陣が出現し大きく展開した。
次の瞬間、世界が一変した。
「……これは!?」
そこには寺院も、サン・マロンの冬の寒さも、一片たりとも存在していなかった。
石畳が消えて荒れた肌の大地が広がり、周りは地獄のような火炎に囲まれている。
焦土の熱気がタバサに押し寄せてくる。汗が一気に噴出し、熱を帯びた空気に息が詰まる。その肌で感じる感覚が彼女に、これは幻想ではなく現実の光景であることを教えていた。
「“それ”はその強さ故に、現実世界ではほとんどその実力を発揮することはできない。だから代わりに、自らが作り出した異空間に引きずり込み、対象に確実な滅びをもたらす」
タバサはクラウドを見た。その彼は、目前の炎の中を睨んでいた。
「俺が花壇騎士の記憶で見た“それ”は、本来ならこの世界――ハルケギニアにはあってはならない、俺の世界から来たものだった。花壇騎士が倒されても仕方ない。“こいつ”に対抗できる奴は俺のいた世界でも少ない。……せめてソルジャーと同等の実力がないと、単独では戦うのは不可能だ」
炎獄の先に、大きな影があった。人のシルエットではない。もっと恐ろしい何か。
悪魔が、そこにいた。
「俺たちはそれを“召喚獣”と呼んでいる」
炎の中から、召喚獣イフリートが姿を現した。