ストレンジ・ソルジャー(ゼロの使い魔×FF7)   作:mu-ru

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Chapter 09-2

 クラウド達二人は街の外側へ街道を歩くと、途中で脇道に入った。

 さらに進むと森があり、その森を奥まで歩くと開けた場所に出る。

 青々とした芝生地に、一定の間隔で平たい石が並んで立てられていた。

 

 墓石だ。

 

「ここは……」

「トリステイン軍人の共同墓地です。ここに眠っているのは平民の方がほとんどですが」

 

 二人は墓石の間を通り抜けて進み、やがて円形に象られた広場の前にやってきた。中心に一際巨大な石碑が置かれている。石碑の表面には端から端までびっしりと文字が並んでいた。クラウドは察する。ここに記されているのは、戦死した者達の名前なのだろう。

 

「アルビオン戦争後に作られた慰霊碑です。私が命じて作らせたものです」

 

 彼女は慰霊碑の前に屈むと、両手で指を組み、祈りを捧げる姿勢になった。

 クラウドは目の前で祈りを捧げる女性を観察した。

 アン……、いや、アンリエッタ・ド・トリステイン。

 トリステイン王国の女王。

 彼女の告げた正体について、クラウドはその事実をいまだ飲み込めずにいる。

 貴族の人間だと推測こそしてはいたが、まさか彼女がこの国の統治者だったとは夢にも思わなかった。

 女王といえば、国において一番の重要人物ではないか。そんな人物が"死者を悼むため"とはいえ、護衛も付けずにこんな場所を訪れるのは、不用心どころの話ではないはずだ。

 

「あんたがしたかったことは、それなのか?」

「はい、大勢を引き連れてここに来ては、死者も驚くでしょうから、どうしても内密に訪れたかったのです。……私を浅はかだと思いますか?」

「正直な。あんたは一国の主なんだろう?わざわざ危険を犯してまで、どうしてここに来る必要があったんだ?」

「おっしゃるとおりです。私がこの場所に参ったのは、いち個人として戦死した彼らを悼むため、それを行動にしたいと思ったからです。それが立場を弁えない愚かな行為だとしても……他に出来ることが見つからなかったから」

 

 アンリエッタは祈りを済ませると、クラウドに背を向けたまま、静かに立ち上がった。

 

「ミスタ・ストライフ。あなたのような異国の方からは、この国はどの様に見えますか?」

 

 唐突な質問が、クラウドに投げかけられる。

 

「……よくは知らない。だが、街を歩いている限りは賑やかで活気があるように見える」

「そうですね。一見すれば、今のトリステインは本当に平和そのものです。ですが、最近までこの国は戦争をしていたのですよ」

 

 アンリエッタの言葉にクラウドは道中の馬車でジェシカから聞いた話を思い出した。

 戦争が終わったばかりでこの国は疲弊していると。

 

「たくさんの人が亡くなりました。平民も貴族も……。彼らを死に追いやった張本人がこの私です。その戦争の発端が、私の個人的な復讐だと言ったら、あなたはどう思いますか?」

「復讐だったのか?」

「……はい」

 彼女は短く肯定した。

 

「私には愛した男性がいました。ウェールズ・テューダー。空に浮かぶ大国、アルビオンの皇太子……、彼は、自国の貴族たちが起こした内乱によって命を落としました。

国家の枠組みを越えたその貴族たちの組織は"レコン・キスタ”と呼ばれていました。レコン・キスタは聖地の奪還と貴族の共和制を掲げ、自分たちの祖国を裏切り、滅ぼしたのです。

でも、所詮は聞こえのいい大義名分を楯にした、権力欲にまみれた貴族たちの集まり……、このトリステインにも、不可侵条約を無視して宣戦布告を仕掛けてくるような卑劣な集団でした。

……そんな者たちのせいでウェールズ様が死んでしまったことが、私にはどうしても許せなかった」

 

 拳をきつく握り締め、絞りきるかのような声で、彼女は話を続ける。

 

「戦争にはかろうじて勝利しました。ですが、その後に残されたのはおびただしい数の戦死者、そして、復讐を遂げてなお閉じることのない自身の心の空洞でした。すべてが終わった後で、私ははじめて、己の愚かさに気付いたのです」

「……」

 

「速い、速い、川の流れに流されているような気分でした。すべてが私の横を通り過ぎていく。愛も、優しい言葉も、なに一つ残らなかった。ただ、多くの人命を巻き込んだ罪悪感だけが積み重なっていきました。窒息しそうなほど、重く、苦しい重圧だけが残ったのです。

 私は、私が巻き込んでしまった人たちに対して償いをしなければなりません。でも、彼らの為に一体何ができるのでしょうか?女王として、いいえ、一人の人間として?その答えを、私はまだ見つけられていないのです……」

 

 クラウドは黙って、アンリエッタが語り終えるのを待った。

 そして、その背中に静かに語りかけた。

 

「……国を背負うあんたに掛かる責任や罪、それがどれだけ重いのか。きっと俺には計り知れないだろうな。ただ、今のあんたを見て、わかることはある」

 

 アンリエッタの話を聞いているうちに、クラウドは彼女にある種の共感を抱いていることに気付いていた。

 それは、罪を背負う者の想いだ。

 

「あんたは、許されたいんだな」

 

 クラウドもまた、彼女と同じように罪を背負っていた。

 親友を見殺しにし、大切な女性を守ることができなかった。

 バレットのテロ活動に荷担し、結果的に多くの人間を殺してしまったことは事実だし、世界を滅ぼす寸前だった、あのメテオ災害の引き金を引いたのもクラウドだった。

 目の前の女性を罪人と蔑むのであれば、自分はそれに匹敵する、いやそれ以上の罪人だろう。

 

 償いは生き残った者に課せられた使命。

 罪は償わなくてはならない。

 永遠に許されることのない、贖罪の日々。

 ただ、それは想像を絶するほどの過酷なものだ。

 クラウドはそれに耐え切れるほど、強くはなかった。

 誰かに、許して欲しかったのだ。

 

 ――誰に?――

 

 苦笑する女性の問いかけが、脳裏をかすめる。

 

「許す……、そうですね。私は許されたい」

 アンリエッタは頷く。

 

「どうすれば、私は許されるのでしょうか?罪が消える日は、いつか訪れるのでしょうか?それとも、たとえ地獄の業火に何度焼き払われようと、罪とは許されないものでしょうか?」

 

「死んだ人間の心は動かない。何があっても、ずっと。だから、彼らがあんたを許すことはできない。それに……」

 クラウドのいた世界では、全ての死者は星の源であるライフストリームに還っていく。

 彼ら、彼女らが時々クラウドに語りかけてくることはあった。また、星の声を聞くことができる”古代種”であれば死者の思いを知ることができたのかもしれない。でも、それはあくまで特別な例でしかない。

 本来、すべての生命にとって死とは、絶対的なものだ。

 死んでいった者たちが一体何を想っていたのか、知ることなど叶わない。

 それに、例え死者たちが、アンリエッタを責め、罰を与えたとしても、彼女の気持ちが晴れることは決してないはずだと思った。

 

「あんたを一番許せないのは、きっとあんた自身だ」

「私自身が、許せない……」

「そう、自分を許せない限り、罪からは逃げられない。それが無理なら、一生背負っていくしかない。少なくとも、俺はそうだった」

「あなたも、罪を背負っているのですか?」

「……自分が守れなかったもの、奪ったものの重さに耐えられなくて、俺は逃げだした。けれど、俺を許してくれる者は何処にもいなかった。だから俺は、目を背けた現実と、再び向き合う覚悟を決めるしかなかったんだ」

「……」

「結局、前に進み続けることしか出来ないと、俺は思う。生きている限りはな」

「例えそれが、どんなに重く、苦しくても、ですか?」

 

「引きずり過ぎて、すり減れば、少しくらい軽くなるかもしれないぞ」

「……そうですね」

 アンリエッタは苦笑しつつ、クラウドの顔を見て言った。

 

「アルビオンの地でウェールズさまの最後を見取った友人の話です。最後に、私に伝える言葉として、こう言い残したそうです。『自分は勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと伝えてくれ』と。それを聞いて私は、彼と同じように勇敢に生きようと決意しました。それなのに……いつの間にかその志を忘れてしまっていたみたいです」

 

 悲しげな、それでも決意を固めた表情でアンリエッタは言った。

 

「辛くても、前に進もうと思います。――なぜなら私は、まだ生きているのだから」

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

 場所は先ほどの寺院に戻る。

 クラウド達が立ち去った後、静けさが戻ったその場所に、ひとりの少女が現れた。

 白いフリルがちりばめられた黒いドレス身に纏っている。黒の頭巾の下からは人形のような白い肌と、翠の瞳が見え隠れしていた。

 佇むその姿は、まるで日中に突然、一点だけ現れた闇のようでもあった。

 彼女は壁にあいた穴から、寺院の中に入り、礼拝堂へと進む。

 

 崩れた壁、持ち上がった地面。

 そのひとつひとつを観察して、ここで戦闘が行われた形跡を確認していった。

 そして彼女は、瓦礫と一緒くたになって倒れている少年――自分の兄を発見した。

 

「呆れたわ。まったく、何をやっているのかしら」

 

 心配するよりも先に、彼女は溜息を吐く。

 ひょいと杖を振り、“レビテーション”の魔法でドゥードゥーの身体を持ち上げる。

 

「喉元を“硬化”の上から一撃……、相当の手練れの仕業ね。それで、傷の具合は……まあ、これならなんとかなりそうだわ」

 

 傷の具合を観察した彼女はドゥードゥーを床の上に仰向けに寝かせ、“治癒”の魔法を唱えた。

 傷はみるみるうちに癒え、あっという間にふさがってしまう。

 

「これで良し。さて……、いい加減起きなさい。この、お馬鹿兄様ッ!」

「ぶへっ!?」

 彼女は寝ているドゥードゥーに強烈な蹴りを喰らわした。

 

「痛いじゃないか、ジャネット!いきなり何をするんだい!」

 

 蹴りに目を覚ましたドゥードゥーが、起きあがって抗議する。

 傷はふさがっても、内部までは完全に癒えていないのか、彼の声はまだしわがれている。

 

「それはこっちのセリフだわ。急にいなくなって、やっと見つけたと思ったら、こんなところでのびているんですもの、一体何をやっていたのかしら?」

 ジャネットと呼ばれた彼女は、逆に問いただした。

 

「そうだ、僕はあいつに。そうか……負けたんだな。ありがとう、ジャネット、傷を治してくれたんだね」

「どういたしまして。それで、ドゥードゥー兄さまはいったい誰と戦っていたの?」

「誰って、決まっているじゃないか。次の仕事のターゲットだよ。ほら、街中で騒いでいた」

「ああ、平民と貴族が戦って平民が勝ったとかいう?私は興味なかったから見に行きませんでしたけど、あれがそうだったの?……ってターゲットに勝手に手を出したの!?」

「だって、僕ら“元素の兄弟”の次の仕事が“生け捕り”だなんて退屈じゃないか。たまたま資料にあったターゲットの容姿を覚えていたからね。街中で偶然見つけたし、じゃあ僕ひとりで片づけてしまおうと思ったのさ」

 

 ジャネットは呆れを通り越してものを言うことが出来なかった。

 まったく、この三男坊の兄は、いつも禄なことをしない。

 

「ダミアン兄さま達はまだ交渉中なのよ。交渉が終わるまで勝手な行動は慎むように言われていたでしょう。こっぴどく負けて、その上、手加減までされていたら話にならないわ」

「どうして手加減されていたってわかるんだい?」

 

 ドゥードゥーが驚いている。

 どうやら手加減をされていた自覚はあるようだ。

 しかたなく、彼女は答えてやる。

 

「お兄さまの喉元への一撃は、致命傷とまではいかなくても、ほっといたら死んでしまう、でも、手当すれば一命を取り留められる程度に抑えられていたの。しばらくすれば私のような仲間が現れると踏んでいたのでしょうね。

 魔法を使わない処置だったら手当しても重傷でしばらく病院行きって感じかしら?そのくらいのダメージを与えればもう追いかけてこられないと考えたのかもしれないわ。

 でも、私みたいな卓越したメイジの治癒魔法だったら、このくらいの傷なんかあっという間に治せてしまえるってことまでには考えが及ばなかったみたい。

 メイジとの戦い方を熟知しているはずのメイジ殺しにしては、魔法に対して無知で対応がちぐはぐな感じがするわ。――そうすると、資料の通りハルケギニアの外から来た"異邦人"というのは本当なのかもしれないわね」

 

 ジャネットはそう推察で締めくくった。

 

「そう、あいつ、見たこともない魔法を使ってきたんだ。本当に驚いたな」

「そこの大きな土柱ね。土系統の魔法かしら、確かにこんなもの、見たことがありませんわ。でもねお兄様、ターゲットが未知の魔法を使ってくるということは、依頼主から貰った資料の中には書いてあったわよ」

「えぇ、本当かい!ぜんぜん気付かなかったよ」

「まったくもう、肝心なところで抜けているのだから」

 

 ハッハッハと愉快そうに笑う兄にジャネットは再び溜息を吐く。

 しかし、そこではて、と兄の態度に疑問を抱いて問いかけた。

 

「なんだか、楽しそうじゃない。もっと悔しがるかと思っていたのに」

 

 この兄は、勝負事に対して異常なほどの負けず嫌いなのだ。

 本来なら戦いに負けて、それこそ悔しがりそうなはずなのに、やけに上機嫌ではないか。

 

「まあ、いつもの僕ならそうなんだけど、あれだけはっきりと勝敗がついてはね。まったく完敗だったよ。世界は広いものだ、あんなに強い奴がいるなんて。どうやら僕の“世界最強のメイジ”という夢を達成するには、まだ先が長そうだ。でも、次は負けない」

 

 ドゥードゥーの瞳には強い闘志が宿っていた。

 

「負けはしたけど、僕だって全ての手札を出したわけじゃない。ダミアン兄さん特性のあの“魔法薬”だって使っていないし――、まあこれは使う暇もなくやられただけなんだけど――、とにかく、あの“異邦人”、次は必ず仕留めてやる」

「あのね、やる気があるのはいいのだけれど、仕留めないでね。仕事の内容は捕獲よ」

 

 馬鹿で単純な分、立ち直るのも早い。

 長所と短所は表裏一体ね、とジャネットは呆れ半分に兄の性格を嘆いた。

 

「とにかく、これ以上の単独行動は厳禁よ。相手はドゥードゥー兄さまを倒すほどの手練れですもの。それを生け捕りにするとなれば骨が折れるわ。どうやら、久々に”元素の兄弟”総出でかかる必要があるみたい。

一度、ダミアン兄さまたちの所に戻りましょう。ターゲットの行き先はわかっているらしいし、焦ることはないわ」

「そうだ、こうしちゃいられない。兄さんたちに、次も僕が戦わせてもらうように、お願いをしに行かなくちゃ!」

 

 思いついたように立ち上がり、ドゥードゥーは駆けだした。

 

「ちょっと、ちょっと!また勝手に行かないでよ!場所がどこだかわかっているの?もう、なんで私が兄さまのお守りみたいなことをしなきゃいけないのよ!」

 

 ぶつぶつ不満を漏らしつつ、ジャネットはまた兄を追いかける羽目になった。

 

 ・ ・ ・

 

 クラウドが魅惑の妖精亭に戻ってくると、店の入り口でジェシカが待っていた。

 こちらを見るなり、口元を歪ませてにやにやとする。

 

「話は聞いたよ。貴族に絡まれていた女の子を助けて、そのまま付いて行ったんだって?いやあ、奥手だと思っていたけどなかなか隅におけないねぇ」

 

 彼女は腰に手を当てて首を傾げ、楽しそうに尋ねてくる。

 どうやら、街中で起こした騒動の話を拾ってきたらしい。あれだけ目立つことをしたのだから、話が広まるのは当然ではあるが、それにしても耳が早い。さすがは本物の街娘と言ったところだろうか。

 

「で、どうだったの?」

「別に、たいしたことはしていない。墓参りに付き合っただけだ」

「へぇ……、墓参りねぇ」

 

 ジェシカは顎に手をあてて、考える素振りをする。

 

「その子、話を聞いた限りじゃ、トリスタニアの子じゃないと思ったんだけどね。この街の女の子のことなら、ほら、うちの店にスカウトしたりするから、私詳しいし。ひょっとしたら、お忍びで城下街にやって来た貴族のお嬢様だったのかもしれないわね。知り合いのお墓でもあったのかしら?そんな話はしなかったの?」

 

 クラウドは首を振った。

 ジェシカの推測は、かなり良い線をついていた。

 だが、クラウドが付き添ったあの女性が、実はこの国の女王だったと知ったら、ジェシカはどんな顔をするのだろうか。女王がお忍びで城下に来ていたなどと知れたら、きっと大騒ぎになるに違いない。

 もちろん、黙っているつもりだった。わざわざ自分から話すようなことではない。

 

 死者を悼むため、彼女はあの墓地を訪れた理由をそう言っていた。

 しかし、本当はそうではないはずだとクラウドは考える。

 あの軍人墓地は、死者がかつて存在したということを示すために、生者が作りだした場所に過ぎない。死者を悼むだけなら、どこでだってできる。自分が今いる場所で、手を組み、祈りを捧げていればいいはずなのだ。彼女の行動に、意味があったのだろうか。

 

 いや……、そもそも、意味なんてものは最初からありはしないのだ。

 人間はどこかに意味を見つけようとする。全ての物事に、自分の成す行動に必ず意味があると考え、その答えがどこかに隠されていると信じている。

 

 だが、そんなものは全て幻想だ。

 人間の行動なんて、必ずしも合理的なものではない。後から考えてどうしてあんなことをしたのかと、そう思うことばかりではないか。

 彼女はただ自分がそうしたかったから、行動したというだけのことなのだろう。

 道端で出会ったクラウドを連れ回したのは、誰かに自身の心情を聞いて貰いたかったからかもしれない。

 たぶん、彼女は自分自身に正直なのだ。

 羨ましい思考だな、とクラウドは思った。

 

――そういえば、彼女が提示した報酬はデート一回だったか。

 

 クラウドがこのトリステイン王国に来たのは、トリステイン魔法学院にいるヒラガ・サイトに話を聞くためだ。

 その目的が遂げられれば、自分がこの国に留まる必然性はなくなる。

 彼女との約束を果たせる可能性は、限りなく低いだろうなと、思う

 それにしても。なぜ彼女はそんなことを言ったのだろうか。

 そして自分はなぜそれに応じたのか、それも、不思議なことだった。

 元から報酬の条件につられたわけではなかった。彼女について行ったのは、自由行動中に時間があったゆえの、気まぐれでしかなかったはずだ。

 

 ただ……、思い出してしまっただけなのだ。

 そう……、自分もやはり、合理的ではない。

 

「ふーん」

 

 考えにふけっていたクラウドを、ジェシカが覗いていた。

 どうした、と聞くと、べつに、と答えが返ってくる。

 

「まあ、タバサちゃんには黙っていてあげるよ」

「なんのことだ?」

「さあ?」

 

 ジェシカは、にやにやと、含み笑いを浮かべている。

 彼女が何か思い違いをしていることはわかったが、それを口に出して訂正する気力は湧かなかった。

 こういう手合いは何を言っても曲解するだけで話をまとも聞いてもらえないので、相手にするのは無駄に疲れるだけだ。

 クラウドは話題を変えることにした。

 

「タバサは、まだ戻ってきていないのか?」

「うん?さっき一度、本を買い込んで戻ってきたんだけど、その後またどこかに出かけちゃったわよ。行き先は聞いていないわ。クラウドこそ、何か聞いていないの?」

「いや」

「ふうん、まあ、もう夕方だし、そのうち帰ってくるんじゃない?」

 

 ジェシカは楽観的な様子で答えた。

 日が沈み、トリスタニアの一日が終わろうとしていた。

 今日遭遇した、クラウドを狙ってきたあの少年について、タバサの見解を聞きたかったのだが……。そう思うクラウドだった。

 

 

 

 

「ところで、クラウド。次はこの服を着てみない?“魅惑の妖精のビスチェ”っていう、我が家の家宝なんだけど――」

「断る」

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

「もうこれっきりにしてくださいませ」

「ごめんなさいね、無理なことを頼んでしまって」

「まったくですわ、陛下が城を抜け出す間、影武者になってくれなんて……。いくら”フェイスチェンジ”の魔法で顔を変えたとはいっても、魔法で調べられれば一発でばれてしまうんですから、気が気じゃありませんでしたわ」

 

 トリステイン城の自室に戻ったアンリエッタは、自分が抜け出す間の身代わりをしていた秘書官の諌言を聞いていた。

 アンリエッタは城を抜け出すのに、"フェイスチェンジ"という変装の魔法を使って、身代わりを立てていたのだ。

 

「本当に感謝しているわ。わたしの執務状況を完全に把握しているのは、秘書官であるあなたくらいなものだから」

「陛下は自身の置かれている立場というものを理解してください。あなたは女王なのですよ」

 

 秘書官は一礼すると、もうこんなことはごめんだとでも言うかのように、そそくさとその場を退いた。

 

「自覚はしているつもりよ、でも……」

 

 街で起こしたトラブルを思い返せば、確かにそのとおりだと思う。一国を預かる身でありながら一人城を抜け出したのはあまりにも浅はかだった。それでもあの場所には、あの軍人墓地にはどうしても一人で行きたかったのだ。自らの懺悔の念を示す為に。

 それはただの自己満足なのかもしれない。それでも、先の戦争で死んだ大勢の人たちのために祈りを捧げることが、自分には必要だったのだと思う。

 

“あんたは許されたいんだな”

 クラウドの言葉がアンリエッタの中で甦る。

 その通りだ、私は許されたかったのだ。

 勇敢に戦い、死んでいった者達に。

 国の為に戦った、顔も知らない領民たちに。

 だが、彼らが私を許すことないだろう。

 許して貰う機会さえ、私自身が奪ってしまったのだから。

 私にできることは、罪を背負い、今を生きる人々のために尽くすことなのだ。

 それしか、できない。

 そんなことは、本当はずっと前からわかりきっていた事だった。

 ただ、罪を認め、前に進む覚悟を、まだ私は持てていなかったのだ

 それを、あの青年は後押ししてくれた。

 

 クラウド・ストライフ

 見たこともない魔法を使う。遠い異国から来た剣士。

 自らを“異邦人”と語った彼の顔をアンリエッタは思い浮かべた。

 なぜ、私は、見ず知らずだった彼に、自分の護衛を頼んだのだろうか。

 アンリエッタは両手を胸の前できゅっと締め付ける。

 その答えは、既に彼女の中にあった。

 

「ウェールズ様……」

 

 ブルドンネ街で平民と間違われ、下級貴族に絡まれたあの時、はじめてクラウドの顔を見た一瞬、アンリエッタは彼に死んだ恋人の顔を思い出していたのだ。

 アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー。

 レコン・キスタに国を奪われ、トリステインの裏切り者であるワルド子爵に殺された、アルビオンの皇太子。死後も遺体を操られて、その尊厳さえ利用つくされてしまった、アンリエッタの恋人。

 同じ金髪。整った顔。だがけっして似ていたわけではない。そのはずなのに……、クラウドの顔を、ウェールズと重ねていたのだ。

 それに気付いたあの時、思わず彼を呼び止めてしまっていた。

 彼のおかげでアンリエッタは自分の気持ちに整理をつけることができた。

 

「また、どこかで出会うことがあるでしょうか――」

 

 デートに約束を取り付けたことを思いだし、彼女は紅潮する。

 彼を引き留める理由に、なぜあんなことを口走ってしまったのだろうか。

 でも……、彼はまだしばらくこの国に滞在するようだった。

 再会してその約束を果たす機会は、まだあるのかもしれない。

 

 でも、はたしてそれが自分に許されることだろうか――。

 

 部屋のドアがノックされる。伝令の人間だった。

 はっとして顔をあげる。

 

「陛下、アニエス銃士隊長が戻りました」

「……わかりました、通してください」

 

 アンリエッタは深呼吸をすると、気を引き締め、女王の顔へ戻った。

 

 ・ ・ ・ 

 

「陛下、アニエス・ミラン・ド・シュバリエ、只今戻りました」

「報告を」

「は、ラグドリアン湖の水位減少についてですが……、残念ながら原因を特定することは叶いませんでした。それについては、魔法を用いた本格的な調査が必要であると具申します。ですが、今回の事象について、関わりがあるとみられる二人組の情報を得ることができました」

 

 アニエスがつらつらと報告を述べていく。

 トリステインとアルビオンが戦争を繰り広げている最中に、ラグドリアン湖では水位が突如として減少するという異変が起きていたのだ。

 周辺では亜人や幻獣たちが凶暴化するという事象や、さらには湖を統べる”水の精霊”が消失したとの報告がなされており、アニエス率いる銃士隊がその調査を進めていたのだった。

 

「その者たちによって、今回の異変は引き起こされたの?」

「水位減少が起こったその翌日に、その者らが湖周辺で活動をしていた情報を得ております。まず間違いなく、なんらかの事情を知っているはずです。しかも、その二人組みのうちの一人は、トリステイン魔法学院の制服を着ていたとのことでした」

「魔法学院の?」

 

 アンリエッタは驚く。

 

「ええ、トリステイン魔法学院に関わりのある人間だとすれば、あの学院に行けば何か手がかりが掴めるはずです、必ずや見つけだしてみせます。……それと、別件ですが、もうひとつ陛下の耳に入れていただきたいことがございます。おそらくはこの件と無関係ではないと思いますので」

 

 アニエスは一段と厳しく声を発した。

 

「この国に裏の世界の人間が入ったという情報です。“元素の兄弟”と呼ばれるものたちです」

「元素の兄弟……」

「ええ、その筋ではかなり有名な連中で、実はわたしも噂を聞いたことがあります。進出鬼没、狙った獲物は逃さない……腕利きの連中だと」

 

 アニエスの言葉でアンリエッタは察しがついた。昼間、自分とクラウドを襲ってきたドゥードゥーという少年の言葉。「雇い主との契約は僕の仕事じゃない」

 あれほどの魔法の腕を持った人間はトリステイン中を探してもそうはいない。

 彼はきっとその一味だったのだろう。……だからこそ、その凄腕をいとも簡単に返り討ちにしてしまったクラウドの異常性が、なおさら際立ってしまうが。

 

「何の目的で、この国に?」

「陛下のお命を狙いに来たのかもしれませんが……、私には別に思い当たる節がございます」

「それはラグドリアン湖の一件と無関係ではないと?」

 アニエスは頷いた。

「陛下は”北花壇騎士”というガリアの騎士団をご存じでしょうか?」

「……その存在くらいは耳にしたことがありますわ。諜報、暗殺……そういった闇の仕事を生業にするガリアの非公式の騎士団があると……まさか」

「はい、その”元素の兄弟”はガリアの北花壇騎士に所属しているのです」

 

「ガリアが、この件に関わっていると?」

「ええ、先ほど申し上げた二人組は、ガリア国境側で亜人退治の任務を行っていたらしく、その際にトリステイン魔法学院の制服を来た少女の方が、自分はガリアに属する"花壇騎士”であると名乗っていたそうです……おそらくは、ガリアも、その二人組を追っているのではないかと思われます」

 

 何かが繋がりそうな気配に、アンリエッタの背筋は寒くなった。

 街中で襲われた時、あの少年はアンリエッタのことなど眼中にもない様子だった。

 それどころか、何と言っていただろうか?

 最初からクラウドを捕えるために来たと、公言していたではないか。

 彼は、裏の世界の、それもとびきり一流の集団に狙われている……、その理由がわからないと彼は述べていたが、まさか……。

 アンリエッタは唾を飲み込んで、次の言葉を繋げた。

 

「……その二人組の、もう一人は?」

「は、その者は――」

 

 アニエスの語る言葉に、アンリエッタはもはや驚きを隠せなかった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 夕闇が迫る間近の時間、タバサが訪れたのはチクドンネ街の中でも上品な造りの酒場だった。

 手にはガリアからの指令書が握られている。

 一度、宿に戻った彼女の元に伝書ふくろうが持ってきたものだった。

 指令書には、ただこの場所に来るようにとだけ、書かれていた。

 人ごみの中をかき分けて、タバサは目立たないカウンター席のひとつに座った。

 そんなタバサを見咎めて、グラスを拭いていた店の主人は胡散臭げな口調で彼女に告げた。

 

「貴族のお嬢さん、ここはあなたみてぇな子供が来る場所じゃないですぜ。面倒ごとに巻き込まれないうちに帰ってくだせぇな」

 

 しかし、タバサは黙ったまま動かない。しかたなく、脅しを入れて追い返そうかと主人は考える。

 

「そうつれないことを言わないでくれよ。ご主人」

 

 唐突に幼い声が聞こえて、驚いた主人が目を向けると、いつの間にか金髪の少年がテーブルに腰掛けていた。

 後ろには聳えるように、大男が直立している。白い髪を短く刈り上げた大男はまるで修行僧のようにも見えた。しかし、顔に刻まれた赤い刺青が、それを明らかに否定している。

 どうみても普通の客ではない。裏の世界を生きている人間――そんな大男を従えるかのような態度で、その少年は足を組んで座っていた。

 

「あんたら、いつからそこにいた?」

「さぁ、さっきからいましたよ。あなたが気付かなかっただけでは?」

 

 尊大な口振りで首を傾げて、少年は笑って見せる。

 見た目はやんちゃざかりの貴族の子息と言った様子だったが、主人は不気味なものを感じていた。子供のなりの癖にしぐさの一つ一つがまるで子供らしくない。まるで大物の貴族のような威圧感を、目の前の子供は纏っていた。

 少年はひょいと、店の主人が拭いていたグラスのひとつを持ち上げてみせた。

 

「僕らは人を待っていましてね。できれば干渉しないでいただきたい。さもないと……」

 

 手の中でグラスがまるで高熱に当てられたかのように溶け出した。

 そして、もう片方の手の指でつっとなぞると、それは一瞬にして鉄で出来た鋭利な刃物に変貌する。

 少年は切っ先を揺らしながら笑いかけた。

 

「あまり、よくないことが起こるかもね?」

「ひっ」

 

 主人は怯えて、店の奥へ引っ込んでいった。

 

「これ、あげるよ」

 

 少年が自分で作り出したそれをタバサの前に差し出した。

 タバサはそのナイフを観察する。ガラスで出来ていたはずのワイングラスは、見事な鉄製のナイフに変貌している。 こんな芸当ができるのは高度な“錬金”の魔法を扱えるメイジくらいだ。ただ、少年は杖どころか、呪文を唱えるそぶりすら見せる様子はなかった。一体どうやったというのだろうか。

 

「おそろいのようね」

 

 タバサたちのいる席にもう一人、深いフードを被った女性が現れ、タバサの隣に腰掛けた。

 

「私はシェフィールド。あなた方の雇い主の使いよ。初めまして、北花壇騎士タバサ。そして同じく北花壇騎士“元素の兄弟”ダミアンとジャック」

「北花壇騎士?」

 

 タバサはダミアンと呼ばれた金髪の少年を見た。

 

「そう、初めまして、君が北花壇騎士7号だね。噂は聞いているよ、優秀な魔法の使い手だとね。僕らもきみと同じ北花壇騎士さ。“元素の兄弟”と呼ばれている。聞いたことはないかい?きみと同じくらい仕事をこなしているはずなんだけど」

「殺しの数なら、あなたたちの方が上よ」

「だ、そうだよ。雇い主側が言うんだから間違いはないだろう」

「どういうこと?」

 

 本来、単独で仕事をこなすはずの北花壇騎士が合同で任務を行う話など、タバサは聞いたことが無かった。それに、なぜガリアではなくこのトリステインで任務を受けるのかもわからない。

 シェフィールドはその二つの疑問に答えた。

 

「それはね、この国が今度の任務の舞台だからよ。あなたと彼らにはそれぞれ別の仕事をしてもらうわ。

直接関係がないわけでもないから、ここに集めたのは顔合わせのためよ。あなたの任務は……」

 

 一枚の紙をテーブルに差出し、そこに書かれている似顔絵を見せた。

 

「我が主は世界に四匹しかいない竜のうちの一匹を捕まえようとしているの。だけど、その竜には強力な護衛がついている。だから、それを退治してほしいのよ」

 

 そこにはヒラガ・サイト――ルイズ・フランソワーズ・ド・ヴァリエールの使い魔についての情報が書かれていた。

 どくん、と心臓が締め付けられる。

 タバサは紙面からゆっくりと顔を上げ、シェフィールドを見る。

 

「彼を殺せと?わたしと、この人たちで?」

 

 ダミアンが首を振った。

 

「僕らは僕らで別の任務があるよ。実は事前に説明を受けていてね。詳細は秘密だけど――」

「兄さん、兄さん!見つけたよ!ターゲットの男!でっかい剣を背負った、金髪のツンツン頭!さっき戦ってきたけど、すっごい強くてやられちまったよ!」

 

 ダミアンが話している最中、16,7くらいの金髪の少年が興奮した様子で店に駆け込んできた。後ろからそれを追いかけて、紫の髪の少女が入ってくる。

 

「ちょっとドゥードゥー兄さま!ダミアン兄さまたちは仕事のお話をしている最中なのよ。邪魔しちゃだめじゃない!」

「ドゥードゥー、ジャネット、どうしてここに?」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎだした二人に対して、ダミアンの後ろに立っていた大男、ジャックが頭を掻きながら聞いた。

 

「あー、……ドゥードゥー。お前、話が済むまで動くなって言ったよな。それに、任務の話をそんなベラベラと人前で話すなとも言わなかったか?」

「だって、街中で見つけてしまったんだ。生きて捕獲しろだなんて、退屈すぎるから、僕ひとりで片付けようとしたんだけど、思った以上に強くてさ、コテンパンにやられちゃった。悔しいな。次は絶対勝つよ」

「待機してろっていったんだ!人の話くらい聞け!」

「痛い!」

 

 すぱーん、とジャックはドゥードゥーの頭を叩いた。

 

「無駄よ、ジャック兄さま。ドゥードゥー兄さまは、三歩歩けば任務の内容さえ忘れてしまうような、可哀想なニワトリ頭なんだから」

「おいおい、そんな失礼な言い方ないだろう!」

「本当のことですもの」

 

 ドゥードゥーは痛みで涙目になりながら反論するが、ジャネットはにべもない。

 そんなやり取りを眺めていたダミアンがやれやれと首をふった。

 

「――秘密だったんだけど、ばれちゃったみたいだね」

 

 彼らは互いを兄弟と呼び合うが、見た目では最も幼いはずのダミアンを年長として捉えている奇妙さに、なんの疑問も持っていないようだった。

 

 シェフィールドは舌打ちし、怒りを込めた声でダミアンに言った。

 

「任務の内容はあなたたちの中だけで留めておくように、言ったはずよね」

「申し訳ない。僕のふたつ下の弟は戦いのことしか頭になくてね。それ以外のことを置き忘れてしまうようだ」

 悪びれた様子もなく、ダミアンは肩をすくめる。

 

「任務の報酬を考え直してもいいのよ?」

「それなら、僕らは降りさせて貰うよ。でも、弟の話を聞く限り、ターゲットは思ったより手強そうじゃないか。今から僕らの代わりが見つかるだろうか?キミのご主人は僕らの有能さをご存知の筈だ。万が一失敗したとき、キミが命令どおり僕ら“元素の兄弟“を使わなかったためだと聞いたら、どんな顔をするだろうね?」

「……この守銭奴め」

 シェフィールドは言葉を吐き捨てる。

 

「……どういうこと?」

 

 その一言に、場が静かになった。

 タバサは怒りから声を震わせていた。

 金髪のツンツン頭、大きな大剣を背負った男。

 彼らの言う“ターゲット”というのは話を聞くかぎり、クラウドのことに間違いなかった。なぜ、彼が北花壇騎士に狙われているのか。

 

「どういうことかと、聞いている」

 

 タバサは怒りを込めた強い口調で問いただす。

 

「あの青髪の子、なんか怒っているね。どうしたんだろう」

「「お前のせいだ!」」ジャックとジャネットが同時に怒鳴った。

 

 シェフィールドは諦めたように溜息を吐いた後、口を開いた。

 

「ご想像の通りよ。あなたが“ガンダールヴ”と戦っている間、この“元素の兄弟”にあなたの連れの男を捕まえてもらうの。私の主人の“友人”がどうしても、そいつを捕えたいというのでね。本来あなたには話さなくていいことだったのに」

 

 あの“友人”……もとい、あのエルフはどこをほっつき歩いているのか、とシェフィールドは頭に手をやり、首を振る。

 今回の捕獲の任務は主の命令ではなく、あのエルフが要求して来たことだ。

 これ以上面倒なことは避けたいものね、と考えるシェフィールドを、タバサは睨みつけた。

 

「彼に、一体何をするつもり?」

「さあ?それがあなたに何か関係があるの?」

「今回の私の任務にも、あの人を捕まえることにも、同意できない」

 

 トリステイン魔法学院はタバサにとって大切な居場所だ。

 そしてクラウドはタバサにそのことを気付かせてくれた人であり、ラグドリアンで命を救われた恩人である。

 命令とはいえ、そのどちらも裏切ることは、今の彼女にできるわけがなかった。

 

「あら、本当にいいのかしら」

 シェフィールドは嘲るように笑った。

 

「この任務に成功したら、あなたの母親の心を治す薬をあげるわ」

 

 シェフィールドの言葉に、タバサは硬直する。今、なんと言った?母を、治す?

 

「あなたの母親……、可哀相に、心を狂わせているんでしょう?それを癒す治療薬を、私の主は持っているわ。あなたは今まで沢山任務をこなしているし、その働きがそろそろ報われてもいいのではないかと、主はお考えなのよ」

 

 この女の主とは、十中八九、ガリア王であるジョゼフのことだろう。父を殺し、母の心を狂わせた張本人だ。確かに、薬を盛った本人なら、その解毒薬を所持しているのかもしれない。

 母が戻ってくる。あの、優しい母さまが。

 でも、そのために自分の居場所を、大切な人を裏切れと、この女は言っているのだ。

 

「いずれにせよ、あなたに拒否権はないわ」

 シェフィールドは冷たく言い放つ。

 

「この任務を拒むのであれば、あなたの母親の命はないわ。もちろん、失敗したときは、どうなるかわかるわよね。さあ、北花壇騎士7号。任務を果たしなさい。自分の母親の心を、取り戻すチャンスなのよ。簡単なことよ、あなたは自分の任務を成すことだけ考えて、口を噤んでいればいいのだから」

「……」

 

 タバサはただ唇を噛んで震えるしかなかった。

 

 

――私は、一体どうすればいいの?

 いつか来る選択肢、それが今タバサに突きつけられていた。

 

 




次回の魔法学院編はちょっと長いので、二回に分けて投稿予定です。
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